2022年08月

2022年08月13日


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ホロヴィッツのレパートリーはかなり独特な広がりを見せていた。

ホロヴィッツによって初めてピアノのレパートリーとして広く認知された作品は、スカルラッティをはじめ、数多いが、クレメンティもそのひとり。

ホロヴィッツはスカルラッティやハイドンとともに、クレメンティのソナタに新風を吹き込んだ人といってもよい。

「教育用」のソナチネの作曲家というクレメンティのイメージを覆し、芸術作品として20世紀に蘇らせたのがホロヴィッツだった。

1955年録音の3曲を中心に収められているが、その明快で見事な音楽的息づきを感じさせる演奏は、クレメンティの音楽を見直させる。

クレメンティのソナタはホロヴィッツが弾き始めたおかげで市民権を得たような一面がある。

確かに平凡な演奏では味わえないような、豪快にして小気味のよい音楽として聴き手に迫ってくる。

彼ならではの桁違いの技巧と音楽性からこそ生み出されるのだ。

クレメンティ独特の極端な強弱法や煌びやかなパッセージ・ワークが、超人的な速さと力強さをもったホロヴィッツの華麗なピアノ奏法によって浮き立っている。

ヴィルトゥオーゾがクレメンティを弾くということは、何か理解しがたい部分があるかもしれないが、このホロヴィッツの演奏を聴くと、ヴィルトゥオーゾが弾くからこそ、それが面白いのだということを認識させてくれる。

クレメンティの本質も、時代こそ違うがヴィルトゥオーゾであったのだ。

その明快な演奏は大いに楽しめるが、クレメンティについては、他のディスクの中にもそれを含むものを見つけることができる。

いまやオリジナル楽器で演奏されることも多いクレメンティだが、ホロヴィッツのピアノによる演奏は「古典」の地位をキープし続けている。

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classicalmusic at 13:48コメント(0)ホロヴィッツ 

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1990年11月30日 ムジークフェラインザール、ウィーンに於けるライヴ録音。

ショルティ&シカゴ響のヨーロッパ・ツアーの際にムジークフェラインザールで行われた演奏会のライヴ録音。

ショルティは20世紀後半を代表する指揮者の一人であるが、我が国の音楽評論家の間での評価は実力の割に極めて低いと言わざるを得ない。

先般、お亡くなりになった吉田秀和氏などは、数々の著作の中で、公平な観点からむしろ積極的な評価をしておられたと記憶している。

しかしながらヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評している未だに影響力の大きい音楽評論家をはじめ、ショルティを貶すことが一流音楽評論家の証しと言わんばかりに、偏向的な罵詈雑言を書き立てる様相ははっきり言っておぞましいと言うほかはないところだ。

ニキシュは別格として、ライナーやオーマンディ、セル、ケルテスなど、綺羅星の如く登場したハンガリー人指揮者の系譜にあって、ショルティの芸風は、強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

そうした芸風でシカゴ交響楽団を鍛え抜いた力量は、先輩格のライナー、オーマンディ、セルをも凌駕するほどであったと言えよう。

もちろん、そうした芸風が、前述のような多くの音楽評論家から、無機的で冷たい演奏との酷評を賜ることになっているのはいささか残念と言わざるを得ない。

確かに、ショルティの芸風に合った楽曲とそうでない楽曲があったことについて否定するつもりは毛頭ない。

少なくともショルティの演奏の全てを凡庸で無内容の冷たい演奏として切って捨てる考え方には全く賛同できない。

ショルティの芸風に合った楽曲は多いと思うが、その中でも最右翼に掲げるべきなのは何と言ってもマーラーの交響曲と言えるのではないだろうか。

当盤はマーラーを愛し続けてきた偉大な指揮者による、記念碑的名演だ。

第1楽章から張り詰めた力感で聴き手を説得させ、第2楽章はよい意味での中庸を得ており、スケルツォ楽章のアンサンブルと密度の高い表情も特筆したい。

第4楽章も豊かな共感が波打つように示され、フィナーレはまさに誠実そのものの表現だが極めて説得力が強く、最後の高潮も壮大きわまりない。

加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事である。

まさにショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 07:51コメント(0)マーラーショルティ 

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天武天皇はそれまでに伝えられていた史実に誤りが混入したまま将来に遺すことに危機を感じ、まずは当時28歳の舎人、稗田阿礼に暗記させたようだ。

巻末の解説によれば、彼は生まれつき聡明で、どんな文でも一見しただけで直ちに口に誦むことができた。

またどんなことでも一度聞いただけで心に忘れることがなかったという天才だった。

しかし天武天皇は崩御し、実際に文章化されたのは元明天皇の時代になってからだった。

稗田阿礼の口述をもとに大朝臣安万侶が書き記した原文は後半部の235ページから347ページに全文掲載されている。

ただしこれは漢文なので、前半はその読み下し文になる。

読み下し文は高校程度の古文の知識があれば十分読めるし理解できる。

また同じページの下段が注釈欄になっているので、分かりにくい古語や成句が現代語で説明されているところは親切な配慮だ。

文字が大きく、行間も広く取ってあるので読み易く、メモを記入することも可能だ。

なおこの古事記には偽書説もあるらしいが、現在偽書説を是認する学者は殆どなく、奈良時代初期の成立という事には疑いがないようだ。

日本文化の源泉として時間をかけて古事記に親しみたい。

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classicalmusic at 01:52コメント(0)書物 

2022年08月12日


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2013年秋にカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代であった1977年の来日時のベートーヴェンの交響曲全集が発売され、多くのクラシック音楽ファンの話題になったのは記憶に新しい。

2014年には、シングルレイヤーによるSACD化がなされたところであり、1970年代のスタジオ録音による全集がいまだSACD化されていない現時点においては、この1977年の来日時の全集を、カラヤンによるベートーヴェンの交響曲全集の代表盤と考えるクラシック音楽ファンも多いのではないだろうか。

それはさておき、カラヤンは1977年の来日時に、ベートーヴェンの交響曲全集だけでなく、ピアノ協奏曲全集についてもワイセンベルクとともにチクルスを行った。

筆者としても、ピアノ協奏曲全集のCD化、そして可能であればSACD盤での発売を期待していたところであるが、今般、全集ではないものの、第3番及び第5番が発売されたことは誠に慶賀に堪えないところだ。

それにしても、演奏は素晴らしい。

カラヤン&ベルリン・フィルは、ワイセンベルクとともに、ピアノ協奏曲全集の一環として、第3番(1976〜1977年)及び第5番(1974年)をスタジオ録音しているが、問題にならない。

スタジオ録音による全集の評判は一般的に芳しからざるものがあるが、それだけに、本盤の登場は、このコンビによる演奏の評価を一変させるほどのインパクトがあると言えるだろう。

ワイセンベルクによるピアノ演奏は、スタジオ録音による全集の演奏などから、カラヤン&ベルリン・フィルの中の一つの楽器と化しており、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築の最も忠実な奉仕者であるとの不当とも言える評価を得ていたところだ。

しかしながら、本盤の演奏の登場によって、実は、ワイセンベルクもカラヤン&ベルリン・フィルにいささかも臆することなく、自らの個性を十二分に発揮しており、ワイセンベルクならではの強靭にして繊細なピアノタッチが、第3番及び第5番の各曲の楽想の隅々にまで響き渡っているのが素晴らしい。

超絶的な技量は桁外れの凄さであるが、単なる技量偏重には陥ることはない意味深さを湛えており、また、とある影響力のある音楽評論家が酷評しているような女々しさなど薬にしたくもなく、格調の高い美しさを有しているのも見事である。

そして、当然のことながら、ワイセンベルクのピアノ演奏を下支えするカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏も豪華絢爛にして豪奢。

1977年と言えば、前述のようにまさにカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代。

カラヤンの体調も若干の陰りは見られつつあったものの、心身ともにベストコンディションにあった。

ベルリン・フィルも、名うてのスタープレーヤーがあまた在籍した楽団史上でも特筆すべき技量を誇った時代であり、それぞれ最高の状態にあったカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏は、おそらくはオーケストラ演奏史上でも空前にして絶後の高水準を誇っていたのではないだろうか。

弦楽合奏の鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感のある響き、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器群の美しい響き、そして雷鳴のように轟わたるティンパニの響きなどが見事に融合するとともに、カラヤン一流の流麗なレガートが施された、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れたまさに圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

本演奏においても、そうした圧倒的な音のドラマは健在であり、前述のようなワイセンベルクによる見事なピアノ演奏も相俟って、本盤の両曲の演奏は、圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。

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classicalmusic at 17:49コメント(0)ワイセンベルクカラヤン 

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《ボエーム》はプッチーニ38歳のときの出世作だが、1896年のトリノにおける初演を指揮し、自らの指揮者キャリアも成功させたのが、当時28歳のトスカニーニ(1867-1957)だった。

トスカニーニは作曲者をして「天才、魔法の指揮、再現以上の再創造」とまで言わしめているが、1946年、即ち初演50周年を記念してこの思い出深いオペラをニューヨークで演奏会形式で指揮している。

ミミにアルバネーゼ、ロドルフォにピアースとトスカニーニ好みの歌い手たちが起用されているが、オーケストラを含めてトスカニーニ・ファミリーと言ってよい名演奏家たちによる《ボエーム》は、ドラマも詩情も尋常ではない熱いカンタービレの心が充満している。

その立役者はもちろんトスカニーニその人だが、79歳という年齢のことなど忘れさせる若々しい、張りと輝きを誇る指揮ぶりであり、アリアもデュエットも、オーケストラもコーラスも、歌う火の玉になった演奏が圧倒的だ。

作品に注がれる巨匠の共感の心はそれほど切実であり、熱い想いがそのままのテンションで炎のカンタービレとなっている。

そして、そんな巨匠の指揮に魅せられたかのようにミミが、ロドルフォが、ムゼッタが、マルチェッロが、一途な眼差しで作品を歌い上げ、狂おしいまでに多感な音のドラマを作り出している。

《ボエーム》に感傷的な甘美さを求める人には、この演奏はあまりにも苛酷に響くかもしれない。

しかしトスカニーニはここで、より深い悲劇的な真実を教えてくれる。

厳しい音楽の中から、プッチーニが描こうとした愛の世界が、何と格調高く浮かび上がってくることか。

歌手陣の水準が今日からみれば不満を感じさせる部分があるとはいえ、トスカニーニはこの作品の最も深い部分での真実を描き出している。

トスカニーニは心の底から感じている。このオペラは他人事ではないのである。79歳の巨匠の心臓に流れている血はまさに沸騰しているのであり、そのほとばしりが歌わずにはいられなくしている。

演奏から半世紀以上が過ぎたが、永遠に凌駕されることのない遺産である。

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classicalmusic at 06:44コメント(0)プッチーニトスカニーニ 

2022年08月11日


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全体を通して端正な中にも豊かな共感をもった演奏であり、亡き指揮者ヨッフムの注目すべき遺産である。

周知のようにヨッフムは2度にわたってブルックナー交響曲全集を完成しており、生涯ブルックナーに打ち込み、20世紀のブルックナー演奏の正統派を担う存在だった。

しかしこの指揮者は、これはブルックナーに限らず全般にいえることだが、スタジオ録音となるとまとめへの指向がまさって、音楽の内的動態性が弱まる傾向があったことも確かだ。

CD6枚組集成として復刻されたコンセルトヘボウ管弦楽団とのこのライヴは、そうした弱点がないばかりか、音楽が内的な力に満ちて確固たる有機体をつくり、ひとつの完成されたブルックナー世界を見事につくり出している。

驚くほど円熟した音楽で、ヨッフムのブルックナー芸術の真髄が見事に表出されている。

静かな深みを湛えた音楽は強く心に染み込むもので、ヨッフムの若い時代からのブルックナーへの愛情、そして人生への観照、さらに神への祈りに通じる想念までが示されている。

作曲家独自の生成と高潮とが交替する作品の構成を、 いっそう純化し、明確化して、曲に見通しのよさを与え、 オケもまさにアンサンブルの極致ともいえる演奏を展開し、この作曲家と作品への豊かな共感を溢れんばかりに表現している。

ヨッフムはコンセルトヘボウと縁が深く、完全に気心が知れた者同士の息の合った演奏になっているのがよく伝わってきた。

このオーケストラ特有の美しい響きに満たされ展開される理想的なブルックナーで、味わいと迫力が見事に融合した、今や失われた美しいブルックナー演奏が甦っている。

強固ながらも威圧的にならない開放的な造形と音の広がり、「オルガン的な響き」のブルックナーはここに極まった感がある。

第5番は有名なフィリップス盤と比べ、ヨッフム翁最晩年の記録だけあってよりスケール感があり、ターラ・レーベルの中でも特に愛された名盤であった。

第6番はコンセルトヘボウ管も自薦の名演で、第2楽章など無類の味がある。

第7番は1970年の録音で晩年の東京ライヴとは別もの、力強さと雄渾さが素晴らしい。

第4番は語り口のうまさにぐいぐいと引き込まれる。

第8番も第3楽章における柔らかで透明な明るさを湛えた美しさはヨッフムのブルックナーの到達点にも思えるし、フィナーレの圧倒的なコーダが忘れがたい見事な大演奏。

どの曲も今回新たにリマスタリングを施し、放送録音ということを考えても優秀な音質であり、愛蔵盤として永くお聴き頂けるセットとなろう。

解説書も充実、ヨッフム翁の有名な論文「ブルックナーの交響曲の解釈のために」を新訳(河原融氏訳)で収録している。

この論文はヨッフムがブルックナーについてわかりやすく語ったもので、曲の頂点はどこか?といった議論から第5番の金管増強の件に関する考察など、ブルックナーを聴く上で興味深く参考になる話題が満載である。

