2020年06月
2020年06月29日
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ブルーレイ・オーディオとしての音質改善への期待が大き過ぎたためか、思ったほどではなかった。
デッカの音源自体に劣化が生じているのかも知れない。
確かに全体の音像も細密画的になり解像度も向上しているが、ウィーン・フィルのおおらかな空気感が少しばかり後退して、例えばオーボエの音色がやや鋭く痩せたように聴こえる。
マスターの保存状態やその消耗によっても変わってしまうだろうが、最近聴き込んでいる同時代のスプラフォン音源の方が優っているものが多い。
演奏内容については既に過去に投稿した名演なので今更云々しないことにする。
尚このディスクでは同音源の3種類のリマスタリングを聴き比べることが可能だが、それらの中での大差は感じられなかった。
このディスクの場合これまでSACDを始めとするさまざまなバージョンでリリースされてきた。
今回は粗製乱造とまでは言わないがブルーレイ・オーディオ化する場合先ず音源の吟味は必須だろう。
LP盤やレギュラー・フォーマットのCDと大差ない音質しか確保できないのであれば、改めてブルーレイでリニューアルする必然性はない。
廉価盤にしたのはそうした理由かも知れない。
理想的には最初からDSD録音された専用の音源から制作することが求められるので、このブルックナーのような歴史的名演は音質の改善という点に関しては当たり外れがあることも念頭に置かなければならないだろう。
1973年11月にウィーン・ゾフィエンザールで行われたセッション録音で、大編成のオーケストラの収容能力には限界があるムジークフェラインに代わって、デッカがその録音に頻繁に使ったプールの上に板を渡した仮設舞台でしかないが、音響空間が広いためか意外にもブルックナーなどの豊麗なサウンドを拾わなければならないレコーディングには向いていた。
このために全楽器が鳴り響くクライマックスではひとつの音塊になることが避けられて音の進展も良好だ。
また二手に分かれたブラス・セクションも力技ではなく、あくまでも音楽の推進力が伝わってくる録音であることも確かだ。
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2020年06月25日
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ペストの蔓延によって完全にロックダウンされたアルジェリア、オランの街に閉じ込められた人々の閉塞感と、暗中模索の中で地道な治療活動で対応せざるを得ない医師リウー達の苦悩、そして殆ど偶然に疫病の終焉を迎える時の彼らの心境が、現代のコロナ禍に生きる私達にも共有できるだけに感動的な作品だ。
彼らは保健隊という独自の救助班を打ち立て、日ごとに猛威を振るい始めたペストの感染者やその家族の隔離、血清の開発や患者への治療や手術だけでなく厳密な統計を取る。
これもまさに現在必要不可欠な対策であり、状況は何一つ変わっていないが、疫病の名称やデータの公表を渋る上層部の方針は、どこぞの国の政府の政策と皮肉にも酷似している。
オランの街からペストが去りつつあったある日の夜に、リウーと親友タルーは仕事の後、海へ向かい、無言で海水浴をするシーンが印象的に描かれている。
それは2人にとって束の間の平穏であったが、リウーの後ろ姿にはカミュの言う永遠の敗北者の影が付きまとっている。
やがてタルーもペストの最後の犠牲者の1人になってしまうし、リウーには療養先から妻の訃報が知らされる。
この物語には若い記者ランベールの心境の変化が重要なアクセントを与えている。
彼はオランに仕事で訪れたが、都市封鎖によってパリにいる彼女のもとへ帰れなくなってしまう。
最初はどんな手立てを使ってでも街からの脱出を試みようとするが、ようやく金で買収した兵隊が都市の門を開けてくれるという日に、ランベールは街に留まることを決意し保健隊に入って救助活動を始める。
その他にもある少年の無惨な死を目の当たりにして揺れ動くパヌルー神父の宗教観や、ペストが過ぎ去った後、人々が再び街に繰り出して歓喜の声を上げている中で、発狂してしまう犯罪者コタールなど登場人物1人1人に語らせるカミュの文学的手腕は圧巻だ。
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2020年06月23日
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ブルーレイ・オーディオ・ディスクが目当てで買ったものだが、音質の良さに改めて感心した。
録音は1959年にウィーン・ムジークフェラインのブラームス・ザールで行われているが、残響は多過ぎず潤いのある両者の明瞭な音色が程よいバランスで捉えられている。
