2022年06月

2022年06月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このようなアルバムこそは、人類の至宝とも言うべきなのであろう。

バッハの数あるピアノ曲の中でも聖書とも言うべき平均律クラヴィーア曲集には、これまで古今東西のあまたのピアニストがこぞって録音を行ってきているところだ。

もっとも、あまりにも長大な作品であるだけに、没個性的な演奏では聴き手が退屈してしまうことは必定である。

ピアニストにとっては、自らの持ち得る実力や個性、そして芸術性を最大限に発揮することが求められるという、極めて難しい作品とも言える。

海千山千の競争相手が多いだけに、なおさら存在価値のある演奏を成し遂げることが困難ともいうことができる。

本盤に収められた1970年代初めに録音されたリヒテルによる演奏こそは、諸説はあると思われるものの、筆者としては、バッハの平均律クラヴィーア曲集のあらゆるピアニストによる演奏の中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

加えて、単調な演奏には陥ることなく、各曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、十分に個性的な表現を駆使している。

それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、バッハへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

したがって、同じロシア人でもアファナシエフのような極端な解釈など薬にしたくもない。

演奏の様相はむしろオーソドックスな表現に聴こえるように徹しているとも言える。

このような至高の高みに達した凄みのある演奏は、もはやどのような言葉を連ねても的確に表現し尽くすことが困難である。

まさに筆舌には尽くし難い優れた超名演ということができるので、未聴の方はネット配信で聴いてみられることをお薦めする。

いずれにしても、本演奏こそは、バッハの平均律クラヴィーア曲集の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:21コメント(0)バッハリヒテル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



オーケストラの達人リムスキー=コルサコフの『シェエラザード』は、アラビアン・ナイトの雰囲気を濃厚にたたえた管弦楽の傑作。

この曲の豊麗多彩な魅力をあますところなく表現した精密かつスケールの大きな名演奏・名録音である。

キリル・コンドラシンがコンセルトヘボウを指揮したオーケストラル・ワークはライヴ音源でフィリップスとターラから都合11枚分の録音が残されている。

それらは結果的に両者の緊密なコラボの集大成となって、それぞれのコンサートが彼らの実力を示して余りあるものだ。

一方で正式なセッション録音というとこのディスクの『シェエラザード』が唯一になってしまった。

オランダでのコンドラシンのレコード制作が商業ベースに乗る前に、突然彼が亡くなってしまったからだろう。

名匠コンドラシン会心の名演、シンフォニックの極致、歴史的録音の名に恥じない銘盤としてお薦めしたい。

録音状態は当時のフィリップスが誇ったキレの良い音質で、他のコンセルトヘボウとのライヴより俄然こちらが優っている。

コンドラシンの解釈は、さながらオリエントへの神秘な旅といった印象が残る。

荘重な開始とともにエキゾチックな曲想が優雅に、またきめ細かく再現され全体としてスケールの大きなドラマに仕上げられているのは流石だ。

冒頭と各楽章の始まりにヴァリエーションで繰り返されるヴァイオリンのテーマは、当時のコンサートマスター、ヘルマン・クレバースのソロが心をそそる。

その繊細でいくらか冷ややかな音色が、かえってこの作品に特有の夢幻性を漂わせていて秀逸。

また曲中いたるところに現れるフルート、オーボエ、クラリネットやファゴットなどのソロはコンセルトヘボウの首席奏者達のレベルの高さを証明している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:29コメント(0)R=コルサコフコンドラシン 

2022年06月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



江崎昌子の奏でるシューマンの美しい小品集、ユーゲントアルバム。

シューマンが愛娘への贈り物として捧げたこの「子供のためのアルバム」は、親から娘に対する優しさ、温かさが満ち溢れる美しい小品集。

数々のピアノ作品を遺したシューマンの作品の中でもとりわけ異彩を放つものである。

自分の愛娘のピアノ練習のために作曲しただけあって、第1部、第2部のそれぞれを構成する楽曲に、具体的な表題が付されているのが特徴であり、旋律も愛らしくて実に親しみやすい。

第1部と第2部の間に、幼い子供と年上の子供というように、年齢に応じた差をつけている点も、いかにも自らの愛娘姉妹のためのアルバムといった趣きである。

ここでは 江崎昌子ならではの歌心と表現豊かな叙情美によって子供から大人まで楽しめる内容に仕上がっている。

江崎昌子は、前作のブルグミュラーの練習曲もそうであったが、このような練習用の曲に大いなる価値を見出しているようだ。

CDのライナーノーツには、江崎昌子による各曲の説明が載っているが、大変興味深い内容である。

これらを見ながら聴くと、江崎昌子の本作品への深い愛着や理解がよくわかる。

要するに、江崎昌子は、例えばショパンのマズルカ集などの一流の芸術作品に接するのと同じような真摯な姿勢で、シューマンの子供用の練習曲にも接しているのである。

またフレーズ表現の練習曲としての重要なレパートリーであり、練習用の曲を決して蔑にせずに取り組んでいくその真摯な姿勢は、大いに評価してもいいのではなかろうか。

演奏も、シューマンの愛娘に対する深い愛情が伝わってくるような温かいぬくもりのある名演と評価したい。

SACDによる高音質録音も実に鮮明で素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:13コメント(0)シューマン 

2022年06月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クルト・ザンデルリングがベルリン交響楽団を指揮したシベリウス交響曲全集は、二組のCDセットがリリースされている。

いずれもオランダ・ブリリアント・レーベルからで、同じく5枚組になる。

ここに挙げたCDセットは7曲の交響曲の他に交響詩『フィンランディア』『夜の騎行と夜明け』及び『エン・サーガ』が収録されているが、『悲しきワルツ』と『トゥオネラの白鳥』が除かれている。

さらにワシリー・シナイスキー指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団による『レンミンカイネン組曲』と『タピオラ』が加わっている。

ご参考までに他のセットには7曲の交響曲が4枚のCDに収録されている。

最後の1枚は交響詩集になっていて、『フィンランディア』『悲しきワルツ』『夜の騎行と夜明け』『トゥオネラの白鳥』及び『エン・サーガ』の5曲。

ただし『トゥオネラの白鳥』のみがパーヴォ・ベルグルンド指揮、ベルリン放送交響楽団の演奏になる。

もしザンデルリングを聴くのが目的なら他のセットをお薦めする。

ただしボックスといっても実際には5枚の個別のジュエル・ケースを纏めただけのもので、多少かさばるのが欠点だし、廃盤になっている。

シベリウスの交響曲はその色彩感やサウンドの物語性から交響詩に近い。

ザンデルリングはことさら音色や標題的な楽想にこだわることなく、堂々たる純粋な交響曲としての存在感を創り上げている。

小手先をきかせることよりも本来のオーケストレーションを聴かせる演奏として最右翼とも言えるだろう。

それだけに脆弱さは全くなく、ベルリン交響楽団にも思い切った力強さと堅牢な響きを要求している。

1970年から77年にかけて当時の東ドイツ側にあったイエス・キリスト教会で録音された音源で、音質は時代相応以上に良好。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 12:42コメント(0)シベリウスザンデルリンク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



昨今においてますます進境著しいエレーヌ・グリモーであるが、意外にもモーツァルトの楽曲については殆ど録音を行っていない。

ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番を2度も録音していることなどに鑑みれば、実に不思議なことである。

本盤に収められたモーツァルトのピアノ協奏曲第19番及び第23番についても、グリモーによるモーツァルトのピアノ協奏曲初の録音であるのみならず、モーツァルトの楽曲としても、ピアノ・ソナタ第8番の演奏(2010年)以来、2度目の録音ということになる。

ピアノ・ソナタ第8番については、モーツァルトを殆ど演奏していないグリモーだけに、他のピアニストによる演奏とはまるで異なる、いわゆる崩した個性的な演奏を繰り広げていた。

グリモーの心の込め方が尋常ならざるレベルに達しているため、非常に説得力のある名演に仕上がっていた。

それだけに、本盤のピアノ協奏曲においても、前述のピアノ・ソナタ第8番の演奏で聴かれたような超個性的な表現を期待したのであるが、見事に肩透かしを喰わされてしまった。

カデンツァにおける即興性溢れる演奏には、そうした個性の片鱗は感じさせるものの、演奏全体の基本的なアプローチとしては、グリモーはオーソドックスな演奏に徹している。

グリモーのピアノ演奏は、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番を得意のレパートリーとしていることからも窺い知ることができるように、力強い打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の起伏の幅が桁外れに広いスケールの大きさを特徴としている。

とりわけ、力強い打鍵は、男性ピアニスト顔負けの強靭さを誇っているとさえ言えるところである。

ところが、本演奏においては、モーツァルトのピアノ協奏曲だけに、むしろ、楽曲の随所に盛り込まれた繊細な抒情に満ち溢れた名旋律の数々を、女流ピアニストならではの清澄な美しさを保ちつつ心を込めて歌い抜くことに主眼を置いているように思われる。

そして、モーツァルトの楽曲に特有の、各旋律の端々から滲み出してくる独特の寂寥感の描出についてもいささかも不足はない。

加えて、グリモーが素晴らしいのは、これは濃厚な表情づけを行ったピアノ・ソナタ第8番の演奏の場合と同様である。

感情移入のあまり感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥るということは薬にしたくもなく、どこをとっても格調の高さを失っていない点である。

このように、本盤の演奏は総じてオーソドックスな様相の演奏であるが、前述のような繊細にして清澄な美しさ、そしていささかも格調の高さを失うことがない心の込め方など、グリモーならではの美質も随所に盛り込まれている。

バイエルン放送室内管弦楽団による好パフォーマンスも相俟って、まさに珠玉の名演に仕上がっていると高く評価したい。

併録のレチタティーヴォ「どうしてあなたが忘れられるでしょうか?」とアリア「心配しなくともよいのです、愛する人よ」については、グリモーの透明感溢れる美しいピアノ演奏と、モイツァ・エルトマンの美声が相俟った美しさの極みとも言うべき素晴らしい名演だ。

音質についても、2011年のライヴ録音であるが、グリモーのピアノタッチがより鮮明に再現されるなど、申し分のないものであると高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:09コメント(0)モーツァルト 

2022年06月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



正規盤初出のレパートリーである音源そのものはすでにファンの間では広く知られていたが、Profilが熱いリクエストに応えてリリースに踏み切った1枚。

巨匠クルト・ザンデルリング指揮バイエルン放送交響楽団のブルックナー第4番『ロマンティック』は格別の出来栄え。

巨匠スタイルの圧倒的なアプローチに応える、バイエルン放送響の底知れぬ実力を感知できる。

この音源はSACDバージョンでも既にリリースされているが、こちらはレギュラーフォーマット盤。

ヘンスラーは独自のリマスタリングで定評があり、この演奏も解像度が良好で低音も充分に豊かだ。

また丁寧なサウンド・リストレーションによってブルックナーの分厚いオーケストレーションも破綻なく再生される。

できれば広い空間で音響を解き放つ程度にボリュームを上げて鑑賞することをお薦めする。

そうすることによって本来のスケールの大きなブルックナーのサウンドが蘇る。

ザンデルリングはブルックナーの第3番、第4番そして第7番を録音したが、いずれも幸い良い状態の音質で残されている。

ザンデルリングはバイエルン放送交響楽団の機動力とパワフルな音量を充分に引き出しながら、一方で第2楽章では滔々と溢れる流れのような抒情を歌わせている。

柔らかく繊細に始まり、やがてあたかも木漏れ日が射しこむかのような優しい表情をみせるあたりなど、言葉を失うほどの美しさだ。

全体的なテンポは穏やかだが、構成感はしっかりしていて、71分の交響曲を長く感じさせない。

しかも楽章ごとに緊張感を高めて終楽章でクライマックスを創り上げる力量は流石で、壮大なフィナーレに至ってはこのうえなく感動的だ。

確かに指揮者の派手なアピールは感じられないが、音楽そのものの力学で聴かせる優れたサンプルだ。

その後この音源はヘンスラー・プロフィール・レーベルからリリースされたクルト・ザンデルリング・エディション11枚組に組み込まれ、その第1曲を飾っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:05コメント(0)ブルックナーザンデルリンク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ベルリン・クラシックスのリイシュー盤で、ザンデルリングがベルリン交響楽団とセッション録音したショスタコーヴィチの6曲の交響曲のうちの2曲。

彼は1936年からユダヤ人迫害を避けて当時のソヴィエトに亡命した。

1941年からはレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任した。

1960年にベルリン交響楽団の芸術監督になりドイツ帰国を果たした。

レニングラード時代はムラヴィンスキーの薫陶を得たので、当然ショスタコーヴィチとの親交も深めた。

ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの交響曲第5、6、8、9、10、12番を初演している。

ちなみに第4、13番はコンドラシン初演だが、彼らは作曲家と交流のあった最も優れた指揮者だったと言えるだろう。

しかし演奏スタイルはそれぞれに異なった特徴があり、ザンデルリングは恣意的な表現を避けた客観的で、しかし骨太な中に緻密さを備えた几帳面な演奏だ。

第1番ヘ短調の第2楽章のピアノの鮮烈なパッセージとオーケストラとの掛け合いも生気に満ちた表現だし、第3楽章の他の作曲家からの剽窃的な導入も巧みにまとめている。

終楽章はショスタコーヴィチの将来の交響曲を暗示する暗さの中に火花の散るようなドラマティックなフィナーレになっている。

これが彼のレニングラード音楽院での卒業作品とは思えない早熟のオーケストレーションの腕を示している。

第6番ロ短調は3楽章のみの交響曲だが第1楽章ラルゴの渓谷を流れる清冽な水のような弦楽部の神秘な美しさ、第2楽章アレグロのスケルツォ的な快活さ、それは偉大なタランテッラと言えるかも知れない。

そして第3楽章の小気味良いリズム感などは、ザンデルリングに呼応するベルリン交響楽団のアンサンブルの巧さを披露している。

ザンデルリングにいわゆる爆演は求められないが、どんな場合でも度を外すことなく的確な音楽性を繰り広げる指揮者として敬意を表したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:02コメント(0)ショスタコーヴィチザンデルリンク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ピリオド楽器による世界初録音であるとか、主役のアミーナにメゾソプラノを起用した原典版であるとか、本盤にはさまざまなポイントがあるが、そのようなことを度外視しても、十分に存在価値のある優れた名演である。

