2022年08月

2022年08月31日


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モントゥーは1950年代後半に、ボストン交響楽団とのコンビでチャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行なっており、それらはいずれもこの名指揮者の品格ある音楽性を存分に味わえる出来ばえだが、なかでも第5番の出来が素晴らしかった。

当盤はそのスタジオ録音と同日に行われたライヴ録音(1958年)であるが、モントゥーの数多い名盤中でも最右翼に位置するもののひとつだし、第5交響曲のディスクの中でも屈指のものと言えるだろう。

ここにはどんなドラマも及ばないほどの、人間の真実の恐れと苦悩がある。

ムラヴィンスキーのような純音楽的な再現ではないが、モントゥーはチャイコフスキーをほとんどベートーヴェンの域にまで引き上げたのである。

両端楽章はぶっきら棒と言って良いほど飾り気のない表現だが、ボストン交響楽団の充実した硬質な響きがモントゥーの芯の強い明快な音楽と合致し、少しの曖昧さもない名演を生み出した。

モントゥーはこのシンフォニーをロマンティックで幻想的なものとせず、現実的なそれとして指揮しているのだ。

中間の2つの楽章も個性的で、別にことさら大仰な身ぶり、手ぶりをしているわけではないのだが、至極当たり前の語り口がいつしか驚くほど底力のある表現力を身につけるまでに発展していく様が、何とも素晴らしい。

エレガントであらゆる音が生きて語りかけるワルツ楽章も良いが、それ以上にユニークなのは第2楽章である。

こんなに言いたいことがはっきりした、雄弁に物語る表現も珍しい。

全楽章にわたって、木管の音を抑えず、くっきりと奏し、金管のうめきをかえって明るい音色で強奏させ、音楽を確実に意味づける点も素晴らしい。

所謂チャイコフスキー的なアプローチとは違うが、音楽が完全にモントゥーのものと化し、芸術的に真実な自己表現として鳴り響いた名演と絶賛したい。

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classicalmusic at 14:44コメント(0)チャイコフスキーモントゥー 

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これはハンガリーの民族色を全面に打ち出した素晴らしい名演だ。

弦チェレとディヴェルティメントは弦楽にケレメンやペレーニが加わっているというデラックスバージョン。

それだけとも言えないのかもしれないが、優秀な演奏の多いこのシリーズの中でも最高にテンションが高くなっているアルバムである。

先ずは、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽であるが、この曲には、同じハンガリー人指揮者によるライナー&シカゴ交響楽団の超名演があった。

同じ境遇に置かれた同郷の指揮者による演奏ということで、説得力においても抜群のものがあり、この超名演のみがあらゆる同曲の名演の中で一つ抜けている存在と言えるかもしれない。

しかしながら、本演奏は、尖鋭的なブーレーズや、音質はいささか古いものの超凝縮型のムラヴィンスキー、聴かせどころのコツを心得たカラヤンやショルティの名演などと比較しても、十分に対抗し得るだけの名演と高く評価したい。

その名演の性格を一言で言えば、前述にようにハンガリーの民族色を全面に打ち出した明快なアプローチということだと思う。

オーケストラに手兵のハンガリー国立フィルを採用したことも大きな要素であると言える。

明晰でありながら分析的にならず、自由自在に曲が進展する。

他の盤ではピアノは適当に扱われているように思われる盤があるが、指揮者がピアニストであるためか、ピアノがいつになく雄弁に思え、それが演奏にアクセントを与えている。

併録のディヴェルティメントやハンガリーの風景は、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽におけるアプローチをさらに追求したものであり、民謡採取に熱心だったバルトークの研究成果が如実にわかるような見事な名演に仕上がっている。

やはりこのシリーズの強みは、死語になりつつあるお国物、ハンガリーの血統とでもいうべきものなのだと思う。

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classicalmusic at 06:13コメント(0)バルトーク 

2022年08月30日


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グールドとカラヤンという異色の組み合わせが話題を呼んだ、1957年のベルリンでの記念碑的なコンサートにおける歴史的な演奏だ。

本盤には、当日のコンサートの演目のうち、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」を除いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とシベリウスの交響曲第5番が収められている。

本演奏はモノラル録音であり、音質も必ずしも鮮明とは言い難いが、本国内盤の登場は、その演奏の質の高さや歴史的な価値に鑑みて、大いに歓迎すべきであると考える。

まずは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番であるが、これが意外にもまともな演奏であるというのに大変驚かされた。

聴く前は、グールドが何か聴き手を驚かすような奇手を講ずるのではないかと思ったのだが、そのアプローチは実にオーソドックスそのもの。

バーンスタインを辟易させるような超スローテンポで演奏したピアノ協奏曲第1番とは別人のような正統的なテンポで、堂々たるピアニズムを披露している。

帝王への道を駆け上がりつつあったカラヤンへの遠慮や崇敬もあったのかもしれないが、いずれにしても、重厚で立派な名演であることは疑いようがない。

ベルリン・フィルも、オーケストラの音色などにいまだフルトヴェングラー時代の残滓があった時期でもあり、壮年期のカラヤンによる気迫溢れる指揮とその圧倒的な統率の下、ベルリン・フィルが醸し出すドイツ風の重心の低い音色によって、グールドのピアノをしっかりと下支えしているのが素晴らしい。

他方、シベリウスの第5番は、本盤以外にも4度にわたってスタジオ録音しているカラヤンの十八番とも言うべき交響曲だけに、本演奏は至高の超名演と高く評価したい。

本演奏は、他のスタジオ録音とは異なり、ライヴでこそその真価を発揮すると言われる壮年期のカラヤンならではの、生命力溢れる力強さが持ち味であると言えるところであり、それでいて、北欧の大自然を彷彿とさせる繊細な抒情美においてもいささかの不足もない。

筆者としては、これまでカラヤンによるシベリウスの第5番の演奏の中では、1965年盤(DG)を随一の名演と高く評価してきたが、今後は、本演奏も、それとほぼ同格の名演と位置付けたいと考える。

本盤で惜しいのは、前述のように、録音が鮮明とは言えない点であるが、1957年という、今から約65年も前のライヴ録音であるということに鑑みれば、致し方がないのかもしれない。

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classicalmusic at 23:56コメント(0)カラヤングールド 

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モントゥーによるチャイコフスキーの3大交響曲の演奏は、ほぼ同時期に録音されたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの歴史的な超名演(1960年)と比較すると、知る人ぞ知る存在に甘んじていると言わざるを得ない。

このうち、交響曲第4番については、ムラヴィンスキーの演奏があまりにも凄い超絶的な名演であるために、他の演奏は不利な立場に置かれていると言わざるを得ないが、筆者としては、ムラヴィンスキーの名演は別格として、それに次ぐ名演としては、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)と本演奏を掲げたいと考えている。

このうち、カラヤンの演奏は、ベルリン・フィルの卓越した技量を駆使したオーケストラ演奏の極致と言うべきもので、これにライヴ録音を思わせるようなドラマティックな要素が付加された圧倒的な音のドラマであった。

これに対して、モントゥーによる本演奏は、同曲にこめられた、運命に翻弄される作曲者の苦悩や絶望感、そして生への憧憬などを徹底的に追求するとともに、それを音化することに成功した彫りの深い演奏に仕上がっている。

極論すれば、カラヤンの演奏が音のドラマであるのに対して、本演奏は人間のドラマといった趣きがあるとも言えるところである。

全体としては、ムラヴィンスキーの演奏と同様に、速めのテンポ(ムラヴィンスキーより快速の39分で全体を駆け抜けている)による引き締まった造型が印象的であるが、かかる堅固な造型の中において、モントゥーは、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたドラマティックな演奏を展開している。

トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っており、とてもスタジオ録音とは思えないような壮絶の極みとも言える劇的な演奏を展開している。

第2楽章のロシア風のメランコリックな抒情の歌い方にも、格調の高さが支配しており、高踏的な美しさを誇っているのは、モントゥーだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。

モントゥーの確かな統率の下、圧倒的な名演奏を繰り広げているボストン交響楽団にも、大きな拍手を送りたい。

録音は、従来盤が50年以上前のものということもあってややデッドで音場が広がらないという問題があったが、良好な音質に改善され、マスター・クォリティに限りなく近づいた。

いずれにしても、モントゥーによる至高の超名演を高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 18:06コメント(0)モントゥーチャイコフスキー 

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ムラヴィンスキーが1973年の初来日公演でショスタコーヴィチ「第5」を異常とも言える緊迫感で演奏したときの貴重な記録で、彼の芸術を知る上で欠く事のできない至高の名盤と言えるだろう。

ショスタコーヴィチの交響曲は、ある批評家が言っていたと記憶するが、とんでもないことを信じていたとんでもない時代の交響曲なのである。

したがって、楽曲の表層だけを取り繕った演奏では、交響曲の本質に迫ることは到底不可能ということだ。

世評ではハイティンクやバーンスタインの演奏の評価が高いように思うが、筆者としては、ハイティンクのようにオーケストラを無理なく朗々とならすだけの浅薄な演奏や、バーンスタインのように外面的な効果を狙った底の浅い演奏では、とても我々聴き手の心を揺さぶることは出来ないのではないかと考えている。

ムラヴィンスキーの演奏は、ハイティンクやバーンスタインの演奏とは対極にある内容重視のものだ。

ショスタコーヴィチと親交があったことや、同じ恐怖の時代を生きたということもあるのかもしれない。

しかしながら、それだけではないと思われる。

本盤の「第5」など、ムラヴィンスキーにとっては何度も繰り返し演奏した十八番と言える交響曲ではあるが、にもかかわらず、ショスタコーヴィチに何度も確認を求めるなど、終生スコアと格闘したという。

その厳格とも言えるスコアリーディングに徹した真摯な姿勢こそが、これだけの感動的な名演を生み出したのだと考える。

社会主義体制下で「抑圧の克服から勝利へ」というこの曲のテーマをショスタコーヴィチと共に地で生き抜いたムラヴィンスキーの壮絶なる想いが、レニングラード・フィルの鉄の規律から放たれる鋭利なハーモニーと一見クールな演奏の深淵から炎の如き熱情の煌めきとなって溢れ出てくる。

芝居っ気の全くない辛口の演奏であり、「第5」に華々しい演奏効果を求める者からは物足りなく感じるかもしれないが、その演奏の内容の深さは、ほとんど神々しいばかりの崇高な領域に達している。

レニングラード・フィルの鉄壁のアンサンブルも驚異的であり、特に、妻でもあるアレクサンドラのフルートやブヤノフスキーのホルンソロ(特に第4楽章中間部)は、筆舌には尽くしがたい素晴らしさだ。

ムラヴィンスキーは数々の「第5」の録音を遺しており、いずれも名演の名に値するが、録音も含めると、本盤を最上位の超名演と高く評価したい。

音質は従来CD盤でも十分に満足できる出来映えであったが、HQCD化により更に鮮明になり、力強さが増したように感じられる。

SACD互換機をお持ちでないリスナーには本HQCD盤をお薦めしたい。

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classicalmusic at 12:08コメント(0)ショスタコーヴィチムラヴィンスキー 

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カラヤンはシベリウスを得意とし、若いころからシベリウスの作品の演奏に積極的で、DGやEMIなどにかなりの点数の録音を遺している。

そのような中で、最高峰の名演は、やはり本盤に収められた録音ということになると考える。

カラヤンの指揮者としての全盛期は1960年初頭から1970年代の後半くらいまでであるが、本盤が録音されたのはまさにその全盛時代。

当時、蜜月の関係にあったベルリン・フィルも最高の時代であり、両者による演奏が悪かろうはずがない。

ここでは、シベリウス演奏の第一人者ともいうべきカラヤンとベルリン・フィルの1960年代の勢いのある、ゴージャスなシベリウス演奏で、ベルリン・フィルの磨き上げられた、素晴らしく美麗なサウンドによる非常に緊張感のある名演奏を聴くことができる。

とにかくベルリン・フィルの合奏力とカラヤン絶頂期の統率力により、シベリウスの交響曲の中でも完璧な演奏だ。

さらに管楽器奏者が、まさに北欧の響きを醸し出し、弦楽器も一糸乱れぬ繊細なアンサンブルで、清冽な演奏を繰り広げており、これほど完成度が高く、感動的な演奏は稀有のものと言えよう。

録音は、イエス・キリスト教会であり、ここの美しい残響もシベリウスの録音には最高のロケーションと言えるだろう。

交響曲第4番〜第7番のいずれも非の打ちどころのない名演であるが、いずれもベルリン・フィルの重量感溢れる低弦の響きや高弦による繊細な美しさはシベリウスの交響曲を聴く醍醐味というべきであり、金管や木管も最高のパフォーマンスを示している。

一部評論家からは、大言壮語だとか、シベリウスの本質を逸脱しているとの批判があるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではない。

20世紀を代表する国際的なシンフォニストであり、シベリウスの演奏はこうでないといけないというような様式などどこにも存在するはずがない。

したがって、カラヤンの演奏が、シベリウスの本質を逸脱しているなどと、何を根拠にして言っておられるのであろうか。

現に、作曲者であるシベリウスもカラヤンの演奏を高く評価していたと言うではないか。

シベリウスの交響曲は一般的に北欧系や英国系の演奏が評価されているが、むろんそれらの演奏も素晴らしいに違いない。

しかしながら、このカラヤンの演奏は、それらとは趣を異にしながら、シベリウスの本質をしっかりと捉えている。

表面的な美しさと、音楽の内面にある魂が極めて高い次元で結びついていると言える。

所謂北欧色は薄いので北欧系の指揮者とは趣は異なるが、素晴らしいことには変わりはなく、神秘的な響きとスケール感溢れる名演がたっぷりと堪能できる録音として、筆者としては、あらゆるシベリウスの交響曲演奏の中でもトップの座を争う至高の名演と評価したい。

併録の管弦楽曲2曲もカラヤンが何度も録音した楽曲であるが、本盤の演奏が随一の名演。

特に、「タピオラ」の演奏の透徹した美しさはこの世のものとは思えない高みに達しており、おそらくは同曲の演奏史上最高の超名演と評価したい。

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classicalmusic at 06:29コメント(0)シベリウスカラヤン 

2022年08月29日


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非常にユニークで魅力あふれる全集。

ベルグルンドやヴァンスカの全集に親しんでいる人も、是非一度耳にしていただきたい。

マゼールは、演奏様式をたびたび変えてきた指揮者であるが、1960年代のマゼールは、現代的で尖鋭的なアプローチと、曲の本質に切り込んでいく前進性が見事にマッチングして、個性的な名演を数多く残してきた。

