2021年01月
2021年01月28日
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ウェストミンスターのUHQCDシリーズからは、ウィーン・フィル第13代コンサートマスター、ヴァルター・バリリのモーツァルト珠玉のモーツァルト・ヴァイオリン・ソナタ集が3枚ほどリリースされている。
いずれも同郷のウィーン三羽烏ピアニストの一人、パウル・バドゥーラ=スコダとの1950年代初期のモノラル録音だが、幸い録音、保存状態ともに上々で潤いのある音質と臨場感は高度な鑑賞にも充分に堪え得る。
2人ともウィーン出身で、ウィーン流の音楽的コンセプト、品良く歌い、喜びに満ちた演奏が聴く者を魅了する。
言うまでもなく彼らの演奏はウィーンの伝統と独特の美音で上品に気高く歌い上げるスタイルだ。
すっきりしていて恣意的なフレージングや歌い崩しがなく、モーツァルトの様式に則ったシンプルな解釈が特徴だろう。
それはシュナイダーハン、ボスコフスキーからバリリに受け継がれたウィーン・フィル歴代のコンサートマスター達が守ってきた音楽性と高度なアンサンブルのテクニックによる表現だ。
以前にも書いたが、バリリのヴァイオリンは線が細めで、ドラマティックな迫力には欠けるが柔軟で艶やかな音色は、彼の奏法と相俟って特有の粋な雰囲気が醸し出される。
そのさり気ない洒落っ気とモーツァルトの音楽のバランスが絶妙に保たれていて、ヴァイオリンを愛する方には是非お勧めしたい1枚。
確かに現在では聴くことのできないウィーンの情緒とはこういうものなのだろう。
ちなみに1921年生まれのバリリは今年100歳になる、戦前からのウィーン・フィルを知る存命中の数少ないヴァイオリニストでもある。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2021年01月27日
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カラヤンは、DVD作品を除くと、4度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しており、1977年の普門館でのライヴによる全集もあるが、本全集はそれらいずれの全集をも大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。
1966年と言えば、まさにカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代で、心身ともにベストコンディションであり、精緻さと重厚さを兼ね備えた20世紀最高のベートーヴェン演奏と言える。
ベルリン・フィルも、名うてのスタープレーヤーがあまた在籍した楽団史上でも特筆すべき技量を誇った時代であり、それぞれ最高の状態にあったカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏は、おそらくはオーケストラ演奏史上でも空前にして絶後の高水準を誇っていたと言ってもいいのではないだろうか。
弦楽合奏の鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感のある響き、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器群の美しい響き、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニの響きなどが見事に融合するとともに、カラヤン一流の流麗なレガートが施された、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れたまさに圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言える。
カラヤンの前任者であるフルトヴェングラーのような音楽の精神的な深みの徹底した追求などは薬にしたくもないが、音楽の持つ根源的な力強さにおいては、フルトヴェングラーの数々の名演にいささかも劣っているものではないと言えるところだ。
フルトヴェングラーの目指した音楽とカラヤンの目指した音楽は、このようにそもそも次元の異なるものであり、その優劣を論ずること自体がナンセンスであると考えられるところである。
かつて影響力の大きかった某音楽評論家の偏向的な批評などを鵜呑みにして、本全集のような圧倒的な名演に接する機会すら放棄してしまうクラシック音楽ファンが少なからず存在すると想定されるのは大変残念なことであると言えるだろう。
カラヤンの個性が全面的に発揮されたベートーヴェンの交響曲全集の演奏としては、1970年代にスタジオ録音された3度目の全集を掲げる者も多くいると思われるが、本全集は、実演でこそ真価を発揮するカラヤンならではの途轍もない生命力溢れる力感が随所に漲っているなど、音のドラマとしての根源的な迫力においてはかかるスタジオ録音による全集を大きく凌駕していると言えるところであり、まさにカラヤン&ベルリン・フィルという稀代の黄金コンビによる全盛時代の演奏の凄さを大いに堪能させてくれる究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。
