2020年03月

2020年03月26日


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バルサムが再びナチュラル・トランペットに挑戦したアルバムになり、中でも白眉はテレマンの協奏曲ニ長調で、編曲物ではなくトランペット・ソロのために書かれたオリジナル作品だ。

第1楽章アダージョの高音での非常に息の長いカンタービレを彼女は朗々と歌い上げている。

ドイツjpcのサイトではこの録音シ−ンを動画でアップしていて、実際の演奏が奏者にとってもかなり綱渡り的なテクニックであることが想像される。

恐らく循環呼吸を使っていると思われるが、持続するメロディーラインの美しさは流石だ。

ヘンデルの『王宮の花火の音楽』及びバッハの『クリスマス・オラトリオ』のコーラスを省いてシンフォニア風にアレンジしたものは、元来トランペットが加わる作品で、パーセルの『メアリー二世のための葬送の音楽』とともにバロック音楽の荘厳さとドラマティックな一面が効果的に表現されている。

私事で恐縮だが、筆者の少年時代はバロック音楽リバイバルの黎明期で、発掘されつつあったヴィヴァルディを始めとする作曲家達の作品の生き生きした新鮮な響きが本格的なバロック音楽だと思っていた。

当時全盛期のイ・ムジチ合奏団の来日公演を聴きに行って、子供ながらバロック通を気取っていたものだ。

しかしその後ピリオド楽器による再現が一般的になると、実はモダン楽器、モダン奏法による演奏は現代に創り上げられた解釈であり、バロック本来のサウンドからはかなり乖離していたことを知らされた。

トランペットもそのひとつで、モーリス・アンドレが愛用していた小型の楽器はバロック時代には存在しなかった、現代の特注品だったことも記憶に新しい。

この演奏集でバルサムが使用しているのはバルブ・システムのないナチュラル・トランペットである。

補助孔を開けているがテクニックさえ習得すればスケールやトリルも演奏可能で、鋭さが控えめのマイルドな音色に特徴がある。

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classicalmusic at 23:04コメント(0)テレマン 

2020年03月25日


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現在ではバロック・ヴァイオリンの大御所的存在のジュリアーノ・カルミニョーラがチェンバリスト、アンドレア・マルコンと組んだ最新盤で、先ず両者の音質の美しさに惚れ惚れとさせられる。

ネット配信の音源でもこれだけの音質を再生できる優秀な録音がこのディスクのセールス・ポイントのひとつだろう。

ヨーロッパの総てのヴァイオリン楽派はアルカンジェロ・コレッリにその源を辿ると言われているように、彼のDNAとその奏法は現代のイタリア人演奏家にも受け継がれていることを証明するような1枚だ。

バッハの織り成す対位法は勿論忠実に再現されているが、その中に節度のあるカンタービレと効果的な即興性などがちりばめられている。

また第6番の第3楽章では、マルコンが生き生きとしたチェンバロ・ソロでその腕前を披露している。

バッハが何故チェンバロだけの楽章を挿入したのかは知る由もないが、彼が興に乗じて弾いたであろう即興演奏を髣髴とさせる部分だ。

オブリガート・チェンバロ付の6曲のヴァイオリン・ソナタは、現在に至るまでさまざまな形態で演奏されてきた。

例えばカルミニョーラの師でもあったシェリングのモダン奏法にヴァルヒャがヒストリカル・チェンバロで伴奏した録音や、モダン・チェンバロで対応したコーガン、リヒター盤、あるいはピリオドには一切拘らずにピアノを使用したカピュソン、フレー盤などだ。

純粋な古楽のスタイル、つまりピリオド楽器にピリオド奏法での演奏というと、シギスヴァルト・クイケン、レオンハルト盤があり、通奏低音にヴィオラ・ダ・ガンバを加えたトリオ・ソナタ式のマンゼ盤もリリースされている。

