2021年12月

2021年12月27日


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歴史的名演というものの最たるものがこのフルトヴェングラーの「第9」であるだけに、これまでにも高音質化の試みが何度もなされてきた。

今回はまさに1951年7月29日、スウェーデン放送によって中継放送された番組、冒頭の4か国語 (ドイツ語、フランス語、英語、スウェーデン語の順) によるアナウンスから巨匠の入場、渾身の指揮、やや長めのインターバルをはさみ、最後の2分半以上に及ぶ大歓声と嵐のような拍手 (と番組終了のアナウンス) まで、85分間、一切のカットなしに当夜のすべての音をSACDハイブリッド盤に収録されている。

改めて述べるまでもないと思うが、第2次大戦後、ヒットラーとの関係などもあり閉鎖されていたバイロイト音楽祭が1951年に再開されたとき、その開幕記念を飾る演奏として計画されたのが、このフルトヴェングラーの「第9」コンサートであった。

ドイツ人なら誰しもが喜んだであろう再開であったが、それは虐殺されたユダヤ人の悲劇がまだ生々しかった時代のことであり、現代とは自ずと取り巻く環境は異なっていたはずである。

フルトヴェングラーも一時期は演奏活動を禁じられたほど第2次大戦の悲劇は音楽家たちにも影を落とした。

このバイロイト音楽祭もクナッパーツブッシュやカラヤンのようなバイロイト初登場の指揮者たちが顔を揃えているから、再開といえども祝典気分一色というのではなかったはずである。

むしろ新たな陣容でドイツの音楽史が歩み出すことを内外にアピールする切実な責務、使命感がその底にあったものと思われる。

フルトヴェングラーの双肩にそうした期待感と重圧がのしかかってきたわけだが、ここでフルトヴェングラーが聴かせた音楽はまさに壮絶そのものであった。

それは「第9」という作品の桁外れの素晴らしさを余すところなく明らかにすると同時に、演奏という再現行為が達成し得る、さらに深遠で、神秘的な奥深さへと聴き手を誘う記念碑的偉業となったのである。

演奏という行ないはいつしか信仰告白とでも言うべき高みへと浄化され、作品は作品としての姿を超えて彼方からの声と一体化する、そんな陶酔的感動の瞬間を作り出してしまっている。

以来、この歴史的ライヴ録音は演奏芸術の鑑として聳え立ち、もちろんその後、誰もこれを凌駕する演奏など作り出していない。

超えられる演奏などではなく、目標として仰ぎ見ることだけが許された名演と言ってもよいのかもしれない。

アメリカ生まれのスウェーデン人の名指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット(1927年生まれ)は偶然にもこの演奏を聴くことができた音楽家だが、その日受けた感動をあまりしゃべりたがらない。

同じ指揮者として自分が日々やってることが、このフルトヴェングラーの演奏と対照されるとき、一体どれほどの意味と価値を持つものなのか悩み抜くからで、ことに「第9」の指揮は今なお怖いという。

聴衆の中に一人でもあの日の聴衆がいると思うと怖くてステージに上がれなくなる、いやこの歴史的名演をCDや放送で聴いて感動した人がいると思っただけでも、もう緊張してしまうのだそうである。

世界的巨匠と崇められるベテランの名指揮者を今なお呪縛してしまう、それほどの名演である。

歴史に残る演奏に出会える機会はそうあるものではないが、稀に見る奇跡を記録した演奏がこの「第9」である。

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classicalmusic at 19:19コメント(2)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2021年12月24日


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英国の女流トランペッター、アリソン・バルサムはバルブ機能のないナチュラル・トランペットの奏法をマスターして、2012年に彼女としては最初のピリオド楽器によるバロック作品集をトレヴァー・ピノックと制作している。

今回はパヴロ・べズノシューク率いるアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックとオルガニスト、スティーヴン・クレオバリーのサポートでナチュラル、モダンの2種類の楽器を巧みに使い分けた演奏を披露している。

尚トラック11のバッハのカンタータ『主よ、人の望みの喜びよ』のコラールではケンブリッジ・キングスカレッジ合唱団とオルガンのトム・エザリッジがゲスト出演して、このアルバムに花を添えている。

2015年から2016年にかけて録音された新譜で、バルサムの軽快なトランペットやオルガンの分厚い中低音を忠実に再現した音質は極めて良好。

アルバムのタイトルはラテン語のユービロ(歓喜を叫ぶ)から取ったものだろう。

全体的な印象ではクリスマス向けの家族で気軽に楽しめる娯楽的な側面が強いが、一流どころのピリオド・アンサンブルによる本格的な演奏集というのがセールス・ポイントだろう。

彼女のソフトでふくよかなトランペットの音色が活かされた音楽性豊かな表現と鮮やかなテクニックを堪能できるのが魅力だ。

ただアレンジ物ではコレッリの『クリスマス協奏曲』からのサイモン・ライトのトランペット用編曲版が全曲入っているが、果たしてこの曲がトランペット・ソロ用に最適かというと首を傾げざるを得ない。