最近では、オペラの新譜などきわめて稀少な存在になりつつあるが、そのような中にあっては、なおさら燦然と輝く金字塔とも言える。

今日、アミーナ役は、高音域のコロラトゥーラ・ソプラノによって歌われることが、ほぼスタンダードになっているが、当初、作曲者は、メゾの声を意識して書いたもの。

ここでの演奏は、初演当時に近い楽器を使い、楽譜もなるべくオリジナルに沿っている。

何よりも、主役であるアミーナのバルトリと、エルヴィーノのフローレスの若きコンビが最高のパフォーマンスを示しているのが見事である。

今をときめく両者の共演は本盤が初めてと言うが、そうとは思えないほどの息のあった名コンビぶりだ。

特に、第1幕の二重唱は絶美の美しさで、これぞイタリアオペラの真髄を思い知らされるようだ。

また、アミーナがメゾであることも、とても新鮮だ。

バルトリは高度なテクニックも持っているし、表現力も素晴らしく、歌に込める情感が凄い。

こういう『夢遊病の女』も充分に通用する。

エルヴィーノのフローレスのベルカントが素晴らしいのは勿論だし、他の歌手陣では、ロドルフォ伯爵のダルカンジェロの歌唱が重厚な味を見せており、威厳すら感じさせる素晴らしい歌唱、アレッシオのカールマンのナンパぶりもなかなかのものだ。

これからコロラトゥーラ・ソプラノやカラスがアミーナの『夢遊病の女』と、このバルトリの『夢遊病の女』どちらも愛聴していくことになると思う。

指揮者については、筆者もあまり情報を持ち合わせていないが、本盤の見事な演奏を聴く限りにおいては、力量にいささかの不足もない。

オーケストラや合唱団も素晴らしい演奏を行っており、本盤の価値をより一層高めることに貢献している。

結果として、オリジナル楽器のオケとバルトリのメゾは良くマッチしており、指揮も録音も優れていて、このように3拍子揃ったオペラ全曲盤は久し振りであった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:13コメント(0)バルトリベッリーニ 

2022年06月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ホルストの組曲「惑星」は、光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを駆使した親しみやすい旋律の数々を有していることもあり、現代においても最も人気のある管弦楽作品の1つである。

もっとも1950年代までは、ホルストによる自作自演や初演者ボールトによる演奏の録音しか存在せず、イギリス国内にしか通用しないローカルな作品の域を出なかったところである。

1961年にカラヤン&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演が登場したことを契機として、一躍国際的な人気作品としての地位を獲得したのであった。

前述のカラヤンによる名演以降、様々な指揮者によって多種多様な名演が生み出されてきているのは周知の通りである。

そのような中でも、初演者ボールトによる最後の録音であるロンドン・フィルとの名演(1978年)、前述のカラヤン&ウィーン・フィルによる名演の地位は、現在においてもいささかも揺らぐものではない。

ホルストの華麗なオーケストレーションの魅力を心行くまで堪能させてくれる名演としては、本盤に収められたレヴァイン&シカゴ交響楽団による超名演を随一に掲げたいと考える。

本超名演の成功は、紛れもなくシカゴ交響楽団の卓越した技量にある。

本演奏は1989年の録音であり、御大ショルティがなおシカゴ交響楽団に君臨していた全盛時代でもある。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、金管楽器群の迫力満点の大音量とブリリアントな響き、木管楽器の桁外れのテクニックなど、同曲の演奏に必要な要素を全て兼ね備えていたスーパー軍団たるシカゴ交響楽団による演奏は豪華絢爛の一言。

あたかも、組曲「惑星」という大運動場で、シカゴ交響楽団が存分に運動を行っているかのような趣きがあり、オーケストラ演奏としても空前絶後の出来栄えと言えるだろう。

レヴァインの指揮は、むしろシカゴ交響楽団にいかに気持ちよく演奏させるのかに徹しているようにも思われるが、例えば金星などにおける心を込めた情感の豊かさなど、独特の味付けもそれなりに行っており、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを十二分に発揮していると評価したい。

いずれにしても、組曲「惑星」という楽曲の魅力を存分に満喫させてくれるという意味においては、耳のご馳走とも言えるような爽快な超名演と評価するのにいささかも躊躇もしない。

録音は、従来盤でも音質の良さで定評があったが、今般のSHM−CD化によって、さらに音質が鮮明になるとともに音場が若干なりとも広くなった。

いずれにしても、レヴァイン&シカゴ交響楽団による爽快な超名演を、SHM−CDによる鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:20コメント(0)ホルストレヴァイン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ピリオド・アンサンブルの中でもいくらかアグレッシブな表現がヴィヴァルディの協奏曲の快活な楽しさと演奏への喜びが横溢していて、理屈抜きで聴き手を引き込む魅力がある。

イル・ジャルディーノ・アルモニコは古楽を宮廷趣味から解放し、辻音楽師風の野趣豊かで力強い演奏が特徴的だ。

水準は非常に高く手堅いアンサンブル、小気味よいリズム感や和気あいあいとした雰囲気が伝わってくる。

第1曲目を飾る『さまざまな楽器のための協奏曲ハ長調』のソロ楽器群は以下の通りになる。

2つのヴィオリーネ・イン・トロンバ・マリーナ(共鳴ブリッジ付きヴァイオリン)、2つのフラウト・ドルチェ(リコーダー)、2つのサルモ(クラリネット属)、2つのマンドリン、2つのティオルバ(大型リュート)とチェロの11名

その彩り豊かな音色と天性の閃きによって一気に書き上げられた楽想が如何にもヴィヴァルディらしい。

一方リリカルな美しさでは『ヴィオラ・ダモーレとリュートのための協奏曲ニ短調』があげられる。

この2つの楽器の組み合わせにも彼の非凡な発想があらわれているが、ヴィヴァルディにしては珍しく哀愁を帯びた曲想が特徴である。

弦楽部にはミュート装着の指示があり囁くような音量で微妙な音色を妨げないような配慮がされている。

特に第2楽章のイタリア風カンタービレの歌心に満たされたメロディーは美しい。

ヴィヴァルディの作品はしばしば書きなぐりの反復のように誤解されているが、スピリットに欠けたものはひとつもないことを証明している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:24コメント(0)ヴィヴァルディ 

2022年06月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ショパン・イヤー(2010年)からはや12年、数々の新録音の発売や、旧録音の発売が相次いだ。

筆者も、かなりの点数のディスクを聴き、そして、このブログに相当数の記事をエントリーしてきた。

そうした数あるディスクの中で、本盤は、筆者が、これまで聴いた最高の超名演と高く評価したい。

本盤に収められた楽曲のすべてが、それぞれの楽曲の録音の中で、トップの座に君臨する(または争う)名演であると考える。

ピアノ・ソナタ第2番の、心の深淵から浮き上がってくるような開始に先ずはゾクゾクとさせられるが、その後の、思い入れたっぷりのコクのある演奏は凄いの一言。

強靭な打鍵から繊細な詩情に至るまで、あらゆる箇所が深みのある透徹した表現に貫かれているのが素晴らしい。

スケルツォ第2番は、ポゴレリチの名演に並ぶ至高の名演。

ポゴレリチが、切れ味鋭い若武者の快演とすれば、本演奏は、ショパンの心の内面に踏み込んだ深遠な名演と言えようか。

特に、中間部の質感豊かな抒情性は、エデルマンとしても渾身の演奏と言えるのではないか。

2つのノクターンも、これ以上は求め得ないような豊かな詩情に満ち溢れており、ノクターンの他の諸曲の演奏への期待を抱かせるのに十分な出来栄えだ。

ピアノ・ソナタ第3番も凄い。

卓越した技量はもちろんのこと、ダイナミックレンジの思い切った採り方や、楽曲の内面に鋭く切り込んでいく深遠なアプローチ、抒情的な箇所の詩情豊かさなど、評価する言葉が思いつかないような至高・至純の高みに達した超名演と評価したい。

SACDによる極上の超高音質録音も、この至高の超名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:59コメント(0)ショパン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ジノ・フランチェスカッティは1950〜60年代の前半に活躍し、当代きっての美音の持ち主と讃えられた名ヴァイオリニストである。

メン&チャイと日本人好みの略称で呼ばれるようになった、この組み合わせは、フランチェスカッティの出した同じ組み合わせのモノラル盤に由来する。

このステレオになって再録音された演奏は、今でも必聴盤と言える。

巨匠フランチェスカッティといっても、最近ではほとんど話題にのぼらないヴァイオリニストだ。

しかし、一聴して分かるように、たちまちその豊かな表情をもった音色に魅惑される。

ハイフェッツのような切れ味爽やかというのではなく、その逆で、包み込んでくれる響きであり、エロティックとでもいうのだろうか、色気のある音色だ。

日本では、あまり高い評価を受けることなく半ば忘れられたヴァイオリニストであるかもしれないが、こんな美音が出せる人が他にいるだろうか。

かつて美音家といえばグリュミオーであったが、まったくタイプの違う唯一無比の豊麗な音色である。

チャイコフスキーの協奏曲では、目立った表情づけをしていないが、それでもチャイコフスキー節が朗々と歌われている。

その演奏は知的で気品にあふれたもので、チャイコフスキーがこんなにも澄み切った音楽だとは…。

感傷的でオーバーな表現とは次元の異なる美しさが奏でられている。

より注目はメンデルスゾーンの方で、冒頭のあの切々たるメロディーが、実に美しく奏でられている。

厳しすぎず、優しすぎず、情熱もありの癒しもありの、バランスが見事なヴァイオリンにセルの伴奏が相俟って、高潔な美しさに満ち溢れた最高の名演と高く評価したい。

音質は、年代以上に良いが、もちろん最新録音と同じようにはいかず、濁りもややあるが、オケもヴァイオリンもクリアに録られている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:20コメント(2)メンデルスゾーンチャイコフスキー 

2022年06月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



エドガル・モローの最新のアルバムは、ユダヤ教と彼らの音楽にちなんだ1枚。

カップリングされた作曲家達もラヴェルを除くブルッフ、ブロッホ、コルンゴルトはユダヤ系。

奇遇と言うべきかルツェルン交響楽団を指揮するミヒャエル・ザンデルリングもユダヤの血を継ぐ大指揮者クルト・ザンデルリングの息子だ。

若いモローがこうした作品に注目し、レパートリーに採り入れることは非常に興味深い。

ブロッホの『ユダヤ人の生活から』は、アンコール曲としても有名な「祈り」が含まれる作品集。

ヘブライ狂詩曲『シェロモ』の「シェロモ」とは、旧約聖書におけるソロモン王のことで、独奏チェロがソロモン王として曲が進行していく。

ブロッホのユダヤの世界観に根差した音楽性を壮絶な情念として書かれている。

コルンゴルトの傑作ヴァイオリン協奏曲の翌年に作曲されたチェロ協奏曲は、女流ピアニストを巡るチェリストと作曲家の三角関係を描いた映画「愛憎の曲」に書いた曲を拡大改作したもの。

モダンなハーモニーや洗練された響きの曲で、チェロのソロが緻密に濃厚に表現されている。

ユダヤ教で礼拝の際に用いられる朗誦の旋律に基づいたブルッフの『コル・ニドライ』。

異国趣味や民俗音楽を次々と取り入れたラヴェルの、アラム語による典礼文をテクストにした「頌栄(カディッシュ)」が第1曲に置かれた『2つのヘブライの歌』など、ユダヤ人のルーツとの深いつながりや、ユダヤの音楽に関連したチェロのための作品という意欲的なプログラム。

叙情的、情熱的、そして官能的な美しいモローの音は、「叙事詩的な広大なエレジー」を、歌心あるチェロ演奏の可能性を求めたものとなっている。

確かに彼らの曲には独自の精神性が宿っていて、民族的なメロディーを伴う斬新なオーケストレーションは感動的だが、モローにはまだ演奏の深みは求められない。

ただし切れの良いテクニックがもたらす鮮烈なアーティキュレーションと滔々と歌うチェロの音色が美しく、また芯の強さも感じさせる。

ルツェルン交響楽団は1806年に設立されたスイス・ルツェルン劇場の座付きオーケストラで、柔軟なサポートをしている。

ミヒャエル・ザンデルリング自身がチェリストでもあるために、独奏チェロを支えるサウンドも巧みだ。

ラヴェルの『2つのヘブライのメロディー』「カディッシュ」及び「永遠の謎」は同名の歌曲からの編曲になる。

選曲については、できればブロッホの『荒野の叫び』を加えて欲しかったが、これもかなりの大曲なので時間的に1枚のアルバムには収録しきれないだろう。

この曲はシュタルケル、メータ盤で優れた演奏が残されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:40コメント(0)ブルッフラヴェル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



この録音が行われた1986年当時、バルトールド・クイケンは古楽界の中堅として最も脂の乗り切った演奏活動をしていた時期だった。

彼の特徴は常に良い意味での模範的な演奏をすることで、技巧的に困難な部分でもさりげなく吹いてしまう。

それよりも驚かされるのは、よりシンプルに書かれたところで最高に美しく聴かせる術を知っていることだ。

2曲の協奏曲の緩徐楽章やアンダンテハ長調がその典型的な例で、彼の前の時代にはトラヴェルソを教える教師さえいなかった古楽の黎明期に、クイケンは殆んど独学でこの楽器の奏法を復活させ、独自のメソードを作り上げた。

現在の名教師としての声望は、彼の演奏自体がそのまま立派な手本になるという、例外のない模範的な実践がその理由だろう。

モーツァルトは当時マンハイムの宮廷楽団のメンバーだったトラヴェルソの名手、ヴェンドリングの演奏を想定してこれらの曲を書いた。

クイケンの演奏はかつてのヴェンドリングのそれをイメージさせるのに充分なヒントを与えてくれる。

この曲集でクイケンは黒檀製のA.グレンザー・モデルを使っている。

拓殖材より比重が重く、音の輪郭が明確でまた音自体が良く通るのが特徴だが、確かに2管編成のオーケストラにうずもれることなくソロ・パートの華やかな響きを浮かび上がらせるには最適な楽器だろう。

ワン・キー・タイプで1780年製のオリジナルからのコピーになり、ライナー・ノーツによればモーツァルトのフルートが加わる一連の曲は1777年から78年にかけての作曲とされているので、文字通りピリオド楽器による再現ということになる。

兄シギスヴァルトがコンサート・マスターを務めるラ・プティット・バンドとの協演でピッチはa'=430に調律されている。

ピリオド楽器によるモーツァルトのフルート協奏曲集の録音はそれほど多くなく、ヒュンテラーをソロに迎えた1995年のブリュッヘン、十八世紀オーケストラのセッションが挙げられる。

