2021年11月

2021年11月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



初期ルネサンスの巨匠で15世紀最大の作曲家ギヨーム・デュファイ(1397頃-1474)の世俗音楽の全てを網羅した画期的全集。

かつてタワーレコードから全94曲の全集として発売されていた名盤だが、よほどの古楽愛好家でなければ、それだけの曲数を聴く機会がないと思われるだけに喜ばしい。

この作曲家はルネサンス時代のミサ曲の形を確立した巨匠として重要だが、同時に、フランス語を歌詞とする多声世俗歌曲の大家としても知られている。

そのフランス語の歌曲だけでなく、イタリア語やラテン語による多声世俗歌曲も含めて、デュファイの多声世俗歌曲のすべてを収録したロンドン中世アンサンブル盤(1980年録音)は今思えば録音史上でも画期的な意義をもつものといえよう。

中世の秋を印象づける最大の音楽が、ロンドン中世アンサンブルの卓越した演奏で耳にすることができるからだ。

しかもその演奏は、基本的に現代附のデュファイ全集で示された形を踏襲し、歌と楽器の組み合わせのひとつの基本を示してもいる。

全音楽史を通してデュファイは、モンテヴェルディ、バッハたちと並ぶ、類いまれな巨人的存在である。

その作品は当時のすべてのジャンルに及び、ミサ曲、モテトゥス、世俗シャンソンなど、それぞれが規模も大きく訴えも深い。

ここにあげたロンドン中世アンサンブルによる全集は、既存するデュファイの世俗音楽作品の全てが収録されている。

演奏も出色もので、バリトンのヒリアー、ジョージらの名歌手が、初期ルネサンスの恋の歌を切々と歌いあげている。

見事に芸術的に練磨され、中庸を得た演奏である。

ある種の遊びの要素を秘めて、古風に洗練された宮廷的な愛の歌が延々と続くが、少しも飽きを感じさせない。

適度なヴァラエティがあり、卓越した演奏によって各曲が現代に甦り、“中世の秋”の作曲家デュファイの抒情感を聴き手に伝えてくれる。

ホイジンガーの『中世の秋』の世界がそのまま音になって再現されたと思われる、名曲の名演奏である。

ここからは、当時の宮廷の人々が愛好した雅びな愛の姿などを、自然と感じとることができる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 04:04コメント(0)音楽史 

2021年11月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヘンリク・ヴィエニャフスキ(1835-1880)とカロル・シマノフスキ(1882-1937)はどちらもポーランドの作曲家である。

オーケストラはバンベルク交響楽団だが、実質的には同郷のヴァイオリニスト、シェリングと指揮者ヤン・クレンツが祖国の作曲家に捧げたヴァイオリン協奏曲集という趣向になっている。

とは言っても双方が早くからインターナショナルな感覚を身に付けた音楽家であるために、他に引けを取らない情熱的な演奏には違いないが偏狭な意味でのナショナリズムの高揚というよりは、むしろ2人の作曲家の普遍的な価値を洗練された様式で示したサンプルとしての意義があると思う。

特にシェリングは欧米のあらゆる音楽的な趣味を習得した上で、そのどれにも囚われない独自の奏法を確立していた。

そのために時折個性に乏しいヴァイオリニストのように言われることがあるがスタイルに逃げ道を探さない真摯な姿勢が彼らしいところではないだろうか。

ヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調は後期ロマン派特有の耽美的な抒情性を持った曲想と名技主義を披露する華麗なテクニックが駆使されているために、古今の名立たるヴァイオリニストのレパートリーとして欠かせない曲目になっている。

第2楽章『ロマンス』でシェリングは恣意的なポルタメントをかけたりテンポを必要以上に動かすことなく、怜悧なボウイングのコントロールによって歌いきっていて、またメランコリーの表出にも不足していない。

終楽章『ジプシー風』には民俗的なテーマが挿入されているが、クレンツが支えるオーケストラに乗ったシェリングの緊張感に満ちたソロがやはりポーランド人の血を感じさせる。

一方シマノフスキの方は曲の最後の和音がイ長調のトニックだが曲中では殆んど調性から離れた作品になっていて、20世紀の新しい作品にも果敢に挑戦したシェリングの知性的な演奏が際立っている。

無伴奏の曲では他の追随を許さなかった彼らしい中間部の決然としたカデンツァやクレンツ、バンベルクの創り上げる斬新な音響も聴きどころだろう。

音源はフィリップスで、いずれも1972年のセッション録音になりキレの良い音質が特徴だ。

尚このCDはリイシューされた日本盤で、見開きのみのリーフレット式のライナー・ノーツが付いているが、既に製造中止の憂き目に遭っているのが残念だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 11:11コメント(0)シェリング 

2021年11月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



古楽界の大御所でありトラヴェルソの名手、バルトールド・クイケンにはバッハ・ファミリーの作曲した総てのフルート・ソロの加わる室内楽の録音をカバーしたいという願望がある。

これまで既に大バッハと次男C.Ph.エマヌエルのソナタ全曲集は文字通り完成させた。

その補遺に当たるのがこのCDで、ここにはW.フリーデマンのホ短調及びヘ長調のソナタ、J.クリスティアンのニ長調、J.クリストフ・フリードリッヒのニ短調のそれぞれのソナタに加えてJ.クリスティアン伝のヘ長調のソナタと作者不詳のヘ短調ソナタの計6曲が収録されている。

ただ末っ子のJ.クリスティアンには2楽章形式のソナタ6曲の他にフルートが加わるアンサンブル用の曲が少なからず存在するので、決してこのCDで完結したわけではない。

この曲集ではいわゆる通奏低音付のソナタでもクイケンは、習慣的に加わるガンバやチェロ、あるいはリュートなどを一切省きデメイエールの弾くチェンバロのみを従えている。

このために演奏スタイルがより親密かつ軽妙になり、ソロ・パートを引き立てる結果になっている。

但し、こうした比較的マイナーな曲集では彼の名人芸はともかくとしていくらか単調になってしまう嫌いが無きにしも非ずといったところだ。

例えば伴奏にチェンバロとフォルテピアノを交替させるなどの配慮があれば、より興味深く変化に富んだ演奏になっただろう。

しかし一方で余計な通奏低音を省いて総ての音符を書き記し、即興の余地を制限したソロ・ソナタの様式を試みたのは他ならぬ大バッハ自身であり、それがその後の古典様式のソナタに受け継がれていくことを考えれば、妥当な選択なのかも知れない。

使用楽器はクイケンがアウグスト・グレンザーのワン・キー・モデル、デメイエールのチェンバロがアンリ・エムシュのコピーになる。

ピッチはa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチ。

2008年録音の音質は鮮明で極めて良好。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 11:27コメント(0)バッハクイケン 

2021年11月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



イタリア・オペラ黄金期のレコーディングの中でも1956年のデッカからの『イル・トロヴァトーレ』は、テバルディ、デル・モナコ、シミオナートをキャスティングした豪華な歌手陣が売り物だった。

しかしながらルーナ伯爵のウーゴ・サヴァレーゼに緊張感がなく、声もバスティアニーニに比べるとかなり聞き劣りがした。

このドイツ・グラモフォン盤は、幸いミラノ・スカラ座の上演に沿った録音であるため当時スカラ座で歌っていた第一線の歌手達が顔を揃えている。

アントニエッタ・ステッラは、この他に『ドン・カルロ』『仮面舞踏会』で、そのテクニックの冴えと表現力の豊かさを聴かせてくれる。

ベルゴンツィは決して美声に溺れることなく、良くコントロールされた知性的な歌唱でマンリーコを演じている。

アズチェーナ役のコッソットは輪郭のはっきりした声質で、かつてのシミオナートとはまた異なった鋭い感性のジプシー女を表現している。

指揮者トゥッリオ・セラフィンは、トスカニーニのアメリカ移住の後を継いでスカラ座の音楽監督に就任した。

イタリアのオペラ指揮者の中でも特に伝統的なベル・カントを生かし、メリハリのある表現で舞台を纏めることにかけては第一人者だった。

彼のオペラのレパートリーは243曲にのぼり、歌手ではカルーソからパバロッティの時代まで活躍した。

彼は作品の起承転結を良く研究し、長い舞台作品でも決して冗長な指揮はしなかった。

また声を生かすことにかけては誰よりもうまかったが、曲に関係のない声の誇張は注意深く避けていた。

スカラ座管弦楽団も指揮者に良く呼応している。

録音は極めて良好。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 12:03コメント(0)ヴェルディセラフィン 

