2022年01月

2022年01月29日


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シルヴァン・カンブルランと読売日本交響楽団が2017年に行った、メシアンの長大なオペラ『アッシジの聖フランチェスコ』の全曲版国内初演ライヴが嬉しくもSACDシングルレイヤー化された。

読響創立55周年記念として行われ、「音楽の友」誌の企画〈コンサート・ベストテン2017〉第1位に輝いた伝説的公演である。

さらにこの年、読響は〈第49回(2017年度)サントリー音楽賞〉、〈第30回ミュージック・ペンクラブ音楽賞〉も受賞しており、この『アッシジ』公演が大きな要因となったことは間違いない。

さらに2018年度レコードアカデミー賞「特別部門 / 歴史的録音」を受賞した。

2010年4月から3期9年に及び読響の常任指揮者を務め、2018年度で最後の年を迎えたカンブルランが日本演奏史に刻んだ大いなる偉業をぜひお聴きいただきたい。

メシアン畢生の大オペラ『アッシジの聖フランチェスコ』は9人のソロ歌手、40近い打楽器、10パートからなる合唱など破格の規模の編成で、演奏時間も4時間を優に超える作品。

休憩をはさんだ当日の公演時間は5時間半に及んだ。

オンド・マルトノが3台必要というのもメシアンらしく、まさに規格外の内容であり、まさにこの作曲家の最大傑作である。

国内ではこれまで抜粋版が演奏されるにとどまり、遂にその全貌が楽しめるとあって演奏会は大変な話題となったところだ。

カンブルランはメシアンの管弦楽作品の体系的な録音を残しているメシアン音楽のスペシャリストである。

彼は読響とも『トゥーランガリラ交響曲』や『彼方の閃光』を取り上げ名演を聴かせてきた実績がある。

この『アッシジの聖フランチェスコ』も作曲家と作品への深い理解に裏打ちされた稀代の名演だ。

演奏会形式での上演であるが、それゆえに音楽を語ることに集中した演奏が繰り広げられており、時に瞑想的なまでの作品の真価がひしと伝わってくる。

まばゆく響き渡る鳥たちの歌を描いた第6景の複雑かつ壮麗な場面も鮮烈。

ALTUSレーベルの録音はカンブルラン本人も信頼を置く優れたもので、メシアンならではの輝かしい音響を見事に捉えている。

解説書には楽曲解説・歌詞対訳はもちろんのことカンブルランのインタビューなども収録しており充実の内容を誇る。

ネット配信、海外盤を含めてもなかなか音源が手に入らない『アッシジの聖フランチェスコ』における大変貴重な全曲盤である。

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classicalmusic at 20:19コメント(0)メシアン 

2022年01月27日


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巨匠の戦後初のオペラ公演は、1947年、楽壇にカムバックを果たし、意欲満々の巨匠がドイツのオケを振っての《トリスタン》だった。

残念ながら第1幕は原盤が欠落 (録音機材が不調で収録できなかったとの説もあり)、第2幕、第3幕も一部はカットされているが(計3か所、24分間ほど)、それぞれ66分、68分の収録時間。

有名な「愛の二重唱」から「愛の死」の終結シーンにいたるまで音楽の主要部は収録されている。

音質は録音年を考えればきわめて良好!

トリスタン、イゾルデ、マルケ王の主要三役をドイツ人で固めた歌唱陣の充実ぶりもさることながら、何よりも特筆すべきはフルトヴェングラーの指揮!

後年フィルハーモニア管弦楽団を振っての有名なEMI全曲録音をも凌ぐ、オーケストラ・コントロールの完成度の高さ!

緊迫感に満ち、すさまじいまでの官能と情念の世界が繰り広げられている。

1984年、世界初出LPとなった伊チェトラ盤は、ミラノ、ディスコス社制作のこの音源をキングレコードは同年に国内発売した。

CDは91年にチェトラ輸入盤を国内仕様で発売したが、マスターテープはキングレコードの倉庫に眠ったままだった。

今回、このアナログテープから初のCD化、日本語解説書 (岡俊雄、浅里公三、両氏のライナーノーツ)付、歌詞対訳はホームページ(キングレコードWebサイト)に掲載 (カット箇所も明示)している。

