2022年09月

2022年09月30日


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1951年10月29日、ミュンヘンのドイツ博物館コングレスザールでの実況録音。

地元のバイエルン放送がラジオ放送用に録音したものとのことである。

当月のフルトヴェングラー/ウィーン・フィルは5日から22日まで、18日間で16回のコンサートをこなし、27日はフルトヴェングラーは単独でハンブルクに行き北ドイツ放送響を振り、翌28日はカールスルーエで再度ウイーン・フィルと合流しブラームス他を演奏している。

そして29日にミュンヘンに入るという超人的な強行軍である。

この録音もあくまでも放送用で、その後、長くLP、CDで聴きつがれることは演奏者は想像もしていなかっただろう。

フルトヴェングラーの足跡をたどるうえでは貴重な記録だが、会場の悪さ、オーケストラの疲労度からみてもベストの状況の録音とは思えない。

会場の雑音の多さは一切無視するとしても、第1楽章冒頭のホルンのややふらついた出だしといい、折に触れての弦のアンサンブルの微妙な乱れといい、意外にもフルトヴェングラーの演奏にしては要所要所での劇的なダイナミクスの不足といい、第4番を聴きこんだリスナーにとっては気になる点は多いはずである。

一方でレーヴェの改編版による演奏という点に関してはあまり気にならないかも知れない。

それくらいフルトヴェングラーの演奏が「独特」であり後者の方に大方の関心が向かうからかも知れないが…。

にもかかわらず、本盤はブルックナー・ファンにとっては傾聴に値すると思う。

それは第2楽章アンダンテを中心に各楽章の弦のピアニッシモの諦観的な響きにある。

特に第2楽章18分28秒の非常に遅いテンポのなかに籠められているのは、転調をしても基本的にその印象が変わらない深く、名状しがたい諦観であると思う。

しかもそれはウイーン・フィルのこよなく美しい響きとともにある。

ここに表出されている諦観が作曲者のものなのか、指揮者の時の感興か、双方かはリスナーの受け止め方如何であろうが。

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classicalmusic at 21:34コメント(0)ブルックナーフルトヴェングラー 

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モーツァルト生誕200年に、メトロポリタン歌劇場で2月23日から3月26日まで7回公演されたもののうち、3月3日の録音。

ワルターは「魔笛」をモーツァルトの遺言と考えており、しかも1956年3月3日をいえばニョーヨーク・フィルによる「ジュピター」(3月5日)のレコーディングの直前、彼の芸術の頂点を示した時期である上に、実演録音でもある。

この演奏は1942年の「ドン・ジョヴァンニ」とともにワルターが残したモーツァルト・オペラ最高の、いや「魔笛」最高の演奏と言うべきである。

劇音楽に対するワルターの才能の現われも特徴的で、ドラマの持つ感情や意味を音楽化する力において、筆者は少なくとも「魔笛」に関する限りワルター以上の人を知らない。

前時代的と言われようが歌詞が英語だろうが絶好調のワルター芸術が爆発している。

速めのテンポで演奏されるこのライヴ盤は、歌手とオーケストラとの、アンサンブルでの齟齬などもあるけれど(オケが終始速め)、ワルターの情熱とオペラ指揮者としての迫力が充分に伝わる名演である。

モーツァルト晩年の透明感とは少し違うかもしれないが、生き生きとした音楽は心に深く浸み込み、大きな感動を与えてくれる。

歌手陣には若干の不満もあるが、こと指揮について言えばその壮麗かつ迫力の凄さにまさに圧倒される。

英語も聴き進むに従って気にならなくなる。

重唱や合唱、さらには独唱者にさえ与えられるワルターの表情、レガートやスタッカート、強弱のニュアンスの変化はまさにデリケートの極みと言うべきであろう。

それはちょうどニューヨーク・フィルを振った「ジュピター」をさらに多様に、さらに生々しい血を通わせてオペラに封じ込めたと言ったら良いだろうか。

コーラスもオーケストラもむしろ平凡だが、すべてが完全にワルターの手足となり、まとまったチームとなって充実した演奏を繰り広げている。

かえって歌手にスターがいないだけに、ワルターの「魔笛」がいっそう純粋に味わえるのだとも言えるだろう。

これに比べればベームやクレンペラーの「魔笛」はあまりにも一面的であり、モーツァルトの驚くべき変化に富んだ音楽の魅力を、かなり失っていると言わざるを得ない。

ワルターの真価をすでに認めている人にはともかく、疑問を持っている人にぜひ聴いてほしい演奏である。

この年(1956年)ワルターは現役引退を表明したのであった。

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classicalmusic at 06:34コメント(2)モーツァルトワルター 

2022年09月29日


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『巨人』は1985年2月12日、『さすらう若人の歌』は1991年9月26日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールに於けるライヴ録音。

テンシュテットがいかにライヴの人だったか、20世紀を代表するマーラー指揮者の1人だったか、そしてさらにテンシュテットの棒にロンドン・フィルが必死でついていっている様子が手に取るように分かる録音。

テンシュテット指揮によるマーラー『巨人』は、なんといってもこの指揮者の十八番であり、この演奏はテンシュテットにしては加速度が加わり、オケの高揚をテンシュテットが抑えている感じがして最も熱狂的。

大盛り上がりの金管楽器もさることながら、そこに絡み付いてくるうねるような粘着質な弦楽器。

木管もこれでもかと鋭い音を響かせる。

ライヴならではの臨場感もさることながら、生々しい音がスピーカーを通して体にまとわりついてくるような非常に濃厚で粘着質な演奏とでも言おうか。

EMIの録音が1977年10月、この間にどんな心境の変化があったか窺い知れないし、癌告知前、テンシュテットがまだまだ元気だった頃のライヴなのだが、とにかく、この粘り強くハイテンションな演奏にノックアウトされた次第。

過去に発売されたものも素晴らしかったが、この熱さ、情熱のほとばしりはテンシュテット最盛期の仕事の結果であろう。

しかし、演奏は文句無く「最高」なのだけれど、録音がよくないので最高の評価はできない。

カップリングは、『巨人』と使用動機などで密接に関連する歌曲集『さすらう若者の歌』。

バリトン独唱は、前年の1990年2月にバーンスタイン&ウィーン・フィルと共演してこの歌曲集を歌っていたトーマス・ハンプソン。

2年連続での強烈なマーラー指揮者との共演ということになった。

なお、テンシュテットはこの作品のセッション録音を残していないため、今回のリリースは、大変に有意義なものと言えるだろう。

ハンプソンは、いたるところで印象的に長いラインを引き伸ばし、多彩な色彩感を歌の間や中から紡ぎ出している。

オーケストラは、美しい集中力を発揮して、ハンプソンを伴奏している。

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classicalmusic at 18:54コメント(0)マーラーテンシュテット 

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これはハンブルク国立歌劇場で新演出の『サロメ』が上演された際の初日のライヴである。

恐らくベームと付き合いのある演出家のアウグスト・エファーディングの招きに応じたのか、この大指揮者にとって1933年以来のハンブルク国立歌劇場との公演という意味においても記念碑的な意味を持つ。

時折この都市でコンサートは指揮していたものの、ベームにとっては嘗ての手兵、歌劇場にとっては“おらがマエストロ”の久々のオペラ公演ということで、共に気合が入ったであろうことは疑いようがない。

ハンブルクの聴衆にしても、この都市で音楽監督を務めたベームが、ウィーン国立歌劇場総監督に上り詰め、その後、カラヤンやバーンスタインらと世界の演奏界の頂点に君臨する存在になったことは誇りであったことであろう。

往年のマーラーがやはりこの地の歌劇場総監督からウィーン宮廷歌劇場へ進出したように。

しかも、ベームが監督を務めていた時代のメンバーは先ず在籍していなかったであろうし、聴衆の中にもハンブルク時代のベームを知る人も少なかったであろうが、久々にコンビを組んだとは思えない程に指揮者も管弦楽も一つにまとまっている。

北ドイツ気質というか、まさに共に質実剛健で、音楽の本質に真っ向から切り込んでいく。

しかも、ライヴならではの破壊力が随所に感じられて、息をつく暇はなく、コーダまで息詰るような緊張感が支配している。

その為、この楽劇に美少女サロメの妖艶さや情感の豊かさを求める向きには禁欲的な演奏と言える。

ただ、ベームは師であったシュトラウスの意図や指揮ぶりも熟知しており、恐らくこの演出こそが本来この楽劇に求められたものであろうと思わせるだけの説得力がある。

歌手陣ではF=ディースカウとオフマンが素晴らしい。

サロメ役のジョーンズは恐らく舞台では凄く映えたであろうが、歌だけを聴く限り、時折ヒステリックになり、演技の限界を露呈している。

ヨカナーン役のF=ディースカウに関しては、ベストパフォーマンスだと思う。

無比の燃焼を示した不朽の歴史的名盤と称するべきである。

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classicalmusic at 07:31コメント(0)R・シュトラウスベーム 

