2022年07月

2022年07月31日


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「物語イタリアの歴史」の二冊目に当たり、藤沢氏の没後にまとめられて文庫本化された。

本書の構成は一冊目と同様イタリア史にとっての重要人物を各章ごとに一人ずつとりあげ、彼らの人生と歴史との関わりあいを読み物として興味深く描き出している。

今回はローマ皇帝ハドリアヌスの陵墓、つまり後のカステル・サンタンジェロ建設以降1600年代初頭までに生きた8人の生涯が活写されているが、できれば一冊目との併読をお勧めする。

それによって単独のエピソードがより緊密に繋がり、歴史の狭間をお互いに埋め合わせ、それぞれの時代の動向が一層鮮明に浮かび上がってくるからだ。

イタリアの歴史は常にヨーロッパ近隣諸国との関係の中に成立していて、イタリアのみを切り離して理解することはできない。

またそこに登場する類い稀な能力を持った指導者、軍人、そして宗教家や芸術家は枚挙に暇がない。

こうした人物によって歴史そのものが動かされる場合も少なくないことを考えれば著者の試みは成功している。

勿論藤沢氏がマルコ・ポーロやダ・ヴィンチ、あるいはボルジャ家に関する物語を構想していたなら、更に私達の興味をそそる作品が出来上がったに違いない。

しかし残念ながら彼は続編を準備することなく2001年に亡くなった。

いずれにせよ長大な歴史書を頭から読んでいくよりも、むしろ個々の登場人物の性格やその生き様を知り、歴史の流れを把握することの方が遥かに面白く、また記憶に残るものだ。

尚著者自身が校訂していれば明らかに訂正されていた筈だが、179ページにカラヴァッジョの没した港ポルト・エルコレがナポリ領とあるが、この港はトスカーナ大公国に属していてローマより北側に位置している。

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classicalmusic at 19:18コメント(0)書物 

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フランスは伝統的に優れたチェリストの宝庫だが、その最若手が現在20歳代半ばのエドガル・モローだ。

彼は既にエラートからリリースされた小品集で豊かな音楽性と溢れんばかりの情熱を示していた。

このアルバムのタイトル『ジョヴィンチェッロ』はイタリア語の若僧を意味する、どちらかというと青二才をからかう意味を含んでいるが、モローは2009年のチャイコフスキー・コンクールでは17歳で堂々第二位を獲得した実力派でもある。

今回のバロック協奏曲集はリッカルド・ミナージ率いるピリオド・アンサンブル、イル・ポモ・ドーロ(金の林檎)との協演になり、彼の初挑戦への意気込みが感じられる1枚だ。

モローは巨匠アンナー・ビルスマにも師事しているので、ここでは早速師匠譲りのピリオド奏法を取り入れて、シンプルな曲想の中にもバロックや疾風怒濤時代特有の劇的な効果を出すことにも成功している。

ボッケリーニで披露する如何にも若々しい、キレの良い高度なヴィルトゥオーシティも爽快だ。

例えばしっかりした構成力で聴かせるハイドンや、毅然とした気品を湛えたヴィヴァルディ、そしてグラツィアーニの緩徐楽章での抒情的な感性を充分に進展させた歌心に彼の音楽性が最も良く表れていると思う。

モローは強い個性よりも音楽そのもので勝負するだけの才能を培っているし、また曲趣にのめり込まない柔軟なバランス感覚も持ち合わせていて、それだけに将来が期待できるチェリストの1人だろう。

彼をサポートするアンサンブル、イル・ポモ・ドーロについての詳しい説明はないが、アントニオ・チェスティの同名のオペラから採られた名称と思われる。

メンバーの殆んどがイタリア人勢で占められていて、今回は管楽器奏者を加えた総勢20名で構成され、バロック・ヴァイオリニストのリッカルド・ミナージ自身が指揮も担当している。

録音は2015年1月にヴェネツィア近郊のロニーゴで行われた。

鮮明な音質でソロとオーケストラが自然な臨場感を創っている。

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classicalmusic at 14:42コメント(0)ハイドンヴィヴァルディ 

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ヤコブ・ファン・エイク(1590-1657)の名曲集『笛の楽園』から20曲を抜粋したもので、このディスクではイタリアの古楽器奏者ステファノ・ベットがトラヴェルソ・ソロで演奏している。

それぞれの曲がひとつのテーマとそのヴァリエーションから構成されていて、作曲家の豊かなファンタジーと手馴れた職人芸に改めて驚かされる。

同曲集は一般的に縦笛のための作品として解釈されているが、息の吹込みによって感情移入が可能で、ソフトな低音から輝かしい高音に至る表現力を持つトラヴェルソでの演奏がより効果的な曲想も多く含まれている。

それに着目しているのがベットで、ファン・エイクのの多彩な音楽性を更に多面的に再現している。

盲目の音楽家でカリオンや笛の名手でもあったファン・エイクの『笛の楽園』は、フランス・ブリュッヘンのリコーダー演奏による「涙のパヴァーヌ」(ダウラントの『溢れよ我が涙』からのテーマと変奏でこのCDではトラック12)以降一躍ポピュラーなコンサート・レパートリーに加わり、膨大な曲数に及ぶ全曲盤もリリースされるようになった。

しかしその殆んどの録音がリコーダーの演奏で、かつて横笛(トラヴェルソ)による演奏集は皆無に近かったが、その理由はおそらくファン・エイク時代のいわゆるルネサンス・フルートがソロ楽器としての機能を充分に備えていなかったからだろう。

このCDの演奏者ステファノ・ベットの使用楽器は16世紀から17世紀前半にかけて製作されたソプラノ(G管,a'=440Hz)、テノール(D,440)、バス(D,440)のコピー及び軍隊用横笛(D,460)で、これらの楽器の内部構造は円筒形のために澄んだ明るい音色が特徴だ。

また合奏から生じる豊かな倍音を含む響きが美しいので、しばしばアンサンブル用にセットで製作されたようだが、反面その単純なシステムから半音階の演奏や転調には明らかに不向きで音域的にも限界があった。

トラヴェルソに革新的な改良が加えられるのはファン・エイク以降だが、この時代の大らかでシンプルな笛の音色とソロが醸し出す雰囲気には替え難い魅力的な独自の世界がある。

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classicalmusic at 07:30コメント(0)音楽史 

2022年07月30日


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ペライアは1991年にブラームスのソロ・アルバムを録音しており、ラプソディ作品79-1とラプソディ作品119-4、間奏曲作品118-6の3曲についてはそちらにも収録されていたので、その3曲については今回は19年ぶりの再録音ということになる。

1991年の親指故障直前の旧録音と、数年間に渡る演奏活動休止期間中にバッハを研究してその音楽に深い慰めを見出し、復帰後は以前よりもヴィルトゥオジティ、スケールとも大幅アップした現在のペライアによる録音の比較も興味深いところである。

この新盤は凄い名演だ。

ブラームスのオーケストラ作品、特に、分厚いオーケストレーションを誇る交響曲では、重厚でシンフォニックな表現が演奏様式として一つの理想形となるが、ペライアのブラームスは、ピアノ演奏におけるシンフォニックな表現と言える。

まさに、巨匠風の重厚なピアニズムと言える。

ブラームスのピアノ曲の他の演奏には、例えば、超個性的なグールドやアファナシエフ、清澄なリリシズムを旨とするルプーなど、名演が目白押しであるが、ペライアのピアノはまさに正統派。

聴き手が仰ぎ見てしまうような威容に満ち溢れている。

「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」や「2つのラプソディ」における、あたりを振り払うような峻厳たる威容は、これぞ3大Bの一角を占めるブラームスならではの重厚さだ。

「6つのピアノ小品」も、第1曲など、威風堂々たるピアニズムであるが、第2曲、第5曲、そして第6曲の寂寥感溢れる抒情は、最晩年のブラームスの心底を覗き込むような深みのある音楽に仕上がっている。

「4つのピアノ小品」の高踏的な深みのある美しさは、前述のグールドやアファナシエフなども到達し得なかった至高・至純の高みに達している。

録音も鮮明で、ぺライアの堂々たるシンフォニックなタッチをクリアに味わうことができるのが素晴らしい。

それにしても、ぺライアは、今や巨大な存在になった。

そんな評価があながち大げさとは言えない驚異的な本CDの登場を大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 12:21コメント(0)ブラームスペライア 

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ヴェンツとピリオド・バロック・アンサンブル、ムジカ・アド・レーヌムが1992年に録音したテレマン作品集になる。

同時期にリリースされたクヴァンツ・アルバムと類似したカバー・デザインだが、こちらのテレマンのCDは既に入手困難になっている。

しかし従来の古楽のスタイルを全くイメージさせない速めのテンポによる溌剌とした演奏は、古楽器による現代的な解釈を目指した彼らの強い使命感と意気込みを感じさせている。

収録された4曲の中では最も規模が大きく、また音楽的にも充実した作品が3曲目の『フルートと弦楽及び通奏低音のための組曲イ短調』で、大バッハの管弦楽組曲第2番に通じる美しさを持っている。

この曲集には含まれてはいないが同じくテレマンの『トラヴェルソとリコーダーのための協奏曲ホ短調』と並んで傑作の名に恥じない堂々たる風格を備えている。

むしろフルートのためにちりばめられたテクニックの面から見ればバッハのそれを凌駕している。

通常ソロ・フルートの高い音域とその調性からアルト・リコーダーで演奏されるのが一般的だが、ヴェンツは果敢にもトラヴェルソで演奏していて、これは筆者が今迄に聴いた唯一のサンプルだ。

彼の乱舞するような超絶技巧が冴え渡る、いかにもテレマンらしい嬉遊性に溢れた解釈が聴きどころだろう。

ムジカ・アド・レーヌムはヴェンツとその仲間達によって1990年にオランダで結成されたピリオド・アンサンブルである。

メンバーは当時からムジカ・アンティクワ・ケルンなどで活動していた若手の演奏家が顔を揃えていて、その演奏活動は現在まで続いている。

ライナー・ノーツに彼ら7人の使用楽器が明記されているが、それぞれが18世紀のヒストリカル楽器かそのコピーを使っている。

この録音でヴェンツが演奏しているトラヴェルソは1720年にトリノの名匠パランカが製作したワン・キー・タイプのコピーになる。

ピッチは現在よりほぼ半音ほど低いa'=415Hzで、オールマイティーな楽器の特徴を極力活かす彼の楽器選択にも拘りが感じられる。

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classicalmusic at 02:37コメント(0)テレマンヴェンツ 

2022年07月29日


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本盤には、小澤征爾がベルリン・フィルとともに1989年から1992年の4年間をかけてスタジオ録音を行ったプロフィエフの交響曲全集などが収められている。

筆者としては、アプローチが難しいプロコフィエフに肉迫した素晴らしい名演と高く評価したい。

小澤がベルリン・フィルを指揮した、端正にしてキリリとした指揮ぶりを堪能できる作品集である。

小澤は、カラヤンを師匠として敬愛していたこともあり、ベルリン・フィルと数々の演奏・録音を行ってきている。

現時点において最も優れた録音は、このプロコフィエフの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

小澤は、もともとプロコフィエフを得意中の得意としており、ここでも持ち前の豊かな音楽性を活かしつつ、軽快でリズミカルなアプローチによるセンス満点の明瞭な演奏を行っているのが素晴らしい。

いずれにしても交響曲第1番「古典」についてはかかるアプローチに対して異論はないだろう。

ところが最高傑作の一つと目される交響曲第5番については、カラヤン、バーンスタイン(いずれも小澤の師匠)などによる重厚な名演が目白押しである。

それに慣れた耳からすると本演奏はいささか軽快に過ぎるきらいがないわけではない。

しかしながら、とかく重々しくなりがちなプロコフィエフの演奏に清新さを与えるのに成功している点については、筆者としては高く評価したいと考える。

組曲「キージェ中尉」も同様のアプローチによる名演であるが、ここでは第2曲「ロマンス」と第4曲「トロイカ」に声楽を含むバージョンで演奏されており、これは希少価値がある。

さらに、これらの演奏で素晴らしいのは、ベルリン・フィルによる卓越した技量であると考える。

この当時のベルリン・フィルは、芸術監督がカラヤンからアバドに代替わりする難しい時期でもあった。

ここでは鉄壁のアンサンブルとパワフルなサウンド、各管楽器の卓越したテクニックが健在である。

組曲「キージェ中尉」におけるアンドレアス・シュミットも素晴らしい歌唱を披露している。

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classicalmusic at 17:39コメント(0)プロコフィエフ小澤 征爾 

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ヴァントほどの大指揮者になると、愉悦性に富んだ管弦楽曲と言えどもいささかも手抜きはしない。

その最たる例が、本盤に収められたハフナー・セレナード&ドイツ舞曲であると言えるだろう。

モーツァルトの管弦楽曲と言えば、オペラの序曲を除けば、セレナードとディヴェルティメントが2本柱と言えるが、超有名な「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」を除けば、独墺系の指揮者は、そのどちらかを好んで演奏する傾向が強いように思われるところだ。