さらにボーナストラックとして、同日の上演前のリハーサル風景の音源を収録されており、同一音盤に集められるのは世界で初めてとなる。

後年のセッション全曲録音(1952年)はオケがドイツの団体でないことを考えれば、この記録の価値は増大する。

事実、そのオケ(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)が素晴らしい。

繊細で雄弁なニュアンス、劇的な緊迫、重量感、後年以上であろう。

この演奏には少なからぬ感銘を与えられた。

その最大の理由は、フルトヴェングラーの指揮がとくに素晴らしいというほかはないオーケストラ・コントロールである。

多分、ピットにマイクを立ててあると思われるほど、1947年録音としてはオーケストラの細部がよくとらえられており、そのオーケストラが歌手の表現を見事にカヴァーしているのである。

ワーグナーの楽劇において、オーケストラの重要さを説いたフルトヴェングラーの見解はいろいろな文献に見られる。

その代表的な例はカルラ・ヘッカーの《フルトヴェングラーとの対話》のオペラの章などである。

ドイツの楽壇に復活したフルトヴェングラーの精神的な昂揚が、オーケストラの細部の息づかいにまで、一瞬の緩むところもなく張りつめており、筆者の耳には歌い手以上にオーケストラが本当の主役であるかのようにきこえた。

きいているうちに、歌手への不満はほとんど気にならなくなってしまったほどである。

第2幕では、トリスタンとイゾルデは夜の闇にまぎれて逢い引きする。

きわめて遅いテンポで奏される抒情的な部分は、単に陶酔的、耽美的なだけではなくて、どうしようもない悲哀を湛えている。

むしろ、悲しみのほうが愛の悦びに勝るほどだ。

こんなに悲しい《トリスタン》は他にはないだろう。

そして、悲しければ悲しいほど、ふたりの人間が声を合わせて歌うという行為が至上の幸福と見えてくる。

もはや《トリスタン》は巷間言われるようなエロティックな禁断の愛の物語ではなく、運命の物語になっている。

筆者が好きだった《トリスタン》の録音(カール・ベーム&バイロイト祝祭管弦楽団かクライバー&シュターツカペレ・ドレスデン)など他の名盤ではこれがわからなかったのだ。

両者とも、速めのテンポで非常に劇的に、生々しく、このドラマを表現していた。

以前の筆者にとっては、これらの演奏が持つ直接的な熱狂や切迫感がリアルに思われた。

人と人が出会ってしまうことの悲しみや恐ろしさをわかっていなかったのだ。

そうやってどうしようもない悲哀にたっぷりと浸されたあとで、音楽の表情が変わり、「それなら、死のうか。別れることなく永遠にひとつでいるために」という台詞が覚悟もて歌い出される。

その部分の衝撃、オーケストラのぞっとするような不気味さ、そしてその不気味さがじわじわと恍惚へと移り変わっていくさまの誘惑と危険、幸福と不幸、高貴と破廉恥。

筆者は今回、ここをききながら、大げさでなく身震いするような思いを味わった。

もしかして、ここでトリスタンとイゾルデが上りつめていくエクスタシーは性愛的なものであると同時に、運命を自ら受け入れてしまったことの歓喜ではあるまいか。

第3幕最後、「イゾルデの愛の死」がまた格別である。

侍女が「イゾルデさま、私たちが言っていることが聞こえていますか?」と尋ねる。

それを伴奏するオーケストラは、イゾルデがもはやこの世の人間ではないことを示している。

形容しがたい弱音から、「愛の死」の浄化された音楽が始まる。

フルトヴェングラーのゆっくりめの速度を心から美しいと思う。

音楽が人を興奮させるのではなく、いっしょに呼吸するような時間を貴重だと思う。

オーケストラの音がしっとりとしており、まさに身体にしみこむような妖しい感触なのだ。

以前はそれほど好きな演奏ではなかったが、時の流れのためなのかどうか、今やこの演奏は魅力的という言葉では足りないくらい、異様な力強さで訴えかけてくるようになっているのである。

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classicalmusic at 09:11コメント(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

2022年01月25日


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1963年制作でモノクロ作品ながら、皮肉にもそれがこのオペラ(メノッティ自身はミュージカル・ドラマと名付けている)の陰鬱さを助長している。