音質は、従来CD盤においても音響がイマイチとされる東京文化会館でのライヴ録音と思えないような生々しさであった。
本全集の演奏のうち、「第3」については1982年のベルリン・フィル創立100周年記念ライヴ盤(ソニークラシカルのDVD作品)、「第7」は、同時期の1978年のベルリンでのライヴ盤(パレクサレーベル)に一歩譲るが、それ以外は、カラヤン自身にとって最高の超名演で構成されている圧倒的な名全集と高く評価したいと考える。
このような中で、今般、待望のハイブリッドSACD化がなされるに及んで大変驚いた。
音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためて本全集の各演奏の凄さとSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。
いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な超名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2021年01月25日
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既出のEMI盤のUHQCDバージョンで、音質が鮮明に再生されるがモーツァルトのピアノ協奏曲第22番は今回外されている。
その替わりにベートーヴェンのピアノ独奏曲、アンダンテ・ファヴォーリヘ長調がリカップリングされた。
おそらく音質の向上を考慮して収録時間を短縮したものと思われる。
この小品はピアノ・ソナタ『ヴァルトシュタイン』の中間楽章として構想されたものだったが、曲全体のバランスをとるために独立させたようだ。
リヒテルの歌心とリリシズムが秀でた逸品になっている。
1977年、ロンドン・アビーロード・スタジオでのセッション録音。
一方ピアノ協奏曲第3番はムーティの明快なオーケストラに支えられて。リヒテルがその円熟期の自在な表現力を発揮した演奏だ。
キレの良い弦楽とメリハリを利かせたウィンド、ブラス・セクションに乗って巨匠のピアニズムが、溢れんばかりの音楽性を披露している。
第2楽章は節度のあるカンタービレの中に表出される両者の抒情が美しい。
急速楽章でのそれぞれのカデンツァは作曲家自身の手になる。
オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団で、ムーティが首席指揮者に就任して間もない1977年のセッションだが、既にムーティ流に統制された流麗なカンタービレとダイナミックなサウンドを聴かせている。
リヒテルがムーティと初めて共演したのは1972年のザルツブルク音楽祭でのシューマンのピアノ協奏曲で、オーケストラはウィーン・フィルだった。
その時のライヴはオルフェオ・レーベルからリリースされているが、ムーティは前年にカラヤンの紹介で同音楽祭に30歳でデビューを飾ったばかりで、ほぼ同年代のイタリア人指揮者としてはアバドに続いて国際的な演奏活動を始めた直後の意気揚々としたフレッシュな感性を伝えている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2021年01月19日
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パッサカイユ・レーベルからのピリオド楽器によるカール・フィリップ・エマヌエル・バッハのトラヴェルソのためのソナタ2曲とカルテット3曲を収録したディスクで、演奏、音質ともに優れた1枚として古楽ファンにお薦めしたい。
トラヴェルソはベルギーの古楽器製作者でもあるヤン・デ・ウィンネで、ここでは彼自身がコピーしたアウグスト・グレンザー・モデルを演奏している。
この楽器はワン・キー・タイプだが古典期、例えばモーツァルトの作品にも盛んに使われた名器で、バロック期のモデルより軽快で、特に高音域の華やかな音色に特徴がある。
エマヌエル・バッハの音楽には漸次変化するクレッシェンドやデクレッシェンドが多用されていて、装飾的にも軽やかなギャラント・スタイルが大バッハとは既に一線を画しているのが興味深い。
ここには幸い無伴奏トラヴェルソのためのソナタイ短調が加わっている。
大バッハも同じくイ短調の無伴奏パルティータを作曲しているので、両者の作品を聴き比べるとそのコンセプトが明らかに異なっていることに気づかされる。
曲趣の新規さからも注目すべきソナタで、献呈されたフリートリッヒ大王が生涯演奏しなかったというエピソードにも真実味がある。
ピリオド楽器による録音がそれほど多くないので、デ・ウィンネの素晴らしい演奏を鑑賞できるのは貴重だ。
大バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルは青年期にプロイセンのフリートリッヒ大王の宮廷チェンバリストだった。
大王はトラヴェルソの名手クヴァンツにエマヌエル・バッハの7倍もの俸給を与えて師事していたために、玄人裸足のトラヴェルソ奏者兼作曲家でもあった。
そうした事情もあってエマヌエルもトラヴェルソのための作品を数多く遺している。
初期のソナタはバロック様式に則った通奏低音付だが、彼がベルリンを去った後のハンブルク・ソナタはオブリガートの鍵盤楽器パートが総て書き込まれている。
