2020年08月

2020年08月30日


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バーンスタインがアイヴズを高く評価していたのは、アイヴズの作風のみならず(アメリカの)作曲家としてのスタンスに共感し敬服していたことに他ならない。

この交響曲第2番は作曲(1902年)されてから実に半世紀も日の目を見なかった作品だが、それを発掘し初演(51年)したのが当のバーンスタインである。

このディスクは、その初演から実に36年ぶりにあたるバーンスタインのニューヨーク・フィル桂冠指揮者記念演奏会のライヴ録音(1987年)になる。

弦の音色はやや刺激的だが、第1楽章ではこの曲に相応しい雰囲気の表出がよく、アイヴズ特有の書法が巧みに整理されている。

第2楽章での流動感、第3楽章の親しみと愛着を誘う表情もバーンスタインらしいし、終楽章では不思議なほど聴き手をわくわくさせる音楽に仕上げていて、マーチのリズムも惚れ惚れとするほど歯切れが良い。

またバーンスタインは、一貫してメロディストとしてのアイヴズを強調していて、アメリカの田舎のブラス・バンドや聖歌などのイメージが描出されるノスタルジックな第2、3楽章、そしてアメリカの愛唱歌などがふんだんに引用されるコラージュ風の第5楽章など、素朴にして晦渋な内容を直截簡明に、しかも熱っぽく表現していく。

この演奏での特徴は何と言っても第3楽章が異様に遅いことで、特にアラルガンドがティルソン・トーマスを聴き慣れた耳にはびっくりするほど遅く、続く「ミッショナリー・チャント」「主人は冷たい土の下に」の引用断片に注意を喚起しているのだろうか。

このタイムの設定理由は「アメリカ・ザ・ビューティフル」の引用旋律をたっぷり歌いたいというところにあるのだろうが、この楽章には実はブラームスの交響曲第1番第2楽章からの引用もあって、バーンスタインはブラームスの交響曲もゆっくり振っていたのを思い出させる。

面白いのは、ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』前奏曲の引用が現れる前に彼の力む声が入っていることで、寄しくも引用の存在を知らせる合図になっている。

バーンスタインは、「ロング・ロング・アゴー」や「草競馬」は、バッハやブラームス、ワーグナーの旋律に匹敵するものであるというアイヴズの主張を、はっきり分かるような形で第5楽章で高らかに奏される「おお、コロンビア」に代表させている。

アイヴズが自信をもって採用したアメリカの旋律を、いかにも交響曲の主題らしく扱い、最後の不協和音もティルソン・トーマスのようにあっさり切り上げるのではなく、風格をもって長く引き伸ばすことで、アイヴズのスコアに確信的な響きをもたせている。

ただ、全部で22曲あるアイヴズの引用を様式の異種混合性を獲得する(コンテクストを複雑にずらす)手段として把握し処理するよりは、旋律素材として丁寧に歌い込んでいるため、アイヴズがもしかすると望まなかったほどの首尾一貫性を獲得しているような気もする。

ティルソン・トーマスの演奏では、聴き手は今でもそのサウンドの斬新さに目を奪われ、アイヴズの持つ音楽の真の芸術的価値を分かりにくくさせるかも知れないが、バーンスタインは、むしろより伝統に近付けて(彼自身の言葉によると「正真正銘の素朴派」)アイヴズのメッセージを伝えることに全力を注いだと言える。

この演奏なくしては、同曲を語ることはできない。

カップリングされている小品集も同じように多種・多彩で、それぞれの楽想が率直・明快に示されている。

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classicalmusic at 13:19コメント(0)バーンスタイン 

2020年08月27日


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両者が調和を求めた演奏ではなく、どちらかと言うと即興的な趣を持ったコンサートという面白みがある。