幸い音源の保存状態も完璧でヒス・ノイズも殆ど聞こえない。
できればCDとの抱き合わせではなくブルーレイ単独でリリースして欲しかった。
シュナイダーハンはかつてのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリニストで、時代で言えばワルツやポルカで大衆的な人気を博したボスコフスキーの一代前のコンサートマスターだった。
シュナイダーハンもやはり生粋のウィーンっ子で、彼らに共通する伝統的なウィーン流の奏法がこのディスクでも堪能できる。
確かにスリルや緊張感にみなぎる演奏ではないが、力みが全くなく流麗で屈託のない解釈と洗練された音色で歌い上げるメロディー、特に第5番ヘ長調『春』などで彼の力量が最高度に発揮されている。
一方でまた第9番イ長調『クロイツェル』では迫力よりも風格で優っていて、戦闘的な表現は一切避けながら堂々たる演奏スタイルを披露している。
ピアニスト、カール・ゼーマンは当時のドイツを代表するソリストだっただけあって、いわゆる伴奏者にとどまらず自分自身の主張も通しながら柔軟かつきめ細かいデュエットを協演していて好感が持てる。
シュナイダーハンはカール・リヒターとバッハの6曲のヴァイオリン・ソナタ集も録音していた。
こちらも数年前にカール・リヒターのセットに組み込まれていたが、こちらも名演の名に恥じない演奏で、個人的にはコーガンとのものより趣味に合っている。
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2020年06月21日
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2013年ドイツ・グラモフォンからリリースされたウィーン・フィル・エディション50枚組を上回る65枚組セット。
録音年代もデッカがウィーン・フィルと契約した直後の1951年から96年にかけての、どちらかというと歴史的名録音が多いのも特徴だ。
音質的にはむしろグラモフォンに優るデッカが誇った高音質がセールス・ポイントで、居並ぶ名指揮者の下で最も彼ららしい演奏とそのサウンドを堪能できる。
交響曲や大規模な管弦楽曲に関しては既に名盤の誉れに輝くものばかりだが、中でもブルックナーは第1番(1866年リンツ稿)アバド、第2番(1872年ハース版)及び第6番ホルスト・シュタイン、第3番(1889年ノヴァーク版)と第4番ベーム、第5番(ノヴァーク版)マゼール、第7番、第8番(1890年ノヴァーク版)ショルティ、第9番メータという壮観な顔ぶれだ。
現在手に入りにくくなった音源としてはCD6のモーツァルト協奏曲集が貴重だ。
1962年のセッションだが若き日のアルフレート・プリンツによるクラリネット協奏曲及びヴェルナー・トリップのフルートとフーベルト・イェリネクのハープでのフルートとハープのための協奏曲は、ウィーンの奏者でなければ出せない情緒と感性に満たされている。
彼らは後にベームとも再録音しているが、このミュンヒンガーとの協演もその精緻さと柔軟性に若々しさが加わって捨て難い魅力を持っている。
またウィーン・フィルの独壇場になるJ・シュトラウスの演奏はCD45からの一連のいわゆる軽音楽に注目すべきものがある。
クレメンス・クラウス指揮の『ニュー・イヤー・コンサート』は1951年のモノラル録音だが、ポルタメントをかけた弦楽器特有の歌心やワルツの二拍目を先取りする独特のリズム感は、現在であればあざとい奏法になってしまうところをごく自然に、さりげなくやりのけている。
それは彼らが伝統的に体得している感性に他ならないからだろう。
続くウィリー・ボスコフスキーの軽快でいくらか享楽的なウィーン趣味の演奏もひとつの典型だ。
彼らがベルリン・フィルやコンセルトヘボウと決定的に異なるところは、ウィーン・フィルがオペラの上演団体から成り立っていることで、シーズン中はシュターツオーパーのオーケストラ・ピットに入るのが本業なので、楽員であれば否応なく歌に合わせバレエに親しむことが要求される。
これが彼ら独自の音楽観を形成させているひとつの要因に違いない。
更にウィンナー・ホルンに代表されるような古いスタイルの楽器へのこだわりが相俟ってその演奏と音色に反映されていることは確実だ。
ライナー・ノーツの後半に日本語全訳が付けられているのも親切な配慮だ。
尤も日本人のウィーン・フィル・ファンをターゲットにした商法なのかもしれないのだが。
これは読み物としても面白いが、特にポール・モズリーとレイモンド・マッギルによるエッセイにこのセットの聴きどころ総てと指揮者達についての短いコメントが書かれている。
これを読むとウィーン・フィルの体質が良くも悪くも保守的であったことが理解できる。
ごく近年まで女性プレイヤーの入団を受け入れなかったのもそのひとつだし、彼らは新しい作品には常に懐疑的で、自分達より音楽を知らない(と彼らが思う)若い指揮者の登用には難渋を示したとある。