もちろん、曲によってはやり過ぎのものもあるが、特に、ウィーン・フィルやベルリン・フィルと組んだものは、オーケストラの力量もあって、名演が生まれる可能性が非常に高かった。

その一例が、マゼール&ウィーン・フィルによるシベリウスの交響曲全集で、基本的に熱烈と言ってよいほど込められたメッセージが熱い。

素朴な原産地直系の自然体演奏とは、一線を画す、というよりも対極にあるのが当盤のアプローチで、北欧のひんやり感とか、寒々とした雰囲気とは隔絶している。

ここに聴かれるのは「北欧の繊細な情景」ではなくて、地の底から突き上げるようなエネルギッシュな和音であり、色彩感あふれる管弦楽法である。

マゼールの指揮により、シベリウスの音楽がチャイコフスキーやブルックナーの延長線上にあることが改めて良く分かる。

きつく堅く締め上げられたようなフォルムに、ウィーン・フィルの緊迫サウンドが刺激たっぷりの音彩を付加した、少々やり過ぎなくらい強烈な印象を与える個性派名演と言えよう。

粗野なまでの迫力で押してくる演奏で、ここまでウィーン・フィルを手玉にとるマゼールは凄いとも言える。

あのウィーン・フィルを使って、ここまで自分の思いを表現しているマゼールの手腕は大したものだ。

北欧風という意味では、かなり異なった性格の演奏であるが、楽曲の本質にぐいぐいと迫っていく鋭いアプローチが見事であり、シベリウスの交響曲の我々が通常の演奏ではなかなか知りえない側面に光を当てた異色の名演ということができる。

北欧的な冷え切った空気感を感じさせる本場物のオーケストラによる演奏も良いが、こういう情熱のほとばしる熱血的で激しく燃えたぎった演奏もたまには聴きたい。

後年に、マゼールはピッツバーク交響楽団と全集を録音しているが、とても、このウィーン・フィルとの全集の水準には達していない。

いずれの交響曲も一聴の価値のある名演揃いであるが、特に、「第1」が超名演で、マゼールの底知れない異様な才能がヒシヒシと伝わってきて身震いする。

録音は、英デッカならではの鮮明なもので、アナログ的な、温もりをもった音像で現在主流のデジタル的なシャープな音像とは違うが、オーケストラの立体分離がよい優秀録音だと思う。

シベリウス交響曲のベスト盤かと聞かれると答えるのに躊躇するが、楽しめる全集であることは間違いない。

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classicalmusic at 21:55コメント(0)シベリウスマゼール 

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ジャケット・デザインを一新したリニューアル盤。

リヒテルはその晩年までヨ−ロッパ各地の音楽祭に招かれて盛んな演奏活動を行った。

会場にはほとんど例外なく録音機材が持ち込まれ、彼が望むか否かに拘わらずメディア化されることになった。

この音源は1994年5月15日の南ドイツ・シュヴェツィンゲン音楽祭での一晩のリサイタルを収録したものだ。

ロココ劇場のライヴだが客席の雑音や拍手は一切なく、当初から放送用に使う計画があったようだ。

この頃のリヒテルは聴覚に変調をきたし、コンサートでは照明を落とし楽譜を前にしながらピアノを弾くようになった。

彼は聴衆の注意が演奏者ではなく、音楽そのものに向けられるように仕向けたと語っている。

当日のプログラムはグリ−グの『抒情小曲集』から「感謝」「スケルツォ」「小さな妖精」「森の静けさ」の4曲、フランクの『プレリュード、コラールとフ−ガ』、ラヴェルの『優雅で感傷的なワルツ』及び『鏡』。

リヒテル79歳の枯淡の境地と特有の神秘的な翳に包まれた演奏を披露しているのが興味深い。

さすがにかつての覇気はなくなって表現はより静謐だが、彼が円熟期になってレパートリーに取り入れたグリ−グの『抒情小曲集」は大自然の営みや温もりを感じさせるロマンティシズムが印象的だ。

またフランクは沈潜した内省的な音楽に仕上がっている。

確かにラヴェルの『鏡』から「道化師の朝の歌」では往年の目くるめくようなピアニズムは望めないしテクニックの衰えも否定できない。

しかし「蛾」や「鏡の谷」で聴かせるファンタジーは巧みなものだ。

さらに『優雅で感傷的なワルツ』での哲学的とも言える骨太な構成力はリヒテルならではの演奏だ。

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classicalmusic at 17:48コメント(0)リヒテル 

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チェコの民主化後、今は亡きチェコの名指揮者ズデニェク・コシュラーのもとに編成されたチェコ・ナショナル交響楽団と巨匠との『わが祖国』で、死の1年前のコシュラーの遺言ともいうべき録音である。

数ある『わが祖国』の中でもユニークな位置にあるのが、このコシュラー&チェコ・ナショナル響盤である。

とはいえ、チェコの楽団によるスメタナの『わが祖国』の録音には、圧倒的にチェコ・フィルの演奏が多い。

ターリッヒとノイマンのそれぞれ新旧2種類をはじめ、アンチェル、スメターチェク、ビエロフラーヴェク、そしてクーベリック、小林研一郎、ペシェク、マッケラス、その他にもまだあるかもしれない。

しかし、これらに優るとも劣らないのが、この演奏であると思う。

チェコ・ナショナル響は、コシュラーとの関係を深めてから、彼が指揮する時にはいつも素晴らしい演奏を聴かせた。

ただ、その録音が非常に少ないのだが、幸いなことに、この『わが祖国』の演奏で、そのことを充分に理解することができる。

スケールが大きく、しかも雰囲気豊かで、指揮者、オーケストラ双方の意気込みが隅々にまで感じられる。

しかし、コシュラーは決して感情に押し流されることなく、自然な流れの中で生き生きと音楽を再現している。

しかもコシュラーはなるべくスメタナの原典に近い演奏をすることを意図しているのも特色である。

解説にもあるように、有名な「モルダウ」における叙情たっぷりのメロディーと、眠いクラシックと一線を画す歯切れの良いリズミカルな奏法の両立が素晴らしい。

他に色々なディスクを聴いてみて、その両立が出来る理由を納得した。

チェコ・ナショナル響はまだ若い楽団であるが、かつての音楽での存在を再びという願いを元に、既存のチェコの楽団からメンバーを募ったという事で、技術でも精神性においても第一級なのであろう。

実に統制のとれた演奏を聴かせてくれ、オケの性質上幾分無骨な肌ざわりの荒さがあるが、ムードに酔いしれない、骨太で意志的な演奏はこのコシュラー&チェコ・ナショナル響盤の魅力であり、身上である。

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classicalmusic at 12:21コメント(0)スメタナ 

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バルビローリは、遺された録音に鑑みても極めて広範なレパートリーを誇った指揮者であったが、その中核をなしていたのはマーラーとシベリウスと言えるのではないだろうか。

中でも、本盤に収められたシベリウスの交響曲全集と主要な管弦楽曲集は、バルビローリが遺した最大の遺産の1つではないかとも考えられる。

バルビローリは、本盤に収められた演奏以外にもシベリウスの交響曲や管弦楽曲の演奏の録音を遺しており、EMIにモノラル録音したハレ管弦楽団との第2番の名演(1952年)やcheskyへのスタジオ録音であるロイヤル・フィルとの第2番の名演(1962年)、数年前にテスタメントから発売された1968年の第5番の名演(ライヴ録音)などもあるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては本盤に収められた演奏がバルビローリのシベリウスの代表盤であると考えているところだ。

バルビローリのシベリウスは、何と言ってもヒューマニティ溢れる温かさが魅力である。

本盤に収められた演奏は、交響曲のみならず小品においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れていると言えるだろう。

それでいていささかも感傷的に流れないのはバルビローリのシベリウスの優れている点であり、常に高踏的な美しさを湛えている。

そして、その美しさはあたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えていると言えるところであり、バルビローリのシベリウスはまさに人間的な温もりと清澄な美しさが融合した稀有の演奏であると言えるのではないかと考えられる。

このような演奏は、とりわけ近年の北欧出身の指揮者による透明感溢れる精緻な演奏などとは一味もふた味も異なっているが、バルビローリのシベリウスには一本筋の通った確固たるポリシーがあり、シベリウス演奏の1つの理想像として有無を言わせない説得力を有しているものと言える。

交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

交響曲第2番については、壮麗な迫力と人間的な温もりが高度な次元で融合した、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演。

交響曲第3番については、第1楽章は誰よりも遅いテンポで開始されるが、その味わい深さは絶品だ。

第2楽章の北欧のいてつく冬を思わせるような音楽にも独特の温かさがあり、終楽章の終結部に向けての盛り上がりも申し分のない迫力を誇っている。

交響曲第4番における深遠さも、バルビローリの手にかかると、決して救いようのない暗さに全体が支配されるということがなく、血も涙もある温かみのある音楽に聴こえるのが素晴らしい。

第2楽章は終結部の唐突な終わり方もあって纏めるのが難しい音楽であるが、バルビローリはテンポの緩急を駆使するなど巧みな至芸を披露している。

交響曲第5番については、とりわけ終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。

交響曲第6番については、演奏の持つ清澄な美しさには出色のものがあり、その情感たっぷりの旋律の歌い方は、まさに「歌う英国紳士」の真骨頂とも言える至高・至純の美しさを誇っていると評価したい。

そして交響曲全集の白眉は何と言っても交響曲第7番ではないだろうか。

同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリのシベリウスの真骨頂。

本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。

第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。

第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。

もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

併録の管弦楽の小品もいずれ劣らぬ名演であるが、劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」や、現在単独では入手不可能な組曲「歴史的情景」からの抜粋、そして組曲「恋人」、そしてロマンスハ長調は貴重な存在である。

ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

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classicalmusic at 06:29コメント(2)シベリウスバルビローリ 

2022年08月28日


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プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスは、マンフレッド交響曲で第7弾。

かつては不人気だったこの作品も、現在ではチャイコフスキーらしさ満載の魅力作として広く受け入れられており、特にオケ好きの評価は高いものがあるだけに、新録音は歓迎されるところである。

これによって、死後補筆の第7番を除けば、チャイコフスキーの自筆で完成された交響曲のすべてがすべて出揃い、これでこのコンビによる2度目の全集が完結したのは慶賀に堪えない。

本盤の演奏を聴いて感じられるのは、そしてそれはこれまでの他の交響曲の演奏においても共通しているとも言えるが、プレトニョフのチャイコフスキーへの深い崇敬の念である。

2度にわたって交響曲全集を録音するという所為もさることながら、演奏におけるアプローチが、他の楽曲とは次に述べるように大きく異なっているからである。

プレトニョフは、数年前に、ロシア・ナショナル管弦楽団とともにベートーヴェンの交響曲全集を録音しており、それは聴き手を驚かすような奇抜とも言える超個性的な演奏を繰り広げていた。

それだけに、賛否両論が渦巻いていたが、それに対して、今般のチャイコフスキーの交響曲全集においては、ある意味では正統派の演奏。

物議を醸したベートーヴェン全集の場合とは大きく異なり、チャイコフスキーの音楽では、真正面から音楽に向かい合った堂々たる円熟の演奏を展開してきたプレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団。

1990年の創設からすでに20年以上、同コンビによる新全集は、旧ソ連の崩壊やロシアのオーケストラの乱立など、多くの混乱を乗り越えてきた彼らの実績を代表する力作として、高度な水準を維持しながら着々と進行してきた。

演奏の総体としては、いささかも奇を衒うことがないオーソドックスな演奏を展開していると言えるところである。

もちろん、オーソドックスとは言っても、そこはプレトニョフ。

個性が皆無というわけではない。

本盤に収められたマンフレッド交響曲においても、テンポの振幅を効果的に活用したり、ここぞという時にはアッチェレランドを駆使するなど、プレトニョフならではのスパイスが随所に効いていると言えるだろう。

にもかかわらず、演奏全体としては、あざとさをいささかも感じさせず、前述のように、オーソドックスな装いとなっているのは、プレトニョフがチャイコフスキーの交響曲を深く理解するとともに、心底からの畏敬の念を有しているからに他ならないのはないかとも考えられるところだ。

プレトニョフにとっては、本盤のマンフレッド交響曲の演奏は、約15年ぶりの録音ということになるが、この間のプレトニョフの指揮芸術の円熟を感じさせるものであり、音楽の構えの大きさ、楽曲への追求度、細部への目配りなど、どの点をとっても、本演奏は数段優れた名演に仕上がっていると言えるだろう。

それにしても、ペンタトーンレーベルによる本チクルスの音質は例によって、高音、重低音ともよく捉らえており、実に優秀で素晴らしい。

プレトニョフの精緻にして緻密さを基調とするアプローチを音化するのには、極めて理想的なものと言えるのではないだろうか。

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classicalmusic at 20:32コメント(0)チャイコフスキー 

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プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲全集シリーズの第6弾は交響曲第3番「ポーランド」。

これによって、死後補筆の第7番を除ピアノ版けば、番号付きの交響曲がすべて出揃った。

残るは、マンフレッド交響曲のみであり、このコンビによる2度目の全集も間近というところであった。

本盤の演奏を聴いて感じられるのは、そしてそれはこれまでの他の交響曲の演奏においても共通しているとも言えるが、プレトニョフのチャイコフスキーへの深い崇敬の念であると言える。

2度にわたって交響曲全集を録音するという所為もさることながら、演奏におけるアプローチが、他の楽曲とは次に述べるように大きく異なっているからである。

プレトニョフは、数年前に、ロシア・ナショナル管弦楽団とともにベートーヴェンの交響曲全集を録音しており、それは聴き手を驚かすような奇抜とも言える超個性的な演奏を繰り広げていた。

それだけに、賛否両論が渦巻いていたが、それに対して、今般のチャイコフスキーの交響曲全集においては、ある意味では正統派の演奏。

演奏の総体としては、いささかも奇を衒うことがないオーソドックスな演奏を展開していると言えるところである。

もちろん、オーソドックスとは言っても、そこはプレトニョフ、個性が皆無というわけではない。

本盤に収められた交響曲第3番においても、テンポの振幅を効果的に活用したり、ここぞという時にはアッチェレランドを駆使するなど、プレトニョフならではのスパイスが随所に効いていると言えるだろう。

にもかかわらず、演奏全体としては、あざとさをいささかも感じさせず、前述のように、オーソドックスな装いとなっているのは、プレトニョフがチャイコフスキーの交響曲を深く理解するとともに、心底からの畏敬の念を有しているからに他ならないのではないかとも考えられるところだ。