2022年09月28日


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《ショパン》1954年10月25日ケルン放送第1ホール/《ベートーヴェン》1959年4月6日ケルン放送第1ホールに於けるライヴ(モノラル)録音。

アラウのレパートリーは幅広いものであったが、中でも特に評価の高かったのが独墺ものとリスト、ショパンなどであった。

当盤はアラウ得意のショパンとベートーヴェンのコンチェルトを収めたもので、前者はオットー・クレンペラー、後者はクリストフ・フォン・ドホナーニが指揮を受け持っている。

このCDに収録された演奏は、どちらもWDR(ケルン放送)に保存されていた放送局正規音源によるオリジナルのテープの復刻で、アラウのケルン放送交響楽団とのライヴ録音盤。

ショパンの方はクレンペラーが指揮したという、とても貴重なもので、これまでにも出所のわからない復刻盤が出ていたが、こちらは確かな音源を新しくマスタリングしたものであり、その点でも満足できるもの。

この演奏について、批評家ジェド・ディストラーは「感情的な新鮮さと自由なフォルムはまさに理想的であり、彼の比較的慎重なスタジオ録音とは鋭い対比を見せる、活気のあるパフォーマンスである」と述べている。

クレンペラーとのショパン第1番は以前から有名なもので、作品の通常のイメージからすると重厚で力強すぎる感のあるクレンペラーのオーケストラと、ロマンティシズムをたたえながらもやはりパワフルなアラウのピアノが渡り合うという実に堂々たるコンチェルト演奏である。

クレンペラーとアラウの関係は、戦前、1930年代にベルリンでおこなったシューマンのピアノ協奏曲での共演にまでさかのぼる。

そのときは若手のアラウに対してクレンペラーが徹底的に自分の解釈を押し付けたため、アラウは不快な思いをしたと述懐しているが、それから20年を経てのここでの彼らの関係は、それに比べれば非常に良好とは言えるものの、ショパンのことをあまりわかっていないクレンペラーに対して、アラウが困る場面もしばしばだったとか。

とはいえ、演奏はユニークながら素晴らしいものに仕上がっており、この成功が3年後のロンドンでのベートーヴェン・チクルスに結びついたのかも知れない。

アラウとドホナーニは1963年のシューマン&グリーグのフィリップス録音で相性の良いところを見せてただけに、4年前の収録となるこのベートーヴェン第4番でも良いコンビネーションを披露した演奏である。

ベートーヴェンの協奏曲も1955年のスタジオ録音を凌駕するものと言えそうだ。

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classicalmusic at 21:29コメント(0)アラウ 

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素晴らしい出来映えだ。

あまりに官能的で陶酔的な美をきわめた1997年ライヴの「第9」が大反響を呼んだシノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデンによるマーラーであったが、これからさらに2年後の「第4」ライヴという興味深い録音である。

ブーレーズの透徹されて隙のない音、スコアと対峙するような解釈の「第4」も素晴らしいのだが、シノーポリのこの優しく包み込まれるような解釈はどうだろう。

出だしは例によって歩が遅いし、強烈なアゴーギクが掛けられた間奏部、また再現部では急に歩を速めたりと例によって昔から変わっていないスタイルなのだが、シュターツカペレ・ドレスデンがこのシノーポリズムを完全に飲み込んだ上で紡ぎ出す珠玉の旋律からはマーラーの楽しみ方に別の一つの道筋を付けていると今更ながら気が付かされた思いだ。

「第9」同様、シノーポリの様々な仕掛けがシュターツカペレ・ドレスデンの様式美によってうまく補完され、血肉化されている。

「第9」に関しては、そのためちょっとマイルドになり過ぎたと感じたものだが、「第4」なら何の不満もない。

ここでもやはり「第9」のときと同じく、フィルハーモニア管盤(1991年)と比較して両端楽章でそれぞれ2分ほど演奏時間が長くなっているのが目立った特徴。

なかでも終楽章は実際の時間以上に、出だしから極端に遅く感じられる。

最も目立つ特徴は終楽章、特に後半の「天上の音楽」の描写になってから、非常に遅いテンポがとられていることだろう。

これは指揮者自身が聴衆を前にした解説(時間の関係で音声は途中までだが、ライナーノートには全文収録しており、内容はやや散漫ながら、シノーポリの知性と教養が良く分かる)で述べている「子供の感じた非現実の天国」を表現したのだと言える。

ここでソリストに起用されたのはマーラー歌いとしてすでにキャリアも豊富なバンゼ。

ブーレーズ盤とはガラリと変わって、停止するかのように息の長いフレージングをシノーポリの意図を汲んで完璧に歌い尽くしている。

そうかと思えばシノーポリは第1楽章の主題が回帰するところでは一転、急加速。

交替してソプラノの甘美なメロディが登場するとまたもやグッとテンポを落としてくる。

このあたり、極端なテンポ・ルバートを基調としたシノーポリ美学の真髄といえるだろう。

死を目前にしたシノーポリが、必ずしも天上の世界は幸せばかりではないと、心に訴えかけてくるかのようだ。

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classicalmusic at 11:38コメント(0)マーラーシノーポリ 

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ワルターとニューヨーク・フィル(「田園」のみフィラデルフィア管)のモノーラルによるベートーヴェンの交響曲全集。

録音条件としては後年のステレオ録音の方が当然良いし、演奏もさらに円熟している。

しかしこのベートーヴェンには、ステレオ録音とは異なる独特の精気と艶やかな情緒の表出があり、独自の説得力の強さがある。

オーケストラがニューヨーク・フィルであるのもその一因だろうが、後年の録音に比べて解釈が一層ロマン的なのも非常に興味深い。

第1番は表現上の情緒的変化がワルターの頭の中ではっきり計算されている。

だから楽曲全体を聴いた場合、そこにゆったりとした気分の統一が非常に親しみやすい印象を与え、単純にみえて実はうまく演奏するのは難しいこの曲を一糸乱れぬ統一で、しかも美しい響きですっきりと演奏しているのは立派だ。

特に第2番は、ワルターの個性と曲趣が一致したのであろう、立派な演奏である。

よく歌い、そして自然であり、いささかも渋滞したり誇張したりしない。

滔々と流れる大河のように雄大であり、また細部の美は明瞭である。

「エロイカ」では、いたずらに劇的な誇張を避けたダイナミックな進行で、この曲が内に秘めた大らかな世界を十二分に歌い出している。

充分に音を柔らかくふくらませて、オーケストラ全体をよく歌わせた表現である。

葬送行進曲のテンポと後半の対位法的進行のところの見事な処理、第4楽章の大きく波打つような情感の盛り上がり、こうありたいと思う表現である。

第4番の古典的詩情の曲もワルターの得意とするところである。

第2楽章アダージョの夢のようにのどかな主題をいかに幸福感に満ちて歌ってゆくことか。

第5番は聴き終わって威圧的なものを少しも与えられずに、実に堂々たる作品であった感銘を深くする。

それがワルターの純粋さなのである。

これは伝統を血とした者の純粋な思考が生みだした演奏で、単に情緒的とかロマン的とかの部分的要素を把握した演奏スタイルではないのである。

ワルターが正直に、深く考え感じぬいた結果の「運命」である。

フィラデルフィア管弦楽団との「田園」は、コロンビア交響楽団との共演よりもやや速いテンポで、情緒的に統一のある表現でまとめている。

第7番は野性的と言えるほどに情熱的なこの曲を、ワルターは平穏な特徴をつかんで演奏しているところに特徴がある。

スケルツォと終楽章をトスカニーニと比較してみると、その特徴がよくわかる。

第8番も、じつに柔らかな良い演奏で、現役の指揮者として最盛期にあったこの時代の録音は、やはり貴重なもので、特に第7番はワルター・ファンには、聴き逃せない演奏である。