一方大王は当時まだ一般的でなかったフォルテピアノを複数台所有していたらしく、エマヌエルも日常的にそれらを弾いていたことが想像される。
彼が大王に献呈した『正しいクラヴィーア奏法』は、その後のピアノ教則本の元祖的な存在だ。
ここに再現された演奏では、往時を髣髴とさせるサウンドを楽しむことができる。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2021年01月15日
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リヒテルはそのキャリアの終焉まで新しいレパートリーを開拓していた稀なピアニストだった。
このCDに収められた22曲のグリーグの『抒情小曲集』は、1993年7月7日に南ドイツのシュリーアゼーのバウエルンテアターで行われたライヴ録音で、彼の最晩年の円熟した奏法を堪能できる貴重な記録としてお勧めしたい。
この曲集ではピアノの際立ったメカニカルな技巧は必要としないかわりに、ひとつひとつの曲に記されているタイトルのように、自然の情景や森羅万象から受ける感触をイメージさせる繊細な感性ときめ細かなリリシズムの表現が要求される。
そしてこうした小品集を聴かせるリヒテルの総合的なピアニスティックなテクニックは流石で、チャイコフスキーの『四季』でもみせた特有のぬくもりのある夢見るような世界がここでも展開する。
しかもここではグリーグの故郷ノルーウェイの風土や民族色とは切り離すことができない北欧の抒情が絶妙に醸し出されている。
そうしたメルヘンチックな遊び心が晩年のリヒテル自身を楽しませたのではないかと思えるほど、それぞれの曲作りが彼の創意工夫と機智に溢れている。
グリーグの『抒情小曲集』は全10巻計66曲に及んでいるが、この日のリサイタルでリヒテルによって演奏されたのは下記の22曲になる。
作品12よりNo.1『アリエッタ』、No.2『ワルツ』、No.3『夜警の歌』、No.4『妖精の踊り』作品38よりNo.12『ハリング』(ノルーウェイ舞曲)、No.18『カノン』作品43よりNo.17『蝶々』、No.22『春に寄す』作品47よりno.23『即興的ワルツ』作品54よりNo.31『ノルーウェイ農民行進曲』、No.34『スケルツォ』、No.35『鐘の音』作品57よりNo.39『秘密』、No.40『彼女は踊る』、No.41『郷愁』作品62よりNo.46『夢想』作品65よりNo.53『トロルドハウゲンの婚礼の日』作品68よりNo.57『山の夕べ』作品71よりNo.62『小さな妖精』、No.63『森の静けさ』、No.65『過去』、No.66『余韻』
ドイツのマイナー・レーベル、ライヴ・クラシックスはリヒテルの他にもヴァイオリニストのオレグ・カガンやチェロのナタリア・グートマンなどの演奏家を中心に1970年代から90年代にかけてのライヴ・レコーディングをリリースしているが、1980年代以降の音源はデジタル録音でライヴ物としては極めてよい状態の音質で鑑賞できる。
またこのレーベルのカタログには若くして亡くなったカガンとリヒテルの協演を含む貴重なCDも多く見出される。
ライナー・ノーツは独、英語による4ページほどのごく簡易なものだが、ドイツで企画されたシリーズだけあって録音データは詳細に記載されていて、信頼性の高いものであることも付け加えておく。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2021年01月12日
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ライナーノーツ表紙の写真を一新したリイシュー盤。
シュタルケルが1970年代に南西ドイツ放送局のために録音した音源で、このディスクにはヒンデミット、プロコフィエフ、ラウタヴァーラの3曲のチェロ協奏曲が収録されている。
少なくとも筆者の知る限りでは、ヒンデミットを除いた2曲はシュタルケルのレバートリーとしても唯一の音源だ。
プロコフィエフに関しては1956年のワルター・ジュスキント、フィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音がワーナーからイコン・シリーズで復活している。
ここに収めれているのは同曲からの改作Op.125の方で、交響的協奏曲と改題され、音楽もより充実した内容に仕上がっている。
演奏はヒンデミットがフォン・ルカーチ指揮、SWRシュトゥットガルト放送交響楽団で1971年、プロコフィエフはエルネスト・ブール指揮、ラウタヴァーラがブロムシュテット指揮になる。
この2曲はバーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団で、どちらも1975年の協演になる。
音楽的な質の高さは言うまでもないが、当時としては音質的にも極めて良好なステレオ録音で保存状態も完璧だ。
いずれの曲目もシュタルケルが手中に入れていた20世紀の作品で、現在でも彼の演奏がその解釈の面でも、またテクニックにおいても最高峰にあると思えるのは、近年こうした新しい時代の作品を一流どころのチェリストがあまり積極的に採り上げないからかも知れない。