カラヤンなどは、ディヴェルティメントを得意のレパートリーとしており、最晩年にも素晴らしいスタジオ録音を成し遂げている。

これに対して、生前カラヤンのライバルと目されたベームはセレナードを好んで演奏していたことは良く知られているところだ。

そして、ヴァントは、こうしたベームの系譜に繋がる指揮者と言えるだろう。

とは言っても、ベームによるセレナードの演奏と、ヴァントによるセレナードの演奏は随分とその性格が異なる。

どちらの指揮者も、堅固な造型美や重厚にして剛毅な演奏という点において共通しているが、ベームの演奏には、ウィーン・フィルなどによる美演ということも多分にあると思われるが、優美さや典雅さに満ち溢れているのではないだろうか。

これに対して、ヴァントの演奏は、例によって厳格なスコアリーディングに基づいた緻密さを基軸にしており、優美さや典雅さよりもむしろ、交響曲を演奏するような姿勢で演奏に接しているとさえ言えるだろう。

したがって、ハフナー・セレナードの持つ愉悦性においては、いささか欠けていると言わざるを得ないが、格調の高さにおいては無類のものがあり、一聴すると武骨な表現の中にも、独特のニュアンスや情感の豊かさが込められているのが見事である。

必ずしも、一般受けする演奏とは言い難いが、演奏に内在する意味の深さ、彫りの深さには尋常ならざるものがあり、本演奏は、巨匠ヴァントの晩年の至高・至純の境地があらわれた素晴らしい名演と高く評価すべきではなかろうか。

ドイツ舞曲も、ヴァントのような大指揮者が演奏すると、偉大な芸術作品に変貌し、まさに、同曲の真の魅力を引き出すのに成功した稀有の名演と高く評価したい。

音質は、1989年のスタジオ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 12:04コメント(0)モーツァルトヴァント 

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以前ユニヴァーサル・コリアから34枚組のイングリッド・ヘブラーのモーツァルトとシューベルトの全録音集がリリースされたが、既に廃盤になっている。

こちらは本家フィリップスの全音源を収録した58枚のオリジナル・ジャケット仕様である。

これまではプレミアム価格で販売されていたショパンのワルツ集やハイドンのソナタ集、シューマンの『子供の情景』などと共に彼女の殆ど総てのレパートリーを鑑賞することができる。

音質は全盛期のフィリップス特有の切れの良い鮮明なサウンドが特徴である。

最後のCD58のモーツァルトのピアノ・ソナタ第12番ヘ長調及び第13番変ロ長調に関しては1953年のモノラル録音だが今回初CD化された。

彼女はモーツァルトの権威だったが、モーツァルトに大きな影響を与えた大バッハの末っ子ヨハン・クリスティアン・バッハの作品も多く手掛けている。

このセットではピアノ・ソナタやフルート・オブリガート付きのピアノ・ソナタ、また18曲に及ぶピアノ協奏曲も圧巻だ。

ここではノイペルト製のフォルテピアノのコピーを演奏している。

ヘブラーは恣意的な解釈を避けた、磨き上げた美しい音色で清楚に演奏した殆ど最後のピアニストだった。

そのスタイルはモーツァルトの音楽に最もふさわしく、純粋な音楽の喜びを体現させてくれる。

その意味でもこの全集は貴重なものだが、彼女がフィリップス以外にレコーディングした音源については含まれない。

その主な音源はDENONからリリースされた二回目のモーツァルトのソナタ全集で、こちらは現行で入手可能だ。

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classicalmusic at 07:43コメント(0)ヘブラーモーツァルト 

2022年07月28日


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何という素晴らしい名演であろうか。

精妙なアンサンブルの中に、モーツァルト特有の陽気さ、軽妙さ、悲痛さ、苦悩といった、さまざまな情感を盛り込んだ名演だ。

弦楽四重奏曲第17番「狩」は、まさに狩りを皆で楽しむような生き生きとした力強い生命力に満ち溢れている。

構築性を尊重し、明るく大きく歌い上げており、これはスメタナ四重奏団ならではの名演だ。

スメタナ四重奏団の各奏者の醸し出す絶妙のアンサンブルは、これぞ弦楽四重奏曲の醍醐味とも言うべき高次元の至高の音楽を構築している。

他方、第15番は、モーツァルトにしては珍しい短調の楽曲であるが、悲劇的な曲想の中でも、決して甘美なメロドラマには陥ることなく、常に高踏的な至純の美しさを失わないところが素晴らしい。

そのデモーニッシュな魅力には聴き手を引きつけて離さない魅力がある。

ここでも、スメタナ四重奏団の各奏者の奏でるアンサンブルは、これ以上は求められないようなレベルに達しており、4人の室内楽的なかけ引きも見事というほかない。

第17番「狩」と同様、録音も含めれば、同曲最高の名演と言っても過言ではないだろう。

いずれも彼らの最盛期の録音といってよいだろう。

録音は、世界初のデジタル録音として、前述のようにもともと素晴らしいものである。

モーツァルトの弦楽四重奏曲の録音史上、最高の名演の一つをこのような高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:45コメント(0)モーツァルトスメタナSQ 

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ザルツブルクを支配したカラヤンが、伝説になるべくしてなったのが、この《ばらの騎士》だった。

舞台は映画化され、その映画は世界中で上映されたし、もちろん日本でも。

いまなら当然だが、1960年代はそうではなかった。

実際の舞台を収録したライヴ、というより、夢の彼方の映画だった。

だが、伝説の名舞台も、さすがに影が薄くなっている。

絶え間なく時は流れて半世紀以上経った。

元帥夫人の老いを、誰も止めようがない。

62年という歳月は、《ばらの騎士》というオペラにとって、決して短い歳月ではなかった。

いまなお、「シュヴァルツコップの元帥夫人」の神話は生きているけれど、シュヴァルツコップ的な歌唱はもう過去のものとなりかけている。

《ばらの騎士》というオペラも、コメディにしては涙の量が多いものに変わってきている。

残された映像や録音によって、時の変化がまざまざとうかがえる。

第1幕の幕切れで元帥夫人が見る鏡のように……。

「時」が《ばらの騎士》の主役になったのも、初めはシュヴァルツコップの元帥夫人だったのかもしれない。

映画で知る限り、まだこの上演で元帥夫人は、年齢や色香の衰えを悲しみ、受け入れている。

でもその深いため息に、過ぎゆく時を前にした人間の悲しみへと昇華する兆しを、私たちは聴きとることができる。

1960年の美しい《ばらの騎士》は、コメディーであり、ドイツ的歌唱によって与えられていることによって、過去に属していた。

しかし、同時にこの《ばらの騎士》は、未来でもあったのだ。

「時」のなんという不思議! そして時のオペラ《ばらの騎士》の、なんという不思議!

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classicalmusic at 17:36コメント(0)カラヤンシュヴァルツコップ 

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ザルツブルク音楽祭での収録年の異なるふたつのコンサートより、キャリア駆け出しのムーティがウィーン・フィルを指揮した演奏内容を編んだアルバム。

リッカルド・ムーティのザルツブルク音楽祭でのライヴから3曲を収めたCDで、前半の2曲が1972年8月17日に同地のグローセス・フェストシュピールハウスで演奏されたロッシーニのオペラ『セミラーミデ』序曲及びシューマンの『ピアノ協奏曲イ短調』で、ソリストにはスヴャトスラフ・リヒテルを迎えている。

後半は1974年7月27日にクライネス・フェストシュピールハウスでのモーツァルトの『協奏交響曲変ホ長調』で、ソロ・ヴァイオリンに当時のウィーン・フィルのコンサート・マスターだったゲルハルト・ヘッツェル、ソロ・ヴィオラには同首席奏者ルドルフ・シュトレングをそれぞれ配している。

ムーティのザルツブルク・デビューは1971年にカラヤンから招待された時で弱冠30歳だった。

このライヴはその翌年のもので、プログラミングの上でも既にムーティのストラテジーが良く表れている。

ムーティはコンサートの冒頭にしばしばイタリア・オペラの序曲を持ってくる。

しかもウィーン・フィルのようなオーケストラでロッシーニのクレッシェンドを思う存分聴かされた聴衆の精神状態は、いやがうえにも高揚してくる。

こうしたオーケストラのウォーミング・アップと聴き手の感覚を呼び覚ますファンファーレを兼ねた効果的な選曲がここでも功を奏している。

シューマンでは鉄拳のように振り下ろされるリヒテルの打鍵が、ムーティの指揮する毅然としたウィーン・フィルの上に冬の月光さながらに冴えた演奏で、リヒテルのソロは時として近寄り難い孤高の峻厳ささえ感じさせるが、ムーティはそれを包み込むだけの熱い情熱と巧みな采配で、リヒテル自身も次第に勢いに乗ってくる様子が興味深い。

第2楽章での弦楽器を引き立たせるカンタービレや、終楽章のソロとの堂々たる受け応えは若かったムーティの奮闘振りを示している。

かたや巨匠リヒテル、また一方ではうるさ型のプレーヤーが揃っているウィーン・フィルという二者をまとめあげ、両者の能力を活かしてみせた力量は流石だ。

モーツァルトでソリストを務めるヘッツェルは少年時代からヴォルフガング・シュナイダーハンに師事してウィーン流の奏法を会得した、まさにウィーン・フィルの顔だったが、先輩のシュトレングと組んだ『協奏交響曲』での線は細いが軽やかで典雅なロココ風の趣は、替え難い美しさを持っている。

ここではムーティ得意のイタリア風の明るく伸びやかなモーツァルトを心掛けていて穏やかな幸福感を感じさせてくれる。

尚ライナー・ノーツは29ページで独、英語による比較的充実したエピソードが掲載されているが、後半部はオルフェオ・レーベルのザルツブルク音楽祭ライヴCDのカタログになっている。

録音状態はこの手のライヴとしては良好なステレオ録音で、いくらかこもった感じの音質はボリュームを上げることによってかなり改善される。

またテープの劣化が原因と思われる若干の音揺れが聞かれるが大勢には影響ない。

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classicalmusic at 10:46コメント(0)ムーティリヒテル 

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これは素晴らしい名演だ。

かつてリスト・イヤーには、ピアノ・ソナタロ短調を軸とした圧倒的なリスト・アルバムを世に出して、健在ぶりをアピールしたエマール。

本盤に収められた演奏は、エマールが最も得意とするレパートリーとも言えるドビュッシーの前奏曲集であり、そもそも演奏が悪かろうはずがない。

既に、エマールはドビュッシーのピアノ曲を2002年に映像及び練習曲を録音していた。

2005年の来日時には、全曲ではなかったものの前奏曲集からいくつかの楽曲を抜粋して、名演の数々を披露してくれたことは現在でも記憶に残っている。

いずれにしても、本盤に収められたドビュッシーの前奏曲集は、エマールにとって、いわゆる録音としては、ドビュッシーのピアノ曲集を収めた2枚目のアルバムということになる。

得意の楽曲だけに、まさに満を持して世に問うたアルバムということができるだろう。

それにしても、何という見事な演奏であろうか。

各旋律の尋常ならざる心の込め方には出色のものがあり、加えて、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う独特のセンスに満たされている。

これぞフランス音楽の粋とも言うべき抗し難い魅力に満ち溢れている。

個性的という意味では申し分がないが、その解釈の様相としては古色蒼然と言ったものからは程遠く、常に現代的なセンスに満たされている。

決して恣意的なアプローチに陥るということはなく、あざとさをいささかも感じさせないのが見事である。

そうした抜群のセンスを維持した中での、思い切った強弱の変化やテンポの振幅を駆使した各楽曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりである。

おそらくは現代のあらゆるピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の演奏の中でも最高峰の一つに掲げるべき至高の高みに達している。

また、卓越した技巧と堅固な造型美は、エマールのフランス人離れした優れた美質とも言えるところである。

前述のようなフランス風の洒落たセンスを聴かせるのにとどまらず、楽曲全体の造型美を重視した骨太の音楽づくりにおいてもいささかも不足はないところである。

まさにこれぞドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

加えて、本盤には前奏曲集の第1巻と第2巻の全曲が収められているのも聴き手にとっては大変喜ばしいものである。

前述のような演奏の素晴らしさも相俟って、筆者としては、現代のピアニストによるドビュッシーの前奏曲集の録音の中では、最も優れた至高の超名演と評価したい。

音質も2012年のスタジオ録音であり、十分に満足できるものと言える。

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classicalmusic at 05:13コメント(0)ドビュッシー 

2022年07月27日


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今回もオーケストラはバーゼル室内管弦楽団が担当している。

タイトルの『ラメンタツィオーネ』(哀歌)は2曲目の交響曲第26番ニ短調の第2楽章にグレゴリオ聖歌の「エレミアの哀歌」のメロディーが取れ入れられているからだろう。

また一方で最後にカップリングされている第30番ハ長調の第1楽章には同じくグレゴリオ聖歌からの「アレルヤ」が使われているためにニックネームとして『アレルヤ』と名付けられている。