第9番の演奏の個性的で、歌に満ちた表現は高く評価したい。

その表現はワルター特有の非常に情緒的で流麗なスタイルであり、声楽の部分も良い出来で、個々の歌唱ばかりでなく、四重唱も立派である。

このような一貫した楽想の下に統一された「第9」は他にはない。

総じてニューヨーク・フィル時代のワルターの録音は、ステレオ盤とは幾分異なるワルター像を記録していると言えよう。

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classicalmusic at 07:29コメント(0)ベートーヴェンワルター 

2022年09月27日


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モーツァルトは、交響曲やオペラ、協奏曲、器楽曲など、様々なジャンルにおいて傑作の数々を遺している。

そうした広範なジャンルの中で、弱点とも言うべきところがある。

それは、諸説はあると思うが、筆者としてはヴァイオリン協奏曲ではないかと考えているところだ。

真作とされているのは第1番〜第5番の5曲であるが、そのいずれもが10代の時の若書きであるからだ。

もちろん、第3番や第5番など、モーツァルトならではの典雅で美しい旋律に満ち溢れた名作であるとは言えるが、同じ協奏曲でも、ピアノ協奏曲やクラリネット協奏曲をはじめとする管楽器のための協奏曲などと比較すると、作品としての価値は若干劣ると言わざるを得ないのではないだろうか。

本盤に収められたヴァイオリン協奏曲の第6番及び第7番は、モーツァルトの作品と呼称されてはいるものの、現在では偽作とされている作品だ。

しかしながら、若書きである第1番〜第5番よりも熟達した作品であると言えるところであり、作品そのものの魅力という点においても、真作である第1番〜第5番を大きく凌駕する名作であると言えるだろう。

もちろん、偽作とされているだけに、古今東西の様々なヴァイオリニストによるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集に第6番&第7番が盛り込まれることは殆ど皆無であり、そもそも第6番&第7番の録音自体が極めて少ないと言わざるを得ない状況にある。

そのような中での、名ヴァイオリニストであるカントロフによる本演奏は希少価値があるのみならず、おそらくは両曲の最高の名演と言えるのではないだろうか。

むしろ、カントロフによる本名演によって、これら両曲が第1番〜第5番を凌駕する名作であるということが認知されたと言っても過言ではないところであり、その意味では、本演奏こそは両曲の理想の名演と言っても過言ではあるまい。

モーツァルトの真作とは言い難いものの、作品の持つ典雅にして高貴な名旋律の数々を格調高く描き出しており、あたかもモーツァルトの未発見の名作を聴くような気分にさせてくれるのも、本演奏の大きな魅力である。

いずれにしても、本演奏は、両曲の魅力を十二分に味わわせてくれるカントロフならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

それにしてもこの魅力作を作曲したのは一体誰なのだろうか・・・?

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classicalmusic at 17:35コメント(0)モーツァルト 

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1970年当時の東独のベスト・キャストを集めた代表盤。

実に見事なモーツァルトである。

まずスウィトナーのすこぶる密度の高い、およそ余計な虚飾を持たぬ、音楽の精髄だけみたいな表現に感嘆せずにはいられない。

オーケストラはややくすんだ古雅な音色で、まるでいぶし銀のような純度と底光りを持っている。

スウィトナーの指揮はおおむね正攻法の格調高いもので、弦は堅実かつ克明にフレーズを刻み、それに管パートの素朴にして柔らかい音色が味わいを添える。

誇張感を抑えた誠実な演奏だけあって、歌唱とのアンサンブルにおいてもハーモニーのパースペクティヴがすこぶる良好で、オペラ演奏としてのナチュラルな愉悦感が聴いていて直截に伝わってくる。

6人の歌手も、スウィトナーの棒の下にきちんとひとつのスタイルに統一されたアンサンブルを形作っている。

特にアダムとシュライアー、ゲスティがよいが、それぞれの歌唱を単独で考える分にはいずれも非常に立派で申し分ないが、性格対比という面でちょっとひっかかるものがある。

具体的にはフィオルディリージ役カサピエトラとドラベラ役ブルマイスターの配役がそうで、両者の歌唱を比べるとブルマイスターの方がカサピエトラよりひとまわり貞淑な感じだが、性格的にはフィオルディリージの方がドラベラよりも貞淑のはず(台本上ドラベラは第2幕5場で早々と「陥落」するのに対し、フィオルディリージは第2幕12場でようやく陥落する)で、そのあたりの対比がちょっと曖昧。

フェルランド役シュライアー、グリエルモ役ライプ、アルフォンソ役アダムはそれぞれ歌唱も上手いし芸達者ぶりも上々。

しかし芸達者という点でピカイチなのはむしろデスピーナ役ゲスティで、第1幕終盤での医者に化けてラテン語もどきをまくしたてるあたりとか、第2幕終盤で今度は公証人に化けて契約書を早口でまくしたてるあたりとか、いずれも聴いていて思わず吹き出してしまうほど面白い。

音質は年代を考えると非常に良く、下手なデジタル録音より音響的な臨場性に富んでいる。

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classicalmusic at 11:11コメント(0)モーツァルトスウィトナー 

2022年09月26日


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近年では円熟の境地を迎えたものの、かつての光彩をすっかりと失ってしまったメータであるが、ロサンゼルス・フィルの音楽監督をつとめていた時代は凄かった。

当時は、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を繰り広げていたアバドや、ボストン交響楽団の音楽監督に就任して世界に羽ばたこうとしていた小澤などと並んで、新進気鋭の指揮者として次代を担う存在と言われたものであった。

かの巨匠カラヤンも、将来のクラシック音楽界を背負う指揮者としてアバド、小澤とともにメータを掲げていたこともあり、メータが当時、いかに華々しい活躍をしていたかを窺い知ることが可能である。

本盤に収められたマーラーの交響曲第2番「復活」の演奏は、メータがいまだ39歳の時に、ウィーン・フィルを指揮したものであるが、メータの類稀なる才能を感じさせる圧倒的な超名演と高く評価したい。

メータは、その後も同曲を録音しているが、本演奏の持つ魅力に迫る演奏を成し遂げることがいまだ出来ないでいるところだ。

とにかく、冒頭から凄まじいド迫力だ。

どこをとっても切れば血が噴き出てくるような力感が漲っており、随所に聴かれる畳み掛けていくような気迫や生命力にはただただ圧倒されるのみである。

大胆とも言うべきテンポの思い切った振幅や猛烈なアッチェレランド、そして強弱の変化などを効果的に駆使して、途轍もない壮麗な壁画とも言うべき圧倒的な音楽を構築しているのに成功していると言えるだろう。

それでいて、第2楽章や第4楽章などにおける繊細な美しさにも出色のものがあり、必ずしも若さ故の勢い一本調子の演奏に陥っていないことに留意しておく必要がある。

演奏によっては冗長さに陥りがちな終楽章も、緩急自在のテンポ設定を駆使した実に内容豊かな表現を垣間見せており、終結部のスケール雄大さも相俟って、おそらくは同曲演奏史上でも上位にランキングしてもいいような見事な演奏に仕上がっていると言えるところだ。

イレアナ・コトルバスやクリスタ・ルートヴィヒと言った超一流の歌手陣も最高のパフォーマンスを発揮しているとともに、ウィーン国立歌劇場合唱団もこれ以上は求め得ないような圧倒的な名唱を披露していると言えるだろう。

そして、特筆すべきは、ウィーン・フィルによる見事な名演奏である。

若干39歳のメータの指揮に対して、これほどの渾身の名演奏を繰り広げたというのは、ウィーン・フィルが若きメータの才能を認めていたに他ならないところであり、こうした点にも当時のメータの偉大さがわかろうというものである。

いずれにしても、本演奏は、若きメータによる圧倒的な名演であり、加えて同曲演奏史上でも上位を争う素晴らしい超名演と高く評価したい。

そして、本演奏の凄さは、英デッカによる今は亡きゾフィエンザールの豊かな残響を生かした極上の高音質録音と言える。

英デッカは、その録音の素晴らしさで知られているが、その中でも、本演奏は最上位にランキングされるものと言えるのではないだろうか。

したがって、従来CD盤でも十分に満足できるものであったが、数年前にSHM−CD化がなされ、それによって、更に良好な音質になったところであり、筆者もこれまでは当該SHM−CD盤を愛聴してきたところだ。

ところが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やSHM−CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

オーケストラと合唱が見事に分離して聴こえるなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、メータによる圧倒的な超名演を、シングルレイヤーによるSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:17コメント(0)マーラーメータ 

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1988年のジルベスター・コンサートの模様を収録した映像作品。