ヒュンテラーがオリジナルのヤコブ・デンナーを使ったことでも話題になったCDだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:24コメント(0)モーツァルトクイケン 

2022年06月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



以前イタリア・リコルディからリリースされていたもののリイシュー盤になる。

主役級の歌手達が全員全盛期のセッションで、中でもレナータ・スコットは新進気鋭のコロラトゥーラ・ソプラノとしてキャリアを踏み出した25歳の瑞々しさが漲っている。

彼女はマリア・カラスの代役として起用されて以来、ヨーロッパのオペラ劇場から引く手あまたの歌手に成長したが、またカラス自身からも惜しみない賞賛を受けていた。

しかし彼女の歌唱スタイルはカラスとは全く異なった、あくまでも美声を活かしながらすっきりとしたドラマの展開を聴かせていくタイプだ。

前者のような声の陰影を使い分けたり、激しい独白を伴った心理描写よりもむしろ曲の美しさとその様式を正確無比なテクニックで明示していくところが、ポスト・カラスの時代を象徴している。

長大なシーン「狂乱の場」でも緊張感を失うことなく切れ味の良いコロラトゥーラを堪能させる技は流石だ。

尚このセッションが録音された1959年は、奇しくもマリア・カラス第2回目の『ルチア』が録音された年でもある。

それはカラスが最後の輝きを放った、そしてまた彼女のキャリアの終焉を告げるイヴェントだったと言えるだろう。

このCDのもうひとつの聴きどころは、エンリーコ役のバスティアニーニで、彼がこのセッションを遺してくれたことは幸いと言う他はない。

ヴェルディ・バリトンとして性格的で重厚な響きの声質と気品のあるスタイリッシュな歌唱、しかも舞台栄えのする美形であったことから、その人気は絶大なものがあった。

彼の44歳での早世は、イタリア・オペラ界にとっても大きな損失であったに違いない。

このレパートリーは彼が歌ったそれほど多くない正式なセッション録音のひとつで、憎まれ役であってもはまり役としか思えない堂々たる歌声を聴くことができる。

一方エドガルドを歌うディ・ステファノは既に1953年にカラスと組んでこの役をEMIに入れている。

ここでもその突き抜けるような張りのある高音と、甘いメッザ・ヴォーチェを使った表現は声の饗宴たるこのオペラの魅力を満喫させてくれる。

最後に指揮者ニーノ・サンツォーニョだが、改めて鑑賞してみるとイタリアの指揮者としては意外にシンプルに歌わせている。

勿論歌手達に伝統的なカデンツァを許しているが、カンタービレを必要以上に引きずって曲の形式を歪めることはなく、イン・テンポを基本にして誇張のない表現に努めているようだ。

彼にもかつての大歌手時代の終わりを告げる指揮振りが窺われる。

オーケストラはスカラ座管弦楽団で、同合唱団と共に彼らの最も得意とする演目のひとつを聴く喜びを体験させてくれる。

この時代としては鮮明なステレオ録音で音質も良好だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 11:17コメント(0)ドニゼッティ 

2022年06月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



かつて発売されたショパン・コンクール入賞ピアニストである高橋多佳子の集大成的録音といえる「ショパンの旅路」からの抜粋であるが、バラードもスケルツォも基本的にはいずれも名演だ。

高橋多佳子は、いかにも女流ピアニストならではの繊細にして精緻なタッチで、ショパンの抒情溢れる名旋律をこれ以上は求めないような優美さで描き出していく。

高橋多佳子のライフワークのひとつである、ショパンの調べであり、どの曲にも、彼女なりに解釈された詩情溢れるショパン像が紡ぎ出され、息づいている。

それでいて、例えばスケルツォ第3番の強靭な打鍵による力強い迫力ある演奏には圧倒される。

テクニックについても卓抜したものがあり、さすがはショパン国際コンクール入賞者の貫録十分である。

惜しいのは有名なスケルツォの第2番。

これは、高橋多佳子にしてはいささか平凡な演奏と言わざるを得ない。

この有名曲には、ポゴレリチやアルゲリッチなどの超ド級の名演が存在しており、それらの横綱級の名演と比較すると分が悪いというのは致し方がないところであろう。

これらの横綱にはかなわないとしても、高橋多佳子ならば、もう少し彫りの深い演奏が出来たのではないだろうか。

SACDによる鮮明な高音質録音も見事であるが、録音場所がトリトーンがいつも使用している富山県の北アルプス文化センターではなく、ワルシャワ・フィルハーモニー大ホールであり、音質にかなりの違いがあるのは大変興味深い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:26コメント(0)ショパン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



一時代前はエドワード・ギボンの著した『ローマ帝国衰亡史』がこの時代を知る上で重要な手掛かりを提供する著書であったことは疑いない。

18世紀に能う限りのギリシャ、ラテン語による古典文書を読破して書き上げられたこの考察が、後の時代に与えた影響を無視することはできないし、現代においてもその価値を決して低く評価すべきではないだろう。

また本書の著者南川氏もそのエピローグの中で、紀元二世紀を帝国の全盛期、皇帝たちの「輝ける世紀」と呼びたいと記している。

ギボンの考察は当時の限られた資料の中で成しえた歴史的な結果としての総括であり、そこには勿論彼の主観が強く反映されている。

そうした既成概念を新しい資料をもとに今一度検証する意味で、本書は多くのローマ史ファンにお薦めしたい一冊だ。

確かにローマはこの時代にその版図を最大に広げ、地中海沿岸全域をその領土に組み入れたが、それには当然多くの犠牲が払われ、また一方為政者たちにとっては大きな幸運が道を開いたと言うべきかも知れない。

ハドリアヌス皇帝は死後、神格化されるどころか元老院によって危うくDAMNATIO MEMORIAEつまりカリグラやネロのように記憶抹消の断罪が下される筈だった。

彼は帝国全土を巡行して領土の状況を把握することに余念がなかったが、元老院に対してはその独裁的な粛清や治世から決定的な対立関係にあったことが本書によって理解できる。

中でも出色は元老院議会と国政の係わり合い、そして皇帝後継者選出や騎士階級の人々の出身地、また彼らの政治的力学関係及びその時代的変遷について詳述されていることだ。

ローマに早くも最初の斜陽が射し始める頃には、皇帝は元老院議員を始めとする国政の中枢部に係わる人員を家系の優劣ではなく、能力主義で抜擢するようになる。

それはローマにとっては大きな改革だったが、当然それだけの軋轢は覚悟しなければならなかっただろう。

それを巧みに乗り切ったのが結果的に五賢帝時代だったということになる。

著者は現代に伝わる史書だけでなく、碑文などをもとにしたプロソポグラフィーの研究成果を取り入れて独自の仮説を立て、生身の皇帝像とその周辺を描くことを試みた。

その手腕と努力を高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:43コメント(0)書物 

2022年06月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



チェコの名ピアニスト、ヤン・パネンカが晩年にヒストリカル・ピアノに挑戦したリストのパラフレーズ集。

演奏は流石だが楽器の老朽化のためにパネンカらしいクリアーな表現が聴き取れないのが残念だ。

またある程度は録音状態に由来する音質の濁りで、すっきりした残響が得られていないのかも知れない。

よほどの好事家でもない限りお薦めできない1枚だ。

ここで使われたヒストリカル・ピアノはウィーンの工房マトイス・アンドレアス・シュタインとコンラート・グラーフの設計になる歴史的名器だ。

工匠はナネッテ・シュトライヒャー及びヨハン・バプティスト・シュトライヒャーと記されている。

実際プラハをしばしば訪れていたリスト自身が弾いたピアノで、現在はプラハ博物館所蔵ということだ。

もちろん修復はされているようだが、当時のサウンドがそのまま再現されているとは言い難い。

それは今では手に入らない交換部品など、マテリアル的な問題でもあるだろう。

録音会場はプラハ芸術家の家ドヴォルザーク・ホールで1986年のセッションになる。

リストの作品の中でもパラフレーズはコンサートのアンコール用として採り上げられることはあっても、プログラムのメインになることは殆どない。

その理由の一つは、こうした作品はリスト自身が即興的に弾いた時に最も効果が上がるもので、さもなければよほどのヴィルトゥオーゾの大家が音楽性豊かに弾き切るのでなければ、ちりばめられた超絶技巧に辟易してしまうからだ。

また当時のサロンでは原曲を知っていることが大前提であったことも挙げられる。

パネンカの演奏は、特に2つのオペラからの大曲モーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』及びベッリーニ『プリターニ』のグランド・ファンタジーは堂々たる演奏ときめ細かい音楽性で秀逸だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:36コメント(0)リスト 

2022年06月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



モーツァルトの初期のヴァイオリン・ソナタ7曲を収録したディスク。

チェンバロがズザナ・ルージチコヴァー、そして第6番、第8番及び第10番にはペトロ・ヘイニーのヴィオラ・ダ・ガンバが加わってバス・パートをチェンバロの左手と重ねている。

録音は1990年にプラハのドモヴィーナ・スタジオで行われ、チェコ・スプラフォンからリリースされたCDの方は既に廃盤になっているが、幸いMP3で鑑賞できる。

音質は極めて良好で、スークの美音を生かした流麗なソロとルージチコヴァーの軽やかなチェンバロの音色が繊細に再生される。

彼女が弾いているのはモダン・チェンバロだが、音量は控えめで、高音のきらびやかな音はそれほど金属的ではないので耳障りではない。

スークはモーツァルトのヴァイオリン協奏曲に関しては全曲録音しているが、ソナタはこの1枚しかレコーディングの機会に恵まれなかったようだ。

ヘイニーのヴィオラ・ダ・ガンバも含めてアンサンブルは緊密で、さりげなく巧みな連携プレイが保たれているのに好感が持てる。

モーツァルトの初期のヴァイオリン・ソナタは、ヴァイオリンのオブリガートが付いた鍵盤楽器のためのソナタという、このピリオド独自のジャンルである。

後期のソナタのようなソロ・ヴァイオリンが主導権を握る形態ではなく、むしろヴァイオリンがしばしば伴奏に回る、

愛らしく軽い曲趣が特徴だろう。

後の大作に比べればシンプルな印象を受けるが、多分にギャラント様式特有の装飾豊かな華やかさも感じられる。

こうした作品は一流どころのヴァイオリニストがあまり演奏しないので、サンプルが殆ど見当たらない貴重なセッションに違いない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:16コメント(0)モーツァルトスーク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1959年のセッション録音で、当時のデッカのスター歌手達が一堂に会した声の饗宴に相応しい『ラ・ボエーム』だ。

この作品のテーマは愛らしい感傷的な物語で、英雄が登場するわけでもないし、怨恨が火花を散らすような場面もない。

だからこじんまりとした舞台作品として創ろうと思えばそれも充分可能だし、むしろ相応しいかも知れない。

しかしここでは大歌手達が、あたかもヴェルディの悲劇のような恐ろしくスケールの大きな舞台をイメージさせる。

セラフィンのイタリア・オペラを知り尽くした指揮も聴きどころのひとつだ。

特に第2幕幕切れの軍隊の帰営の行進とカフェ・モミュスの勘定書きをアルチンドーロに押し付け、どさくさに紛れて逃げ出すボヘミアン達の退場は、オーケストラのダイナミズム、ラレンタンドとアッチェレランドを巧妙に組み合わせて劇的に幕切れを表現していて素晴らしい。

サンタ・チェチーリアはこの頃オペラの録音を頻繁に行っていて、イタリア風の明るさと、軽快な機動力が良く行かされている。

歌手陣は言うまでもなく甲乙つけがたいが、ロドルフォを歌うベルゴンツィは『冷たい手を』で胸のすくようなハイCを聴かせるし、それに答えるミミ役のテバルディのアリア『私の名はミミ』はかつて聴いたことがないほどスケールが大きい。

コミカルな役柄マルチェッロがバスティアニーニというのも贅沢なキャスティングで、また短いアリア『外套の歌』一曲で存在感を与えるコリーネ役のシエピも上手い。

勿論アルチンドーロとベノワの二役をこなすコレナはいつも通り、達者な芸で笑わせてくれる。

指揮者セラフィンは、ある程度歌手達の自由な歌唱を許しながら、起承転結を熟知した老獪ともいえる統率でこのオペラを宝石のように輝かせている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:56コメント(0)プッチーニセラフィン 

2022年06月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マーラーの交響曲第3番は、重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの作品の中でもとりわけ最大規模を誇る楽曲である。

したがって、この長大な楽曲を聴き手にいささかの冗長さを感じさせずに聴かせる演奏を行うのは至難とも言える。

同曲演奏史上最高の名演であるバーンスタイン&ニューヨーク・フィル盤(1987年)は、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱、猛烈なアッチェレランドを駆使するなど彫琢の限りを尽くしたドラマティックな演奏を行うことによって聴き手を深い感動に導いた。

このような劇的な表現は、聴き手にある種の張り詰めた緊張感のようなものを強いるとも言えるだろう。

これに対して、本盤に収められたマーツァルによる演奏は、長大な同曲をいささかも飽きさせることも、そして緊張感を強いることもなく、終始楽しく聴くことが可能である。

チェコ・フィルは、その独特の味わい深い音色が持ち味の中欧の名門オーケストラである。

マーツァルは同オーケストラをバランス良く鳴らして、マーラーの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが施された曲想を美しく明瞭に描き出している。

それでいて、スコアに記された音符のうわべだけを音化しただけの薄味な演奏には陥っておらず、どこをとってもコクがあり情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。

本演奏を聴いていると、心が幸福感で満たされてくるような趣きがあり、聴き終えた後の爽快感、充実感は、他の演奏では決して味わうことができないものであると言えるだろう。

これは間違いなくマーツァルの類稀なる音楽性の豊かさの賜物である。

前述のバーンスタイン盤とはあらゆる意味で対照的な純音楽的な演奏としては、本演奏は随一の超名演と高く評価したい。

また、チェコ・フィルの極上の美演も本名演の魅力の一つである。

第1楽章のホルンの朗々たる響きは雄渾な美しさを誇っている。

第3楽章における名手ミロスラフ・ケイマルによるポストホルンの演奏は、チェコの大自然を彷彿とさせるような澄んだ音色が美しさの極みである。

第4楽章のビルギット・レンマートの歌唱も見事であり、第5楽章におけるプラハ・フィルハーモニー合唱団及び児童合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:23コメント(0)マーラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