これまで不十分な訳でしか読めなかった文章でもあり、細かな注釈まで完備したこの新訳は大変貴重なものと言える。

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classicalmusic at 21:45コメント(2)ブルックナーヨッフム 

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2009年に講談社から初版が刊行されたときには定価が2300円で、既に単行本の方は絶版になってしまったこともあり今回の文庫本化は歓迎したい。

ただし掲載されている写真や図版に関しては、やや矮小化されたという印象だ。

この著書ではカルタゴが国家として誕生する以前のフェニキア都市国家時代からの歴史を詳述して、一般的な通史では知ることが困難だった古代地中海史の実情を明らかにしている点で非情に興味深い。

また3回の戦役で勝利したローマの歴史家によって美化された戦史を鵜呑みにすることなく、カルタゴ側の内情にも深く食い入っているところが秀逸。

古来からフェニキア人達は筋金入りの海洋民族であり、徹底した商人気質に恵まれた民族であったことが本書で理解できる。

それを端的に示した逸話が本文中に紹介されている。

祖国フェニキアのテュロスを追われた王女エリッサ一行がアフリカ北岸に上陸した時、現地人に『私達に牛の皮一頭分だけが覆う土地を与えて下さい』と懇願し、土地の人は『そんな僅かなことであれば・・・』と快く承諾する。

ところがフェニキア人達は牛の皮を取り出すと、それを細かく切り刻んで細長い紐にして、港の上の丘ひとつを囲んで占領してしまう。

たとえ伝説であったとしても彼らの機転と抜け目のない狡猾さを物語っているエピソードだ。

こうした独自の商才と海運力で大繁栄を遂げたカルタゴは、2回のポエニ戦争でローマへの莫大な負債を抱えながらも、そのたびに不死鳥の如く甦った。

大カトーがローマの元老院でのあらゆる弁論の後の締めくくりに執拗に繰り返した『さて、思うにカルタゴ滅ぼされるべし』のセリフは、近距離にある豊かで強大な勢力を持ったカルタゴへの懸念を如実に表した名言だ。

しかし最後の戦いでスキピオに投降したカルタゴの将軍ハスドゥルバルに向かって彼の妻が『 ローマ人達よ、汝らは勝者の権を持ってこれをなすのであり、神々もお怒りにならないであろう。

しかしそのハスドゥルバルには祖国と神殿とこの私と子供達を裏切ったその者には、カルタゴの神々が復讐されんことを。

汝らはその道具とされんことを』と言い放って子供達を殺し、自らも命を絶つさまは感動的であり、また永久に消え去ったこの国家の数奇な運命を象徴している。

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classicalmusic at 14:36コメント(0)書物 

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グラーフのスケールの大きな、ふくよかさを加えたフルートの響きと真摯な表現が大きな魅力をもって聴き手に迫ってくる名盤だ。

グラーフは母国スイスでジョネに、パリ音楽院でモイーズとコルテに師事してフランスの伝統を受け継ぐフルート奏者だが、同時に明確な個性を持っている。

モーツァルトの「フルート協奏曲」というと、とかく外面的な華やかさをねらった演奏が多いが、グラーフはそれとは反対に、おだやかで室内楽的なまとまりをもった演奏をおこなっている。

古典派の音楽というよりは、むしろ、焦点をバロック時代においているような演奏で、全体に地味ではあるが、聴けば聴くほど味の出てくる名演だ。

第1番第1楽章は旧盤の遅いテンポから普通のテンポに変わっており、レパードの指揮もあまり特徴がないが、他の楽章は旧盤と同じスタイルによる名演だ。

グラーフの表現はまことに緻密で、モーツァルト風というよりバロック風であり、じっくりとした落ち着いた感じが好ましい。

第2番も、とかく外面的な華やかさに傾きがちだが、彼のフルートは地味ながら曲の内容を生かそうと試みている。

ただし、レパードの指揮には、いまひとつうるおいがほしかった。

グラーフの演奏は決してとっつきやすいものではない。

ヴィルトゥオーゾを目指す傾向とは無縁の演奏様式である。

一点一画もおろそかにしない、知性的なスタイルの演奏で、じっと耳を傾けていると、その端然としたたたずまいに心洗われ、時としてバッハを聴いているような気分にさせられる。

いわば知的な解釈に基づいているが、どこかフラウト・トラヴェルソによる演奏との接点が感じられないでもない。

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classicalmusic at 07:56コメント(2)モーツァルト 

2022年08月10日


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恐ろしいまでの遠大なアイディアによって、また自らのキャリアのほとんどをこれに捧げたたネムティンの夢によって完成された大曲。

ただ、本当は視覚効果を狙ったものも含まれているゆえ、ディスクで表現される範囲は限られよう。

しかしスクリャービンの宇宙はこのディスクに具現されている。

宇宙・人類・変容といった、テーマは今も我々に問いかけてくる。

アシュケナージはスクリャービンの権威でもあるので、その解釈は恐るべき説得力がある。

このアルバムであるが、“スクリャービンの音楽が大好き”という人以外には、ちょっと薦めるのは難しいものだと考える。

なんといっても長時間、神秘和音や、不思議な暖かさに満ちた、様々な音型が、渦を巻くように入り乱れるのだ。

その音色はトランス状態への導きを目的としているものであるが、いわゆる純然たる音楽と比べて、現代音楽的な、理の世界が多重に係っていると感じられる。

BGMとして流しておくと、面白いことは面白いのだが、「クラシック音楽鑑賞」というレベルで扱うことができにくい、言い難い手ごわさに満ちている。

他方、私はこれほどまでにスクリャービンに陶酔し、その未完の大作(スクリャービンが遺したスケッチはごく一部でしかなかった)を、その語法に従い、ここまでのスコアを書きあげたネムティンという作曲家の仕事には、心底圧倒されてしまう。

スクリャービンに精通したアシュケナージによって、高品質のメディアとして記録されたこれらの録音は、ネムティンの生涯の労作への、献身性に満ちている。

スクリャービンの作品、アシュケナージという演奏家がともに好きな筆者にとっては、本アイテムは、一つの感動的な録音作品として、伝わるものが多くある。

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classicalmusic at 23:18コメント(0)アシュケナージ 

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まずは、カップリングのセンスの良さを評価したい。

非独墺圏のヴァイオリン・ソナタを集約しているわけであるが、それぞれの作品の作風は著しく対照的だ。

情熱的で劇的とも言えるヤナーチェク、民俗色豊かで抒情的なグリーグ、そして、スケールの雄大さではベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」にも匹敵する壮大なフランク。

これらは、特にヴァイオリンパートに顕著にあらわれており、ここからは推測になるが、レーピンも、ドイツ・グラモフォンへのリサイタルアルバムへのデビューとして、敢えて自らの表現力の幅の広さを披露したいと思ったのかもしれない。

確かに、本盤におけるレーピンの卓越した技量と表現力の幅の広さは出色のものである。

特に、ヤナーチェクにおける劇的な表現は圧巻の迫力であり、グリーグの幾分楽しげな民俗舞踊的な表現や、随所に垣間見られる抒情的な美しさは、実に感動的だ。

そして、フランクにおける威風堂々たる表現は、レーピンの豊かな音楽性と、その前途洋々たる将来性を確約するものと言える。

このレーピンのヴァイオリンの豊かな表現力をしっかりと下支えするルガンスキーのピアノも素晴らしい。

レーピンのヴァイオリンの影に隠れがちではあるが、ルガンスキーのレーピンへの深い共感と豊かな音楽性があるが故に、本盤のような名演を成し遂げることができたものと考える。

録音も鮮明であり、音場も幅広く、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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classicalmusic at 18:27コメント(0)フランクヤナーチェク 

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アバドは、私見であるが、これまでの様々な名指揮者の中でも、最高の協奏曲指揮者と言えるのではなかろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。

そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。

それでも協奏曲の演奏に限ってみれば、ベルリン・フィルの芸術監督就任以前と寸分も変わらぬ名演を成し遂げていた。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアルゲリッチとの競演(1994年)、そして、ブラームスのピアノ協奏曲第2番におけるブレンデルとの競演(1991年)など、それぞれの各楽曲におけるトップの座を争う名演の指揮者は、このアバドなのである。

本盤に収められたロシアのヴァイオリニストであるマキシム・ヴェンゲーロフと組んで録音を行ったチャイコフスキーとグラズノフのヴァイオリン協奏曲についても、こうした名演に系譜に連なるものとして高く評価したい。

協奏曲の演奏に際してのアバドの基本的アプローチは、ソリストの演奏の引き立て役に徹するというものであり、本演奏においても御多分にも漏れないが、オーケストラのみの演奏箇所においては、アバドならでは歌謡性豊かな情感に満ち溢れており、格調の高さも相俟った美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れている。

ここぞという時の力感溢れる演奏は、同時期のアバドによる交響曲の演奏には聴くことができないような生命力に満ち溢れており、これぞ協奏曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

チャイコフスキーやグラズノフの協奏曲に特有のロシア風のメランコリックな抒情を強調した演奏にはなっておらず、両曲にロシア風の民族色豊かな味わいを求める聴き手にはいささか物足りなさを感じさせるきらいもないわけではないが、ヴェンゲーロフのヴァイオリン演奏の素晴らしさ、両曲の持つ根源的な美しさを見事に描出し得たといういわゆる音楽の完成度という意味においては、まさに非の打ちどころのない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質は、1995年の録音ということでもあり比較的満足できる音質である。

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classicalmusic at 08:37コメント(0)チャイコフスキーアバド 

2022年08月09日


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ウィーン原典版でのこの曲集が見当たらないので、買ってみたが初心者にはお薦めできない。

バッハの鍵盤音楽を習う人の入門曲集はインヴェンションの15曲だが、一通り弾けるようになったらこの4曲のデュエットに挑戦してみるのも良いだろう。

名前の通り完全な2声部で書かれているが、インヴェンションが見開きの2ページなのに対して、この作品は4ページあり展開部が充実していることと、それに伴う転調が頻繁にあり、両手の指の独立した自由自在な動きが求められている。

この原典版には運指が付いていないので、入門者にとってはかなり指使いに苦労することになる。

最低限の運指番号は必要だ。

楽譜自体は新バッハ全集に準ずる解釈なので、充分信用できる。

ただし自筆譜の写真や詳細な解説は省略されている。

またウィーン原典版やベーレンライターの叢書版に比べるとコストパフォーマンスが高いのが特徴で、ごくわずかにセピア調の紙にプリントされた楽譜は見やすい。

紙質がやや薄く、頻繁にめくったり、折り目を付けると傷みやすいので練習の時にはコピーが不可欠だろう。

この4曲を含めたイタリア協奏曲、フランス風序曲及びゴールトベルク変奏曲を一巻にまとめた運指番号付きのヘンレー版がリリースされている。



これから購入される方にはこちらをお薦めしたい。

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classicalmusic at 21:25コメント(0)バッハ書物 

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2回に亘ってリリースされたヒラリー・ハーンの無伴奏を纏めたセットで、SHM-CDバージョンになる。

従来盤に比較して若干音色が明るくなり、艶やかさが増している。

ヒラリー・ハーンは1997年18歳の時ににCDデビュー(ソニー)を飾り、そのデビュー盤がバッハの無伴奏作品(ソナタ第3番、パルティータ第2番&第3番)だったが、残された3曲(ソナタ第1番&第2番、パルティータ第1番)はレコーディングを先送りにしていた。

このデッカからリリースされた『ヒラリー・ハーン・プレイズ・バッハ』をもって、実に20年の時を経て『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』全曲が完成することになる。

デビューからの約20年間でヒラリー・ハーンの音楽性は深化の一途を辿った。

レパートリーを広げ、ヴァイオリン協奏曲の王道的な作品を発表しながら、現代作品に至るまで広く取り上げる現代屈指のヴァイオリニストになった。

2003年にドイツ・グラモフォンに移籍した後は、グラミー賞2度受賞(ソニー時代にも1回受賞)を果たすなど、更に磨きの掛かった技術と音楽性で人々を魅了してきた。

今回デッカから発表されるバッハ・アルバムは、これまで歩んできたおよそ20年という歳月を振り返りながら初心に立ち戻り、新たな世界への一歩を力強く踏み出さんとする確かな意思を感じ取れる、研ぎ澄まされた音色に満たされている。

20年ぶりの解釈の変化を知るためにデビュー盤との聴き比べをしてみたが、当時の颯爽としたフレッシュなイメージを残しつつ、更に洗練味を増した、潔癖とも言うべき完全主義的なスタイルを創り上げている。

20年前の長丁場シャコンヌを含むパルティータ第2番や大規模なフーガを持つソナタ第3番とは多少趣味を変えて、ヴァイオリンを流麗に歌わせながら、ポリフォニーの綾を精緻に紡ぎだすことへの接点を追究した奏法を開拓している。

それぞれの作品の解釈はデビュー当時と大差はなく、恣意的な表現はできるだけ避けて、バッハの音楽が直接鑑賞者に伝わる演奏だ。

それゆえごく個性的な無伴奏を期待した人には当て外れかも知れないが、あくまでもオーソドックスの道を踏み外すことなく、その上に自己のスタイルを築いていくのは安易な道を選択しないハーンの矜持だろう。