これらはバッハの音楽の懐の深さと変幻自在の融通性を示していて興味深いが、このディスクはピリオド・スタイルの最新録音でもあり、古楽ファンには是非お薦めしたい。

使用楽器はライナー・ノーツによればヴァイオリンは作者不詳の17世紀のオリジナル、チェンバロはウィリアム・ホーンがコピーしたミートケ・モデルで、ミートケはケーテン時代のバッハがベルリンに赴いて宮廷のために購入した二段鍵盤を持つ大型チェンバロだ。

尚ピッチは現代より半音ほど低いa'=415Hzに調律されている。

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classicalmusic at 23:12コメント(0)バッハ 

2020年03月23日


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ヴァルヒャの演奏は一切の饒舌を避けた、バッハ音楽の真髄だけが光を放っているようなシンプルなもので、あたかも平均律の原典譜を目の前に提示されたかの感さえある。

それだけに解釈は断固として明瞭で一点の翳りも戸惑いもない。

それはあの伝説的な暗譜方法、つまり各声部を別々に暗記してそれらを頭の中で再構成するという驚異的な暗譜法に由来しているのかも知れない。

理知的でありながら冷淡でなく、彼特有の突き進むような情熱で満たされていて聴く者に幸福感を与える稀有な演奏だ。

彼がバッハオルガン音楽の権威であることは無視できないし、チェンバロの演奏表現にもそれが反映しているのは事実だ。

ただ彼の演奏はバッハの音楽の媒介者としてひたすら奉仕するという目的で、楽器の持つ特性や能力を超越したところで成り立っているように思う。

そうした意味では1回目の録音時と基本的な姿勢は変わっていない。

勿論彼がこの2回目の録音の為にオリジナル楽器を選んでくれたのは幸いではあるが。

ちなみにこのセッションに使われたチェンバロだが、第1巻ではヤン・ルッカースが1640年にアントワープで製作したものでピッチはa'=415Hz、フレミッシュ特有のシンプルで立ち上がりの良い、しかも輪郭の明瞭な音色が対位法の音楽に適している。

第2巻はジャン=アンリ・エムシュが1755年から56年にかけてパリで製作し、1970年にクロード・メルシエ=イティエによって修復された楽器でピッチはa'=440Hz。

こちらはバロック盛期の華麗な響きを持っている。

ヴァルヒャがヒストリカル・チェンバロを使用したのはこの『平均律』を含めてわずか2例で、もうひとつがシェリングと組んだバッハのヴァイオリン・ソナタ集になる。

それは当時博物館に収容されていた古楽器の大掛かりな修復が余儀なくされていた事情によるものと思われる。

音源は1974年9月に行われたアナログ録音だが、音質はそれぞれのチェンバロの音質の特色を良く捉えた優れたものだ。

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classicalmusic at 23:09コメント(0)バッハヴァルヒャ 

2020年03月18日


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UHQCD化されたウェストミンスター復刻盤30枚のひとつで、モ−ツァルトの2曲の協奏交響曲を収録しいる。

ヴァイオリンとヴィオラのための変ホ長調が1951年、またカップリングされている4人の管楽器奏者が加わるオーボエ、クラリネット、ファゴット及びホルンのための変ホ長調は1949年の録音なので音質が心配だったが、想像以上にバランスの良好な音源だ。

ウェストミンスター盤は過去何回か復刻されているが、オリジナル・マスターが日本人グループによってアメリカで再発見されるまでは、出自不詳の板起こし盤もあったようで、その意味でも今回のUHQCD化ではいずれも比較的奥行きのあるしっかりした初出盤の音質が生かされていると思う。

ヴァルター・バリリのヴァイオリンは線は細めだが良く徹る艶やかな典型的ウィーン流の奏法で、ごく控えめだがポルタメントなどロマン派の名残を残しているのが興味深い。

確かに現代風のモーツァルトとは言えないが、演奏の全体像としては決して大時代の恣意的解釈を引き摺っているわけではなく、むしろその瑞々しさからは新時代を予感させるような新鮮なサウンドを伝えている。