図らずもこれがカラヤンが指揮したベルリン・フィルの最後のコンサートになってしまった。

収録曲はプロコフィエフの交響曲第1番とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番である。

特にチャイコフスキーは当時17歳のキーシンとの競演。

1988年の年末にキーシンのプロデューサーがカラヤンにキーシンのピアノの録音を送り、この人に会ってみないか?と提議した。

カラヤンは演奏を聴き、即OKサイン。

当時キーシンはその事実にかなり当惑したと言う。

キーシンがベルリンに到着し、カラヤンの前でショパンの幻想曲を披露した。

カラヤンは終了後、彼を抱き、キスした後、涙を流したと言う。

1988年のこのライヴの後、ロシアに戻るキーシンと母親にカラヤンはこう言った。

「天才だ!」と。

1975年版のような強弱の極みや、1961年版のような力む場面もない。

これはカラヤンの白鳥の歌となった。

何とも自然さの中に佇む巨人の老いた疲れと今だ健在の実力とが飛び交うそんな感動を呼ぶ。

同情ではなく、純芸術的に最上の歌と成っているのだ。

強弱の表し方は確かにカラヤンのもので、気薄な感じがするが、マイナスと働いていないところがさすがに帝王カラヤンだと思う。

それが妙に冷たく同時に輝かしい響きがするのだ。

悠然と指揮するカラヤンと、若さに満ちあふれ力一杯ピアノを演奏するキーシンのコントラストがクラシック界の世代交代を象徴しているようにも見えた。

確かに、この日のカラヤンは指揮台まで一人で歩くことすらままならず、指揮の動きも決してダイナミックとは言えない。

しかし、ベルリン・フィルはカラヤンの微妙な手の動きに合わせ、正確にかつ叙情豊かに旋律を奏でていく。

生演奏での中継も1988年大晦日に見たが、感動的で素晴らしかった。

カラヤンとベルリン・フィルの長年の共演を締めくくるのに相応しい演奏である。

まだご覧になってない人には、一見一聴の価値ありとして強力に推薦したい。

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classicalmusic at 12:52コメント(0)カラヤンキーシン 

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『トリスタンとイゾルデ』という作品は、オペラ指揮者が情熱を傾けたくなってしまう抗しがたい吸引力を持っているようだ。

そのため多くの巨匠たちがこぞってこの作品を取り上げ力作を残してきた。

それでもなぜか、真のカペルマイスターにとって録音の機会を得るだけでも困難だったのは世の矛盾を目の当たりにするようで、深く考えるのに抵抗を感じてしまう。

20世紀最高のワーグナー指揮者だったクナッパーツブッシュは結局、正規録音を残していない!

これは戦慄すべき事実である。

この作品は凡演で聴かされると退屈でしょうがないが、人によっては慎重に組んであるフルトヴェングラー盤を聴いても同じように感じるかもしれない。

しかし、これはどうだろうか。

すべての旋律がこれほど生き生きと流れる例が他にあるだろうか。

空気をたっぷり含んでゆっくりと掃き出すような雄大な流れは、心地よく身を横たえてずっと聴いていたくなってしまう。

筆者は20年来ベーム盤を愛聴してきたが、クナッパーツブッシュ盤に出会い、こちらに乗り換えた。

ベーム盤と比べ、第1幕はより起伏に富み、第2幕は第2場がより濃厚、第3幕は甲乙つけ難い。

1950年のクナはベームに劣らぬ緻密な棒さばきで、クライマックスへ突進するベームに比べ、クナ盤ではワーグナー音楽の流れに身を任せる醍醐味が味わえる。

聴く方も気合いを入れないといけないベーム盤と違い、クナ盤はするりと自然にワーグナー的陶酔へと引き込んでくれる。

長いので前奏曲か愛の死(最初と最後)だけでも聴き比べれば、他とは次元が違うことを確認できるだろう。

魔術のようだ。

音楽の力だけでコンウォールの空想世界を作り上げてしまった、そんな演奏である。

問題視される音質は録音年代にしては標準レヴェルである。

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classicalmusic at 06:25コメント(0)ワーグナークナッパーツブッシュ 

2022年09月25日


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メンゲルベルクの影が遺る戦後間もない(1947年)コンセルトヘボウで、マーラー随一の愛弟子ワルターが『巨人』を振る歴史的に見ても貴重な音源になる。

マーラーはメンゲルベルクも得意としていたが、その本拠地での演奏だけに興味深い。

ワルターとメンゲルベルクは、マーラーの最もよき理解者であり、擁護者であった。

特にワルターはマーラーと時代と仕事を共有していただけに、その音楽に強い愛情を抱いていたに違いない。

ワルターは「マーラーが20世紀の世紀末を先取りしていた」と言うような思考とは無縁で、純粋に音楽自体に没入していた。

『巨人』も例外ではない。

ワルターはこの曲に流れる若々しい感情にいとおしむような眼差しを向ける。

その落ち着いた情感は音楽の構成に安定感を与えるし、第4楽章においても秩序を感じさせ、先行する3楽章からの流れとして納得させられる。

ワルターの解釈はそれほど自然で、音楽と一体化していると言えよう。

『運命の歌』は、ブラームスらしい渋さと暗い雰囲気を湛え、内部に激しい情熱を秘めた解釈で、合唱団も非常に気持ちのこもった歌い方だ。

前後の天国の部分を弱音効果で女性的に、中間の人間界の苦しみをきめ粗いくらい迫力をこめて演奏し、対照を鮮明に生かしている。

このようなワルター最盛期の名演を、優れたリマスタリング技術によって復刻された音質で味わうことのできることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:31コメント(0)ワルターマーラー 

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ミスターミュージック(カラヤンが悪意なくバーンスタインにつけた綽名)として、指揮者としてだけではなく作曲家としても多種多様な活動をしたバーンスタインであるが、作曲家バーンスタインの最高傑作としては、何と言っても「ウェスト・サイド・ストーリー」を掲げるというのが一般的な考え方ではないだろうか。

本盤に収められている演奏は、バーンスタインが、ブロードウェイ内外の一流のミュージシャンを特別に編成して1984年にスタジオ録音を行ったものであるが、「ウェスト・サイド・ストーリー」の演奏史上最高の超名演と高く評価したい。

それは、もちろん自作自演であるということもあるが、それ以上にバーンスタインの指揮が素晴らしいと言えるだろう。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、途轍もない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

このような晩年の芸風に適合した楽曲としては、何よりもマーラーの交響曲・歌曲、そしてシューマンの交響曲・協奏曲が掲げられるところだ。

そして、米国の作曲家による楽曲についても、そうした芸風がすべてプラスに作用した名演の数々を成し遂げていたと言えるだろう。

したがって、本盤のような自作自演に至っては、バーンスタインのまさに独壇場。

水を得た魚のようなノリノリの指揮ぶりで、圧倒的な名演奏を繰り広げている。

テンポについてはおそらくは遅めのテンポなのであろうが、自作自演だけにこのテンポこそが必然ということなのであろう。

そして、濃厚にして彫りの深い表現は、同曲の登場人物の心象風景を鋭く抉り出していくのに大きく貢献しており、どこをとっても非の打ちどころがない完全無欠の演奏に仕上がっている。

独唱陣も、きわめて豪華なキャスティングになっており、とりわけマリア役のキリ・テ・カナワとトニー役のホセ・カレーラスの名唱は、本超名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 17:53コメント(0)バーンスタイン 

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の記念すべき初来日(カラヤン自身は単独で1954年に来日しNHK交響楽団を指揮している)の映像記録。

しかもベートーヴェンの第5交響曲の第1楽章の一部と映像特典の「G線上のアリア」以外はステレオ音声である。

静止画について:ベートーヴェンの第5交響曲の冒頭、第2主題まで静止画(スライドショー)。

また唐突に音声がモノラルになるが、まもなくステレオ音声に復帰するので音の連続性に支障はなく、これは第1楽章のみ。

「マイスタージンガー」「ドンファン」とも完全にステレオであり、壮麗な演奏である。

名古屋公会堂でのアンコール曲「G線上のアリア」はベルリン・フィルの映像として貴重だろう。

しかし画質は劣化、モノラル音声も同時発売の1959年ウィーン・フィルとの来日コンサートでのブラームスの第4交響曲、シューベルトの「未完成交響曲」の鮮明なモノラル音声に比べると苦しい。