プレトニョフにとっては、本盤の交響曲第3番の演奏は、約15年ぶりの録音ということになるが、この間のプレトニョフの指揮芸術の円熟を感じさせるものであり、音楽の構えの大きさ、楽曲への追求度、細部への目配りなど、どの点をとっても、本演奏は数段優れた名演に仕上がっていると言えるだろう。

併録の戴冠式祝典行進曲は、一般に馴染みのない楽曲であるが、中庸のテンポを基調としつつ、聴かせどころのツボを心得たオーソドックスなアプローチで、知られざる名曲に光を当てるのに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 13:55コメント(0)チャイコフスキー 

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ドイチェシャルブラッテンのベルリン・レーベルからリリースされていたセットのリニューアル版で、バジェット価格で復活した。

レコーディングは1977年から81年にかけて当時の東ベルリンのキリスト教会で行われた。

分離状態の良い比較的鮮明な音質で時代相応以上のものだろう。

スラヴの民族的な高揚や抒情の表現を味わいたいのであれば、チェコ・フィルの演奏は欠かせない選択だ。

純粋な絶対音楽としてのドヴォルザークの交響曲全集としてはスウィトナーと手兵シュターツカペレ・ベルリンは魅力的なセットだ。

決して華麗な音色を持ち味としているオーケストラではなく、特にウィンド、ブラス・セクションの音色は素朴と言ってもいいくらいだ。

しかし野暮ったい演奏ではなく、彼らのコラボで鍛錬されたバランスの取れた堅実さとスウィトナーの気の利いた音楽的センスが光っている。

第八番ト長調の第三楽章冒頭の歌心も自然で、これ見よがしの表現がないだけに鮮烈に響いてくるし、終楽章のダイナミズムにも不足していない。

これは第九番ホ短調『新世界より』にも共通していて、聴き古された名曲ながら、彼らは新鮮に聴かせる術を知っている。

また総奏部分では思い切った分厚くパワフルなサウンドを惜しみなく出して迫力も充分だ。

シュターツカペレ・ベルリンはシュターツカペレ・ドレスデンと並んで旧東ドイツ系のオーケストラの中でも融通の利く柔軟な演奏が特徴だ。

それはシーズン中にはオーケストラ・ピットに入りオペラやオペレッタを伴奏する楽団だからかも知れない。

スウィトナーとのコンビではヴェーバーのオペラ序曲集の1枚も秀逸だ。

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classicalmusic at 06:51コメント(0)ドヴォルザークスウィトナー 

2022年08月27日


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2011年秋よりラハティ交響楽団の芸術監督に就任したオッコ・カムによるシベリウスの交響曲全集の録音である。

第1弾は、シベリウスの劇付随音楽「テンペスト」や交響詩「タピオラ」を軸とした管弦楽曲集であったが、満を持しての交響曲全集となった。

オッコ・カムは若手指揮者の登竜門と言われたカラヤンコンクールで優勝(1969年)した。

カラヤンによるシベリウスの交響曲全集を録音(DG)する際に、第1番〜第3番の演奏を任されたという輝かしい経歴を有している。

その後、ヘルシンキ・フィルを率いて1982年に来日(当時35歳)を果たしたが、その際のライヴ録音もTDKより発売されているが残念なことに入手難である。

その演奏は、北欧の新世代を代表するような颯爽としたものであったが、そうした芸風は、若干の円熟味を加えつつも本演奏においてもなお健在と言えるだろう。

要所においては強靭な迫力も有しているものの、演奏全体としてはいささかも暑苦しくない、北欧の大自然を彷彿とさせるような清涼感に満ち溢れている。

このような演奏を聴いていると、これぞ本物のシベリウスという気がしてくるから実に不思議だ。

全体としては爽快でフレッシュな息吹を感じさせるような演奏と言える。

それでいてスコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの薄味な演奏にはいささかも陥っていない。

どこをとっても北欧の雄大な大自然を彷彿とさせるような豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。

ドラマティックで聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも心憎いばかりであり、あらためてオッコ・カムの類稀なる才能を感じさせられたところだ。

いずれにしても、本盤の演奏は、今や北欧を代表する円熟の大指揮者となったオッコ・カムによる清新さを感じさせる名演である。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

特に、弦楽器の最弱音の再現には、かかる臨場感溢れる高音質は大きなアドバンテージであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 23:08コメント(2)シベリウス 

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カラヤンのR.シュトラウス:《死と変容》及び《メタモルフォーゼン(変容)》は "万霊節"メモリアル・コンサート1984 があり、その全霊を傾けたような指揮と演奏は一見一聴に値する。

評価の高いカラヤンのR.シュトラウス演奏の中でも特に《メタモルフォーゼン》は秀抜で、この曲に対するカラヤンの傾倒の深さがはっきり示されている。

カラヤンは、R.シュトラウスが第2次世界大戦に敗れた祖国ドイツへの挽歌として書いたこの曲の曲想を余すところなく表出しており、暗鬱で悲痛な表現には強く心を打たれる。

この曲の暗鬱で、悲哀にみちた情感を、驚くほど見事に表出した演奏で、そのよく考え抜かれた巧妙な棒さばきには圧倒されてしまう。

ことに、中間部での、しだいに高揚していくあたりの設計の妙は、カラヤンならではのものといってよい。

また、カラヤンの意のままに動くベルリン・フィルの強靭な響きは、素晴らしい。

その流麗で精緻な表現は、晩年のカラヤンの美学の極致である。

比較的速めのテンポが、音楽的な緊張度の高さを印象づけている。

ベルリン・フィルは、アンサンブルにおいてもソロイスティックな技巧においても、さすがに卓越したものがある。

カラヤンは対位法的な書法に対しては、それほど明確な対比をみせず、むしろその多くを響きとして捉えながら、最も重要な個所でそれを浮き彫りにするという扱いもみせている。

構成的なまとまりも見逃せない。

カラヤンが《メタモルフォーゼン》と組み合わせた《死と変容》は、晩年の巨匠の芸術とR.シュトラウスの音楽への共感をきわめて美しく澄んだ表現によって伝えている。

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classicalmusic at 19:44コメント(0)R・シュトラウスカラヤン 

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プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団による2度目のチャイコフスキーの新しい交響曲全集の第5弾であった。

プレトニョフに限らず、ロシア系の指揮者にとって、チャイコフスキーの交響曲は、ベートーヴェンの交響曲のように重みのある存在である。

それだけに、これまであまたのロシア系の指揮者が、チャイコフスキーの交響曲全集を録音してきた。

全集を録音しないまでも、後期3大交響曲を何度も録音した指揮者(例えば、ムラヴィンスキーなど)も存在しており、それぞれが一聴の価値のある優れた名演揃いである。

プレトニョフがDGに録音を行った最初の全集も、今日のプレトニョフの名声をいささかも傷つけることがない優れた名演であり、むしろ、プレトニョフのその後のキャリアを形成する重要な一歩になったとも言える存在だ。

それから約15年後の全集は、その間のプレトニョフの指揮芸術の円熟を感じさせるものであり、音楽の構えの大きさ、楽曲への追求度、細部への目配りなど、どの点をとっても数段優れた名演に仕上がっていると言えるだろう。

プレトニョフは、数年前に、ロシア・ナショナル管弦楽団とともにベートーヴェンの交響曲全集を録音しており、それは聴き手を驚かすような奇抜とも言える超個性的な演奏を繰り広げていた。

それだけに、賛否両論が渦巻いていたが、それに対して、今般のチャイコフスキーの交響曲全集においては、ある意味では正統派の演奏。

演奏の総体としては、いささかも奇を衒うことがないオーソドックスな演奏を展開している。

もっとも、だからと言ってプレトニョフならではの個性が皆無というわけではない。

本盤に収められた第2番においても、テンポの振幅を効果的に活用したり、ここぞという時にはアッチェレランドを駆使するなど、プレトニョフならではのスパイスが随所に効いていると言えるだろう。

にもかかわらず、演奏全体としては、あざとさをいささかも感じさせず、前述のように、オーソドックスな装いとなっているのは、プレトニョフがチャイコフスキーの交響曲を深く理解するとともに、心底からの愛着を有しているからに他ならないのはないかとも考えられるところだ。

本盤には、従来の第2番に加えて、第1楽章の初版が収められているのも、第1楽章だけというのはいささか残念ではあるが、第2番の本質をさらに追求していこうというプレトニョフの真摯な姿勢のあらわれであり、好感を持てる。

いずれにしても、本盤の演奏は、プレトニョフのチャイコフスキーの交響曲に対する深い愛着と敬意、そしてそれに基づく理解を感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、残る第3番、マンフレッド交響曲の名演を大いに期待したいと考える。

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classicalmusic at 13:49コメント(0)チャイコフスキー 

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プレトニョフによる新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスについては、既に後期3大交響曲集が発売されており、それは近年のプレトニョフの充実ぶりが窺える素晴らしい名演であった。

そして、最初期の第1番であるが、後期3大交響曲集の演奏に優るとも劣らないような圧倒的な名演と高く評価したい。

プレトニョフは、前回のチャイコフスキーの交響曲全集(DG)を完成した後は、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集において、聴き手の度肝を抜くのに十分な超個性的な演奏を繰り広げてきたが、今般のチャイコフスキーの第1番では、むしろオーソドックスと言ってもいいような堂々たる円熟の演奏を展開している。

かかるアプローチはこれまでの後期3大交響曲集においても同様であったが、こういった点にプレトニョフのチャイコフスキーに対する深い愛着と畏敬の念を感じることが可能であるのではないだろうか。

もちろん、オーソドックスとは言ってもそこはプレトニョフ。

奇を衒ったあざとい解釈ではないという意味であり、プレトニョフならではの個性は十二分に発揮されている。

冒頭のゆったりとしたテンポは、もしかしたら同曲演奏史上でも最も遅い部類に入るかもしれない。

ところが主部に入るとテンポを大幅にアップさせる。

要は、テンポの緩急を思い切って施しているのが本楽章の特徴であり、それでいていささかも不自然さを感じさせないのは、プレトニョフがチャイコフスキーの音楽を自家薬篭中のものとしているからに他ならない。

こうしたテンポの緩急を大胆に施しつつも、ロシア風の民族色を強調したあくの強い表現や、表情過多になることを極力避けており、只管純音楽的なアプローチに徹しているようにさえ思えるほどであり、プレトニョフは、チャイコフスキーの交響曲を他の指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲ように捉えているのではないかとさえ感じられるところだ。

各楽器のバランスを巧みに取った精緻な響きはプレトニョフならではのものであり、他の指揮者による演奏ではなかなか聴き取ることが困難な音型を聴くことが可能なのも、本演奏の醍醐味と言えるだろう。

第2楽章〜終楽章は一転して正攻法の演奏であるが、もっとも、随所において効果的なテンポの振幅を施したり、第2楽章の4本のホルンによる壮麗な迫力、そして、終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫に満ち溢れた強靭さにおいてもいささかも欠けるところはないところであり、後期3大交響曲集の演奏と同様に、いい意味での硬軟バランスのとれた円熟の名演に仕上がっていると評価したい。

これまでの第4番〜第6番での各レビューでも記したが、残る第2番、第3番及びマンフレッド交響曲の素晴らしい円熟の名演を大いに期待したいところだ。

併録のスラヴ行進曲は、中庸のテンポを基調としつつ、聴かせどころのツボを心得たオーソドックスな名演と高く評価したい。

ただし、終結部は打楽器を最大限に響かせたり、反復を省略するなど、必ずしも一筋縄ではいかないプレトニョフの芸術の真骨頂があると言えるだろう。

それにしても、ペンタトーンレーベルによる本チクルスの音質は素晴らしい。

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classicalmusic at 09:04コメント(0)チャイコフスキー 

2022年08月26日


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1969年5月30日 モスクワ音楽院大ホールに於けるライヴ(ステレオ)録音。

全盛期の帝王カラヤンが旧ソ連に乗り込んでの渾身のライヴで、録音にややハンディがあるが、演奏そのものは壮絶な名演だ。

我々は、カラヤンの「英雄の生涯」の名演として、スタジオ録音による1959年盤、1974年盤、1985年盤、ライヴによる1985年盤を知っており、いずれ劣らぬ名演だが、カラヤンはやはりライヴの人。

これまで筆者は、先般テスタメントから発売された1985年のライヴ盤を最も評価してきたが、この1969年盤は、人生の諦観のような味わいを感じさせる1985年盤とは異なり、飛ぶ鳥落とす勢いであったカラヤンの壮年期ならではの覇気に満ち溢れており、独特の魅力を醸し出している。

現時点では、カラヤンの「英雄の生涯」では、このモスクワ・ライヴをベストに推したい。

確かに録音はあまり良くないかも知れないが、この演奏には、絶頂期に入ったカラヤン&ベルリン・フィルの、クライマックスの上にさらにクライマックスを築き上げていく一期一会の凄絶な演奏が記録されている。

第1部「英雄」の覇気あふれる演奏、第4部「英雄の戦い」の敵との総力戦が本当に行われているかのような殺気だった響き(かなりオンマイクでとらえられたスネアドラムの響きが好悪を分かれるかもしれない)が強烈。

もちろん第3部「英雄の伴侶」のゆったりとした愛の歌や第6部「英雄の引退と完成」の諦観を感じさせる晩年の英雄の描写も十分である。

まとまり全体でいうと1974年盤がベストであるが、ここに於けるカラヤン&ベルリン・フィルはテンションが尋常ではなく、特に『戦い』の場面では、トランペットをはじめとする金管の咆哮・ティンパニが炸裂し痛快きわまりない。

それこそ、ソ連的爆演とさえ言えるところであり、晩年のライヴやスタジオ録音では聴けないカラヤンがこの盤に存在する(テスタメントの1970年代のライヴはあまり面白くない)。

生前のカラヤンは、モーツァルトのディヴェルティメント第17番を「英雄の生涯」をはじめとするシュトラウス作品の前プロとしてよく取り上げていたようだ。

十分すぎるほど覇気あふれる演奏に「モーツァルトってこれでいいのか?」と思ったり、「いや、流麗で生き生きとした演奏もモーツァルトの一つの姿なのだ」と思い直したりもするが、その歌い回しの巧妙さには惚れ惚れとしてしまうばかりである。

本公演は、盟友ムラヴィンスキー(2人ともトスカニーニ信奉者で馬が合ったらしい)の熱烈なるラヴコールで実現した公演だった。

カラヤンの演奏は、ムラヴィンスキーの盟友と言うに恥じないものであったことが、これで確認できる。

旧ソ連はカラヤンにとって、決してアウェイではなかったことが、この演奏からもわかるだろう。

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classicalmusic at 22:16コメント(0)カラヤンR・シュトラウス 