既にもう1枚の同コンサートのCDのレビューでも書いたが、グラフマンは伴奏に回っても相手に従順に付き添っていくピアニストではない。

そこにはかなり強い主張が感じられ、自らイニシアチブをとって相手を自分の演奏に引き込もうとしているのが聴き取れる。

しかしシェリングも決して後には引かない態勢だ。

彼にとってもベートーヴェンはレパートリーの中心をなす作曲家だけに、譲れない一線があるに違いない。当然2人の間には瞬間瞬間の駆け引きのようなものがあり、一進一退のせめぎ合いがある。

しかしそれが演奏に破綻をきたさないのは、お互いに相手の音楽を注意深く聴き取り、なおかつ付かず離れずの表現上の巧みなバランスを保っているからだろう。

大曲『クロイツェル』のような高度なアンサンブルを要求される難曲でも、緊張感を孕んだ両者の実に彫りの深い表現が聴かれる。

そのあたりはシェリングのディプロマティックで老獪なテクニックがものを言っているのかもしれない。

それはまた1950年代のルービンシュタインとのセッションと大きく異なっている点だ。

何故なら当時は明らかにシェリングの方が巨匠に胸を借りる形で歩み寄っているからだ。

シェリングとグラフマンは1970年と71年のそれぞれ12月にワシントンのライブラリー・オブ・コングレスに招かれ、クーリッジ・オーディトリアムでコンサートを開いた。

この会場は米議会図書館附属の小ホールなので、どんな演奏会であっても入場券は即日完売になってしまう。

また時によっては招待制に限定されることもある。

いずれにしても合衆国政府から実力を認められたアーティストが出演する名誉ある舞台なので、彼らの演奏に対する熱意も充分に感じ取れる。

音質は鮮明だが響きはデッドで、いまひとつ臨場感がないのが惜しまれる。

8ページほどの簡易なライナー・ノーツにはこの演奏会についての回想が掲載されている。

それによると当日彼が使用したピアノはスタインウェイOLD199ということだ。

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classicalmusic at 14:00コメント(0)ベートーヴェンシェリング 

2020年08月24日


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1950年代にイタリア・オペラ界の人気を二分したテノールが、マリオ・デル・モナコとジュゼッペ・ディ・ステファノだった。

声質が全く異なっていた2人は、録音された曲目は別として、実際のオペラの舞台で重なるレパートリーは『カルメン』のドン・ホセ役くらいで、ライバルというよりは良き友人だった。

特にディ・ステファノの底抜けに明るく開放的な歌声は典型的なイタリアの声としてオペラ以外の多くのカンツォーネでも、デル・モナコが使わなかったメッツァ・ヴォーチェを駆使した甘美な歌唱でその本領を発揮している。

彼の高音は劇場内を一直線に突き抜けるような迫力を持っていたが、一方で若い頃からレストランやショーなどで歌ってきた根っからのエンターテイナーであった彼の舞台は、客席に気さくに話しかけたりする和やかで打ち解けた雰囲気だったことが思い出される。

CD1には彼の故郷シチリアの民謡が6曲収められている。

それらはシチリア島の大自然、海や寒村、そして村人達の素朴な踊りタランテッラなどが目に浮かぶような熱唱が秀逸だ。

CD2はナポリ民謡集で、イタリア人であってもナポリ方言特有の発音や独特のニュアンスを表現することは難しく、一流どころのオペラ歌手でも興醒めになってしまうことが多い中で、彼は南部出身の歌い手らしく、巧みな発音と表現力でこうした曲目も完全に手中に収めている。

CD3は11曲のオペラ・アリア集になるが、やはり聴き所は当たり役の『トスカ』のカヴァラドッシや『カルメン』のドン・ホセのアリアだろう。

またフランスものを得意とした彼らしく、ここには『ウェルテル』、『マノン』、『カルメン』、『ファウスト』、『真珠とり』からそれぞれ1曲づつが選ばれている。

『ファウスト』からの「清らかな住まい」の最後のハイCは、このタイトル・ロールのアリアとしては余りに英雄的で立派過ぎるかも知れない。

CD4−5はドニゼッティの『愛の妙薬』全曲で、フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ指揮、フィレンツェ五月祭管弦楽団との協演になる1956年の歴としたステレオ録音。