それでも全体に気迫のこもった演奏で、在りし日のカラヤン、ベルリン・フィルの姿を映像と音声の両面からたどるにはうってつけの音楽ソフト。

2年後のウィーン・フィルとの来日公演同様、存在そのものが芸術的であるカラヤンの勇姿と流麗な指揮棒さばきは必見で、画質もウィーン・フィル盤に比べて若干鮮明。

しかし全体で65分程度であり、これでこの値段はやはりコストパフォーマンスとして高い。

とはいえ、当時、社会現象にまで発展したカラヤン&ベルリンフィルの来日公演はクラシック音楽ファンには必見・必聴といえ、推薦に値する。

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classicalmusic at 07:50コメント(0)カラヤン 

2022年09月24日


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フルトヴェングラーは初め作曲家を志し、途中で指揮者に転向したのだが、作曲への情熱を捨てきれず、忙しい指揮活動の合間をぬっては作品を発表した。

交響曲は4曲あり、それらの中では1945年に完成した「第2番」が最も有名である。

4つの楽章から成り、後期ロマン派風の響きと内容による長大な音楽だが、色彩的な効果は意識して避けられ、地味で真摯な内容を持つ。

第1楽章は憧れとおののきに満ち、第2楽章ではしっとりとした佇まいが移りやすく変化してゆく。

第3楽章のスケルツォはたいへん魅力的なテーマを持ち、曲想やオーケストレーションにユニークな味わいを見せる。

フィナーレは昔の思い出のような序奏に始まり、高まって勝利の朝を迎える。

アレグロ・モルトの主部は明るいものくると思いのほか、苦味にあふれ、特にモデラートの第2主題以降、展開部にかけては意味深い訴えがすばらしい音楽美とともに進み、全曲中、最も感動的な部分と言えよう。

その後はやや凡長なきらいもあるが、コーダの盛り上がりは果たして勝利なのだろうか。

懐疑的な色がぬぐえないからだ。

初演は1948年2月22日、ベルリン・フィルの定期公演で行われたが、残念ながら録音は残されていない。

本CDは1953年ムジークフェラインザールでのライヴ録音。

個々の楽器はよくとらえられているし、明快でもあるが、ホール全体の溶け合った、豊かな響きに欠ける。

そのせいか、ヴァイオリンの甘美さとか、オーボエの音色などにウィーン訛りが強く、フルトヴェングラーの曲を聴く、という意味においては物足りなさが残る。

しかしフルトヴェングラーの同曲の数種の録音の中で、入手しやすいCDは当盤のみであり、その意味では貴重な録音と言える。

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classicalmusic at 23:54コメント(0)フルトヴェングラー 

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クナッパーツブッシュの面目躍如いった演奏だが、ブレーメン盤の異形をオーソドックスな器に封じ込めたもの、と言うことができる。

全体に客観性を増した演奏と言えようが、異形さが封じ込められた分、かえって恐ろしさが増すということもあるわけだ。

ミュンヘン・フィルの表現力がブレーメン国立フィルを上回ることで余裕が生まれ、格調の高さも段違いである。

また、極めてロマンティックな表現で、音楽は常にゆとりをもって表情豊かに歌っており、その響きにはコクがある。

第1楽章でのテンポ操作はより自然になり、第2楽章でのスコアの改変もない。

「葬送行進曲」は朗々と歌うなかにヒューマンな感情が表現され、非常に味わい深い。

後半の2つの楽章も悠揚迫らずといった趣があり、至るところにクナッパーツブッシュならではの表情がある。

第3楽章トリオのホルンなど、まるでアルプスの山々が眼前に現れたような伸びやかさである。

フィナーレもより高い視点からスコアを眺めた、スケールの大きさを獲得している。

表現力と造型、音そのものの存在感など、この指揮者の4種の『エロイカ』の録音の中で、最もバランスの取れた演奏として評価しておきたい。

筆者は必ずしもこの演奏を愛聴しているとは言えず、当レビューを書くために久々に聴いたのであるが、この『エロイカ』のような演奏が、コンサートに集まった聴衆を唖然とさせ、一回性の魔術で呪縛したことは容易に想像できる。

全くユニークで、特異な芸風がよく表れた演奏と言うほかない。

グランドスラムから発売された当国内盤のCDは、既出のものに較べ音質が改善されており、この種のものとしては録音も良好である。

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classicalmusic at 17:03コメント(0)ベートーヴェンクナッパーツブッシュ 

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本盤の演奏は、ウィーン・フィルとのワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」のスタジオ録音(1958〜1965年)、ロンドン交響楽団とのバルトークの管弦楽のための協奏曲のスタジオ録音(1965年)と並んで、ショルティの初期の録音の中でのベスト3を形成する素晴らしい名演と高く評価したい。

ショルティは、本演奏を皮切りとして、マーラーのすべての交響曲(第10番を除く)の録音を開始することになったが、本演奏の価値はそれでもなお色褪せることなく、現在でもショルティの代表盤の地位を失っているとは言えないのではないかとも考えられるところだ。

ショルティ自身も、本演奏の出来には相当に満足していたようで、後年、1970年の交響曲第5番の録音をはじめとして、シカゴ交響楽団とのマーラーの交響曲全集の録音を開始したが、その際、第4番を再録音するかどうかについて相当に逡巡したとのことであった。

結局、1983年に再録音を行うことになり、当該演奏も一般的な意味における名演ではあるが、とても本演奏のような魅力は存在していないのではないかと考えられるところだ。

いずれにしても、ショルティとしても突然変異的な名演と言えるほどで、ショルティの指揮芸術の特徴でもある切れ味鋭いリズム感や明瞭なメリハリが、本演奏においてはあまり全面には出ていないとも言えるところだ。

マーラーの交響曲の中でも、最も楽器編成が小さく、メルヘン的な要素を有する第4番は、かかるショルティの芸風とは水と油のような関係であったとも言えるが、本演奏では、そうしたショルティらしさが影をひそめ、楽曲の美しさ、魅力だけが我々聴き手に伝わってくるという、いい意味での音楽そのものを語らせる演奏に仕上がっていると言えるだろう。

ショルティも、多分に楽曲の性格を十二分に踏まえた演奏を心がけているのではないかとも考えられるところであり、逆に言えば、若き日のショルティにもこのような演奏を行うことが可能であったということだ。

これはショルティの指揮芸術の懐の深さをあらわすものであり、とある影響力の大きい音楽評論家などを筆頭にいまだ根強いショルティ=無機的で浅薄な演奏をする指揮者という偏向的な見解に一石を投ずる演奏と言えるのではないだろうか。

また、コンセルトへボウ管弦楽団の北ヨーロッパならではの幾分くすんだ響きが、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることを忘れてはならない。

終楽章のソプラノのシルヴィア・スタールマンによる独唱も美しさの極みであり、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

音質は、1961年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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classicalmusic at 08:20コメント(0)マーラーショルティ 

2022年09月23日


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ハンス・ホッターの第1回目の『冬の旅』の伴奏でもよく知られるピアニスト、ミヒャエル・ラウハイゼン(1889-1984)は、戦前戦中のドイツでリート伴奏の名手としてたいへん大きな尊敬を集めていたピアニストである。

ドイツ国営放送の室内楽・声楽部門の責任者として辣腕をふるい、1940年からはヨーロッパのすべての歌曲を録音・放送するという大プロジェクトを計画、実行し始める。

ドイツの敗戦によって計画は頓挫したとはいえ、このプロジェクトの伴奏をほとんどひとりで担っていたのがラウハイゼンである。

まさに「ドイツのジェラルド・ムーア」とでもいうべき活躍をみせていたラウハイゼンであるが、その「唐草模様のように繊細かつ多彩」と賞されたその凝った表現は、明快さを主眼としたムーアとは異なり、これこそドイツ・リートの真髄とまで讃える声もあったほど。

当盤のピアノを受け持ったラウハイゼンはホッターにとっても特別なピアノ奏者だったようである(ラウハイゼンの芸術というかたちで録音集もあった)。

ハンス・ホッター(1909−2003年)による『冬の旅』の録音は以下の4種類が知られている。

ラウハイゼンとの当盤、ムーアと共演したEMI盤、ヴェルバとのDG盤、ドコウピルとの来日公演盤。

これらの中で個人的に、1990年代後半には1954年のムーアとの共演が特に気に入っていた。

そのCDはトラックタイムの合計が約75分4秒と表記されていた。

一方、当盤の初回録音は77分32秒との表記があった。

空白部分の違いや、SPからの復刻なので単純に比較はできないが、昔初めてこの音源を聴いた時は淀んだような流れに思えて、あまり感心しなかった。

今聴くとホッターの声が若々しいので幾分明るさを感じて救われる気がするが、それでも特に後半の曲は沈痛な空気に圧倒される。

同じく戦前の録音だったゲルハルト・ヒュッシュ盤とはテンポからしてかなり違う(声種も違うので演奏が違って当然)。

そうした違い云々より、約70年前の演奏、録音なので現代の演奏とは比べてもあまり意味が無く、戦時下にこれを歌い、録音されたこと自体が意義のあることだと思う。

同じ演奏者でもニューヨークやロスではこうした演奏にはならなかったのかもしれない。

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classicalmusic at 18:31コメント(0)シューベルトホッター 