2021年11月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ロジーナをメゾ・ソプラノで歌わせた1950年代の『セヴィリアの理髪師』全曲盤には、この1956年のエレーデ盤と1950年のプレヴィターリ盤があるが、全体の音楽的な水準では後者がやや優っている。

主役ロジーナはどちらもシミオナートで、彼女の才気煥発な表現と鮮やかなコロラトゥーラが素晴らしい。

その音楽性とテクニックは同じロッシーニの『チェネレントラ』でも発揮されている。

一方フィガロはこちらはバスティアニーニがベル・カントを聴かせてくれるが、細かい音符が目まぐるしく動く部分では、いくらか大味な印象を与える。

当代一のヴェルディ・バリトンとしては止むを得ないのだが、その点ジュゼッペ・タッデイはより軽快で、特に早口のレチタティーヴォ・セッコでは巧妙な語り口が面白い。

アルマヴィーヴァ伯爵のミッシャーノは美声で滑稽な役柄を良くこなしているが、やはりコロラトゥーラが回らない。

プレヴィターリ盤のインファンティーノはコロラトゥーラが上手い。

第1幕のフィガロと伯爵のデュエットを聴き比べれば、その差は明瞭だ。

しかしエレーデ盤の捨てがたい点は、ドン・バルトロを喜劇役者としては右に出るものがないと言われたフェルナンド・コレナが、捧腹絶倒の演技をしていることや、ドン・バジリオをチェーザレ・シエピが歌っていることだろう。

喜歌劇を歌うことが想像できないシエピにしてみれば、際物だがその存在感は充分だ。

また初期のステレオ録音であるため、ある程度のステレオ効果が利用されている。

エレーデ指揮、フィレンツェ五月祭管弦楽団の演奏は、喜歌劇の伴奏という点では及第点だろう。

欲を言えば序曲にもう少し緊張感とまとまりが欲しいと思う。

ただし、いかにもイタリアらしい天真爛漫な雰囲気は全曲に亘って良く出ている。

時代相応以上の音質が得られていて、当時のロンドン・レーベルのレコーディングに懸けた意気込みが感じられる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 13:42コメント(0)ロッシーニシエピ 

2021年11月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



40曲を超えるモーツァルトのヴァイオリンとピアノの為のデュエットの中から、マンハイム・パリ時代以降の作品を中心に18曲が選ばれていて、この天才の溢れんばかりの音楽的な閃きと創意に満ちた、まさに音楽の泉を体験させてくれる。

1970年代のシェリングはしばしば精彩を欠いた、四角四面の面白みの無い演奏者として批判されるが、このモーツァルトには当てはまらない。

実際この作品集の録音は彼が50代の円熟期、1969年から72年にかけて行われたが、全く時代的な趣味を感じさせないばかりか、常に新鮮な感動をもたらしてくれる。

それはまたピアニストにイングリット・ヘブラーというモーツァルトのスペシャリストが協演していることも幸いしている。

彼らの演奏の最大の特徴は、両者の間での音楽的に絶妙なバランスだ。

古典的均衡という意味では、まさに模範的なデュエットで、1曲1曲にモーツァルトが織り込んだ湧き出るような豊かな創造性を、この上なく上品な趣味で聴かせる2人のテクニックは流石だ。

しかも彼らの解釈には全く恣意的なところが無いのも好感が持てる。

シェリングのヴァイオリンからは、彼の個性よりもまず先に演奏する作曲家の作品へのアプローチが聞こえてくる。

そのことから彼の演奏は没個性的でつまらないという批判が出てくるのは残念なことだ。

何故ならそこには時代を超越した普遍的な解釈があるからだ。

彼は極めて丁寧に楽譜を読み取り、感情に流されること無くそれをできる限り忠実に再現しようと努める。

またイングリット・ヘブラーの肌理の細かいダイナミクスと零れ落ちるようなまろやかなピアノの音色がこの曲集を一層魅力的なものにしている。

モーツァルトの音楽の演奏上での難しさは、曲中に音楽の基本の総てが集約されているだけに、演奏家自身の音楽性が否応なしに問われることにある。

逆に言えばモーツァルトを弾かせればその演奏家の長所も欠点も見事に露見してしまう一種の試金石なのだ。

ヴァイオリンのパートはごく平易で単純に書かれているが、シェリングとヘブラーの演奏は薫り高い芸術性に満たされている。

彼らには個性的な癖やあくの強さが無く、常に明快ですっきりとした古典的な解釈が特徴で、その中に見せる上品で繊細なロココ趣味はこの二人の協演ならではのものだ。

一口に言って正攻法で精緻なアンサンブルだが、彼らの溢れるほどの音楽性が随所に滲み出ていて、まさに音楽の心を感じさせる演奏だ。

またこの時代に流行したヴァイオリンのオブリガート付ピアノ・ソナタが、曲を追って次第にソロ楽器が主導権を握り、逆にピアノが伴奏にまわるソロ・ソナタに発展していく過程も興味深い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:23コメント(0)シェリングヘブラー 

2021年11月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



オーストラリア・エロクエンスから同時にリリースされたマルケヴィッチのフィリップス・レガシー26枚と並んで、このグラモフォン・レガシー21枚でユニヴァーサル系のレコーディングがほぼ揃うことになる。

その他にEMIからリリースされているイコン・シリーズの18枚組を加えれば、マルケヴィッチ・コレクションとしては充分なレパートリーをカバーすることになる。

ただしEMI音源の多くはモノラル録音で、興味深いレパートリーだけに残念だ。

更にマニアックなコレクターの方には英スクリベンダムから出ている21枚には日本フィルハーモニーとのコラボなどの音源が収録されている。

そのほかの曲目の殆どが先に挙げた2セットとダブっているので、基本的にはエロクエンス盤の2つのボックスがお薦めだ。

ただし小売業者によって相変わらず価格の幅が大きく、また生産数も限定されているためか既にプレミアム価格で販売している業者も出現している。

おそらくこれから価格が下がることはないと思われる。

収録曲に関してはこのグラモフォン音源に関しては指摘の通り豊富な声楽曲、宗教曲のレバートリーが良質なステレオ録音で堪能できるところに特徴がある。

マルケヴィッチらしいキレの良い、鋭利な演奏は現在でもその独自の解釈と共に新鮮さを失っていない。

それはモントゥーやアンセルメと同様、バレエ・リュスの時代を知っていた指揮者の1人だったからかも知れない。

それだけにまた新時代の音楽に対しても積極的に採り上げたし、彼自身も作曲家としても活躍した。

その片鱗がこのセットでも窺える。

尚ベルリオーズの『ファウストの劫罰』に関してはドイツ・グラモフォンから既にブルーレイオーディオ・ディスクがリリースされていて、音質に関しては勿論そちらの方が優れている。

曲によってはモノラル音源も含まれているが、全体的に音質は良好で鑑賞に不都合はない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:22コメント(0)マルケヴィチ 

2021年11月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ロッシーニは聴き手を必ず幸福にしてくれる、そんな魅力を童話的気分で楽しませてくれるオペラが『シンデレラ(チェネレントラ)』である。

確かに魔法は筋書きから取り去られたが、それに変わる魔法はロッシーニの音楽そのものだったのである。

本盤はロッシーニ歌いを贅沢に揃えた名演で、指揮者リッカルド・シャイーの素晴らしい統率と新時代のロッシーニの音楽的解釈が面目躍如。

早口のレチタティーヴォやアンサンブルは精緻に仕上げられ、ロッシーニ特有のクレッシェンドも劇を効果的に運んでいる。

第2幕後半の六重唱「これは厄介な結び目、絡まった集団」でのスタッカートとイタリア語のRの巻き舌を強調したアンサンブルは、それぞれがアジリタの速いパッセージを絡めて、滑稽であると同時に美しい和声を響かせることも忘れていない。

またこの録音では通常のチェンバロ伴奏のレチタティーヴォ・セッコが、フォルテピアノにチェロ及びコントラバスの通奏低音を加えたトリオが担当して、場面の状況に応じて巧みな表情を与えている。

イタリアの名指揮者シャイー(1953年生まれ)はロッシーニをもっとも得意とし、長年にわたって指揮し続けてきた。

シャイーの才気煥発な指揮は、シンプルな中にも作曲家の豊かな音楽性と喜劇としての軽快さを遺憾なく引き出していて秀逸。

血の共感というだけでなく、彼はロッシーニを人生の機微を心憎い巧さと的確さで写し取った愛すべき作曲家とみなした節があり、すべてが好きでたまらないといった勢いでこのオペラを再現している。