指揮者とオケの対立や録音時間捻出の問題で、デッカのプロデューサーと技術チームがたびたび振り回されたというのも無理のないことだろうが、一方でその頑固さが彼ら独自の音楽とトーンを保ってきた理由なのかも知れない。
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2020年06月19日
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総てが1969年の録音で、シェリング円熟期の至芸が堪能できる1枚としてお薦めしたい。
また音質が驚くほど鮮明で、当時のフィリップスの録音技術の高さも示している。
収録曲目はサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番変ロ短調Op.61、『アヴァネーズ』Op.83、『序奏とロンド・カプリッチョーソ』Op.28及びラヴェルの『ツィガーヌ』の4曲でエドゥアルド・ヴァン・レモーテル指揮、モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団との協演になる。
ヴァイオリン協奏曲第3番は、この曲にぴったりの清らかさが音にも表情にも出て、懐かしさが心にしみこんでくるようだ。
ヴァイオリン協奏曲の第2楽章や『アヴァネーズ』に聴かれるようにそれほどロマンティックで甘美な演奏ではないし、ことさら異国情緒を歌い上げたものでもない。
凛とした音色と表現には好感が持てるが、少々まじめすぎもう少し遊びやゆとりがほしい。
しかし完璧主義者のシェリングらしい隙のない緊張感を漂わせた癖のない奏法と、毅然とした覇気や彼ならではのダンディズムが面目躍如たるセッションだ。
サン=サーンス、ラヴェルともにヴァイオリンのヴィルトゥオーソを示す超絶技巧を駆使してこれらの曲を書いている。
ダブル・ストップの連続やフラジオレットなどが、シェリングの余裕あるテクニックによって少しの曖昧さもなく実に几帳面に決まっているのは流石だ。
惜しむらくはオーケストラに高度のアンサンブルが要求される箇所では、指揮者についていけないところが聴き取れることだ。
特に『ツィガーヌ』の後半部はソロに対してオーケストラ・パートの歯がゆさを感じる。
シェリングの出来が申し分真摯で素晴らしいだけに、いくらか足を引っ張っている感じは否めないだろう。
それはともすれば指揮者ヴァン・レモーテルの力量不足なのかもしれないが、シェリング全盛期のレパートリーとして貴重な記録には違いない。
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2020年06月17日
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収録曲は既出のEMIレコーディング集に組み込まれたものばかりなので、初出音源はないが最良の保存状態のマスターをリマスタリングしたところがセールス・ポイントだろう。
ヌヴーは1949年に30歳で夭折したヴァイオリニストなので、最新の録音でも1948年で音質に関してはそれほど期待していなかったが、概ね改善されていてこれまでにリリースされたものより確かに聴き易い。
ただし最後の1枚の中でもタルティーニとリヒャルト・シュトラウスはスクラッチ・ノイズのような雑音に塗れていて、お世辞にも保存状態が良いとは言えない。
ちなみに収録曲数ではヴェ二アス・レーベルの7枚組が現行では最も充実したコレクションになっている。
これから購入予定のファンには有力な選択肢になるはずだが、これも一回限りのリリースで再生産は望めないので、入手困難になることが予想される。
ヌヴーの奏法は、情念の渦巻くような濃厚な生命感にあふれた表現を可能にした鋭い感性と、それを支える完璧なテクニックから生み出されたものだ。
チェリストで言えばジャクリーヌ・デュ・プレのそれに一脈通じるものがあるかもしれない。
このセットの中でも2曲の協奏曲とショーソンやラヴェルの作品には彼女の最良の演奏が記録されている。
15歳だったヌヴーが優勝した1935年のヴィエニァフスキ・コンクールで2位に甘んじたオイストラフだが、両者の演奏スタイルが全く異なっていたのも事実だ。
それは表現力の優劣というより、あくまでも音楽に対するアプローチの違いの問題であり、当時のコンクールの音楽美学の傾向が反映されていたことは否めないだろう。
そうした意味でその後のヌヴーの解釈に触れることができないのは惜しまれる。
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2020年06月13日