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カラヤンは、クラシック音楽史上最大のレコーディングアーティストとして、様々な作曲家による交響曲全集の録音及び映像作品を数多く行った。

その大半は独墺系の作曲家によるものに限られているが、唯一そうでないものが存在する。

それがチャイコフスキーの交響曲全集であり、本盤にはそのうち後期3大交響曲(第4〜6番)が収められている。

チャイコフスキーの交響曲は、独墺系の錚々たる大指揮者が好んで演奏を行ってきてはいるが、それは後期3大交響曲に限られている。

後期3大交響曲についてはカラヤンの十八番でもあり、本DVD以外にも、ライヴ録音を含めかなりの点数の録音を遺している。

これら後期3大交響曲についてはいずれにしても、本盤に収められた映像作品は、
カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏の凄さを満喫させてくれる素晴らしい名演
と高く評価したい。

各交響曲の演奏は、いずれも1975〜1976年というカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代のもの。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇る弦楽合奏、金管楽器のブリリアントで強靭な響き、桁外れのテクニックを誇る木管楽器の極上の美しい響き、そして雷鳴のように轟くティンパニなどが一体となった超絶的な技量を披露するベルリン・フィルの名演奏に、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、究極の美を誇るいわゆるカラヤンサウンドを形成。

まさに、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていたところである。

本盤に収められた映像作品は、いずれもかかるカラヤンサウンド満載の圧倒的な音のドラマが健在であり、これはこの黄金コンビが成し遂げた究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

カラヤンの壮絶な指揮ぶりも必見で、これを聴いて、見たら、他の演奏は聴けなくなる。

空前絶後の演奏が見れる、カラヤンとベルリン・フィルの最盛期の貴重な演奏である。

疑似ライヴだとか何とか、それはこの演奏に関しては何の意味も持たない。

唯一無二の映像作品であり、これらの交響曲を好きな全ての人に見てもらいたいし、カラヤンに疑問を持つ方々にもお薦めしたい。

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classicalmusic at 07:29コメント(0)チャイコフスキーカラヤン 

2022年09月22日


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本盤には、デュメイがピリスと組んで1997〜2002年にかけてスタジオ録音を行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集が収められている。

全10曲の録音に5年もの長期間を要したということは、デュメイ、そしてピリスがいかに慎重を期してベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの演奏・録音に望んだのかを窺い知ることが可能だ。

常々のデュメイのヴァイオリン演奏は超個性的であると言える。

持ち前の超絶的な技量をベースに、緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、思い入れたっぷりの濃厚な表情づけや、時としてアッチェレランドなども駆使するなど、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした演奏を展開しており、その躍動感溢れるとともに伸びやかで情感豊かな表現は、即興的で自由奔放と言ってもいいくらいのものだ。

しかしながら、本演奏では、楽曲がベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタだけに、その片鱗を感じさせる箇所は散見されるものの、どちらかと言えば他の楽曲の演奏のような奔放さは影を潜めていると言えるのではないだろうか。

むしろ、演奏全体の基本的なスタンスとしては、真摯に、そして精緻に楽想を描いていくのに徹しているようにさえ感じられる。

しかしながら、スコアの音符の表層をなぞっただけの薄味な演奏にいささかも陥っておらず、各フレーズの端々にはフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいが満ち溢れており、このような演奏全体を支配している気品と格調の高さは、フランス人ヴァイオリニストでもあるデュメイの真骨頂であると言えるだろう。

そして、かかるセンス満点のデュメイのヴァイオリン演奏の魅力を、より一層引き立てているのがピリスによる名演奏である。

常々のピリスのピアノ演奏は、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで曲想を美しく描き出していくというものであり、シューベルトやショパンなどの楽曲においてその実力を十二分に発揮しているが、本盤のベートーヴェンの演奏においては、そうした繊細な美しさにとどまらず、強靱さや重厚さも垣間見られるところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた堂々たるピアニズムを展開していると言えるだろう。

そして、ピリスの場合は、いかなるフォルティッシモに差し掛かっても、一音一音に独特のニュアンスが込められるとともに、格調の高さをいささかも失うことがないのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、様々な同曲の演奏の中でも、フランス風のエスプリ漂う洒落た味わいや格調の高い美しさを湛えた素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、従来盤でも十分に満足できるものと言える。

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classicalmusic at 09:14コメント(0)デュメイピリス 

2022年09月21日


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1950年8月24日 ザルツブルク、旧祝祭劇場に於けるモノラル・ライヴ録音。

「大地の歌」と第9交響曲の初演を務め、キャリアの初期よりマーラーの直弟子として作曲者と特別ゆかりの深かったことで知られるワルターであるが、ザルツブルク音楽祭も初めの40年間は、マーラーといえばほとんどワルターの独壇場であった。

ワルターによるマーラーの第4交響曲は現状での録音点数も13種を数えるが、1950年のウィーン・フィルとのライヴ演奏は、かねてより有名な内容でようやく正規音源よる初CD化となる。

その13種類全てを聴いたわけではないが、私見では、1955年11月のウィーンでのライヴ録音が出現するまではワルターによるマーラーの第4交響曲の王座にあったディスクである。

第1回目のニューヨーク・フィルとのスタジオ録音以来、ワルターのこの曲に対する解釈は何よりもリリシズムを大切にしたものであり、その分メリハリの面白さや華やかな色彩美に欠け、のっぺりとした印象を与えがちであった。

ところが、このウィーン・フィル盤は彫りの深い各楽器の生かし方によって、第1楽章ではメルヘンの世界に遊ばせてくれるし、第2楽章は特に味が濃く、鋭い音彩やアクセントが作曲当時の前衛そのものだ。

第3楽章も息の長い主題を深く呼吸させながら歌ってゆくワルターの独壇場と言えよう。

ただしフィナーレだけはいつもの素朴さで一貫する。

他に2種あるウィーン・フィルとの第4交響曲ライヴも、1955年のギューデン、1960年のシュヴァルツコップと、それぞれソリストの個性が花を添えているが、やはりここではザルツブルク音楽祭の常連だったゼーフリートが凛とした佇まいで格別の魅力がある。

ディアパソン社の優れたリマスタリング技術によって復刻された録音だけに、各楽器の音質やその分離が非常に鮮明で、やや歪みがあるものの、当時のレコーディングの水準を大きく超えている。

ワルター&ウィーン・フィルの名演をこのような比較的良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:44コメント(0)ワルターマーラー 

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本盤に収められたR・コルサコフによる交響組曲《シェエラザード》の演奏は、カラヤンによる唯一の録音である。

カラヤンは、同じロシア5人組のムソルグスキーによる組曲「展覧会の絵」やチャイコフスキーによる3大バレエ音楽の組曲を何度も録音していることに鑑みれば、実に意外なことであると言えるであろう。

その理由はいろいろと考えられるが、何よりもカラヤン自身が本演奏の出来に十分に満足していたからではないだろうか。

それくらい、本演奏は、まさにカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏になっていると言えるだろう。

本演奏は1960年代後半のスタジオ録音であるが、これはカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代に相当している。

ベルリン・フィルにとってもあまたのスタープレイヤーを擁した黄金時代であり、健康状態にも殆ど不安がなかったカラヤンによる圧倒的な統率の下、凄みのある演奏を繰り広げていた。

鉄壁のアンサンブル、金管楽器のブリリアントな響き、木管楽器の超絶的な技量、肉厚の弦楽合奏、雷鳴のようなティンパニの轟き(もっとも、この時はフルトヴェングラー派のテーリヒェンが演奏していたが)などを駆使しつつ、これに流麗なレガートを施したいわゆるカラヤンサウンドとも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