ルドルフ・カルティエ監督による演出は一見陳腐に見えるかも知れないが、彼の非凡さは随所に取り入れられている心理描写的な手法だろう。

例えば秘書がお役所仕事として人々に応対する時には常に無表情を装うサングラスをかけているがこれは一種の仮面で、彼女の人間的な心情が吐露される後半ではそれが外される。

この映像で見られるセットは必要最低限のシンプルなものだが、人間性とは裏腹な指定された書類だけが重要視される領事館という異質で空虚な空間を具現している。

作品のタイトルである領事は劇中一度も姿を現さないが、彼の演出ではシルエットのみでイメージさせている。

反政府活動家の夫を逮捕され、母も息子も失ったマグダがガス自殺を図る最後のシーンに出てくる幻影では、マジシャン、ニカ・マガドフに率いられてゾンビと化した人々が踊るワルツも独特な印象を与えている。

歌手のキャスティングでは当時着実にキャリアを積んでいたバリトン、エバーハルト・ヴェヒターによる主人公ジョン・ソレルと彼の妻マグダ役のソプラノ、メリッタ・ムゼリーの歌と演技が注目される。

秘書のグロリア・レーン、秘密警察のウィリー・フェレンツ、マジシャンのラスロ・セメレなど芸達者な脇役陣を揃え、更にかつてのプリマ・ドンナ、リューバ・ヴェリチュがイタリア人の女役で登場している。

オリジナル・スコアは英語で書かれているが、この映画はウィーンで制作されたドイツ語版ということでも唯一のサンプルだろう。

画面には出てこないが、オーケストラはフランツ・バウアー=トイスル指揮、ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団が演奏している。

かなりの難曲で音質も時代相応のモノラル録音だが、職人的に手堅くまとめられている。

イタリアからの移民でアメリカを拠点に活動したメノッティの作品は、やはりイタリア・オペラとは切り離せない作風を示している。

この『領事』もモダンで斬新なオーケストレーションにアリア、重唱、アンサンブル・フィナーレなどの伝統的エレメントによって構成されている。

リージョン・フリーで字幕スーパーは英、仏、西、伊、日本語が選択できるが、ドイツ語による作曲者への短いインタビューの字幕は英語のみ。

日本語字幕については一部セリフにつじつまの合わないところがあるが概ね良好。

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classicalmusic at 19:51コメント(0)映画 

2022年01月23日


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もう長らく読んでいないレコード芸術誌だが、2021年度レコ芸アカデミー賞特別部門歴史的録音にブーレーズ&N響の《バイロイト引越/大阪1967》が輝いたことを知り冷静でいられなくなったので、いつもよりとりとめのない書き方になるのをお許しいただきたい。

ここで紹介するボックスは4年前ビルギット・ニルソンの生誕100周年に発売されたもので、熱狂的なニルソン・ファン目線で見ても収録内容のセレクトは、それなりに妥当で大体納得の行くものだ。

中でもニルソンの相手役としての「“3大ヘルデン”の〈トリスタン〉聴き比べ」は企画としても聴きごたえがある。

普段メジャー商業録音にしか接しないような聴き手には、無理が祟り深刻に声を痛めてしまう前、美声とパワーの両立を目指した万能ヘルデン・テノール、ジェス・トーマスの〈トリスタン〉を再評価する良い機会にもなると思う。

しかし、ヴィッカーズ+ニルソンの場合、映像版であればこそ独自の価値もあった本セットのオランジュ・ライヴに限らず他にも複数種存在するホルスト・シュタインやラインスドルフ指揮の選択肢もある。

プリマドンナを立てるサポート上手で互いに一番ウマが合ったヴィントガッセン+ニルソンの中から選ぶなら、生粋のワーグナー指揮者なのにキャリアを通して何故か《トリスタン》だけは芳しくなかったサヴァリッシュの《バイロイト1957》の代わりに、ニルソン=ベーム・トリスタンのベストと考えている《バイロイト1964》か、あるいはブーレーズ&N響も“聴き物”の《バイロイト引越/大阪1967》を、また、《サロメ》も幕切れのニルソンの超人的歌唱で選んで、収録のベーム《メト1962》より実を取って、商業録音での知名度など関係なく同郷同世代のショルティに比べ遥かに現場経験豊富な「腕利きワグネリアン/シュトラウシアン」だったジョルジュ・セバスティアン指揮《ブエノスアイレス・テアトロコロン1965》のほうが良かったのではないか。