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ラテン系作曲家の作品でコンドラシンが殆んど唯一頻繁に採り上げたのがラヴェルであった。
このディスクには1971年1月4日の『スペイン奇想曲』、1980年11月30日の『ラ・ヴァルス』、1979年3月11日の左手のためのピアノ協奏曲、1978年6月17日のソロ・ヴァイオリンとオーケストラのための『ツィガーヌ』及びガーシュウィンの『パリのアメリカ人』が収録されている。
ラヴェルでは流石に滾るようなラテン気質の表出というわけにはいかないが、どちらかと言えばクールながら芯のある演奏で、新古典主義らしい形式感の中に綾模様のように織り込まれたオーケストレーションの妙味を聴かせている。
ここでのソリスト、ピアノのダニエル・ワイエンベルクとヴァイオリンのヘルマン・クレバースはどちらもオランダ人で、前者はフランス物に造詣が深いだけあってラヴェルの音楽的センス、粋なジャズのリズムや陰翳、またスペクタクルな効果を熟知した演奏が冴えている。
一方『ツィガーヌ』では著名なソリストを外部から招聘するのではなく、コンセルトヘボウの当時のコンサート・マスター、ヘルマン・クレバースを起用している。
自前のメンバーで総てのプログラムをカバーできるオーケストラの水準の高さが示されているが、この難曲を鮮やかなボウイングと豊かな表現力で弾き切るクレバースの実力も聴きどころだ。
彼は同メンバーによる唯一のセッション『シェエラザード』でも印象的なソロを披露している。
最後の『パリのアメリカ人』は言ってみればアンコール用の小品で、彼らにとっては際物だ。
コンセルトヘボウ管弦楽団はこうした砕けたレパートリーではやや乗り切れない生真面目さが常にあって、もう少し羽目を外す遊び心が欲しいところだ。
コンドラシンの纏め方もかなりスコアに律儀で、中間部のカンタービレは良く歌わせている。
例えばクラクションの音などは突出しないように抑制され、あくまでもオーケストラのサウンドの一部として扱われている。
このあたりは意見が分かれるところかも知れない。
音質はいずれも良好なステレオ・ライヴで、会場になったコンセルトヘボウの雰囲気を良く伝えている。
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2020年06月12日
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コンドラシン、コンセルトヘボウのライヴ・シリーズの7枚目になるのがショスタコーヴィチの交響曲第6番及びニールセンの交響曲第5番だ。
前者が1968年1月21日、後者が1980年11月20日のライヴ録音なので客席からの雑音が若干混入しているにしても、音質が鮮明なステレオ録音であることが幸いだ。
コンドラシンはオランダ亡命以降、本人が望まなかったにも拘らず、西側でも引く手あまたのかなりハードスケジュールでの演奏活動が開始された。
彼の最後のコンサートもコンセルトヘボウで行われたライヴだが、残念ながら1981年の急死によって、その後の企画は立ち消えになってしまった。
亡命後はリムスキー=コルサコフの『シェエラザード』の他にアルゲリッチなどと協演した協奏曲以外にはセッション録音には恵まれなかった。
それ故この8枚のライヴ集は全盛期のコンドラシンの西側での記録としても貴重な音源に違いない。
このディスクに収録されたショスタコーヴィチのライヴがあった1968年と言えば、コンドラシンが既にモスクワ・フィルとショスタコーヴィチ交響曲全集を完成すべく録音を進めていた時期の客演だ。
当然ながら彼が生涯で最も力を注ぎこんだレパートリーのひとつだ。
モスクワ・フィルとの演奏には遊びを許さない厳格な印象がある。
それに対してここでは第1楽章に聴かれる対位法の神秘的な表現や、終楽章でのコンセルトヘボウのアンサンブルの巧みさと落ち着いた音色の美しさを活かした、より柔軟な姿勢が特長だろう。
一方ニールセンでは忍び寄る戦争への漠然とした予感と、真夜中の大都会が放射状のサーチライトで照らし出されるような映像的な戦慄が感じられる。
またスネアドラムのアドリブ演奏で軍靴の響きをイメージさせる演奏もスペクタクルだが、コンドラシンの統率力はこうした新時代の交響曲の表現では俄然冴えている。
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2020年06月11日
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オランダ放送協会制作によるコンドラシン、コンセルトヘボウのライヴ集は、地元フィリップスから8枚のCDに再編集された。
このディスクには1973年2月8日のストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』と1980年6月6日のボロディンの交響曲第2番が併録されている。