アディーナ役はヒルデ・ギューデン、脇役は芸達者のレナート・カペッキやフェルナンド・コレナが固めていて、実に軽妙なオペラに仕上がっている。

ディ・ステファノは、マリア・カラスと組んで多くのオぺラ全曲盤を遺しているが、その殆んどがEMIへのモノラル録音で、音質的にも最良のものとは言えない。

しかしこの『愛妙』はデッカに入れた唯一の全曲録音で、音質にも優れ全盛期の彼のコミカルな一面を堪能できる。

尚レチタティーヴォ・セッコの部分はピアノ伴奏。

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classicalmusic at 12:03コメント(0)プッチーニビゼー 

2020年08月20日


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トップ・メゾとして20年以上に渡って圧倒的なキャリアを築いてきた名花バルトリ珠玉ののベスト盤。

モーツアルト、ヘンデル、ベッリーニとロッシーニなど、珠玉のベルカントから、各紙で高い評価を得ているヴィヴァルディまで、彼女がしばしば好んで取り上げる13曲のアリアがずらりと並んでいる。

『溜息』と題されたこの2枚組のCDセットは、特に今回のリリースのための新規録音ではなく、これまでにチェチリア・バルトリが録音してきた様々な音源からのオムニバスなので当然協演の伴奏者も異なっている。

しかし1990年代から2000年代に至る彼女の極めつきの歌唱が集められた、メゾ・ソプラノの醍醐味が堪能できる名曲アルバムなので、ファンは勿論初めて聴いてみようという方にも間違いなくお勧めできる。

彼女はロッシーニ歌いとしてデビューし、その後も18世紀の作品を中心に歌い続けている。

〈孤高の〉という表現はオペラ歌手にはあまり適切ではないのかもしれないが、やはり彼女にはこの言葉がふさわしい。

なかでもこのCDに収められている、知られざる名曲の発掘に貢献したことでも広く認められている。

ヴェルディを歌うような深く強靭な声ではないが、広い声域と敏捷なアジリタのテクニックを駆使した、目の覚めるような大胆で鮮やかな唱法は、既に前回のカストラートのためのアリア集でも披露している通りだ。

ここでは更に実際の舞台では歌うことのないソプラノ用のアリア、例えば『カスタ・ディーヴァ』やフォーレのレクイエム『ピエ・ジェズ』なども巧みにこなしている。

また2枚目のボーナスCDは、キャリアを始めた30代初期のバルトリの貴重な記録でもある。

とりわけフランクの『パニス・アンジェリクス』はかつて聴くことができなかったカンタービレの極致だ。

全曲1994年から2009年にかけての録音で、当セットはボーナスCD付のデラックス仕様2枚組だが、そのほかにシングル仕様、そして日本語対応の2枚組デラックス仕様限定盤も同時にリリースされている。

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classicalmusic at 17:38コメント(0)バルトリロッシーニ 

2020年08月16日


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古くはリリー・クラウスやクララ・ハスキル、最近でもマリア・ジョアン・ピリスのように、昔からモーツァルト演奏家といわれるピアニストはかなりいる。

イングリッド・ヘブラーももちろんモーツァルトしか演奏しないわけではないが、彼女ほどそのレパートリーをモーツァルトに絞って演奏し続けている人は稀であると言えよう。

彼女はいろいろな国の、さまざまな特色を持った先生について勉強したためか、幅広い音楽性を身につけて育ってきたが、そうした中から最終的にモーツァルトに到達したわけだから、それがいかに本物であるかがわかる。

それだけにヘブラーの解釈は決して恣意的ではなく、時代を感じさせない普遍性と高い品性に支えられていて、将来にも聴き継がれるべき優れた演奏だと思う。

モーツァルトの作品を自己の個性の表出に捻じ曲げてしまう再現も多い中で、作曲家に奉仕する姿勢を生涯貫いた彼女の謙虚さはむしろ稀少で、またスペシャリストとしてその全盛期に網羅的に取り組んで成し遂げたレコーディングは偉業と言えるだろう。