さらに、メト・ライヴにしたってニルソンのパワーもピーク期60年代で指揮も元気なシッパースの素晴らしい《エレクトラ》もあったのに。

本BOXのコンセプトは大前提としてニルソン・トリビュートで歌手陣の出来を第一義とすべきものを、リマスタリングの方向性も含め妥協の産物というかビギナー向きな配慮というか、パフォーマンスの実質より“カタログ映え”する「スター指揮者のネームヴァリュー優先」といった安直で不誠実なマーケティングの“ウケ狙い”にちょっと走り過ぎてはしないだろうか。

などと内容に踏み込んであれこれ考え始めると際限なく結局延々と恨み節になってしまうが、思いつくまま取り留めなく上に書いたようなことも、再生機器を調整したり新しい音質に耳が慣れてしまうかも知れない。

いずれにしても、子供だった筆者が心ときめかせながらオペラに目覚めた頃、キャリア末期とは言えまだ現役だったニルソンの生誕100周年をこうして迎えるのは…色んな意味で感慨深い。

ニルソン級のパフォーマンスが完全消滅した今日、また、そういうBest of Bestsの誰もが知る一握りのスーパースターに限らず、劇場では名実共に大成功を収めながら商業録音に縁がなかったというだけで不当に過小評価され今では歴史に埋もれるがまま忘れられつつある偉大な歌手たち、さらに、致命的に人材不足の現在ならば各地の主要劇場からオファー殺到でスター待遇が当然であろうような才能豊かな中堅実力者たち…。

そういった次々と現れては消えていった有名無名の大勢の名歌手たちに支えられ繁栄が長く続いた黄金期にはむしろそれがスタンダードだった所謂「Great Singing」は急速に衰退し、その右肩下がりに歯止めも掛からず、オペラは音楽的に低迷してマンネリなシロモノになり果て、今日の上演において洞察や批評精神、創造性の“最後の砦”として気を吐いてきた演出の領域も行き詰まりを見せ始め、それでもどうにか小手先のマーケティングで無理無理体裁を保っている。

そんな時代(他にも多様で豊かだった古き佳き物事が消え去り異質で違和感あるものにどんどん“上書き”されて行く時代)に巡り合わせた世代には申し訳ないけれど、この分野に関しては自分は多少は運が良かったのかなとも思う。

都合よく美化されたノスタルジックな想い出云々の話でなく、今と違って「正真正銘の名歌手」就中「本物のドラマティック・ソプラノたち」が本気で歌うオペラ・ライヴは、商業録音を上質なオーディオを駆使していくら聴いたところで決して代替しえない人生を揺るがす“衝撃と畏怖”の物凄い体験で、幼く無知な聴き手に過ぎなかったとは言え、オペラ後進国である極東の一角に居ながら、そういう水準のオペラ公演が滅びる前に実際にこの目でチラッと垣間見ることが出来たのは本当に幸いだった。

所詮、貧弱音質で真価のごく一部しか伝わらないにせよ、このBOXには「人類から失われた偉大さ」がぎっしり詰まっている。

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classicalmusic at 20:41コメント(0)ベームワーグナー 

2022年01月21日


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Profilレーベルのヴァントの名盤がSACDハイブリッド化された。

Altusレーベルがライセンスし、このハイブリッド盤のための最新リマスタリングを施して製品化した。

シューベルトとブルックナー、ふたつの未完成交響曲を1日で演奏した1993年のライヴをそのまま収録しており、両曲共にヴァントの得意とした作品なので大変に聴きごたえがある。