こうしたカラヤンサウンドは、本演奏においても健在であり、おそらくはこれ以上は求め得ないようなオーケストラの極致とも言うべき演奏に仕上がっている。

加えて、当時世界最高のコンサートマスターと称されたシュヴァルベによるヴァイオリンソロの美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れており、本演奏に華を添えていることを忘れてはならない。

また、オペラを得意としたカラヤンならではの演出巧者ぶりは同曲でも存分に発揮されており、各組曲の描き分けは心憎いばかりの巧さを誇っている。

このような諸点を総合的に勘案すれば、本演奏は非の打ちどころがない名演と評価し得るところであり、カラヤンとしてもこの名演を凌駕する演奏を行うことは困難であることを十分に自覚していたのではないかとさえ考えられるところだ。

併録の歌劇《イーゴリ公》からの抜粋である「だったんの娘の踊り」や「だったん人の踊り」なども、これまた全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏の凄さを感じることが可能な素晴らしい名演だ。

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classicalmusic at 15:29コメント(0)R=コルサコフカラヤン 

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「鋼鉄のピアニズム」と言われて一世を風靡したギレリスお得意の超骨太のチャイコフスキーである。

機械のように正確な技巧と繊細な叙情性を併せ持った演奏は、日本でも多くのファンを獲得した。

情熱的で雄大なスケールのうちにも詩情豊かな味わいを持つ絶品のチャイコフスキーだ。

過度な化粧や装飾をそぎ落とし、しっかりとした構成をベースに明確な輪郭を形成し、その内面をロマンティックな表情で固める彼の演奏の凛とした姿勢がここに示されている。

数あるCDの中で、「あのセンチメンタリズムにはついていけない・・・」と言われた吉田秀和氏ばりの硬派な方にぴったりの演奏が、このギレリス&マゼール盤。

ギレリスをサポートするマゼールの巧みさも必聴で、テンポの伸縮も凄まじい。

受けて立つギレリスは音響的ハレーション寸前、ピアノが壊れるのではないかというほどに容赦ないフォルティッシモをこれでもかと浴びせかけてくる。

これに対してマゼールはたっぷり間をとって、ほわっとした感じのテヌートぎみのフレージングで、ここはチェロ、ここは木管、ここは金管というように各声部を過剰に強調しながら、場面を切りかえ、ギレリスの過剰な強打をかわしていく。

超劇的な展開かと思いきや、次は肩すかしの弱音で攻める。

こんな面白い演奏は他には見当たらない。

チャイコフスキーの意図との整合性はともあれ、かのホロヴィッツ&トスカニーニ盤に匹敵するカタルシスを味わえるCDである。

数あるギレリスのチャイコフスキーの中でも、空前絶後(抱腹絶倒)の名演だ。

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classicalmusic at 06:58コメント(0)ギレリスマゼール 

2022年09月19日


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モーツァルトのホルン協奏曲は、不世出の名ホルン奏者と称されたデニス・ブレインをはじめとして、これまで海千山千の名ホルン奏者によって数多くの名演が成し遂げられてきた。

そうした名うての錚々たるホルン奏者による名演奏の中でも、テクニックもさることながら、その音色の独特の魅力においては、本盤に収められたペーター・ダムによる演奏は、最右翼に掲げられる名演奏と言えるのではないだろうか。

シュターツカペレ・ドレスデンは、現在でも伝統ある独特の音色において一目置かれる存在であるが、とりわけ東西ドイツが統一される前の1980年代頃までは、いぶし銀の重心の低い独特の潤いのある音色がさらに際立っていた。

そうした、名奏者で構成されていたシュターツカペレ・ドレスデンの中でも、首席ホルン奏者であったペーター・ダムは、かかるシュターツカペレ・ドレスデンの魅力ある独特の音色を醸し出す代表的な存在であったとも言えるだろう。

ペーター・ダムのホルンの音色は、同時代に活躍したジャーマンホルンを体現するベルリン・フィルの首席ホルン奏者であったゲルト・ザイフェルトによる、ドイツ風の重厚さを持ちつつも現代的なシャープさをも兼ね備えたホルンの音色とは違った、独特の潤いと温もりを有していたとも言えるところだ。

モーツァルトのホルン協奏曲は、卓越したテクニックが必要であることはもちろんであるが、それ以上に愉悦性に富む楽想をいかに内容豊かに演奏していけるのかが鍵になるが、ペーター・ダムの場合は、持ち前のホルンの独特の魅力的な音色だけで演奏全体が実に内容豊かなものになっていると言っても過言ではあるまい。

ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンも、ペーター・ダムのホルン演奏の引き立て役に徹するとともに、モーツァルトの音楽に相応しい高貴にして優美な名演奏を展開していると評価したい。

いずれにしても、本演奏は、ペーター・ダムの全盛時代のホルン演奏の魅力を満喫することが可能であるとともに、モーツァルトのホルン協奏曲のこれまでの様々な演奏の中でも、ホルンの音色の潤いに満ち溢れた独特の美しさにおいては最右翼に掲げてもいい名演と高く評価したい。

併録のロンドヘ長調も、ペーター・ダムのホルン演奏の素晴らしさを味わうことが可能な素晴らしい名演だ。

なお、ペーター・ダムの魅力的なホルンの音色は、同時期のシュターツカペレ・ドレスデンの演奏、例えば、特にホルンが大活躍するブロムシュテット指揮によるブルックナーの交響曲第4番において聴くことが可能であるということを付記しておきたい。

音質は、本リマスタリング盤もなかなかの良好な音質である。

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classicalmusic at 13:26コメント(0)モーツァルトブロムシュテット 

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1947年11月13日 ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールに於けるライヴ(モノラル)録音。

ロンドンでも愛されたワルターの最盛期の名演。

ワルターによるベートーヴェン「第9」は米コロムビアのモノラルとステレオの2種類のセッション録音が広く知られているが、これはそれらに先立つ公演の記録である。

しかしワルターの「第9」の中では、ウィーン・フィルとのORFEO盤も凄かったが、当盤もそれに匹敵する最高の演奏であろう。

ライヴということもあって全曲を一貫した主張に最も筋が通り、曖昧さが見られないからである。

セッション録音での大人しさとは別の激しさももつ演奏で、ことに初めの2つの楽章の緊迫感がすばらしく、トスカニーニ的な迫力と推進力が見事だ。

第1楽章はテンポが速く、一気呵成の進行と意志的なリズムによる語りかけもさることながら、ティンパニの意味深い強打が凄絶であり、再現部冒頭の決め方、それ以上に楽章終結の阿鼻叫喚は身震いがするほどだ。

第2楽章も緊張の持続とティンパニの強打がものを言っている。

第3楽章だけは他盤に比べてもう一つの出来だが、フィナーレは荒れ狂うような大変ドラマティックな演奏で、緊迫感に富んだ表現と言えよう。

温厚なワルターという面ばかりではないということを示したもので、ファンには貴重なものではなかろうか。

それにこの演奏はキャスリーン・フェリアーが参加しているというのが注目点であろう。

これがワルターとの初顔合わせではなかったかと思うが、それにしてもフェリアーの「第9」登場というのがこのディスクの売りでもある。

A.ローズとA.Z.スナイダーによる2010年デジタル・リマスタリングによって、随分聴きやすい音質に改善されている。

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classicalmusic at 05:18コメント(2)ワルターフェリアー 

2022年09月18日


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ミュンシュはライヴ録音においては当然のこと、スタジオ録音でも灼熱のように燃え上がる圧倒的な熱演を披露した。

本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、最晩年にミュンシュがパリ管弦楽団とともにスタジオ録音を行った4点の録音のうちの1点に相当するが、死を10か月後に控えた指揮者とは思えないような力強くも情熱に満ち溢れた圧倒的な豪演に仕上がっている。

冒頭の序奏からしてひたすら音楽を前進させようという強靭な意思が漲っている。

その後は、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化などを駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき劇的な演奏を展開する。

とりわけ第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

第2楽章などにおける心を込め抜いた歌い方は、豊麗な情感に満ち溢れており、切れば血が噴き出てくるようなミュンシュの熱き歌心がひしひしと伝わってくるなど実に感動的だ。

パリ管弦楽団も、火の玉のような燃え上がったミュンシュの壮絶な入魂の指揮に必死でついていっており、アンサンブルが乱れる寸前のところで踏みとどまっているかのようなスリリングな演奏が、本演奏の圧倒的な迫力に更なる拍車をかけているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、ミュンシュが成し遂げた様々な名演の中でも、同時期に録音された幻想交響曲(1967年)と並んで最上位に掲げられる超名演であると高く評価したい。