こうした聖歌の交響曲への導入は後のベルリオーズその他の作曲家にも受け継がれていくことになるのも興味深い。

ハイドンはこうした試みでもパイオニアだったと言えるだろう。

バーゼル室内管弦楽団に生気を吹き込むようなアントニーニの指揮ぶりも、いつも通りだ。

交響曲第79番ヘ長調の第1楽章には、後にクレメンティがピアノソナタ変ホ長調Op.24-2のテーマに使っている音型とリズムがあらわれる。

これはモーツァルトが最後のオペラ『魔笛』の序曲で取り入れる主題の原形とも言える溌溂としたもので、意外なところで彼らのつながりが感じられる。

ハイドンの交響曲を聴いていると、そのほかにもカール・フィリップ・エマヌエル・バッハやベートーヴェンなど、彼が影響を受け、また影響を与えた作曲家たちの音楽が至るところにあらわれている。

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classicalmusic at 21:58コメント(0)ハイドン 

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ザンデルリング生誕100周年記念したセットで、その5年前に出た95周年記念盤に続いてベルリン・クラシックからリリースされた。

残念ながら彼は2011年に98歳で鬼籍に入っている。

両親がユダヤ系だったためにドイツの国籍を剥奪され、若い頃からソヴィエトで研鑽を積み、戦後は旧東ドイツを中心に活躍した指揮者としては珍しくマーラーをレパートリーにしていた。

2歳年下のコンドラシンもスラヴ系の指揮者には珍しくマーラーを系統的にレコーディングしたが、ザンデルリングのような経歴を持つ人が世紀末的なウィーンのデカダンスの魅力を伝えるマーラーに情熱を捧げたことには驚かされる。

それは特に最後の未完交響曲第10番に表れている。

交響曲第10番嬰ヘ長調は第一楽章だけが演奏可能な状態でスコアが残されたが、それ以降は加筆する必要があるので、指揮者はオリジナル稿を尊重して第一楽章のみを演奏するか、補筆版を使った完成形で全曲演奏するかの選択に迫られる。

ザンデルリングは後者の立場を取っていて、デリック・クックの第3稿をもとにして独自の解釈を加えて演奏している。

それだけこの作品に懸ける強い情熱が感じられる。

これはリカップリングされた第9番でも言えることだが、彼はフルトヴェングラーのようにマーラーを熟れ切った果実のように演奏するのではなく、より分析的にサウンドを作り上げていく。

第9番のように様々なエレメントが交差する曲では、彼のようなある種の冷徹さがモダンな響きを作り上げていると言っていいだろう。

ベルリン交響楽団も彼らの実力を発揮した優れた演奏で、当時の西側の著名なオーケストラに引けを取らない腕前を示している。

最初には『大地の歌』が収録されているが、ペーター・シュライアーが珍しく感情をあらわにした表現が聴ける。

これもザンデルリングの解釈だろう。

アルトのビルギッド・フィニラは真摯に歌っていて好感が持てるが、ブルーノ・ワルター盤のキャスリーン・フェリアーの歌唱を聴き直してしまった。

それくらいフェリアーの死を予感した歌声は天才的なものを感じざるを得ない。

音質は極めて良好で、オーケストラのそれぞれの楽器の解像度も想像以上に良かった。

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classicalmusic at 13:46コメント(0)マーラーザンデルリンク 

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ジョヴァンニ・アントニーニによるハイドン交響曲全集の第3集のタイトルは『ひとり、思いにふけり』である。

このディスクにカップリングされたハイドンのイタリア歌曲の題名から採られている。

歌うのはイタリアのソプラノ、フランチェスカ・アスプロモンテで流石にイタリア語の明瞭な発音とリリカルな歌心が心地良い。

勿論彼女もピリオド唱法をマスターしていて、アントニーニの期待に応えている。

イル・ジャルディーノ・アルモニコの伴奏も時に嘆くように、また時には激しくめりはりのきいた演奏でソロをサポートしている。

他の曲もこのいくらか哲学的なタイトルに共通する楽想を持つ選曲になっている。

例えば交響曲第64番イ長調『時の移ろい』で、第2楽章ラルゴの風変わりな曲趣は物思いにふけり、また我に返るような印象を与える。

このディスクにはハイドンのイタリア語のオペラ『無人島』の序曲も収録されている。

このオペラは現在殆ど上演されない1幕ものの作品だが、主人公の女性コスタンツァが孤島に置き去りにされたことを嘆く第一部が今回のタイトルに相応しい内容を持っている。

イル・ジャルディーノ・アルモニコはここでもドラマティックで自由闊達な演奏を繰り広げている。

音質は極めて良好。

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classicalmusic at 07:16コメント(0)ハイドン 

2022年07月26日


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1975年12月4日、NHKホールにおけるステレオ録音(ライヴ)。

これは素晴らしい演奏内容だ。

驚く程スケールの大きな演奏で、テンションの高い1970年代のN響とマタチッチの巨人的音楽作風の相乗で、超弩級の音楽に仕上がっている。

それにしても何と言う演奏だろう。

「マタチッチの」「N響の」という文脈ではなく、すべてのワーグナー録音のなかでも屈指の名盤と言える。

いずれも完全にオーケストラ・ピースとして演奏しており、その分物語性はないが完結した音楽となっており、完成度は高い。

揺るぎない骨格、透明感と品位、横の流れの自然さ、どこをとっても立派の一語に尽きる。

マタチッチ自身が語っているようにクナッパーツブッシュのワーグナーを下敷きにした演奏となっている。

響きは雄大で広がりがあり、ムラヴィンスキーの突き刺すような演奏とは違い包容力がある。

巨大な山脈が地の底から動いていくかのような何とも凄い演奏だ。

雪崩のようなフォルテもマタチッチの高い集中力を感じさせてくれる。

緻密でありながら大胆、流麗でありながら重厚、N響という先入観は不要。

ただひたすらに音楽に奉仕する指揮者と演奏者のみがここにある。

その音楽の圧倒的な力に、この録音当時、もしマタチッチがバイロイトで「リング」を上演していたら、その歴史はその後大きく変わっていたのでは?とさえ思う。

日本の楽団でこのレベルの音楽をやってみせたマタチッチは本当に凄い指揮者であった。

技術を云々している場合ではない。この演奏には圧倒的な音楽的説得力がある。

整った演奏は他にたくさんあるが、ここではライヴの良さが技術的なものを超えているように思われる。

マタチッチとこういう結びつきを持ったN響はとても幸運だったのだと思う。

音質はややぼやけているが、ホールでの演奏を思わせる自然なもので好ましい。

演奏・録音・選曲の面からマタチッチのファンのみならず、ワーグナーの入門としても薦めたい。

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classicalmusic at 23:55コメント(0)ワーグナーマタチッチ 

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1953年のバイロイト・ライヴなので勿論モノラル録音だが、このオルフェオ盤はオリジナル音源からCD化したもので音質は決して悪くないし、ライヴ特有の熱気と臨場感を感じることができる。

特に歌手陣の声が明瞭で、適度な残響も声楽、オーケストラ共に潤いを与えていてデッドな印象はない。

ただしオーケストラのサウンドはセッション録音のような迫力や細部の解像度は劣っている。

これはバイロイトという特殊なオーケストラ・ピットを備えている劇場でのレコーディングなので、ある程度は致し方ないと思う。

このライヴの魅力はクラウスが亡くなる一年前に遺した、彼のワーグナーへの総決算的な上演になっていることだ。

本来クナッパーツブッシュが指揮する筈だったが、演出家ヴィーラント・ヴァーグナーの照明優先の舞台に反対して降板したというエピソードが残されている。

クナほどスケールは大きくないかも知れないが、精妙な中にもダイナミズムに溢れる明快な解釈は聴き手を飽きさせない。

当時全盛期だった歌手陣の輝かしい声がこのライヴの大きな魅力でもある。

稀代のヴォータン歌いハンス・ホッターは44歳で、充実した歌唱で長丁場を歌い切っている。

ジークフリート役のヴィントガッセンには大歌手時代のやや恣意的な歌唱法が残っているにしても、強靭な声には現代の歌手には得られないヘルデン・テナーの面目躍如たる迫力がある。

女声ではヴァルナイのやや暗く官能的な『ブリュンヒルデの死』には特有の深みがあり、彼女に最適の役柄だったことが理解できる。

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classicalmusic at 17:51コメント(0)クラウスホッター 

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これは知る人ぞ知る名演の代表格であると言える。

マゼールの晩年は、かつてのように聴き手を驚かすような演奏を行うことはすっかりと影を潜めてしまったが、1960年代から1970年代の前半にかけては、当時としては切れ味鋭い先鋭的な解釈を示すことが多かった。

楽曲によっては、いささかやり過ぎの感も否めず、そうした演奏に関してはあざとささえ感じさせるきらいもあったが、ツボにはまった時には、途轍もない超名演を成し遂げることもあった。

1970年代も後半になると、そうしたマゼールの鬼才とも言うべき性格が薄れ、やや面白みのない演奏に終始するようになってしまう。

それでもベルリン・フィルの芸術監督を目指して意欲的な演奏を行っていた1980年代後半には、とてもマゼールとは思えないような円熟の名演を繰り広げた(例えば、ブルックナーの交響曲第7番など)。

これまでの事績を考えると、マゼールこそは、やはり現代を代表する大指揮者の一人と言えるのであろう。

本盤に収められたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、マゼールがいまだ鬼才としての才能を発揮していた1974年に、ロシアの名ヴァイオリニストであるコーガンと組んでスタジオ録音を行ったものである。

当時のマゼールにはおよそ想定し難いような選曲であるが、これが実に素晴らしい演奏なのだ。

聴き手を驚かすような超個性的な演奏の数々を成し遂げていたこの当時のマゼールとは思えないような、徹底して自我を抑えたロマンティックの極みとも言えるような円熟の指揮ぶりであり、マゼールという指揮者がいかに潜在能力の高い指揮者であるのかが窺えるところだ。

おそらく、この演奏を指揮者を伏して聴いた場合、マゼールであると答えられる聴き手は殆どいないのではないだろうか。

両曲ともに美しいメロディ満載の協奏曲であるが、それらの名旋律の数々を、コーガンとともに徹底して歌い抜いている。

それでいて格調の高さを失うことなく、どこをとっても高踏的な美を失うことがない。

まさに、両曲演奏の理想像の具現化とも言えるところだ。

コーガンのヴァイオリン演奏も、鉄壁のテクニックをベースにしつつ、内容の豊かさを失うことがない申し分のないものであり、マゼールの円熟の指揮ぶりと相俟って、珠玉の名演奏と評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、両曲の理想的な名演として高く評価したいと考える。

そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義がある。

いずれにしても、コーガン、そしてマゼール&ベルリン放送交響楽団による素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるので思う存分堪能したい。

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classicalmusic at 09:08コメント(0)コーガンマゼール 

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マリア・カラスはセッション録音でドニゼッティの『ランメルモールのルチア』を2回録音した。

彼女を始め当時全盛期だったディ・ステファノやティト・ゴッビとの共演は後に再録音された時の、盛りを過ぎたタリアヴィーニと新人だったカプッチッリとのキャスティングより優れている。

またセラフィンの劇場音楽を知り尽くした指揮も、このオペラのエッセンスを良く引き出している。

ドニゼッティのオーケストレーションは、声を生かすために添えられた伴奏のようなもので、それ自体がオペラを物語るものではないので指揮者が経験豊かでないと効果的に響かせることができない。

セラフィンはそのあたりを良く心得ていて、歌手陣と共にこの作品をのっぴきならない舞台に仕上げている。

カラスのルチアはそれまでのコロラトゥーラ・ソプラノのテクニックの誇示のような狂乱の場を、政略結婚の初夜の晩に夫を刺殺した恐るべき情念の女性として演じた。

それは表面的ないわゆる美声の披露ではなく、登場人物の心理状態をつぶさに描き切る声の演技だ。

その凄まじいばかりのドラマティックな歌唱は殆ど唯一のものだった。

ディ・ステファノの輝かしい声は作品の要求するテノールの魅力そのものだし、ゴッビもエンリーコというキャラクターを憎々しいほど巧みに演じている。

ちなみにこの3人はデ・サーバタの振った『トスカ』でも稀に見る集中力と完璧なほどのドラマを創り上げている。

惜しむらくは、どちらも歴史に残る名演でありながら、旧EMIのいくらか厚みに欠けるモノラル録音で、音質的にやや臨場感に欠けることだろう。

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classicalmusic at 00:00コメント(0)カラスセラフィン 

2022年07月25日


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1946年ヴェネツィアに生まれたイタリアの名指揮者ジュゼッペ・シノーポリは2001年4月、ベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディの《アイーダ》を指揮中に倒れ、帰らぬ人となった。