先ず録音状態だが、1993年のライヴとしてはかなり良い状態でレコーディングされている。

ライヴといっても殆どセッションと変わらないくらい聴衆からのノイズは抑えられている。

従来のレギュラー・フォーマット盤では高音の角が取れて、やや丸みを帯びて聞こえ、音像も平面的に広がる傾向がある。

しかしマスターの状態が良好なので、特に高音質に拘るオーディオ・ファンでなければ充分高度な鑑賞にも堪えられる。

とはいえ聴き比べるとやはり高音の鮮烈な再生と音像の立体感、そして音量を上げても破綻がない点ではSACD盤が優っている。

シューベルトの『未完成』は精緻なアプローチがヴァントの身上だろう。

それだけに演奏に独特の品格があり、高貴な雰囲気を醸し出している。

弦楽とブラス・セクションのバランスが絶妙で、あらゆる意味での逸脱を避けた境地が窺えるが、豊かな歌心が横溢していて物足りなさは全く感じられない。

これはヴァントのひとつの至芸だろう。

恐ろしい低音が聴き手を一気に音楽へ引きずり込む第2楽章の楽器バランスの美しさもヴァントの独壇場だ。

一方ブルックナーの第9番はオーケストラから壮麗なサウンドを引き出し、ブラス・セクションには殆ど限界まで咆哮させる大技を繰り出しているが、ヴァントならではの統率があくまでも緻密な音楽表現の中に収めているのは流石だ。

完璧に整っていながらも熾烈・強烈な音響で、圧倒的な完成度でもって至高の音の大伽藍を築き上げている。

1980年代から90年代初頭にかけて客演したベルリン・ドイツ交響楽団とのライヴ録音には、ヴァントの解釈がとりわけ鮮烈に現れているといっていいだろう。

ヴァントの演奏解釈の本質は、一つひとつのパーツが全体を構成するための入念な設計にある。

テンポは速めで、決して流れを停滞させることなく、圧倒的な構成美を作り出す。

ベトついた感情表現などは無縁で、透き通るようなクリアさ、辛口の味わいが魅力だ。

こういった方向性に、ベルリン・ドイツ交響楽団はじつにフレキシブルに、過剰なまでの反応の良さで応えている。

異様なまでに密集度の高いサウンドだが、同時に適切なバランスで組み立てられている。

そこで生み出されるのは、驚異的といっていい立体感だ。

ヴァントは晩年になって、ようやく世界の楽壇から注目されるようになったが、このシューベルトとブルックナーも彼の長いキャリアの頂点を示した演奏のひとつだろう。

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classicalmusic at 04:25コメント(0)ヴァントブルックナー 

2022年01月18日


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ステンハンマルは、同時代のシベリウスやニールセンと並ぶスウェーデンの大作曲家であるにもかかわらず、その作品は殆ど知られていないという嘆かわしい状況にある。

ステンハンマルは、管弦楽曲や協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲など、多岐にわたるジャンルにおいて数々の名作を遺しているが、その代表作と言えば、やはり交響曲第2番ということになるのではないだろうか(セレナードを掲げる人もいるかもしれない)。

交響曲第1番は、ブルックナーなどのドイツ・ロマン派の影響を多分に受けた作品であり、ステンハンマルの個性が必ずしも発揮されているとは言い難いし、交響曲第3番は断片しか遺されていない(ピアノ協奏曲に転用されている)ことを考慮に入れると、ステンハンマルの個性が発揮された名作は、やはりこの交響曲第2番ということになるのは論を待たないところだ。

同曲のこれまでの録音としては、既に廃盤になっているものも含めると、マン(1959年)、ヴェステルベリ(1978年)、ネーメ・ヤルヴィによる2つの録音(1983年及び1993年)、スンドクヴィスト(1996年)、パーヴォ・ヤルヴィ(1999年)、ニール・トムソン(2009年)の7種である。

このうち、最も優れた名演として評価が高いのはヴェステルベリ盤であるが、これは今では廃盤で入手難である。

これに次ぐのが、録音がいささか鮮明ではないがマン盤であり、他の演奏も決して悪い演奏ではなく、それぞれ一聴の価値がある演奏であり、この知られざる傑作を演奏する指揮者の見識とレベルの高さのほどを窺い知ることが可能だ。

筆者としては、このような知られざる傑作こそは、有名指揮者がもっと積極的に演奏して、それこそ国内盤で発売されることを大いに期待するものであった。

ヘルベルト・ブロムシュテット(1927-)は、ブルックナーやベートーヴェンの作品とともに、シベリウス、ニールセン、グリーグなどの北欧の作品も数多く手がけてきた。

本盤は、同曲の待望の新録音であり、まずは、このような知られざる傑作の録音を試みたという姿勢を高く評価したい。

筆者は未聴であるが、かつて知人から、ブロムシュテットがNHK交響楽団を指揮して同曲を演奏して大変感動したと聞いている。

ブロムシュテットは、ステンハンマルと同郷のスウェーデン人であり、シベリウスやニールセンの交響曲全集を録音した実績もあり、いずれも名演と評価できる。

既にかなりの高齢であったが、ブロムシュテットによる同曲の録音を大いに期待していただけに長年の渇きを癒された思いだ。

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classicalmusic at 10:14コメント(0)ブロムシュテット 