確かにクリスマスには相応しい作品には違いないが、合奏協奏曲でひとつの声部をソロ楽器で強調すれば、全体的な対位法としての響きのバランスが崩れてしまうのは明らかだ。

それよりオリジナルのバロック・トランペット協奏曲を入れて欲しかったというのが正直な感想だ。

トランペットの輝かしく英雄的な演奏効果はこれまでに多くの作曲家によって、例外なくそうした表現のために用いられてきた。

バルサムはその洗練されたテクニックと歌心に溢れた柔軟な感性で、バロック時代のトランペットが私達が考えているほど甲高く野放図な音を出す楽器ではなかったことを証明して、従来のトランペットのイメージを少なからず再認識させてくれる。

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classicalmusic at 12:52コメント(0)コレッリバッハ 

2021年12月22日


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レイフ・ヴォーン・ウィリアムズはショスタコーヴィチと並ぶ20世紀の偉大なシンフォニストだったことを忘れてはならない。

1910年に完成した最初の「海」の交響曲から死の年の交響曲第9番に至るまで、偶然ではあるがちょうどジンクス通りの9曲の交響曲を残している。

スタイルとしては、映画音楽から編まれた5楽章制の「南極交響曲」を唯一の例外としていずれも4楽章制の伝統的な枠組みを持つが、民謡を取り入れるなどの民族的な要素が含まれたり、場面によっては斬新なテクスチャーを見せる部分もあり、決してアナクロニズムにに終わっていない。

一般的には第1番「海」、第2番「ロンドン交響曲」、第5番、第7番「南極交響曲」の4曲が最も人気のある作品だろうが、それ以外の作品も親しみやすい中にもシーリアスな内容を持った優れたものなので、ここでは全集として取り上げたい。

ボールトの全集録音はヴォーン・ウィリアムズ交響曲にあたっての犒法瓩里茲Δ並減澆澄

堅苦しいという意味での比喩ではない。

主だった国の憲法を眺めてみるといい。

そこにはどれほど人間が今日到達した英知が記されていることだろう。

そういう意味でボールトのヴォーン・ウィリアムズは尊重されなくてはならないし、あらためて聴けば聴くほどに毅然とした佇まいに感銘を受ける。

音楽を「あるがまま」に語らせるい彼のスタイルは第4番では少し激しさに欠けるかもしれないし、《南極》ではやや雰囲気に乏しい。

しかしこれらも含め、端然とした演奏にもやはり深い作品への温かな共感がうかがえる。

80歳前後の頃の録音だが、音楽の流れは瑞々しく活力がある。

ボールトは無骨ともいえる重厚な表現で、エルガーの流れを汲むスケールの大きい交響曲の世界を引き出している。

エルガーの場合とは異なり、より精緻なニュアンスを求めたくなる場面も多々あるが、抑揚の大きいドラマティックな表現は、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲のシーリアスな面を抉り出す結果になり充実している。

ヴォーン・ウィリアムズはボールトのリハーサル、本番にしばしば立ち会い意見を語り合い、公私とも深い絆で結ばれていた。

ボールトの頭の中には、ベートーヴェンの交響曲と同様に9曲のスコアの隅々までが、作曲家の肉声とともに収まっていた。

ただ録音年代がばらばらなのと3つのオーケストラが使用されているため全体として統一感に欠ける部分があるのが残念だ。

それでもスタンダードな全集であることは間違いない。

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classicalmusic at 10:29コメント(0)ヴォーン・ウィリアムズ 

2021年12月20日


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個人的にはレギュラー・フォーマット盤10枚は割愛しても良かったと思うが、これからクーベリック演奏集のコレクションを始めたいという入門者にとってはリマスター盤のリリースは朗報だろう。

いずれにしても過去の名演奏家の記念碑的なコレクションは、ハイレゾによる音源のみの配信よりも、形として残るハード・メディアの方がまだ支持されることを熟知した企画と思われる。

同音源による従来盤CDとブルーレイ・オーディオを抱き合わせにするアイデアは専用の再生機器の普及状況に合わせたストラテジーだろう。

ただここで注目されるのは当然音質の変化なので、ブルーレイ・オーディオを聴き比べた感想を書いてみることにする。

同セットに組まれているCDと聴き比べると歴然としているが、DSDリマスタリングによるブルーレイ盤では解像度が俄然アップした。

そのために弦楽部は勿論フルートやオーボエなどのオーケストラのそれぞれの楽器の音像のディティールの違いが明瞭に感知できる。

レギュラー・フォーマット盤では音量が嵩上げされているが雑味も混入している。

ブルーレイではその点がすっきりして濁りや余計な音場の拡がりがなく、圧倒的な情報量のためか滑らかでより自然な音色が得られている。

同じ音量で鑑賞するとブルーレイの方が僅かにコンパクトに聞こえるが、ボリュームを上げると精緻な音質が破綻なく拡大される。

この差は明らかだ。

独アウディーテ・レーベルからクーベリックのマーラー・ライヴ・シリーズが出て久しいが、ようやくこの指揮者のマーラー演奏に注目が集まってきた状況下ではある。

それにしては指揮者クーベリックとバイエルン放送響とによる「マーラー/交響曲全集」(DG盤)が、いくぶんなりとも等閑視されすぎているのではないだろうか。

この全集は、1967年から71年にかけてつくられたもので、マーラーの全集盤のなかでは最も初期に属するもののひとつである。

その点でも意義があるのだが、内容的に言っても充分すぎるほど充分に現在でも通用するものである。

クーベリックという指揮者は、決してサービス精神にあふれるというタイプではないものの、ややもすると地味に見えがちなそのたたずまいの内には、伝えるべき多くの事柄を秘めており、いつも中味の濃い演奏をつくりあげていて、決してルーティン・ワークになってしまうことがない。