オーケストラはボローニャ・テアトロ・コムナーレ管弦楽団で、シャイーの指揮に良く呼応し、また歓喜に満ちた幕切れを迎えている。

ソリストではタイトルロールのチェチリア・バルトリが、天衣無縫さの優雅さと華やかさで聳え立っており、天成の相性の良さを実感させる。

細かい装飾音をあたかも刺繡をするように正確に歌い切って、幕切れの「悲しみと涙の中に生まれ」が驚異的な聴かせどころになっている。

彼女に対抗できるのは先輩ルチア・ヴァレンティーノ=テッラーニくらいだった。

また他の諸役も適材適所の布陣で、王子ドン・ラミーロのウィリアム・マテウッツィも負けじと、カデンツァではしばしば超高音をちりばめて、華やかな舞台を創り上げている。

ちなみに彼はベッリーニの『プリターニ』でハイfを楽譜通りに歌った強者だが、コロラトゥーラも良くこなしている。

ダンディーニ役のコルベッリもアジリタでは引けを取らないし、ベテラン、エンツォ・ダーラの男爵も抑制された中に絶妙な歌唱力で応じている。

録音は1992年で音質は極めて良好。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:20コメント(0)バルトリシャイー 

2021年11月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



プッチーニの三部作のレコーディング史に残る名演集。

『外套』1956年モノラル録音、『修道女アンジェリカ』1958年、『ジャンニスキッキ』1959年の録音。

それぞれベッレッツァ、セラフィン、サンティーニの指揮でオーケストラは総てローマ歌劇場管弦楽団。

『修道女』でのデ・ロスアンヘレスの引き離された幼い我が子への想いは、最初は可憐で慈しみと希望や喜びが感じられる。

伯爵夫人にその子が死んだことを伝えられると、彼女の歌は言い知れぬ絶望に変わる。

その表現の変化はその後の場面、つまり彼女自身の死を予感させる。

デ・ロスアンヘレスの実力を見せつける小品だ。

セラフィンの指揮もイタリア的な抒情と哀感に溢れている。

この三部作の中で最も称賛されるべきは『ジャンニスキッキ』で、ゴッビの芸に感心させられる。

彼の歌う「同じ声だったかい」は、幸いイタリア放送協会製作のテレビ映画『プッチーニ』の中で、映像として残されている。

ゴッビのメイクもこのセットのジャケットと同じものだ。

これだけ溌溂としたジャンニスキッキは近年観ることができない。

最近の演出は主役をカッコ良過ぎる役柄にしてしまう傾向があるのではないだろうか。

またデ・ロスアンヘレスの歌う「私のお父さん」も実に若々しく瑞々しい。

変に技巧を凝らせない率直な表現は模範的だ。

リヌッチョ役のデル・モンテの「フィレンツェは花咲く木のように」も軽快で好感が持てる。

最後のデュエットで聴かせるデ・ロスアンヘレスのハイdも効果的だし、何といってもゴッビの締めの口上が極め付きだ。

これだけ語り口の上手いオペラ歌手はフィッシャー=ディースカウくらいしか思いつかない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:52コメント(0)プッチーニセラフィン 

2021年11月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



問題はCD44と45が同一音源で収録されていることは、既に海外からのレビューで知っていたので、セットが届いてから確認してみた。

やはりCD45に関しては記載のコリン・デイヴィス指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ニ長調及びエド・デ・ヴァールト指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団とのロマンスト長調及びヘ長調は収録されておらず、CD44と全く同様の演奏が入っている。

これについては、それぞれの国のユニヴァーサルが対応しているので交換可能。

尚CD63と64、CD66と67に関しては全くエラーはなかった。

サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲ロ短調はCD63はジャン・フルネ指揮、コンセール・ラムルー管弦楽団によるモノラル録音で、CD64はオーケストラが同じだが同曲のマニュエル・ローゼンタール指揮のステレオ録音になる。

またCD66及び67でもフランクとグリーグのヴァイオリン・ソナタのカップリングだが、前者はイシュトヴァン・ハイデュ、後者がジェルジ・シェベクの伴奏で、音質も演奏時間も異なっているのでダブリではない。

できれば高音質ディスク、例えばブルーレイ・オーディオが付いていれば良かったとは思う。

98ページのライナー・ノーツにはオリジナル・ジャケットの写真及びかなりの量のグリュミオーのスナップが掲載されている。

タリー・ポッターのエッセイは日本語訳があるのも親切な配慮だ。

巻末には作曲家別の索引と、録音年表もあり資料としても充実している。

グリュミオー・ファンでなくてもヴァイオリン音楽を愛する人であれば最良のコレクションのひとつになるだろう。

海外のアマゾンでは、エラーのためのディスカウントなのか、日本より安価で購入できる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 17:08コメント(0)グリュミオー 

2021年11月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1966年から名門シカゴ響の首席奏者をつとめるアメリカの名ホルン奏者、デイル・クレヴェンジャー。

独奏者・室内楽奏者としても多彩な活躍ぶりを見せるクレヴェンジャーが、1987年にハンガリーで録音した貴重なソロ・コンチェルト・アルバムが復活。

このCDはマルティノン、ショルティ、バレンボイムそしてムーティに至る時代のシカゴ交響楽団首席ホルン奏者を実に47年に亘って務めたデイル・クレヴェンジャーが、1987年にハンガリーで録音したモーツァルトのホルンのための作品集になる。

ヤーノシュ・ローラ指揮、リスト室内管弦楽団との協演で4曲の協奏曲及びホルンと管弦楽のためのコンサート・ロンド変ホ長調K.371を収録している。

クレヴェンジャーは今更云々するまでもないシカゴの至宝的ホルニストであった。

男性的で深みのある音色に加えて、高音からペダル音まで実にバランスよく磨き抜かれた鋭敏な吹きっぷりが見事の一言。

オーケストラの一員としての演奏活動に情熱を持ち続けたこともあって、その実力と長いキャリアに比較してソリストとしての単独録音はそれほど多くない。

因みにモーツァルトの協奏曲ではこの他にアバド、シカゴ響との第3番がある。

協奏曲第1番ニ長調K.412でクレヴェンジャーはバルブ機能を持たないナチュラル・ホルンを使っているために、ゲシュトップ操作を頻繁にしているのが聞こえる。

当然その都度楽器内部の圧力や体積の変化によって響きも音量も微妙に変わってくるが音程の取り方は正確無比で、音楽の流れを止めない芸術的な演奏テクニックは流石だ。

ナチュラル・ホルンでの全曲演奏はヘルマン・バウマンの他にも現在までに数種類の選択肢があり、特筆すべきことではないかもしれない。

クレヴェンジャーがこうしたピリオド楽器にも熟達した腕を持っていたことを証明している。

彼の音は狩猟ホルンをイメージさせる特有の野趣と直線的な力強さがあり、数多く存在するモーツァルトの協奏曲集の中でも、良い意味で芯のある硬派的な演奏の代表格だろう。

コンサート・ロンド変ホ長調については1989年に欠落していた中間部60小節が再発見されたが、それはこの録音の後のことで、当然彼らは旧復元版を演奏している。

またそれぞれのカデンツァでクレヴェンジャーは低音から高音に至る広い音域をカバーする滑らかな音の推移や、アルペッジョの速いパッセージを安定した奏法で模範的に披露している。

ローラ指揮、リスト室内管弦楽団の軽快でソロを引き立てたサポートも好感が持てる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:26コメント(0)モーツァルト 

2021年11月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ロッシーニの全作品が新しく校訂され、ペーザロの同財団から次々に出版された楽譜に基づいて演奏されるようになったのは1970年代になってからである。

これによってオーケストラの奏法から歌手達の歌唱法、レチタティーヴォの通奏低音までが一新され、本来あるべき姿のロッシーニ像が広く知られるようになった。

このディスクはロッシーニの出身地ペーザロのテアトロ・ロッシーニで開催された1989年のロッシーニ・フェスティバルの演目として上演されたオペラ・セミセリア『泥棒カササギ』のライヴになる。