2022年01月14日


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このディスクのレコーディングは1965年のステレオ録音だが、彼は異なったソリストと共にその10年前にも『クリスマス・オラトリオ』のモノラル録音を遺している。

しかしこの作品の喜びに満ちた華やかな性格は、勿論こちらの新録音が断然優っているし、またソリストもグレードアップされているのが特徴だろう。

音質的にもSHM-CD化によって、雑味の払拭された明瞭なサウンドが特徴だ。

ただしその後にリリースされたリヒターのバッハ宗教音楽選集でブルーレイ・オーディオ化がされたので、現在最も優れた音質で鑑賞したい方にはそちらをお薦めしたい。

細部にいたるまで妥協を許さないリヒターの緻密な設計と、強力な統率力が全曲を支配している。

バッハを真正面からとらえた演奏で、厳しいまでの表情は他の演奏にはみられない威容を示す。

4人の独唱者、オーケストラ、合唱団の集中力の高い、真摯な演奏も申し分なく、その重厚な響きと清澄な音色は一度聴いた者の耳を離そうとしない。

現代楽器を用いた演奏だが、時代や様式を超えたバッハ像がある。

この演奏に抜擢された歌手陣は、現代でも得難いほどのメンバーが揃っている。

清楚で宗教曲にも精緻な歌唱を披露したソプラノのヤノヴィッツとメゾのルートヴィヒ、癖がなく真摯で若々しテノール、ヴンダーリヒと説得力のあるバスのクラスがそれぞれ宗教曲としての抑制を加えながら全体のバランスを絶妙にとって歌っている。

そこにはリヒターの哲学が感知される。

彼の解釈に迷いはなく、非常にすっきりした簡潔な構築力を見せているし、またその中に彼の強い情熱が迸るように感じられる。

当時まだ古楽としての奏法も楽器も確立されていなかったので、例えばフルートは木製のいわゆるトラヴェルソではなく、ベーム式のフルートで、トランペットはバロック時代には存在しなかったピッコロ・トランペットを使用している。

言ってみれば折衷様式による再現だが、そうした制限を乗り越えてリヒターの演奏は燦然と輝いている。

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classicalmusic at 09:20コメント(0)バッハリヒター 

2022年01月10日


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マレク・ヤノフスキは2010年から2013年にかけて、手兵ベルリン放送交響楽団を率いてワーグナーの主要なオペラを集中的にライヴ録音した。

総てベルリン・フィルハーモニーでのDSDレコーディングでSACD化されていて、またライヴといっても演奏会形式な舞台や客席からのノイズは全くない。

音質はこれまでの『マイスタージンガー』では屈指だが、確かに劇場での臨場感に関してはやや希薄だ。

特にこの類まれな喜歌劇にとってはスマート過ぎる音質かも知れない。

しかしオペラ畑で叩き上げたヤノフスキだけあって、これだけの長い作品の聴かせどころを効果的に、しかも解かり易くまとめている。

例えば第1幕への前奏曲は、単独で演奏する場合はどの指揮者も重厚な表現になりがちだ。

彼はライトモティーフを聴かせる以外は部分的に拘泥することなく、喜歌劇の特徴のひとつである、一日のうちに完結するドラマを想起させる颯爽とした、快活な演奏だ。

このタイプはオペラ劇場で鍛えた指揮者、例えばサヴァリッシュなどにも一脈通じている。

またベルリン放送響も融通性のあるオーケストラで、精緻でありながら歌手にも良く寄り添っていて好演。

歌手陣で最も際立っているのは、言うまでもなく靴屋の親方ハンス・ザックス役のアルベルト・ド―メンで、豊かな声量は勿論だが、演技が目に浮かぶような歌唱と表現力に圧倒される。