きちんとした構成力と、力強く、落ち着きのある表現とで、全体を堂々とまとめあげている。

マーラーの音楽再現にぜひとも必要な複雑な要素に対しても、クーベリックは余裕をもって応じきっており、危うさがない。

この作曲家の理解にはロマン主義者であるとともに現代人であるという二元性が必要なのだが、クーベリックの演奏はその二元性をうまく釣り合わせているのである。

全10曲の交響曲を通して、特にどれがすぐれているということはないものの、弱いものはひとつもなく、いずれも水準が高く、安心して聴くことができる。

今日の若い指揮者たちのマーラー演奏でよく見かけるような、表面上は整然としているものの、中味はなんにもないといったものとはおよそ正反対に位置している演奏内容だ。

各部が精密で動きの明快な「復活」、複雑な音構成の処理の鮮やかな「第3」、旋律に左右されずに抑制した表現の「第4」、「第8」の構成力、「第9」の個々の楽章の多彩な表現などにクーベリックの特徴が出ている。

マーラーの音楽と真摯に取り組もうとする聴き手には、ぜひとも注目してもらいたい全集である。

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classicalmusic at 09:20コメント(0)マーラークーベリック 

2021年12月17日


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マリヤ・ユージナ[1899-1970]はタチアナ・ニコラーエワ、マリヤ・グリンベルク、ローザ・タマルキナなど個性派揃いのロシアの女流ピアニストの中でも突出した人物として知られている。

哲学や文学・美術に通じ、ドイツ語、フランス語、ラテン語にも堪能で、しばしばエキセントリックとも言われたユージナは、バッハやベートーヴェン、ブラームス、シューベルト、モーツァルトなどドイツ・オーストリア音楽を得意とする一方、20世紀作品もよくとりあげていた。

イギリスのスクリベンダムから登場したセットは、26枚組という大規模なもので、ユージナの個性的な演奏を一気に手軽に楽しめるのが朗報だ。

録音年代は1947年から1970年の23年間、初期のものには音質の良くないものも多く含まれているが、演奏の個性は十分に伝わってくる。

ユージナの若い頃は、ソ連政府はモダニズムやアヴァンギャルドにも協力的で、音楽、演劇、美術、文学などさまざまな作品が登場していた。

中でも音楽は、プロパガンダ活動の一環として、国外からもさまざまな音楽家を招聘、ヒンデミットやバルトーク、ストラヴィンスキー、シェーンベルク等々、のちに禁止されることになる作曲家の作品を多数とりあげていた。

特にユージナの暮らしていたレニングラードでは、その規模もかなり大きなものとなっていた。

ソ連建国の1922年からヒトラー内閣誕生直前の1932年にかけて、レニングラードには、ドイツを中心に国外から数多くの指揮者が客演。

レーニン/スターリンの社会主義プロパガンダの一環ということもあってか、その人選は非常に豪華であった。

フリート、クレンペラー、アーベントロート、シュレーカー、モントゥー、ワインガルトナー、ミヨー、ワルター、クライバー、カゼッラ、アンセルメ、クレメンス・クラウス、オネゲル、ツェムリンスキー、クナッパーツブッシュ、ブッシュ、ターリヒなどすごい顔ぶれ。

さらにソ連の指揮者・演奏家も活躍し、20代なかばだったユージナの弾くバッハを聴いたクレンペラーは深い感銘を受けたと語ってもいた。

「私の人生において、太陽のように崇めるピアニストは3人いた。ソフロニツキー、ネイガウス、そしてユージナだ!」と語るリヒテル[1915-1997]は、ユージナについて「常識を逸脱し尋常ならぬ芸術家」と評した。

宗教弾圧下でありながら、演奏会で十字を切るという振る舞いに呆れながらも、彼女のバッハやベートーヴェン、ブラームス、ムソルグスキー、シューベルトなどの演奏を称える一方、表現された音楽は作曲家のものではなく、まさにユージナそのものであるとも述べていた。

ユージナの葬儀では、リヒテルがユージナから褒められていたというラフマニノフを演奏するなどしていた。

以下、リヒテルがユージナの演奏について語った言葉である。

■バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第22番 →「グールドもユージナに較べればかわいいものだ。」

■モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番、シューベルト:即興曲変ロ長調、ブラームス:間奏曲イ長調(Op.118-2) →「彼女のあとに弾く気にはなれない。弾いたらみっともないことになる。」

■リスト:バッハのカンタータ『泣き、歎き、憂い、怯え』の主題による変奏曲 →「天才的な演奏だった。とどろきわたるのではなく、心に染みいるような演奏で、ピアノ曲というよりは、ミサ曲を聴いているようだった。ユージナはまるで儀式を執り行っているようにピアノを弾いた。祝福するように作品を弾くのだ。」