彼女のモーツァルト・ピアノ協奏曲全曲録音は1964年に開始され4年間の歳月を費やして完成しているが、その頃すでにモーツァルトの音楽に対する彼女自身の様式を完全に確立していたように思われる。

第21番、第26番はヴィトルド・ロヴィツキ指揮によるロンドン交響楽団の演奏で、全体をそつなく纏めてソロを引き立てている。

前者の名高い第2楽章のアンダンテも気負いのない率直なサポートが古典的な形式感を感知させて、他の楽章とのバランスも良好に保たれている。

ヘブラーの演奏活動の中でも当初からモーツァルトは生涯の課題であり、端的に言えば必要以上の恣意的な表現を嫌い、古典派やロココ趣味の音楽性から求められるシンプルだが気品のある流麗な再現を堪能できる。

彼女の自然体の演奏は磐石で細やかな表現にも欠くことがなく、強烈な個性を感じさせない、常に王道を歩む演奏であることが半世紀以上に亘って聴き続けられている理由だろう。

1960年代半ばの録音状態は極めて良好。

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classicalmusic at 13:39コメント(0)モーツァルトヘブラー 

2020年08月06日


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登場人物1人1人のセリフと行動から、彼らの思想的タイプをパターン化して描き分けたカミュの巧妙な手腕を改めて知ることができる。

『ペスト』本文を読んでいる時には気が付かなかったいくつかの事柄も発見できるし、深読みにはNHKテキスト『アルベール・カミュ・ペスト』と並んで格好の解説書だろう。

ただしあくまでも読後にお薦めしたい一冊で、本書を先に読むことは、ある意味で読者に作品の印象をあらかじめ方向づけてしまうので、先ずは自分なりの読後感を味わうことが大切だと思う。

カミュの他の作品との繋がりも明確に見えてきて面白い。

例えば『ペスト』の前作になる『異邦人』に共通する表現として「泣くこと」の意味合いがある。

『異邦人』の主人公ムルソーは母が亡くなった時、泣かなかった。

その事実が後の裁判における人々からの非難の的になるが、一方『ペスト』では医師リウーも妻の訃報を受け取った時泣かなかった。

あるいは泣けなかったと言うべきだろうか。

そして傍らにいた母にも「泣かないでください」と言っている。

勿論この二つの小説の主人公のおかれた状況や感情的立場は異なっている。

しかし泣くことが悲しみを表現する最良の手段ではなく、むしろ場合によっては陳腐で安っぽい行為に陥ることをカミュは熟知していた。

それは作家としてだけではなく、若い頃から俳優や演出家として演劇活動に情熱を傾けていたカミュらしい。

『異邦人』冒頭の「きょう、ママンが死んだ」にはあっけらかんとしたドライな若者の感情が表現し尽くされているが、そこにはまた一抹のやるせなさとその日を迎えてしまった覚悟が隠されているのも事実だろう。

死刑に関してもリウーの友人タルーのプロフィールにその深い意味合いが含まれている。

彼は次席検事だった父が、とある裁判で1人の若者に死刑を求刑するのを目の当たりにして心を病み、家出して革命運動に加わるが、そこにも存在した処罰や死刑によって挫折した。

『異邦人』の最後はムルソーが死刑執行を独房で待つやりきれないシーンで終わっている。

彼ら2人を通して、不条理のひとつの典型としての死刑が示されている。

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classicalmusic at 17:47コメント(0)筆者のこと 

2020年08月05日


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ボストリッジの歌唱は伝統的なドイツの歌唱法から一歩距離をおいた立場で、そうした伝統にとらわれない比較的自由で新鮮な解釈と表現に特徴がある。