その意味でもここに完結したバッハの無伴奏全曲は、彼女の到達したひとつの境地を示している。

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classicalmusic at 17:11コメント(0)バッハヒラリー・ハーン 

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スクリャービンのピアノ曲を得意とするだけに、アシュケナージの演奏は表現意欲を前面に打ち出した緊迫感に富んでいる。

作品のロシア的性格を、ドイツ風の堅固さをもって表出した演奏で、すこぶる構築的で響きが暗く、集中力が強い。

ややほの暗い響きにテクチュアが埋もれているきらいはあるが、壮大で迫力に富む。

そして堅固なまでに引き締まった造形のうちに、ほとんど忘我に近い高揚した世界を開示していく。

この見事な劇的な展開に加え、華麗な音色の魅力も特筆できよう。

スクリャービンの管弦楽作品は、彼のピアニスティックなインスピレーションと、管弦楽書法ならではの官能的な響きが相俟って、独特のコントラストを持っているが、これを実に巧みに引き出している。

しばしば、アシュケナージの指揮のことを「単なる交通整理」とよく理解もせずに口さがない事を言う人もいるが、このスクリャービンの名演を聴けば、そんなことを言えるはずがないのである。

スクリャービンの音楽には東洋哲学から由来する難解と思われるテーマが与えられている。

それを反映する4度を中心とした神秘和音の階層的な響きと、そのグラデーションを効果的に配して、音楽に巨大な緩急のダイナミズムを与えるアシュケナージの指揮は、通り一遍のものであるはずがないのである。

「神聖な詩」は旋律線が明快で、リズムの処理も絶妙、劇性が自然に表されるのもよい。

「法悦の詩」も激しい表現意欲を率直に示した演奏で、鮮やかな音彩と独自の主張と個性をもった、スクリャービンの本質と触れ合った素晴らしい表現である。

小品「夢」も歌心がよく表されていて美しい。

ピアノ協奏曲は若きスクリャービンの詩情を見事にとらえた演奏だ。

ソロはフレッシュなセンスと輝かしいテクニックの冴えに支えられて、透明な情感と音色も豊かに紡ぎ出している。

オケが奏でる夢見るような歌も最高だ。

いずれにしても、現在聴き得るスクリャービンの録音でも、最高といっていいものがセットになった本盤は、強く推薦したいアイテムに違いない。

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classicalmusic at 11:00コメント(0)アシュケナージ 

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ロシア人指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系の指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような神聖な存在であると言えるが、ゲルギエフにとっても例外ではなく、これまでウィーン・フィルや手兵のマリインスキー劇場管弦楽団とともに、チャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行っているところだ。

来日公演においても、チャイコフスキーの後期3大交響曲を採り上げており、これはゲルギエフがいかに母国の大作曲家であるチャイコフスキーを崇敬しているかの証左とも言えるだろう。

しかしながら、ゲルギエフのチャイコフスキーの交響曲の録音は後期3大交響曲に限られており、初期の第1番〜第3番についてはこれまでのところ全く存在していなかったところだ。

そのような中で登場した本盤の交響曲第1番〜第3番のライヴ録音は、クラシック音楽ファンとしても待望のものと言えるだろう。

これまでのゲルギエフによるチャイコフスキーの交響曲の演奏は、旧ソヴィエト連邦崩壊後、洗練された演奏を聴かせるようになった他のロシア系の指揮者とは一線を画し、かのスヴェトラーノフなどと同様に、ロシア色濃厚なアクの強いものであった。

そのような超個性的なゲルギエフも、本盤の演奏においては、洗練とまでは言えないが、いい意味で随分と円熟の境地に入ってきたのではないだろうか。

随所における濃厚な表情付け(特に、交響曲第3番第1楽章)や効果的なテンポの振幅の駆使は、ゲルギエフならではの個性が発揮されているが、前述のウィーン・フィルやマリインスキー劇場管弦楽団との演奏とは異なり、いささかもあざとさを感じさせず、音楽としての格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

ここぞと言う時の強靭な迫力や、畳み掛けていくような気迫や生命力においても不足はないが、それらが音楽の自然な流れの中に溶け込み、ゲルギエフならではの個性を十二分に発揮しつつ、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏に仕上がっているのは、まさにゲルギエフの指揮者としての円熟の成せる業と評価しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の交響曲第1番〜第3番の各演奏は、ラトルやマリス・ヤンソンス、パーヴォ・ヤルヴィと並んで現代を代表する指揮者であるゲルギエフの円熟、そしてチャイコフスキーへの崇敬を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、今後、続編として発売されるであろう後期3大交響曲の演奏にも大いに期待したい。

また、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 06:29コメント(0)チャイコフスキーゲルギエフ 

2022年08月08日


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アシュケナージの3枚のスクリャービン・アルバムからのソナタをすべて収めたもの。

1972年から84年にかけて収録されたアシュケナージの名盤のひとつ。

アシュケナージはこの母国の作曲家のソナタを、12年かけて全曲録音した。

ショパンやベートーヴェンの大部の全集の影に隠れがちだが、スクリャービンのソナタの全貌を広く世界に知らしめた意味はきわめて大きい。

研磨されたピアノの響きは言うまでもなく、演奏の完成度の高さは、名だたる国際コンクールを制覇した稀代のヴィルトゥオーゾの面目躍如である。

1曲1曲、吟味を重ねたのであろう、完成度はいずれもきわめて高く、時代とともにスタイルを変えていくスクリャービンの音楽の姿を忠実、かつスケール大きく表現し尽くしている。

そこでは重厚さと精妙な響きを兼ね備えたアシュケナージの音が雄弁な効果を発揮しているのは言うまでもない。

どの1曲をとってもそれぞれの作品にスクリャービンが託した抒情、激情、あるいは超越への意思に翼を与える、スケールの大きな名演といえる。

真正面から音楽に向き合い、1音たりとて雰囲気で流してしまわないのはアシュケナージらしい。

第1番は真にヴィルトゥジティの魅力に溢れ、甘美なロマンティシズムが息づき、《幻想ソナタ》の透徹したリリシズムと純度の高い表現が大きな感動を誘う。

大きくファンタジーのはばたくスクリャービンの世界を実現したこの演奏を越える全集は、当分望めないだろう。

アシュケナージによるスクリャービンへのオマージュ。

余談だが、かつてLPに収録されていた小品も見事だったので、それらについても、ぜひ製品化していただきたいものだ。

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classicalmusic at 18:53コメント(0)アシュケナージ 

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フィラデルフィア管弦楽団を率いての、指揮者チョン・ミョンフンによるショスタコーヴィチ「第4」は、緩急のコントラストを大きくつけ、劇的な要素を巧みに抽出して、雄弁な音楽を創り出している名演。

この「第4」にはムラヴィンスキー盤がないだけに、チョン・ミュンフン盤の価値は高い。

ラトル、ゲルギエフの録音と共に、この交響曲の3強の一角を占める名盤と言えよう。

血のように赤い鮮烈な響きがショスタコーヴィチの絶望の叫びを伝え、第1楽章のクライマックスなど狂躁の極みとなるが、少しもうるさくなく、外面的にも陥らず、驚くべき雄弁な内容を湛えつつ、落ち着きさえ感じさせながら進む。

第2楽章の音彩の愉しさも最高だが、その中にいつも人間の孤独が流れているのだ。

そして、第3楽章に入ると、オーケストラは光彩陸離と鳴り切り、しかも厳粛な葬送行進曲の魂の訴えを失わず、ヴァイオリンの泣けるほどの美しさがそれに続く。

音楽は幻想的で透明な天才の筆致の中に消えてゆくが、チョン・ミュンフンの棒も絶妙である。

それに、この20世紀音楽がちょっとハイドンみたいに聴こえるという点が面白い。

これを聴いていると、ハイドンからショスタコーヴィチまでおよそ150年経っているにもかかわらず、人間の発想、特に笑いの構造は変わっていたいのだなぁと思わされる。

特に第1楽章は、なんだか諧謔のオンパレードのようで、普通のショスタコーヴィチ演奏とはまったく印象が異なる。

そのユニークさは高く評価したい。

フィナーレもうるさすぎない。

ショスタコーヴィチの音楽は暴力的に鳴りすぎて嫌だという人にはとても快いだろう。

なお音質については、1994年のスタジオ録音ということもあって、充分に満足できる音質と言える。

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classicalmusic at 14:01コメント(0)ショスタコーヴィチ 

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凄い演奏だ。

スヴェトラーノフは、サン・サーンスの交響曲第3番を得意としており、かつての手兵であったソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)とともに1982年にスタジオ録音を行っている。

当該演奏も途轍もない豪演であったが、本盤の演奏はそれから16年後のものであり、さらに輪をかけて凄まじいまでの巨大な演奏と言うことができるだろう。

大抵の演奏の場合は、約35分程度を要する同曲の演奏に、スヴェトラーノフは40分を超えるというスローテンポで演奏しており、まさに尋常ならざるゆったりとしたテンポで演奏を行っている。

オルガンを含む豪壮華麗なオーケストレーションで知られる同曲であるが、スヴェトラーノフは各楽器セクションに力の及ぶ限り強奏させており、その重厚にして強靭な響きは、あたかもロシアの広大な悠久の大地を思わせるほどであり、同曲がフランス音楽であることを忘れさせてしまうほどだ。

とりわけ、楽曲の終結部におけるド迫力は、再生装置が破壊されてしまうかと思うほどの凄まじいもので、おそらくは数ある同曲の演奏の中でも、最も強大なスケールを有した豪演であると評しても過言ではあるまい。

前述のように、本演奏はフランス音楽というよりはロシア音楽を思わせるような強靭さ、強大さを兼ね備えており、同曲にフランス風のエスプリや洒落た味わいを求める聴き手からすれば、疑問符がつく演奏と言えるのかもしれない。

しかしながら、聴き終えた後の充足感においては、同曲の数ある名演にも比肩し得ると言えるところであり、筆者としては、本演奏をスヴェトラーノフならではの超個性的な名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

カップリングには、ルーセンベリのバレエ組曲「街のオルフェウス」が収められている。

ルーセンベリは、スウェーデンの近現代の作曲家であるが、近現代の作曲家と思えないような親しみやすい旋律に彩られた佳曲を数多く作曲した知る人ぞ知る作曲家である。

同曲も1938年の作品と思えないような美しい旋律が満載の名曲であるが、スヴェトラーノフは、各場面毎の描き分けを巧みに行った、まさに聴かせ上手の名演奏を展開しており、知られざる名曲に光を当てるものとして高い評価が与えられるべき素晴らしい名演と言えよう。

スウェーデン放送交響楽団も、スヴェトラーノフの超個性的な指揮にしっかりと付いていっており、両演奏ともに最高のパフォーマンスを発揮しているものと評価したい。

音質は、1998年及び1983年のライヴ録音であるが、いずれも遜色のない優れた高音質である。

いずれにしても、かかる高音質のCDは、スヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団の名コンビぶりを鮮明な音質で窺い知ることが可能なものとして大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 06:51コメント(0)サン=サーンススヴェトラーノフ 

2022年08月07日


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合唱の粗さや歌唱法の古めかしさなどはさておいて、ここに聴くシェルヘンの解釈には驚くべきものがある。

「人間はいかにあるべきか」という究極の問いが、シェルヘンを衝き動かす原動力。

カント、ルソーらの啓蒙思想に傾倒したシェルヘンは、ロマン主義より一段上の「真の人間性」の回復を願い、「宇宙の法則」を確信していた。

また、数学も愛したシェルヘンにとって、幾何学を音にしたようなバッハはまさに理想の音楽だった。

だから、聴き手の情に訴える、という安易な道を選ばず、作品の構造を明らかにすることを身上とする。

ただ、それを実現しようとする情熱は、常軌を逸していた。

理想の追求に性急な余り、楽員を度々怒鳴りつけた(唯一、不足するのは「思いやり」「寛容」だろう)。

人類最高の宗教音楽《マタイ受難曲》に臨む、シェルヘンの姿勢はまことに高潔そのものである。

音の古さ、時代がかったコーラスを超えて、シェルヘンの掲げる眩しい理想を受け取りたいものだ。

彼らしいエキセントリックな面こそさほど前面には出ていないが、それでも、突き放したような厳格さから思い入れを込めたロマン的な表情付けや表現主義的な鋭さに至るまで、多様自在なアプローチのうちに全体を構築していく様は全く独自のものだ。

イエス捕縛後の合唱付き二重唱アリアのように急速な切迫感を示すと思えば、悠久さを感じさせるまでの終結合唱のように異常に遅いテンポを取ったりなど、テンポの幅も極端。

雄弁なコラールの意味付けも興味深く、一見時代がかったような歌唱もシェルヘンの意図に沿ってのことなのかもしれない。

テキストの内容を生々しく語るオーケストラ、常にアンサンブルの一員として作品に奉仕する声楽陣の姿勢も爽やかで、まさに音楽の前に謙虚なシェルヘンの生き方の反映と思われる。

しかし、これから《マタイ》を聴く、という人には、時空を超越した決定盤であるリヒターの旧盤が推薦盤であることに変わりはない。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)バッハシェルヘン 

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近年、我が国出身の若手女流ヴァイオリニストが世界各国の有名コンクールで優勝する等の華々しい活躍をしている。

例えば、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した諏訪内晶子(その後、神尾真由子が続く)をはじめ、パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて史上最年少で優勝した庄司沙耶香など、雨後の竹の子のように数多くの若き才能あるヴァイオリニストが登場してきている。