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classicalmusic at 09:34コメント(4)バッハリヒテル 

2021年12月15日


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質実剛健なドイツ的スタイルで知られる巨匠、ハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900-1973)の代表的名演。

並みいる大家の存在、覇を競う名指揮者群像のなかにあって、ベートーヴェンの交響曲及びピアノ協奏曲全集(ピアノはバックハウス)をウィーン・フィル(戦後初の同オケの全集)と録音したのは先に述べた通り。

第2次世界大戦後に北西ドイツ放送交響楽団(1956年から北ドイツ放送交響楽団)の設立を任され、1971年までその任に当たり、このオーケストラの地盤を固めただけでなく、ドイツ有数のオーケストラの一つとしての名声を獲得させるのに成功した。

特にブラームスの作品は、シュミット=イッセルシュテットの得意のレパートリーの一つであり、ここに収録された北ドイツ放送交響楽団との交響曲全集も、名演奏の誉れの高いものである。

付属的にハイドンの主題による変奏曲や大学祝典序曲、運命の歌、デッカによってセッション録音された7曲のハンガリー舞曲が組み合わされているが、悲劇的序曲は収録されていない。

また、交響曲第1番は1967年の録音ながらモノラル方式での収録である。

ハイドンの主題による変奏曲も、1962年の録音ながらモノラルでの収録だが、疑似ステレオ化されている。

その演奏は、往年の名匠たちのような大言壮語な演奏ではなく、音楽の流れを損なわないような自然体を貫く。

しかし、メリハリをつけるところはしっかりつけているので、音楽の印象がぼやけることはない。

疑似ステレオ化された交響曲第1番とハイドンの主題による変奏曲は、少々不自然な音響が感興を削ぐが、シュミット=イッセルシュテットの芸風の真っ当さは味わえる。

交響曲第2番と第3番はライヴ録音ならではの高揚感があるものの、シュミット=イッセルシュテットが暴走しないように目を光らせており、しっかり格調を保っている。

特に第3番は憂愁の響きをしつこく追いかけるのではなく、比較的あっさりと流すことによって微妙なコクを作り出しているのが印象的。

大学祝典序曲は、シュミット=イッセルシュテットのおおらかな芸風と曲想がマッチして楽しい演奏に仕上がっている。

交響曲第4番は亡くなる1週間ほど前の演奏ということで、彼の最後のステージでの演奏を収録したものになる。

この頃には、このオーケストラの名誉指揮者となっていたが、シュミット=イッセルシュテットの一挙手一投足にしっかりついていくような緊張感があり、何ら特別なことをしていないにもかかわらず、じわじわと感動させる魅力を放っている。

ハンガリー舞曲も、チームワークで作る音楽の美しさを考えさせる演奏だ。

運命の歌は、オーケストラ付属の合唱団との1971年の録音だが、オーケストラと合唱が混然一体となり、よく練り上げられた音楽に仕上がっている。

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classicalmusic at 11:33コメント(0)ブラームス 

2021年12月14日


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ソヴィエト連邦が崩壊後、情報公開の波に乗ってさまざまなロシアの幻のピアニストの録音が紹介され、多くの素晴らしいピアニストたちの全貌が明らかになってきた。

1908年生まれで78年に没したマリア・グリンベルクもその一人で、もし西側で活躍していれば間違いなく最高の女流ピアニストに数えられていただろう。

ロシア帝国末期にオデッサに生まれたマリヤ・グリンベルクは、激動のロシア革命を生き抜き、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ時代のソ連で過ごしたロシアン・ピアニズムの大御所。

しかし、彼女の一生は苦難の連続で、父や夫はソ連当局によって逮捕され死に追いやられる。

イギリスのスクリベンダム・レーベルから登場したボックスは、グリンベルクの重要な録音を集めたもので、ロシア物に強い同レーベルならではの凝った内容。

得意のベートーヴェン全集録音と別録音のほか、バッハ、スカルラッティからバルトークやルトスワフスキ、ヒンデミット、カバレフスキー、ロクシーン、ワインベルクなどの近現代作品に至る様々な時代の作品を収録。

スクリベンダム・ボックスのデザインは、グリンベルクの故郷オデッサをモチーフに美麗に仕上げたものだ。

ポチョムキン階段から船と鉄道を臨む視点は、オデッサの歴史を考えると意味深でもあり、外に向かって開かれたオデッサのイメージに、ポチョムキンの「赤い旗」、そして「グリンベルクの顔」の織り成す不思議な感覚が面白い。

ソ連随一と言われていたグリンベルクのベートーヴェン演奏は、ゲンリフ・ネイガウス[1888-1964]が絶賛していたほか、かのラザール・ベルマン[1930-2005]も教えを請いに来るほど見事なものであり、LPで全集セットを贈られたショスタコーヴィチも感激していたそうだ。

グリンベルクはもともとベートーヴェン演奏に適性があったようで、イグムノフに師事していた学生の頃にも『熱情ソナタ』第1楽章展開部の第2主題の扱いをめぐって師と激論を戦わせ、最終的にはイグムノフがグリンベルクの方法を認めることになるなど、そこにはすでに大きな説得力も備わっていたようだ。