ヴィオラのポール・ドクターとの絶妙なデュエットも聴きどころだ。

一方4本の管楽器が加わる変ホ長調の作品では、ここでも当時のウィーン・フィルの花形奏者を連ねていて、それぞれがモーツァルトの音楽性を謳歌するような、気の利いたアンサンブルで聴く者に幸福感を与えてくれる。

まだ戦後の混乱期だったことを考えると、彼らの音楽に対する不屈の情熱と演奏への意気込みを感じずにはいられない。

ウィーンでは1945年3月の空襲で、シュターツオーパーを始めとするいくつかの演奏会場が大破するまでオ−ケストラの定期演奏会やオペラ上演も平然と行われていた。

しかし連合軍占領後、音楽家の活動は現実的に皆無に等しかったようだ。

二ューヨークで設立されたウェストミンスター社は、当初ウィーンの演奏家を中心にレコーディングを開始した。

仕事に飢えていたアーティストは安く使えたし、それにも増して超一級の演奏が期待できたからだろう。

実際彼らは水を得た魚のように次々と名演奏を遺してくれた。

それも今では聴けなくなってしまったウィーンの伝統的な音楽性を惜しみなく披露しているのがこのシリーズの価値と言える。

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classicalmusic at 12:21コメント(0)モーツァルト 

2020年03月15日


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シューベルトのピアノ曲は、ここ20年間くらいの間に、演奏スタイルがかなり変わり、かつてのE・フィッシャーやケンプやゼルキンの、あの地味だが落ち着いた、じみじみとした味わいに比べると、最近のシューベルトは随分劇的で、スリリングで、時にはエキサイティングに聴こえる。

この傾向はきっと細部まで彫り込むように深読みをするブレンデルが大きな役割を果たしたのだろうが、だからと言ってブレンデル流がシューベルト演奏のスタンダードになったというわけではないことだ。

その後ピリスや内田光子が病的なまでに傷つきやすいシューベルトの魂を表現したが、ベートーヴェンやショパンなどに比べて、シューベルトには「こう弾かなければならぬ」という感じがずっと少ない。

人それぞれ、多様な可能性が許されていて、事実リヒテル、ポリーニ、ペライアといったピアニストたちが、まるで、自分の姿を映す鏡のように、それぞれのシューベルト世界を創り上げている。

そのようなシューベルト演奏のひとつの白眉が、ルーマニア出身のユダヤ系ピアニスト、ルプーの弾くソナタ第18番『幻想』ではなかろうか。

シューベルト中期の最後を飾るこの曲は、1曲のなかに様々なな魅力的な楽想が散りばめられ、しかもそれらががっちり〈原因/結果〉の糸で結ばれていないという、最もシューベルトらしいソナタ。

これをルプーは、力技で全体をがっちりまとめ上げるのではなく、まさに「神は細部に宿る」という言葉そのままに、すべての瞬間が〈美〉であるように弾いていて、感銘深い。

少し細めだが艶と透明感のある音色、淀みない音楽の流れ、決して力むことのない自然でたおやかな抑揚、ふつふつと湧き出るような喜ばしさ……。

とりわけ感銘深いのは、ルプーは音を厚ぼったく創らないために、音のテクスチュアの網目が隅々まで見通し良く響き、旋律だけでなく、伴奏音形から経過的なパッセージまですべての声部が、それぞれ生き生き躍動している様子が、手に取るように聴こえることだ。

その結果、曲全体の論理やドラマではなく、次々と立ち現れる「今ここ」の瞬間の豊饒さが、聴く者を魅了して、興味の尽きることがない。

しかも「力技」の印象がないので、音楽は軽やかに繊細で、ある喜ばしさに満ちている。

第2楽章の洗練された瑞々しさや、第4楽章の上品で生き生きとした躍動感も比類がないが、特にルプーらしいのは第1楽章で、遅めのテンポで楽想をじっくり歌わせており、スケールの大きなおおらかさを感じさせる。

一見とりとめないこの楽章をストーリー・テラーに構成するのではなく、推移や経過句のひとつひとつが、それぞれ幸福の由来であるように弾いていくやり方は、まさに今日的な(脱・近代的な)演奏と言いたい。