いずれもコンドラシンの得意とするスラヴ物で、中でも『ペトルーシュカ』はコンセルトヘボウのアンサンブルの力量が示された素晴らしいライヴだ。
当時のライヴ音源には客席からの拍手喝采や咳払いなどの雑音も混入していて、この録音も例外ではない。
それでもコンセルトヘボウの豊かなホールの音響と会場の雰囲気は充分捉えられている。
またオーケストラも比較的分離状態の良い鮮明なステレオ録音なので、ストラヴィンスキーの精緻なオーケストレーションをまさにライヴ感覚で体験できる。
この時期は既にハイティンクが首席を務めていたが、彼とは全く異なったレパートリーをコンセルトヘボウに持ち込んで彼らの視野を広げたのがコンドラシンだったと言えるだろう。
彼に影響を受けた楽員達との最も優れたコラボはリムスキー=コルサコフの『シェエラザード』に象徴されている。
但しセッションによるフィリップスとのレコーディングが1曲に終わってしまったのが惜しまれる。
ボロディンの交響曲第2番ロ短調もやはりコンドラシン十八番のスラヴ物で、ロシア国民楽派の情熱を鼓舞するような劇的なテーマを生き生きと開始している。
一方で第3楽章アンダンテでの『中央アジアの草原にて』を連想させるホルン・ソロが導入するスケールの大きい、如何にも大陸的な抒情表現が美しい。
終楽章では熱狂的な民族舞踏が手際よく颯爽と再現され、スラヴ人指揮者の面目躍如たるものがある。
尚このライヴは同メンバーによる『シェエラザード』にもカップリングされているので幸い入手可能だ。
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2020年06月05日
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版権切れのマニアックな音源をバジェット価格でリリースしているオ−ストラリア・エロクエンスからの新譜で、オイゲン・ヨッフムがアムステルダム時代とその直後にコンセルトヘボウを振った、フィリップス、デッカ及びフォンタナ音源のCD15枚分の演奏集になる。
それらはドイツ・グラモフォンから没後30周年に刊行された都合2巻全80枚のボックス・セットには収録されていなかったものばかりで、モノラル、ステレオ録音混在だが、一通り鑑賞してみた感じではリマスタリング効果もあって音質はかなり良好だ。
ただし最後のメンゲルベルクの『マニフィカト』に関しては時代相応以下の音質に留まっている。
1902年に生まれ、87年に世を去ったドイツの名指揮者ヨッフムは、質実剛健で堅実な指揮をした典型的なドイツの巨匠で、作品に対する徹底した楽理的な分析に裏付けられた飾り気のない実直な再現を信条としていた。
ヨッフムは、父親は音楽家、兄は作曲家兼合唱指揮者、オルガニスト、弟も指揮者という、豊かな音楽的背景をもつ家庭で育った。
彼の父親は南ドイツの小さな街バーベンハウゼンの教育者であり、また教会でのミサや劇場運営に携わっていて、敬虔なカトリック信者だったヨッフム自身も教会オルガニストとして少年時代を送ったようだ。
このヨッフムのオルガニストとしてのプロフィールは、やはり最後の1枚にボ−ナス・マテリアルとして3曲のソロで堂々たる腕前を披露している。
しかし夜になると劇場では父の企画によるオペラやオペレッタが上演されたので、オーケストラル・ワークと声楽曲のみならず宗教と世俗というふたつの対照的なジャンルの音楽を同時に吸収していたことが、その後の彼の音楽観の形成にも色濃く影響していることは確実だ。
彼のスタイルはドイツ的とよく称されるが、それは、中央ヨーロッパの、落ち着いた色合いの響きから、奥行きの深い、しかし溶け合ったサウンドを引き出し、ここぞという所では勇壮な迫力を導いたことを表している。
一方でヨッフムはオーケストラのインストラクターとしての実力も高く評価されている。
何故なら彼はヨーロッパの幾つかの楽団、例えばバイエルン放送響、コンセルトヘボウ、バンベルクなどの窮状を救った功績が広く認められているからだ。
揺るぎない基礎から積み上げていく堅牢な音響は特にブルックナー、ブラームス、ベートーヴェン、ハイドンの交響曲に顕著で、細部までぶれのないまとめ方をするが、むやみにスケールを強調して作品を誇大に見せたり、聞こえよがしの演出的効果などは嫌っていた。
ジャケットは基本的にLP盤のオリジナル・デザインがプリントされているが、CDへのリカップリングによって収録曲目は若干ずれが生じている。
34ページのライナーノーツには、トラックリスト、スナップ写真の他に英文によるヨッフムのキャリアと録音に関するエピソードが詳述されている。
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2020年06月03日