校訂はアルベルト・ゼッダによる新しい検証と解釈に従った、いわゆるロッシーニ・ルネサンスの成果のひとつだ。

ライヴなので客席からの拍手や歓声が入っているが、音質自体は極めて良好。

指揮はジャンルイージ・ジェルメッティでオーケストラはRAIトリノ交響楽団。

彼の指揮は長い作品を丁寧にまとめ、歌手陣を良く統率している。

アンサンブルも緊密で、特に第2幕後半の六重唱はロッシーニのセミセリアに対する腕を明らかにしていて美しい。

主役二ネッタはリッチャレッリで、彼女はロッシーニ歌いではないが、プリマドンナとしての力量を示していて、言ってみればカリスマ的存在だ。

婚約者ジャンネットはマテウッツィで高声を巧みに使って華やかな効果を上げている。

この役にはやや軽すぎる声質かも知れないが。小間使いの少年役ピッポはメゾ・ソプラノのマンカ・ディ・ニッサが健闘している。

アジリタのテクニックも充分だ。

代官がサミュエル・レイミーというのも面白いキャスティングだが、彼はロッシーニにも造詣が深く、低音から高音まで滑らかな声で歌いながら、悪役の貫録を見せている。

波乱に富んだドラマの動きを鮮明に、かつまた感動的に描き出すジェルメッティの指揮も申し分なく、大詰めの裁判の場の白熱的な盛り上がりと、それに続くヒロインを刑場に導く、葬送行進曲、そして幕切れの救出劇的どんでん返しと続くあたりは曲も演奏も最高だった。

オペラの題材は当時流行った救済物で、死を宣告されたヒロインとその父フェルナンドが、ピッポの機転によって真犯人を見つけ出し、恩赦によって二人の命が救われ、ニネッタは恋人ジャンネットと晴れて結ばれるという、同じ救済物でもベートーヴェンの『フィデリオ』に比べれば、他愛ない物語だ。

しかしロッシーニにしては珍しく気を入れて作曲したオペラで、劇中のテーマやモティーフを巧妙にまとめて序曲に仕上げている。

ウィーン初演の時は大喝采を浴びベートーヴェンの機嫌を損ねたと言われるが、確かに屈託のないロッシーニの音楽は当時『フィデリオ』より持て囃されたのも事実だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:06コメント(0)ロッシーニ 

2021年11月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このセットに先立ってデッカ、フィリップス及びドイツ・グラモフォンへのレコーディングを37枚のCDに纏めたボックスがデッカからリリースされたが、限定版の宿命で既にプレミアム価格で販売されている。

イタリア四重奏団のレバートリーを更にインテグラルな形で補充するのが今回のワーナー盤で、多くが彼らのキャリア初期のモノラル音源ながら、初CD化の曲目が9曲ほど加わっている。

イタリア四重奏団の4人のメンバーのうち、ヴィオラ奏者のみが2回変わっているが、ここでは設立当時のリオネッロ・フォルツァンティと、彼が渡米した後を引き継ぎ、彼らの黄金時代を築いたピエロ・ファルッリが演奏している。

14枚のうちの数枚は英テスタメントや伊ウラニア、アマデウスからもリリース済み。

彼らが全曲録音を果たしたモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、シューマンの弦楽四重奏曲を中心にドビュッシー、ミヨー、ストラヴィンスキー、プロコフィエフやマリピエロなどの20世紀の作曲家の作品群と共に母国イタリアの作品で構成されている。

一方ライヴではRIASへの放送用ライヴ・レコーディングを集めた3枚組が独アウディーテから、またロンドン・ロイヤルフェスティ・ホールで・1965年2月22日のライヴもBBC icaから出ている。

初CD化の曲目は以下の通り。

モーツァルトの弦楽四重奏曲第14番ト長調『春』、同第15番ニ短調

ベートーヴェンの同第13番変ロ長調

ブラームスの同第3番変ロ長調

ガブリエリの四重奏のためのふたつのカンツォーナ、ビアージョ・マリーニの室内ソナタより『第一舞曲』

マッシミリアーノ・ネーリの四重奏のためのソナタ第5番

アレッサンドロ・スカルラッティの四重奏のためのソナタ第4番

シューマンの弦楽四重奏曲第3番イ長調。

尚CD1のドビュッシーとレオナルド・ヴィンチ及びCD12以外は今回オリジナル・テープから新規にリマスタリングされた音源で、比較的芯のある骨太な音質が再生される。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:30コメント(0)イタリアSQ 

2021年11月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このライヴ自体既に評価の高かったものだが、今回UHQCD化によって音質がグレードアップされた。

従来盤より透明度が増して全体的に音色の輝かしさが出て磨きのかかったような印象がある。

シューベルトのピアノ五重奏曲『鱒』にリヒテルのような巨匠が加わることは稀だが、若い頃から積極的にアンサンブルに参加していた彼だけに、ここでも超一級の協調性をみせた輝かしく隙の無い合奏が印象に残る。

また流石にヴィルトゥオーゾで一世を風靡したリヒテルらしく、急速楽章では更にテンポを速めに設定して、鮮やかで瑞々しいピアニズムを展開している。

しかし一方で第2楽章ではボロディン四重奏団の持ち前の抒情性と相俟って、ひときわ美しい情景を描き出している。

元来ボロディンはロマンティックな演奏を得意としているが、この作品でも彼らの長所とリヒテルのリーダーシップによって引き締められた緊張感が心地良い。

聴き比べたグリュミオーとヘブラーが共演した同曲の演奏では、どちらかと言えばグリュミオーのヴァイオリンの音色の美しさをヘブラーと弦楽部がサポートしているように感じられるが、このディスクではリヒテルが圧倒的な存在感を示している。

勿論ピアノ五重奏としてのバランスは堅持されているが、特に第4楽章の第三変奏でリヒテルの弾くユニゾンの華麗なテクニックは、このヴァリエーションに花を添えている。

1980年6月18日にオーストリア、ホーエネムス城で収録されたライヴ音源だが音質は良好で、客席からのノイズもなく潤いのあるサウンドが捉えられている。

リヒテルは後年ヨーロッパの古城や宮殿を積極的に使ってライヴやセッション録音を行った。

それは現代のコンサート・ホールよりも、かつて作品が実際に演奏された空間の自然な残響に浸りながら、都心を離れた閑静な環境で彼のインスピレーションを高める目的だったと思われる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 13:04コメント(0)シューベルトリヒテル 

2021年11月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1969年5月9日、リヒターとミュンヘン・バッハ管弦楽団の来日公演のときの貴重なライヴ録音である。

あふれるようにみずみずしい演奏だ。

リヒターには1961年のスタジオ録音もあり、それはきわめて峻厳な名演奏だった。

これはそのスタジオ録音ほどの芯の強さはあまり感じられないが、全篇にわたって、表情がゆたかであたたかな、人間愛にみちた音楽がつくられている。

このライヴにおけるリヒターの演奏は旧盤に聴かれる、魂を引き裂くような痛切な叫びはない。

構えのとれた、自在なバッハで、まるでリヒターの新しい面を発見したかのように感じられる。

演奏自体の密度の高さは旧盤に求められるだろうが、東京での緊張のひとときとしての、異常なまでの空間がひしひしと伝わってくる名演である。

その日本公演でまったく精力的にリハーサルと多くの本番をこなしたリヒターは、疑いなくこの時期が生涯の頂点だったといえる。

リヒターの棒は厳格をきわめたものだと思いがちだが、むしろ次に何が始まるのかわからないといった、まことにスリリングな緊張を、演奏者にも聴衆にも呼び起こした。

リヒターはここでは学究の徒であることを放棄し、まさしく神に仕える一個の真摯な人間にかえったのである。

時として考証的なバッハを、冷徹なバッハを演奏するリヒターであったが、それはこの夜だけに許された「即興の時」であったのだろうか。

といってもテンポの揺れは実際にみられなかったことも指摘しておく必要がある。

リヒターの中にある自由な飛翔は、厳格主義によって身動きが出来なくなっている日本のバッハ演奏家に対して大きな啓示となったのである。

リヒターの張り詰めて峻厳な音楽作り、彼を信奉する合唱団員たち、与えられた機会に最上の歌唱や演奏で応えようと全力を尽くす独唱者たち、オーケストラの尋常ではない協調ぶりは強く心に残る。

オーケストラは驚嘆すべき音色と技術に加え、音楽性の息づきの中で見事にリヒターにこたえた。

フルートのまろやかさ、D管トランペットの強靭で卓越した技巧は、それが音楽の必然的帰結であることを納得させたし、合唱における「自発性」は日本の合唱団に大きな影響を与えた。