54歳、既に華々しい世界的キャリアを築き上げていたが、指揮者としてはまだまだこれからが円熟期という実りの時を目前にしての突然の他界であった。

シノーポリは指揮者というだけでなく作曲家でもあったが、大学では精神医学も修めたことからも分かるように、音楽家としては異例の多彩な背景を持っていた。

作品をただ単に美しく、あるいは劇的に再現して終わるのではなく、作曲家の深層心理にまでメスを入れ、なぜこの作品は書かれなくてはならなかったのか、そこに秘められたメッセージの真意は何だったのかといった次元にまで分け入り、その疑問と回答に至る過程を演奏という再現行為で見せてきた指揮者と言ってよいであろう。

1983年ウィーン・フィルと録音されたシューマンの《交響曲第2番》はシノーポリ37歳の時の指揮になるが、これほどの衝撃で聴き手を震撼させ、魂を奪い取り、シューマンの熱と香りに同化させる演奏は前例がなかった。

「作曲という行為は個の確立を求める自我の外交的衝動であり、精神の不安定が陽性の熱狂と陰性の沈滞とを揺れ動く狂乱の軌跡」(大意)といった趣旨の論文をシノーポリはこのアルバムに添付、自らの作品に寄せる思いを吐露しているが、確かに演奏内容は切実かつ深刻である。

それは揺れ動く気持ちの表現という以上に、のたうち回る作曲者の心の軌跡が白日のもとにさらされていくかのような生々しい演奏であり、作品全体が渦巻きのようになって聴き手を襲う吸引力が凄まじい。

旋律は歌うのではなく苦しみあえいでおり、音色は感覚的美しさを超えて妖気すら発している。

スピーカーの前の空間は一種異様とも言える緊迫感と霊気に包まれてしまうのである。

そんな興奮は第1楽章から顕著だが、聴き手はその異様とも言える気配にたじろぎ、思わず後ろを振り返ってしまうほどである。

それにしても予想不能の、インスピレーションの化身のようなシノーポリの指揮にピタリと寄り添い、奇跡的熱演を聴かせるウィーン・フィルというオーケストラの素晴らしさも筆舌に尽くしがたい。

それは生きて呼吸する音楽であることはもちろんだが、天上の至福も地獄の苦しみも併せ知る作曲者の深層心理をあたかも吸い取って音に変えたかのような演奏であり、直接触れれば火傷してしまいそうである。

終楽章に聴くヴァイオリンとフルートがユニゾンで作り出す炎の音色の怖ろしさなど聴くたびに鳥肌が立ってしまうほどだ。

深みにはまると動けなくなるが、シューマンの毒と罠が聴き手を羽交い締めにし、動けなくなくしてしまう怖い名演である。

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classicalmusic at 17:49コメント(2)シューマンシノーポリ 

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ハイドンの交響曲全集の第7集もオーケストラはバーゼル室内管弦楽団が担当している。

彼らはバロックから現代音楽までの広いレパートリーを持っているが、時代に合わせてピリオド楽器とモダン楽器を使い分ける器用な楽団だ。

これまでに第11集までリリースされたが、そのうち第5集から第7集までの3枚と第11集の都合4枚がバーゼルの演奏になる。

イル・ジャルディーノ・アルモニコの自由奔放な表現力に比較すると、溌溂としているが羽目を外すことのない堅実な演奏がより古典派的かも知れない。

これからどういう比率で2つのオーケストラが交替するのかは分からないが、アントニーニの再現の趣旨は充分に伝わっていると思う。

今回のテーマは『興行主たち』で、作曲家に作品を発注し、劇場運営を采配した劇場感覚に長けた職人たちを採り上げている。

興行主は芸術家ではないが、どのような作品が観衆に受けるかを熟知していなければならない。

また優れた作品の上演を実現するために誰に作曲させるか決定することも重要な仕事だ。

彼らは自身で劇場支配人を兼ねている場合が多いので、商売上手であることも欠かせない。

つまり作品の上演権を獲得すれば、他の劇場に売ることもできるからだ。

このディスクでは5人の興行主から発注された4曲が収録されているが、例えばハイドンの交響曲第67番とモーツァルトの劇付随音楽『エジプトの王タモス』は同じ興行主カール・ヴァールからの依頼であることも興味深い。

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classicalmusic at 11:12コメント(0)ハイドン 

2022年07月23日


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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の名首席奏者達が織り成す自在な独奏と、モーツァルト指揮者として定評のあったベームの指揮が美しく調和した演奏で聴く、モーツァルトの2曲の協奏交響曲集。

モーツァルトの2曲ある協奏交響曲を1つに収めたCDは、意外にも本盤くらいしか見当たらないが、間違いなく本盤はその決定盤とも言うべき永遠の名盤である。

何よりも、全盛期のベーム、そして、名うての名プレーヤーが数多く在籍していた黄金時代のベルリン・フィル、そして、当時、最も脂が乗っていたベルリン・フィルの名プレーヤーの三者がそろい踏みである点が大きい。

ベームの指揮は、厳しい造型を重視した緻密なものであるが、モーツァルトに深い愛着を持っていただけに、どこをとっても気品のある美しさに満ち溢れている。

しっとりとした情感を帯びたしなやかな表情と優雅な感覚、正確無比なテンポ感と確信に満ちた造型によるこの演奏は、古楽器演奏が全盛となった現代でも全く色褪せることはなく、逆にますますその輝きを増しているかのようだ。

各ソロ奏者も最高のパフォーマンスを示しており、無理なく、無駄なく、職人芸に徹したソロが実に清々しく、ベルリン・フィルも極上のアンサンブルでそれに応えている。

個性や名人芸の披露ではなく、ベームを核に繰り広げられていく演奏という名の対話であり、それが音楽の流れとともに絆をより強くしていく、そんな奥ゆかしい至芸である。

まだ20代の若さだったブランディスやライスターは初々しさを、40代であったカッポーネやシュタインスやピースクらは経験の豊かさに物を言わせた奥ゆかしいソロを披露、最愛のモーツァルトの花園に聴き手を招き入れる。

音楽ファンに残された心の故郷のようなアルバムである。

SHM-CD化によって音質もさらに鮮明さが増したところであり、これにより、本盤の価値は一段とアップしたと言えるだろう。

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classicalmusic at 06:00コメント(0)モーツァルトベーム 

2022年07月22日


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数曲において初版を使用し、ペダルの忠実な使用も含めて、シューマン演奏の究極を突き詰めた非凡な演奏を収録。

心・技・体すべてが充実し、一部で囁かれ始めていたテクニックの衰えをまったく感じさせない、ポリーニ58歳時の会心の録音。

極限まで磨き上げられた完全な技巧と知的な解釈で聴かせてきたポリーニ、近年ではさらに深化を遂げた表現力によって、シューマンの作品に込められた心情の推移、詩的な世界を見事に表現し、作品の裏側にある深い情緒を見事に描き切って間然とするところがない。

響きが切り立ってピアニスティックに情動を沸き立たせる形ではなく、音色のきらめきを抑え、キメを、ふ、と抜いて音との距離を作ることで想いの行方を聴き手に預け、浪漫世界にじっくり誘い込む、語り部ポリーニを印象づける練達の熟演。

それにしても、真の理由は定かではないが、ポリーニとシューマンの相性は抜群のものがある。

本盤の前に録音されたピアノソナタ第1番も、交響的練習曲&アラベスク、そして、ピアノ協奏曲もいずれも名演であった。

ポリーニはレパートリーをある程度限定して、自分で納得できる作品だけを演奏している。

それは生涯変わっていないので、彼から新しいジャンルのレパートリーを聴きたいと思っても叶わない。

特にアンサンブルにはほとんど手を付けないし、これから開拓するとも思えない。

しかしこの作品集のようにシューマンの哲学的な音楽の思索を再現した演奏は稀だろう。

それは本来のロマンティシズム、つまり中世騎士道的な骨太な解釈に、情熱を注ぎこむ姿勢は彼のオリジナルのシューマン像だ。

特に『クライスレリアーナ』の幻想性、オーケストラを髣髴とさせるダイナミズムと、洗練されたテクニックによって再現される音楽は文学的であり、また哲学的だ。

ショパンがピアノの詩人なら、シューマンはさしずめピアノの哲人と言うべきか。

ショパンはピアノという楽器の機能を最大限発揮できる作品を書いたが、シューマンは、おそらく楽器を超越したところで作曲している。

つまりピアノを考える楽器として扱っている。

そのためにテクニックの華麗さを示すような曲想が主体ではなく、音楽の中に思索が溢れている。

そうした課題にポリーニが挑戦し、ひとつの解決策を提示しているのがこのアルバムだろう。

それゆえ聞き流すことはできない、言ってみれば鑑賞者を拘束する演奏だ。

しかしじっくり聴きたい人には、これほどシューマンらしい表現方法も珍しいのではないだろうか。

ポリーニの多くのアルバムの中でも最上位にランクされるディスクとして高く評価したい。

全盛期のポリーニがかなりの量のシューマンをレコーディングしてくれたことに感謝したい。

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classicalmusic at 18:00コメント(0)シューマンポリーニ 

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ハイドンの交響曲全集第10集のタイトルは『一日の時間』で、初期の3曲『朝』『昼』『晩』と音楽的に近い内容を持っているモーツァルトの『セレナータ・ノットゥルナ』がカップリングされている。

ハイドンの3曲の様式はヴィヴァルディの複数のソロ楽器のための協奏曲、つまりコンチェルト・グロッソを想起させるものがある。

またバッハも『ブランデンブルク協奏曲集』で試みた様々な楽器のソロが活躍する場を交響曲に与えている。

それだけにトラヴェルソ、オーボエ、ファゴット、ヴァイオリンからコントラバスまでにソロ・パートが書かれている。

この頃はまだ交響曲に絶対音楽としての厳格な位置付けや、ソナタ形式の洗練というよりも、むしろ嬉遊性が溢れている。

こうした曲目においてイル・ジャルディーノ・アルモニコは水を得た魚のようにヴァイタリティ―に溢れた楽しい演奏を繰り広げている。

またそれぞれのソリストの腕前も充分に示されている。

モーツァルトの『セレナータ・ノットゥルノ』の様式はまさにこうした管弦楽用の楽しみのための音楽として徹底したもので、やはり様々な楽器が使われている。

ハイドンには『セレナーデ』と名付けた管弦楽曲は見当たらないが、それは『ノットゥルノ』と同様の曲種になるだろう。

それだけにハイドンの『朝』『昼』『晩』とモーツァルトの『セレナーデ』は共通の根を持つ音楽であることが理解できるし、指揮者アントニーニもこうした共通性を意識した選曲だと思われる。

この交響曲全集はハイドン以外の作曲家の作品も多数収録してあり、それらをピリオド楽器、ピリオド奏法で鑑賞できるのも興味深い。

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classicalmusic at 08:28コメント(0)ハイドンモーツァルト 

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ジョヴァンニ・アントニーニとイル・ジャルディーノ・アルモニコによるハイドンの交響曲全集企画の第8集は『ラ・ロクソラーナ』(仏語ラ・ロクスラーヌの伊語訳)と題されている。

これは交響曲第63番ハ長調第2楽章に付けられた名称で、スルタンの妻を題材にしたフランスの劇作品に登場する女性の主人公の名前だ。

つまり東洋趣味を意味している。

この時代異国情緒を自分の作品に取り入れる作曲家が現れてくるが、その異国とは主として東方になる。

しかし古典派ではあくまでも宮廷趣味に従って、リズムの変化やメロディーでそれを仄めかすだけで、直接東方の音楽を取り入れたわけではなかった。

モーツァルトにも『トルコ行進曲』やヴァイオリン協奏曲『トルコ風』があるように音楽に効果的なアクセントを与える手段として使われた。

こうした傾向はブラームスの『ハンガリー舞曲集』、更にはリムスキー=コルサコフの『シェーラザード』、イヴェールの『寄港地』などに発展していく。

しかし学術的に徹底した研究をしてオーケストレーションを施したのはコダーイとバルトークだった。

それゆえこのディスクにバルトークの『ルーマニア民謡舞曲』が併録されているのは、決して突飛なカップリングではないだろう。

それにしてもイル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏するバルトークの、なんと生命力に溢れていることか。まさに辻音楽師の集団たる彼らの面目躍如の表現力だ。

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classicalmusic at 00:06コメント(0)ハイドンバルトーク 

2022年07月21日


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ハイドン交響曲全集の第5集のタイトルは才気の人、あるいは非凡の人と言った意味になる。

ハイドンと彼とほぼ同時代に活躍したヨーゼフ・マルティン・クラウスの作品の非凡な作品を収録している。

このディスクの交響曲4曲のうちクラウスのハ短調を含めて2曲は短調で書かれている。

古典派の作品では珍しいことで、当時の宮廷では安定した曲想と嬉遊性に富んだ音楽が求められた。

短調の気の滅入るような不安定な曲想は受けなかったからだが、ハイドンやクラウスも時として果敢にも短調を使った。

ハイドンの第80番の終楽章はまたテーマの展開が殆どベートーヴェンを予感させることも印象的だ。

ここにも弦楽四重奏を髣髴とさせるテクニックが使われている。

ヨーゼフ・マーティン・クラウス(1756-1792)はドイツ出身でオーデンヴァルトのモーツァルトと呼ばれた作曲家で、スウェーデン国王グスタフ3世の宮廷に仕えた。

この交響曲ハ短調にも聴かれるような劇的で迸るような才能があふれ出ている。

今回から第7集までオーケストラはバーゼル室内管弦楽団に替わるが、彼らもピリオド楽器、奏法で対応している。

アントニーニのアプローチに従って才気煥発の演奏を繰り広げているが、イル・ジャルディーノ・アルモニコの覇気に比べるとややマイルドなサウンドという印象がある。

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classicalmusic at 18:57コメント(0)ハイドン 

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筆者は、オスモ・ヴァンスカとラハティ交響楽団の実演を1度だけ聴いたことがある。

それは2003年10月、すみだトリフォニーに於けるシベリウスのクレルヴォ交響曲であったが、このコンサートの印象は強烈で、未だに忘れられないでいる。

ヴァンスカの指揮のテクニックはメカニックではないのだが、何と言っても、自らの内面に湧き上がる感興を団員に伝える術を心得ていたのが見事であり、しかも、地に根の生えた安定感もあって、演奏家としての実力に脱帽した。

オーケストラの機能よりは味のある演奏であったが、フィンランド大学男声合唱団のどこまでも伸びていく声の素晴らしさ!