かつてルプーを宣伝するキャッチフレーズとして、よく「千人に一人のリリシスト」などということが言われていたが、彼の演奏を実際に耳にしてみると、とてもそういった言葉だけでは表わしきれない幅の大きな演奏家であることが分かる。

確かにその豊かな叙情性は一際抜きん出ているし、その音色の美しさも天下一品であるが、それを特徴づけるには、それ以外の要素が並外れて充実していることが不可欠であろう。

このシューベルトのアルバムでは、端正なピアニズムから生まれる彼の傑出した叙情的性質と、それを支える明確な造形感といった様々な要素が、まさに渾然一体となって実に見事なシューベルト像をくっきりと描き出している。

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classicalmusic at 12:01コメント(0)シューベルトルプー 

2020年03月13日


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リヒテルが狎沼Ν瓩砲茲Δ笋その実体をあらわし始めたのが1959年。

それまでは幻のピアニストとして封印されていた。

しかし今日では、その犖犬離團▲縫好鉢畛代が録音演奏によって次々と復元されている。

本盤もそのひとつで、リヒテルが初めてプラハを訪れた際(1954年)に収録されたものである。

当時リヒテルは39歳、この頃の彼の演奏には、何か肩で風切る壮快さがある。

一音一音の音質の端麗さは言うまでもないが、一気呵成に最後までもっていく表現力は尋常ではない。

身を切るようなバッハの美演、プロコフィエフでの精悍なピアニズム、そしてチャイコフスキーの奔放さ!

まさに極上のリヒテルがここにある。

リヒテルは生涯にプロコフィエフのピアノ協奏曲を少なくとも2曲録音している。

第5番はマゼ−ル、ロンドン交響楽団によるステレオ盤がEMIから、そしてこのディスクに収録されている第1番はカレル・アンチェル指揮、プラハ交響楽団盤で、チェコ・スプラフォンに入れたセッションになる。

1954年のモノラル録音ながら幸い音質は良好だ。

リヒテルの研ぎ澄まされた感性が火を吹く後半の超絶技巧のコ−ダに向かって準備される、内省的な神秘性が短い曲中で好対照をなしている。

この作品は単一楽章で演奏時間も17分ほどだが、ここで特筆すべきはアンチェルのサポートで、プロコフィエフの時に神経質とも言えるオ−ケストレ−ションを怜悧に処理し、プラハ交響楽団を完全に手中に収めた絶妙なサウンドが聴きどころだろう。

同時代の作品を進んでレパートリーに採り入れいてた彼の面目躍如の演奏と言える。

しかしこうした解釈はカップリングされたチェコ・フィルとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番にも同様で、アンチェルの指揮には聴き古された名曲においても、決してありきたりではない斬新な響きが常に聞こえてくる。

それは協奏曲のような指揮者が前面に出ない曲種にも共通していて、そこに彼の非凡な音楽性と強い情熱が感じられる。

カップリングは前述のチャイコフスキー及びバッハのチェンバロ協奏曲第1番ニ短調で、バッハのみは指揮者がヴァーツラフ・ターリヒに替わっている。

バッハはリヒテルが生涯採り上げた作曲家の一人だが、晩年にニ長調とト短調の2曲の協奏曲をバシュメットの指揮でテルデックに遺している。

ターリヒも既に古い時代の解釈を捨て去って、普遍的で筋の通った新時代のバッハの美学を顕現させているのは流石だ。

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classicalmusic at 12:31コメント(0)リヒテルアンチェル 

2020年03月11日


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ナタン・ミルシテイン(1903-1992)が円熟期に録音した総てのグラモフォン音源を纏めたセットになり、2度目のバッハの無伴奏を始めとする新録音の協奏曲集と、彼にとっては比較的レアなピアノ伴奏による小品集が収録されている。