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プレトニョフによる新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスの第3弾であり、最高傑作である交響曲第6番「悲愴」。

前回の全集から2度目の全集に至るまでの間、プレトニョフは、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集で、自由奔放とも言えるような実に個性的な演奏を繰り広げてきた。

交響曲全集については賛否両論あるようであるが、ピアノ協奏曲全集については、現代を代表する名演との評価を幅広く勝ち得ている状況にある。

いずれにしても、今般の2度目の全集は、そうしたクラシック音楽の王道とも言えるベートーヴェンなどの演奏を経験した上での、満を持して臨む演奏ということであり、既に発売された交響曲第4番や第5番も、プレトニョフの円熟が感じられる素晴らしい名演に仕上がっていたところだ。

プレトニョフによるチャイコフスキーの演奏は、前回の全集でもそうであったが、ベートーヴェンの交響曲全集における自由奔放さとは別人のようなオーソドックスな演奏を披露していた。

ロシアの民族色をやたら強調したあくの強い演奏や表情過多になることを極力避け、純音楽的なアプローチに徹しているようにさえ思えるほどだ。

本盤の「悲愴」の演奏においてもかかるアプローチは健在であり、プレトニョフは中庸のテンポにより曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くという、ある意味ではオーソドックスとも言うべき王道たる演奏を心掛けているとも言える。

スコアに忠実に従った各楽器の編成の下、各楽器セクションのバランスを重視した精緻な響きが全体を支配しており、他の指揮者による演奏ではなかなか聴き取ることが困難な音型を聴くことが可能なのも、プレトニョフの演奏ならではの特徴とも言える。

もっとも、純音楽的かつ精緻で、オーソドックスなアプローチと言っても、第1楽章冒頭のゆったりとしたテンポによる序奏の後、主部に入ってから速めに進行させ、第2主題の導入部で再度ゆったりしたテンポをとったりするなど、あたかも魔法のような変幻自在のテンポ設定は実に巧妙である。

また、第1楽章(特に展開部終結部の雷鳴のようなティンパニは凄まじいド迫力だ)及び第3楽章における畳み掛けていくような気迫、強靭な生命力には凄みがあり、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

終楽章の心を込め抜いた慟哭の表現も壮絶の極みであり、全体としていい意味での硬軟バランスのとれた円熟の名演に仕上がっていると高く評価したい。

本盤の登場によって、プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団による新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスの後期3大交響曲集が出揃ったことになるが、残る初期の交響曲集(第1〜3番)及びマンフレッド交響曲についても、素晴らしい円熟の名演を大いに期待したいところだ。

併録のイタリア奇想曲は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻さとドラマティックな要素を兼ね備えたプレトニョフならではの稀有の名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 18:19コメント(0)チャイコフスキー 

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プレトニョフによる新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスの第2弾になり、第5番であるが、第1弾の第4番に優るとも劣らない素晴らしい名演と高く評価したい。

プレトニョフは、前回のチャイコフスキーの交響曲全集(DG)を完成した後は、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集において、聴き手の度肝を抜くのに十分な超個性的な演奏を繰り広げてきたが、今般のチャイコフスキーの第5番では、むしろオーソドックスと言ってもいいような堂々たる円熟の演奏を展開している。

かかるアプローチは第4番においても同様であったが、こういった点にプレトニョフのチャイコフスキーに対する深い愛着と畏敬の念を感じることが可能であると言えるのではないだろうか。

本演奏においても、プレトニョフは中庸のテンポにより曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行く。

ロシア風の民族色を強調したあくの強い表現や、表情過多になることを極力避け、只管純音楽的なアプローチに徹しているようにさえ思えるほどだ。

各楽器のバランスを巧みに取った精緻な響きはプレトニョフならではのものであり、他の指揮者による演奏ではなかなか聴き取ることが困難な音型を聴くことが可能なのも、本演奏の醍醐味と言えるだろう(とりわけ、第2楽章のホルンソロは美しさの極みである)。

もっとも、各楽章に現れる運命の主題の巧みな描き分け(例えば第2楽章中間部では微妙なアッチェレランドを施している)、終楽章の中間部のあたかも魔法のような変幻自在のテンポ設定の巧妙さ、そして第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫に満ち溢れた強靭さにおいてもいささかも欠けるところはないところであり、第4番と同様に、いい意味での硬軟バランスのとれた円熟の名演に仕上がっていると評価したい。

第4番でのレビューでも記したが、残る第1番、第2番、第3番、第6番及びマンフレッド交響曲の素晴らしい円熟の名演を大いに期待したいところだ。

併録の幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻さとドラマティックな要素を兼ね備えた稀有の名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 12:12コメント(0)チャイコフスキー 

2022年08月25日


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プレトニョフは既に、ロシア・ナショナル管弦楽団を指揮してチャイコフスキーの交響曲全集をスタジオ録音(DG)しているので、本盤は、約15年ぶりの2度目のチャイコフスキーの交響曲全集の第1弾ということになる。

ペンタトーンレーベルへの復帰後第1弾でもあるということでもあり、そうした記念碑的な録音の曲目に、敢えてチャイコフスキーの交響曲全集の再録音第1弾を持ってきたところに、プレトニョフのチャイコフスキーへの深い愛着と崇敬の念を大いに感じることが可能だ。

前回の全集から今般の2度目の全集に至るまでの間、プレトニョフは、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集で、自由奔放とも言えるような実に個性的な演奏を繰り広げてきた。

交響曲全集については賛否両論あるようであるが、ピアノ協奏曲全集については、現代を代表する名演との評価を幅広く勝ち得ている状況にある。

いずれにしても、今般の2度目の全集は、そうしたクラシック音楽の王道とも言えるベートーヴェンなどの演奏を経験した上での、満を持して臨む演奏ということであり、本演奏も、そうしたプレトニョフの円熟ぶりが窺い知ることができる素晴らしい名演と高く評価したい。

前回の全集では、前述のベートーヴェンの交響曲全集における自由奔放さとは別人のようなオーソドックスな演奏を披露していた。

ロシアの民族色をやたら強調したあくの強い演奏や表情過多になることを避け、純音楽的なアプローチを心掛けていたのが印象的であった。

特に、スコアに忠実に従った各楽器の編成の下、各楽器セクションのバランスを重視した精緻な響きが全体を支配しており、聴き手にとっては、それが非常に新鮮に聴こえたり、あるいは踏み外しのない物足りなさを感じさせたりしたものであった。

ところが、本演奏においては、各セクションのバランスに配慮した精緻さは従前通りであるが、ベートーヴェンの演奏などで培われた、快速のテンポ(かのムラヴィンスキーよりも速い40分で駆け抜けている)によるドラマティックな要素にもいささかも事欠かないところであり、硬軟バランスのとれた、まさに円熟の名演に仕上がっている点を高く評価したい。

プレトニョフは、本盤を皮切りに、ペンタトーンレーベルに、チャイコフスキーの全交響曲を再録音していくとのことであるが、本演奏を聴いて第2弾以降を大いに期待する聴き手は筆者だけではあるまい。

併録の幻想序曲「ロミオとジュリエット」は、一転してテンポはややゆったりとしている(主部は猛烈に速い)が、交響曲第4番と同様に、純音楽的なアプローチの中にもドラマティックな要素を兼ね備えた円熟の名演だ。

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classicalmusic at 14:25コメント(0)チャイコフスキー 

2022年08月24日


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セル&クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークの楽曲の演奏はいずれも素晴らしい。

全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団は、各楽器セクションが一つの楽器のように聴こえるような一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称された完全無欠の演奏を展開していたが、1960年代半ば頃までの演奏は、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実である。

そのようなセルも1960年代後半の最晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にも一定の自由を与え、芸風により柔軟性が垣間見られるようになり、円熟の味わい深い名演奏を成し遂げるようになった。

もっとも、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽については、何故か1960年代半ば以前の演奏においても、そうした晩年の演奏にも比肩し得るような情感豊かな味わい深い演奏を行っていており、これは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、セル自身が深い愛着と理解を有していた証左なのかもしれない。

本盤に収められたドヴォルザークの後期交響曲集(第7〜第9番)やドヴォルザーク及びスメタナの管弦楽曲(弦楽四重奏曲第1番のセルによるオーケストラバージョンを含む)の各演奏においてもそれは健在であり、表面上は鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏でありつつも、各フレーズの端々には、前述のようなチェコ音楽への深い愛着と理解に根差した豊かな情感が込められていて、いずれも味わい深い素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

もっとも、ドヴォルザークの交響曲第8番については、1970年にEMIにスタジオ録音した同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演が存在しており、最晩年の演奏ならではの味わい深さと言った点において本演奏はいささか分が悪いが、それでも本盤に収められた演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

音質は1949〜1963年のスタジオ録音であり、従来盤では今一つの音質であったが、セルによるドヴォルザークやスメタナの楽曲の演奏はいずれ劣らぬ名演揃いであり、今後はすべての楽曲について、最低でもBlu-spec-CD化、そして可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたい。

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classicalmusic at 07:36コメント(0)ドヴォルザークセル 

2022年08月23日


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ホルストの組曲『惑星』は、豪壮華麗なオーケストレーションが施されたいかにもショルティ向きの作品であるにもかかわらず、本演奏のみの一度しか録音を行っていない。

しかも、録音年代は1978年。

シカゴ交響楽団の音楽監督として最も脂の乗っていた時期であるにもかかわらず、オーケストラとしてシカゴ交響楽団を起用せずに、敢えてロンドン・フィルを起用したというのは大変に意外である。

もちろん、ロンドン・フィルはショルティにとって大変縁のあるオーケストラであり、エルガーの2つの交響曲のほか、本盤に収められた行進曲『威風堂々』、エニグマ変奏曲なども同オーケストラと録音している点を考慮すれば、ショルティは、楽曲によってオーケストラを使い分けていたということが言えるのかもしれない。

そして、それ故にこそ、英国王室の「サー」の称号も得ているショルティは、ホルストの組曲『惑星』をあくまでも純然たる英国音楽として捉え、当時一般に流布しつつあったオーケストラ演奏の醍醐味を味わわせてくれるショーピースのような演奏に背を向け、英国音楽としての矜持を保って格調高く描き出そうとしたのかもしれない。

ショルティの本演奏におけるアプローチは、例によって、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであるが、いかなるトゥッティの箇所に至っても、同時期のシカゴ交響楽団との演奏の一部に聴かれるようないささか力づくとも言うべき強引さが殆どなく、前述のような格調の高さを損なっていないのが素晴らしい。

もっとも、「火星」などにおける強靭な迫力には凄味があるし、他方、「金星」や「海王星」における英国の詩情に満ち溢れた美しさにも抗し難い魅力が満ち溢れており、各楽曲毎の描き分けの巧みさにおいても秀逸なものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、いい意味での剛柔のバランスと格調の高さが支配した演奏とも言えるところであり、ショルティがその後、シカゴ交響楽団と再録音しなかった理由を窺い知ることが可能な素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

そして、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルが、ショルティの確かな統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した好パフォーマンスを発揮しているのも、本名演に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

行進曲『威風堂々』は、演奏全体をいかにもショルティならではの強靭なリズム感とメリハリの明瞭さで一貫しており、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされた圧倒的な名演に仕上がっている。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ルビジウム・クロック・カッティングによって更に鮮明さが増したと言えるところだ。

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classicalmusic at 19:47コメント(0)ショルティホルスト 

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かつてPHILIPSからもリリースされていたムラヴィンスキー晩年の有名なライヴ音源。

他のレーベルからもリリースされていたが、いずれも入手が難しいものばかりだったため、この廉価盤のALTO(旧REGIS)の復刻盤は貴重なもので、何よりも音質が安定している。

というのも、かつてPHILIPSからリリースされていたアルバムはやや高めのピッチで収録されていたため、全体に甲高い音に感じられるという弱点があったが、こちらはピッチが正常なものに修正されているのが有難い。

演奏はショスタコーヴィチの交響曲第8番の決定盤と長らく言われ続けているだけあって、これ以上は考えられないほど凄絶なものだ。

「第8」は、作曲者生前の公式発表によれば、ナチス侵攻による苦難とそれに打ち克つソヴィエト連邦を描いた作品ということになるが、それはショスタコーヴィチによる巧みなカモフラージュであり、スターリンの独裁による圧政が重ね合わされていたのだ、という説もある。

後者については、ソ連崩壊後だから言えることで、当時、そんな思い切ったことができただろうか、という疑問も残るが、少なくとも、ムラヴィンスキーの演奏を聴く限り、後者に説得力があるように思う。

圧政に苦しむ者、虐げられた者を鞭打つような、情け容赦のなさ、一片の慈悲のなさが、ムラヴィンスキーの強い意志とレニングラード・フィルの鋼鉄のアンサンブルによって再現されているが、その重く、暗い生活を、旧ソ連市民へ向け、世界へ向け、告発しているかのようではないか。

ライヴでありながら、一点の隙も見せない凄みが作風とマッチして、聴く者の背筋をも凍らせるのである。

激しさだけではなく、落ち着いた静けさの中にも常に緊張感が漂い、どのフレーズにも熾烈で痛切な思いが込められている。

レニングラード・フィルのアンサンブルやソロの巧さには本当に舌を巻くほどで、ムラヴィンスキーの他のライヴ録音と比較しても、完成度や録音状態はトップクラスであろう。

真摯に曲に立ち向かった極めて説得力の強い名演奏である。

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classicalmusic at 12:40コメント(0)ショスタコーヴィチムラヴィンスキー 

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1960年1月9日、ニューヨーク、メトロポリタン歌劇場に於けるライヴ録音で、モノラルのライヴながら良い音質である。

2011年1月に陽の目を見たメトロポリタン歌劇場でのライヴで、個人所有のエア・チェック音源からディスク化された。

ワーグナー自身が自画自賛した作品だけに、“聖地”バイロイトだけでなく、世界中の歌劇場においても屈指の人気作として幾多の名舞台が繰り広げられてきた。

録音も数多く存在するが、ベームは自らが語るように「バッハとモーツァルトによって浄化された様式的ワーグナー像」を確立している。

それは「終局迄突き進む唯一のクレッシェンド」であり、まさに音楽的に見て隙がない。

強固な芯が全体を貫いていて、その推進力は物凄いエネルギーを秘めている。

「私は『トリスタンとイゾルデ』のイゾルデ役を33人の指揮者の下で歌ってきたが、ベームに匹敵する人は誰もいなかった」という旨の事を語ったというニルソンを始め、歌手陣の声は1960年のエア・チェックという事を考えると、それなりの鑑賞度の高さを具え、当時の会場の空気を伝えてくれる。