もっとも、彼女たちに共通しているのは、デビュー後数年間は華々しい活躍をするが、その後は影の薄い存在に甘んじてしまっているということだ。

諏訪内晶子にしても、近年では相次ぐスキャンダルによって新譜すら殆ど発売されていない状況に陥っているし、庄司沙耶香にしても最近での活躍はあまり聞かれないところだ。

神尾真由子なども今後どのように成長していくのかはわからないが、クラシック音楽の受容の歴史が浅い我が国の若手女流ヴァイオリニストが普遍的に世界で活躍するような土壌は、未だに肥沃なものとなっていないと言えるのではないだろうか。

五嶋みどりは、特にコンクールなどでは取り立てた受賞歴はないが、14歳の時のバーンスタインとの伝説的なコンサートで一躍世界に知られる存在となったところだ。

その後は、1990年代から2000年代の前半にかけて、世界の一流指揮者、オーケストラとともに各種の協奏曲等の録音を行うなど、華々しい活躍を行っていたが、最近では、他の若手女流ヴァイオリニストと同様に活動ややや低調になっている。

新譜の数自体が激減している昨今のクラシック音楽界の現状に鑑みれば、致し方がない面もあろうかとも思うが、五嶋みどりにしても、かつての輝きを今後も維持できるのかどうか、大きな岐路に立っていると言っても過言ではあるまい。

かつての伝説的なコンサートはもはや遠くに過ぎ去った過去の話であり、五嶋みどりが今後も円熟の大ヴァイオリニストとして末永く活躍していただくことをこの場を借りて祈念しておきたい。

それはさておき、本盤に収められたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、五嶋みどりが輝いていた時代の素晴らしい名演だ。

五嶋みどりのヴァイオリンは、もちろん技量においても何ら問題はないが、巧さを感じさせないところが素晴らしい。

要は、楽曲の美しさだけが聴き手に伝わってくるような演奏を心掛けていると言えるところであり、加えて、畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っているのが素晴らしい。

実演ということも多分にあるとは思うが、五嶋みどりの体当たりとも言うべき渾身の、そして楽曲の美しさを際立たせた演奏は、我々聴き手の感動を誘うのに十分であり、このような力強い名演奏を聴いていると、あらためて五嶋みどりの卓越した才能を感じることが可能だ。

一部の女流ヴァイオリニストにありがちな線の細さなどは微塵もなく、どこをとっても骨太のしっかりとした構えの大きい音楽が鳴り切っているのが見事である。

このような堂々たる五嶋みどりのヴァイオリンを下支えしているのが、ヤンソンス&ベルリン・フィルによる名演奏である。

ヤンソンスは、現代を代表する大指揮者の一人であったが、本演奏でも五嶋みどりのヴァイオリンをしっかりとサポートするとともに、ベルリン・フィルを巧みに統率して、重厚な装いの中にも両曲に込められた美しい旋律の数々を感動的に歌い抜いているのが素晴らしい。

音質は2000年代前半のライヴ録音であり、従来盤でも十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 17:58コメント(0)ブルッフヤンソンス 

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インスブルック盤は、有名なセッション録音盤と較べ、テンポの緩急や表情の起伏が大きく、トータル・タイムが約19分も短いという、実演ならではのテンションの高いものとなっている。

躍動感にあふれ、曲によってはすごいスピード感でフーガを刻み込む一方、前奏曲ではときに沈潜し、ときには澄明な明るさを見せて、表情豊かで太い流れを生み出し、巨大な連続性を感じさせてくれる演奏は実に感動的だ。

オリジナル楽器による演奏が顕著になってきた20世紀末にあっても、1世紀前のブゾーニ以来変わらず、依然としてピアノで弾く『平均律』の演奏は好まれている。

それがこの曲集の持つ底なしの可能性の一面をのぞかせている。

同じく現代ピアノによるグールドやシフ、ニコラーエワといった名演もあるが、リヒテルのものは全編を徹底したロマン的詩情で貫いており、20世紀最後の巨匠的ピアニストの偉業としても残るものだろう。

ソフト・フォーカス的な録音によって掻き消されてしまう声部の明確な分離も、この圧倒的な詩情の前では些事としか映らない。

バッハが前奏曲とフーガという組み合わせの中に実に多様な表現と感情移入を可能としていたことを、リヒテルは明らかにしている。

それだからこそ、その作品は芸術として大きい。

ここでのリヒテルを、抒情的に流れすぎていると思う向きもあろう。

だが、そのために無味乾燥を避け、聴き手の心に長く残る演奏芸術となった。

リヒテルが生命体とした『平均律』から私達はすばらしい音楽体験が味わえる。

それは20世紀後半に好まれたバッハ演奏の、ひとつの典型を示していると言えよう。

リヒテルはここで、広いコンサートホールや大聖堂ではなく、修道院の付属教会を演奏会場に選んでいる。

当時58歳のリヒテルはコンディションも絶好調だったようで、驚くべき集中力でバッハの長大な作品を音にして行く。

それまでの『平均律』連続演奏会や入念なセッション・レコーディングで、この大作に深く取り組んできた後だけに、ゆるぎない確信に満たされたかのようなアプローチには凄いほどの説得力が備わっている。

考えてみれば大ホールでの演奏のときも極限まで照明を落とすリヒテルのことであるから、演奏の際に周りの環境が及ぼす影響も決して小さくはないだろうし、だからこそここでの演奏にそうした環境面での良い影響が現れたのだとも言えるのではないだろうか。

プロデューサーは指揮者でもあるオトマール・コスタと、ピアニストでもあるテオ・ペーア、エンジニアはクラリネット奏者でもあるハンス・ヒムラーというチームにより、教会でのライヴ録音ながら、すっきり明晰で聴きやすいサウンドに仕上がっているのが嬉しいところ。

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classicalmusic at 14:45コメント(0)バッハリヒテル 

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ベルギーのブリュージュで結成されたイル・ガルデッリーノは、今や老舗とも言えるネーデルランド系を代表するピリオド楽器使用の古楽アンサンブルだ。

指揮者を置かないだけにメンバーの自発的な演奏と協調性に優れている。

彼らは現在では忘れ去られてしまった作曲家の興味深い作品を発掘して録音している。

本盤はヨハン・フリードリッヒ・ファッシュの没後250年に当たる2008年にリリースされた協奏曲集の第1集になる。

ドレスデン及びダルムシュタットの図書館から発見された2曲のソロ協奏曲と4曲の複数の楽器のための協奏曲を収録している。

ちなみに第2集の方は同じアクサン・レーベルから同メンバーによる6曲の合奏協奏曲集がリリースされている。

さすがに音場の広がりや高音部の広がりに無理がなく、それぞれの楽器の音色も磨きをかけたように瑞々しい。

特に複数の楽器が交錯する曲ではこうした鮮明な音質が効果を発揮していて、トラヴェルソやバロック・オーボエなどのピリオド楽器特有の木質系の微妙な感触も良く再現されている。

ファッシュは大バッハとほぼ同じ時代の作曲家で、バッハ自身も彼のスコアを写譜したようだが、彼の音楽は対位法に凝った作法ではなく、より和声的でシンプルな音楽が特徴的だ。

楽章構成もヴィヴァルディ風の急、緩、急の三楽章から成り立っているが、やはり荘重なドイツ音楽の趣があり、どちらかというとテレマンの延長線上にあった作曲家のように思える。

確かにこの曲集を聴く限りではバッハやテレマンに感じられる独創性には欠けているが、むしろ宮廷での洗練された屈託のない娯楽のための音楽として、当時もてはやされたことが想像される。

尚通奏低音にはハーグで学位を取ったイスラエルのチェンバリスト、シャレフ・アデルが参加している。

演奏ピッチはa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチ。

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classicalmusic at 09:48コメント(0)音楽史 

2022年08月06日


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内田光子と言えば、今や我が国にとどまらず、世界でも指折りの女流ピアニストと言えるが、今から40年ほど前は、ジェフリー・テイト&イギリス室内管弦楽団をバックとしてスタジオ録音を行ったモーツァルトの一連のピアノ協奏曲の演奏で知られる存在であった。

これら一連の録音は現在でも十分に通用するクオリティの高い名演であるが、内田光子はそうした当時の高評価に安住することなく研鑽に努め、シューベルトのピアノ・ソナタ集やベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ集などの数々の歴史的な超名演を経て、現在の確固たる地位を築き上げてきたと言えるだろう。

そうした現代最高の女流ピアニストの一人となった内田光子が、数年前からクリーヴランド管弦楽団の弾き振りによって開始したチクルスが、まさに満を持して再録音に挑むことになるモーツァルトのピアノ協奏曲集である。

既に、第1弾(第20番&第27番)、第2弾(第23番&第24番)が登場しており、本盤は新チクルスの第3弾(第9番&第21番)ということになる。

第1弾、第2弾ともに至高の超名演であったが、本盤の演奏もそれらに優るとも劣らない凄い超名演だ。

かつてのジェフリー・テイトと組んで演奏した旧盤とは比較にならないような高みに達しているとも言えるだろう。

それにしても、モーツァルトの傷つきやすい繊細な抒情を、これほどまでに意味深く演奏した例は、これまでの様々なピアニストの演奏にあったであろうか。

モーツァルトの楽曲は、ピアノ協奏曲に限らないが、一聴すると典雅で美しい旋律に時として憂いに満ちた寂しげなフレーズが盛り込まれているが、そうした箇所における表現が内田光子の場合は絶妙なのである。

各旋律における表情付けの意味深さは鬼気迫るものがあり、諸説はあると思うが、モーツァルトのピアノ協奏曲の本質のベールが内田光子によってこそはじめて脱がれたとも言ってもいいのではないか。

これら両曲の演奏の内面から浮かび上がってくるモーツァルト渾身の魂の響きは、あまりにも繊細にして優美であり、涙なしでは聴けないほど感動的と評しても過言ではあるまい。

モーツァルトのピアノ協奏曲に旋律の美しさ、聴きやすさ、親しみやすさのみを求める聴き手には全くおすすめできない演奏とも言えるが、モーツァルトのピアノ協奏曲を何度も繰り返し聴いてきた聴き手には、これらの楽曲の本質をあらためて認識させてくれる演奏であり、その意味では玄人向けの演奏とも言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、モーツァルトのピアノ協奏曲演奏の真の理想像の具現化と言っても過言ではない、至高の超名演と高く評価したい。

音質は、2012年のスタジオ録音であり、従来盤でも十分に満足できるものと言える。

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classicalmusic at 21:05コメント(0)モーツァルト内田 光子 

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内田光子は、モーツァルトの旧ピアノ協奏曲全集によって、その確固たる地位を確立したが、本盤は、その20年後の待望の新録音である。

自己を厳しく律する内田としては、旧全集の出来が素晴らしかっただけに、再録音には相当に慎重であったと思われ、新しいモーツァルト解釈への確信が得られるのに、必然的に20年の歳月がかかったということなのだろう。

それだけに、新録音では、旧録音とは異なり、特にK491の全般やK488の第2楽章で顕著であるが、万感の思いを込めた情感溢れる濃厚な弾きぶりが際立っている。

また、軽快なK488の第1楽章や第3楽章では、澄み切った抒情に満ち溢れており、内田のモーツァルトの解釈が、旧盤に比してより深まった印象を強く受けた。

テイト盤はとにかくピアノとオーケストラが流れるように一体化した完璧な美しさと粒立ちの良いピアノの美しい音が際立っていたが、今回のクリーヴランド盤は各パートの演奏に個性と持ち味がしっかりと前に出ていて、自由闊達なピアノとの対話が面白い。

弦の各声部のディテールもしっかり聴かせ音楽がより鮮やかになった。

またライヴなのでカデンツァ部分のさらに彫りの深い表現が絶品。

弱音と無音部分の息遣いが素晴らしい。

弾き振りのライヴ録音なので仕方がないのだが、当然内田の集中も分散されてるわけで、以前の流れるような美しさや速いパッセージでの丁寧なタッチが失われたのが少々残念だが、弾き振りならではのリズミックな縦の線を強調し各パートの生き生きとした表現がよりモーツァルトらしく思われた。

もちろん、旧盤の価値が新盤の登場によって減じるということはいささかもないと思われるが、新盤には、旧盤にはない奥深さがあるという点において、旧盤と並んで高く評価される名演であると考える。

SHM−CD仕様により、内田のタッチをより鮮明に聴くことができる点も素晴らしい。

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classicalmusic at 14:11コメント(0)モーツァルト内田 光子 

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パーヴォ・ヤルヴィの勢いは今や誰もとどめることができない。

彼は、シンシナティ交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、ドイツ・カンマーフィル、パリ管弦楽団を手中におさめており、これらのオーケストラを作曲家毎に振り分けるという何とも贅沢なことをやってのけている。

そして、そのレパートリーの幅広さたるや、父親であるネーメ・ヤルヴィも顔負けであり、当代、人気面において指揮界のリーダー格とされるラトル、ゲルギエフ(失脚)、ヤンソンス(逝去)の3強の一角に喰い込むだけの華々しい活躍をしてきた実績がある。

パーヴォ・ヤルヴィがドイツ・カンマーフィルを起用する際には、当然のことながら、いわゆるピリオド奏法に適した楽曲を演奏しており、既に完成させたベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集に次いで、シューマンの交響曲全集の録音に取り組んだところだ。

第1番及び第3番が既発売であり、それはピリオド奏法を十分に生かした斬新とも言えるアプローチが特徴の演奏であり、パーヴォ・ヤルヴィの底知れぬ才能と現代的な感覚、センスの鋭さが光る素晴らしい名演であった。