バッハはそれまで多くのヴァイオリニストが踏襲していたひと時代前のロマンティックな奏法を捨てた、より原典主義に近付いたミルシテイン独自の解釈が聴きどころだ。

何よりも手アカのついた精神性とは無縁の、それでいてネオロマン風の外面的な美しさとも質の違う、活々とした生命感あふれる音楽の流れが心地よい。

内包した精神のエネルギーの大きさを感じさせる正確でアグレッシヴなリズム、オルガンを思わせるポリフォニックな響きの美しさ、完璧なアーティキュレーション、磨きぬかれたフレージング、そしてそれらのすべてを統一する強靭な形式感。

70歳になろうというヴィルトゥオーゾの到達した音楽世界の豊かさには驚くばかりだ。

チャイコフスキー、メンデルスゾーン、ブラームスの協奏曲では彼らしい飾り気のない、しかし凛とした覇気と気品を感じさせる。

特にチャイコフスキーが名演で、すっきりとした淡白な表現だが、強弱のニュアンスがまことに豊富であり、歌と情感に満ち、節回しの微妙な色合いや個性もよく出ている。

チャイコフスキーのセンチメンタリズムからは程遠いが、およそヴァイオリニスティックな美しさという点では他に比べるものがない。

アバド指揮ウィーン・フィルのリズミカルでキリリと引き締まった伴奏と相俟って、これは最も爽やかでスタイリッシュなチャイコフスキーだ。

メンデルスゾーンも独特の気品ある美しさを発散しており、洗練された技巧と音色が光っている。

ミルシテインの特徴であるこの上ない自発性、曲の形式感に対する知的なアプローチ、清潔で暖かみのある音色、正確無比なアーティキュレーション、ずば抜けたリズム感が生み出す躍動感、そういったものが一体になり、アバド指揮ウィーン・フィルの名伴奏も相俟って、メンデルスゾーンの世界を見事に描き出している。

ミルシテインは切れ味鋭いテクニックの持ち主だが、それを誇示することなくひたすら音楽表現に生かすタイプのヴァイオリニストだった。

ブラームスにもそうした芸風が端的に現れており、毅然として聴衆に媚びず、力強い響きによって弾き進めるブラームスはこの曲の表現のひとつの理想と言えるだろう。

そして何より、ここで共演しているヨッフム指揮のウィーン・フィルが見事と言うほかなく、ブラームスの協奏曲でオーケストラが単なる伴奏役にとどまらないのは言うまでもないが、ここではソロと同等、時によってはそれ以上に発言するオーケストラの芳しいばかりの表現にも心惹かれる。

またアンコール用の小品集がCD1枚を占めているが、ここにも彼の非凡さが良く表れていて、甘美でコケティッシュなクライスラーなどには目もくれず、一捻りした選曲が興味深い。

超絶技巧ものでは『ホラ・スタッカート』ではなく自作の『パガニニアーナ』で彼のヴィルトゥオジティが披露されている。

ところで、ミルシテインの録音は、これだけの名声を勝ち得た大家としては、その数はむしろ少ないと言ってよいだろう。

だが幸いなことに残された録音は皆レベルの高い粒よりの演奏だし、大曲の録音にまじって結構たくさんの小品集も録音され、彼のヴィルトゥオーゾとしての全貌を知る上で貴重なドキュメントとなっている。

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classicalmusic at 10:32コメント(0)ミルシテイン 

2020年03月08日


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キリル・コンドラシンがコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したオーケストラル・ワークは、ライヴ録音でフィリップスからの8枚とターラ・レーベル3枚の都合CD11枚分が残されている。

それらは結果的に両者の緊密なコラボの集大成となって、それぞれのコンサートが彼らの実力を示して余りあるものだ。

しかしセッション録音となるとここに収録された1979年のリムスキー=コルサコフの『シェエラザード』が唯一になる。

地元オランダでのコンドラシンのレコード制作販売が商業ベースに乗る前に彼が亡くなってしまったからだろう。

カップリングされたボロディンの交響曲第2番は1980年6月のライヴで、フィリップスからリリースされた8枚のライヴ集から同音源が使われている。

録音状態はフィリップスが誇った切れの良い音質で、俄然この『シェエラザード』が優っている。

さながらオリエントへの神秘な旅といった印象が強く残る演奏で、荘重な開始と共にエキゾチックな曲想が優雅にきめ細かく再現され、全体としてスケールの大きなドラマに発展させているのは流石だ。