甘美な音色と抜群のテクニックを看板にして楽壇に登場したイツァーク・パールマンの溌剌とした情感があふれ出たような演奏だ。

パールマンはクライスラーの作品を得意としていたが、ちょっと合わないように思う人もいるかもしれない。

実は彼の演奏するクライスラーの音楽は、ウィーンの演奏家に劣らないほどウィーン風の美しさを持っている。

それはひとつには、パールマンがどんな曲を弾いても常に自分自身で楽しんで演奏する、そうした彼の本質によるものだ。

アーティキュレーションが格別に見事な、そして自らの表現力とテクニックを誇示すると言っても過言ではないその演奏は、それぞれの曲をいわば白日の下に置く。

あまりにも光の部分が表に出過ぎているが、このヴァイオリンの名手クライスラーの音楽に新しい光を当てる、颯爽とした見事な演奏であることは確かなことだ。

それに加えてこのクライスラーの音楽では、嫌味のない自然なポルタメントを用いてウィーン独特の雰囲気を醸し出していることにもよる。

例えば、ドヴォルザークの《スラヴ舞曲》の編曲では、多用される二重音の表現にノスタルジアさえも感じられ、ドヴォルザークよりもウィーンのクライスラーを強く感じさせる。

また《美しきロスマリン》や《愛の悲しみ》などの、微妙なテンポの揺れやワルツのリズムの取り方にも独特のものがある。

こうした際物的なピースの演奏においてパールマンの柔軟な姿勢がこれほど好ましい印象を残した例も少ない。

彼の演奏表現には聴衆に対する良い意味での媚があり、それは時として官能的でもあるし、忘れ去られた過去への追憶を蘇らせることもある。

また彼には聴く者の心を積極的に捉えようとする庶民的な気さくさがある。

そしてその為にはあらゆるテクニックを駆使するが、決して度を過ごした品のない表現に陥らないのは彼の秀でた音楽性の賜物だろう。

自己の芸術的な理想は高邁なものであっても時には聴衆と一緒に歩んで行く、そんな彼の優しさがここに収められた19曲に集約されている。

それぞれの曲に思いが込められ個性が与えられて理屈抜きに楽しませてくれるアルバムだ。

ソロをサポートするサミュエル・サンダースのピアノもうまさも注目され、音楽的センスの光る名伴奏で、まさに珠玉の小品集の名に相応しい仕上がりになっている。

1975年から78年にかけての録音が今回新たにリマスタリングされ音質もきわめて良好だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:51コメント(0)クライスラーパールマン 

2022年06月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1957年録音で、メンバーはサントゥッツァがレナータ・テバルディ、トゥリッドゥはユッシ・ビョルリンク、アルフィオがエットレ・バスティアニーニ、ローラはルチア・ダー二で、いずれも全盛期、しかも絶好調のセッションになっている。

アルベルト・エレーデの指揮でオーケストラはフィレンツェ五月祭管弦楽団。

デッカからはその後1960年にメゾ・ソプラノのシミオナートがサントゥッツァを歌った、デル・モナコ、マックニール、セラフィン指揮、ローマ・サンタチェチーリア盤がリリースされることになる。

エレーデ盤はフィレンツェでの上演に沿ったレコーディングらしく、スウェーデン生まれのテノール、ビョルリンクが加わっているのが特徴だろう。

彼の歌唱は真摯で、声も素晴らしいが、シチリア島という南イタリアの中でも血の気の多い気性の表出には、それほど成功していない。

一方テバルディは通常高貴な役柄が殆どなので、片田舎の娘は適していないように見えるが、ドラマティックな歌唱で充分サントゥッツァの役を果たしている。

トゥリッドゥとの二重唱の後吐き捨てるように言う「あんたには、呪われた復活祭を!」のセリフは凄まじいものがある。

バスティアニーニの馬車屋アルフィオもヴェルディ・バリトンとしては際物的なレパートリーだが、彼の存在感はこのオペラを非常に魅力的なものにしている。

作品自体の出来栄えは、イタリアでもそれほど評判が良くない。

つまり文学的に低俗で、音楽性もそこそこ、歌手には声の負担を要求するという理由からだが、こうした欠点を補うのは豪華絢爛の名歌手の共演が欠かせない。

そうした面でもこのセッションは成功している。

エレーデの指揮は歌手陣を生かすことに主眼が置かれていて、プレリュードなどではやや冗長になるきらいがあるのも事実だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:48コメント(0)マスカーニ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



新しい時代の到来を告げた名演というのがある。

名演はいつの時代にも存在したが、それまでの歴史にない新しい美学、技術とセンスに裏付けられた演奏が登場した時、さらに演奏の歴史は一歩先へと歩みを進め、感動は塗り替えられてきたのである。

1936年スイス生まれの名指揮者シャルル・デュトワは1978年カナダのモントリオール交響楽団の音楽監督に就任した。

決して世界的名門オーケストラではなかったし、デュトワも地位を確立していたわけではなかったが、42歳になったばかりのデュトワは厳しい指導でオーケストラを鍛え直し、最愛の、そして世界に自慢できる自分の楽器に育て上げた。

しかもフランス近代の作品を演奏しては世界最高と言われるまでの洗練された美しさと優雅な気品、さらに劇的表現力で一世を風靡し始めたのである。

それはオーケストラ界にもグローバル化の波が押し寄せ、フランスのオーケストラもインターナショナル化の波に呑み込まれ、独特のニュアンス豊かな演奏の妙味、香しい音色のマジックを失いつつあった時期と重なる。

それだけにデュトワ&モントリオール交響楽団が聴かせたフランス音楽は「フランスのオーケストラ以上にフランス的」と絶賛されて、ファンの度肝を抜いたものである。

パリのオーケストラも失ってしまった、本来のフランス的なエスプリが、カナダのフランス語圏にある、ケベックの首都に脈々と生き続けていたのである。

特に洗練された管のソロと、きめの細かな弦のアンサンブルは、沢山の楽器を集めるのは大きな音を出すためではなく、より多彩な音を求めるためであるという、フランスのオーケストラの美学を主張したものと言えた。

そんな奇跡の最初の引き金となったのが、このコンビのデビュー・レコーディングとなったラヴェルの管弦楽曲全集であった。

その筆頭を飾るバレエ音楽《ダフニスとクロエ》が1980年の収録だからデュトワが音楽監督に就任して2年目になるが、デュトワは自身の思い入れで作品を塗り込めるのではなく、むしろ客観的な精度と冷静なコントロールで作品を再現、作品そのものに自らを語らせる、そんな演奏を作り出している。

もし、それが普通のレヴェルの演奏であったならさしたる感動も引き起こさなかったと思われるが、デュトワの美学と怜悧なプロ意識は徹底しており、機能美に徹することで機能美を超えて豊かな抒情性とふくよかな詩情の豊かさを獲得、聴き手を唖然とさせた。

名演であることは誰の耳にも明らかとなったが、それが正確緻密に磨き上げられた異例の純度の高さを背景にしているだけに、聴き手は主観的解釈に眼を開かれるのではなく、現代のオーケストラが達成した機能美と作品の素晴らしさを同時に味わうという新次元の感動に酔い、我を忘れたのである。

しかもこの時期のモントリオール交響楽団の演奏には爽やかな緊迫感といったものが全体に漲っており、それが演奏の鮮度を常に新しく保持させる魅力にもなっている。

いつまでも愛される普遍的価値を持つ名盤であるように思われてならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:32コメント(0)ラヴェルデュトワ 

2022年06月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



グラズノフは、チャイコフスキーやロシア5人組などの帝政ロシア時代末期に活躍した大作曲家と、プロコフィエフやラフマニノフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチなどの旧ソヴィエト連邦時代に活躍した大作曲家(ラフマニノフやストラヴィンスキーは国外での活躍が中心であるが)の間に挟まれた、いわゆる狭間の世代の作曲家である。

これら前後の世代の作曲家の活躍があまりにも華やかであったこともあり、グラズノフは比較的目立たない存在に甘んじていると言わざるを得ない。

前述の旧ソヴィエト連邦時代に活躍した作曲家に絶大なる影響力を誇ったことを考えると、大変嘆かわしい状況に置かれていると言えるのではないだろうか。

グラズノフの楽曲は、チャイコフスキーやラフマニノフほどではないものの、その旋律は、メランコリックなロシア風の抒情に満ち溢れており、内容も多彩な変化に富んでいるなど、聴き応えがあり大変魅力的である。

交響曲は全部で8作存在しているが、いずれも親しみやすい名作揃いである。

全集を録音した指揮者は、これまでのところネーメ・ヤルヴィや尾高忠明、セレブリエールなどを除くと基本的にロシア系の指揮者に限られている。

そのことが前述のような現在におけるグラズノフのいささか残念な認知のされ方を表しているとも言える。

フェドセーエフは、本盤以外にもグラズノフの交響曲全集をスタジオ録音(1976〜1979年)しているので、本盤はスタジオ録音とほぼ同時期にライヴ録音された2つ目の全集ということになる。

スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキーなどの先輩指揮者の演奏は、ロシア風の民族色を全面に打ち出したアプローチを行っているのが特色であった。

それに対しフェドセーエフのアプローチは、スタジオ録音でもそうであったように、より純音楽的なものである。

本盤のライヴ録音の方が、スタジオ録音よりもより情感に満ち溢れた熱い演奏になっているように思うが、基本的なアプローチは何ら変わっていないと思われる。

もちろん、純音楽的とは言ってもスヴェトラーノフなどのあくの強い演奏との比較の話であり、グラズノフの交響曲が含有するメランコリックなロシア風の抒情の表現においても、いささかの不足はない。

モスクワ放送交響楽団も、フェドセーエフの指揮の下、ライヴ録音とは言えないような卓越した技量をベースとした素晴らしい演奏を披露しており、本全集の価値を高めるのに大きく貢献をしている点を忘れてはならない。

録音も比較的良好であり、文句のつけようがないレベルに達している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:14コメント(0)現代音楽 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アリスによるアルバム第4弾であるが、とてもデビューして間もないピアニストの演奏とは信じられないような成熟した演奏を聴かせてくれている。

彼女のチャイコフスキ−の協奏曲と同様、彼女の演奏はピアノの技巧を感じさせない、素晴らしい音楽のみが聴こえてくるのだ。

初のベートーヴェンのピアノ・ソナタの録音であるが、初期の第3番はともかくとして、いきなり第21番「ワルトシュタイン」の録音に臨むとは、大変恐れ入った次第である。

アリスとしてもよほど自信があるのだろう。

ライナーノーツの解説によれば、10年来の研究・練習の成果とのことであるが、確かに、ここでは若きピアニスト特有の青臭さなど微塵も感じられない。

アリスのベートーヴェンは繊細な神経に支えられ、そしてスケールの大きなものであり、特に「ワルトシュタイン」はベートーヴェンのピアノを理想的に表現している。

それにしても、何という堂々たるピアニズムであろうか。

卓越した技量も当然のことながら、男性顔負けの力強い打鍵には圧倒される。

それでいて、抒情的な箇所での情感豊かさは、さすがは女流ピアニストならではの繊細な美しさに満ち溢れている。

要は、表現の幅が広いということであり、この年齢にして、これだけの表現ができるというのは、アリスの類稀なる才能と、今後の前途洋々たる将来性を感じずにはいられない。

併録の小品もいずれも名演であり、特に、ボーナストラックの「エリーゼのために」の高踏的な美しさは、実に格調が高く、アリスの芸術性の高さを改めて思い知らされた。

録音も実に鮮明であり、アリスのピアノを完璧に捉えられているのが素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:08コメント(0)ベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本演奏を聴いて大変驚くとともに深い感銘を覚えた。

サヴァリッシュと言えば、どうしてもNHK交響楽団を指揮した、立派ではあるが大人しい演奏が印象的であるだけに、筆者としても、これまで所詮はベームの亜流指揮者としてあまり高い評価をして来なかった。

史上最年少でバイロイト音楽祭に登場するなど、才能には抜群のものがあり、凡演は少ないものの、他の指揮者を圧倒するような名演を成し遂げることも殆どないといったところが、これまでのサヴァリッシュに対する共通の評価と言えるのかもしれない。

しかしながら、本盤の両曲の演奏は、そうした印象を覆すのに十分な圧倒的な演奏なのではないだろうか。

冒頭のモーツァルトの交響曲第39番からして、重厚で彫りの深い表現に大変驚かされる。

演奏全体の堅固な造型美は相変わらずであるが、それ以上にどこをとってもあたりを振り払うような威容に満ちた風格が漂っているのが素晴らしい。

あたかもベートーヴェンの交響曲に接する時のような硬派の演奏と言えるが、それでいて四角四面に陥らず、モーツァルトらしさをいささかも失わないというのは、多分にウィーン・フィルによる美演によるところが大きいと言える。

いや、むしろ、ウィーン・フィルにこれだけの名演奏をさせたサヴァリッシュの類稀なる才能と統率力を褒めるべきであろう。

いずれにしても、このような素晴らしい超名演を聴いていると、ベームがサヴァリッシュを何故に高く評価し、信頼していたのかがよく理解できるところだ。

次いで、ブルックナーの交響曲第9番も凄い超名演だ。

まさに壮絶の極みとも言うべき豪演であり、指揮者の名前を伏せて聴くと、サヴァリッシュによる演奏であると言い当てる者は殆どいないのではないか。

とてもNHK交響楽団を指揮していたサヴァリッシュとは思えないような凄みのある指揮ぶりでありる。

多くの聴き手が、サヴァリッシュに対するこれまでの印象を大きく変えるきっかけとなるかもしれない。

そして、おそらくは、サヴァリッシュによる最高の超名演と言っても過言ではないと言えるのではないだろうか。

第1楽章からしてテンションは全開。

とかく安全運転に終始しがちなサヴァリッシュ&NHK交響楽団による演奏とはそもそも次元が異なる緊迫感に貫かれている。

どこをとっても濃密かつ重厚な音楽が紡ぎ出されているのが素晴らしい。

ブラスセクションなども最強奏させているが、いささかも無機的になることなく、懐の深さを有しているのが見事である。

第2楽章の速めのテンポによって畳み掛けていくような気迫や怒涛のような重量感溢れる進軍にはただただ手を汗握るのみ。

本気になった指揮者とオーケストラによる真剣勝負のぶつかり合いがここにあると言えるだろう。

終楽章も凄まじい。

1990年代にヴァントや朝比奈が成し遂げた悠揚迫らぬインテンポによる演奏とは大きく異なり、テンポの効果的な振幅なども織り交ぜたドラマティックな表現も駆使している。

それでいてブルックナーらしさをいささかも失わないというのは、サヴァリッシュがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みしているからに他ならない。