本盤は、その続編として久しぶりに登場したものであるが、収録曲は交響曲第2番を軸として、「マンフレッド」序曲などの有名な序曲である。いずれも、第1番&第3番に勝るとも劣らぬ素晴らしい名演であると高く評価したい。

本演奏でも、ピリオド奏法は相変わらずであるが、それを十全に活かし切ったパーヴォ・ヤルヴィの個性的なアプローチが実に芸術的とも言える光彩を放っており、これまで同曲を様々な指揮者による演奏で聴いてきたコアはクラシック音楽ファンにも、新鮮さを感じさせる演奏に仕上がっている。

ピリオド奏法やピリオド楽器を使用した演奏の中には、学究的には見るべきものがあったとしても、芸術性をどこかに置き忘れたような軽佻浮薄な演奏も散見されるが、パーヴォ・ヤルヴィの個性的なアプローチには、常に芸術性に裏打ちがなされており、そうした軽佻浮薄な演奏とは一線を画しているとさえ言えるだろう。

思い切ったテンポの振幅、アッチェレランドの駆使、ダイナミックレンジの極端な取り方など、その仕掛けの多さは尋常ならざるものがあるが、これだけ同曲の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の各曲の演奏は、近年のパーヴォ・ヤルヴィの充実ぶりを如実に反映させた素晴らしい名演であり、加えて、いわゆるピリオド奏法による演奏としては、最高峰に掲げてもあながち言い過ぎとは言えない圧倒的な名演と高く評価したい。

そして、第4番の録音を期待した聴き手は筆者だけではあるまいし、それについて触れるのはまたの機会にしたい。

音質は、これまた素晴らしい。

特に、最近では珍しくなったマルチチャンネル付のSACDは、臨場感溢れるものであり、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえることによって、ピリオド奏法の面白さが倍加するという効用もあると言えるところだ。

いずれにしても、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルによる素晴らしい名演をマルチチャンネル付のSACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 08:36コメント(0)シューマンヤルヴィ 

2022年08月05日


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ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団との録音で、ギュンター・ヴァントの存在を知った人は、それから半世紀以上になるが、率直に言って今日の名声が予期以上のものであったという人は、かなり多いかもしれない。

そのレパートリーは、独墺系の中では近・現代までも含む広さを持っているが、彼の名を特別なものとしたのは、いわゆるブルックナー&マーラー時代に、きわめて明快にブルックナーだけを支持して、そのエクスパートとされたことによるだろう。

事実、彼はマーラーを忌避し、ブルックナーには、版の選定に至るまできわめて厳しい理念を根底に置きながら、稀な深ささえ持った愛着ぶりを示している。

その録音の数も実に多いが、そこに主張されているものは、主観よりも客観であり、きわめて誠実なアプローチの中に、確実に聴く者をとらえずにはおかない説得力を示している。

1992年の北ドイツ放送交響楽団との第7番のライヴは、まさにその代表的な演奏のひとつであり、ヴァントが80歳にして到達した至高の解釈が示されたものだろう。

ヴァントにとって、自らの解釈をもっとも忠実に表現してくれる楽器は1982年から1991年まで主席指揮者を務め、その後は名誉指揮者のポストにあった北ドイツ放送響である。

長年の共同作業を通してオーケストラの楽員にはヴァントの考えが隅々まで浸透し、指揮者のちょっとした動きにもオーケストラ全体が機敏に反応し、完璧なまでの有機体を形成している。

その点で、ベルリン・フィルとのブルックナーは、北ドイツ放送響との録音に及ばないと言える。

さすがに高齢になりすぎたベルリン・フィルとの一連の録音は、何故か音質も北ドイツ放送響盤に及ばない。

一説によれば、ライヴ録音のノイズや演奏ミスを修正するため、過度の編集をする事により、音質劣化が起こり、音の抜けが悪くなったそうだ。

ベルリン・フィルとの演奏を気に入っている人は、北ドイツ放送響との録音と是非比較し、ご確認される事をお勧めする。

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classicalmusic at 19:04コメント(0)ブルックナーヴァント 

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これは、セル&クリーヴランド管弦楽団の全盛期の演奏の凄さを味わうことが可能な圧倒的な名演だ。

セルは、先輩格である同じくハンガリー出身のライナーや、ほぼ同世代のオーマンディとともに、自らのオーケストラを徹底的に鍛え抜き、オーケストラに独特の音色と鉄壁のアンサンブルを構築することに成功した。

ライナーやオーマンディが、シカゴ交響楽団やフィラデルフィア管弦楽団という、もともと一流のオーケストラを鍛え上げていったのに対して、クリーヴランド管弦楽団はセルが就任する前は二流のオーケストラであったことからしても、セルの類稀なる統率力を窺い知ることが可能だ。

セルの薫陶によって鍛え抜かれたクリーヴランド管弦楽団は、すべての楽器セクションがあたかも一つの楽器のように聴こえるほどの精緻なアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称されるほどであった。

もっとも、演奏があまりにも正確無比であることから、その演奏にある種のメカニックな冷たさを感じさせるという問題点もあったとは言える。

それでも少なくとも演奏の完成度という意味においては、古今東西の様々な指揮者による演奏の中でもトップの座を争うレベルに達しているのではないかと考えられるところだ。

本盤のロッシーニの序曲集は、いずれも全盛期のこの黄金コンビの演奏の完全無欠ぶりを味わうことが可能だ。

その演奏の鉄壁さにおいては、かのカラヤン&ベルリン・フィルの演奏をも凌駕するほどであり、聴き手はただただ演奏の凄さに驚嘆するのみである。

交響曲などの大曲であれば、前述のようなある種のメカニックな冷たさなどが露呈するきらいもないわけではないが、本盤のような小品集の場合は、かかるセルの演奏の欠点などは殆ど気になるほどのものではないと言える。

ロッシーニの序曲集の選曲に際して、有名な歌劇「セビリアの理髪師」序曲や歌劇「ウィリアム・テル」序曲を録音しなかったのは残念とも言える。

それでも本盤に収録されたその他の序曲は圧倒的な名演であり、あまり贅沢は言えないのではないかと考えられる。

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classicalmusic at 13:31コメント(0)ロッシーニセル 

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エサ=ペッカ・サロネンは、現代音楽や、シベリウスやニールセン等の20世紀前半から中期頃に活躍した北欧の作曲家を、1985年頃から積極的に録音してきた指揮者である。

ちょうどサロネンがスウェーデン放送交響楽団首席指揮者に就任した1985年頃から集中的に録音した作品で、「熱くなりすぎず、スマートな画期的な演奏」として非常に高い評価を得ていた盤。

サロネンのニールセンは素晴らしい。

どの曲においてもニールセンの20世紀的感覚と北欧の冷涼な空気を同時に感じさせてくれる。

ニールセンは、シベリウスと並ぶ北欧の2大交響曲作曲家であるにもかかわらず、シベリウスに比べると録音点数があまりにも少ないと言わざるを得ない。

作品の質の高さを考えると、これは実に残念なことだと思う。

それだけに、録音されたものは、指揮者の思い入れもあるのだろうが、いずれもかなりの高水準の演奏ということができる。

全集では、オーレ・シュミットのものが忘れ難いし、ブロムシュテットの2度にわたるオーソドックスな名演、同じフィンランド人のベルグルンドやヤルヴィの全集も魅力的だし、最近ではラハティの現代的な名演も印象的だった。

個別の演奏ならば、「第4」はバルビローリやカラヤン、「第5」はクーベリックやホーレンシュタインの名演を忘れてはならないだろう。

このような中で、若き日のサロネンの全集はどのような特徴を備えているのだろうか。

一言で言えば、ニールセンの交響曲の特色であるエネルギッシュな生命力と(シベリウスのように直接的ではなく、やや遠慮がちに)ほのかに漂ってくる北欧的な抒情をバランス良く兼ね備えたわかりやすい演奏ということが言えると思う。

ニールセンは、シベリウスと同じ1865年生まれのデンマークの作曲家とはいえ、グリーグやシベリウスよりも北欧情緒は稀薄で、むしろショスタコーヴィチなどに近いところもあるので、北欧の空気感などなくてもよいかもしれない。

「クール」で「スマート」で「現代的」と評されるサロネンの個性が見事にはまって、この名演を生んでいるのだろう。

また、各交響曲の出来不出来が少ないのも、サロネンの全集の魅力である。

併録の管弦楽曲も名演揃いだし、特に、リンと組んだニールセンのヴァイオリン協奏曲は、名作でありながら録音点数が交響曲以上に極めて少ないだけに、現時点でも最高の名演と評価したい(シベリウスの協奏曲もなかなかの名演だと思う)。

これだけの演奏の質、ニールセンの主要な管弦楽曲などを網羅していること、そして価格を考慮すれば、現時点で入手できる最高の全集と言っても過言ではあるまい。

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classicalmusic at 05:59コメント(0)ニールセン 

2022年08月04日


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クロノロジカルな編集で旧約、新約の両聖書の歴史と内容がコンパクトにまとめられていて、それぞれのエピソードごとに、それにまつわる1点から2点の名画を紹介して、その見どころを説いたガイド・ブック。

この一冊で聖書の成り立ちとその概要を把握することができ、欧米の教会や美術館を飾る絵画の鑑賞に一役かってくれる実用書でもある。

美術作品の写真についてはオール・カラーで掲載されているので、オリジナルの作品をイメージするのに有効だ。

ただしひとつだけ難を言うのであれば、聖書の解説については要点を分かり易く記述してあるので重宝するが、そこからテーマを採った美術作品の説明がそれほど充実しているとは言えない。

作品の数自体は107点で満足のいくものだろう。

また異なった多くのアーティストが選ぶテーマは往々にして共通しているので、例えばひとつの絵画をサンプルとして、扱われている題材と、それぞれの登場人物が誰であるか、あるいは一緒に描かれている物が何を意味しているかを理解するのに応用ができる。

しかし美術作品の紹介としては、質的にどうしても中途半端にならざるを得ない。

その理由は、先ず一冊の簡易な単行本に2つの重要なテーマを盛り込んだことで、聖書と絵画を同等の質と量で解説することに無理があり、入門書の域を出ていない。

更に美術作品の解説には、どうしても作品の成り立ちやオーダー者が誰であったか、どういうテクニックが使われているかなどの分析が不可欠になる。

このあたりは著者自身が美術の専門家ではないという理由もあるかも知れないが、残念ながら作品の芸術的価値を捉えるまで踏み込んでいない。

もし読者が実際に宗教美術に興味を持ち、それらを鑑賞し、その美術的価値を知りたいのであれば、専門の美術書の併読をお勧めする。

ちなみに67ページに紹介されているラファエッロの『エリコの陥落』は著者の言うシスティーナ礼拝堂ではなく、同じバチカンのロッジャ・ディ・ラファエッロの10番目の天井に描かれたフレスコ画になる。

もうひとつの誤りは203ページのマメ知識欄に出ているラオコーン像はルネサンス期のイタリアの代表作ではなく、ギリシャ彫刻をローマ時代、紀元前一世紀にコピーしたものというのが現在の考古学者の見解である。

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classicalmusic at 22:40コメント(0)書物芸術に寄す 

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本収録はカルショーが満を待してショルティ&ウィーン・フィルと行ったもので、独唱陣もサザーランド、パヴァロッティ他と勢揃い、バスドラムの音響も話題ともなった名盤。

当盤は、指揮、オーケストラ、独唱、合唱、録音のすべてが優秀かつ音楽的で、文句のつけようがない見事な出来映えだ。

ショルティはテンポ感が抜群であり、表情にも過不足がなく、われわれは指揮者の存在を忘れて曲自体の魅力や美しさを満喫できる。

ヴェルディの《レクイエム》は、作品自体が非常にダイナミックで劇的な性格をもっているので、あえて劇的な表現をしようとすると、それが空回りしてしまうことが多い。

このショルティの演奏は、作品のあるがままの姿を直截かつ明快に表現しており、それが結果的にすばらしいダイナミックな緊張感を生み出していると言える。

それに当時としては録音が鮮明で、有名な〈怒りの日〉の部分など、打楽器の生々しい音や、舞台の外から響いてくる金管合奏が遠くから聴こえ始めてしだいに近づいてきて全合奏の最強音に達する。

そのところの奥行きのある表現もすばらしい。

その部分だけでも一聴の価値があると言えるほどである。

全曲を一貫して出来の悪いナンバーがないのもすばらしい。

ソリストはとくにメゾ・ソプラノのホーンとテノールのパヴァロッティが美しく、ソプラノのサザーランドもうまい。

バスのタルヴェラのみ深刻癖が気になるが、全体の感銘を傷つけるほどではないと思う。

ヴェルディのオペラ的な作風を表現するのに、これに優るメンバーはないのではないだろうかと思わせるほどである。

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classicalmusic at 18:05コメント(0)ヴェルディショルティ 

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廃盤になって久しかったクナッパーツブッシュの「ブル3」デッカ録音が、テスタメントから復活した。

まず何より当時の録音ではデッカの音は他社の追随を許さぬ飛び抜けたものだ。

テスタメントの復刻は何度でも聴きたくなるような素晴らしい音質で、空気まで芳しく香ってくるような名録音である。

モノラル後期にセッション・レコーディングされたこの録音は、当時、RCAと並んで最先端の技術力を誇ったデッカならではの音の良さが魅力でもあり、往年のウィーン・フィルの濃厚なサウンドを克明な音質で愉しむことが可能だ。