アンコールの「フィンランディア」にその歌声が響き渡ったときには、背筋がブルブル震えたものである。

CDから受ける感動が、ライヴのそれには数歩及ばないのは仕方ないものの、ヴァンスカならではの誠実さと、演奏家としての内的なパッションを有した優れた全集だと思う。

尚、ヴァンスカのシベリウスと言えば、第5番の初稿世界初録音について触れないわけにはいかない。

第5番の現在世界中で演奏される版は、実は初稿から2回の大改訂を経て生まれた「第3稿」である。

シベリウスは、1915年12月8日、シベリウス50歳誕生日を祝う記念演奏会に初演された初稿を「推敲不十分」と考えていたのだ。

そこで、翌年の誕生日に第2稿(紛失)を、そして、決定稿である第3稿を1919年11月に発表するに至る。

両稿の違いは小さくなく、決定稿の第1楽章が、初稿ではふたつの楽章に分かれていたこと、終楽章の小節が、679小節482小節に切り詰められていることの2点が最も目立つ違いである。

旋律やリズムなどマテリアルは同じながら、その印象は随分と異なり、かなり粗削りで未消化の印象がぬぐえない初稿に比べ、整理され交響曲としての威厳を見につけた現行版は、当然ながら完成された姿を私たちに見せてくれるが、中期のシベリウスの作品としてはお行儀が良すぎるようにも思える。

この全集には、後に録音された現行版と併せて、両者を同じ演奏家で聴ける、というのが有難く、2つの版を収録したこの盤を聴き確かめてみてはいかがだろう。

このCDの出現は、初稿に不満を抱いていた作曲者には迷惑千万なのかも知れないが、シベリウスの第5番を初演時の装いで聴く楽しみはまた格別である。

練り上げられていない分、決定稿ほどの揺るぎなさと洗練さはないが、より交響詩的な要素の強い初稿からは、作曲時にシベリウスが受けたという「神からのインスピレーション」が投影されてはいないだろうか。

そう考えるとき現行版の存在は、シベリウス研究の中で大きく評価を変えるだろう。

その初心もまた美しく、作曲者に降りた最初のインスピレーションに近い形が聴ける歓びに浸りたい。

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classicalmusic at 12:09コメント(0)シベリウス 

2022年07月20日


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中学生でも充分理解できる内容で、しかも簡潔に現行憲法と自民党の改正草案の違いを明確に示している。

学生から普段憲法についてそれほど考えたことがない大人まで、この著書によって自民党草案がいかに民主主義及び国民主権を脅かす解釈が可能であるかを学んで欲しい。

日本国憲法は非常にコンパクトで国家の方針を端的に示している。

細部に関しては個々の法律に判断を委ねていることが、長年に亘って一度も改憲されたことが無い理由だろう。

その骨子は替える必要が無かったからだ。

ここでご紹介したのは同書の増補版であるが、筆者が読んだのはそのもとになっている初版。

しかし統一教会と政治の癒着の問題が明らかになりつつある現在、本書が一層価値のある憲法ガイドブックの役割を果たすことができるだろう。

著者によって問題が提起され、読者がまず自分なりの回答を試みるわけだが、現行憲法と微妙に文言を変えた草案の違いを比較すると、全く異なった解釈が導き出される例もある。

第一問は憲法は国民が守る義務か、あるいは権力者が守る義務かの設問で、言うまでもなく答えは後者だ。

近代立憲主義での憲法は権力者に歯止めをかけるためにあると明言している。

このことからも改憲を権力者側から積極的に推し進めるという事自体にひとつの疑問を抱かざるを得ない。

また平和主義に関しては平和的生存権『ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利』が草案では削除されている。

天皇制については現行の象徴から元首に替えている。

こうしたひとつひとつの書き換えや削除が明瞭で、その結果どういう解釈が成り立つかを冷静に示した良書だ。

国民の間に改憲の議論やその内容が周知されないうちに強引に改憲に持ち込むことがあってはならない。

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classicalmusic at 21:50コメント(0)書物 

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この交響曲をリヒャルト・シュトラウスの音楽による登山日記だと思ってナメてはいけない。

この曲は当初、《アンチ・クリスト―アルプス交響曲》と名づけられていた。

つまり、ニーチェの思想「キリストは死んだ」ので、そんな死んだ神よりも自然を信仰しよう、みたいな観念的なニュアンスが付け加えられたわけだ。

ところがシュトラウス、やたらと描写が細かくじつにリアルなので、その作品に込められた主義主張はどこへやら。なんだかんだ、極上の登山日記になっているのである。

演奏家によって、どんな山なのか、そしてそれを待ち受けているものは何?という違いを聴き取るのが楽しい曲である。

筆者はシノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデン盤をかなり面白く聴くことができた。

ともかくこの指揮者が得意としたマーラーのように情報量がとんでもなく多いのに仰天してしまう。

しかも多いだけでなく、さりげなく擬音的に響く木管の不気味さといったら…。

そして作曲家にゆかりの深い大編成のオーケストラが鳴りに鳴る。

冒頭の夜から日の出を迎えるシーンは正真正銘、驚天動地の世界だ。

やたらと広大で、やたらに細かい、やたらと有機的で、やたらに人工的、聴き手の遠近感を狂わせてしまう演奏なのだ。

ぞくぞくするような冷淡な部分もあるのだが、山道に迷って氷河にたどり着く場面、そして悲歌の部分の翳り方はふつうではない。

何やら浮き沈みが非常に激しいのだ(これってシュトラウス⁈時代遅れのロマンを装った現代人⁈)。

クスリや死を意識したことで、精神が過敏になったまま接したような自然がある。

この演奏を聴くと、登山日記を越えたもっと鬼気迫るものを筆者は感じてしまうのである。

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classicalmusic at 18:06コメント(0)R・シュトラウスシノーポリ 

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ショパンは、ホロヴィッツが特に得意としたレパートリーのひとつだが、ジャンルにまとまった彼のショパン・アルバムは少ない。

このアルバムは、1949年から1957年までの録音から7曲を集めたモノーラル盤であり、ホロヴィッツ全盛期のショパンが味わえる。

彼の弾くショパンはあまりにも雄大で壮大、柔軟な表情付けとバリバリの男らしさを併せ持った独特な演奏は、当時の批評家の耳を翻弄したことは間違いない。

音質を含めて安定感にはやや欠けるが、独特の華麗なタッチと鋭いリズム感に、大胆な語り口を交えて進む彼のショパンは、実にドラマティックに展開する。

特に「ソナタ第2番」での驚くようなテンポ設定も聴きどころ。

「バラード第4番」「スケルツォ第1番」はスリルに満ち、聴き手の感覚に強烈に迫る魅力がある。

ショパンのピアノ音楽から即興的な妙味を引き出し、ホロヴィッツならではの世界を築いている。

注目は貴重な音源として知られている1949年録音の「バラード第4番」。

ホロヴィッツは発売を認めなかったが、何かのミスで市場に出てしまい瞬く間に消え去ったレコード。

その後EMI系からはLP、CD共に一度も復刻された事がなく、おそらくはこれが初復刻。

これのみスクラッチノイズが多いが、その他は実にクリアな音で再生されている。

よくも初期盤LPからこれだけの音を掘り起こすものだといつも感心させられる。

しかしここまでくるとイコライジング等、多少の人工臭…みたいなものも感じるが、そんな勘ぐりを起こさせるほど鮮烈な再生音である。

ファンには良し悪しを超えた価値を持つ1枚。

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classicalmusic at 11:45コメント(0)ショパンホロヴィッツ 

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最近では、ベートーヴェンを通り越してロマン派の作曲家にまで広がりつつある古楽器奏法やピリオド楽器による演奏であるが、バッハについては、そうした演奏様式が既に主流となっていることについては論を待たないであろう。

しかしながら、かかる演奏様式が芸術的であるかどうかは別問題であり、聴き手を驚かすような演奏はあっても、芸術的な感動を与えてくれる演奏というのはまだまだ少数派なのではないだろうか。

ブランデンブルク協奏曲は、かつてはフルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤンといった大指揮者が、それこそ大編成のオーケストラを使って、重厚な演奏を繰り広げていた。

古楽器奏法やピリオド楽器による演奏様式が主流となった今日において、これらの重厚な演奏を聴くと、影響力のある評論家などは大時代的な演奏などと酷評しておられる。

しかし、昨今の浅薄な演奏の数々に接している耳からすると、故郷に帰った時のような安らいだ気持ちになり、深い感動を覚えることが多い。

むろんバッハの権威、カール・リヒター盤も立派で崇高な名演であり、未だもって評価は高い。

こうしたことからすれば、バッハの演奏様式についても、現代楽器を活用した従来型の演奏を顧みるべき時期に来ているのかもしれない。

そうした機運の更なる起爆剤になりそうな録音こそが、本盤に収められたアバドによる素晴らしい名演であった。

アバドの下で演奏している各独奏者や、モーツァルト管弦楽団のメンバーは、いずれも前途洋々たる将来性がある若き音楽家たちだ。

そうした若き音楽家たちが、現代楽器を使用して、実に楽しげに演奏を行っており、そうした音楽家たちの明るく楽しげな気持ちが音楽を通じて聴き手に伝わってくるのが素晴らしい。

本演奏には、フルトヴェングラーなどによる演奏が有していた重厚さはない。

他方、古楽器奏法やピリオド楽器による演奏が陥りがちな軽佻浮薄な演奏にも堕していない。

いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

アバドは、大病を克服した後は、音楽に深みと鋭さが加わり、皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督を退いた後は、大指揮者という名に相応しい数々の名演を成し遂げてきた。

本演奏では、若くて将来性のある音楽家たちをあたたかく包み込むような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。

ブランデンブルク協奏曲を番号順ではなく、ランダムに並べた配列もなかなかにユニークであると評価し得る。

録音も鮮明であり、本名演を素晴らしい音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 08:07コメント(0)バッハアバド 

2022年07月19日


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ユンディ・リのピアノ、小澤征爾の指揮、ベルリン・フィルによるプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番とラヴェルのピアノ協奏曲が収められている。

両曲ともにピアニスト、指揮者、オーケストラの3拍子が揃った素晴らしい名演と高く評価したい。

特に、優れているのはプロコフィエフの方だ。

プロコフィエフのピアノ協奏曲では第3番があまりにも有名であり、第2番はその陰に隠れている存在に甘んじている。

本名演はそうした不当な評価を一変させるだけのインパクトがあるものと言える。

第2番は、プロコフィエフがぺテルブルク音楽院在学中に作曲されたいわゆるモダニズムを追求していた時代の野心作であり、弾きこなすには超絶的な技量を要する楽曲だ。

ユンディ・リの卓越した技量は本演奏でも冴えわたっており、小澤指揮のベルリン・フィルとの丁々発止のやり取りは、これぞ協奏曲を聴く醍醐味と言えるだろう。

もっとも、ユンディ・リは技量一辺倒には陥っていない。

とりわけ第3楽章において顕著であるが、ロシア風の抒情の表現にもいささかも不足はない。

その情感溢れる美しさには抗し難い魅力があり、ユンディ・リの表現力の幅の広さを大いに感じることが可能だ。

他方、ラヴェルについては、本演奏だけを聴くと素晴らしい演奏には疑いの余地がない。

しかしながら同曲にはフランソワやアルゲリッチ、ツィマーマン、エマールなどの個性的な名演が目白押しである。

それらと比較するとやや特徴がない無難な演奏になってしまっているように思われてならない。

もっとも、それは高い次元での比較の問題であり、本演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。

前述のように、小澤&ベルリン・フィルは、協奏曲におけるピアニストの下支えとしては十分過ぎるくらいの充実した名演奏を繰り広げており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音は、特にプロコフィエフについてはライヴ録音ではあるが、従来盤でも十分に満足し得る音質を誇っている。