第2幕及び第3幕の二つのモノローグは聴きどころだ。

エファを演じるエディト・ハラ―も悪くはないが、いわゆるワーグナー・ソプラノに欠けがちな、きめ細やかな抒情的な表出、特にヴァルターとの重唱に必要な愛情豊かな表現力に多少不足していて冷たく聞こえるのが残念だ。

ヴァルター役のアメリカ人テナーのロバート・ディーン・スミスも期待していたより聴き劣りがした。

ヘルデンテノール系は力みが目立つと重苦しくなってしまうが、彼にもそうした傾向が無きにしも非ずだ。

やはりこのオペラの喜劇性を考えればもう少し柔軟な歌唱が望まれるだろう。

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classicalmusic at 16:46コメント(0)ワーグナー 

2022年01月07日


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フランスの伝統的なスタイルを正統的に継承するカントロフ&ルヴィエという2人のアーティストが、透徹した知性と薫り立つエレガンスをもって2大名曲の真の魅力を改めて浮き彫りにした素晴らしい名演だ。

フランクのヴァイオリン・ソナタは、得も言われぬ独特な色彩感が魅力だと思う。

理路整然とした古典的なタイプの曲とは違って、美しい混濁と繊細且つ絶妙なニュアンスを持ち合わせたロマン的なタイプの曲とでも言うべきであろうか。

この2人の演奏は、実に自然であり、誇張的な表現もなく、純粋に美しく綺麗で、温かみのある響きを奏でていて、第1楽章の冒頭を聴いただけでも、このセンス満点の情感の豊かな世界に惹き込まれてしまう。

また、フランクのヴァイオリン・ソナタは、哀愁ある、かきくどくヴァイオリンの音色が魅力的な、人気の高いソナタでもあるが、カントロフの、むせび泣くようなヴァイオリンは、まさに、この曲にうってつけで、聴いていて思わず身がとろけそうになる。

しかも、陳腐なセンチメンタルさは皆無であり、抒情的でありながら、常に高踏的な透徹した音楽が全体を貫いている。

何よりもカントロフ&ルヴィエというフランス人コンビが、いかにもフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいを見せてくれるのが素晴らしい。

もちろん、瀟洒な味わいだけが持ち味ではなく、例えば第2楽章の圧倒的な技量をベースとした力感のある迫力は、演奏全体にいい意味でのメリハリを与える結果となっている点も見過ごしてはならない。

終楽章は、第1楽章と同様の演奏傾向であり、このセンス満点の硬軟併せ持つ美演を終えるのにふさわしい締めくくりとなっている。

ルヴィエも、時にしっとりと、時に力強くヴァイオリンをサポートしており、聴き終えれば、おそらく、幸福な溜め息が漏れてくるに違いない。

うって変わって、ラヴェルのヴァイオリン・ソナタは、演奏自体は非常に素晴らしいのだが、曲自体に作曲家の強烈な個性が宿っているためか、古典的クラシックが好きな人には少々アクが強く、聴いてしまうと、きっと腰を抜かされるような思いになるだろう。

でも、これはこれで面白いし、そんな名曲に触れてみるのもいいのではないだろうか。

この名演を聴くと、2人が怖じ気もせずに、この名曲を楽しそうに演奏しているのが目に浮かぶようである。

ラヴェルのヴァイオリン・ソナタは、フランクのそれと比較すると、必ずしも有名曲ではないが、この両者の手にかかると、フランクのヴァイオリン・ソナタに匹敵する傑作に聴こえるのだから、いかに演奏が優れているかを表わしているとも言える。

ガラスで作った雪の結晶みたいに明快で奇跡のような透明感を持つカントロフのヴァイオリンと、冬がけ布団みたいに慈愛に満ちていて、なおかつ正確なルヴィエのピアノ。

情感豊かさと抜群のテクニックをベースとした力強さが持ち味であるが、全体から漂ってくる瀟洒な味わいは、さすがはフランス人コンビの真骨頂と言える。

Blu-spec-CD化によって、音質がより鮮明になったのも素晴らしく、ぜひとも聴いてもらいたい1枚である。

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classicalmusic at 21:17コメント(0)フランクラヴェル 

2022年01月04日


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デ・ロス・アンヘレスが1969年にパリでレコーディングしたふたつのフランスの作曲家の作品が、SACDで復活した。