とはいえ最大のポイントはやはりクナッパーツブッシュのユニークな音楽づくりにあると言えるであろう。

ここではブルックナー、ワーグナーというクナッパーツブッシュ得意のレパートリーがとりあげられていることもあって、非常に聴きごたえのある仕上がりとなっている。

ウィーン・フィルの「ブル3」はこの盤の他シューリヒト、ベームがありいずれも必聴の名盤だが、もし1枚を選ぶとすれば問題なくこの盤になる。

あえて改訂版を選択したクナッパーツブッシュのワーグナー的な響きのこの音楽を、ブルックナー演奏では真の実力を発揮するウィーン・フィルとデッカの素晴らしい録音で愉しむことができる。

根本的には素朴な演奏で、テンポは遅く、メロディはとても美しく(特に弦楽器のふくよかな音の響きはウイーン・フィルならでは)、曲の組み立てのスケールは大きく、蕩々と音楽が奏でられる。

想像の世界だが、古き良きウイーンの息吹が底流に脈々と流れてくるような駘蕩とした感があり、指揮者もオケもブルックナーに深く没入しているのが伝わってくる。

ジークフリート牧歌も勿論究極の名演。

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classicalmusic at 14:09コメント(0)クナッパーツブッシュブルックナー 

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この『道化師』『カヴァレリア・ルスティカーナ』のオペラ全曲録音の一番の特色は、大歌手時代の名だたるオペラ歌達が、とびっきりの美声とそのスタイリッシュな歌唱で歌い切った記録であり、指揮者は彼らの能力をどれだけ発揮させるかに重点を置いていて、現代のように指揮者が前面に出て、歌手を持ち駒のように扱う手法とは対照的だ。

少なくとも1980年代までは、声自体で芸ができるオペラ歌手が存在した。

指揮者ジュリーニは後年オペラから手を引いた理由に、歌手の質の劣化を忌憚なく語っている。

このディスクで異なる性質の2人の主役を歌っているジーリは、元来リリック・テナーだが、その表現力によってドラマティックな『道化師』のカニオも巧みに歌っている。

しかも『カヴァレリア・ルスティカーナ』の録音された1940年には既に50歳だったが、声の張りと瑞々しさ、コントロールされたパワフルな声量には驚くべきものがある。

それはサントゥッツァ役のソプラノ、リーナ・ブルーナ・ラーザも同様で、指揮者の存在が霞んでしまうほどの名唱と言える。

また興味深いのはシミオナートが端役のマンマ・ルチアを歌っていることで、当時30歳だった彼女がまだ主役を与えられていなかった。

彼女が主役サントゥッツァを歌うのは更に10年ほど後のことだ。

マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』は初演から熱狂的に受け入れられたが、ストーリー的には下世話な怨恨による犯罪物語で、後にトスカニーニをしてつまらない作品と言わしめた。

そうした欠点を救っていたのは、まさにその時代の大歌手達だったと言えるだろう。

作曲者マスカーニの指揮ぶりも、それほど上手いとは言えないが、ジーリなどの声の栄光によって救われた作品であることが、この録音を聴くことで理解できる筈だ。

『カヴァレリア・ルスティカーナ』の冒頭にマスカーニ自身の口上が録音されている。

彼はこの作品が作曲から50年を迎えたこと、HMVの全曲録音の勧めには、自分の音楽が生きたものとして残されることを望んで引き受けたことなどを述べている。

おりしもイタリアはファシズムの時代に突入していて、彼の口調はいくらかムッソリーニ調であることも面白い。

尚ディスクの数は2枚だが、ライナーノーツに全曲のリブレットが掲載されているので、カートン・ボックスに収納されている。

ニンバスのプリマ・ヴォーチェ・シリーズの殆どがSPレコードからの板起こし盤だが、再生機のグラモフォン(蓄音機)の音響だけでなく、再生された室内の残響も一緒に拾って録音するという方法で、かなり肉声に近いサウンドが得られている。

オーケストラはいくらか寝ぼけたような音だが、人の声域は当時の録音機器に適していたようで、他社のCD化された物より潤いがあって臨場感も得られている。

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classicalmusic at 07:22コメント(0)マスカーニ 

2022年08月03日


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ミュンシュは、ごく限られた期間ではあったが、最晩年にパリ管弦楽団の初代音楽監督を務め、この名門オケと少数の録音を行なっている。

そしてこれらの録音は、そのどれもが歴史的名演というにふさわしい内容を示しているが、そのなかで最高の名演はどれかといわれれば、私はためらうことなくこの《幻想交響曲》ライヴを挙げたい。

特にこの演奏は、結成直後のパリ管の並々ならぬ意気込みとミュンシュの最後の情熱の燃焼が一つに溶け合った稀有な名演である。

そこで繰り広げられている何かに憑かれたような熱っぽい表現は、聴き手を放心状態にさせてしまうようなカリスマ的なアピールさえをも放っているのである。

この演奏のただならぬ雰囲気は、第1楽章の序奏部でヴァイオリンが呈示するとぎれとぎれの旋律が奏でられると同時に、聴き手に印象づけられる。

ドラマティックな展開部のまさに熱狂的といえる表現などは、筆舌に尽くし難い凄みをもって聴き手に迫る。

第4楽章やフィナーレの桁外れのエネルギーを内在させたデモーニッシュな表現も、この演奏ならではの聴きどころとして特筆される。

不安で熱にうなされるような感情を強く滲ませた第2楽章も出色であり、第3楽章では、名手たちが名を連ねていた当時のパリ管の管楽器セクションの名技が素晴らしい。

「海」は設計が綿密なうえに大変語り口のうまい表現で、「波の戯れ」や「風と海の対話」など、色彩感豊かな筆致で精妙に描き上げていて見事だ。

ミュンシュ最後の生命の炎の輝きといえるこの演奏は、同時にパリ管の黄金時代を偲ばせてくれる名演でもあるのだ。

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classicalmusic at 23:33コメント(0)ミュンシュベルリオーズ 

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バレエの舞台については専門家の意見を参考にしていただくとして、演奏面に関しては素晴らしい名演だ。

オペラや劇音楽を得意とする炎のカリスマ指揮者ゲルギエフと手兵マリインスキー劇場管弦楽団によるこのアルバムは、全体の構成を明確に捉えながら劇的でダイナミックかつ情感豊かに表現したもので、舞台の動きを意識した演奏を繰り広げている。

ゲルギエフは、その後の手兵であるロンドン交響楽団とともに、同曲の再録音に臨んだが、当該盤も、近年のゲルギエフの進境の著しさを表す名演ではあった。

しかしながら、オーケストラの性格も多分にあるとは思うが、やや角のとれた円満さが目立つきらいがないわけでもなかった。

ところが、本盤は、ゲルギエフが新進気鋭の指揮者として注目を広めつつあった時期の録音でもある。

しかも、オーケストラがマリインスキー劇場管弦楽団であることもあって、ロシア風の民俗色溢れた力強い名演に仕上がっている点を高く評価したい。

バレエの舞台でも、素晴らしい音質で捉えられており、音質面においても、遜色のないものとなっている。

ゲルギエフの素晴らしい点は、新盤でもそうであったが、オペラを数多く指揮している指揮者だけに、長大な作品全体を、冗長さを感じさせることなく、実に見事に纏め上げている点である。

2時間以上も要するこの作品を、聴き手の集中力をいささかも切らせることなく、一気呵成に聴かせてしまう点は、オペラ指揮者としてのゲルギエフの真骨頂とも言える。

いい意味での演出巧者とも言えるところであり、これはゲルギエフの指揮者としての大きな強みと言える。

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classicalmusic at 20:29コメント(0)プロコフィエフゲルギエフ 

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ベートーヴェン、シューマン、マーラーなどの交響曲全集で好評を博してきたジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が、シューベルトの交響曲全集まで完成してしまった。

先般発売されたブラームスの交響曲全集については、短期間で、しかもライヴ録音で完成させたのに対して、今般のシューベルトの交響曲全集は、2年の歳月をかけてスタジオ録音された。

これはジンマンがいかにシューベルトを特別視するとともに、深く愛着を抱いているかの証左であると言えるだろう。

本盤は、当該全集の第1弾であり、交響曲第7(8)番「未完成」を軸として、ヴァイオリンと管弦楽のための作品集という組み合わせ。

ジンマンは、シューベルトを心から愛するとともに、初めて購入したスコアが「未完成」であったとのことであり、本演奏のスタジオ録音に際しては、並々ならない覚悟で臨んだものと拝察されるところだ。

ジンマンのことであり、「未完成」については第3楽章以降の補筆版、あるいはシューベルト自身が書き残した冒頭の数小節だけでも録音するのではないかとの期待もしていたところであるが、見事に肩透かしを喰わされたところである。

しかしながら、演奏自体はジンマンの個性が全開の強烈無比な演奏だ。

これまでのシューベルトの演奏とは一味もふた味も異なるため、好き嫌いが大きく分かれる演奏と言えるのかもしれない。

特に、第1楽章の無慈悲なまでの峻烈な演奏は凄まじさの限りであり、同曲の流れるような美しい旋律の数々をことごとく歌わせないなど、その徹底ぶりには戦慄を覚えるほどである。

これに対して、第2楽章は、テンポこそやや速めであるが、第1楽章とは対照的に、シューベルトならではの名旋律の数々を情感豊かに歌わせているのが特徴である。

時として、第1楽章と同様の無慈悲な表現も垣間見られるが、それだけに、旋律を情感豊かに歌わせている箇所が際立つとともに、その美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ジンマンの演奏は、いわゆる現代楽器を使用した古楽器奏法、ピリオド演奏を旨としており、「未完成」においては、果たしてうまくフィットするのか若干の不安を抱いていたところである。

しかしながら、ジンマンの前述のようなアプローチの巧みさも相俟って、聴き手によっては拒否反応を示す人がいても何らの不思議はないが、筆者としては、同曲の新たな魅力を十分に堪能することが可能であった。

ジンマンのピリオド演奏によるアプローチが、多くの指揮者によって演奏されてきた「未完成」にある種の清新さを加えるのに成功しているとさえ言えるだろう。

とりわけ、第2楽章における前述のような情感の豊かさは、ピリオド演奏にありがちな無味乾燥な演奏に陥ることを避けるのに大きく貢献している。

いずれにしても、本演奏は、手垢に汚れていた「未完成」を洗い流したような清新さを持った素晴らしい名演と高く評価したい。

併録のヴァイオリンと管弦楽のための作品集も、「未完成」と同様のピリオド演奏であるが、旋律の歌わせ方の情感の豊かさにも出色のものがある。

ジンマンと、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の第1コンサートマスターであるアンドレアス・ヤンケの抜群の相性の良さが生み出した珠玉の名演奏に仕上がっていると評価したい。

音質は、2011年のスタジオ録音だけに、従来盤でも十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 17:26コメント(0)シューベルトジンマン 

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ルドルフ・ケーラー(Rudolf Kerer)というロシアのピアニストは筆者の恩師から教えていただき、聴いてみて愕き慄き、何故今日まで知らずにいたのか後悔したとともにワクワクしながら聴き通した。

メーカーと癒着した音楽ジャーナリズムが撒き散らす情報の洪水の中で、改めて「自分の耳で聴く」態度を貫徹しなければならないと肝に銘じたところである。

ケーラーは、1923年ティフリスに生まれ、6歳でピアノを始め、12歳でトビリシ音楽院に学び、15歳の時にチャイコフスキーの協奏曲を公に演奏した。

大戦中に家族と共にロシア国外へ強制移住させられたときは、ピアノもなかったためテーブルに白黒を塗って鍵盤に模したという。

非常に厳しい境遇を乗り越えて、雪解け以降は祖国に戻りモスクワ音楽院の教授となったほか、ウィーン国立音楽大学教授も務めた。

晩年はチューリッヒに移り住み、2013年に90歳で世を去った。

このセットではロジェストヴェンスキーやコンドラシンといったロシアの名匠との協奏曲録音やソロによる演奏をたっぷりと収録しており、これだけまとまって聴けるのは貴重だ。

カナダDoremiレーベルは様々な録音を復刻しており、「LEGENDARY TREASURES」というシリーズは時々気になる演奏家の録音を探し出してくる。

今回発売されたケーラーの録音集は全てロシアMelodiya音源であり、過去に発売され話題になった録音をかなり含んでいる。

ただし、録音数はかなり多い割には、CD化は進んでいないらしい。

筆者はこのピアニストのことを今回入手するまで存じ上げなかったが、録音を聴いてみると、こんなピアニストが無名なのかと驚いた。

よくよく調べてみると、ケーラーに師事したというピアニストは大勢出てくるし、コンクールの審査員をやっていたという記述も見かけるので、ピアニストの間では有名な人物だったのだろう。

協奏曲では、伴奏のロジェストヴェンスキー・コンドラシン・ドゥブロフスキーの指揮の素晴らしさもあるだろうが、ライブ録音かと思われるほど、熱気がある演奏である。

ピアノ曲でもその熱気は感じられるので、これはケーラー自身のスタイルなのだろう。

いかにもロシア人ピアニストらしい、確かな技術に意思の力が籠められているのが分かる。

この録音集で特に感銘を受けたのはやはりロシア物で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、プロコフィエフのピアノ協奏曲第1番は圧巻。

その他、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ピアノ・ソナタ第8番、シューマンの交響的練習曲などすべて傾聴に値する。