そのグリンベルクが一気にベートーヴェンに開眼するきっかけになったのが、それから少し経った1935年、27歳の時に接したアルトゥール・シュナーベルのモスクワ公演だった。

シュナーベルのベートーヴェンに接して「私のなかのすべてがまたたく間に燃え上がったのてす」と語るグリンベルクは、それまでに習ったロマンティックなベートーヴェン演奏をリセットし、構築的で論理的なスタイルを強い集中力で実現するようになる。

数々の圧政の中で生き抜いてきたこのグリンベルクの弾くピアノは実に強靭で逞しく、そして慈愛に満ちた両面がある。

筆者が愛聴するシューマンの『交響的練習曲』で前者の、『子供の情景』で後者の豊かなファンタジーを聴かせている。

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classicalmusic at 12:20コメント(0)ベートーヴェンシューマン 

2021年12月11日


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デニス・ブレインのセット物は1997年にMIからリリースされた『デニス・ブレインの芸術』13枚組があったが廉価盤ではなく、また限定版だったためか廃盤になって久しい。

その後ヴェ二アス・レーベルからこれまででは最多の20枚組が出て、収録曲の多さでも他を凌駕している。

今回のワーナーのセットはCDにして11枚分だが、世界初出音源が2曲、初CD化が6曲ほど収録されていてファンには良いコレクションになるだろう。

ちなみに初CD化されたのはヘンデルのトリオ序曲HWV424、アリアHMV410,411、R.シュトラウスの13の木管楽器のための組曲Op.4、リチャード・アーネルの10の木管楽器とコントラバスのためのセレナーデ及びノーマン・フォーバー・ケイの木管楽器のためのミニアチュア・カルテットで、世界初出音源はヴァンサン・ダンディのシャンソンとダンス。

尚上記の曲はヘンデル以外はステレオ録音になる。

デニス・ブレインのホルン演奏は、卓越したテクニックもさることながら、その音色の朗々たる美しさには際立ったものがあり、どこをとっても技巧臭がせず、コクのある豊かな情感が込められているのが素晴らしいと言える。

旋律の歌い方もごく自然であり、演奏全体のスケール雄大で、線の細さなどいささかも感じられない骨太の音楽が構築されていると言っても過言ではあるまい。

ブレインの王道的な奏法はヴィブラートをつけない直線的なロングトーンにある。

それは管楽器の最も基本的なテクニックだが、音程が比類なく正確で安定しているためにシンプルな表現の中に冒しがたい気品を感じさせ、音楽も決して脆弱にならない。

ペタルトーンから高音に至る滑らかな音色と全く難易度を感知させない余裕は、まさにホルンの貴公子に相応しい。

おそらく彼以上に飾り気のない純粋無垢な音楽性でホルンを聴かせる奏者は現在でも稀だろう。

彼の演奏の特色は、一瞬の隙も残さない極めて精緻な表現でありながら、それでいて明るく屈託の無い開放的な音色にある。

ホルンの演奏技術はブレイン以降格段に進化しているはずだが、ブレインの音楽性を凌駕する名手はいないようである。

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classicalmusic at 10:37コメント(0)ブレイン 

2021年12月09日


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デッカ創立90周年、ハイティンク生誕90周年記念に合わせて発売されたマーラー交響曲全集ブルーレイオーディオ盤で、アビー・ロード・スタジオでオリジナル・アナログ音源から24ビット/96kHzリマスタリングされているだけあって従来盤に比べて確かに音質向上が認められる。

1962年9月から1971年9月までの9年をかけて録音されたこの全集は、奇を衒わぬハイティンクの正統的な解釈と、オーケストラの技術水準の高さ、そしてセッションがおこなわれたアムステルダム・コンセルトヘボウの響きの良さを素直に収録した音質面での魅力もあり、マーラー作品を知るためのスタンダードな演奏として長く愛好されてきたものだ。

ハイティンクはその後、いくつかの作品で再録音もおこなっているが、たとえば第4番でのみずみずしい美しさや、第1番や第3番での率直で推進力に富むアプローチの魅力が減ずることはないだろう。

この全集は1972年度のフランス・ディスク大賞、同年のオランダ・エジソン賞を受賞しており、欧米では現在もたいへん高い評価が与えられている。

1962年にはハイティンクが国際マーラー協会の名誉会員に推薦されており、1971年に国際マーラー協会から金メダルを贈られている。

我が国におけるハイティンクの評価は、大器晩成型と評され、1980年以前の録音はあまり評価が芳しくないようだ。

しかし、上記のように、ヨーロッパでは既にハイティンクのマーラーには定評があるのだ。

ほぼ同時期に完成されたバーンスタインの「刺激的」なマーラーに対して、ハイティンクのアプローチはより音楽的で美しい。

なめらかに流動する充実感の強い音楽で、構成的にも隙がない。

ハイティンクは、オーケストラのすぐれた技巧を生かしながら、マーラーの表現を透明に表すことにすべてを捧げている。

緻密なアンサンブルもマーラーの場合は必須のものといえるが、その点でも申し分ない。

コンセルトヘボウ管という、メンゲルベルク、ベイヌムが手塩にかけて育んだ素晴らしい音楽性を持つオーケストラの感性豊かな魅惑的な演奏と共に、ハイティンクはこのマーラー全集でも全く見事な音楽的純度の高さを示している。