独唱陣は最高の布陣で、これ以上の歌手を誰が望めるだろう。

その中でもヘフゲンのアルトは特筆せねばなるまいし、ヘフリガーの<ベネディクトス>も絶唱というべきだろう。

バッハが亡くなる前年の1749年に、過去のさまざまな作品からの転用を含めてまとめあげた宗教音楽の一大大作がこの《ミサ曲ロ短調》である。

当時としてはたいへん規模の大きな作品で、全曲の演奏に約2時間を要するが、バッハの声楽曲の集大成としても重要な意味を持つので、是非耳にしておくべきだろう。

全編に崇高な宗教的感情があふれていて、この曲にバッハのすべてがあるといっても過言ではないほどだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:17コメント(0)リヒターバッハ 

2021年11月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



リヒターが手兵のミュンヘン・バッハ管弦楽団、合唱団を率いて1969年に初来日したおりの東京での実況録音。

初めてこのマタイ受難曲とロ短調ミサ曲と併せて聴いた時には、自分の音楽観や人生観をさえ揺さ振られるほどの大きな感動を受けた。

指揮台の前にチェンバロを置き、まったくの暗譜で指揮はもちろんレチタティーヴォでの通奏低音まで弾いてしまう姿勢には、バッハ自身が現れたのではないかという錯覚さえ覚えたものだ。

その時の音楽から放射されてきた意味の大きさ深さは未だに比べるものがないほどだが、この実況録音盤で聴いてもその時の印象は鮮明に蘇ってくる。

1958年のスタジオ録音も良いが、日本人にとってはこの演奏があくまで原点である。

ところで1970年前後といえば、オリジナル楽器によるバロック演奏が一般化していった時期であるが、表面的にはリヒターは、こうした新しいバッハ演奏の影響をまったく受けなかったように見える。

しかし、60年代後半から70年代にかけての繁栄の時代に人々の意識は徐々に変化していった。

そうした変化とリヒター自身が年齢を加えていったことが、この時期、リヒターの眼をより大らかなバッハへの音楽へと向けたのではないだろうか。

しかし、こうしたリヒターのよりロマンティックといえるようなバッハへの回帰は、ある意味ではその裏返しでもあったのではないだろうか。

リヒターがバッハ演奏家の第一人者となった50年代から60年代のドイツは、敗戦から立ち直って、奇跡ともいわれる戦後の復興を着々と成し遂げようとしていた時期であり、厳しく凝縮し、強い劇性と生命力にみちたリヒターのバッハ演奏は、いかにもそうした時代にふさわしかったといえるだろう。

しかし、そこにはより自然で力みのない人間的な表現があり、旧盤のように鮮烈に聴き手の胸を打つことはないが、バッハの音楽の大きさやゆたかさをより素直に味合わせてくれる良さもある。

そして、年齢的にも真の円熟期を迎えようとしていたリヒターが、新たに目指したバッハ演奏は、そうした肩張らぬ素直な人間的表現だったのではないだろうか。

しかし、79年に単独で来日したものの、リヒターには、その時間が残されていなかった。

81年4月には再び手兵のミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団を率いて来日することが決まっていたが、その直前の2月15日に、滞在中のミュンヘンのホテルで心臓麻痺のために、54歳という働き盛りに急逝してしまい、多くの音楽ファンを驚き、悲しませることになった。

しかし、酷な想像かもしれないが、もしリヒターが60代、70代と活動を積み重ねていったとしても、古楽器演奏がますます隆盛なこの時代に、かつてのような誰をも心服させるような新たなバッハ像を構築し得たかどうかは、やはり疑問ではないだろうか。

その意味では、54歳というあまりに早い死は、30代にして現代最高のバッハ解釈家としての名声を獲得したに対する天の配剤であったようにも思える。

つまり、リヒターが50年代末から60年代にかけて残した数々の名演は、今もそれほど強い輝きを放っているといってもよいだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:37コメント(0)リヒターバッハ 

2021年11月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



なにしろバッハの《マタイ受難曲》は偉大な作品なので、どのようなアプローチの仕方をも許容し得るような大きさを秘めている。

そこにあって当クレンペラー盤は、とくに気宇壮大、スケールの大きな演奏内容といえるだろう。

編成の大きなオーケストラ、声楽陣などから生み出される各表現は、いずれも濃い陰影をもち、粗削りのようなたくましい輪郭に彩られ、たいそう大胆。

ドラマティックな起伏も、他に類を見ないほど大きい。

偉大な《マタイ受難曲》を、些事にわずらわされることなく、可能な限り偉大に再現し得た演奏内容だ。

この演奏の核心のような部分で、すべてを耐えて重きを担っているアトラスのようなクレンペラーの姿が印象的である。

《マタイ受難曲》には、唯一無二といってもいいほどのリヒターによる不朽の名盤がある。

まこと、凄まじいほどの気魄と先鋭な切り込みの烈しさに打たれぬ人はいない。

これに対抗できるのはクレンペラー盤であろう。

聴く者をゆったりと包み込み、そのドイツ的音響構築の悠揚迫らぬ余裕は、イエスに対する畏敬の念をその底辺に据え、人間が犯したさまざまな愚かな“あやまち”を責めるのではなく、共に許し合おうとするクレンペラーの包容力の大きさでもある。

十字架上の2人のうち、どちらを助けるか問われ、群衆は「バラバを!」と叫ぶが、リヒターは怖ろしいまでの緊迫感と、犯してはならなかった罪への責めを音の中に刻みつけた。

クレンペラーには“悲しみ”が感じられる。

クレンペラーの上にふりかかったさまざまの苦難を通して、このマエストロはその試練に耐え抜き、自分の精神を強く、他には愛をもって音楽をつくっていった。

その人間的な深さがバッハを貫いている。

その意味でもこの巨匠のベートーヴェンは比類ない演奏の典型だが、その根源にはこうしたバッハへの帰依があってのことと思われる。

筆者は本名盤を学生時代に聴き、バッハの宗教曲の素晴らしさに、身も心も酔いしれる思いを味わった。

《マタイ受難曲》では、ある女がイエスに香油を注ぎかけたというレチタティーヴォからアルトの悔恨のアリアに至るあたりや、「備えせよ」のバス・アリアから最後の大らかな合唱に入るあたりは、正直のところ、涙なくしては聴くことができなかった。

クレンペラーはこの受難の物語の中から、人間の普遍的な愛情の襞にまで入り込んで、すべての人物が人間の愚かしい行動を是認しなければならない苦しさを描き出していく。

これはクレンペラーならではの世界だろう。

全体に遅めのテンポ設定が主流をなしているが、彼にとってこのテンポは不可欠なものに違いない。

雄渾な音楽づくりの中にも、クレンペラーの老巧な棒さばきと、張りつめた緊張感とが身近に伝わってくる。

テンポ設定ひとつにしても、やや遅めにとり、コラールも重厚に、コラールフェルマータも、様式からはみ出さない限度においてテヌートを加えるなど、細心の注意が行きわたっている。

1961年のステレオ録音だけに音質も良好で、シュヴァルツコップもF=ディースカウの声もまだ瑞々しく、ルートヴィヒのアルトも沈痛だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:31コメント(0)F=ディースカウシュヴァルツコップ 

2021年11月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブロムシュテットと手兵シュターツカペレ・ドレスデンとの1980年代の共演で、彼らはこれまで第4番『ロマンティック』及び第7番のみを録音している。

このディスクの第7番は、おそらくブルックナーの交響曲全集へ発展させる予定でレコーディングを開始した第1弾で、1980年にドレスデンのルカ教会で収録されている。

広い空間に進展する音響が残響に至るまで精緻に採音されていて、ブルックナーの巨大なスケール感も良く捉えられている。

当時まだ爆撃で破壊されたドレスデンの都市復元が続いていた頃で、録音会場としては殆ど唯一の場所だったに違いない。

東側でもPCMディジタル録音が普及しつつあった時代の音源としては極めて良好で、虚飾のない精妙なサウンドが再生される。

ブロムシュテットがブルックナーの作曲時に描こうとした音楽的構想を、できるだけ忠実に再現しようとしたことはほぼ間違いないだろう。

作曲家自身の決定的なスコアが存在しない限り、最もシンプルに校訂された版を参考にすることは解釈の上での重要な解決策だが、ブロムシュテットがハース版を採用していることからも、そうした傾向は明らかだ。

