2021年03月
2021年03月29日
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ラファエル・クーベリックの生誕100周年にあやかって購入したCDだが、暫く聴いていなかったこのCDを聴き直すことにした。
彼が1960年代にドイツ・グラモフォンに録音したウェーバー序曲集からの6曲とカール・ライスターをソロに迎えた『クラリネット協奏曲第1番へ短調』をカップリングしたエロクエンスの廉価盤である。
作曲家の起承転結を明快に表現した音楽の構成美と情熱的な統率が効を奏した爽快な演奏で、またこの時代の録音としては極めて良好な音質なので入門者にもお薦めしたい1枚だ。
一連の序曲集は1964年にクーベリックの手兵バイエルン放送管弦楽団との、そして『クラリネット協奏曲』の方は1968年のベルリン・フィルとのそれぞれセッション録音になる。
後者ではライスターの正確無比のテクニックに支えられた鮮烈な音楽性がこの曲の魅力をフルに伝えている。
ソロの完璧だがいくらかクールな奏法を包み込むようなクーベリックの熱い感性が少しも矛盾していないところも聴きどころだろう。
ウェーバーの序曲はオペラの筋書きと密接に関わっている。
それは劇中に使われる重要なエレメントが集約された一種のトレイラーである。
さまざまなモチーフを展開させて作品自体の内容を聴衆に印象付ける役目を負わせながら、また独立した楽曲としても通用するだけの充実した構成を持っている。
それは後にワーグナーのライトモチーフによって更に発展する楽劇の前奏曲の先例とも言えるだろう。
尚最後に置かれた『祝典序曲』はオペラや劇音楽に先行する序曲ではなく、1818年のザクセン国王在位55周年の祝賀記念に書き下ろされ、現在英国国歌として歌われているメロディーが取り入れられた異色作品だ。
速筆の天才でもあったヴェーバーの面目躍如たる華麗な序曲に仕上げられている。
幸いアマゾンのページには収録曲が明示されているので参考にされたい。
廉価盤なので演奏曲目一覧が印刷されたリーフレットが付いているだけだが、当CDも既に手に入りにくい状況になっていて復活が望まれる音源のひとつだ。
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2021年03月16日
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ヴィオラの名手としても知られるスークの演奏は、ヴァイオリンとはまた違って、この楽器の持つしっとりとした味わいを巧みに引き出して、聴く者に強い印象を与える。
長年にわたって培われてきたパネンカとのコンビによるこの録音は、磨きがかかり深みが増した、まさに円熟の境地。
楽想のひとつひとつをじっくりと味わいながら語っていくその巧みさと音楽の自然な流れが、ブラームス晩年の枯淡の心境を雄弁に表出している。
クラリネットのために作曲されたオリジナル版と聴き比べてみたが、印象が全く違って驚いた。
クラリネットによるカール・ライスターの演奏では、特有の寂寥感や諦観がいやがうえにも表れていて、ブラームスの晩年の心境を映し出しているように感じられた。
こちらのヴィオラ・バージョンはむしろ抒情的な美しさと温かみがあり、特にそれは第2番に言える。
スークのごく控えめに入れる効果的なポルタメントなどもスタイリッシュだが、大時代的な耽美趣味がないのも好感が持てる。
スークの奏法はヴァイオリンで聴くそれと非常に近く、容易に彼の演奏を判別することができる。
淡々とした演奏だが、ひとつひとつのフレーズに深い思いが込められており、そうした表情は特に第1番の第1楽章に色濃く漂っている。
遅めのテンポで決して激することがないが、60歳を過ぎたブラームスが書いたアパッショナートの意味するところへの共感が深いところで鳴り響いている。
スークのヴィオラの美しい響き、特に弱音低音域の表情の豊かさは抜群。
ヴィオラではクラリネットのような厳しい表現は不向きで、逆に柔らかな音色と弦楽器の流麗さを生かした演奏は、ブラームスの安らぎの魅力という別の側面を堪能させてくれる。