たった一度だけ聴くのなら、他の録音の方が耳に残るかもしれない。

しかしこのハイティンク盤は、聴けば聴く程にその味わいを増して行く。

派手な「香辛料」も「添加物」も加えていないハイティンクの演奏は、それ故に対位法的バランスの良さと、その内に込めた内的共感の高さで我々を魅了する。

この一組は、マーラーにゆかりの深いコンセルトヘボウでの録音ということでも、長くその価値を失わないに違いない。

近年コンセルトヘボウは近年指揮者と楽員のグローバル化で、個人的なテクニックやアンサンブルの力量ではヨーロッパ最高峰のオーケストラになったが、彼らが伝統的に持っていた良い意味でのローカル色が失われつつあるのも事実だろう。

その意味でもこのマーラー交響曲全集には彼らの最も象徴的な時代の記録が刻まれていると言えるのではないだろうか。

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classicalmusic at 12:32コメント(0)マーラーハイティンク 

2021年12月08日


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1960年、リヒテルのアメリカ・デビューに際してRCAがセッション録音したベートーヴェン作品を集大成した2枚組。

シャルル・ミュンシュとボストン交響楽団のサポートによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は、明るくメリハリのあるオーケストラと、当時45歳でアメリカ・デビューを華々しく飾ったリヒテル壮年期特有の覇気に満ちたダイナミックな表現が堪能できる。

ミュンシュの指揮ともども構えの大きなアグレッシヴな演奏が聴きものだ。

ミュンシュの表現が常にそうであったように、この作品でもベートーヴェンの音楽を内側に凝縮させるというよりも、逆に外側に向かってエネルギーを発散させるような開放的で、生命力にあふれた解釈が特徴だろう。

ベートーヴェン初期の曲としての性格と、この時期のリヒテルの演奏スタイルも相性が良く、現在鑑賞しても決して時代を感じさせないフレッシュな魅力を持っている。

ミュンシュとリヒテルの双方にも一期一会の雰囲気があり、独特の緊張感が伝わってくるのも事実だ。

ただミュンシュと違う点は、リヒテルは音楽の流れに任せて即興的に弾くタイプのピアニストではなかったことだ。

このディスクにカップリングされている11月下旬にニューヨーク、ウェブスター・ホールでRCAのセッションで収録された「熱情」「葬送」を含むピアノ・ソナタ3曲は、10月のカーネギー・ホールのデビュー・リサイタルで弾いてセンセーションを巻き起こしたリヒテルお得意のレパートリーである。

3曲のピアノ・ソナタでも彼のヴィルトゥオジティを発揮した華麗な表現を聴かせてくれる。

それでいて骨太で綿密な音楽的ビジョンが明確に感知される優れた演奏で、後年の内省的な世界を予期させるものがある。

特に「熱情」におけるダイナミズムの幅広いドラマティックな表現は、このソナタの極限の一つだ。

いずれもRCA所蔵の3chオリジナル・アナログ・マスターを稀少なアンペックス社製デッキで再生した上でリミックスし、DSDマスタリングでSA-CDバイブリッド化されたものになる。

1960年の録音だが音質はクリアーで、僅かなテープ・ヒスを無視すれば臨場感にも不足していない。

2004年のJVCXRCD以来久々のリマスタリングで、1960年代のアメリカ録音ならではの野太いながらも繊細なサウンドが蘇っている。

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classicalmusic at 11:40コメント(0)リヒテルミュンシュ 

2021年12月07日


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カルロ・マリア・ジュリーニは1978年から81年にかけて、ロサンジェルス・フィルとベートーヴェンの3曲の交響曲、都合CD2枚分を録音した。

第3番変ホ長調『英雄』とシューマンの『マンフレッド序曲』をカップリングしたのが当ディスクで、もう1枚が第5番ハ短調『運命』及び第6番ヘ長調『田園』になる。

いずれもジュリーニ60代の円熟期を迎えた堂々たる演奏で、オーケストラを自在に統制した、細部まで思い通りに仕上げた緻密さ、それでいて息苦しくならない流麗な音楽性が溢れた見事なセッションだ。

ジュリーニの演奏は一言で表現すれば、がっちりとした楷書体の枠組みを旋律を土台としながら滑らかに繋ぎながら歌い込んでいくスタイルである。

その完成度が最も高かったのが1970年代から1980年台の前半であり、このディスクもその時期の代表盤のひとつだろう。

テンポは遅いが緊張感が途切れることは決してなく、この曲の構築性を浮かび上がらせてくる当演奏は深い感銘を与えるもので、20世紀後半の『英雄』の名盤のひとつたりえるものだろう。