どちらもオーケストラの伴奏付きでジャン=ピエール・ジャキャ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団とのコラボになる。

デ・ロス・アンヘレスの透明感のある声質が素晴らしく再生される。

ショーソンもカントルーブも非常に凝った、また気の利いたオーケストレーションを施していて、コンセール・ラムルーもジャキャの求める陰翳深い情緒を良く表現している。

ただしこの時代のEMIの録音は最良のものとは言えない。

オーケストラの解像度は思ったほどではなかった。

これはマスター・テープの音質だから致し方ないだろう。

『海と愛の詩』はモーリス・ブショルの洗練された高踏的な詩にショーソンの天才が花開かせた歌曲だが、デ・ロス・アンヘレスの輪郭のはっきりした、迸るような歌声と繊細な表現が鑑賞者を別世界にいざなってくれる。

ソロを支える管弦楽も決して重くなり過ぎず、移ろうような明暗と水の感触を髣髴とさせる。

この作品の最も優れた演奏といえる。

一方『オーヴェルニュの歌』はカントルーブの採譜と編曲になる民謡集だが、こちらでの彼女はエスプリに満ちた機知と、蝶のように軽快な飛翔、またララバイでは慈愛に溢れる歌唱を聴かせてくれる。

尚このディスクには9曲のみがピックアップされているが、EMIイコン・シリーズの7枚組では同メンバーによる24曲が組み込まれている。

彼女はバルセロナ出身のスペイン人だが、地元のサルスエラやスペイン歌曲は勿論、モーツァルトやイタリア・オペラの主要作品からドイツ・リートにまでレパートリーを持っていた。

ジェラルド・ムーアの引退コンサートにシュヴァルツコップ、フィッシャー=ディースカウと共に参加したことも記憶に新しい。

しかしフランス・オペラや歌曲、宗教曲にも驚くべき才能を発揮した。

彼女の歌ったフランス・オペラを試みに挙げてみると、ビーチャムとの『カルメン』、クリュイタンスとの『ペレアスとメリザンド』『ファウスト』『ホフマン物語』宗教曲ではフォーレの『レクイエム』、プレートルとの『ヴェルテル』歌曲にもラヴェルの『シェエラザード』『ギリシャの歌』などがあり、いずれも名演の名に恥じない録音だ。

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classicalmusic at 17:32コメント(0)現代音楽 

2022年01月01日


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ダヴィッド・フレーの新譜は、バッハの『ゴールドベルク変奏曲』で、彼がデビューした頃から課題にしてきたバッハの作品へのひとつの到着点を示した演奏と思える。

彼のドイツ音楽への執着は、これまでにリリースしてきたアルバムを見れば明らかだ。

そこにはドイツのピアニストが誰も弾かなかったようなラテン的リリシズムに溢れた解釈が示されていて、陰翳と抒情の世界があいまったサウンドに不思議な魅力がある。

勿論メリハリを利かせたダイナミズムも生き生きと表現されている。

この作品は主題になるテーマに30の変奏が従い、最後に再び静かなアリアが戻ってくるという壮大な構成である。

三変奏ごとにテーマを一音ごと上げて追いかけるカノンを配置し、テーマも順行、逆行が駆使され、最後には二つのリートを組み合わせるという、バッハの対位法のエッセンスが面目躍如の作品だ。

また当時の二段鍵盤のチェンバロの機能とテクニックがフルに活用されているので、現代のピアノで弾く場合はテクニカルな問題を少なからず解決しなければならない。

フレーは独自のリリカルな歌心を充分に披露しつつ、全く不自然な印象を与えていないのは流石だ。

それぞれの変奏は二つの部分から成り、更にそれぞれに繰り返しの指定がされている。

ピアニストによってはリピートを省略した録音もあるが、フレーは一回目と二回目を巧みに変化をつけてリピートに必然性を与えている。

例えば最後の第30変奏『クオドリベット』では弱音で弾き始め、クレッシェンドを加えながらフォルテで繰り返すという手法を取っている。

それはあたかもバッハ家のささやかな団欒が、次第に音楽的な充実感に満たされていくようにも聴くことができる。

録音での残響はやや多めだが、音質は良好。

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classicalmusic at 10:54コメント(0)バッハ 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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