しかし、管弦楽は遠い。

その為、高揚感という点ではやや物足りない。

管弦楽がもっとましな録音だったら……と思わずにはいられない。

とはいえ、全体的に高い水準でまとめられているところは流石にベームならではであり、物足りない個所を割引いてもなお余りある魅力があり、決して史料的価値だけの録音ではない。

そうした意味において当盤が発掘された事はベーム・ファン、そしてワグネリアンにとって誠に喜ばしい限りである。

因みにキャストの紹介など演奏開始を伝える放送局のナレーションが冒頭に入っている。

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classicalmusic at 03:47コメント(0)ワーグナーベーム 

2022年08月22日


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まず、デッカによる本盤の極上の高音質を高く評価したい。

演奏内容であるが、素晴らしい名演だ。

バーンスタインは、マーラー指揮者としては、歴史にも名が残る大巨匠と言えるが、他の作曲家の作品については、アメリカの作曲家など、一部を除いて疑問符をつけざるを得ないと考えている。

特に、ドイツ音楽は、雄弁ではあるが、底の浅さが目立つ浅薄な演奏が多く、名演とは言い難いものが多い。

ベートーヴェンやブラームスの交響曲全集など、ウィーン・フィルの力もあって、一定の水準には達しているとは思うが、大仰さだけが際立った演奏であり、せいぜい佳演という評価が精一杯。

シューマンは、作曲当時の病的な精神状態がマーラーのそれと似通った側面があるせいか、名演との評価は可能だと思うが、濃厚な表情づけのモーツァルトのレクイエムなど、凡庸な演奏には事欠かない。

しかしながら、そのような中でも、本盤は例外中の例外といった趣きの名演なのだ。

それには1966年という録音年代を考慮に入れる必要があるだろう。

バーンスタインも、ウィーン・フィルにデビューしたばかりであり、「リンツ」などウィーン・フィル任せでほとんど指揮しなかったであろう。

ピアノ協奏曲第15番におけるピアノも、ウィーン・フィルの演奏に合わせた印象を受ける。

こうした自我を抑えた謙虚な姿勢が、皮肉にも、このような素晴らしい名演を生み出したと言える。

当時のウィーン・フィルは、カラヤンを失い、カラヤンに対抗し得るスター指揮者の発掘にやっきとなっていた。

そうした力強い意気込みが、ウィーン・フィルをして、このような名演奏を成し遂げさせたのだとも言えよう。

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classicalmusic at 20:47コメント(0)モーツァルトバーンスタイン 

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プルーストの超大作の三巻目は(私)のジルベルトへの愛の始まりから、純愛の中に昇華される終焉までが書かれている。

巻末の訳者あとがきで吉川一義氏自身が指摘しているように、この章を読み通せるかどうかがこの作品全体を読破できるかの鍵になっているようだ。

確かに四巻目からは遥かに読み易くなる印象がある。

何故ならこの章は健康的で活発な女の子ジルベルトへの思いが、ひたすら(私)の中で分析され、思い悩み、反芻されるという繰り返しが長々と続くからなのだ。

物語にドラマティックな展開はなく、むしろ淡々とした口調で現実と思い出が交錯するというプルースト特有のスタイルに付き合うにはある程度の根気がいる。

まして当時のフランスの富裕層や社交界にそれほど興味を持てない人にとっては、彼のアイロニックな視点や人々に対する細かい観察の価値を見出すことが難しいかもしれない。

しかし文章のいたるところに著者自身の哲学が記されていて、例えば「そもそも人生において、また人生の明暗が分かれる状況において、恋愛にからんで生じるどんな出来事であろうと、その一番いい対処法は理解しようとしないことである」もそのひとつだ。

また彼が愛したベートーヴェンの弦楽四重奏曲に関して「天才の作品が直ちに賞賛されることが少ないのは、書いた人が非凡で、似たような人がほとんど存在しないからである。そこで天才の作品自体が、その天分を理解できる稀有な精神の種をまき、そうした精神を育て増やしていくほかはない」とも言っている。

そして「天才的作品を生み出すのは、この上なく優雅な環境で暮らし、もっとも華々しい話術やきわめて広範な教養を身につけた人たちではなく、自分のためにのみ生きるのを突然やめて、自分の人格に鏡のような働きをさせる能力を獲得した人たちである」と続く。

このあたりはこの章を読むひとつの醍醐味だろう。

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classicalmusic at 12:36コメント(0)書物芸術に寄す 

2022年08月21日


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中世庶民の社会史に精通していた阿部氏が、本書の前半で賤民差別の実態とその要因を、社会史的見地からの執拗かつ鋭い洞察で解き明かしている。

中世時代の差別意識は都市の形成に深く関わっていることが指摘されている。

つまり同じ地方の同程度のランクの家系の出身であっても、先に都市に入って既得権益を獲得したグループはそれを温存するために後に続こうとするグループを排除しようとする。

そして排除されたほうが賤民としての扱いを受けるわけだが、彼ら特有の職業というのは後からこじつけられたものが多く、著者は職業について当初から貴賤が存在していたわけではないことを説いている。

ギルドやツンフトなどの相互扶助組合は、一方で余所者を排除する機能を組織的に発揮していたのも事実だろう。

本書でも引用されているティル・オイレンシュピーゲルの悪戯話は、不当に扱われていた遍歴職人や賤民達の、閉鎖的社会や権力を笠に着た人々に一泡吹かせる痛烈な風刺と抵抗に他ならない。

ティルの武勇談に頻繁に登場するスカトロジックな戦法は、彼の権威に対する価値観の象徴だ。

中半で興味深いのは「カテドラルの世界」の項で、贈与慣行と売買の価値観を歴史的に考察している。

古代ゲルマンの長は、臣下に獲得した財宝を惜しみなく再分配し、その見返りとして長たる者の権威や兵力を維持できたが、通商の発展や貨幣の流通と共にユダヤ人に代表される商人達による富の蓄積が始まり古来からの再分配の原則に軋轢が生じる。

ここに巧みに取り入ったのがキリスト教会で、有力者からの寄進を受けることによって教会側は彼らの墓所と来世を保証し、現世の罪の償いを免除するという精神的再分配の図式をひねり出した。

教会に莫大な寄進や喜捨が集まる時代と、それを施した人の墓所として大聖堂が建立される時期が一致しているのも納得がいく。

阿部氏の考察はヨーロッパの中でもいきおいドイツを中心とする北側の社会に多くの例を採っているが、それは彼の専門分野というだけでなく、概して気候風土の厳しい条件の下で生活を強いられた北方社会の人々に、より明確な権利の主張や差別の典型が炙り出されてくるように思える。

後半部で著者はあえて中世を離れて日本の大学のあり方、学問への取り組み方について疑問を投げかけている。

日本において大学はエリート養成施設として国家によって設立され、将来の地位や経済的な安定を約束した。

逆に言えば国家に忠実な人を育成する場であり、およそ学問自体を探求する喜びからはほど遠い存在だった。

一方ヨーロッパで市民によって形成された数多くの協会は、文学や音楽、歴史などをお互いに学び合う階級差別のないサークルで、資格や将来の収入には無縁だったが誰にでも入会が許され、何よりも純粋に知的欲求を満たすための場が作られた。

こうした自発的なカルチャー・センターが現在では大学と並ぶ高い専門知識を持った権威ある協会になった例も少なくないようだ。

阿部氏は「学問することが有利な就職や社会的上昇の前提となっているところでは、真の喜びにあふれた知的探求は望むべくもない」と結んでいる。

また近代の歴史研究が科学的な分析によって行われるようになって以来、庶民の精神史が置き去りにされてしまったことも指摘している。

書かれた物に頼っていなかった時代の歴史を記述しようとする時、下層の人々の精神史は無知蒙昧なものとして篩い落とされてしまうからだ。

これについては阿部氏のもうひとつの著書『ハーメルンの笛吹き男』に詳しい。

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ポリーニの円熟を感じさせる素晴らしい名演だ。

本盤に収められているショパンのピアノ曲は、筆者の記憶が正しければ、4つのマズルカを除けば、ポリーニにとって2度目の録音ということになる。

メインの前奏曲集については、ポリーニの名声を確固たるものとした1974年のスタジオ録音以来、約35年ぶりの再録音。

2つの夜想曲は、2005年の全曲録音以来6年ぶりの再録音。

スケルツォ第2番は、1990年の全集の録音以来、約20年ぶりの再録音。

マズルカ集については、本盤に収められた諸曲は初録音であるが、第22〜25番を2年前に録音しており、マズルカ集の録音としてはそれ以来となる。

とりわけ、録音の間隔が空いたメインの前奏曲集については演奏内容の差が歴然としており、本盤の演奏内容の素晴らしさ、見事さは圧倒的であると言えるだろう。

前回の1974年の演奏は、少なくとも技量においては凄まじいものがあった。

研ぎ澄まされた透明感溢れるピアノタッチという表現が当てはまるほどであり、古今東西のピアニストによる前奏曲集の演奏の中でも巧さにおいては群を抜いた存在であるとも言えた。

ただ、音質がやや硬質でもあったリマスタリングやSHM−CD化がなされていない従来CD盤で聴くと、ピアノの硬質な音と相俟って、機械的な演奏に聴こえてしまうきらいがあり、聴きようによっては、あたかも機械仕掛けのオルゴールのようなイメージもしたところである。

ところが、本演奏は、そのような問題はいささかも感じられない。

超絶的な技量においては、老いても綻んでいることは殆どないと言えるが、何よりも、演奏全体にある種の懐の深さを感じさせるのが素晴らしい。

スコア・リーディングの深みも大いに増しているとも思われるところであり、細部におけるニュアンスの豊かさ、心の込め方には、尋常ならざるものがある。

このような含蓄のある演奏を聴いていると、ポリーニは真に偉大なピアニストになったと評しても過言ではあるまい。

次いで、スケルツォ第2番が素晴らしい。

前回の演奏では、ほぼ同時期に録音されたポゴレリチの演奏が衝撃的であったせいか、今一つ喰い足りないものを感じさせたが、今般の演奏は、それを補って余りあるほどの偉大な演奏に仕上がっている。

卓越した技量を披露しつつも、彫りの深さ、内容の濃さにおいては近年のピアニストを寄せ付けないだけの高み達しており、おそらくは現代のピアニストによる同曲の演奏の中でも最高峰の名演と評しても過言ではあるまい。

他の併録曲もいずれも素晴らしい名演であり、本盤こそは、ポリーニの円熟と充実ぶりを大いに感じさせる名アルバムと高く評価したい。

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classicalmusic at 17:32コメント(0)ショパンポリーニ 

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チャイコフスキーの後期3大交響曲の録音は、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの伝説的な名盤を筆頭に、カラヤン、バーンスタイン、スヴェトラーノフ、バレンボイム、小林研一郎、プレトニョフ、ゲルギエフなど、本当に数多くの録音が出ているが、このパッパーノはそれらの中でも輝きを放つ名演となっている。

まず、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団の音色に華がある。

和音の揃いや重厚な歩みよりは、イタリアのオーケストラらしく、それぞれのパート、それぞれの奏者が美しい音を出すことを何よりも優先している感じだ。

そしてパッパーノの指揮は、ただそれらを好き放題にやらせるのではなく、引っ張ったり弛めたりしながら、歌に溢れた、瑞々しいサウンドを構築していく。

この歌心と瑞々しさ、若さ、新鮮さ、活気は、重厚なドイツのオーケストラとも、彩りと迫力があるフランスのオーケストラとも、機能的なアメリカのオーケストラとも違う個性だ。

第4番はこういうアプローチが一番合っているかもしれない。

バレンボイム盤も良かったが、繊細さではこちらの方が優っている。

第1楽章は煌びやかで音色が美しく飽きないし、第3楽章も愛らしく、フィナーレの華々しさは「これぞオペラの国イタリアのオーケストラ」という華やかさだ。

第5番もまた素晴らしい演奏だ。

第2楽章の流麗な美しさは言語に絶するほどで、アリアのように大事に歌われている感じだ。

フィナーレの躍動感も相当なものだが、よくある「爆演」のような破綻がなく、音楽として整っている。

「悲愴」の第3楽章は、息の合った合唱を思わせる高揚感であり、第4楽章の慟哭を表現する弦のサウンドにはあまりにも艶かしくてゾッとするほどだ。

ヴィヴィッドでダイナミックな演奏だが、甘ったるくはならず、3曲ともとてもクオリティが高いので、後期3大交響曲集としては大変に優れている。

録音もEMIにしてはかなり良く、残響をそれなりに取り入れながらも各楽器の質感がそこそこ保たれているし、見通しもまずまず良好で、曇った感じもほとんどしないので聴きやすい。

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classicalmusic at 08:22コメント(0)チャイコフスキー 

2022年08月20日


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1984年11月23日 ミュンヘン・ヘルクレスザールにおけるステレオ・ライヴ録音。

巨匠ザンデルリンクは、1980年代から1990年代にかけてミュンヘン・フィルに頻繁に客演を繰り返した。

このアルバムでは、ベートーヴェンの「エグモント」序曲、そしてJ.S.バッハの2台のヴァイオリンのための協奏曲は、ブラームスの交響曲第4番に比べるとあまり高い評価は評論誌でされてなかったが、耽美的な演奏であることは、収録されている曲全体を通じて感じられた。

「エグモント」序曲からして壮大、重厚な響きに圧倒される。

バッハはもちろん旧スタイルの演奏で、堂々たる押し出しの立派な音楽を作っている。

そして「ブラ4」! これぞ圧倒的な名演奏だ。

尋常ではない遅いテンポが採用され、ロマンティシズム、耽美指向が濃厚に漂う個性的な演奏である。

旧東ドイツの指揮者と言えば、ケンペのブラームスの交響曲全集、そしてザンデルリンクのブラームスの交響曲全集を聴き、いずれも「らしさ」を感じながら、聴き惚れていた頃を懐かしく思い出す。

殊にザンデルリンクがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した交響曲全集は音楽的に古風な体質を持つ独特な名演奏として評されていた。

筆者にとっては、ブラームスはやはりバーンスタインやカラヤンで聴くより何よりザンデルリンクであり、地味ながら男心をそそる細やかなタッチが当時新鮮であった。

ここではチェリビダッケが鍛えたミュンヘン・フィルの明るく、美しいサウンドを時には豪快に、時には繊細に料理したライヴゆえの自在な起伏が最高だ。

逆に、乱調の気配が全くなく、セッション録音のように大人しくきっちりと音楽が進行している内省的な音楽の性格の部分では、美しくあまりに切ない懐かしい響きとリズムの重さがとても心地よく聴こえる。