その自然発生的で繊細な歌心を天性の優美で軽やかな美声に乗せて歌い上げるところが最大の魅力だろう。

ドイツ系テノールには往々にして不足しがちな声質の柔らかさと、明るく軽やかな歌唱が実に爽やかな印象を残してくれるシューベルトの歌曲集だ。

また彼の歌には特有の気品が漂っていて、ゲーテやフォン・コリンなどのオリジナルの詩が持つ高邁さも遺憾なく再現している。

この2組はピアニスト、ジュリアス・ドレイクの伴奏による歌曲集で、リリカルでいくらか感傷的な愛の歌を中心に集められている。

決してまとまった曲集ではないし、またごくポピュラーな曲も少ないが、ひとつのチクルスを聴いているような統一感がある。

例えば18曲めの『リーゼンコッペの頂で』の最後のフレーズはsei mir gegruesst(私からの挨拶を)で、次の19曲は同じ歌詞が繰り返されるといった曲順配置への配慮がある。

とりわけリリカルでいてしかも物語性を持った曲、例えば『鱒』、『ガニュメード』、『春に』そして『小人』などの歌詞への鋭敏な洞察力を反映させた、語り口調の巧さも特筆される。

またジュリアス・ドレイクの肌理の細かい表情豊かな伴奏も聴き所のひとつで、彼が作り出すカラフルな音色の美しさで、歌の背景を浮かび上がらせる奏法は流石だ。

ドレイクの伴奏は比較的控えめだが、それがかえってそれぞれの曲の特徴を明確に捉えた無駄のない表現になってボストリッジの持ち味を最大限活かしているのが好ましい。

録音は1996年及び2000年で余韻のあるふくよかな音質はARTリマスターの中でも成功したもののひとつだろう。

歌詞の日本語対訳が欲しい方は『対訳J.S.バッハ声楽全集』の著者、若林敦盛氏のサイトの対訳の項を訪れると、このディスクに含まれる殆どの曲を見つけることができる。

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classicalmusic at 12:13コメント(0)シューベルト 

2020年08月03日


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ヨ−ロッパでは既にプレミアム価格で販売されているセットで、2008年のリリースなので演奏水準の高さや曲目からしても高音質化でのリニューアル盤が望まれる。

しかしワーナーはブルーレイ・オーディオは製作しないしSACD化にもそれほど積極的でないのが残念だ。

2016年にユニヴァーサルから出た22枚組の方はアンサンブルが豊富に加わっているのが特徴だが、こちらは協奏曲の充実ぶりに目を見張るものがある。

何よりオイストラフのふくよかで深みのある素晴らしい音色に聴き惚れてしまう。

そして、優しくも風格漂う姿が目に見えるかのような格調高い音楽、世に数多くある共演者たちを手玉に取るかのような余裕、技術的名手というだけではない真の音楽家、こんなヴァイオリニスト他に見あたらない。

オイストラフの真価に触れてしまうと、他の演奏が無味乾燥に思えてしまう。

歴史的録音になるハチァトゥリアンのヴァイオリン協奏曲はオイストラフに献呈された作品で1954年のモノラル音源だが、ハチャトゥリアン自身がフィルハーモニア管弦楽団を指揮した初演メンバーによる白熱の名演だ。

モーツァルトの協奏曲集では真作とされる4曲を、ベルリン・フィルを弾き振りしたものがまさにクラシックの名に相応しい格調高く、また整然とした秩序を感じさせる。

べートーヴェンはクリュイタンスと、ブラームスではセル、クレンペラーとの2種類がどちらも圧巻だ。

また得意のスラヴ系作曲家の協奏曲はハチャトゥリアンの他にタネーエフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなどはいずれも堂々たる風格とずば抜けたテクニックを披露している。

ただしボックスの体裁に関しては後からリリースされたユニヴァーサルの方がしっかりしたコレクター仕様でスナップ写真も充実しているが、こちらはライナーノーツもやや貧弱というのが正直な印象だ。

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classicalmusic at 11:38コメント(0) 
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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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