そして、ウィーン・フィルによる極上の美を誇る名演奏が、本演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

演奏終結の後、かなりの間をおいて拍手が沸き起こるのも、当日の聴衆の深い感動を物語るものと言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、サヴァリッシュによる至高の超名演であり、サヴァリッシュに対する印象を一変させるだけのインパクトのある圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質は、1983年のライヴ録音であるが、十分に満足できる良好な音質と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:03コメント(0)モーツァルトブルックナー 

2022年06月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マーツァルは、チェコ・フィルとともにマーラーの交響曲全集の録音を行っていたが、「第8」と「大地の歌」、「第10」を残したところで中断してしまっている。

その理由は定かではないが、既に録音された交響曲の中では、本盤に収められた「第5」と「第3」が特に素晴らしい超名演に仕上がっている。

他の交響曲の演奏の水準の高さからしても、是非とも全集を完成して欲しいと考えていたところである。

さて、この「第5」であるが、これが実に素晴らしい名演なのだ。

「第5」の名演と言えば、いの一番に念頭に浮かぶのがバーンスタイン&ウィーン・フィルによる超名演(1987年)だ。

これは変幻自在のテンポ設定や、思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使したドラマティックの極みとも言うべき濃厚な豪演であった。

おそらくは同曲に込められた作曲者の絶望感や寂寥感、そしてアルマ・マーラーへの狂おしいような熱愛などを完璧に音化し得た稀有の超名演である。

これに肉薄するのがテンシュテット&ロンドン・フィル(1988年)やプレートル&ウィーン響(1991年)の名演であろう。

ところが、マーツァルの演奏には、そのようなドラマティックな要素や深刻さが微塵も感じられないのだ。

要は、マーラーが試行錯誤の上に作曲した光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを、マーツァルは独特の味わい深い音色が持ち味のチェコ・フィルを統率してバランス良く音化し、曲想を明瞭に、そして情感を込めて描き出している。

まさに純音楽に徹した解釈であるが、同じ純音楽的な演奏であっても、ショルティ&シカゴ響(1970年)のような無慈悲なまでの音の暴力にはいささかも陥っていない。

はたまたカラヤン&ベルリン・フィル(1973年)のように耽美に過ぎるということもない。

「第5」をいかに美しく、そして情感豊かに演奏するのかということに腐心しているようである。

我々聴き手も聴いている最中から実に幸せな気分に満たされるとともに、聴き終えた後の充足感には尋常ならざるものがある。

いずれにしても本演奏は、前述のバーンスタイン盤などのドラマティックな名演とはあらゆる意味で対極にあるものと言える。

「第5」の魅力を安定した気持ちで心ゆくまで堪能させてくれるという意味においては、素晴らしい至高の超名演と高く評価したい。

このような純音楽的な名演において、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音は実に効果的であり、本名演の価値を更に高めるのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:25コメント(0)マーラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1953年のモノラル録音のハイブリッドSACDバージョンで、録音状態はこの時代のEMIの音質を象徴している。

立体感に乏しく解像度もそこそこだが、LP時代の疑似ステレオ盤に比べればかえってモノラルの良さがあらわれていて、多少奥行きも感じられる。

新規にリマスタリングされたSACDで鑑賞するのであれば、これまでにリリースされたディスクの中でも最も恵まれた音質で聴くことができる。

特に声楽が瘦せることなく、声に艶が加わっている。またオーケストラの高音も伸びが良く、総奏の部分でもこれまで再生し切れなかったつぶれたような音質になることが避けられている。

過去何度もリニューアルされ、リイシュー盤も数えきれないほどリリースされているが、これが現在決定盤になっている。

『トスカ』で1組といえば、カラスの旧盤に尽きる。

レコード史上に燦然と輝く名盤で、カラスのトスカ、ディ・ステファノのカヴァラドッシ、ゴッビのスカルピアの3人とも、最絶頂期の録音だけあって、お互いの魂のぶつかり合いは凄まじいばかりである。

まさにオペラ黄金時代の音源の中でも最高峰に位置するセッションである。

名歌手の三人を始めスカラ座管弦楽団を恐ろしいほどに統率するデ・サーバタのドラマティックな表現がこのオペラに異様な緊張感を与えている。

カラス、ステファノ、ゴッビも全盛期で、彼らは声で芝居ができる人たちだった。

カラスの激情的でひたむきなトスカは他の追随を許さず、これ以後の新盤と比べてもいささかも見劣りせず、劇的表現を満喫できる。

有名な「歌に生き、愛に生き」など、まさに絶唱だ。

それにゴッビの何とも見事なスカルピアと繰り広げる第2幕はまさに息詰まるばかりだ。

デ・サーバタの指揮は、イタリアのたくましい歌の魂と、表現するドラマとしての音楽の正しい把握のうえに、管弦楽を有機的に駆使し雄弁なドラマを作り出している。

またデ・サーバタは彼らの芸を認め、現代のような歌手を小粒にさせて指揮者の細かい要求にことごとく従わせるようなことはしなかった。

むしろ歌手陣は声の威力を最大限に発揮させ、積極的で大らかな、しかも驚異的な歌唱の饗宴を可能にした時代の貴重なサンプルだ。

肉声と管弦楽のすべてを一体化した劇音楽としての統一と、その表現力において、イタリア・オペラの演奏の究極を極めた稀にみる名演である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:39コメント(0)プッチーニカラス 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



選曲、演奏、録音の3拍子そろった素晴らしい名演集であると高く評価したい。

まず、いかにもグリモーならではのセンス満点の選曲の妙が見事だ。

モーツァルトからリスト、ベルク、そしてバルトークに至る作品の変容の系譜を1枚のCDで味わうことができるのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

バルトークの選曲に当たって、ピアノ・ソナタではなく、ルーマニア民俗舞曲を採用したのも大変興味深いところだ。

そして、演奏内容も凄い。

モーツァルトなど、他のピアニストによる演奏とはまるで異なる、いわゆる崩した演奏ではある。

それでもグリモーの心の込め方が尋常ならざるレベルに達しているため、非常に説得力のある名演に仕上がっている。

ベルクやリストの、超絶的なテクニックも凄いの一言。

特に、リストは、卓越したテクニックを要するだけでなく、幅広い表現力をも必要とする。

グリモーは、力強い打鍵から天国的な抒情の美しさに至るまで完璧に表現し、実にスケール雄大な名演を成し遂げている。

特に、強靭な打鍵は、女流ピアニストの常識を覆すような圧倒的な迫力に満ち溢れている。

ルーマニア民俗舞曲の各曲の巧みな描き分けも、前3曲のピアノ・ソナタを総括するようなドラマティックなアプローチで巧みに行うことに成功している。

どの曲も唯一無二のグリモー色に染まっており、各曲に嵌っているか否かにつき聴き手の印象が大きく異なるものの、有名曲の新たな解釈の面白さという点で非常に興味深く聴ける1枚だと思う。

録音も鮮明であり、特に、ピアノ曲との相性抜群のSHM−CD化は、本盤の価値を高めるのに大きく貢献していると言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:19コメント(0)リストベルク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



往年の2大女流ピアニストの超貴重演奏を収録した好企画ディスクである。

女帝エリー・ナイと若きべームによるベートーヴェン『皇帝』、日本でも絶大な人気を誇った、モーツァルト、シューベルト弾きとして名高いリリー・クラウスによるソナタ第30番というカップリングの現役盤だ。

輸入盤で一連の録音が発売され、近年注目を浴びている名女流ピアニストのエリー・ナイはその活躍の割には録音が少ない部類であるが、ベートーヴェン『皇帝』のナイの貴重な演奏を堪能することができる。

まず出だしのカデンツァからして豪快な弾きっぷりに驚かされる。

まだ若いべームがついていくのがやっとのように、自由奔放、自己流の『皇帝』なので、現代のピアニストが聴いたら少し呆然とするかもしれない。

ペダルは踏みっぱなし、多少のミスもお構いなし、「私はエリー・ナイよ!」と音が言っているかの如く、皇帝ならぬ女帝ぶりが聴いていて大変面白いところだ。

べームも若いといいながらも既にウィーン・フィルをバックにナイに挑んでいる事を考えれば、当時は中堅でその実力を認められていた存在だったにも関わらず、完全に主導権はナイが握っていると言える。

一説によると、この演奏はマグネトフォン録音だったとも言われ、確かに当時としては録音は良い方であり、ナイのピアノの音の強弱・表情付けは非常によくわかる。

マイクの場所が制限されていたのか、オケについては弦楽器が強く、木管、金管はやや遠めに聴こえ、鋭いがキンキンした音ではないのが幸いして迫力は十二分に伝わるものである。

もう一人の名女流ピアニストは、日本でも人気が高いリリー・クラウス。

クラウスといえばモーツァルト、シューベルトといった録音が知られ、その演奏についての評価も高く、評論家宇野功芳氏も愛してやまないピアニストだ。

そのクラウスのベートーヴェンの第30番の演奏を聴いてまた驚いた。

第30番の内容は変奏曲風で、下手なピアニストの演奏では退屈極まりない駄曲になってしまいがち。

クラウスの紡ぎ出す一音一音が非常に清楚でチャーミングで、力強さの中に見せるベートーヴェン後期の柔らかい楽想が良くわかる演奏と言える。

個性豊かな2人の名女流ピアニストによる、珠玉のベートーヴェンを是非この機会に聴いてみて欲しい。

両曲ともLPからの復刻の為、それに伴うノイズ、歪みなどがあるが、観賞の妨げになるほどではない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 02:13コメント(0)クラウスベーム 

2022年06月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マーラー9番目の交響曲であるが、第9番という通し番号を持っていない。

番号なしの理由については、ベートーヴェンやブルックナーが交響曲を第9まで書いて死んだので第9番を書くと自分も死ぬのではという恐怖にかられた作曲者が第9という番号を避けたのだ、というアルマ・マーラーの証言が、あまりにもよく知られてきた。

「大地の歌」、第9、第10交響曲という最後の3曲が「死」もしくは「告別」を中心モティーフにしていることは議論の余地がない。

それを1907年に作曲者を襲った三つの「運命の打撃」のせいにする「人生」と「芸術」の安易な結びつけも、これまで常套的におこなわれてきた。

これらは主としてアルマが作った、晩年のマーラーをめぐる伝説の一環である。

「大地の歌」は優秀な二人の歌手を必要とするものの、演奏時間は60分弱と手ごろであるし、オーケストラの編成もさほど大きくないことから、マーラー受容史の上では第1、第4交響曲と並んで、比較的早くからよく知られてきた作品、それどころか彼の代表作とされてきた作品である。

代表作というレッテルを撤回する必要は今でもまったくないと思うが、ここにはアルマ作による伝説の効果を如実に見ることができる。

アルマが故意に嘘の話をでっち上げたわけではないが、第9という番号や死の強迫観念をめぐる物語は、まだ世に知られる亡夫の作品を売り出そうという彼女の商策にとっては、結果としてまことに効果的な小道具となったのである。

実際には、この曲に「第9」という番号がないのは、代わりに「大地の歌」という表題があるせい、つまり交響曲と歌曲のハイブリット作品であるせいである。

マーラーの交響曲のなかで、作曲者自身がタイトルをつけ、それを最後まで残したのはこの曲だけである。

作曲の過程を見ても、この曲が番号付きの他の交響曲とは違う手順で作曲されたことがよく分かる。

マーラーの交響曲は、これまで主として夏休み休暇中にパルティチェルが書かれ、オペラのシーズンに入ってから、暇を見つけては、それをフルスコアに仕上げてゆくという手順で書かれていた。

しかるに、「大地の歌」の場合、最初に書かれたのはピアノ伴奏譜である。

ピアノ伴奏譜からフルスコア用の草稿のが作られ、オーケストレーションされる一方で、実際にピアノで弾くには難しすぎる最初のピアノ伴奏譜からは、より弾きやすい出版用のピアノ伴奏譜が作られる。

これはマーラーの歌曲手順とまったく同じであり、その結果、彼の管弦楽伴奏歌曲のすべてには、ピアノ伴奏譜も存在している。

ただし、「大地の歌」の場合は、出版用ピアノ伴奏楽譜の作成は途中で中断されてしまい、そのために現在は出版され、演奏や録音にも使用されているピアノ伴奏譜は演奏至難なものとなっている。

これは、この曲が当初、歌曲として作曲され始めながら、やがて交響曲へと、つまり交響曲と歌曲というマーラーが生涯にわたって作曲し続けた二大ジャンルを統合する意欲作といったことを示している。

ちなみにだからといって、マーラーの交響曲全集に「大地の歌」を外すのは指揮者の見識を疑う。

ノイマン、マゼール、アバド、ギーレン、シノーポリ(後に「大地の歌」だけ単発された)らは何故「大地の歌」を録音しないのか?