どうしても聴きたくて仕方が無い、そういう衝動に駆られる男性的な魅力のある音楽と演奏であり、情熱の塊のようなものも時折感じられる箇所も少なくない。

1986年のチェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルによる来日公演との比較も一興。

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classicalmusic at 20:09コメント(0)ザンデルリンクブラームス 

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「コッペリア」「レ・シルフィード」ともにカラヤン唯一の録音で、実際のコンサートでも大晦日のジルベスター・コンツェルトのような特別なポピュラー・コンサートならまだしも、通常のレギュラー・コンサートではまず演奏されることのない珍しいレパートリー。

とはいえ、カラヤンにこの種の曲を指揮させたら、彼の右に出る者はいない。

カラヤンにバレエ音楽を振らせると、心憎いほど聴かせどころのつぼを心得た演奏をする。

この3曲にしてもコンサート・スタイルの演奏ながら、それぞれの音楽の表情の美しさを見事に描き上げている。

「コッペリア」は、収録曲が少ないのが惜しまれるが、ひとつひとつの情景を彷彿とさせる巧妙な演出が抜群で、カラヤンそしてベルリン・フィルの巧さに魅了される演奏だ。

ここには、限りない夢と七色の虹にも似た光があり、しかも黄金の歌がある。

1曲1曲がこんなにも丁寧に、そして輝かしく演奏される録音は今後もなかなか現れまい。

「レ・シルフィード」では甘美な旋律を情緒たっぷりと歌わせ、ロマンティックなムードを作り上げている。

カラヤンは、この種のポピュラー小品の録音に異常なほどに力を入れていた。

それらは、今日に至るまで長く人気を保ち、シーリアス・ミュージック(クラシック音楽)への入門として多くの新しい愛好者を獲得するのに大きな役割を果たした。

また、その決して手抜きをしない真剣勝負の演奏は玄人肌の聴き手にもこれらの作品の質の高さと魅力を改めて啓示してくれた。

そして、これらの洒落た味わいに満ちた小品集の録音は、このディスクに収められた3曲を含め多くが音質のリフレッシュによってLP時代に果たした役割を再び担うことになっている。

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classicalmusic at 12:50コメント(0)カラヤン 

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ブルーノ・ワルター最盛期の名演であるが、音質が鮮明で、気力充実したワルターの指揮ぶりを堪能できる1枚。

最近では、ワルターのステレオ録音は彼本来の持ち味がかなり失われているという意見が広まっているようである。

豊麗にして端正闊達でありながら熱いエネルギーがあるというワルターならではの不思議な音楽の魅力は、ニューヨーク時代の演奏、とりわけライヴ録音に顕著に出ているのであるが、海賊盤はほとんどが音が悪くてあまり顧みられることはなかった。

この1953年のライヴは音も鮮明で、ワルターの深い音楽性がほぼ完全な形でとらえられた優秀な音質によって、地鳴りのするような迫力に満ち、気力充実したワルターの魅力を満喫できる。

「ハフナー」は、故宇野功芳氏も「翌日のスタジオ録音よりもさらに凄まじい。テンポの変動、ホルンの最強奏、これこそアンチ・ロココのモーツァルトだ」と絶賛していたし、ライヴならではの気迫がみなぎるワルターの指揮は圧倒的だ。

マーラーの第4番も、少々のっぺりしたスタジオ録音とは大違いで、これは思っていたのと全然違う、音に生気と喜びが満ち溢れ、天上の音楽を何とも愛おしく聴かせてくれる。

深くまろやかでコクがあり、甘美で高雅な薫りが溢れ、しかも痛ましいほどの狂気が垣間見える。

ワルターの振るマーラーの「第4」といえば、他に1945年のニューヨーク・フィル盤や1960年のウィーン・フィル(告別コンサート)盤などが有名であるが、それらと比較してもこの1953年のニューヨーク・フィル盤が一歩秀でている。

とにかくニューヨーク・フィルの音に厚みがあり、血が通った演奏である。

ゼーフリートの声も清らかな声も素晴らしく、これぞ官能の極みと言えよう。

「ハフナー」はまさに沸騰するかのような活力が、マーラーでは耽美的な朗々たる歌が、それぞれ何と魅力的なことであろうか。

スコアの解析ばかりに執着して温もりのないマーラーや、ピリオド奏法そのものを売りにして中身の伴わないモーツァルトなど「真っ平御免!」という方は必聴。

まさに“本物の音楽”がここにあり、比較的良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 07:23コメント(0)ワルターマーラー 

2022年08月19日


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朝比奈隆のレパートリーの中核となっていたのは、ブルックナーやベートーヴェンの交響曲であり、ブラームスの交響曲もそれに次ぐ存在であった。

ただし、あくまでも私見ではあるが、朝比奈が遺したブラームスの交響曲全集の録音は、大阪フィルや新日本フィルなど複数を数えているものの、ブルックナーやベートーヴェンの交響曲の演奏と比較すると、今一つ冗長と言うか、面白味に欠けるような気がするのだ。

スケールは雄大であるが、細部におけるニュアンスの込め方に今一つ欠けているというのが、そのような気にさせる要因であると言えるのかもしれない。

良く言えば、細部に拘泥しない恰幅の良さ、悪く言えば大味な演奏とも言えるのではないだろうか。

ブルックナーやベートーヴェンの交響曲とは異なり、ブラームスの交響曲の場合、細部における細やかな表現の在り様は、演奏を行うに際しての生命線とも言えるだけに、朝比奈の演奏のアキレス腱ともなっていると言えるところだ。

しかしながら、本盤に収められた東京都交響楽団とのライヴ録音だけは超名演だ。

朝比奈による数あるブラームスの交響曲第1番の演奏の中でも最高の名演であるにとどまらず、同曲演奏史上でもトップクラスの超名演と高く評価したい。

本演奏におけるアプローチは、これまでの朝比奈による同曲の演奏と基本的には何ら変わるところはない。

スケールは雄渾の極みであり、細部に拘らず、ブラームスがスコアに記した音符の数々を恰幅よく鳴らし切るという、いわゆる直球勝負のスタイルによる演奏だ。

そして、あたかも重戦車が進軍するが如き重量感に溢れており、その力強さは、同曲演奏史上でも空前にして絶後の凄まじいまでの強靭な迫力を誇っている。

加えて、これまでの朝比奈によるブラームスの交響曲演奏の唯一の高いハードルにもなっていた細部におけるニュアンスの込め方についても、何故か本演奏においては、どこをとっても独特の表情付けがなされるなど、過不足なく行われていると言えるところである。

したがって、本演奏は、例によって繰り返しを忠実に行うなど、全体を約53分もの時間を要してはいるが、これまでの朝比奈による同曲の演奏のように冗長さを感じさせるということはいささかもなく、隙間風が一切吹かない内容の濃さを有していると言えるところだ。

いずれにしても、本演奏は、スケールの大きさと細部への入念な配慮を両立し得た稀有の名演と言えるところであり、朝比奈としても、会心の出来と評すべき超名演と言えるのではないだろうか。

それにしても、東京都交響楽団のうまさを何と表現すればいいのであろうか。

東京都交響楽団は、崇敬する朝比奈を指揮台に頂いて、ドイツのオーケストラに決して負けないような重厚かつ重量感溢れる豪演を展開しており、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

DSDマスタリングによる鮮明な高音質も見事という他はない。

ただ、DSDマスタリングをするのであれば、これだけの素晴らしい超名演であるだけに、SACD盤で発売して欲しかったと思うクラシック音楽ファンは筆者だけではあるまい。

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classicalmusic at 21:07コメント(2)ブラームス朝比奈 隆 

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まだ遺されていた! ホロヴィッツが得意とし、何度も演奏した2大ピアノ協奏曲の超名演。

収録の2曲は、ライナーノーツにも書いてある通り、ホロヴィッツが「武器」にしてきた曲。

それだけに、多くの録音が遺されている。

チャイコフスキーであればトスカニーニとの演奏が有名だし、ワルターとの爆演もあるが、個人的にはセルとのニューヨーク録音が「最強(狂?)」だと思っている。

ラフマニノフはコーツ、ライナー、オーマンディ、それからメータ(映像付き)とあって、晩年のオーマンディとの録音の「妖気」はホロヴィッツならではだ。

「では、この盤の存在価値がどこにあるのか」というのがポイントだろうが、はっきり申し上げて、価値は大ありなのだ。

特にラフマニノフが凄く、全盛期のホロヴィッツが突っ走る。

この曲の場合、極めて叙情的でありながら、途轍もなくスポーティー、という矛盾する要素をどうやって弾き切るのかが難しいところ。

ホロヴィッツの場合、音を出すだけで艶やかな空気に包まれるが、その空気のままに、指は走り続けるのだ。

「走る演奏」といえば、プラッツ&バティス盤も思い浮かぶが、あそこでは最初から「やってやるぞ」という気合いをびんびんに漂わせながら、前のめりに進んでいく。

ホロヴィッツの場合、搭載している「エンジン」が超大型なので、もっと余裕綽々に、自分と伴奏のオーケストラを追い込んでいく。

ライヴ録音だと、最後で疲れが見えたり、崩壊したりということも少なくないが、ここでは「ぶっ壊れながら」も整然と終わる。

このあたり、バルビローリの「伴奏勘」に感心するしかない。

チャイコフスキーは、残されたホロヴィッツの演奏の中で「最上級」ではないかもしれないが、強烈な演奏であることには変わりはない。

もちろん、ここでもバルビローリは引き離されずに頑張っている。

音質はこの年代(1940-1941)を考えても芳しいとは言えないが、そんなことを考えられるのも、ピアノが入るまでのほんの数秒の間だけだろう。

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classicalmusic at 14:17コメント(0)ホロヴィッツバルビローリ 

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作曲者と指揮者を結ぶ「絆」の強さを音で聴かせる名盤だ。

R.シュトラウスは交響詩《英雄の生涯》をオランダの名指揮者で、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を一代で世界屈指の名門オーケストラに育成したウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)と彼のオーケストラに捧げている。

R.シュトラウスは「若々しい心と情熱にあふれ、しかも練習熱心な」指揮者とオーケストラの賛美者であり、たびたび客演もしていたのだが、自画像のような名作を捧げることで友情と賛美の証としたのである。

R.シュトラウスの「超絶技巧のオーケストレーション」とも言える煌びやかな音響の「超絶」を統率するのは当時の指揮者にとっては至難の業であったが、複雑なスコアを楽に紐解くことができ、大音響を好んだメンゲルベルクにとって、R.シュトラウスの作風はまさに望むところであった。

すぐにメンゲルベルクはこの作品を指揮するようになり、彼の技術と作品との最高のコンビネーションの証拠がこのCDにもあらわれているが、アムステルダムでは他の指揮者が採り上げることを許さなかったというから偉かったのである。

そんな演奏を聴いたR.シュトラウスは芳醇さと優雅さを絶賛しながらも、さらにより鋭利なアクセントと活力、そして荒々しさも求めたというから面白い。

全盛期を謳歌していたメンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は1941年に《英雄の生涯》を録音しているが、芳醇さと鋭さ、優雅さと荒々しさに加えて、惚れ惚れとするばかりの巧さを加味、記念碑的名演としている。

隅から隅まで作品を知り尽くした指揮者とオーケストラが、愛情と責任感とを背景に歌い上げた熱演であると同時に、トランペットなどソロをとる首席奏者たちの素晴らしさが際立っており、どこか風格すら感じてしまうほどである。

作曲者が求めていた理想の作品の姿がこうした名演で残されたことは値千金の価値を持つ。

SP録音ながら信じ難いサウンドの優秀さにも驚かされるし、名ホールのアコースティックまでもが味わえるのも奇跡のようである。

これを聴いてしまうと、その後のオーケストラは本当に成長し、発展したのかと、しばし考え込むことにもなりかねない。

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classicalmusic at 08:11コメント(0)R・シュトラウスメンゲルベルク 

2022年08月18日


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モーツァルト「プラハ」のワルターの演奏は造型的にも、細部の表情づけの点でも、すでに4年後のコロンビア盤の解釈を先取りしているが、あの演奏にオーケストラの張り切った厚みと、ワルターの若々しさをつけ加えた感じである。

それにしてもワルターのほとばしり出るように燃え立つエネルギーは、いかに実演とはいえ、まさにすばらしい。

フランスの会場は一体に残響に乏しく、オーケストラの音色にも艶がないが、聴いているうちに、その生々しさがかえって長所に思われてくる。

第1楽章の導入部からして、きりりと引き締まったテンポとリズムで素朴な表現を見せ、しかもその中でやりたいことをやりつくしており、表面的な洗練への意志は全くない。

ヴィブラートをいっぱいにかけた歌は、オーケストラがワルターの指示を、一生懸命に守っている感じだが、主部に入ると、非常なスピードとなる。

コロンビア盤も他の指揮者に比べれば速いほうだが、それさえ遅く思われるほどこれは速く、おそらくシューリヒトに匹敵するだろう。

その速いテンポによる生命力は、徹底的に歌いぬかれる旋律美によってさらに輝きを増し、第2主題でぐっとテンポを落とすロマンティシズムと共に、ワルターの「プラハ」を聴く醍醐味がここにある。

第2楽章も速めのテンポで、いささかも繊細ぶらず、思い切って旋律を豊麗に歌う。

美しさのかぎりであり、われわれは音楽に身を任し、ただただ陶酔するのみである。

しかも歌いぬくだけでなく、そこに胸がときめくような、えもいわれぬたゆたいが見られる。

フィナーレはその異常な速さ(シューリヒトよりさらに速い)に驚かされる。

オーケストラが合わないくらいのテンポだが、ことによると舞台に立ったワルターが、内部から突き上げてくる情熱によって、即興的にこのテンポを採ったのかも知れない。

実にスリル満点、誰しもが興奮を禁じ得ないであろう。

「ジークフリート牧歌」はワルターの数多い録音の中で最も魅力あるものの一つ。

それは弦の響きや音色にライヴならではの生々しい人間味があり、それを放送局のマイクが十二分にとらえているからである。

ワルターのこの曲への愛情がいたるところにみなぎっている。

造型的にも若いころほど逸脱せず、後のコロンビア盤ほどとりすましてもいない。

フランスのオケはホルンやトランペットが軽すぎるとはいえ、オーボエとクラリネットのデリケートな敏感さはさすがにセンス満点だ。

ブラームスの交響曲第2番には、いちいち採り上げるまでもなく、自分の好んでいるディスクがたくさんある。

この曲には、いつも皮肉や毒舌しか口から出てこないブラームスと違って、終始機嫌が良く、朗らかな作曲家の姿が映し出されているが、それにぴったりと合っているのが、このワルター&フランス国立放送管盤である。