若い頃の覇気は影を潜めたが、決して勢いが失われたわけではなく、音楽的な深みが聴く者を引き込んでいく。

テンポの設定は非常に落ち着き払っていて、『英雄』ではほぼ一時間を要している。

しかし音楽設計は手に取るように明らかで、第1楽章の壮観な構成力、第2楽章の葬送行進曲の長さに負けない美しさと緊張感の表出は、如何にもジュリーニらしい。

シューマンの『マンフレッド序曲』は特有の渋さがあり、独立して演奏する管弦楽曲としては、それほど輝かしく効果的でもないが、こうした作品にもジュリーニならではの劇的な手法が生かされている。

こけおどし的なダイナミズムは一切なく、ほの暗い音色の中にも濁りのない独自のシューマン像を描き出している。

彼はロサンジェルス・フィルハーモニックに音楽監督として1978年から84年まで務めている。

オーケストラとの信頼関係も良かったためか、一糸乱れぬ統制と自在な音楽性を紡ぎだすことに成功している。

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classicalmusic at 12:10コメント(0)ジュリーニベートーヴェン 

2021年12月06日


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1963年の録音で、レナータ・スコットの歌唱表現が面目躍如の『ラ・トラヴィアータ』だ。

筆者は幸い彼女の舞台を実際に観ることができた。

またオペラ引退後もイタリアでのコンサートやリサイタルでも彼女の衰えない豊かな表現力を堪能することが歌手の1人である。

現在87歳であるが、コロラトゥーラ・ソプラノとしても稀有の存在だったと言えるだろう。

ヴェルディのオペラの中でも『リゴレット』と『ラ・トラヴィアータ』はコロラトゥーラのテクニックが要求される。

更にドラマとしての声楽的な表現が充実していないと技巧だけが前面に出て浅はかな印象に陥りがちだが、そのあたりのスコットの力量は流石だ。

また当時の瑞々しい声の魅力と超高音でも自由自在にコントロールする余裕は、このオペラの醍醐味だ。

同時代のクラウス、バスティアニーニと組んだ『リゴレット』、ディ・ステファノが加わる『ルチア』と共にお薦めしたい。

アルフレード役のジャンニ・ライモンディはイタリアの典型的なリリコ・スピントの歌手である。

往々にして激情的な表現になりがちだが、ここではヴォットーの巧みな指導で、ある程度抑制された、しかし澄み切った美声を披露している。

イタリアには犬とテノールがいると言われたが、当時のイタリアのテノールの層の厚さを感じさせる。

ジェルモン役はバスティアニーニだが、地方から出てきた、やや田舎者で老獪な性格と貫録は、まだ充分に出せていない。

ヴィオレッタとの長いデュエットと、その後の「プロヴァンスの海と陸」は美声の饗宴だが、役柄の上ではかつてのブルスカンティーニの方が上手い。

スカラ座管弦楽団を指揮するアントニオ・ヴォットーは、舞台作品には欠かせなかった指揮者の1人であった。

歌手達にはある程度の自由な声のためのスペースを与えながら、作品の本筋からは離れないように制御する腕は見事だ。

ふたつの前奏曲もシンプルで効果的だ。

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classicalmusic at 09:27コメント(0)ヴェルディ 

2021年12月02日


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ハンス・シュミット=イッセルシュテットは、古典派からロマン派全般にいたるドイツ音楽を得意としていたが、このベートーヴェンも解釈が首尾一貫しており、その意味でひとつのスタンダードを確立した集成である。

交響曲全集でも、重厚な響きでメリハリをきちんとつけた、端正な演奏をおこなっている。

力強くたくましい曲でもS=イッセルシュテットは、大上段に構えるような指揮はしないが、ベートーヴェンの交響曲でも自然な流れを大切にしながら、ウィーン・フィルの魅力を素直に引き出していて好ましい。

ウィーン・フィルの優美な音色と持ち前の演奏様式に、この指揮者のドイツ的明晰さと峻烈な気質が加わり、すべて中庸の解釈を示しつつも高雅で底光りするような音楽を聴かせる。

毅然とした北ドイツ風の厳しさを持ち、作品そのものに語らせようとした着実な表現である。

ウィーン・フィル独特の魅力的な音色ににドイツ的雄渾さを加えた演奏と言うべきだろう。

あまりにも古典主義的で均整のとれた演奏であるため、かえってベートーヴェンはこれだけではないという反発を感じるほどだが、ここまで徹底するともう立派としか言いようがない。

高雅にして晴朗、実に格調が高く、古典交響曲としてのベートーヴェン像が毅然としてそびえ立つ演奏だが、その均衡感の強い造形は適度の緊張感によって支えられている。

「演奏からできるだけ主観的なものを取り除き、作品そのものによって音楽を語らせる」と、S=イッセルシュテットは生前言っていたが、ハッタリや作為の少しもない、きわめて自然体の演奏である。