いずれにせよ他にも多くの録音が残っているなら是非とも発掘していただきたい。

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classicalmusic at 14:01コメント(0)コンドラシンラフマニノフ 

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マンハイム楽派の1人として広くヨーロッパ各地にその足跡を残した作曲家で、ファゴットの名手でもあったエルンスト・アイヒナー(1740-1477)の6曲のフルート四重奏曲を収めたアルバムになる。

ベルギーの古楽アンサンブル、イル・ガルデッリーノの生気に溢れた、しかし気品のある息の合ったカルテットが美しい。

トラヴェルソ・ソロはこのアンサンブルの創設者で古楽器製作家のヤン・デ・ヴィンネ、それに2人の日本人奏者、ヴァイオリンの寺神戸亮及びヴィオラの秋葉美佳にチェロのクレール・ジャルデッリが加わっている。

中でも寺神戸はヨーロッパでも指折りのバロック・ヴァイオリン奏者として活躍を続けているが、幅広い表現力と正攻法のテクニックで、トラヴェルソと対等に扱われた書法での巧妙な合わせや掛け合いが秀逸だ。

デ・ヴィンネのトラヴェルソはどちらかと言えば素朴だが、非常に良くコントロールされた奏法で実力派の堅実な演奏という印象を受ける。

マンハイム楽派の隆盛とアイヒナーの室内楽がテーマのこのCD。

アイヒナーのフルート四重奏曲はバロック的な荘重さやドラマティックな曲想展開から脱皮した軽快なロココ・スタイルに洗練されている。

通奏低音のチェンバロが姿を消しているだけでなく、しばしば同音連打の上にクレッシェンドしていく典型的なマンハイムの手法が使われている。

また全曲ともこの時代特有の、軽く華やかなワン・キー・トラヴェルソの特徴とその調性を活かした2楽章形式で書かれている。

当時はモーツァルトも含めて、簡潔なふたつの楽章の音楽がインターナショナルなスタイルとして定着していたらしく、特に肩の凝らない室内楽には多用されたようだ。

フリードリッヒ大王の教師だったクヴァンツの時代から、横吹きのフルートはドイツを中心とする宮廷人の趣味の楽器としてもてはやされたのは広く知られたところだ。

マンハイムに宮廷を抱え、その楽団をヨーロッパ随一のオーケストラにした選帝侯カール・テオドール自身もトラヴェルソの愛好家として自分が参加するコンサート用の新曲を常に所望していたとされる。

またこの楽壇に所属していて、モーツァルトからも賞賛を受けた名手ヴェンドリングの影響もあってトラヴェルソが加わる室内楽や協奏曲が多くの作曲家によって作られているが、その1人が現代では存在が殆んど忘れられてしまったアイヒナーだ。

2006年のセッションでピッチはa'=415Hz。

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classicalmusic at 10:06コメント(0)音楽史 

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このネット配信は元をたどればDENONレーベルの3枚組で、1971年録音のオイロディスク音源になる。

良質なステレオ音源で鮮明な音質が特徴だが、これより以前にリリースされた同音源のRCA盤2枚組に比較するとやや劣っていると思われる。

日本盤では音質向上のために3枚にリカップリングしたようだが、後者の方がすっきりした印象がある。

ただしこれはリマスタリングを行ったエンジニアと鑑賞する側の好みにもよるので聴き比べてみるのが良いだろう。

とはいってもこの2セットはいずれも既に廃盤の憂き目に遭っていて、プレミアム価格で販売されているので、是非復活を望みたいところだ。

クルト・ザンデルリングは録音にはそれほど恵まれなかった。

旧ソヴィエト時代は音質の貧しいモノラル録音が殆どで、ようやく1960年代にドイツに帰国してからインターナショナルな活動が始まった。

このハイドンでもオイロディスクの録音水準の高さが際立っている。

しかし全曲集のオファーには恵まれず、ベートーヴェン及び2種類のブラームスの交響曲全集とベートーヴェンとラフマニノフのピアノ協奏曲全集は存在する。

残念ながら得意にしていたレパートリーのショスタコーヴィチの交響曲は全曲完成には至らなかったし、ブルックナーやマーラーにも造詣が深かったので、その点は残念だ。

その中で彼のハイドンは生き生きした推進力とベルリン交響楽団に決して硬直感を感じさせない巧さが滲み出ていて秀逸だ。

またハイドンが交響曲に表現した形式感の美しさと嬉遊性を余すところなく表現し得た、傑出した演奏だと思う。

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classicalmusic at 07:23コメント(0)ハイドンザンデルリンク 

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おそらく現在の研究成果から言えばキュモンの蒐集した資料には補わなければならないものがあるに違いない。

しかし19世紀末に宗教史の碩学が打ち立てた学説にはそれを補って余りある地道な調査と深い思索が感じられる。またミトラが秘教であり、信仰する者が他言を許されなかった事情から遺された情報が極めて乏しく、一般読者向けのミトラ教についての著書が殆んど見当たらない。

そうした意味からも小川氏の新訳を歓迎したい。

一般に古代ペルシャの宗教と言われているミトラ教の根源は、イランやインドで広く行われていた民間信仰がバビロニア、セム系の高度な占星術によって体系化され、この時にミトラは太陽神シャマシュとなり、彼はペルシャと同様バビロニアの正義の神となったようだ。

ミトラの特徴的な側面である、悪を滅ぼし勝利を与える神という位置付けから、その後のシンクレティズムによって王の保護者、兵士の守護神としてマケドニアの東征以来、逆にアレクサンドロスによって受け入れられ、更にローマへと大進出を遂げたとされる。

ローマ帝国は範図の拡張に伴って属州から直接兵士を調達することになるが、その多くはコマゲネ(アルメニア)やシリアなどの東方から供出された民族で、彼らの反乱を避けるために故郷で軍務に服することができなかったことが、更に布教を広範囲に拡げる結果になった。

つまりミトラ教の布教者は軍隊だった。

ミトラ教は位階を追った入信儀礼を一通り終えた人のみによって構成される秘密結社であり、特に下級兵士には特権意識を持たせ、戦意向上のためにも好都合だったようだ。

しかし排他的な宗教ではなかったために多くの信者を獲得できたし、コモドゥス皇帝自身の入信以降はミトラ教の正当化に拍車がかかった。

ミトラが天上界と地上界の仲介者という占星術のセオリーで洗練され、7つの惑星がそれぞれの週の一日を支配し、ひとつの金属と結び付き、それぞれが信者の入信段階に充当される。

ローマに住んでいる私は、多くのミトラ遺跡を見学してきたが、特に古代ローマの港湾都市だったオスティアの幾つかの神殿に施された床モザイクはこの理論を明確に図象化していて興味深い。

ミトラが牛を屠るプリュギア帽を被るペルシャ人で描かれる理由を、キュモンは神官達によって後付された姿としている。

岩から誕生し、太陽神の祝福を受け、最初の創造物だった荒れ狂う牡牛の肩口にミトラが短剣を突き刺すと、牡牛の体内からあらゆる動植物が現れ地上を満たした。

つまり牛の死によって総ての新しい生命が再生することから生贄には常に牡牛が持ち込まれた。

キリスト教公認後も唯一の庇護者だった皇帝ユリアヌスの客死によって、ミトラ教の最後の砦が陥落する。

しかし冥界、聖餐、肉身の復活や最後の審判などは厳然としてキリスト教の中に受け継がれていることは非常に示唆的だ。

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classicalmusic at 04:51コメント(0)書物 

2022年08月02日


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内田光子の円熟を感じさせる素晴らしい名演だ。

内田はモーツァルトのピアノ協奏曲全集をジェフリー・テイトと組んで録音していた。

それは内田光子の名声を確固たるものとする名演であったが、本盤が登場するに及んで、すっかりと影に隠れてしまった。

それほどまでに、内田光子のこの約20年にも及ぶ道程は、きわめて意義深いものであったと言える。

モーツァルトの傷つきやすい繊細な抒情を、これほどまでに意味深く演奏した例は過去にあったであろうか。

第20番など、何気なく開始されるのに、聴き進むに及んで、音楽の内面から浮かび上がってくるモーツァルト渾身の魂の響きは、あまりにも繊細にして優美であり、涙なしでは聴けないほど感動的だ。

内田光子の弾き振りであるが、クリーヴランド管弦楽団も、内田光子の繊細なピアノに符合した、実に内容豊かでコクのある演奏をしているのが素晴らしい。

第27番も素晴らしい超名演。

モーツァルトの畢生の名作を、これ以上は求め得ないような透徹した表現で弾き抜いている。

繊細な抒情に加えて、ここぞという時の力強さにもいささかの不足はないが、それでいて、時折見られる効果的な間の取り方は、殆ど名人芸の域に達している。

これは、内田光子としても、前録音から約20年を経て漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

鮮明な高音質も、本名演に華を添えることになっており、高く評価すべきものと考える。

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classicalmusic at 21:57コメント(0)モーツァルト内田 光子 

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プロコフィエフの交響曲は、初期の数作を除き、番号で呼ばれているものだけをとっても7曲ある。

それらの中でいわば頂点をなす作品が、1944年に完成された第5番であることは、大方の人々が認めるところであろう。

現在では、この作品についてもかなりの数にのぼる録音があり、定評あるものもいくつかある。

作曲から24年も後にカラヤンとベルリン・フィルとによって収録されたこの演奏は、オーケストラも最も好ましい時代にあったものである。

カラヤンも、いわば聴かせ上手という以上にこの作品の真価を強く印象づけるような自信に満ちたアプローチをみせている。

カラヤンは1968年という彼の最も輝かしい時代にこの交響曲を録音している。

カラヤン60歳、ベルリン・フィルとの関係も最良の状況にあり、このコンビは世界のオーケストラの頂点に君臨する地位と名誉を謳歌していたが、そんな時期の演奏は鳴り響く音それ自体に風格と威厳をたたえた厳かさがある。

それは現代の耳には時に威圧的に感じられなくもないが、プロコフィエフの傑作がしかるべきサウンドと技術とアンサンブルで再現されたカラヤンの演奏は、名演のモデルのようであり、作品の全貌と聴き手を向き合わせてくれる。

確かにロシア的重厚さ、土の匂い、汗の力強さとは異なるが、重厚な低音を背景に雄大なる音の光景が築き上げられていく演奏は圧巻である。

ことに第3楽章から終楽章にかけての運びの巧さと表現の密度の濃さに驚かされる。

そのスケールの大きい表現には、高度の造型性と深い内容が溢れている。

その後、ベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキーの交響曲は何度でも録音を繰り返してきたカラヤンだが、このプロコフィエフは1回きりで終わっている。

完全満足の成果と言っても間違いではないだろう。

カップリングされた《古典交響曲》は入念な仕上げでベルリン・フィルのヴィルトゥオーゾぶりを充分に発揮させた演奏。

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classicalmusic at 18:26コメント(0)プロコフィエフカラヤン 

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これは素晴らしい名演だ。

インバルは、我が国の手兵とも言える存在である東京都交響楽団とともに既にマーラーやブルックナーの交響曲の数々の名演を遺しているが、それらの名演にも増して優れたショスタコーヴィチの交響曲の圧倒的な名演の登場と言えるだろう。

インバルは、ショスタコーヴィチの交響曲第5番を、フランクフルト放送交響楽団(1988年)、ウィーン交響楽団(1990年)の2度にわたって録音しており、本盤の演奏は3度目となる同曲の録音ということになるが、過去の2つの名演を大きく凌駕する圧倒的な超名演だ。

ウィーン交響楽団との演奏は、解釈としては申し分のないもののオーケストラの力量に若干の問題があり、インバルによる同曲のこれまでの代表的な演奏ということになれば、フランクフルト放送交響楽団との演奏というのが通説である。

しかしながら、フランクフルト放送交響楽団との演奏から本演奏に至るまでの23年の歳月は、インバルという指揮者の芸風に多大なる深化をもたらしたと言っても過言ではあるまい。

何よりも、楽曲に対する追求度が徹底しており、そもそも演奏のものが違うという印象だ。

一聴すると何でもないようなフレーズでも、よく聴くと絶妙なニュアンスに満ち溢れており、演奏の濃密さには出色のものがあるとさえ言える。

フランクフルト放送交響楽団との演奏では、その当時のインバルの芸風の特色でもあるが、テンポの変化なども最小限に抑えられるなどやや抑制的な解釈であったが、本演奏においては、随所に効果的なテンポの変化を施すなど、インバルの個性が余す所なく発揮されている。

それでいて、いささかもあざとさを感じさせることはなく、加えて演奏全体の造型が弛緩することなど薬にしたくもない。

まさに、楽曲の心眼への徹底した追求と効果的なテンポの変化を駆使した個性的な解釈、加えて演奏全体としての造型美など、同曲の演奏に求め得るすべての要素が備わったまさに稀有の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

これほどの高水準の演奏を成し遂げるに至ったインバルという指揮者の偉大さを大いに感じるとともに、今後のインバル&東京都交響楽団という稀代の名コンビによるショスタコーヴィチの交響曲演奏の続編が進行中なので大いに期待したい。

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classicalmusic at 12:55コメント(0)ショスタコーヴィチインバル 

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ロベルト・ホルという名前を聞いても、ぴんとこられる方は少ないのではなかろうか。