しかし彼らの演奏から醸し出される音楽は決して地味なものではなく、光彩を放つような豊饒な音色の変化と生命力にあふれた推進力が堂々たる貫録を感じさせる。

気迫のこもった渾身の名演を聴かせ、オーケストラの洗練されたアンサンブルを御して、ブロムシュテットは彫りの深い、宗教的とも言える瞑想的な表現で迫る。

この指揮者は従来淡泊な表現に特色があったら、ここではまるで別人のような燃焼を示しているのである。

彼もハース版を用いながら、ノヴァーク版の打楽器を盛大にならしている。

だが単なる楽天主義というか、極楽トンボではなく、ドラマティックな効果を発揮しているのである。

これはブロムシュテットの数多い録音の中でも、特筆される名演奏と言えると思う。

彼らのコラボによる交響曲全集が頓挫した理由は知る由もないが、ブルックナー・ファンにとっては第4番と共にコレクションに加えたい1枚だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 11:37コメント(0)ブルックナーブロムシュテット 

2021年11月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1954年、ビルギット・ニルソンがバイロイト音楽祭にデビュー年のライヴ録音。

ヴィントガッセン、ヴァルナイ、ウーデなど、1951年に再開された「新バイロイト」を代表する歌手が共演している。

軍令使は若き日のフィッシャー=ディースカウ(彼もこの年がバイロイト・デビュー)。

初出はLP時代のメロドラム盤だが、バイエルン放送のテープを使った正規リリースは今回が初めてで音質も良好だ。

ヴォルフガング・ヴィントガッセンは、第2次大戦後のワーグナー・テノールの第一人者で、残されたレコードも大部分ワーグナー。

若々しい声質と風貌のヘルデンテノールで、第2次大戦後最高の爛蹇璽┘鵐哀螢鶚瓩塙發評価された。

ヴィントガッセンの「ローエングリン」の演奏記録は、バイロイト音楽祭に於ける1953年のカイルベルト盤、翌年のヨッフム盤が残されていて、演奏はいずれ劣らぬ名演だが、エルザは53年のスティーバーも悪くないが、54年のニルソンの方が上だ。

ヴィントガッセンは、バイロイトで最初の2年間は、パルジファルと「ラインの黄金」のフローを歌い、3年目の1953年にはパルジファルをラモン・ヴィナイとダブル・キャストで歌ったほか、新たにローエングリンとジークフリートも歌って、とくにローエングリンで絶賛され、バイロイトでの名声を確立した。

オペラ評論家とした大をなしたアンドルー・ポーターは、当時編集同人をつとめていた英国の『オペラ』誌にこう書いて送った。

「ローエングリンのヴォルフガング・ヴィントガッセンは、ほぼ間違いなく現在の舞台では最高のワーグナー・テノールであろう。ジークフリートの役ではまだ声のスタミナがイマイチだが(ほかの点ではほとんど申し分がないのだが)、彼のローエングリンは力強くノーブルで、甘美でもあり、また叙情味も豊かであった」

本盤の演奏を聴くと、ヴィントガッセンは、ワーグナーを歌って名声があったヘルデンテノールのなかでは声の質がやや細く軽いほうで、とりわけスタミナと劇的な表現力が必要とされるパルジファル、ジークムントなどよりもドイツ語ではユーゲントリヒャー(若々しい)・ヘルデンテノールと呼ばれているリリコ・スピント寄りのローエングリンや「オランダ人」のエリック、「マイスタージンガー」のヴァルターなどにいっそう適していたことがわかる。

前述のポーターも言うように声質もうってつけだし、風貌も役どころにふさわしく、戦後最高のローエングリンだったと思う。

エルザもニルソンによるセッション録音は残されず、しかも比較的初期にレパートリーから外したため、バイロイトでのこの全曲盤は貴重だ。

ニルソンは水晶のように硬く澄み切ったドラマティック・ソプラノにして知的なオペラ役者だった。

若きオイゲン・ヨッフムの指揮は、ドイツ音楽の伝統に根ざした、手堅い表現で、押し出しの立派な、風格のある演奏である。

ヨッフムの演奏は少しも鈍重でなく、温かく優しい表情の中にひとつひとつの音やモティーフをくっきりと鮮明に浮かび上がらせている。

いかにも職人肌の実直な指揮ぶりであり、総じて不満を感じさせる箇所はない名指揮ぶりであると言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:17コメント(0)ワーグナーヨッフム 

2021年11月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



サン=サーンス没後100周年を記念するエディションで、彼の代表的な作品を34枚のCDに纏めたボックス。

カバーデザインはルノワールの『ポン・ヌフ』でサン=サーンスの活躍したパリの良き時代をイメージさせる。

演奏内容はどちらかと言うと歴史的録音が多く、一部のごくポピュラーな作品、例えば『動物の謝肉祭』などを除くと、ワーナーのごく最近の音源はそれほど豊富ではないようだ。

またユニヴァーサルではバジェット・ボックスにはつきもののブルーレイオーディオ盤やDVDなども付いていない。

この点はワーナーもSACDをボーナスに付けるなどの工夫が欲しい。

選曲のコンセプトはほぼ納得のいくものになっている。

例えば4曲の交響曲はいずれもジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団による1970年代初期の録音。

なかでも第3番ハ短調『オルガン』はマリー=クレール・アランのオルガンが加わる名演のひとつだ。

当時のバランス・エンジニアはEMIの録音を象徴するポール・ヴァヴァシュールが担当している。

また5曲のビアの協奏曲はアンドレ・プレヴィン指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のサポートでジャン=フィリップ・コラールがソロを弾いている。

同様に3曲のヴァイオリン協奏曲は総てピエール・デルヴォー指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団でウルフ・ヘルシャーのソロになる。

CD27以降はレコーディング黎明期の録音で、サン=サーンス自身がピアノを弾く自作自演集やジャック・ティボーのヴァイオリン、アルフレッド・コルトーのピアノなどが聴ける。

但し音質は良くないのであくまでも演奏史の貴重な資料としてのコレクションになる。

尚CD15のピアノ五重奏曲トラック8の部分に、リマスタリングの際に起きたと思われるエラーを聞き取ることができる。

これについてはワーナーが修正盤を出してくれることを期待したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:52コメント(0)サン=サーンスマルティノン 

2021年11月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



以前ご紹介したカルロス・クライバーのドイツ・グラモフォン音源を網羅したセットは既にレギュラー・フォーマット盤でもリリースされていたが、最近の全集物にはセットの収録曲全曲を1枚のブルーレイ・オーディオに収めた企画が流行っているせいかあっという間に廃盤になってしまった。

いつも述べていることであるが、本ブルーレイ・オーディオ盤も、リスナーとしてはできればCDとの抱き合わせではなくブルーレイ単独でリリースして欲しかった。

ブルーレイ・オーディオ化による音質向上は疑いなく、専用の再生機器をこれから揃えたいというオーディオ・マニアには良い選択肢に成り得ることは確かだ。

《椿姫》ぐらい憂愁、甘美なメロディの数々に彩られたオペラも例がなく、筋もわかりやすいので、ポピュラーになるのは当然だ。

様々なとらえ方の録音があるが、何と言ってもヒロインの歌手が問題になるので、自分のお気に入りのソプラノがいれば、その人のディスクを選ぶのが一番良く、もちろん録音は新しいに越したことはない。

筆者はクライバー盤を選ぶが、彼のオペラ全曲録音の中でも最も出来が良く、このオペラを近代劇としてとらえ、鋭い個性的な表現を行っていて、クライバーの代表盤と言っても差し支えないだろう。

《椿姫》はこの指揮者の数少ないレパートリーの1つであり、速めのテンポできりりと流しつつ、メリハリが立ち、曲想の抉りが深く、音楽とドラマが直結しており、全3幕、起承転結が実に鮮やかで、生気に富み、魅力的で、息もつかせぬ名演と言えるところであり、本当の舞台人の芸を存分に楽しませる。

クライバーの音楽特性のよく表れた演奏で、彼は、ヴェルディの音楽に現代的な感覚を盛り込み、彼独自の音楽の世界をつくりあげていて、イタリア・オペラにしては、造形が厳しすぎる気もするが、大変精度の高い演奏だ。

クライバーという指揮者の才能が何より際立つ録音で、イタリアの歌手主導の演奏に慣れた人には当初違和感を与えるかもしれないが、それも束の間、その旋律を豊かに歌わせた躍動感に溢れる音楽はオペラ・ハウスの上演を超越した感動をもたらす。