ヒンデミットの色彩的でスペクタクルな堂々たるオーケストレーションに支えられたソロ・パートを一瞬の隙もなく緊張感に貫かれた奏法で弾き切る彼の美学が面目躍如たるセッションだ。
またフィンランドの現役の作曲家、エイノユハ二・ラウタヴァーラのチェロ協奏曲は規模は小さいがチェロの音響的可能性を追究している点で注目される。
神秘的なフラジオレットによるアルペッジョがソロの重要なモティーフになっていて、重音奏法とフラジオレットを駆使したパッセージがシュタルケルの精緻な技巧によって超然と響いてくるのに唖然とさせられるが、ブロムシュテットのサポートも絶賛したい。
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2021年01月08日
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ヨゼフ・スークとズザナ・ルージイッチコヴァがモーツァルトの7曲のヴァイオリン・ソナタをチェコ・スプラフォンに録音したもので、このうちK.11及びK.13の2曲には更にペトロ・ヘイニーのヴィオラ・ダ・ガンバが加わった、バロックから初期古典派時代の楽器編成を採用している。
スークの磨き抜かれた艶やかなヴァイオリンの音色と、ルージイッチコヴァの典雅なチェンバロが息のあったアンサンブルを聴かせる宮廷風室内楽の魅力に溢れる1枚だ。
どちらかというとバロック時代の名残を残した音響だが、演奏にくどさが感じられず、流麗で颯爽とした曲趣が再現されているのも特徴的だ。
彼らは既にバッハやヘンデルのソナタ集でも協演しているコンビなので相性の良さでは定評があるが、このモーツァルトに関しては前者に比べるとそれほど知られていないようだ。
音質は鮮明で極めて良好。
ルージイッチコヴァが弾いているのはモダン・チェンバロだが、響きに人工的な煩わしさが少ない改良型を使用していて、ヒストリカル楽器ほどではないにしてもレジスターの操作でデリケートな曲趣も表出できる機能を備えている。
彼女の演奏を初めて聴いたのはバッハの『ブランデンブルク協奏曲第5番』や『ゴールドベルク変奏曲』のLPで、その華麗な奏法は驚くほど新鮮な印象を与えてくれた。
その後彼女がバロック音楽だけでなく、夫君の作曲家ヴィクトル・カラビスの作品を始めとする現代物にも積極的に取り組んでいることを知った。
しかし古楽を研究した人だけあって、ここでの装飾音やフレージングは確信に満ちたものがある。
このCDは1990年に録音されたモーツァルトのごく初期のヴァイオリン・ソナタ集で、いずれも彼が少年時代に演奏旅行したパリやロンドンでの音楽的な収穫として生み出されたものだ。
神童モーツァルトが弱冠10歳そこそこで作曲した作品だが、その豊かな音楽性と作曲技法は既に並外れた才能を示している。
こうした一連の作品はヴァイオリン、あるいはフルート助奏付のピアノ・ソナタという当時流行した過渡的な楽器編成のスタイルをとっていて、時には低音弦楽器をアドリブに加えることも可能だった。
それらは古典的なヴァイオリン・ソナタやピアノ・トリオの萌芽としても興味深い。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2021年01月05日
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濃厚なコーガンのヴァイオリン、重厚なリヒターのチェンバロ、ねっとりたっぷりと歌うロマン的情緒濃密なバッハ。
これはこれですごくいいんだけども、コーガンのヴァイオリンは時にあまりにソリスティックすぎて、リヒターのチェンバロを覆い隠してしまうほどに主張が前面に出過ぎるときがある。
つまりコーガンのブラームスのような超スタイリッシュな演奏がバッハらしくなく違和感を感じざるを得ない。
それでもバッハの音楽の融通性から考えれば、肯定的なセッションではあるが、ロシア人演奏家はどんなに優れた巨匠でも、ドイツ音楽においてはこのような不適格さを露呈してしまう傾向があり、このCDもその好例である。
この曲集は基本的にヴァイオリン、そしてチェンバロの右手と左手がそれぞれ一声部ずつを受け持つ、トリオの手法で書かれているので、ソロ・ヴァイオリンがあまりに突出すると声部間のバランスが崩れてしまう。
ここでのコーガンはひたすら自己の妥協せざる音楽を堅持しているようで、その点峻厳な印象を与えることに成功している。
しかしリヒターは伴奏に追いやられているようにも聞こえる。
彼はノイぺルトのモダン・チェンバロを使っているが、この楽器のやや金属的で耳障りな音色が録音で助長されているのも好きになれない。
全体的にこうした理由で演奏が鈍重なものになっているのは残念だ。
はっきり言えば2人の間に音楽で一致するところが見えない演奏ということになる。
個人的にはこの6曲のベストはシェリング、ヴァルヒャ盤だが、リヒターがシュナイダーハンと組んだ1966年のセッションも好ましい。
この演奏は最近リリースされたリヒターのコンプリート・レコーディング集に復活している。
またラインホルト・バルヒェット、ロベール・ヴェイロン=ラ・クロワによる60年代初期のヴァイオリン・ソナタ全集もシンプルかつバランスの良い演奏でお薦めだ。
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