ピアニストのヤン・パネンカはスークと同郷チェコの大家で、アンサンブル・ピアニストとして良く知られているが、スプラフォンからはベートーヴェンの協奏曲全集もリリースされている。
彼の奏法の特徴は表現がクリアーで、スークと同様に美音を大切にするところにある。
刺激的な打鍵を避け、きめ細かいアーティキュレーションを丁寧に演奏することは、この伴奏でも明瞭に感知することができる。
1990年、プラハのスプラフォン・ドモヴィーナ・スタジオでの録音で、彼らのデュオが完成段階に入ってきたことを窺わせる演奏だ。
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2021年03月11日
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亡命前のキリル・コンドラシンが手兵モスクワ・フィルを振ったレコーディングの纏まった企画としては、ショスタコーヴィチの交響曲全曲集とマーラーの同選集だが、その他にも地元メロディアには良質のステレオ音源がいくつか遺されている。
その2曲がこのディスクに収録されたスクリャービン/ネムティン編の管弦楽、コーラス、オルガンとピアノのための『神秘』から第1部「宇宙」である。
ライナー・ノーツには作曲家によって構想された三部作の最初の部分をアレクサンドル・ネムティンが1936年に復元したと書かれていて、この1973年の彼らの演奏が初録音のようだ。
40分ほどの大曲で、難解なオーケストレーションの巧みな統率とスクリャービン特有のハーモニーから醸し出されるサウンドが鮮烈に再現される。
クライマックスでは確かにデュオニュソス的な陶酔と神秘を感じさせる演奏だが、コンドラシンの解釈は曲趣にのめりこむようなものとは明らかに一線を画した、スコアへの冷徹なまでの緻密な再現が聴きどころだろう。
尚ネムティンは第3部も纏めていて1996年にアシュケナージによってベルリンで演奏されたようだ。
ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲変ニ長調は1963年の少し古いセッションで、ヤコフ・フリエルのソロになる。
ハチャトゥリアンの協奏曲といえばオイストラフに献呈されたヴァイオリン協奏曲が、そのアイデアの独自性と明確な構成で作曲家としての圧倒的な力量を示している。
一方ピアノ協奏曲はその4年ほど前の1936年に作曲され、初演者レフ・オボーリンに献呈されている。
この作品もアルメニアの民族音楽の原初的力強さと、超絶技巧を使った熱狂的な終楽章がドラマティックだ。
例えば第2楽章で使われるフレクサトーンなど、ヴァイオリン協奏曲に比べてやや凝り過ぎた作法という印象がある。
ヴァイオリン協奏曲のほうがよりシンプルで音楽的な効果を高めている。
またフリエルのピアノは強靭なテクニックで聴かせているが、もう少し柔軟性と多様な変化があってもいいと思う。
両曲とも音源はメロディアだが、独BMGが1998年にリマスタリングしたEU盤で、ノイズレスの20Bitディジタル・オーディオ・プロセッシングと記載されている。
確かに音質は想像していたよりも鮮明で、低音から高音までが破綻なくクリアーに再生される。
特にスクリャービンではオーケストラの楽器の分離が良く保たれているのが特長だ。
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2021年03月05日
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音質に潤いと明るさが増したリニューアル盤。
ジュリーニ、ロサンジェルス・フィルのコンビでは、これまでのオーケストラル・ワークを見直すような、独自の音楽性を発見することができる。
2曲の交響曲にはどちらもしっかりした構成感が築かれているが、オーケストラの練り上げられた表現の上手さと音色の美しさも特筆される。
ベートーヴェンではあざといと思われるダイナミズムやテンポの抑揚などは避けて、一見古典的な構成の中に音楽の美しさを湛えていて、かえって斬新な印象を与える。