クライバーのヴェルディ演奏としては必ずしも100点満点の出来映えではないかもしれず、《椿姫》の演奏としては異端であるかもしれないが、何と素晴らしい異端だろう。

華麗な大オペラに背を向け、暗い影に息づく異端の《椿姫》で、クライバーの魔術的な音楽づくりの魅惑に思わず呪縛されてしまう。

薄幸の主人公を慈しむように、繊細な響きで始まる音楽は、第1幕の引き締まったものへと急転するが、オーケストラが先行する場面でも、歌が先行する場面でも、常に独特の弾みや絶妙の間合いが音楽を支配している。

スタイリッシュで、なおかつ非常にドラマティック、クライバーの指揮は常に生き生きと躍動し、表情豊かに歌い、ささやきのエロティシズムと切ない悲劇性が際立つ。

これが彼の生命線であって、表現の振幅が広いばかりではなく、それによって抒情性に溺れることを速いテンポと猛烈な推進力によって回避しているし、同時に最高に劇的な表現を実現しているのである。

クライバーならではのまことに生彩溢れる演奏であると同時に彼は、第1幕の前奏曲から、このオペラの悲劇性を精妙極まりない表現によって明らかにし、常に生き生きとした流れと劇的で鮮やかな変化をそなえた演奏によって、音楽の最深部にまで的確な光を当てつくしている。

クライバーが本拠にしていたバイエルン国立歌劇場管弦楽団からこのように精緻で陰翳に富んだ響きと表現を引き出した手腕も、まさに至芸と言うべきだろう。

ここにあるのは、単に流麗で感傷的なメロドラマではなく、切実な感情によって動かされ、生きてゆく人間たちのドラマであり、ヴェルディの真の意図が感じ取れる。

歌手陣は必ずしも最強力とは言えず、コトルバスのヴィオレッタはやや独特の癖があるが、その幾分暗い声と非常に細やかな感情表現によって悲劇のヒロインを繊細に演じていて、役柄にふさわしい見事な存在感を示し、クライバーの敏捷だが小振りな音楽によく合っている。

雄弁この上ないオーケストラに支えられた第1幕の長大な歌で、聴く者をうならせたりしないかわりに、線の細いセンチメンタルな歌唱で、肺を患った若く悲しい娼婦ヴィオレッタが同情され涙を誘い胸を打つ。

本来ならミミなどにぴったりのコトルバスを起用して(実演でも歌ってはいるが)、繊細な声の持ち主に重めの役を歌わせるのは1970年代から80年代にかけてのグラモフォンが、特に好んだキャスティングだった。

またドミンゴのアルフレードが素晴らしく、凛々しい声で一本気な青年を好演、ミルンズのジェルモンはややドスが利き過ぎだが、父親の貫禄充分な歌唱を聴かせ、他の歌手もクライバーの指揮に応えてそれぞれベストの歌唱を聴かせてくれる。

これは、クライバーが正規に完成させた商業録音の数少ないオペラ全曲盤の1つで、そのレパートリーでは《ボエーム》も《オテロ》も結局は完成されなかったから、これが唯一のイタリア・オペラのセッション録音による全曲盤ということになり、その意味でも貴重である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:54コメント(0)ヴェルディクライバー 

2021年11月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワーナーによるフルトヴェングラーの歴史的遺産のSACD化は、交響曲及び管弦楽曲を皮切りとして、協奏曲や声楽曲など多岐に渡るジャンルについて行われてきたが、ついにオペラが登場した。

ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」と既にご紹介した楽劇「ワルキューレ」、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」の3点という豪華ラインナップとなっている。

いずれも名演であると思うが、その中でもベストの名演は楽劇「トリスタンとイゾルデ」と言えるのではないだろうか。

フルトヴェングラーが生前スタジオ録音した正規レコードのうちでは、この「トリスタン」が最もすばらしい。

それどころか本演奏は、フルトヴェングラーによるあらゆるオペラ録音の中でもダントツの名演であるとともに、様々な指揮者による同曲の名演の中でも、ベーム&バイロイト祝祭管による名演(1966年)、クライバー&ドレスデン国立管による名演(1980〜1982年)と並んでトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

レコーディング嫌いで有名であったフルトヴェングラーが、このような4時間近くも要する長大な作品をスタジオ録音したというのも奇跡的な所業と言えるところであり、フルトヴェングラーがいかにこの演奏に熱意を持って取り組んだのかを伺い知ることが可能であると言えるところだ。

本演奏でのフルトヴェングラーは荘重にして悠揚迫らぬインテンポで曲想を進めていくが、ワーグナーが作曲した官能的な旋律の数々をロマンティシズム溢れる濃厚さで描き出しているのが素晴らしい。

各登場人物の深層心理に鋭く切り込んでいくような彫りの深さも健在であり、スケールも雄渾も極み。

とりわけ終結部の「愛と死」における至純の美しさは、神々しいばかりの崇高さを湛えているとさえ言える。

官能と陶酔がいつの間にか崇高な法悦と浄化にまで昇華していく、彼のワーグナー演奏の秘法が、ここに余すところなく示されているのである。

こうした濃厚で彫りの深いフルトヴェングラーの指揮に対して、イゾルデ役のフラグスタートの歌唱も官能美の極みとも言うべき熱唱を披露しており、いささかも引けを取っていない。

トリスタン役のズートハウスは実力以上のものを発揮していると言えるし、クルヴェナール役のフィッシャー=ディースカウも、後年のいささか巧さが鼻につくのとは別人のような名唱を披露している。

フィルハーモニア管弦楽団もフルトヴェングラーの統率の下、ドイツ風の重厚な演奏を展開しているのが素晴らしい。

録音は、フルトヴェングラー自身がレコーディングに大変に満足していただけのこともあって、従来盤でもかなり満足し得る音質を誇っていたが、ユニバーサルによるSACD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

細部のニュアンスや全体のデュナーミクの躍動を格段に鮮明に聴くことができる。

例えば、第2幕冒頭の弦楽器の繊細な合奏やホルンによる狩りの響き、そして歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらあり、このような歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 12:30コメント(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



いかにもフルトヴェングラーならではの彫りの深い素晴らしい名演だ。

本演奏はスタジオ録音であり、セリフのみの箇所を大幅にカットしていることもあって、ライヴ録音における極めて燃焼度の高いドラマティックな演奏を成し遂げる常々のフルトヴェングラーとはいささか異なった演奏と言えるが、悠揚迫らぬインテンポによって濃密に曲想を進めていくなど深沈とした奥深さを湛えているのが素晴らしい。

なお、フルトヴェングラーには、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」については、本演奏のほかにも1950年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音盤(数年前にオーパスが見事な復刻を行った)があり、それは本演奏とは異なって極めてドラマティックな演奏であるとともに、歌手陣がきわめて豪華であることからそちらの方を上位に置く聴き手も多いとは思うが、本演奏にも優れた箇所も多く存在するところであり、容易には優劣はつけられないのではないだろうか。

また、本演奏においては各登場人物の深層心理に鋭く切り込んでいく彫りの深さが際立っており、とりわけ第2幕冒頭の序奏などにおいては、1950年盤以上に奥行きのある表現を展開しているなど、その筆舌には尽くし難いような深沈たる荘重さは、フルトヴェングラーとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないだろうか。

また、フルトヴェングラーは、1950年盤と同様に、レオノーレ序曲第3番を、マーラーが慣習づけた流儀にしたがって終結部(第2幕第2場)の直前に配置しているが、これが冒頭の序曲ともども凄い演奏だ。

両曲ともに冒頭からしていわゆるフルトヴェングラー節全開。

あたかも交響曲に接するのと同様のアプローチで、劇的でなおかつ重厚な演奏を繰り広げており、スケールは雄渾の極み。

とりわけレオノーレ序曲第3番においては、終結部のトゥッティに向けて畳み掛けていくような緊迫感と力強さは圧巻の迫力を誇っている。

このように、序曲及びレオノーレ序曲第3番だけでも腹がいっぱいになるほどの密度の濃い演奏を成し遂げていると言えるだろう。

歌手陣はさすがに1950年盤の豪華さには劣っているが、それでもマルタ・メードルやヴォルフガング・ヴィントガッセン、オットー・エーデルマンなどの一流歌手陣が最高の歌唱を繰り広げている。

フルトヴェングラーの統率の下、最高のパフォーマンスを示したウィーン・フィルやウィーン国立歌劇場合唱団にも大きな拍手を送りたい。

録音は1953年のスタジオ録音であり、従来盤でもフルトヴェングラーのCDとしては比較的満足できる音質であったが、ユニバーサルによるSACD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらあり、このような歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 12:08コメント(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