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classicalmusic at 23:56コメント(0)プロコフィエフ小澤 征爾 

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本盤には、プロコフィエフのポピュラリティを獲得した管弦楽曲の名曲が収められているが、演奏の素晴らしさ、録音の素晴らしさも相俟って、まさに珠玉の名演奏と高く評価したい。

フェドセーエフは、近年では、同じくロシア系の指揮者である後輩のマリス・ヤンソンス(死去)やゲルギエフ(失脚)などの活躍の陰に隠れて、その活動にもあまり際立ったものがない。

1980年代の後半から本盤の演奏の1990年代にかけては、当時の手兵であるモスクワ放送交響楽団とともに、名演奏の数々を成し遂げていたところである。

本盤に収められた演奏も、そうした名演奏の列に連なるものであり、フェドセーエフ&モスクワ放送交響楽団による一連の録音のなかでは、当該演奏自体は、意外にもオーソドックスなものだ。

旧ソヴィエト連邦時代のロシア人指揮者と旧ソヴィエト連邦下の各オーケストラによる演奏は、かの大巨匠ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる数々の名演を除いて、およそ洗練とは程遠いようなロシア色濃厚なアクの強いものが主流であった。

これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

メロディアによる必ずしも優秀とは言い難い録音技術にも左右される面もあったとも言える。

ところが、旧ソヴィエト連邦の崩壊によって、各オーケストラにも西欧風の洗練の波が押し寄せてきたのではないだろうか。

本演奏におけるモスクワ放送交響楽団も、かつてのアクの強さが随分と緩和され、いい意味での洗練された美が演奏全体を支配しているとさえ言える。

もちろん、ロシア色が完全に薄められたわけではなく、ここぞという時のド迫力には圧倒的な強靭さが漲っており、これぞロシア音楽とも言うべき魅力をも兼ね合わせている。

いずれにしても、本盤の演奏は、全盛期のフェドセーエフによる、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、従来盤でも十分に良好なものであるが、いずれにしても、フェドセーエフによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 19:45コメント(0)プロコフィエフ 

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正規では4種類あるカラヤンの幻想交響曲のうち演奏・録音含めベストと言えるのがこの1964年盤。

当時の重厚なベルリン・フィルと意欲漲るカラヤンが聴かせる、美しく、迫力満点の幻想交響曲だ。

カラヤンはこの交響曲を作曲者ベルリオーズ自身が付記しているように、失恋体験を告白することを意図した標題音楽として忠実に再現している。

そして、ベルリオーズが意図的に演出しようとしたサイケディックさを極上の美しさをもって幻想的に仕上げている。

特に筆者にとっては第1楽章の「夢、情熱」が白眉である。

むせ返るような、やるせない恋の感情を、弦楽器群と木管楽器群の見事なアンサンブルで表現している。

そして、颯爽としたテンポと大地を揺るがす巨大なトゥッティに思わず痺れる。

教会の豊かな残響を伴ったカラヤン・サウンドは極上で、第2楽章など本当に言葉にならないくらい美しい。

どちらかと言えば毒々しい狂気的な印象がある曲だが、カラヤンは「断頭台への行進」や「ワルプルギスの饗宴」までも美しく、そして上品に創り上げている。

そして最後の最後まで張り詰めた緊張の糸が途切れず、一気にクライマックスを作り上げるところはカラヤンならではの構成である。

終楽章コーダのティンパニと大太鼓の凄まじい重低音に導かれ炸裂するベルリン・フィルのフルパワーは圧巻。

さすがにカラヤン&ベルリン・フィルにこの手の楽曲を演奏させると上手い。

とにかく、美しさではこの盤の右に出る演奏にはお目にかかっていない。

録音も力感&スケール感不足の新盤に比べ重厚感あり、リアルで良い。

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classicalmusic at 13:26コメント(0)ベルリオーズカラヤン 

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フルトヴェングラーにとって音楽とは、古典主義とその末裔たるロマン主義こそ唯一絶対の頂点であった。

この絶対主義に同調できない友人には、絶交をその場で申し出たことも、若いころにはたびたびあったそうである。

この絶対主義の理念こそが、フルトヴェングラーのシューマン演奏を、他の演奏家による演奏が及ぶべくもない、比類なきものにしたといえないだろうか。

シューマンは、同時期に3つの「弦楽四重奏曲」も完成させている。

どちらの分野にしろ、これらの作品のチャンピオンはベートーヴェンで、当然シューマン自身、ベートーヴェンを意識して作曲したのであろう。

フルトヴェングラーのベートーヴェン絶対主義こそ、シューマンの演奏を、ベートーヴェンが築き上げた交響曲の高みへと少しでも近づけようとした営みだったといえないだろうか。

この演奏に耳を傾ければ、誰しもすぐそこにベートーヴェンの音楽があると合点するだろう。

ベートーヴェンとの距離の遠近をそれほど意識させずに、ベートーヴェンの後期の作品を聴いているような高みへと誘う演奏こそ、フルトヴェングラーとルシアン・カペーにしかできなかったのではなかろうか。

この2人の芸術家ほど、そのベートーヴェン信仰を生涯貫いた人物はいない。

この録音は第4番がベルリン・フィル、第1番がウィーン・フィルとの演奏になる。

フルトヴェングラーは「僕の結婚相手はベルリン・フィルだよ。でも、ウィーン・フィルは僕の恋人なんだ。だから離れるわけにはいかんのさ」と述べている。

カラヤンもそうだったが、この世界を代表する2大オーケストラを曲によって使い分けられることは指揮者にとってなんと幸せで恵まれていることだろう。

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classicalmusic at 07:38コメント(0)シューマンフルトヴェングラー 

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ロックウェル・ブレイクは1951年生まれのアメリカのテノール歌手で、2005年の舞台を最後に引退した。

彼の活躍した時代はおりしもロッシーニが見直され、全作品の新校訂版が本家のペーザロから出版され、また原典に忠実な解釈を通しての演奏が一般的になった。

歌手達の中でも、いわゆるロッシーニ歌いと言われる専門的技巧を身につけたヴァレンティー二=テッラーニ、バルトリ、ブレイク、コルベッリやダーラなどが一時代を築き上げた。

テノールでは殆ど独占的な実力と人気を持っていたのがブレイクだ。

彼の声質はそれ自体美声というわけではないが、2オクターヴ半の広い音域と、磨き上げたアジリタのテクニックで聴く者を圧倒し、驚嘆させ、ロッシーニの音楽の持つ魅力を再発見させてくれる。

ヴァレンティー二=テッラーニやバルトリと同じようにコロラトゥーラを完璧なまでに歌う歌唱法は、しばしば刺繍に喩えられる。

このディスクが『アンコール・ロッシーニ』と題されているのは、既に『ザ・ロッシーニ・テナー』という先発盤がリリースされていて、それに入りきらなかった比較的マイナーな作品群を集めているからだ。

指揮はマキシミアーノ・ヴァルデス、ロンドン交響楽団、録音は1989年。

個人的な話だが、ブレイクの演奏は何度も舞台で聴くことができた。

オペラは勿論、カンタータではオルフの『カルミナ・ブラーナ』、そしてリサイタルも聴いたが、ローマでのリサイタルでは、歌と歌の間に必ず彼のイタリア語による解説が入るという興味深いものだった。

ユーモアたっぷりに巧みなイタリア語を話していたのを思い出す。

また最後には何が聴きたいか、聴衆にリクエストを取っていた。

これはシャリアピンの演奏スタイルだ。

また当時ラジオのクラシック音楽のトーク番組にも良く出演して、自分の歌唱法についても話していたが、彼の性格の明るさと庶民的な親しさは忘れることができない。

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classicalmusic at 00:37コメント(0)ロッシーニ 

2022年07月18日


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マーツァルのマーラーは、第1弾〜第3弾となった「第5」、「第3」、「第6」は大変な名演であった。

その後のシリーズを大いに期待したが、それに続く演奏も決して悪い演奏ではないものの、マーツァルにしてはやや低調な出来が続いていたような気がする。

しかし、この「第1」は、マーツァルの純音楽的なアプローチが曲想に符合していることもあり、「第6」以来の中庸の美演、名演である。

およそ作為的要素のない、自然な仕上がりで、マーツァルはチェコ・フィルの色合いを引き出すストレートな、若書きらしさで魅せる解釈を示している。

マーツァルのマーラーは、バーンスタインやテンシュテットのような劇的な演奏、カラヤンのような耽美的な演奏、ショルティのような鋭角的な演奏と言うような、一言で言い表すことが可能な特徴があるわけではない。

むしろ、オーケストラを無理なく鳴らし、曲想を伸びやかに歌い上げる点が素晴らしい。

確かに上記の指揮者たちのような強烈な個性があるわけではなく、物足りない部分もあるが、この曲を美しくまとめたマーツァルの手腕は高く評価されよう。

いい意味でのローカル色が残るチェコ・フィルと組んでいることもプラスに働いていると思われる。

またチェコ・フィルも実にいい風合いで、いつもながら弦楽器の質感が伝わってくるような美しさは特筆ものであろう。

この「第1」でも、最強奏から最弱音に至るまで表現の幅は実に広く、特に、最強奏における金管楽器の光彩陸離たる響きは、幻惑されるような美しさだ。

今までにさまざまな「第1」を聴いてきたが、マーツァル&チェコ・フィルの演奏にはみずみずしさがある。

またあちらこちらに美しい瞬間があり、まるでチェコやボヘミアの美しい田園地帯を想像させる。

ホールの残響も素晴らしく、SACDによる優秀な高音質録音も実に水準の高いものであり、本盤の価値をさらに高めることに貢献している。

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classicalmusic at 21:43コメント(0)マーラー 

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これは驚きの1枚であった。

バルトークの弦楽四重奏曲は傑作ではあるが、決して耳当たりのいい曲ではなく、ポピュラリティを獲得をしているわけではないため、各弦楽四重奏団が採り上げる際には、余程の自信がないと録音に逡巡する例が散見される。

それだけに、この新しいアルカント・カルテットが、バルトークの、しかも、その中でも傑作であり、より深みのある「第5」と「第6」を録音したという点に、並々ならぬ自信と決意があらわれている。

そして、その演奏内容は、それに恥じぬ超名演に仕上がっている。

「第5」は、冒頭から、アグレッシブで強烈な迫力に圧倒される。

第1楽章冒頭の激しいリズム、第2楽章のチェロの極端に低いどこか無機質な響き、その後現われる柔らかな旋律、第3楽章の複雑なリズムの絡み合いは名手たちの真骨頂で、そして第4、第5楽章でも、エッジの効いた演奏に圧倒される。

各奏者の思い切った凄みさえ感じさせるアプローチが、バルトークの音楽にこれ以上は望めないような生命力を与えている。

「第6」も、悲劇的な抒情と、バルトーク特有の諧謔的でシニカルな表情のバランスが実にすばらしく、それでいて、「第5」で垣間見せたようなアグレッシブさにもいささかの不足はない。

タベア・ツィンマーマンによる冒頭のヴィオラ・ソロの深みのある歌に、一気に晩年のバルトークの世界に引き込まれる。

第3楽章の四分音の掛け合いも、絶妙なことこの上ない。

終楽章、静寂へと帰ってゆく終結部は、死者の魂が天へと静かに昇ってゆくような神聖さに満ちている。

アルカント・カルテットの将来性を大いに感じさせるとともに、この団体による今後のバルトークの弦楽四重奏曲全集の完成を大いに期待させる1枚と言える。

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classicalmusic at 19:59コメント(0)バルトーク 

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バイエルン放送交響楽団は、前任者のヨッフムとクーベリックによって鍛え上げられたドイツでも指折りの音楽性豊かなオーケストラである。

安定したアンサンブルの統率感と骨太で折り目正しい、いかにもドイツの伝統を感じさせる表現がここでも面目躍如たる演奏だ。

それは決して力技に頼る表現ではなく、それぞれのパートの音色を自在にブレンドさせ、音の力学を対比させることによって生み出される高度に洗練された頭脳的なプレーである。

特にモチーフの構築や展開がものを言うブルックナーでは、数少ないクーベリックの録音の中でも彼の円熟期の真骨頂の演奏が堪能できる。

一方モーツァルトの後期の6曲の交響曲では、統率されたオーケストラの生命感に漲る練達の技と澄み切った美しい響きが特筆される。

またテンポの取りかたも意外なほど落ち着いていて、この時期に彼がモーツァルトへの解釈に独自の境地を開いていたことが理解できる。

また4曲のシューマンでも若い頃の熱狂はいくらか影を潜め、情熱を直にぶつけるというよりはむしろ高踏的な表現が特徴的で、スコアへの読みの深さが随所に聴き取れる。

彼が創り出す各楽器間の音色や音量のバランス感覚はこの時期特有のものだろう。

シューマンを除いては総てデジタル録音で、以前のグラモフォン時代のセッションに比べ音質にも優れている。

またヴァイオリンの配置が両翼型ということもあって、全曲を通じてオーケストラの縦のラインを強調した斬新な音響が、彼らの居城でもあるヘラクレス・ザールの理想的な空間で活かされている。