晩年のバーンスタインも「大地の歌」以外の交響曲とほとんどの歌曲は録音したのに「大地の歌」だけ録音せずに逝去したのはかえすがえすも残念なことである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:23コメント(0)マーラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



江崎昌子による待望のショパンのピアノ作品集の第5弾の登場だ。

ポーランドを第2の拠点として活躍するピアニスト、江崎昌子は、2004年度日本ショパン協会賞を受賞し、ショパン演奏が高く評価される日本を代表するショパン弾きである。

筆者は、マズルカ全集におけるセンス満点の素晴らしい名演に接してから、江崎昌子が発売するショパンのピアノ作品集の演奏に注目してきたところである。

エチュード集にしても、はたまたピアノ・ソナタ全集にしても、ノクターン全集にしても、江崎昌子の類稀なる音楽性とセンスの良さが如何なく発揮された演奏に仕上がっている。

正に前述のマズルカ全集にも比肩し得るだけの素晴らしい名演と言えるところだ。

そして、本盤のバラード集&即興曲集であるが、前述の既発売のピアノ作品集にも優るとも劣らない、そして、まさに我々聴き手の期待がいささかも裏切られることがない圧倒的な名演と高く評価したいと考える。

江崎昌子による本演奏は、第4弾までの演奏と同様に、ショパンの各楽曲に対する深い洞察力に裏打ちされた、実に考え抜かれた解釈が光っている。

ショパンの怒り・哀しみ・喜び、ショパンが生きていた頃のポーランドの事などピアノの音色から様々な想いが伝わってくる。

おそらくは、録音に至るまでに何度も両曲集を弾きこなすとともに、スコアに記された音符の表層にとどまらない。

各曲の音符の背後にある作曲当時のショパンの精神構造や時代背景に至るまで、徹底した追究が行われたのではないかと考えられるところだ。

江崎昌子は、こうした徹底した自己研鑽とスコアリーディングに基づいて、バラード集や即興曲集を構成する各曲を万感の思いを込めて情感豊かに曲想を描き出している。

このように考え抜かれた演奏を旨としてはいるが、理屈っぽさや生硬さは皆無であり、音楽が滔々と自然体に流れるとともに、バラードや即興曲の美しさや魅力を聴き手にダイレクトに伝えることに成功しているのが素晴らしい。

加えて、ショパンの演奏に時として聴かれる陳腐なロマンティシズムなど薬にしたくもなく、どこをとっても気高い品格と洒落た味わいを兼ね備えているのが素晴らしい。

もちろん、ルービンシュタインやフランソワ、コルトーなどによる歴史的な超名演などと比較すると、いわゆる強烈な個性にはいささか不足していると言えなくもない。

しかし、バラードや即興曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味では、これまでの様々なピアニストによる同曲の名演にも引けを取っていない。

少なくとも、我が国の女流ピアニストによるショパンの演奏としては、間違いなく最右翼に掲げられるべき圧倒的な名演と評価しても過言ではあるまい。

音質は、SACDによる極上の高音質録音であり、江崎昌子のピアノタッチが鮮明に再現されるのは実に見事であり、本名演の価値をより一層高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤は、江崎昌子による素晴らしい名演と極上の高音質録音が相俟った名SACDと高く評価したいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:49コメント(0)ショパン 

2022年06月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ギボンのローマ帝国衰亡史の第2巻はローマが軍人皇帝時代に入って起こる混乱と、かつての秩序と平和を取り戻すディオクレティアヌス帝の尽力が著者一流の筆致で活写されている。

三世紀後半の帝国は彼の言う崩壊寸前の窮地に追い込まれていたが、それを持ち前の戦略と軍事力で持ちこたえる何人かの知将が軍隊から推挙される。

しかし結果的にディオクレティアヌス以外は帝国への長期的な展望を持つことなくいわゆる三日天下で終わってしまう。

彼らには将来の帝国存亡の危機を案じた堅牢な国策が欠けていたし、また元老院議会の権威の失墜も見逃せないだろう。

唯一ディオクレティアヌスだけが四分割統治するテトラルキアを実現した。

そこにはもはや広大な領土を一人の皇帝が単独で支配することの限界を認識せざるを得なかった現実がある。

また彼の引き際の良さからもギボンは賢帝と称賛している。

この時代はキリスト教迫害が再び活発化する。

最後の二章で同時期のユダヤ教とキリスト教の展開や迫害についてもかなり詳しく考察されている。

ローマは領土拡張のグローバリゼーションを国策として掲げて以来、宗教に関しては寛容政策を取り、人種差別もしなかった。

勿論それにはローマ皇帝を崇拝し、国策に従うという大前提があってのことだが、一神教たるユダヤ、キリスト教の信者はローマ皇帝を崇拝することができなかった。

しかしネロ、ドミティアヌス両帝の残虐な迫害は国策ではなく、専ら個人的な動機から起こったことが理解できる。

小プリニウスがキリスト教信者の扱いをトライアヌス帝に訪ねた書簡の返書で、帝は罪状に基く判断をプリニウスに任せている。

迫害が最後の頂点に達したディオクレティアヌスの時代も、実は彼の本心からではなかったことが推察される。

また信者自身の創作による殉教者の英雄談が、布教にとって非常に効果のあるエレメントだったことも冷静に分析されているのが興味深い。

対照的にコンスタンティヌス帝によるキリスト教容認は多分に政治的な目論見があったと言えるだろう。

自身カトリックに改宗したにも拘らず、このあたりのギボンの洞察は鋭い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:03コメント(0)書物 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



18世紀英国の歴史家エドワード・ギボンの業績には、その後の研究成果から疑問を差し挟む歴史家が大半であることは事実だ。

当時入手可能だった能う限りのギリシャ、ラテン語による原典資料を調べ上げて、歴史家達の永遠のテーマでもあるローマ帝国の凋落の原因を逸早く探った。

しかし当初のギボンの構想は、それまでに集積されたローマに関する史書の文献批評を一冊に纏めることだったとしている。

その啓蒙精神もさることながら12年の歳月をかけて全10巻を出版し、当時の教養人の渇を癒しただけでなく、現代の私達にも多くの示唆を与え続ける功績は評価されるべきだろう。

彼は『仮にもし世界史にあって、もっとも人類が幸福であり、また繁栄した時期とはいつか、という選定を求められるならば、おそらくなんの躊躇もなく、ドミティアヌス帝の死からコンモドゥス帝の即位に至るこの一時期を挙げるのではないだろうか』(156ページ)と書き、五賢帝時代を称賛したために、後の時代のより進歩した研究者から異論が出ることになる。

ギボン自身その序文でローマの衰退の第一期はトラヤヌス帝及び両アントニヌス帝に始まると明言しているし、更に遡ってアウグストゥスにまでその遠因を求めている。

それゆえ第1巻第一章はアントニヌス帝時代の帝国版図とその軍事力から解説が始まる。

勿論ローマ建国以来のローマ人の哲学や統治理念、更にはヨーロッパに割拠していた夥しい数の民族の動向などもかなり詳しく述べられている。

現代の解釈では、歴史的な国家衰亡の要因には殆んどと言っていいほど中間層の没落が決定的に関与しているということだ。

ここに至るまでの経緯は一通りではなくその国によってさまざまな状況を説き明かさなければならない。

また原因を探るには逆説的だがその繁栄の理由を見出すことも重要だ。

第二章ではローマが栄枯盛衰を遂げた他の民族、例えばアレクサンドロス大王のマケドニアやチンギス・ハーンの蒙古帝国と決定的に異なっている点を、英知による統治と法による統合としている。

ここでは普遍的慣用の精神と名付けて帝国諸州の民族の伝統的な信仰を容認した例を挙げている。

言語に関してローマ人は共通語の利点を熟知していたためにラテン語とギリシャ語が公用語だった。

テオドシウス皇帝の二人の息子ホノリウスとアルカディオの仲違いによって帝国がふたつに分かれた時、奇しくもその境界線はラテン語圏とギリシャ語圏のそれとほぼ一致している。

120ページからはローマを蝕んでいったいくつかの原因が列挙されている。

初代皇帝アウグストゥスは自ら皇帝であることを否定してプリンケプス(第一の市民)、つまり元首と名乗ったが、巧妙な手段で元老院を巻き込んで権力の掌握に成功する。

しかし聡明なアウグストゥスの場合は良かったが、暗愚な皇帝にとっては取り返しのつかない権力の暴走になり、実際それが後の時代に現実化してしまう。

更に徴兵制度、奴隷制度、市民生活の奢侈やパンとサーカスなどの国策も次第にその負の面を顕在化させてくる。

中野好夫氏の平易でリズミカルな文体による巧みな訳出はギボンの原文を考慮したものだろう。

惜しむらくは図解を欠いていることだが、見開き左側のページごとの小口註の掲載は親切な配慮だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 17:52コメント(0)書物 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このディスクのタイトル『ラ・グランデ・ファンファーレ』はロッシーニの原曲4つのホルンとオーケストラの為の『狩の出会い』をヘルマン・バウマンが無伴奏ホルン・ソロ用にアレンジしたものである。

短いながら狩猟の為の楽器としての勇壮で輝かしい雰囲気や、森の中でのこだまを模倣したエコー効果、そして重音奏法も取り入れた魅力的な小品だ。

アッレグリーニのホルンは低音から超高音に至るまで非常に滑らかな音色で、流れるような美しさがある。

正確な技巧は勿論だが、豊かな音楽性に支えられたカンタービレに溢れ、ホルンが持っている可能性をアンサンブルの中で縦横に駆使している。

このセッションではミラノ・スカラ座のソリスト達と組んで軽快な室内楽の楽しみを満喫させてくれる。

2003年の録音で音質は極めて良好。

イタリアにはドイツやフランスに比べて、管楽器の名手がそれほど多くない。

それはイタリアのオーケストラの殆んどが、それぞれの地方のオペラ劇場と密接に結びついたオペラ専用の楽団で、ヨーロッパの他のオーケストラのように独立して定期的にシンフォニック・コンサートを開くという伝統がなかったからかも知れない。

現在ではこうしたイタリアのオーケストラも世界的なトゥルネーに出向くようになり、そうした中で頭角を現した1人が1982年生まれのアレッシオ・アッレグリーニだ。

リッカルド・ムーティのもとで弱冠23歳でミラノ・スカラ座の主席ホルン奏者に抜擢された。

また現在はローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団の主席だけでなく、ソリストとして国際的な演奏活動を続けている。

尚収録曲目は、ケルビーニ ホルンと弦楽のためのソナタ1番及び同2番、J.G.グラウン ホルン、2つのヴァイオリン、チェロの為の4声の協奏曲変ホ長調、W.L.コール ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの為の四重奏曲第3番、J.ハイドン ホルン、ヴァイオリン、チェロの為の3声のディヴェルティメント、W.A.モーツァルト ホルン、ヴァイオリン、2つのヴィオラ、チェロの為の五重奏曲変ホ長調KV407、G.ロッシーニ ラ・グランデ・ファンファーレ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:59コメント(0)ロッシーニ 

2022年06月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



この2枚組のセットにはイタリア弦楽四重奏団が1949年から54年までにミラノで録音した古い音源からリストレーションされた5曲のレパートリーが収録されている。

曲目はシューベルトの弦楽四重奏曲変ロ長調D112、同イ短調D804『ロザムンデ』、同ハ短調703、ドビュッシーの同ト短調及びミヨーの同第12番で、ライナー・ノーツはついていないが4ページほどの彼らのディスコグラフィーが資料として重宝する。

これを見ると、シューベルトとドビュッシーに関しては過去に数回録音されている。

ここに入っているのは第1回目のモノラル録音だが、一般には70年代にフィリップスやデッカに入れたステレオ音源の方が普及している。

一方ミヨーについてはライヴを別にすれば、これが唯一のセッションだ。

シューベルトの『ロザムンデ』では、彼らの極めつけともいえるカンタービレが聴きどころだ。

歌曲の作曲家としてのリリカルな側面を前面に出したイタリア風の演奏だ。

戦後逸早くゲルマン系の作曲家の作品を採り上げたのもイタリアでは稀なことだった。

後の彼らのコンサートでのプログラムの中心になるベートーヴェン、モーツァルト及びシューベルトは既にこの頃から開拓されていたことが理解できる。

また1951年にはザルツブルク音楽祭にも招かれて、フルトヴェングラーからも薫陶を受け、その後のイタリア四重奏団のインターナショナルな活動の足掛かりになっている。

彼らが全活動期間中絶えることなく採り上げたレパートリーのひとつ、ドビュッシーへのアプローチは異例なほどパッショネイトで、印象派とは思えないほど輪郭のはっきりした解釈だ。

特に第2楽章での弾けるようなピチカートでの丁々発止の応酬は鮮烈で、目の醒めるような刺激的な演奏だ。

この作品は1954年のボルツァーノにおけるブゾーニ・フェスティヴァルでも演奏されたが、その時の出演者の1人だった当時12歳のマウリツィオ・ポリーニを驚かせたことが後年のインタビューで語られている。

ポリーニがこれまで共演した唯一のアンサンブルが、イタリア四重奏団とのブラームスのピアノ五重奏曲なので、彼らの演奏が如何に鮮烈だったか想像に難くない。

ドビュッシーの同曲はラヴェルの弦楽四重奏曲ヘ長調とのカップリングで1967年のフィリップスへのステレオ録音も遺されている。

また彼らは新時代の作品も積極的に採り上げたが、ミヨーでは彼らの明るい音色を駆使して、豪快な曲想を強調している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:36コメント(0)イタリアSQドビュッシー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



安部文学特有の精神医学的な考察が作品の随所に表れていて、難解でありながら読み手を惹きつける魅力を持っている。

この小説の主人公『僕』は、ある朝突然救急車の到来によって、自分の妻を知らない病院へ運ばれていく。

その病院は半分地下に埋もれた、ハチの巣のような構造で、迷路のような通路を必死の思いで抜けたところが、実は袋小路だったという、土壇場の閉塞感も彼の小説の常套手段だ。

病院のいたるところに取り付けられた盗聴器、と言うかその町の地区自体が一種の精神病院であるとも考えられる。

『僕』は妻が病院内のオルガスム・コンクール優勝候補者になっていることを目撃するが、最後まで彼女が自分の妻であるか確信が持てない。

もしかしたら総てが夢の中の出来事なのかもしれない。

安部氏は自分の見た夢を事細かに記録し、分析する習慣があった。

そうした夢の巧妙なつなぎ合わせにも見える作品だ。

病院の院長は一回も姿を現さず、副院長のドールと化した娘は、全身が綿になって死んだ母を慕いながらも、自身は全身がゼリーのように溶けていく不治の病にかかっている。

始めは自分だけが正常な感覚を持っていると信じていたが、殆ど粘土になった状態の娘を抱きながら『僕』は患者であることを告白せざるを得ない。

性は人間の活動の根本をなすという考えは、決して否定できるものではないだろう。

それを認めたがらない部分と、なし崩し的に没入する境界線で、主人公の苦悩がある。

この小説は決して時系列的に書かれていない。

読者はかなり後になってから、前の部分に戻るか、記憶を辿ることを強制される。

そうした迂回はあらかじめ安部氏が想定して構成した作品なのだが、このあたりにも巧妙な精神医学的手法が使われている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:34コメント(0)書物 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



異論は承知で、モーツァルトのたった2曲しかない短調ピアノ協奏曲のこれだけ神々しい演奏は他に類例を見ない、まさに決定的名盤である。

よくハスキルが既に衰えているとかマルケヴィチがモーツァルティアンではないという声も聞こえてきそうだ。

この演奏にはいわゆる美しいモーツァルトの姿は微塵もなく、まるでモーツァルトの心の内面を抉り出すような、曝け出したしたかのような強い演奏である。

ハスキルはモーツァルト弾きとして通常は知的な演奏を得意としていたが、この録音は明らかに違う。

ハスキルのピアノは、緩徐楽章における人生の諦観とともに、特に、両端楽章にはどこか切羽詰まった気迫のようなものが感じられるのが実に興味深い。

こうした感情の露出が大きい個性の強い表現、芯の強い表現は、他にはギーゼキングとカラヤンが共演したモノラル盤以外に殆ど類例がない。

両曲とも最初の前奏から少々ビックリするような悲劇的表現で曲は開始されるが、ビアノが始まるとさらに内面深く落ち込んでゆく。

しかし聴き込んでいくとそこにモーツァルトの真の姿を見るような思いが湧き出てくるのである。

モーツァルトがハスキルに乗り移り、彼女の指を使って自作自演をしているようでもあり、特にハ短調協奏曲は突然ぶっきらぼうに終演して、悲劇の中に光明を見るような演奏になっている。