第2楽章のそれぞれのヴァリエーションの特徴を掴んだ演奏、第3楽章スケルツォでの、幽霊の登場のテーマも逆に明瞭に提示して、過去の慣習に囚われない瑞々しさを強調している。
終楽章のクライマックスも開放的で明るい響きが支配的だが、緊張感は失われていない。
『ライン』は4曲あるシューマンの交響曲の中で、ジュリーニが録音したのはこの第3番のみで、ムーティがウィーン・フィルを振ったものと聴き比べてみた。
ムーティは堰を切ったような流れで、青春の息吹を感じさせるのに対して、ジュリーニのそれは、より成熟した趣を持っている。
それはムーティがウィーン・フィルの自主性にある程度任せているのに対して、ジュリーニは1音たりとも譲らない姿勢を示したからかも知れない。
第2楽章スケルツォではムーティが舟歌のように歌わせるが、ここでは油彩の鄙びた風景画をイメージさせる。
そして第4楽章までに溜めておいた底力を終楽章で一気に噴出させるオーガナイズは流石で、ブラス・セクションのファンファーレも効果的に響かせている。
尚マーラー版に準じているのが本盤のセールス・ポイントで、オーケストレーションの旨さでは群を抜き、響きはいいが、シューマン特有の渋さは保たれている。
ジュリーニの演奏美学と感性にもピタリとはまり、叙情性豊かでスケールの大きい壮麗な『ライン』が出現している。
現在では原譜支持が圧倒的だが、フルトヴェングラーやセルなど20世紀の巨匠たちはスコアに手を入れることを主張し、これを実践した。
この録音が行なわれた1980年まではこうしたシューマン演奏はもてはやされていた。
が、昨今ジュリーニ盤は片隅に追いやられている。
今一度脚光を浴びることはあるのだろうか?
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2021年03月01日
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バッハはチェロのために無伴奏ソナタと組曲を遺しているが、オブリガート・チェンバロ付きのソナタはヴィオラ・ダ・ガンバのための作品で、ドラマティックな表現よりデリケートな音色を生かす奏法が想定されていることは確かだ。
シュタルケルは元来バロック音楽には造詣の深いチェリストだけにこのソナタ全集でも、ガンバをある程度意識した、抑制を効かせた中庸の美が聴きどころだろう。
この録音は1977年にプラハで行われたセッションだが、チェンバリスト、ルージチコヴァーとは6年遡る1971年にドイツ、シュヴェツィンゲンの音楽祭でも同曲集で共演している。
それだけにこのデュエットが彼らにとって手慣れたレバートリーだったことも、余裕を感じさせる演奏に表れている。
シュタルケルは完璧な技巧に持って初めて優れた音楽が成立するという考えのもとに、自然この上ない右手のボウイングと強靭な左指の独立性により、チェロ演奏技術の頂点に立ったチェリストのうちの一人である。
そのため、演奏にあたって技術的問題は皆無でバッハの音楽を表現することのみに重点を置いている。
トリオ・ソナタ様式の曲であるので、強い表情付けを行えないハープシコードの右手とチェロのバランスに配慮し対位法的絡み合いを重視しダイナミクスを抑えて比較的穏やかな表現で演奏をしている。
従って、コダーイの無伴奏ソナタやバッハの無伴奏組曲で見せる豪放さは聴かれない。
力みがなく自然で控えめな表情を付け強い自己主張を避けた演奏であり、伸び伸びとしていてバッハの声が生で聴こえるようである。
ちなみにシュタルケルは更にその前のマーキュリー時代、ハンガリーの盟友ジェルジ・シェベックとのピアノ伴奏盤もセッション録音している。
一方ルージチコヴァーは同曲集をフッフロやフルニエとも録音しているし、その後もスークの弾くヴィオラ版でも共演しているので、彼女にとっても繰り返し演奏した百戦錬磨で鍛えた曲集だ。
彼女の弾くチェンバロはノイぺルト製のモダン・チェンバロなので、下手をするとやや金属的な音色が耳障りになるが、高音を巧みに抑えながら意外にも大胆なレジスター処理でシュタルケルのチェロに拮抗する斬新な効果を上げている。
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