全体のバランスを大切にしながら、整然とまとめているのが特徴で、ウィーン・フィルを用いているだけに、音色の美しさも魅力のひとつだ。

同じドイツでも感興のおもむくままに指揮をするフルトヴェングラーのライヴ録音などとは対照的な位置にある。

きわめて古典主義的で格調が高く、しかも晴朗な表現の中に北ドイツ風ともいえる厳しさと克明さがあり、単に古典的な純粋性を志向した演奏とは異なっている。

よいバランス感覚をもった安定感のある演奏で、それぞれの楽章を丹念に磨きあげ、一点のゆるぎもない、しっかりとした音楽をつくりあげている。

ウィーン・フィル特有の美しい音色も生かされており、演奏としてのまとまりの良さは特筆できよう。

S=イッセルシュテットは古典ソナタ様式の究極ともいえる作品美を徹底しており、ある意味ではスタンダードとなり得る表現だ。

それはあらゆる面で中庸な解釈ともいえるのだが、その中庸は指揮者の非凡な音楽性と直結している。

ピアノ協奏曲全集におけるバックハウスはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。

飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。

しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れている。

全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。

その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。

イッセルシュテットの指揮も、バックハウスの意図をよく汲み取った名伴奏であり、ウィーン・フィルの優雅な音色を十全に生かしたもので、曲の美しさを改めて見直させる。

シェリングの数ある録音の中でも特にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は優れており、音楽性も高く、この曲のもつ美しさや魅力をたっぷりと味わえる。

シェリングのヴァイオリンはあらゆる意味で模範的と言えよう。

アクが強くなく、真摯な感情がこもっているので、曲の美しさや魅力がまっすぐに伝わってくる。

最も抵抗なく音楽の立派さ、美しさに浸れる名演だ。

とにかくシェリングはヴァイオリニストの存在をまったく忘れさせて、われわれを曲自体に結び付けることによって、音楽自体をたのしめるのである。

それを支えるのが、S=イッセルシュテットで、ハーモニーが立体的で立派さに打たれる。

シンフォニックな立体感は他のすべての指揮者を上回り、それでいて構えた硬さは皆無だ。

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classicalmusic at 17:13コメント(4)バックハウスシェリング 

2021年12月01日


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村上春樹氏は自己の内面と世界との関わり方についての指針を常に現在進行形で示唆を与えてくれる存在である。

そして彼が小説家としての生き方、世界との関わり方、モノゴトに対する姿勢の在り方たるや既成の価値観を常に打破し、進取の精神が感じ取れるのは今も昔も変わりがない。

もはや彼にとって必要なのは勲章ではなく、自らの内面世界の豊穣さを実り豊かな果実として後世に遺すことに腐心されているように思われるのは筆者だけであろうか。

拙ブログで個人的な読書の体験を余り書くことは余りないが、村上さんの著作から感知し得る音楽性、例えば小澤征爾氏との対談記事や文藝春秋誌にバイロイト初体験レポートなど身近な存在になったのは比較的最近のことだ。

現在では筆者も村上さんの全著書、更には翻訳家としての知られざる(特に米文学)を読まずにはいられないほどの村上主義者(かれはハルキストと呼ばれるのを嫌う)の一人となる。

村上さんがジャズのみではなく、かなりのクラシック音楽に造詣の深いひとだということが彼の長編小説全体にモチーフとして散りばめられていることは有名で、次々と発売されてきた長編小説作品が全く他人事とは思えなくなり、内面の王国を築く上で欠かせぬ滋養であったことをもう疑いの余地がない。

そんな村上さんが『意味がなければスウィングはない』で、当時誰も注目していなかったシューベルトのピアノ・ソナタ第17番に的を絞って同曲異演盤を独自の視点で徹底的に深掘りしていたのも今思えば懐かしい。

さらにはプーランクについてかなり高度なクラシック音楽鑑賞をされているのを読み、それが何とも言えないノスタルジアを覚えたものだ。

常に次第の先端を自らトップランナーとして走り続けた彼ももはや(何と時の流れるのがはやいことか!)、年齢的に自らの歩みを振り返ってもおかしくはない。

そんな村上さんが初めてクラシック音楽のみのガイドブックを最近発表されたのには思わず快哉を叫びたくなる。

ここではもはやLPでしか音楽を聴かないという今日的な姿勢からは作曲家の時代もとうに終焉し、演奏芸術が虚業となり果てた現状に鑑み、もう一度不滅の巨匠に新たな豊饒の海を見出そうというスタンスに何だか運命の絆に結ばれているかのような夢のような話だ。

既に音楽評論自体が壊滅し、現代人としての視点からクラシック音楽への愛着の源泉を自らの豊かなディスコグラフィーに絞り込まれ過去のLPからはむしろ自明の理というか音楽業界全体の確実に衰退を自覚されておられるかのようですらある。

筆者自身も拙ブログで既に現在のクラシック音楽を取り巻く状況に限界を感じ、過去の巨匠にばかり目を向けてしまう。

懐かしいとしか言いようのない村上さん所有のLPのジャケットが掲載された外装からしてノスタルジックな雰囲気が漂い、かつてポスト・モダンと称された村上ワールド全開。

その円熟した語り口に接するに現在の筆者自身と世代は違うにせよ同じ土俵で究極のオアシスと癒しの場を提供された本著に感謝の念しかない。

ともかく20世紀録音芸術の真髄を知る者にとっては欠かせない総括的書物となると言えるが、村上さんの現在到達された境地に同時代人として共感させられずにはおかない内容だ。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)筆者のこと芸術に寄す 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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