本演奏は、ハスキルの死の1か月前の録音であるが、モーツァルトの数少ない短調のピアノ協奏曲を2曲セットにしたカップリングにも、何か運命めいたものを感じさせる。

ハスキルは、自分が譜面から読み取った音楽を、完全に自分の方法で、淡々と、朴訥に、弾いているのだ。

そして、淡々と誠実に弾かれているパッセージのところどころから、ハスキルの決して幸福ではなかった人生から来る孤高の悲しみのようなものが伝わってくる。

情感の豊かさも相当なものがあるが、決して哀嘆調には陥らず、高踏的なピアニズムと気品を失っていない点も素晴らしい。

まさに、ハスキルの貴重な遺言とも言える至高・至純の境地に達した名演と高く評価したい。

マルケヴィチの指揮は、実に堂の入った巨匠風の指揮ぶりであり、当時の手兵であるコンセール・ラムルー管弦楽団を見事に統率して、最善のサポートを行っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:14コメント(0)マルケヴィチハスキル 

2022年06月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



19世紀初頭のロシアを舞台に、戦争とさまざまな人間ドラマを絡めて描く類例のない規模に達した壮大なオペラ。

1941年の台本作成開始から、作曲者が亡くなる直前の最終版完成まで優に12年を費やした超大作である。

1943年に全11場で完成したこの作品は、情景を加えたりカットしたりを経て1953年の全13場最終版に至る。

作曲者の急死により、本人が完成形の上演を観ることはなかった。

音楽性の高い美しいメロディーや壮大な合唱曲など、どれも心に深く印象付けられる。

トルストイの原作はきわめて長大なもので、筆者としてはドストエフスキーの5大長編小説読破後、最後に取り組んだロシア文学だが、酷く消耗し、疲労困憊した。

プロットに忠実に映画化された1965年のソ連製映画ではその長さは実に7時間に達していたが、オペラでは長さは5分の3ほどに刈り込まれて見やすいものとなっているのがポイント。

さらに登場人物も明快な方向に整理され、原作では500を超えていたキャストも7分の1程に凝縮、ストーリーの流れをよりドラマティックなものとすることに成功している。

プロコフィエフの音楽も非常に優れたもので、『ロメオとジュリエット』の素材などを効果的に交えながら、美しくリリカルかつ強烈にスペクタクルという、レンジの広大な音楽を構築していく。

合唱を多用して、マスとしての大きさや奥行きを巧みに演出しているのも見逃せないポイントだ。

平時と戦時、民衆と貴族、シリアスとコミカル、愛と憎しみといった具合に相対する要素を雄弁をきわめたオーケストラと共にコントラスト豊かにまとめあげていてまったくだれることがない。

当ディスクに収録された映像は、サンクト・ペテルブルグにあるロシアの名門、キーロフ歌劇場での1991年の上演を収録したもの。

指揮はプロコフィエフの音楽を偏愛し、そのエキスパートで熱血指揮者ワレリー・ゲルギエフが担当。

サイトウ・キネンの『イェヌーファ』でも話題をさらったプロキナや美声のボロディナなど、声に恵まれた歌手陣を率いて覇気に富む演奏を聴かせてくれている。

演出は世界的なキャリアを誇る英国人演出家、グラハム・ヴィックによるものである。

豊かな色彩と明快な象徴性を持たせたティモシー・オブライエンの美術をベースに混乱のない舞台構築を実現。

グラインドボーンで鍛えた求心力の強い演出手法が、長大な作品の引き締めに効果も十分である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:20コメント(2)プロコフィエフゲルギエフ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



近年では村上春樹氏のとある有名小説によって、シンフォニエッタが非常に有名になったヤナーチェク。

管弦楽曲や室内楽曲、声楽曲など多岐に渡るジャンルの作品を遺したヤナーチェクの最高傑作は何と言ってもオペラと言えるのではないだろうか。

ヤナーチェクは、自作にモラヴィアの民謡を高度に昇華させて取り入れるとともに、その作品には自然の中での人間の在り方、人間の心情などへの鋭い洞察と言ったものが集約されている。

それらの要素がすべて盛り込まれているのはまさにオペラであると考えられるからだ。

そして、そのような数あるオペラの中でも名実ともに最高傑作と言えば、何と言っても本盤に収められた「利口な女狐の物語」であると言えるのではないだろうか。

というのも、このオペラは主人公である女狐ビストロウシュカなどの動物を通して人間の所業を風刺した寓話劇である。

前述のようなヤナーチェクの作品の神髄そのものをテーマとしていると言えるし、音楽もいかにもモラヴィアの民謡的な語法を活用した魅力的なものであるのがその理由である。

チェコではクリスマスにこのオペラを子ども向きに上映するそうである。

これを観た子どもたちが本当にこのオペラを理解できているのか疑問に思われるような含蓄のある作品であり、聴けば聴くほどに新しい発見がある内容の濃い傑作であるとも言える。

このようにヤナーチェクの最高傑作とも言える「利口な女狐の物語」であるが、録音は極めて少ないと言わざるを得ない。

ヤナーチェクの権威であったマッケラスがウィーン・フィルを指揮して演奏した本演奏こそが、同曲演奏史上最高の超名演であることは論を待たないところだ。

マッケラスの指揮は、ヤナーチェクの作品を数多く演奏するとともに、楽譜校訂を行ってきたこともある。

厳格なスコアリーディングに基づく楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫りの深いものであり、加えてこの指揮者ならではの独特の格調の高さが全体を支配している。

そして、ウィーン・フィルによる豊穣な極上の美演が、本演奏全体に独特の潤いと豊かな情感を付加しているのを忘れてはならない。

歌手陣も充実しており、ビストロウシュカ役の今は亡きルチア・ポップをはじめ、チェコの優秀な歌手陣が最高の歌唱を披露しているのが素晴らしい。

英デッカによる超優秀録音による極上の高音質も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

ヤナーチェクのオペラには、「利口な女狐の物語」以外にも最晩年の「死者の家から」など優れた名作が多く、演奏時間も概ね85分〜120分の間に収まる。

歌詞対訳付で鑑賞するのが基本ではあるものの、必ずしも歌詞にとらわれずに音楽だけを楽しむというのも、マーラーの交響曲を鑑賞するような趣きでヤナーチェクの素晴らしい音楽を満喫できるという意味において、是非ともお薦めしておきたいと思う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 12:08コメント(0)ヤナーチェクマッケラス 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「正統にして新奇」それが第一印象だった。

ジャンドロン、トルトゥリエ、フルニエと名チェリストを輩出し続けるフランスだが、その伝統の最先端で活躍するモローは、1994年パリ生まれ。

日本でのリサイタルでは、意欲的なプログラムと鳥肌モノの超絶技巧、そして官能的な美しい音で観客を魅了した。

17歳でチャイコフスキー・コンクール第2位の実績、しなやかな美音と超絶技巧炸裂の21歳!パリ発、新世代天才チェリスト、エドガー・モロー。

フランスは伝統的に名チェリストの宝庫だが、若手の1人が今年28歳になるエドガル・モローだ。

音楽性の豊かさ、溢れるような情熱と確かなテクニックは将来の活動を予見させるに余りあるものだ。

このディスクに収録された2曲は時代や様式を超越して、大いに楽しめる楽天的な作品で、オッフェンバックのチェロ協奏曲『軍隊風』の第1楽章は彼のオペレッタの序曲のように始まる。

大上段に構えたソナタ形式だが、チェロの恐るべきテクニックがちりばめられている。

パガニーニがチェロ協奏曲を作曲したらこうなるだろうと思わせる。

続く第2楽章は間奏曲と言ったところで、終楽章は大団円のフィナーレで緞帳が降ろされると言った趣向になっている。

しかも通常終楽章は簡潔に終わることが多いが、この作品では一番長く18分余りの曲の中に、これでもかというほどの超絶技巧が続く。

こうした曲は名人が一気呵成に弾くことで初めて聴き手を満足させるものだが、エドガル・モローの精緻かつ爽快な演奏には舌を巻く。

一方フリートリッヒ・グルダのチェロとウィンド・オーケストラ、バンドのための協奏曲は、様々なジャンルの音楽が折衷されて理屈抜きで楽しい作品だ。

チェロの短いカデンツァからロックで開始され、フィナーレのマーチはサーカスの道化師登場のような底抜けの明るさがある。

現代の演奏家に求められるレパートリーは私達の時代に生きる音楽家の作品で、新しい曲目を自分のものにすることが特に若い演奏家には避けて通れない道だろう。

モローが売れ筋の聴き古されたレパートリーに固執せずにこうした曲を開拓してくれることは将来的にも頼もしい。

楽器編成からライヴではなかなか聴くことができない貴重な録音だ。

音質は分離状態が良く、立体的で臨場感も充分。

モローは個性的な奏法ではなく、音楽そのもので勝負する才能を持っているし、曲想にのめり込まない優れたバランス感覚も持ち合わせていて、将来が期待できるチェリストの1人といえるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:11コメント(0)グルダ 

2022年06月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2度に渡ってピアノ・ソナタを録音するなどラフマニノフを十八番としているグリモーであるが、本盤には有名なピアノ協奏曲第2番や前奏曲、練習曲等の小品が収められている。

いずれも、グリモーならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

グリモーのピアノは、ピアノ・ソナタでもそうであったが、力強い打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の幅が桁外れに広いと言える。

これは、感情の起伏が激しいラフマニノフの演奏にとっては大きなアドバンテージであると言えるだろう。

とりわけ、力強い打鍵は、男性ピアニスト顔負けの強靭さを誇っており、その圧倒的な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

他方、繊細な抒情は、女流ピアニストならではの清澄な美しさに満ち溢れており、各旋律の端々から湧き上がってくる豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、ここまでならば、同様のピアニズムを展開する女流ピアニストは他にも存在しているが、グリモーの素晴らしいのは、これだけの表情の起伏の激しい演奏を行っても、いささかも格調の高さを失わない点であると考えられる。

ラフマニノフの楽曲は、甘美な旋律に満ち溢れているが、あまり感情移入し過ぎると、感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥ってしまう危険性がある。

しかしながら、グリモーの場合は、前述のように情感の豊かさが演奏全体を支配しているが、同時にどこをとっても気高い気品に満ち溢れているのが素晴らしい。

厚手の衣装をまとったような感傷的で重々しい従来型のラフマニノフ演奏とは一線を画するものである。

その演奏に清新さを与えたという意味では、本演奏は、前述の2度にわたるピアノ・ソナタの演奏も含め、新時代のラフマニノフ演奏像を確立したと言っても過言ではない。

また、ピアノ協奏曲第2番の指揮はアシュケナージであるが、これまた素晴らしい。

アシュケナージは、指揮者としてもピアニストとしてもラフマニノフを得意としている。

ここではグリモーの清新にして気高いピアニズムを引き立て、フィルハーモニア管弦楽団とともに最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。

録音は、2000〜2001年のスタジオ録音であり従来盤でも十分に高音質である。

グリモーによる至高の名演でもあり、今後はSHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 17:19コメント(0)ラフマニノフアシュケナージ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



こんなにゆったりとした気持ちでシューマンのピアノ曲を味わうことができたのは初めてだ。

2010年はシューマン生誕200年記念の年であったが、そうした記念の年に相応しい素晴らしい名演CDと高く評価したい。

いずれも名演であるが、特に感動したのは「謝肉祭」。

この「謝肉祭」は、私見では、史上最高の名演と言っても過言ではないのではなかろうか。

前口上の力強い開始。

一転して抒情的な高貴なワルツやオイセビウス、スフィンクスのおどろおどろしい不気味な世界を経て、蝶々やA.S.C.H.−S.C.H.Aのリズミカルな軽快感、ショパンの優美さ、そしてパガニーニの巧みな演出など。

変幻自在の表現力の幅の広さには大変感心させられた。

そして、ぺリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進の威風堂々たる演奏には風格を感じるほどで、この名演を最高の形で締めくくっているのである。

「謝肉祭」には、やたら理屈っぽい演奏で、シューマンの豊かなファンタジーをスポイルさせてしまう駄演も散見されるが、これほどまでに音楽それ自体を楽しませてくれる演奏は珍しく、聴いていて思わず微笑んでしまうほどだ。

これぞ「謝肉祭」の理想の演奏であり、史上最高の名演と評価する所以である。

次いで、「トロイメライ」の繊細な演奏を掲げたい。

これはいかにも女流ピアニストだけがなし得る至純の美しさに満ち溢れている。

「クライスレリアーナ」も名演であるが、こちらはシューマンの最高傑作だけに、他にもライバルが多く、高橋の名演が随一というわけにはいかない。

それでも、圧倒的な技量と緩急自在の巧みなテンポ設定など、さすがと思わせる箇所も多い。

録音は、SACDによる極上の高音質であり、全く言うことがない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:32コメント(0)シューマン 

2022年06月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これはたいそう独自な存在感をもったアルバムだ。

バッハが後世に遺した最も驚くべき金字塔のひとつ、BWV1001〜1006に関しては、ほとんどあらゆるレコードを聴き味わってきたつもりであるが、その中で最も奏者の、ひいては人間の“心の声”を実感させてくれた演奏と言えば、それはシゲティのものにほかならない。

とはいえ、本盤の演奏内容は、たぶん、評価が極端に分かれる結果となるだろう。

音は必ずしも美しくなく、ときにきつくなる要素を含んでいるし、テクニックも今日のレヴェルからすると必ずしも完璧といえるほどのものではなく、加えて録音も硬調でもう少し潤いといったものがほしい。