尚、完全節約仕様のためこのセットにはライナー・ノーツは付されていない。

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classicalmusic at 17:21コメント(0)クーベリック 

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ドイツ音楽の王道をゆく名指揮者、クルト・マズアは30年近くにわたりライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長を務めた。

そしてメンデルスゾーンもまた、シュターツカペレ・ドレスデンに次ぐ歴史を持つこのオーケストラの指揮者であった。

メンデルスゾーンは交響曲第3番「スコットランド」を自身の指揮で初演した。

このCDはメンデルスゾーンゆかりの古豪オーケストラによるなかなかの好演で、メンデルスゾーンの伝統を継承する彼らのこの録音はまさにこの2曲のスタンダードといえる正統的で理想的な演奏を聴かせてくれる。

2曲ともきめが細かく潤いのある演奏で、「スコットランド」の第1楽章などには、そうしたことが特によく表れている。

第2楽章はさらに機敏な感覚が欲しいが、第3楽章はさわやかさに堂々とした力感が加わって充実した音楽となっている。

終楽章も密度が高い。

「イタリア」は実に生気溢れる演奏で、くっきりとした造形感をもった骨太の名演。

全体によく歌い、流れる表現で、マズアのスケールの大きさを感じさせる。

清楚でさっぱりした、だが乾いていない音色、軽やかに歌う節まわし、歯切れのよいリズム、とりわけ清冽なヴァイオリン・パートにはうっとりさせられる。

ゲヴァントハウス管の伝統の渋くコクのある響きが、四半世紀にわたるこのオーケストラの常任指揮者を務めたマズアの無骨とも言える重厚な表現とマッチして、これしかないという絶妙さを示しているのは事実である。

マズア嫌いな人も多くいるだろうし、筆者もまたそうなのだが、これは唯一お薦めできるマズアの演奏である。

筆者としても、マズアでは唯一といってよいお気に入りのCDである。

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classicalmusic at 12:14コメント(0)メンデルスゾーン 

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小林研一郎は必ずしもレパートリーが広い指揮者とは言い難いが、その数少ないレパートリーの中でもチャイコフスキーの交響曲は枢要な地位を占めている。

とりわけ、交響曲第5番は十八番としており、相当数の録音を行っているところである。

エクストンレーベル(オクタヴィア)に録音したものだけでも、本盤のチェコ・フィルとの演奏(1999年)をはじめとして、日本フィルとの演奏(2004年)、アーネム・フィルとの演奏(2005年)、アーネム・フィル&日本フィルの合同演奏(2007年)の4種の録音が存在している。

小林研一郎は、同曲を得意中の得意としているだけにこれらの演奏はいずれ劣らぬ名演であり、優劣を付けることは困難を極めるが、筆者としては、エクストンレーベルの記念すべきCD第1弾でもあった、本盤のチェコ・フィルとの演奏を随一の名演に掲げたいと考えている。

小林研一郎の本演奏におけるアプローチは、例によってやりたいことを全てやり尽くした自由奔放とも言うべき即興的なものだ。

同じく同曲を十八番としたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるやや速めの引き締まったテンポを基調する峻厳な名演とは、あらゆる意味で対極にある演奏と言えるだろう。

緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、アッチェレランドやディミヌエンドの大胆な駆使、そして時にはポルタメントを使用したり、情感を込めて思い入れたっぷりの濃厚な表情づけを行うなど、ありとあらゆる表現を駆使してドラマティックに曲想を描き出している。

感情移入の度合いがあまりにも大きいこともあって、小林研一郎のうなり声も聴こえてくるほどであるが、これだけやりたい放題の自由奔放な演奏を行っているにもかかわらず、演奏全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、まさに圧巻の驚異的な至芸とも言えるところだ。

これは、小林研一郎が同曲のスコアを完全に体得するとともに、深い理解と愛着を抱いているからに他ならない。

小林研一郎の自由奔放とも言うべき指揮にしっかりと付いていき、圧倒的な名演奏を繰り広げたチェコ・フィルにも大きな拍手を送りたい。

中欧の名門オーケストラでもあるチェコ・フィルは、弦楽合奏をはじめとしてその独特の美しい音色が魅力であるが、本演奏においても、小林研一郎の大熱演に適度の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、小林研一郎のドラマティックな大熱演とチェコ・フィルによる豊穣な音色をベースとした名演奏が見事に融合した圧倒的な超名演と高く評価したい。

なお、併録のスラヴ行進曲は、どちらかと言うと一気呵成に聴かせる直球勝負の演奏と言えるが、語り口の巧さにおいても申し分がないと言えるところであり、名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、エクストンレーベル第1弾として発売された際には通常CDでの発売であり、それは現在でも十分に満足できるものと言える。

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classicalmusic at 08:26コメント(0)チャイコフスキー小林 研一郎 

2022年07月17日


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ロッシーニとハイドンの室内歌曲6曲を歌ったもので、特に前者は低い女声のための主役のオペラや歌曲を数多く作曲している。

ロッシーニの愛した名歌手マリア・マリブランの影響も大きかったに違いない。

ここで歌われている殆んどの曲は、ロッシーニがオペラ界から身を引いた後の作品で、晩年の彼が個人的な集いで試みた創意のサンプルでもある。

例えば『アッディーオ・ディ・ロッシーニ』、『カンツォネッタ・スパニョーラ』や『ラ・ダンツァ』は彼の機智に富んだ溌剌とした作品だし『アヴェ・マリア』は僅か2つの音、GとAsのみで歌われる、音楽に対してのいくらか風刺的な趣を持っている。

一方ハイドンの『ナクソスのアリアンナ』は4部分からなる作品で、第1曲目のロッシーニの『ジョヴァンナ・ダルコ』と並んで彼女のような低い声で聴くと、そのドラマティックな性格がくっきりと浮かび上がってくる堂々とした曲想であることが理解できる。

名コントラルトとしてヨーロッパのオペラ劇場の舞台を席巻したルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニは、全盛期の1998年に白血病のため没した。

このアルバムはその2年前に録音されたもので、この年に彼女は白血病の診断を下されている。

その少し前ホセ・カレーラスが復帰を遂げたシアトルのフレッド・ハッチンソン癌リサーチ・センターに入院するが、残念ながら退院を果たすことができなかった。

ここに収められた室内歌曲集は、言ってみれば彼女の最後のメッセージで、決して絶好調だったとは言えない健康状態の下で歌われたものだが、流石に小気味良いアジリタのパッセージはロッシーニ歌いの面目躍如だ。

彼女のファンであれば白鳥の歌としてコレクションの価値は大きいだろう。

1990年代半ばから彼女のキャリアは殆んど停止していたことを思うと、その卓越した才能が惜しまれてならない。

この録音はプライベート的な性格が強く、ピアノの音色が少し人為的な響きで気になるが、深く伸びのある歌声は良く捉えられている。

低い声を活かすことのできる伴奏者はそれほど多くないが、ピアニストのマウリーツィオ・カルネッリはその意味でいまひとつ非力だ。

もう少し切れ味が欲しいし、抑制を効かせて彼女の声を支えるべきだろう。

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classicalmusic at 23:13コメント(0)ロッシーニハイドン 

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クラシック音楽の世界には、この世のものとは思えないような至高の高みに達した名作というものが存在する。

ロマン派のピアノ作品の中では、何よりもシューベルトの最晩年に作曲された最後の3つのソナタがそれに相当するものと思われるが、それに次ぐ作品は、諸説はあるとは思うが、ブラームスの最晩年のピアノ作品ということになるのではないだろうか。

いかにもドイツ色濃厚で、重厚で分厚い作品を数多く作曲してきたブラームスとしても、最晩年のピアノ作品については、その後の十二音音楽や無調音楽に通じる必要最小限の音符による簡潔な書法をとるなど、これまでとは全く異なる作風を垣間見せており、その神々しいとも言うべき深みは、前述のシューベルトによる最後の3つのソナタにも比肩し得るだけの崇高さを湛えていると言っても過言ではあるまい。

これだけの至高の名作であるだけに、これまで数多くの有名ピアニストによって様々な名演が成し遂げられてきた。

個性的という意味では、グールドやアファナシエフによる演奏が名高いし、人生の諦観が色濃く漂うルービンシュタインによる懐の深い演奏もあった。

また、千人に一人のリリシストと称されるルプーによる極上の美演も存在している。

このような海千山千のピアニストによるあまたの名演の中で存在感を発揮するのは並大抵のことではないと考えられるが、田部京子による本演奏は、その存在感を如何なく発揮した素晴らしい名演を成し遂げたのではないだろうか。

田部京子による本演奏は、何か特別な個性を施したり、はたまた聴き手を驚かせるような斬新な解釈を行っているというわけではない。

むしろ、スコアに記された音符を誠実に音化しているというアプローチに徹していて、演奏全体としては極めてオーソドックスな演奏とも言えるだろう。

とは言っても、音符の表層をなぞっただけの浅薄な演奏には陥っておらず、没個性的で凡庸な演奏などということも決してない。

むしろ、徹底したスコアリーディングに基づいて、音符の背後にあるブラームスの最晩年の寂寥感に満ちた心の深層などにも鋭く切り込んでいくような彫りの深さも十分に併せ持っており、同曲に込められた奥行きの深い情感を音化するのに見事に成功していると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても本演奏は、同曲のすべてを完璧に音化し得るとともに、女流ピアニストならではのいい意味での繊細さを兼ね備えた素晴らしい名演と高く評価したい。

演奏全体に漂う格調の高さや高貴とも言うべき気品にも出色のものがあると言えるだろう。

音質は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、田部京子による素晴らしい名演の価値をより一層高めるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

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classicalmusic at 19:11コメント(0)ブラームス 

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オペラの理想的な名演というのは、まず指揮者によってかなりの部分が左右されるといってよいが、それに応えるオーケストラの音が良くなければもちろんだめだし、なによりも、歌い手たちが充実していなければどうしようもない。

この三拍子がそろうというのはなかなかないが、傑作中の傑作だけに数多くの録音が行なわれてきた《アイーダ》に関しても、これまで聴いてきたものの中では、カラヤンの新盤とアバド盤、そしてこのマゼール盤の3つだけが、この条件を満たす見事なものであったと思う。

まず、マゼールの指揮が充実していて、1985年12月と翌年1月にスタジオ録音されたものだから、円熟味が増したとでもいうのだろうか、次々とオペラの名演奏を送り出していたが、その一例がこの《アイーダ》なのである。

スカラ座のあの素晴らしいオーケストラから、まことに豊かな響きを作り出しながら、緊張感あふれるドラマを描き出してゆく手腕は実に見事だ。

同じスカラ座のオーケストラを使いながら、アバドの指揮とはまた一味違う音色を生み出している。

第1幕から第2幕にかけての壮麗な演奏もなかなか良いが、第3幕以降のドラマの展開の仕方が特に光っているのではなかろうか。

ウィーン・フィルを使って、特に抒情的なまでの美しさを引き出したカラヤンの新盤の演奏とは、随分性格を異にしたものといえるだろう。

さらには、歌手陣がきわめて充実していることも、このマゼール盤をより強力なものとしている大きな原因だろう。

第一に、タイトルロールを歌っているキアーラが素晴らしい。

単に見事な歌声を聴かせてくれるだけなら、他にもこのアイーダを歌えるソプラノは何人もいるだろうが、キアーラはそれだけではなく、アイーダの心の動きを実に細やかに表現している。

歌の中の表情があるのである。

第1幕の名高いアリア「勝って帰れ」ももちろん名唱だが、それにもまして、第3幕でのアモナスロとの対話、それに続くラダメスとの対話の場面が、揺れ動くアイーダの心情を見事に表現していて、聴き手の心をとらえてしまう。

これだけのアイーダは、たとえばカラヤンの新盤で歌っているフレーニなどを除けば、ほとんど聴くことができないといってよい。

まさにキアーラは当時のアイーダ歌いの第一人者といえたのではなかろうか。

ラダメスは当代きっての超人的なテノールのパヴァロッティだが、さすがにこの役にはぴったりである。

たとえば《リゴレット》のマントヴァ公爵などでは、もう少し抒情的な甘さがほしいともいえるが、ラダメスはパヴァロッティのような歌手こそふさわしい。

しかし、むしろ彼以上に見事な歌をきかせているのは、アムネリスのディミトローヴァである。

彼女の名唱があって、はじめてこの盤が引き締まったといえよう。

さらにアモナスロのヌッチも良く、何よりもランフィスのブルチュラーツェが要所をしっかりとおさえていて好演である。

このマゼール盤は、今もなお《アイーダ》の決定盤の一つといってよい。

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classicalmusic at 15:36コメント(0)ヴェルディマゼール 