冒頭と各楽章の始まりにヴァリエーションで繰り返されるヴァイオリンのテーマはコンサート・マスター、ヘルマン・クレバースのソロだが、繊細でいくらか冷やかな音色がかえってこの作品に特有の夢幻性を開いていて秀逸だ。

また曲中至るところに現れるフルート、オーボエ、クラリネットやファゴットなどの華麗なソロは当時のコンセルトヘボウの首席奏者達の水準の高さとアンサンブルの巧妙さを示している。

これは歴史的録音の名に恥じない名盤としてお薦めしたい。

一方ボロディンは客席からの咳払いや拍手等が混入したライヴなので、その点割り引いて鑑賞しなければならないが、音質自体はホールの響きを良く捉えた良好なものだ。

こちらもコンドラシンが最も手中に収めたスラヴ物だけあって、ロシア国民楽派の意気込みを象徴するような劇的な開始が特徴的だ。

また第3楽章アンダンテの『中央アジアの平原にて』をイメージさせるホルン・ソロの導入による如何にも大陸的な抒情表現が美しいし、終楽章の熱狂的な民族舞踏にもコンドラシンのスラヴ魂が感じられる。

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classicalmusic at 12:25コメント(0)コンドラシンR=コルサコフ 

2020年03月06日


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昨年ウェストミンスター・レコードからの名盤が30枚ほどUHQCD化された。

こちらはクラリネットのウラッハとファゴットのエールベルガーがモ−ツァルトの協奏曲をアルトゥーロ・ロジンスキー指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団のサポートで録音した音源で、音質はまずまずの仕上がりといったところだ。

どちらも1954年のモノラル録音だが、両者のソロ楽器とオーケストラのバランスや音色は良好に採音されている。

同シリーズのクラリネット五重奏曲集よりも若干グレードアップが感知できるので、当時のレコーディング技術も日進月歩だったことが想像される。

ウラッハの全集盤が英スクリベンダムからも11枚組でリリースされているが、オリジナルLP盤は別格として、これまでにCD化されたディスクの中ではこのUHQCDが最も音質恵まれている。

ウラッハもエールベルガ−も当時のウィーン・フィルの首席奏者で、彼らの奏法や音色がオ−ケストラのカラ−を決定していたと言っても過言ではないだろう。

2人にとって共通しているのは楽器に無理を強いず、むしろ特性を極力活かしながら自然に歌わせる奏法を基本にしていることだ。

鋭いスタッカートを避けながら創り上げていくメロディーラインは艶やかで特有の品性が醸し出される。

また彼らはそれぞれがアンサンブルに所属していたので、他の奏者と合わせることにも職人的な腕を持っていた。

ウィーン・フィルのメンバーは現代でこそグロ−バル化が進んで、オーケストラならではの特徴も失われつつある。

この時代は戦後の混乱期であったにも拘らず、彼らの音楽的趣味が縦横に発揮されていた全盛期で、更に次世代のヨーロッパを代表する楽団の黄金期に引き継がれることになる。

かなり頑固なポリシーを持っていたオ−ケストラで、団員はウィーンで勉強した奏者に限られ、女人禁制というのが当初の入団資格だったようだ。

楽器は現在でも拘り続けているウィンナー・ホルンやオーボエが、その音色の特徴になっているのは周知の通りだ。

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classicalmusic at 17:37コメント(0)モーツァルト 

2020年03月05日


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2012年に同じスプラフォンからリリースされた同メンバーによる8枚組の交響曲全集に入っていないオーケストラル・ワークが、こちらの方に収録されている。