ワルターの指揮は燃えるような情熱でオーケストラを引っ張っているが、オーケストラ側は引っ張られているというよりも、ワルターの音楽を完全に自分たちの響きとして消化吸収し、それを思い切り発散している。

これは指揮者とオーケストラの、ある意味では理想的な形であろう。

それに、オーケストラ全体の明るめの色調もこの曲にはふさわしい。

第1、第2楽章あたり、ワルターならではの幻想的な魅力にあふれた部分は多々あるが、それにしても凄いのはフィナーレで、このディスクの最大の聴きどころであろう。

恐ろしいくらいの超スピードなのだが、フルトヴェングラーやミュンシュのような暑苦しさや危険なスリルというものはなく、ひたすら爽快である。

スピード感も熱気もことによるとニューヨーク・フィル盤を上回り、コーダはいよいいよ燃え立って実演ならではの灼熱を見せるのである。

このときワルターは78歳だが、それを考慮すると信じがたい若々しさであり、最盛期のような名演と言っても過言ではあるまい。

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classicalmusic at 21:51コメント(0)ワルターブラームス 

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1996年5月の「プラハの春」音楽祭のオープニングは、初めてチェコ、スロヴァキア人以外で登場し、チェコ国民の聖典のようなこの曲の演奏を、ロジャー・ノリントンらイギリス人に任せて大成功を収めた。

当盤は、その直後のロンドンで収録されたスタジオ録音であるが、本番の演奏同様に、冒頭に「チェコ国歌」が収録されている。

後期ロマン派の作品を以前から取り上げていたノリントンではあるが、ピリオド楽器のオーケストラで、版の見直しもあり、極めて刺激的な演奏となった。

今までどちらかというと情感たっぷり、思いっ切りロマン派な演奏が良しとされてきた「わが祖国」。

しかし、今や歴史的名演となった半世紀前のターリッヒやアンチェルの演奏は、後の録音に比べると驚くほど飾り気が少ない。

100年前の楽器、100年前の編成を用いたこの録音は単なる懐古趣味ではなく、「わが祖国」が本来持つ繊細さ、深い情感の世界に我々を誘ってくれる。

個々の楽器の音色も流麗で、民族色のある国民楽派と呼ばれる時代の音楽には、こうした爽やかにして深みのあるピリオド楽器の音色が合うのかもしれない。

オケのアンサンブルも精緻であり、標題音楽として情景が流れるように伝わってくる。

これを聴けば、新たな再発見があるはずで、熱に浮かれぬ清新な演奏を、このCDで確かめてみることをお薦めしたい。

音質も1996年のスタジオ録音ということもあって、鮮明で優秀なものである。

なお、当ディスクの解説によれば、ザ・ロンドン・クラシカル・プレイヤーズは1997年初めに解散したという。

ということで、これは、この団体最後のディスクということになったそうである。

ノリントン自身もこれから現代楽器(主にシュトゥットガルト放送響)を用いた演奏に傾斜していくことになる。

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classicalmusic at 17:12コメント(0)スメタナ 

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1953年3月6日(ブルックナー)、1950年4月29日(ワーグナー)、シュトゥットガルト=デゲルロッホ・ヴァルトハイムでのライヴ。

いずれも1950年代初期のライヴ録音で、ブルックナーは以前海賊盤(筆者も所有)で出ていたが、これが初の正規盤である。

演奏はシューリヒトらしい名演だ。

有名なハーグ・フィル盤に通じる、流麗にして無駄のない、引き締まった演奏のブルックナーの交響曲第7番に、緊迫感にあふれ、推進力のあるワーグナーと、どちらも魅力満点の演奏内容だ。

残響が付加されており、やや擬似ステレオ風だが、その分聴きやすい。

ブルックナーの第7番は、特に後半の2楽章に説得力がある。

あからさまなアゴーギクをせず、基本的にはインテンポで颯爽としていて爽やか。

それでいて、味わい深さもなかなかのものだ。

前半の2楽章は、テンポが速く流動性が強い。

しかし、この盤の聴きものは「トリスタン」の2曲であり、よくぞこんな録音が残っていたものだ。

これほど熱いパッションと情感に溢れ、且つノーブルな演奏はそうないと思える。

録音はブルックナーより古いが、音自体は上回っている。

端的に言えば、ブルックナーは「すばらしい」で、ワーグナーは「最高」。

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classicalmusic at 09:10コメント(0)シューリヒトブルックナー 

2022年08月17日


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20世紀最後の巨匠、サー・ゲオルグ・ショルティが亡くなる直前の最後のコンサートを収録したもので、曲目はマーラーの交響曲第5番。

これが最後の録音となるそうだが、不思議な運命を感じる。

まず、オーケストラがチューリヒ・トーンハレ管弦楽団であるが、このオーケストラはショルティがデッカと契約して最初の録音を行ったオーケストラ(1947年のこと)だということがまず一つ。

そして、ショルティがシカゴ交響楽団と最初に録音した曲もマーラーの交響曲第5番(1970年のこと)だったことがもう一つ。

さらに言えば、ショルティが世界大戦時を過ごしたスイスで最後の録音となったことにまで運命的なものを感じてしまう。

演奏を聴いての感想だが、この巨匠は最後まで見事に自分のスタイルを貫いたのだな、ということがよくわかる。

チューリヒ・トーンハレ管弦楽団と言えば軽妙・清澄な響きが特長の伝統あるオーケストラであるが、シカゴ交響楽団と比べたとき、その力量では分が悪いのは否めない。

しかし、ショルティはこのオーケストラからも卓越したドライヴで「ショルティ・サウンド」を引き出したと言えよう。

それは枯淡の境地でも老境の熟達でもなく、まさにショルティの純粋な音楽への信念そのものの結晶のように感じられた。

そういった点では、むしろ1990年にシカゴ交響楽団とライヴで録音したものより、この録音の方が若々しい萌芽と明確な方向性を感じるのは、オーケストラとの新鮮な顔合わせからだろうか。

金管の膂力の伝わる張りのある音色はまさにショルティならではで、やや速めのインテンポで聴き手を引っ張る推進力も見事。

衰えを感じさせないどころか、時計が早まるかのような求心力にはなぜか「若さ」を感じてしまう。

そのショルティの力の源は何処から来たのだろうか。

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classicalmusic at 23:20コメント(0)ショルティマーラー 

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ノイマンは、ドヴォルザークの交響曲全集を2度完成させるとともに、交響曲第7番〜第9番については、全集以外にも何度も録音している。

いずれの演奏も、ノイマンの温厚篤実な性格があらわれた情感豊かな名演であるが、一般的には、2度目の交響曲全集や、ポニーキャニオン(現在は、エクストンから発売)に録音した第7番〜第9番、そして、ドヴォルザーク生誕100年を記念した第9番あたりの評価が高い。

それ故に、1度目の交響曲全集の旗色が悪いが、それでも尋常ならぬ完成度の高さがあり、まさにノイマン自家薬朧中の至芸である。

本盤は、その旧全集から、第7番と第8番を収めているが、筆者としては、後年の名演にも優るとも劣らない名演と高く評価したい。

全体的に格調の高い情感の豊かさを保っている点は、後年の名演と同様の傾向ではあるが、ここには、後年の名演には見られない若々しい生命力と引き締まった独特の造形美がある。

誇張を排した純正で格調高い表現の中に、豊かな民族的情感が滲み出ており、また後年の演奏にないきりりとした若々しさがある。

極めてオーソドックスな演奏だが、緻密に譜読みして真摯に演奏することが本当の意味での(=ドヴォルザークが表現したかった)「民俗」を奏でる唯一の手段であり、嚊めば嚊むほど味が出てくる模範的な表現だ。

両曲とも最後まで緊張が緩むことがなく、このドヴォルザークの傑作を最も精確に堪能できる素晴らしい名演奏だ。

手兵のチェコ・フィルも、そうしたノイマンとともに最高のパフォーマンスを示しており、この時代のチェコ・フィルの古雅な音色美も絶品。

これぞ正調ドヴォルザークの決定盤と言いたい。

本盤は、Blu-spec-CD盤であるが、従来盤と比較してさらに鮮明度がアップしており、ノイマンの若き日の名演を高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 14:46コメント(0)ドヴォルザークノイマン 

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ブーレーズによるベルリオーズの幻想交響曲と言えば、「レリオ、または生への回帰」との組み合わせで話題となったロンドン交響楽団との旧盤(1967年)の衝撃が今でも忘れられない。

この当時のブーレーズは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(1969年)やバルトークの管弦楽のための協奏曲(1973年)など、前衛的な名演の数々を成し遂げていた時期であり、幻想交響曲においてもその斬新な解釈が聴き手の度肝を抜いたものであった。

しかしながら、そのような前衛的なブーレーズも、1990年代に入ってDGに様々な楽曲を録音するようになると、すっかりと好々爺となり、大人しい演奏が増えるようになってきた。

もっとも、スコアリーディングについてはより追求度が上がったとも言えるところであり、そのアプローチは更に精緻さを増したとさえ言えるところだ。

本盤に収められた幻想交響曲においても、ブーレーズによる精緻なアプローチは際立っている。

細部の一音に至るまで蔑ろにすることがない精緻さは、あたかもスコアをレントゲンで撮影するかのような精巧さであり、これまでの演奏では聴き取れなかったような音型さえ聴こえてくるほどである。

それでいて、単なるスコア至上主義には陥っておらず、どこをとっても情感の豊かさに満ち溢れているというのは、まさにブーレーズの円熟の至芸と言えるところである。

いずれにしても、本演奏はブーレーズの新境地を体現した素晴らしい名演と高く評価したい。

併録は、今回は「レリオ、または生への回帰」ではないが、「トリスティア」もブーレーズならではの非常に考え抜かれた精緻な名演に仕上がっている。

クリーヴランド管弦楽団の卓抜した技量も、このような精巧な演奏に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

クリーヴランド管弦楽団合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって、さらに音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

ブーレーズによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 06:09コメント(0)ベルリオーズブーレーズ 

2022年08月16日


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近年、我が国出身の若手女流ヴァイオリニストが世界各国の有名コンクールで優勝する等の華々しい活躍をしている。

例えば、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した諏訪内晶子(その後、神尾真由子が続く)をはじめ、パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて史上最年少で優勝した庄司沙耶香など、雨後の竹の子のように数多くの若き才能あるヴァイオリニストが登場してきている。

もっとも、彼女たちに共通しているのは、デビュー後数年間は華々しい活躍をするが、その後は影の薄い存在に甘んじてしまっているということだ。

諏訪内晶子にしても、近年では相次ぐスキャンダルによって新譜すら殆ど発売されていない状況に陥っているし、庄司沙耶香にしても最近での活躍はあまり聞かれないところだ。

神尾真由子なども今後どのように成長していくのかはわからないが、クラシック音楽の受容の歴史が浅い我が国の若手女流ヴァイオリニストが普遍的に世界で活躍するような土壌は、未だに肥沃なものとなっていないと言えるのではないだろうか。

五嶋みどりは、特にコンクールなどでは取り立てた受賞歴はないが、14歳の時のバーンスタインとの伝説的なコンサートで一躍世界に知られる存在となったところだ。

その後は、1990年代から2000年代の前半にかけて、世界の一流指揮者、オーケストラとともに各種の協奏曲等の録音を行うなど、華々しい活躍を行っていたが、最近では、他の若手女流ヴァイオリニストと同様に活動ややや低調になり、最近ではパウル・ヒンデミット作品集の新譜が出て、新境地を拓いたかのようにみえたが、クラシック音楽ファンの反応は今一つ。

新譜の数自体が激減している昨今のクラシック音楽界の現状に鑑みれば、致し方がない面もあろうかとも思うが、五嶋みどりにしても、かつての輝きを今後も維持できるのかどうか、大きな岐路に立っていると言っても過言ではあるまい。

かつての伝説的なコンサートはもはや遠くに過ぎ去った過去の話であり、五嶋みどりが今後も円熟の大ヴァイオリニストとして末永く活躍していただくことをこの場を借りて祈念しておきたいと考える。

それはさておき、本盤に収められたシベリウスのヴァイオリン協奏曲とブルッフのスコットランド幻想曲は、五嶋みどりが輝いていた時代の素晴らしい名演だ。

五嶋みどりのヴァイオリンは、もちろん技量においても何ら問題はないが、巧さを感じさせないところが素晴らしいと言える。

要は、楽曲の美しさだけが聴き手に伝わってくるような演奏を心掛けていると言えるところであり、加えて、畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っているのが素晴らしい。

あたかも実演であるかのような、五嶋みどりの体当たりとも言うべき渾身の、そして楽曲の美しさを際立たせた演奏は、我々聴き手の感動を誘うのに十分であり、このような力強い名演奏を聴いていると、あらためて五嶋みどりの卓越した才能を感じることが可能だ。

一部の女流ヴァイオリニストにありがちな線の細さなどは微塵もなく、どこをとっても骨太のしっかりとした構えの大きい音楽が鳴り切っているのが見事である。

このような堂々たる五嶋みどりのヴァイオリンを下支えしているのが、メータ&イスラエル・フィルによる名演奏である。

メータは、今や現代を代表する大指揮者の1人であるが、本演奏でも五嶋みどりのヴァイオリンをしっかりとサポートするとともに、イスラエル・フィルを巧みに統率して、重厚な装いの中にも両曲に込められた美しい旋律の数々を感動的に歌い抜いているのが素晴らしい。

音質は1993年のスタジオ録音であり、今般、DSDマスタリングを施した上でのルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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classicalmusic at 18:20コメント(0)シベリウスメータ 

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クナは極端にレパートリーが偏っており、お気に入りの曲ばかりを繰り返し取り上げた。

ワーグナーとブルックナーが支柱であり、シュトラウス一家のワルツとブラームスにR.シュトラウスを加えるとディスコグラフィーがほぼ完成する。

ブルックナーの第4番は1944年バーデン・バーデンでの演奏記録だが、当時の放送録音としては音質が非常に良い。

戦時中の録音だが、当時最先端を誇ったドイツ帝国の磁気テープによる驚異的な音質で名演を堪能出来る。

クナによる第4交響曲の録音では、ウィーン・フィルを指揮したデッカ録音が最高の出来だが、このベルリン・フィル盤も遜色のない見事な演奏で、流麗な美しさは後年のデッカ録音にも匹敵する。