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シューベルトは、交響曲などのオーケストラ曲のジャンルにも傑作を遺しているが、どちらかと言えば、歌曲やピアノ曲、室内楽曲の方により傑作が多いと言えるのではないか。

このうち、歌曲についてはここで言及するまでもないが、ピアノ曲についても、ピアノ・ソナタを軸として即興曲や楽興の時など膨大な作品を遺している。

ピアノ・ソナタについては、ベートーヴェンの32曲にもわたるピアノ・ソナタがあまりにも偉大であるため、それに続く独墺系の作曲家はかかるベートーヴェンの作品を意識したせいか、シューマンやブラームスなど、ピアノ・ソナタについてはわずかの作品しか遺していない。

その例外がシューベルトであるが、シューベルトのピアノ・ソナタは、ベートーヴェンのそれとはまるで異なった独特の性格を有している。

シューベルトのピアノ・ソナタには、ベートーヴェンのピアノ・ソナタのいくつかの諸曲において顕著な苦悩から歓喜へと言った人生の闘争のようなドラマティックな要素など全くない。

それどころか、各楽曲における旋律は、ウィーン風の抒情に満ち溢れた美しさが支配している。

もっとも、一聴するとそうしたウィーン風の抒情に彩られた各旋律の端々には、人生への寂寥感や絶望感などが込められている。

とりわけ、最晩年の3曲のピアノ・ソナタ(第19〜21番)については、そうした人生への寂寥感や絶望感がさらに深く刻み込まれており、その内容の奥行きの深さ、深遠さにおいては、ベートーヴェンの最晩年の3つのソナタ(第30〜31番)やブルックナーの後期の交響曲(第7〜9番)にも比肩し得る崇高さを湛えている。

もちろん、これらの3曲のピアノ・ソナタにおいても、その表層は前述のようなウィーン風の抒情に彩られた美しい旋律が満ち溢れており、スコアの音符を精緻に音化しただけでもそれなりに美しい演奏になるが、そのような演奏では、これらの楽曲に込められた奥深い内容を描出することは不可能である。

その意味では、内田光子による楽曲の内容の精神的な深みを徹底して追求するというアプローチは本演奏でも見事に功を奏しており、本盤に収められたシューベルトのピアノ・ソナタのうち第15番以降の諸曲や、2つの即興曲集、そして3つの小品については、これらの各楽曲の様々なピアニストによる演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

とりわけ、最晩年の3曲のソナタの深みは尋常ならざるものがあり、本演奏を聴く際には相当の心構えがないと聴き通すこと自体が困難な峻厳さを湛えている。

他方、ピアノ・ソナタの中でも第14番以前の諸曲、そして楽興の時や6つのドイツ舞曲については、もちろん名演の名には値する立派な演奏であるが、いささか演奏自体が若干重々しくなってしまったきらいがあり、内田光子のアプローチには必ずしも符号しているとは言い難い作品なのかもしれない。

いずれにしても、本作品集全体としては、極めて優れた名演集と高く評価したい。

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classicalmusic at 08:56コメント(0)シューベルト内田 光子 

2022年07月16日


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1990年代に入って、余人を寄せ付けないような神々しいまでの崇高な名演の数々を成し遂げた巨匠ヴァントによる本拠地、ハンブルク・ムジーク・ハレでの最後のライヴ録音である。

とは言っても、ヴァントの場合は、数回に渡って行われる演奏会の各演奏を編集した上で、ベストの演奏を作り上げていくという過程を経て、初めて自らの録音を販売するという慎重さを旨としていたことから、厳密に言うと、本拠地での最後の演奏会における演奏そのものと言えないのかもしれない。

また、その数日後にも、同じプログラムでヴッパータールやフランクフルトで演奏会を行っているということもある。

そうした点を考慮に入れたとしても、巨匠の人生の最後の一連の演奏会の記録とも言えるところであり、本演奏には、巨匠が最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地が示されていると言っても過言ではあるまい。

冒頭のシューベルトの交響曲第5番も、冒頭からして清澄さが漂っており、この世のものとは思えないような美しさに満ち溢れている。

もちろん、ヴァントの演奏に特有の厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型美の残滓を聴くことは可能であるものの、むしろ緻密な演奏の中にも即興的とさえ言うべき伸びやかさが支配している。

加えて、各旋律の端々には枯淡の境地とも言うべき情感が込められており、その独特の情感豊かさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ヴァントにとって、同曲の演奏は、ケルン放送交響楽団との全集以来の録音(1984年)であると思われるが、演奏の芸格の違いは歴然としており、最晩年のヴァントが成し遂げた至高の超名演と高く評価したい。

ブルックナーの交響曲第4番は、ヴァントが何度も録音を繰り返してきた十八番とも言うべき楽曲である。

ヴァントによるブルックナーの唯一の交響曲全集を構成するケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1976年)、北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1990年)、ベルリン・フィルとのライヴ録音(1998年)、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(2001年)の4種が既に存在し、本盤の演奏は5度目の録音ということになる。

演奏の完成度という意味においては、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィルとの演奏を掲げるべきであるが、演奏の持つ味わい深さにおいては、本盤の演奏を随一の超名演と掲げたい。

シューベルトの交響曲第5番と同様に、本演奏においても、厳格なスコアリーディングに基づく緻密さや堅固な造型美は健在であるが、テンポをよりゆったりとしたものとするとともに、随所に伸びやかさや独特の豊かな情感が込められており、まさにヴァントが人生の最後に至って漸く到達し得た崇高にして清澄な境地があらわれていると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、筆者としては、本演奏こそはヴァントによる同曲の最高の名演であるとともに、ベーム&ウィーン・フィルによる演奏(1973年)や朝比奈&大阪フィルによる演奏(2001年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤が初発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 23:44コメント(0)ヴァントブルックナー 

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ヨッフム得意のブルックナー。

ブルックナーの魅力を、当時最も直截的に伝えていたのは、フルトヴェングラーよりもヨッフムだった。

その演奏の魅力は、いまだ色褪せず健在である。

とあるサイトで「ブルックナーにおいては後期ロマン時代の官能的音楽が要求するような余りに大きいアッチェレランドやリタルダンドを私は戒めたいと思う。テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『ゆりうごく輪』をえがきつつ、ブルックナーの上昇は展開するのである。」と言うヨッフムの言葉が紹介されていた。

しかし、彼が1970年代にシュターツカペレ・ドレスデンを率いて完成させた2度目の全集では、テンポを大きく動かし、アッチェレランドやリタルダンドも駆使して、神々しいまでのクライマックスを築き上げる人に変わっていた。

おそらく上記の言葉はヨッフムの若い頃の言葉なのではないだろうか。

なぜなら、1954年に録音されたこのブルックナー演奏では、まさに「テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『ゆりうごく輪』をえがきつつ、ブルックナーの上昇は展開する」からである。

そして、この両者の中間に位置するのが1960年代に手兵のバイエルン放送交響楽団とベルリン・フィルを指揮して完成させた最初の全集と言うことになるのであろうか。

この25年間、にヨッフムにどのような心変わりがあったのか、筆者には解りかねる。

しかし、その心変わりを良しと思わない人にはこの演奏はなかなかに興味深く聴けるのではないだろうか。

どちらにしても、20世紀を代表するブルックナー指揮者の原点を確認するという意味では貴重な音源である。

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classicalmusic at 17:52コメント(0)ブルックナーヨッフム 

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ベルギーのアクサン・レーベルから既にリリースされていたもののリニューアル盤で、録音は1997年だが、ジャケットの装丁を一新して2006年に再発された。

このディスクはバルトールド・クイケンが初期の多鍵フルートを使って演奏した数少ないサンプルのひとつである。

曲目はシューベルトの『しおれた花』のテーマによる序曲とヴァリエーション、モーツァルトの末っ子フランツ・クサヴァー・モーツァルトのロンドホ短調、フンメルのソナタニ長調、そしてメンデルスゾーンのヴァイオリン・ソナタからフルート用にアレンジされたソナタヘ短調の4曲。

使用楽器はドレスデンの楽器製作者ヴィルヘルム・リーベルの手になる1830年製のボックス・ウッドの本体を持つ9キー・トラヴェルソだ。

伴奏者のリュク・ドゥヴォの弾くピアノフォルテも1825年にウィーンで製作されたヨハン・フリッツのオリジナルになり、ピッチはa'=430。

18世紀以降フルート製作者の間ではさまざまな試行錯誤が繰り返され、それまでのワン・キー・トラヴェルソの機能を飛躍的に向上させる改良が続いた。

その結果音程が極めて正確になり、あらゆる調においても転調が可能になった。

しかし一方でこの楽器は木管特有の温かくソフトな音色を特徴としていて、その後の金属管のフルートとは全く異なった趣が魅力的だ。

クイケンの演奏は奏法の特殊な当時の楽器を、手馴れたテクニックで完全に自分の手中に収めたものだ。

正確なうえに自由闊達で流麗な表現は、まさに彼自身によって編み出された完璧なメソードとも言えるだろう。

19世紀の半ばに実際に聴かれていた室内楽の雰囲気が再現されていることも興味深い。

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classicalmusic at 11:12コメント(0)クイケン 

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1979年6月24日 オットーボイレン、ベネディクト修道院バジリカ聖堂に於けるステレオ(ライヴ)録音。

荘厳な中にもロココ様式ならではの美しさが漂うオットーボイレンのベネディクト修道院にあるバジリカ聖堂。

日本では、ヨッフム指揮コンセルトヘボウ管によるブルックナー第5番の響きの豊かなライヴ録音で有名になったこの場所で、なんとギュンター・ヴァントがブルックナーの第9番を演奏していた。

まず驚くのは音質の良さ。

機材の優秀さやマイク・ポジション選定の巧みさもあってか、ライヴ録音ながら、同時期のケルン放送響とのスタジオ録音よりも明らかに音質が良く、特に深みのある低音域を軸とした強烈なトゥッティは迫力満点の聴きものとなっている。

間接音が豊かなため、管楽器の音も実に潤い豊かだし、また、それゆえブルックナー特有の「休止」もここでは大変に効果的。

オーケストラがチェリビダッケ時代のシュトゥットガルト放送交響楽団という点も見逃せないところ。

日頃からチェリビダッケに鍛えられていただけあって、ヴァントの厳しい要求にも高い集中力で見事に応え、合奏精度の高さ、アーティキュレーションの統一、ソロの洗練された美しさなど申し分ない。

その性能の良さに影響されてか、あるいはライヴということもあってか、ヴァントのアプローチも、同時期のケルン盤に較べてより表現の振幅の大きなものとなっており、劇的な性格が強まっているのがポイント。

第1楽章展開部のクライマックス(13:25〜)など驚くほかない壮絶な音楽である。

ヴァントの伝記作者でもあるヴォルフガング・ザイフェルト氏が大絶賛する気持ちも十分に納得の見事な演奏と言えるだろう。

本場ドイツで伝説となって、ブルックナー指揮者ヴァントの名声を確立した名演である。

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classicalmusic at 08:13コメント(0)ブルックナーヴァント 

2022年07月15日


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1961年10月29日 ウィーン・ムジークフェラインザールに於けるライヴ録音(モノラル)。

かつて筆者が購入した海賊盤は音質が劣悪で、古ぼけた音が遠くの方から響いてくるようだった。

それでも、ブルックナーという作曲家の雄大さ、クナの演奏の物凄さには魅せられたことをついこの間のことのように覚えている。

クナ唯一のウィーン・フィルとの「ブル8」の解釈は驚くほどミュンヘン・フィル盤2種に似ている。

この時点ですでに1963年の演奏が確立していたのだと言える。

音は若干悪いがオケはやはり上だ。

曲のどこをとっても素晴らしい演奏だが、たとえば第3楽章における弦楽器の艶やかな音はさすがにウィーン・フィルであり、第4楽章のコーダを聴いていると、当日の会場では途方もない大音響が鳴り響いていたのだろうと想像出来る。

こうした底知れぬパワーもウィーン・フィルならではである。

しかし、流麗な分あのゴツゴツした魅力や、息を呑むようなダイナミズムはミュンヘン・フィル盤に一歩譲る。

しかし、これだけを採れば超名演であることは確かで、仮にミュンヘン・フィル盤2種が存在しなかったら、こちらのほうが伝説的名演と言われたであろう。

録音はモノラルなのに、このマスターからの復刻音は素晴らしいものであり、ステレオのような定位感があるのが特色だ。

音質は鮮明でフレッシュ。弦の艶、豪快な金管、打楽器の迫真的な響き、柔らかさより硬いくらい鮮明な印象だ。

これでステレオだったら、いや、もうあと少し音が良かったらミュンヘン・フィル盤2種と人気を分けた事は確実であろう。

筆者としては、クナッパーツブッシュの演奏記録の中では、最晩年の2種のミュンヘン・フィル盤、そしてこのウィーン・フィル盤をベスト3にしたいと思う。

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classicalmusic at 23:32コメント(0)ブルックナークナッパーツブッシュ 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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