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コンドラシンのレパートリーの大半はスラヴ及びゲルマン系の作曲家の作品で占められているが、例外的にラヴェルは比較的良く採り上げた。
しかし楽式に則った交響曲を頂点とするオーケストラル・ワークが彼の本領を最も発揮できる曲種とすれば、それ以外はコンサートのプログラムとしてはあくまで際物的な存在だったと言える。
ラヴェルはここに収録された1972年11月30日のライヴ録音、バレエ音楽『ダフニスとクロエ』の他にもモスクワ・フィルとの『スペイン奇想曲』や『ラ・ヴァルス』などの音源が遺されているので、彼の数少ないラテン系作品の解釈としても貴重だ。
バレエ音楽には勿体ないほどのスケールの大きさと、森羅万象を表現する大胆な指揮が冴え渡っている。
またコーラスの表現力を一新した解釈も普段オーケストラ・ピットから聞こえてくる音量からは想像できない迫力を持っている。
アルフレード・カセッラはイタリアの作曲家で、カップリングされた『パガニニアーナ』は1979年11月17日のライヴになる。
こちらはパガニーニ流の無窮動の楽章で両端を挟まれたポロネーズのヴァリエーションとオペラ・アリア風のヴァイオリン・ソロによるロマンスの4楽章から構成されている。
こうした作品はきわものであっても、オーケストラが音楽的にも、またテクニック的にも第一級の腕を持っていないと興醒めになってしまう。
彼らの気の利いた音楽性とヴァイオリンの超絶技巧を髣髴とさせる巧みなアンサンブルによるパフォーマンスは、エンターテイナーとしても一流であることを証明している。
キリル・コンドラシンはヴァン・クライバーンが1958年にチャイコフスキー・コンクールの覇者となった時、彼の伴奏者として当時のソヴィエトの指揮者では逸早くアメリカ公演を果たしたことがきっかけで、欧米のメジャーなオーケストラとのコンタクトを持つことができた。
それは最終的にコンドラシンの西側への亡命を決意させることになるが、政治亡命の手続きに明るく、既に実績のあったコンセルトヘボウの理事長ピエト・ヘウェケメイエル氏が滞在を保証してくれたオランダに落ち着くことになり、同管弦楽団の終身指揮者にも任命された。
彼らとの共演は亡命前の1968年から始まって殆んど毎年定期コンサートに出演し、1982年からはラファエル・クーベリックの後任としてバイエルン放送交響楽団の首席指揮者就任が決まっていた。
しかしその前年に突然他界したために期待されていたその後の活動は実現しなかった。
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2020年06月02日
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フィリップスからリリースされたコンドラシン、コンセルトヘボウ管弦楽団のライヴ・シリーズはCD8枚になる。
このディスクには1975年11月29日のプロコフィエフの交響曲第3番及び1980年3月6日のショスタコーヴィチの交響曲第9番がカップリングされている。
プロコフィエフの方は、自作のオペラ『炎の天使』から多くのモチーフを組み合わせて創作された交響曲だ。
コンドラシン、コンセルトヘボウの緊張感溢れるサウンドによって感知される緊密な構成感が、この曲の剛直でパワフルなプロフィールを良く表現している。
プロコフィエフが交響曲という伝統的な器を踏襲しつつ、鮮やかな手法でそれを満たしたことは注目される。
後者に関してはモスクワ・フィルとの交響曲全集がメロディアに遺されていて、その厳格な統率力と統一感は全曲盤を鑑賞して初めて実感できるのだが、コンセルトヘボウとの音源はそれとはいくらか異なった趣き、より融通性のある柔軟な響きで、意外なほど軽妙さが執拗に再現されている。
それはコンドラシンがオーケストラの持ち味を活かすことを忘れない指揮者だったからだろう。
その点では大先輩ムラヴィンスキーとは対照的だ。
それはまたこの作品の性質によるものかも知れない。
ソヴィエト当局は第2次世界大戦の勝利を誇示するモニュメンタルな交響曲を望んでいたが、ショスタコーヴィチはその期待を見事に裏切った。
というより彼には政権の意向に沿った作品を書くことは当初から念頭になかったかのように思われる。
第1楽章はおもちゃの兵隊のマーチさながらで、それほど盛り上がらない終楽章は当局にとっておちょくりとしか映らなかっただろう。
早速ジダーノフ批判に曝されてこの交響曲はお蔵入りになってしまう。
しかしその事実は、芸術家は時の政権の下僕にはなり得ないことを端的に示すことにもなり、亡命後のコンドラシンが母国ソヴィエトとの関係を揶揄するようなところにも面白みがあるのではないだろうか。
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