そして当盤の尽きることのない最大の魅力はオーケストラにある。

クナは、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルから劇的で動的な機能美を存分に引き出しており、音楽が弛緩するようなことは一切ない。

戦時中のベルリン・フィルが奏でる滴るような音色が素晴らしい当盤は、表現こそ中庸だが、哀感漂う響きが心憎い名演である。

特にベルリン・フィルの暗い情熱を秘めた弦楽合奏の神秘的な美しさは実に素晴らしい。

ベルリン・フィルは折しもフルトヴェングラー時代の荘重で黒光りする響きを放っており、時に見せる思索的な音楽は、ブルックナーの交響曲たるものがドイツ精神を離れては理解出来ないことをそれとなく示してくれる。

クナの常で改訂版を使用しての演奏である。

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classicalmusic at 07:55コメント(0)ブルックナークナッパーツブッシュ 

2022年08月15日


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1954年3月21日 カーネギー・ホールに於けるステレオ録音。

同年のワーグナーの管弦楽曲集の録音と共に最晩年のトスカニーニが残した数少ないステレオ録音である。

トスカニー二はファシズムに反対して故国イタリアを飛び出したせいか、連合国側のロシアの作曲家を積極的に取り上げていたが、意外にチャイコフスキーが少ないようだ。

交響曲では「悲愴」と「マンフレッド」だけがトスカニーニの取り上げた曲であった。

しかし、トスカニーニの「悲愴」を聴くと、トスカニーニがどうしてチャイコフスキーを敬遠していたのか何となく分かる気がする。

トスカニーニはチャイコフスキーを甘い旋律を書くセンチメンタルな作曲家というイメージで見ていたのかも知れない。

トスカニーニは曲全体を速めのテンポで通し、第1楽章の甘い第2主題も実にアッサリと流している。

情感たっぷりに歌いあげるのをわざと避けているように聴こえる。

しかし、それは無味乾燥というのではなくて、むしろ旋律自体が十分に甘いので、その甘さがほど良く残るという感じだ。

その一方で激しい情熱的な部分での凄まじさも比類がなく、オケに一糸の乱れもなく厳しささえ感じられる。

その意味で、第3楽章は最大の聴きものになっている。

第4楽章も普通の指揮者が振るような哀しみのなかに沈滞していくような音楽ではなく、むしろ再生か希望が期待されているかのように力強いのだ。

実にトスカニーニらしいと言えるが、この厳しい造形の「悲愴」は、この曲の別の一面を見るようで強い説得力を感じる。

文学的な表現にこだわらず、ひたすら音楽的な要素を厳しく掘り下げたユニークな解釈と言えよう。

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classicalmusic at 17:38コメント(0)トスカニーニチャイコフスキー 

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全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の凄さを味わうことができる圧倒的な超名演だ。

セル&クリーヴランド管弦楽団は、「セルの楽器」とも呼称されるほどの鉄壁のアンサンブルを誇った名演奏の数々を展開した稀代の黄金コンビであった。

すべての楽器セクションがあたかも一つの楽器のように聴こえるという精緻にしてまさに完璧な演奏の数々を繰り広げていたのである。

もっとも、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、とりわけ1960年代の半ば頃までの演奏にはそうした演奏があまた散見されていた。

もっとも、理由はよくわからないが、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽、そして独墺系の作曲家の中ではとりわけシューマンの音楽については、1960年代後半以降の最晩年の演奏において垣間見せた、情感豊かで柔軟性のある円熟の名演の数々を披露していた。

特に、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、深い愛着と理解を有していたと言えるのかもしれない。

本盤に収められたドヴォルザークのスラヴ舞曲全集も、実に素晴らしい圧倒的な超名演だ。

いずれの楽曲も一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した、まさに完全無欠の演奏を展開しており、おそらくはオーケストラ演奏としてパーフェクトなものとさえ言えるだろう。

それでいて、1962〜1965年にかけての演奏であるが、この時期のセルの欠点でもあったある種のメカニックな冷たさなどはいささかも感じさせず、どこをとってもチェコの民族色溢れる豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。

ドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の名演としては、クーベリック&バイエルン放送交響楽団による演奏(1973〜1974年)や、ノイマン&チェコ・フィルによる2度目の演奏(1985年)などが掲げられるが、本盤のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏も、これらの名演に肉薄する圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質は、1960年代のスタジオ録音であるものの、従来盤でも比較的良好な音質であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏の凄みを味わうには十分な音質である。

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classicalmusic at 07:58コメント(0)ドヴォルザークセル 

2022年08月14日


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フルトヴェングラーによる「エロイカ」については、かなり多くの録音が遺されており、音質面を考慮に入れなければいずれ劣らぬ名演であると言えるが、ウィーン・フィルに限れば最高峰の名演は本盤に収められた「ウラニアのエロイカ」(1944年)と1952年のスタジオ録音であるというのは論を待たないところだ。

1952年盤が荘重なインテンポによる彫りの深い名演であるのに対して、本盤の演奏は、いかにも実演のフルトヴェングラーならではのドラマティックな名演である。

第1楽章からして、緩急自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、そして大胆なアッチェレランドを駆使するなど、これ以上は求め得ないようなドラマティックな表現を展開している。

第2楽章の情感のこもった歌い方には底知れぬ深みを感じさせるし、終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力は、我々聴き手の肺腑を打つだけの圧倒的な迫力を誇っている。

このように、本演奏と1952年盤は同じ指揮者による演奏とは思えないような対照的な名演であるが、音楽の内容の精神的な深みを徹底して追求していこうというアプローチにおいては共通している。

ただ、音質が今一つ良くないのがフルトヴェングラーの「エロイカ」の最大の問題であったのだが、1952年盤については、EMIがSACD化を行ったことによって信じ難いような良好な音質に蘇ったところであり、長年の渇きが癒されることになった。

他方、本演奏については、これまではオーパスによる復刻盤がベストの音質であったが、1952年盤がSACD化された今となっては、とても満足できる音質とは言い難いものがあった。

ところが、次にターラレーベルによるSACD化によって、さすがに1952年盤ほどではないものの、オーパスなどのこれまでの復刻CDとは次元の異なる良好な音質に生まれ変わったところであり、筆者もこれこそが「ウラニアのエロイカ」の決定盤として愛聴してきたところだ。

しかし今般、アルトゥスレーベルから、フルトヴェングラー復刻競争にとどめをさすかのような、レーザーによる非接触方式(エルプ)による画期的復刻で、かつてない鮮度と驚きの音質のディスクが登場した。

1940年代の録音にもかかわらず、ダイナミックレンジの広さからして他盤の追随を許さず、フルトヴェングラーの極限のピアニッシモまでもが体感できる。

一例を挙げれば、葬送行進曲の最後のピアニッシモの空気感まで再現し、まるで幻のマスターテープを聴くかのようだ。

いずれにしても、「ウラニアのエロイカ」を現在求め得る最高音質CDで聴くことができる喜びを大いに噛み締めたい。

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classicalmusic at 20:22コメント(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

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本盤に収められた小澤&ボストン交響楽団によるレスピーギのローマ三部作は、私見ではあるが知る人ぞ知る名演であると考えている。

というのも、レコード芸術誌などにおける著名な音楽評論家の評価があまりにも低いからだ。

レスピーギのローマ三部作の過去の名演としては、古くはトスカニーニ&NBC交響楽団による超弩級の名演(1949年、1951年、1953年)や、近年ではムーティ&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1984年)など、いわゆるイタリア系の指揮者による名演が幅を利かせている。

他方、レスピーギの華麗な管弦楽法の魅力を存分に表現したオーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1973〜1974年)や、交響詩「ローマの祭り」を欠いているという致命的な欠陥があるものの、カラヤン&ベルリン・フィルによる素晴らしい名演(1977年)なども存在している。

このような海千山千の大指揮者や個性的な名指揮者による名演の中にあって、存在価値のある演奏を遺すことは至難の業なのである。

そうした意味においては、本盤に収められた演奏は、若干影の薄い存在であると評価されても致し方がないのかもしれない。

しかしながら、本演奏全体に漲っている若き小澤ならではの強靭な気迫、そして、これは他のいかなる名演をも凌駕していると筆者としては考えるところである。

いわゆる日本人的な繊細さは、レスピーギによる華麗な中にも精緻さを誇る管弦楽法を見事に紐解くのに大きく貢献しており、本演奏の魅力を最大限に引き出すのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

小澤がボストン交響楽団の音楽監督に就任したのは1973年であり、本演奏が1977年のものであることに鑑みれば、4年目のシーズンに入った時のもので、まさに、小澤がボストン交響楽団を掌握し始めた頃のものである。

モントゥーやミュンシュとの数々の名演では名高い存在であると言えども、ボストン交響楽団は必ずしも一流の存在としては見做されないオーケストラかもしれない。

それでもこれだけの見事な名演奏を繰り広げたのは大いに賞賛に値するし、むしろ、小澤の圧倒的な統率力の賜物と言っても過言ではあるまい。

こうした知る人ぞ知る名演が、これを機に真価のベールを脱ぐ結果となることを願ってやまないところだ。

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classicalmusic at 13:59コメント(0)レスピーギ小澤 征爾 

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バーンスタインによる晩年の演奏はその殆どが濃厚さの極みであり、時として異様に遅いテンポをとるなど大仰な表現が数多く散見されるところだ。

かつてのニューヨーク・フィル時代のヤンキー気質丸出しの爽快な演奏からすると、まるで人が変わったような変容ぶりである。

したがって、バーンスタインの晩年の演奏ほど賛否両論がある演奏はないのではないだろうか。

私見を申し上げれば、このようなバーンスタインによる晩年の演奏には苦手なものが多く、例えばドヴォルザークの交響曲第9番、チャイコフスキーの交響曲第6番、シベリウスの交響曲第2番など、とても聴くに堪えない場違いな凡演に成り下がっているとも考えている。

しかしながら、そのような晩年のバーンスタインが素晴らしい名演を成し遂げた楽曲がある。

それがマーラーの交響曲・歌曲であり、そしてもう一つが本盤に収められたシューマンの交響曲・協奏曲である。

このうちマーラーについては、もはや論ずる必要はないだろう。

変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使してドラマティックの極みとも言うべき演奏を展開しており、あたかもバーンスタインがマーラーの化身と化したような、他の追随を許さない超名演の数々を成し遂げていた。

そして、シューマンについてであるが、バーンスタインの指揮するドイツ音楽は雄弁ではあるが薄味のものが少なくない。

名演と評価し得るものもないことはないが、それはウィーン・フィルの魅力的な美演に起因するものであると言えなくもない。

しかしながら、シューマンに関しては、ウィーン・フィルによる魅力的な美演に関わらず、交響曲にしても協奏曲にしても素晴らしい名演に仕上がっていると言えるだろう。

その理由はよくわからないが、バーンスタインがシューマンの楽曲の根底に潜む心の病巣や絶望感のようなものに、マーラーの交響曲と通底するものを感じ取っていたのかもしれない。

このように、本盤に収められた演奏はいずれもバーンスタインならではのドラマティックとも言うべき名演なのであるが、マーラーの場合とは異なり、各曲の演奏史上最高の名演とは言えないということに留意する必要がある。

交響曲第1番であればクレンペラー&フィルハーモニア管(1965年)、第2番であればシノーポリ&ウィーン・フィル(1983年)、第3番はシューリヒト&パリ音楽院管(1953年)又はジュリーニ&ロサンゼルス・フィル(1980年)、第4番はフルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1953年)が随一の名演であり、マイスキーが渾身のチェロ演奏を披露するチェロ協奏曲を除いてベストワンの名演とは言い難いが、最大公約数的には優れた名演集と高く評価したい。

録音は、従来CD盤でも十分に満足できる音質と言えるが、数年前に発売されたSHM−CD盤が現時点ではベストの音質である。

SHM−CD盤は現在でも入手可能であり、今後購入される方には是非ともSHM−CD盤をお薦めしたい。

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classicalmusic at 04:41コメント(0)シューマンバーンスタイン 

2022年08月13日


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様々な意見はあろうかとも思うが、アルゲリッチこそは史上最高の女流ピアニストと言えるのではないだろうか。

かつてのリリー・クラウスやクララ・ハスキル、近年では、ピリスや内田光子、メジューエワ、グリモー、アリスなど、綺羅星のごとく輝く女流ピアニストが数々の名演を遺してはいるが、それでもアルゲリッチの王座を脅かす存在はいまだ存在していないのではないかと考えられる。

2013年5月末に発売されたオリヴィエ・ベラミー著の「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」によると、アルゲリッチは日本、そして日本人を特別に愛してくれているということであり、我が国において数々のコンサートを開催するのみならず、別府音楽祭を創設するなど様々な活動を行っているところだ。

アルゲリッチには、今後も様々な名演を少しでも多く成し遂げて欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。

本盤には、アルゲリッチが1960年代にスタジオ録音したショパンの有名曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演だ。

いずれの演奏においても、ショパン国際コンクールの覇者として、当時めきめきと頭角をあらわしつつあったアルゲリッチによる圧倒的なピアニズムを堪能することが可能である。

アルゲリッチのショパンは、いわゆる「ピアノの詩人」と称されたショパン的な演奏とは言えないのかもしれない。

持ち前の卓越した技量をベースとして、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅広さを駆使しつつ、変幻自在のテンポ設定やアッチェレランドなどを織り交ぜて、自由奔放で即興的とも言うべき豪演を展開している。

ある意味では、ドラマティックな演奏ということができるところであり、他のショパンの演奏とは一味もふた味もその性格を大きく異にしているとも言えるが、それでいて各フレーズの端々からは豊かな情感が溢れ出しているところであり、必ずしも激情一辺倒の演奏に陥っていない点に留意しておく必要がある。

そして、アルゲリッチのピアノ演奏が素晴らしいのは、これだけ自由奔放な演奏を展開しても、いささかも格調の高さを失うことがなく、気高い芸術性を保持しているということであり、とかく感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥りがちなショパン演奏に、ある種の革新的な新風を吹き込んだのではないだろうか。

そのような意味において、本盤の演奏は、今から50年以上も前の録音であるにもかかわらず、現在においてもなお清新さをいささかも失っていないと評価したい。

音質については、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって、UHQCD盤も十分に良好な音質である。

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classicalmusic at 19:44コメント(0)ショパンアルゲリッチ 
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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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