幸い両者の選曲にだぶりがひとつもない。

曲目は『チェコ組曲』ニ長調Op.39、序曲『フス教徒』Op.67、序曲『我が家』Op.62、『ノクターン』変ホ長調Op.40及び『スケルツォ・カプリッチョーソ』Op.66の5曲で、いくらか古いセッションだが2005年のデジタル・リマスタリングによって瑞々しく鮮明な音質と臨場感が再現されている。

ドヴォルザークの初期の作品になる弦楽合奏のための『ノクターン』はチェコ・フィルの弦の音色の美しさを堪能させてくれる小品だ。

弦の国と言われる伝家の宝刀をノイマンが巧みに引き出した、明るく艶やかで、しかも陰影豊かな表現は流石だ。

この曲にはドヴォルザーク特有の民族性はないが、ロマン派の抒情に満たされている。

一方『チェコ組曲』ではポルカやフリアントの伝統的な舞踏のエレメントが使われていて、華やかな民族色をかもし出しているのが特徴だ。

フルートやコールアングレーなどの木管パートの際立ったソロも特筆される。

序曲『フス教徒』はこのCDに収められている曲集の中でも最も作曲技巧を凝らせた作品で、15世紀初頭に実在した宗教改革家ヤン・フスと彼に従った布教者達の劇的な物語のための音楽だが、それはベートーヴェンの『エグモント序曲』に通じるものがあるだろう。

この曲は1883年に修復を終えたプラハ国民劇場こけら'落としのオープニング・セレモニーの折に初演されたそうだが、作品の性質上、程なくチェコ民衆の愛国心を煽る結果になったことは想像に難くない。

それは当時のオーストリアからの政治的重圧への彼らの抵抗でもあった筈だ。こうした曲を本家の演奏で一度は鑑賞してみる価値があるし、その力強さと一種の熱狂は格別のものがある。

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classicalmusic at 12:47コメント(0)ドヴォルザークノイマン 

2020年03月02日


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ホセ・カレーラスが1973年のイタリア歌劇団公演で初来日し、ヴェルディの『椿姫』でのアルフレード役をレナータ・スコットのヴィオレッタとのキャスティングで歌ったのは伝説となっている。

その時まだ20代だった彼の貴公子然とした若々しい舞台姿はわが国でも人気を博した。

その後彼が歌曲をもレパートリーにし順風満帆に思えたが、カレーラスはその全盛期に白血病で倒れた。

1990年に奇跡的なカムバックを果たしてオペラ界を驚かせたが、リリコ・スピントのテノールの魅力を堪能させてくれた時期はまさにこのCDに録音された1970年代から80年代にかけての歌唱だろう。

それは3大テノールとして騒がれる以前のことで、ここでは惜しげもなく聴かせる輝かしい声の迫力と同時にリリカルな美声の魅力で抒情的な歌心を披露しながらも、様式をわきまえた折り目正しい歌唱が清々しい印象を与えている。

彼はロマン派のオペラを重要なレパートリーにしていたが、この曲集では全曲が声を最大限に優先させるイタリアの作品ばかりを集めている。

また普段は滅多に上演されることのないマイナーなオペラからの数曲のアリアがこのアルバムを一層興味深いものにしている。

ベッリーニやドニゼッティのリリシズムは単に英雄的な大音声では表現し得ない豊かな情感とテクニックで聴かせなければ面白くない。

このアリア集を聴いているとカレーラスのそれは鍛え上げられたというよりも、むしろ天性の賜物を豊富な舞台経験によって磨きをかけたという印象を受ける。

それだけに彼の自然な発露としての歌声が際立った演奏だ。

11曲目までがロベルト・ベンツィ指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のサポートによる1976年の録音で、後半のボーナス・トラックはへスス・ロペス=コボス指揮、ロンドン交響楽団との1979年のどちらもフィリップス音源になる。

CDには歌詞対訳が省略された曲目及び録音データのみが記載された素っ気ないパンフレットが付いている。

音質の方はリマスタリングの効果もあってカレーラスの情熱的な声は勿論、オーケストラの音色も瑞々しく再現されている。

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classicalmusic at 13:12コメント(0)ドニゼッティベッリーニ 
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Profile

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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