しかしながら、ここでシゲティがバッハの音楽に対して示す強い求心力は、今もって感動的である。

高い志をもちながら、妥協することなく、ひたすらバッハの音楽の核心に迫ろうとするシゲティのひたむきさ、深く、鋭い表現力は聴き手の心を強くとらえてやまない。

音楽に精神主義というものがあるならば、さしずめシゲティはその代表といえるだろう。

とくに晩年の演奏はその比類のない集中力の強さで、その強靭な演奏は触れれば切れるほど鋭く、率直に作品の本質に迫ろうとする姿勢が、聴き手を説得せずにはおかない。

このバッハはそうしたシゲティ67〜68歳時の傑作と言える。

これらの曲を発掘して、その素晴らしさを現代人に教えた当人の演奏だけに、晩年近づいてからのシゲティの録音のなかでは技巧の衰えも比較的目立たない。

この6曲はあらゆる音に燃える気迫があり、深い意味と心情の表出がある。

たんなる表面的な美感を越えた、内部から語りかける音楽である。

ひたすらバッハの音楽の核へと踏み込んでいこうとするシゲティの気迫には、今日の多くの演奏家らが失ってしまったような、ただならぬ説得力があると言えよう。

つねにすらすらとよどみなく、万人の耳に快い、力強くまろやかな音色で語るのが雄弁術の極意だという。

だが、人間が己れの内奥の真実を世に告げるために、そのような雄弁は果たして必要なのだろうか? 本盤の演奏を聴くたび、改めてそう思う。

自分が信ずる牴山敕真実瓩鯢集修靴茲Δ箸垢襯轡殴謄の弓と指は、表面的な完全さや洗練を目指さない故にこそ貴い。

このことを把握して聴くなら、シゲティの音と表現の意味深い猗しさ瓩呂泙気靴非凡なものだ。

ここでは、1フレーズ、1音が、それこそ魂から出た言葉として響き、その“意味”を伝えるためにこそヴァイオリンは鳴っている。

いったんそのことに気づき、その“言葉”がわかると、シゲティの音を「きたない」などとする批評が、いかに皮相なものにすぎないか、よく理解されよう。

技術的には押しなべて高くなり、録音もよくなったにもかかわらず、聴き手に強い感動を与えるようなバッハと接する機会が著しく少なくなってしまった今日だからこそ、あえて当シゲティ盤に最注目する価値は高まっていると言えよう。

もちろん、技術面の完全さは音楽に必要だが、稀にはそれを超える感動も、たしかに存在する。

もとより、視点や趣味により評価はまちまちであろうが、これほど心を打つ演奏、心の奥底に訴えかけてくる演奏は稀だ。

彼以後に、もうこのようなバッハはない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:57コメント(0)バッハ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



エデルマンは、今をときめく名ピアニストだ。

リストやショパン、シューマン、そしてバッハのピアノ作品集などがトリトーンから発売されているが、いずれも素晴らしい名演に仕上がっている。

本盤は、そうしたエデルマンによる満を持してのベートーヴェンのピアノ・ソナタ集ということになるであろう。

そして、その期待を決して裏切ることのない名演と高く評価したい。

彼の持つ、音のパレットが確固たる音楽の造形に色を添え、エデルマンらしい感性豊かなベートーヴェンを聴かせる。

まず、選曲に注目したい。

ベートーヴェンのピアノ作品集と言えば、「悲愴」、「月光」、「熱情」が通例であるが、エデルマンは「悲愴」のかわりに第4番を録音した。

その理由は定かではないが、エデルマンのベートーヴェンのピアノ・ソナタに対する強い拘りを感じさせるのは事実だ。

その第4番は、エデルマンの手にかかるととても初期の作品とは思えないようなスケール雄大な演奏に仕上がっている。

緩急自在のテンポ設定と力強さが持ち味であるが、一つ一つの音に温かみ溢れる演奏を聴かせ、繊細な抒情にもいささかも不足はない。

「月光」と「熱情」も凄い。

「月光」では、音の伸び、弱音強音の完璧なまでのコントロールを、「熱情」では音の厚みと絶妙な和声感が特筆の演奏。

特に、両曲の終楽章の重厚にして力強い打鍵は圧倒的であり、とりわけ「熱情」の終楽章は、あたかもベートーヴェンの心底に潜む暗い情念のようなものが描出されて感動的だ。

また、第1楽章の展開部から再現部へ移行する部分での音圧も圧巻!

名演と言うよりも、凄演と言った評価の方が正しいのかもしれない。

SACDによる極上の高音質録音も名演に大いなる華を添える結果となっている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:51コメント(0)ベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヤノフスキはリヒャルト・ワーグナー生誕200周年を記念すべく、彼の主要な音楽劇作品を手兵ベルリン放送交響楽団を率い、当時を代表する歌手を迎えてコンサート形式でライヴ録音した。

あれから既に10年になろうとしているが、確かにSACD化されたディスクは現在でも最も音質に恵まれている。

この『さまよえるオランダ人』は2010年の録音で短いわりには多くを表現となければならないオペラの要所要所を良くまとめている。

歌手の存在を突出させずに、ストーリーを音楽中心に追っていくのは、おそらく現代のワーグナーのスタンダードな解釈と思われる。

それだけ歌手が小粒になったのかも知れない。

また堅実で巧いがヤノフスキには指揮者としてのカリスマ性はここでもそれほど感じられない。

特にコンサート形式のライヴでは物語の熱気もいまひとつ伝わってこないのも事実だろう。

歌手陣で実力を発揮しているのは船長ダーラント役のマッティ・ザルミネンで味のある役柄を演じている。

一方『マイスタージンガー』のハンス・ザックスで好演したアルベルト・ド―メンのオランダ人はやや硬さが感じられる。

逆にエリック役のロバート・ディーン・スミスは『マイスタージンガー』では力みが目立ったが、こちらでは出番が少ないこともあってか余裕がみられる。

ゼンタ役のリカルダ・メルベトだが、彼女は典型的なワーグナー・ソプラノとしての強い声の持ち主だと思うが、いくらか無理をして歌っているように思われる。

ワーグナーを歌うには大規模なオーケストラに対抗するために往々にして声帯を酷使してしまう。

彼女もやはり後半で声のコントロールが安定していないのが聴き取れる。

特にライヴでは体力の配分が大切で、声量より確実な表現力の披露を期待したいところだ。

コーラスは良く鍛えられていて好演だし、オーケストラも巧妙だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:39コメント(0)ワーグナー 

2022年06月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ベートーヴェンを演奏して最高の巨匠であったウィルヘルム・バックハウスは、また、ブラームスでも比類のないピアニズムを示して、技巧は豪快、深い精神美とストイックな抒情性で、独特の威厳を感じさせる名演を聴かせた。

ことにブラームスの2曲のピアノ協奏曲は、バックハウスが生涯を通じて愛奏した作品であった。

とりわけピアノ協奏曲第2番は1903年という19歳の時、ハンス・リヒターの指揮で初の公開演奏して以来お得意の曲で、1954年春、初めて(そして最後の)来日した時にも東京交響楽団の定期演奏会(1954年4月12日)に上田仁の指揮により弾いている。

さらに、最後のザルツブルク音楽祭となった1968年夏のベーム指揮、ウィーン・フィル演奏会(1968年8月18日)と、同じ顔合わせによるバックハウス最後の協奏曲録音(1967年4月、ウィーン・ゾフィエンザール)でも、ブラームスの第2番がとりあげられた。

そしてこのベームとは、遥かSPレコード時代の昔にも、ザクセン国立管弦楽団の共演で《第2》をレコーディングしているのである。

いわば、ブラームスのピアノ協奏曲第2番こそ、大ピアニスト、バックハウスの名刺代わりの名曲に他ならなかった。

バックハウスを古くから聴いてきたファンの1人として思うのだが、SPとモノーラル録音のLP、そしてステレオと、前後3回にわたるブラームスの《第2》のバックハウスを聴くと、どれもベストの出来とは言えない。

筆者としては、1953年にウィーンのムジークフェラインザールでライヴ録音された、クレメンス・クラウス&ウィーン・フィルと共演した海賊盤が最上の出来映えだと思う。

しかし歳をとっても技巧の衰えや造型力の弱まりを見せなかったバックハウスだけに、1964年の時点は円熟期と言って良かったし、指揮のカラヤンもまた、端正で気品と格調の高さを感じさせる表現が円熟の極みに達して、ベルリン・フィルから至高のブラームスの響きを導き出している。

それは、この《第2》でのオーケストラの出来映えが、ベルリン・フィルとしても最高の水準を聴かせてくれることによる。

第1楽章、柔らかいホルンの呼び声に応じて出現するピアノの、穏やかだが精神力の込められた含蓄の深い演奏の何という雰囲気か。

木管につづくピアノのカデンツァで、次第に力感を凝集させる左手の低音、ブラームスの音楽のファンダメンタルは、この低音の雄弁さによって支えられる。

管弦楽の第1、第2主題提示の、どこか明るい響きの陰翳こそ、カラヤンの表現のすばらしい聴きどころだろう。

管弦楽のシンフォニックな構成に包まれて、バックハウスのピアノは曲が進むにつれて光彩と迫力を増し、情感のふくよかさ、技巧の切れ味で圧倒的なクライマックスを作り出す。

第2楽章スケルツォをリードするピアノの厳しい表情と弦の優美な主題の見事な対比、スタッカート主題で始まる中間部の管弦楽の彫りの深さに、オクターヴをppで奏するピアノが反応する個所のバックハウス。

第3楽章でチェロ独奏が歌って行くロマンティックな旋律は、ブラームス・ファンの愛惜してやまぬ情緒の美しさだが、それを装飾するかのごとく弾くピアノの控えめな表情、軽やかなタッチ、内省的で、まさに絶妙なピアノとベルリン・フィルの弦が呼応する。

第4楽章では、バックハウスの力量と音楽性がさらに圧倒的な凝集力を見せ、カラヤンの指揮のきりりと引き締まったリズム感と厳しいダイナミックスは、いっそうの直截さでピアノと手を結ぶ。

1964年という録音年代にしては、管弦楽の自然な響きで捉えられ、バックハウスのピアノも力強さと柔らかいニュアンスももって再生され、古いけれど鑑賞に堪え得る音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:29コメント(0)バックハウスカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ウィルヘルム・バックハウスはモノとステレオで2度ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集(第29番を除く)を完成していたが、《ディアベッリの主題による33の変奏曲》はこれが唯一の録音(1954年10月、ヴィクトリア・ホール、ジュネーヴ)である。

バックハウスは、ベートーヴェン弾きとして歴史に名を刻んでいるが、実は意外に幅広いレパートリーをもったピアニストであった。

若い頃は"鍵盤の獅子王"と呼ばれた技巧派で、いかなる難曲もさらりと弾いてしまうほどであったが、それが逆に冷たい演奏という印象を与えてもいたようだ。

ピアニスティックなショパンを弾いていたのもその頃であったが、やがて外面的な美を追求することをやめた。

作曲家の精神あるいは作品の本質に迫る姿勢に変わって、素朴で武骨な、いかにも男性的な演奏を聴かせるようになった。

そうしたバックハウスの真価が最高度に発揮される場がベートーヴェンであったと考えるのは、決して筆者だけではないだろう。

そして、この《ディアベッリ変奏曲》は、ピアノ・ソナタ旧全集と並んで、彼のベートーヴェンの真髄を味わうことのできる録音になっている。

ステレオ録音による新全集と比較すると少し音質は古いが、ここに示された堅固で揺るぎない構成力、重厚で重みのある響き、強靭な集中力の持続、彫りが深く格調の高い造形的美観などは、衰えをみせる前の彼ならではの持ち味であり、それは、このピアニストの本領を鮮やかに伝えているのである。

バックハウスは正確な読みを通じて、作品の根源に迫っている。

彼が読み取ったベートーヴェンの音楽からは、装飾的要素や遊びやゆとりの要素が一切無縁なものとして切り捨てられている。

この《ディアベッリ》はまさにそうしたものとして提示され、ほかには考えられないぎりぎりの解釈を強靭に主張する。

その表現は威厳のある風格を備えると同時に、優しさを感じさせ、特にこのベートーヴェンには隙のない技巧に加えて、独特の味わいがある。

変にうまそうに弾いたり、媚びたり、小才を利かせたりするところがいっさいなく、ピアニズムを感じさせずに、作曲者の魂が深く重厚に、立体的に、交響的に迫ってくる。

最も偉大で立派な音楽があり、本演奏に肉薄し得たのは最晩年のアラウのみであろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:25コメント(0)ベートーヴェンバックハウス 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2005年にローマのファルネーゼ宮殿で録音された6曲のブランデンブルグ協奏曲集は過去のどの同曲集よりも音質に優れている。

特に多くのソロ楽器が活躍する1、2、4及び5番の各楽器の独立した定位感が臨場感に溢れる音響空間を提供してくれる。

肝心の演奏についてだが、期待に違わぬ快演で、この曲集のイタリア的性格をもっともよく表した演奏・録音になっている。

ピリオド楽器使用であるにも拘らず指揮者リナルド・アレッサンドリーニの溌剌とした生気に漲った解釈で決して古臭さを感じさせないのが特徴だ。

イタリア人の中でもリズムの闊達と覇気ではピカイチのアレッサンドリーニだけに、聴き慣れたはずのブランデンブルグ協奏曲から、驚くばかりの弾ける喜びを見事に引き出している。

ドイツ風のゴツゴツした演奏とはもちろん別物、作為丸出しでガリガリと弾いた演奏とも違い、生命力の喜びに溢れ、イタリア的美感も極上だ。

ファビオ・ビオンディと一緒にやっていた頃のアレッサンドリーニそのままの、言葉の正しい意味でアレグロな演奏である。

色彩的であり1音1音が輝いて目に見えるようで、速いテンポで快適に運び、ヴィヴァルディの影響をバッハの世界へ導かれたように感じられる。

例えば第1番ヘ長調では2本の狩猟ホルンの音色をを強調した鮮やかで力強い表現が見事だ。

第2番ヘ長調は目の覚めるようなバロック・トランペットと掛け合うヴァイオリン、オーボエそしてブロックフレーテの軽快で明瞭な響きが曲を貫いている。

チェンバロ・パートは通奏低音も含めて総てアレッサンドリーニ自身が担当している。

第5番ニ長調の第1楽章後半部のチェンバロ・ソロによる長大なカデンツァと、別トラックにバッハ初稿の短い方のカデンツァも収録してあり聴き比べができる。

更に第3番ト長調から弦9声に、ホルン、オーボエを加えるなどして15声部の華やかな音楽へと管弦楽用に編曲されたカンタータBWV174のシンフォニアも付け加えられている。

尚、パッケージメディアを選択されるのであれば、ボーナスDVDにはファルネーゼ宮殿における彼らのリハーサルと録音風景及び指揮者へのインタビューがフランス語とイタリア語で収められている。(字幕スーパーは英、独、伊語)

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 05:01コメント(0)バッハ 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