かつて故宇野功芳氏がことあるごとに激賞し、そのシューベルトの解釈を熱烈に絶賛していた。

故宇野氏が推薦するディスクは、ロッケンハウス・フェスティヴァルにおけるライヴ録音で、一度聴いていただければ、その凄さに開眼していただけることだろう。

「凄さ」と書いたが、図体のでかいバス・バリトンの歌手が、節回したっぷりにオペラを歌っているような風情なのである。

大味この上なく、リリックな歌手を好む方には拒絶反応を示すだろう。

といっても、このライヴ録音は1987年で、今から35年前も昔の録音である。

このディスクを耳にした筆は、ひとつひとつのフレーズに命をかけるような歌い方、今まで聴いたことのないような感情のほとばしりに異常なものを感じ、できる限り最近の録音を耳にしたいと思ったのである。

これに比べて1995年のスタジオ録音では、ホルは抑制しすぎ、ピアノ伴奏は凡庸で、今聴くと、ちょっと満足できない出来である。

それは1995年の録音だが、ライヴ録音、それもピアノ伴奏はロッケンハウス・フェスティヴァルと同じ、マイセンベルク!このマイセンベルクのピアノがまた最高に素晴らしいのだ。 

ベスト・パートナーと組んだ6年後のライヴで、ホルの歌声は渋みを増し、劇的すぎる表情付けもなくなり、噛み締めるように感情の襞に触れていく。

マイセンベルクのピアノは、第1曲目「おやすみ」の冒頭から深刻の極み、まるで別の世界から響いてくるような不吉な美しさだ。

それにしても、ホルの「冬の旅」を聴いていると、どんどん悲しくなり、つらくなり、いたたまれなくなる。

でも、これが晩年のシューベルトであり、怒り、嘆き、世界を呪う、こんなはずではなかったのだ、と。

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classicalmusic at 09:32コメント(0)シューベルト 

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村上春樹氏の小説によってさらに脚光を浴びることになったヤナーチェク。

巷間、チェコの作曲家としては、第1にスメタナ、第2にドヴォルザーク、第3にヤナーチェク、そして第4にマルチヌーとされているところだ。

しかしながら、楽曲の質の高さ、他の作曲家への影響力の大きさなどを総合的に勘案すれば、ヤナーチェクはチェコの第3の作曲家などではなく、むしろスメタナやドヴォルザークを凌駕する存在ではないだろうか。

モラヴィアの民謡を自己の作品の中に高度に昇華させて採り入れていったという巧みな作曲技法は、現代のベートーヴェンとも称されるバルトークにも比肩し得るものであるし、「利口な女狐の物語」や「死者の家から」などと言った偉大なオペラの傑作は、20世紀最大のオペラ作曲家とも評されるベンジャミン・ブリテンにも匹敵すると言えるところだ。

そして、ヤナーチェクの最高傑作をどれにするのかは議論を呼ぶところであると考えられるところであるが、少なくとも、本盤に収められたグラゴル・ミサは、5本の指に入る傑作であると言うのは論を待たないところである。

同曲には、オペラにおいて数々の名作を作曲してきたヤナーチェクだけに、独唱や合唱を巧みに盛り込んだ作曲技法の巧さは圧倒的であるし、モラヴィア民謡を巧みに昇華させつつ、華麗な管弦楽法を駆使した楽想の美しさ、見事さは、紛れもなくヤナーチェクによる最高傑作の一つと評してもいささかも過言ではあるまい。

マッケラスは、こうした偉大な作曲家、ヤナーチェクに私淑し、管弦楽曲やオペラなど、数多くの録音を行っている、自他ともに認めるヤナーチェクの権威であり、ウィーン・フィルやチェコ・フィルとの数多くの演奏はいずれも極めて優れたものだ。

本盤に収められたチェコ・フィルや、優れた独唱者、そしてプラハ・フィルハーモニー合唱団を駆使した同曲の演奏は、ヤナーチェクの権威であるマッケラスならではの同曲最高の名演と高く評価したい。

スケールの雄大さ、そして独唱者や合唱団のドライブの巧みさ、情感の豊かさのいずれをとっても非の付けどころのない高水準の演奏であり、筆者としては、本演奏こそは、同曲演奏の理想像の具現化と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

モラヴィア民謡を基調とした、むせび泣くような哀感のこもった音楽であり、血のなせる技というほかないオケと合唱の抜群の反応もさることながら、映像で初めて明かされるマッケラスの熱い指揮姿を通して、この演奏に参加したメンバー全員グラゴル・ミサを愛して止まないことが肌で伝わってくる。

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classicalmusic at 00:13コメント(0)ヤナーチェクマッケラス 

2022年08月01日


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ハンガリー出身のチェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルの多才ぶりを示す一枚で、3人の異なった作曲家によるチェロ協奏曲が収められている。

1962年と1964年の録音で、音質の優秀さで知られたマーキュリーのマスターから以前SACDとして再登場したものだ。

オーケストラはロンドン交響楽団で、最初の2曲はスタニスラフ・スクロヴァチェフスキの指揮で、サン・サーンスはアンタル・ドラティが担当している。

第1曲目のシューマンの協奏曲は演奏される機会こそ少ないが、彼のヴァイオリン協奏曲と並んで非常に充実した内容を持つシューマンらしい曲と言える。

この曲では終楽章を除いては抒情的なメロディーが支配的で、華やかなチェロの技巧を際立たせるようには書かれていない。

つまり全曲を通じてかなり高度な演奏技巧が要求される一方で、更にそれを上回る音楽性の裏づけが無くてはどうにもさまにならないという作曲法だ。

シュタルケルの演奏はこうした音楽作りの難解さを鮮やかに解決している好例だろう。

終楽章のカデンツァは、曲想に適った簡潔だが密度の濃い、シュタルケル自身の手になるものだ。

2曲目はラロのエキゾチックな作品で、特に第2楽章の甘美な旋律と駆け抜けるような軽快な民謡風のパッセージが実に巧みに再現されている。

最後のサン・サーンスはチェロの技巧を前面に出した、所謂ヴィルトゥオーゾの為の曲で、最初のシューマンとは好対照を成している。

シュタルケルの超絶技巧が面目躍如たる演奏だ。

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classicalmusic at 18:42コメント(0)シュタルケルスクロヴァチェフスキ 

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リストのピアノ協奏曲は現在3曲が知られているが、短い第3番を除いた2曲がリヒテル、コンドラシンの演奏で遺されていることは幸いだ。

1961年のセッション録音で、彼らはいずれも壮年期の脂の乗り切った理想的な時期でもあり、演奏にもその充実度が反映されている。

リストの協奏曲は、ともすればピアニストのテクニックの見せ場のための演奏に陥り、音楽的な深みを出すことが難しい。

しかしリヒテルは単にピアニスティックな聴かせどころだけに留まらず、芯のある骨太な音楽構成を保っている。

そこにリストの奇々怪々ともいえるロマンティシズムが表出されていて、他のピアニストに比較して、際立った重量感のある演奏だ。

それはまたコンドラシンの絶妙なサポートにも負っているが、ロンドン交響楽団の良く統率されたサウンドも時には不気味でもあり、また時には小気味良く、両曲とも後半に置かれたマーチではドラマティックなクライマックスを築き上げている。

ピアノ協奏曲第2番イ長調は、第1番に比べて採り上げられる機会が少ない。

それは曲の構成がラプソディー風で、一見つかみどころがないような印象があるからだと思うが、彼らの表現力の豊かさはこの作品の価値を充分に示している。

ソロとオーケストラの間の弛緩のないやり取りと、第5部から第6部への盛り上げは彼等ならではの迫力を持っている。

このディスクにはベートーヴェンの3曲のピアノ・ソナタ第10番、第19番及び第20番がカップリングされている。

これらのソナタも実際のコンサートで採り上げられることが少ないが、リヒテルの手にかかると、平易な可愛らしさだけでなく味わい深い曲想が展開される。

彼はベートーヴェンのソナタ全曲を録音しなかった、というより録音するつもりもなかったようだが、こうした表現を聴くと全曲集を完成しなかったことが惜しまれる。

1963年のレコーディングで音質は極めて良好。

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classicalmusic at 14:40コメント(0)リヒテルリスト 

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デュ・プレのザ・コンプリートEMIレコーディングスの17枚組が既に2012年にリリースされている。

今回はCD23枚で追加された6枚分の曲目を調べてみた。

デュ・プレが演奏しているレパートリーで新音源はわずかにブラームスのクラリネット三重奏曲イ短調のみだった。

これは1968年にド・ペイエのクラリネット、バレンボイムのピアノとの共演でロンドンのアビーロード・スタジオでのセッション録音だ。

リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・キホーテ』に関しては当時の録音の手落ちを今回新しく修正したもので、演奏自体は同一。

このワーナーの新全集のために新規のリマスタリングが行われている点も挙げられるが、旧全集を持っている方はそちらで充分だと思う。

CDの枚数が6枚増えたのは、LP盤初出時のオリジナル・カップリングを採用したために、デュ・プレが演奏していないディーリアスの管弦楽作品が数曲ある。

またCD3の小品集では収録曲11曲のうち彼女の演奏は僅かに5曲のみという具合なので、水増し的に量は増えたが内容は殆ど変わらないというのが実態だ。

旧盤をお持ちの方は買い替える必要はないと思うが、既に製造中止の憂き目に遭っているので、これから彼女のコレクションを始めたいという入門者には便利なセットとしてお薦めできる。

デュ・プレのキャリアは正味12年間ほどで、既に28歳の時には不治の病のために演奏活動を断念しなければならなかった。

このために円熟期を迎えることができなかった恨みは残るとしても、その若さに相応しい強い感性に支えられた演奏は不滅の輝きを持っている。

彼女はチェロの演奏に没頭しながら短い人生を駆け抜けるように生きたし、またその演奏もひたむきなまでに情熱的だ。

曲によってはもう少し醒めたところがあってもいいと思うものもあるが、ここに収められた曲集では既に彼女が誰にも真似のできない独自の芸術的な域に達していたことを察するに余りある。

デュ・プレの演奏の特徴は、天性の鋭い感性で曲想を楽譜から直感的に読み取っていくところにある。

それは時間をかけた試行錯誤を繰り返して入念な解釈を見出すことが許されなかった彼女に与えられた最高の武器だったに違いない。

それだけに情念が燃え上がるような曲趣のシューマン、ドヴォルザーク、エルガーなどでは何かに憑かれたような濃密な表現だ。

また同じドヴォルザークやディーリアスでの緩徐楽章で聴かせる全神経を集中させたカンタービレの美しさも真骨頂だ。

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classicalmusic at 09:42コメント(0)デュ・プレバレンボイム 

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マイスキーは、ロストロポーヴィチが亡き現在においては、その実力と実績に鑑みて世界最高のチェリストであることは論を待たないところだ。

マイスキーは、チェロ協奏曲の最高傑作であるドヴォルザークのチェロ協奏曲を2度録音している。最初の録音はバーンスタイン&イスラエル・フィルとの演奏(1988年)であり、2度目が本盤に収められたメータ&ベルリン・フィルとの演奏(2002年)ということになる。

これら2つの演奏はいずれ劣らぬ名演であるが、その演奏の違いは歴然としていると言えるだろう。

両演奏の間には14年間の時が流れているが、それだけが要因であるとは到底思えないところだ。

1988年盤においては、もちろんマイスキーのチェロ演奏は見事であり、その個性も垣間見ることが可能ではあるが、どちらかと言うと、バーンスタインによる濃厚な指揮が際立った演奏と言えるのではないだろうか。

晩年に差し掛かったバーンスタインは、テンポが極端に遅くなるとともに、濃厚な表情づけの演奏を行うのが常であったが、当該演奏でもそうした晩年の芸風は健在であり、ゆったりとしたテンポによる濃厚な味わいの演奏を展開していると言える。

マイスキーは、そうしたバーンスタイン&イスラエル・フィルが奏でる濃厚な音楽の下で、渾身の名演奏を繰り広げているが、やはりそこには自らの考える音楽を展開していく上での限界があったと言えるのではないかと考えられるところだ。

そのようなこともあって、当該演奏の14年後に再録音を試みたのではないだろうか。

それだけに、本演奏ではマイスキーの個性が全開しており、卓越した技量を駆使しつつ、重厚で骨太の音楽が構築されているのが素晴らしい。

いかなる難所に差し掛かっても、いわゆる技巧臭が感じられないのがマイスキーのチェロ演奏の素晴らしさであり、どのフレーズをとっても人間味溢れる豊かな情感がこもっているのが見事である。

同曲特有の祖国チェコへの郷愁や憧憬の表現も万全であり、いい意味での剛柔バランスのとれた圧倒的な名演奏を展開している。

メータ&ベルリン・フィルも、かかるマイスキーのチェロ演奏を下支えするとともに、マイスキーと同様に、同曲にこめられたチェコへの郷愁や憧憬を巧みに描出しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、マイスキーの個性と実力が如何なく発揮された至高の名演と高く評価したい。

併録のR・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」も素晴らしい名演だ。

本演奏でのマイスキーは、重厚な強靭さから、繊細な抒情、そして躍動感溢れるリズミカルさなど、その表現の幅は桁外れに広く、その凄みのあるチェロ演奏は我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力と説得力を有していると言えるだろう。

タベア・ツィンマーマンのヴィオラ演奏も見事であり、メータ&ベルリン・フィルも、持ち得る実力を十二分に発揮した名演奏を展開している。

R・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」には、ロストロポーヴィチがチェロ独奏をつとめたカラヤン&ベルリン・フィルによる超弩級の名演(1975年)が存在しているが、本演奏もそれに肉薄する名演と高く評価したい。

音質は、2002年のライヴ録音であり、従来盤でも十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 00:09コメント(0)マイスキーメータ 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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