LP時代から筆者にとってこの演奏は一つの座右の盤でもあった。

スタジオ録音ということもあり、ライヴでのフルトヴェングラーのあの凄まじい熱気は不足しているものの、最晩年の彼の悠揚迫らざる境地は伝わってくる。

指揮は個性的でいながらどこまでも普遍的、オペラティックでありながらシンフォニックである。

緊張は和らげられて、大きな瞑想が全体を覆うように包み込んで、明澄さと円熟の境地は、以前のようにドラマを激しく転回させるのではなく、ドラマを音楽の流れに完全に委ね切る方向に作用している。

全体に流れるようなそのテンポは、演技を伴わない分、凝縮へと向かうが、これが無駄を排除した簡素さの実現に寄与している。

フルトヴェングラーは、彼独特の重量感にあふれた情感で、音楽をいわば「再構成」するようないつもの方法を明らかに避けている。

必要以上に情緒を強調したり、モティーフに誇張の色づけを与えたりしていない。

逆に、率直すぎるほど率直に、雄渾なタッチで、ワーグナーの音楽自体を十二分に鳴り響かせている。

歌手陣は、彼のかかる誘導に支えられ、力強い歌いぶりをみせる。

フルトヴェングラーの棒には、オケを含めた奏者すべてに対し「どこからでも来い」と言わんばかりの稀有の懐の深さがある。

フランツのヴォータンの品格、ズートハウスのヘルデンテノール、リザネックのドラマディシズム、フリックの格調、全てがズッシリとした重みとともに今も筆者を襲う。

フルトヴェングラーのワーグナーを聴いていつも感じるのだが、歌われる言葉を大切にして、聴衆に聴こえるように、オーケストラの響きとのバランスを意識しているので、ワーグナー特有の長い語りも、室内楽でも聴いているように、いかなる音楽的退屈さとも無縁なのである。

これこそ、他のすぐれたワーグナー指揮者の演奏では、絶対に体験できないことである。

このフルトヴェングラーの最後の演奏を聴いていると、芸術家とは、あるべきヴィジョンに向かってつねに、そして最後まで進化して仕事をする存在なのだとつくづく合点してしまう。

そんな芸術家に対して、過去のある時点と比較することにどんな意味があるというのだろう。

《ワルキューレ》の最初の一音が鳴り始めたときから、フルトヴェングラーの心の底には、近づく死への予感から、「ヴォータンの惜別の歌」が、ずっと鳴り響いていたのではなかろうか。

録音は、従来盤でも1954年のスタジオ録音ということもあって、フルトヴェングラーのCDとしては比較的満足できる音質を誇ってはいたが、今般のユニバーサルによるSACD化によって見違えるような素晴らしい高音質に生まれ変わった。

とりわけ、歌手陣の息遣いまでが鮮明に再現されるのは驚異的ですらあり、フルトヴェングラーの遺言とも言うべき至高の超名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 11:29コメント(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

2021年11月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このプロジェクトは1962年にヴィーラント・ワーグナーの演出で制作されたもので、指揮を担当したカール・ベームは主役の2人にビルギット・ニルソンとヴォルフガング・ヴィントガッセンの起用を求めたという。

この2人は初年度から高い評価を得て、幸いなことにその演奏の収録が行なわれていたが、本盤に収められた最後の1966年盤が言うまでもなく1967年度レコード・アカデミー大賞を受賞した伝説的な名盤である。

主役2人の演唱も圧倒的だが、演奏もすばらしい。

ベームによる贅肉をそぎ落とした引き締まった響きと速めのテンポは、この作品の内包するエロティシズムとは無縁のものながら、聴くたびに圧倒される白熱的な名演奏である。

ベームは、バイロイトにもたびたび登場し、ワーグナーのツボを心得た指揮者である。

一世代前の、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュのような重厚壮大な「重さ」とは一線を画するものであるが、ワーグナー演奏としてけっして場違いな印象はなく、むしろ戦後のバイロイトが築いた頂点のひとつであり、「ヴィーラントによるバイロイト様式の完成」ではないかと思われる。

そして、フルトヴェングラーが深沈とした奥行きの深さ、クライバーがオーケストラのいぶし銀の音色を活かした重厚さを特色とした名演であったのに対して、ベームによる本演奏は、実演ならではのドラマティックで劇的な演奏と言えるのではないだろうか。

そして、学者風でにこりともしない堅物の風貌のベームが、同曲をこれほどまでに官能的に描き出すことができるとは殆ど信じられないほどである。

ベームは、実演でこそ本領を発揮する指揮者と言われたが、本演奏ではその実力を如何なく発揮しており、冒頭の前奏曲からして官能的で熱き歌心が全開だ。

その後も、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や緊張感、そして切れば血が吹き出してくるような強靭な生命力に満ち溢れており、全盛期のベームならではのリズミカルな躍動感も健在だ。

テンポは若干速めであるが、隙間風が吹くような箇所は皆無であり、どこをとっても造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

とりわけ、第2幕のイゾルデ役のニルソンとトリスタン役のヴィントガッセンによる愛の熱唱は、ベームの心を込め抜いた指揮も相俟って、おそらくは同曲演奏史上でも最高峰の名演奏に仕上がっていると言えるところであり、その官能的な美しさといい、はたまたドラマティックな迫力といい、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

ニルソンの、イゾルデにふさわしい威容と禁断の愛に苦悩する表現の豊かさは見事なもの。

そして、第3幕終結部の愛と死におけるニルソンによる絶唱は、もはや筆舌には尽くし難い感動を覚えるところだ。

第2幕ではニルソンのスケールの大きさにのみこまれそうなヴィントガッセンも、第3幕で死を目前にしての鬼気迫る熱唱は凄絶というほかない。

これらの主役2人のほか、歌手も総じてすぐれた出来映えで、1960年代に全盛期を迎えた名歌手の饗宴は真に感動的だ。

リマスタリングは24bit/96kHzでおこなわれ、さらにそのハイレゾ音源を収録したBlu-ray-Audioディスクも同梱されているが、できればCDとの抱き合わせではなくブルーレイ単独でリリースして欲しかった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:14コメント(0)ワーグナーベーム 

2021年11月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1983年から84年にかけてプラハで録音された音源で、スプラフォンと日本コロムビアが提携したレコーディング・シリーズのひとつ。

彼らは逸早くPCMディジタル録音を手掛けていただけあって、この時代の音源として音質は極めて良好だ。

ベートーヴェンのピアノ・トリオで、先ずお薦めしたいのはシェリング、フルニエ、ケンプによる演奏で、ケンプが扇の要のような存在だ。

第4番変ロ長調『街の歌』のみはカール・ライスターのクラリネットがシェリングに替わっている。

最近ユニヴァーサルのシェリング・エディションで復活した、一期一会の緊張感と高度な愉悦に満ちた大家風のトリオは是非聴いて頂きたい。

一方このスーク・トリオによる演奏では全曲を通してヨゼフ・スークが弾いている。

1950年代からトリオとして頻繁に演奏活動していただけに気の合った生き生きしたアンサンブルは美しいだけでなく、おおらかな音楽性を満喫できる。

ピアニストはヨゼフ・ハーラで、前任者のヤン・パネンカとは異なった美学を持っていて、聴き比べるとこのコンセプトの違いが良く理解できる。

第7番変ロ長調『大公』は既にパネンカとは過去に2回レコーディングしているので、この演奏はスーク・トリオとしては3回目、ハーラは初めて加わった時の録音になる。

パネンカのクリアーで美音を生かした緻密な演奏とは一線を画し、若々しい推進力に満ちたハーラのピアニズムも良い。

またリーダーシップをとるスークのヴァイオリンを巧みに支えるフッフロのチェロも毅然とした風格を持っている。

それにしても何と室内楽的なバランスの整った演奏だろう。

スーク・トリオの演奏は、室内楽的かつ古典的で、緊密なまとまりを聴かせる。

3人それぞれが実に明確な主張を展開しながら見事な調和を保ち、一体となって感興豊かで恰幅の大きな世界を作り上げている。

スリリングなところはないが、充分に練られた表現にはまとまりだけではない華もあって楽しめる。

平均年齢54歳の録音にもかかわらず、もっともみずみずしく新鮮な息吹を感じることができる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:17コメント(0)ベートーヴェンスーク 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