ただ、ブラームスの「第1」の演奏としては、例えば「名曲名盤300選」などで多くの音楽評論家がトップに推薦しているように本演奏が絶対的かつ理想的な名演かと言うと、一つの方向性としてはあり得るとは思うが、何か違うのではないかと言わざるを得ない。

ましてや、とある影響力の大きい音楽評論家が本演奏について、「フルトヴェングラー以上にフルトヴェングラーらしいドイツ的な名演」などと評しているが、これほどフルトヴェングラーを、そしてミュンシュを冒涜する言葉はないだろう。

それは、フルトヴェングラーによる同曲の様々な録音を聴けば容易に理解し得るところであるし、これはあくまでもミュンシュによる演奏なのだ。

筆者としては、本演奏が至高の超名演であることを十分に認めはするものの、同じように熱演であっても、剛毅にして重厚さを保ちつつ速めのインテンポで一気呵成に全体を巧みに纏め上げたベーム&ベルリン・フィルによる超名演(1959年)の方によりブラームスらしさを感じるということを、この場を借りて指摘をしておきたい。

録音は従来盤が全く冴えない音質で大きな問題があったが、ハイレゾCD(MQA-CD×UHQCD)によって、驚異的な高音質に蘇った。

ハイレゾも聴ける高音質ディスクの演奏を、手持ちの旧盤と比較しながら聴いてみたのだが、音が伸びない不満を感じる旧盤に対し、この新盤は、全く別の演奏かと聴きまごうほど、ダイナミックレンジが大幅に改善されている。

特に最強音の音域の広がりは、想像を絶するほどであり、ミュンシュのスケールの大きい白熱の演奏の真価が、より鮮明に伝わってくるようになっているのだ。

ミュンシュ&パリ管弦楽団による歴史的かつ奇跡的な名演奏を、このような最新の技術で鮮やかに蘇った高音質録音で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 14:28コメント(4)ブラームスミュンシュ 

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カラヤンは広範なレパートリーを誇る指揮者であったが、その中でもオペラの分野においては、演奏内容の水準の高さにおいても他の指揮者の追随を許さない存在であった。

このようなカラヤンが最も愛したお気に入りのオペラの一つは、R・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」であったと言うのは論を待たないところだ。

カラヤンは、本盤に収められた演奏のほか、同曲の録音をDVD作品を含め、ウィーン・フィルとともに2度にわたってスタジオ録音を行っており、それらも素晴らしい名演であるとは言えるが、カラヤンによる同曲の演奏の最高峰は、まさしく本演奏である。

それどころか、本演奏は、様々な指揮者による同曲のいかなる名演にも冠絶するとともに、カラヤンが行った数多くのオペラの録音の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本演奏は、まず何と言ってもカラヤンの指揮が素晴らしい。

壮年期のカラヤンならではの颯爽とした音楽性豊かな指揮ぶりが見事であり、第1幕の終結部の元帥夫人がオクタヴィアンに諭す場面の表現の何とも言えない味わい深さや、第3幕の有名な三重唱は至高・至純の美しさを誇っている。

カラヤンがその後ウィーン・フィルとともに行った録音では、これらの箇所においてはとても本演奏のような魅力はないと言えるところであり、カラヤンとしてもこれは空前にして絶後の絶妙な表現と言えるのではないだろうか。

歌手陣も豪華極まりないと言えるところであり、元帥夫人のエリーザベト・シュヴァルツコップを筆頭に、オクタヴィアン役のクリスタ・ルートヴィヒ、オックス男爵役のオットー・エーデルマン、そしてゾフィー役のテレサ・シュティヒ=ランダル、ファニナル役のエーベルハルト・ヴェヒター、さらには歌手役のニコライ・ゲッダなど、これ以上は求め得ないキャスティングの素晴らしさ、そしてその歌唱の凄さにただただ圧倒されるのみである。

オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団であるが、本演奏ではウィーン風の実に味わい深い名演奏を繰り広げており、いささかの不満を感じさせるものではない。

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classicalmusic at 08:13コメント(0)シュヴァルツコップカラヤン 

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演奏内容はあまりにも有名なので、ここではあまり触れないが、HMVへのSP録音で有名なワルター&ウィーン・フィルの1938年1月16日録音については、当時のレコーディング・マネージャーだったフレッド・ガイズベルグがライナーに1944年に「グラモフォン」誌に書いた当時の回想録がまず読み物として充分素晴らしい。

そして、何と言ってもオリジナルSPからのリマスターが素晴らしく、74年前の録音としては充分鑑賞に堪えうる音に仕上がり、聴き手は、ワルターの紡ぎ出す「音楽」に集中できる。

筆者は、フルトヴェングラーの歴史的復帰演奏会(1947年)の劣悪な音(従来盤)でも充分感動できるためか、世間一般の評判ほど音に不満を感じない。

そして、肝心の演奏であるが、第1楽章が24分47秒と現在の指揮者より若干速いテンポだが、速さを感じさせず、オケを充分歌わせている。

第4楽章も18分20秒と同様に速めであり、さすがにコーダの最弱音を聴くのはつらいが、表現内容は充分である。

全曲で70分13秒という速さは、ノイマンの指揮に似ているが、さすがに初演者であるワルターの思い入れに溢れた音楽の素晴らしさは唸らざるを得ない。

その急ぎ立てられるような演奏は、ナチの足音が近づいているという緊迫感があったからに違いない。

マーラーの交響曲第9番を語る時には、外せないディスクである。

ただし、HMVの親元EMI盤は音質が悪いので、もし、そちらを既に聴いていて「音がどうも…」という人は、当盤を聴いてみていただきたい。

DUTTONらしく実に耳あたりのいい音で、ほんのりとステレオ感があり、ちょっと人工的であるが、ホールの後部席で聴いているような臨場感まで感じられる。

初めて聴く人にとっては、手元にある英EMIのLP復刻盤や東芝CD(初期盤)よりも、はるかに入り込みやすい音に仕上がっている。

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classicalmusic at 01:58コメント(0)マーラーワルター 

2022年09月17日


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1959年3月12日、オランダ放送音源によるベイヌム最後のライヴ録音である。

ベイヌムのブルックナーは、この5番に加えて7、8、9番ともに秀でた名演である。

筆者にとって、LP時代にブルックナー開眼の記念碑となった、思い出に残る名盤である。

稀有壮大なスケール感とかロマンティシズムとは対照的な、現代的というか、颯爽とした、見通しのよいきりりと引き締まったブルックナー。

ヴィオラ奏者だったゆえであろうか、ベイヌムは、ふくよかな弦の響かせ方が実に巧みで、それを基調に、木管は弦楽に溶け込ませるように用い、その一方、金管はクライマックスを除き、やや抑制気味に被せていく。

ベイヌムはメンゲルベルクという、大きな存在の後釜ということもあるのだろうが、どちらかというと目立たない演奏である。

派手さがない、だからといって地味でもなく、陰のある演奏だけれど、陰気な雰囲気はない。

旋律の歌わせ方が際立って流麗とか、1音1音に大地を揺り動かす激しさがあるとか、狂気を帯びているとか、強烈な印象を抱かせる指揮者ではなく、全体的に、控えめな音楽を聴かせてくれる。

では面白味に欠けるのかと言われると、その答えは否である。

大抵、過不足なく演奏する指揮者ほどつまらないものはいないが、確かに、ベイヌムには行き過ぎはなく、抑え過ぎもまたない。

ではなぜ、彼に筆者は魅せられたのか? うまく言えないのが本音だが、あえて語ると、絶妙だからである。

このブルックナーの5番の演奏は、ベイヌム最後の録音と言われているもので、放送用の録音だ。

ブルックナーの音楽を通して、ベイヌムが生涯貫いてきた指揮者としての矜持が聴こえてくる。

ライヴ録音のため多少のノイズはあるが、端正で実に溌剌とした演奏は確実に伝わってくる。

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classicalmusic at 17:59コメント(0)ブルックナー 

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ルガーノ、RISI放送局アウディトリオにて2011年8月11-14日に録音。

2012年2月の来日公演でもこの作品を披露、3時間近い大作を全曲暗譜で弾き、日本の聴衆を魅了している。

期待するな、と言う方がムリなアルバムである。

初期のシフは、単音の音楽を軽快に情緒豊かに演奏するタイプだった。

そのため、スカルラッティ、モーツアルト、ハイドン等の曲は非常に特徴的な演奏ができた。

この頃は、和音の作り方はあまりうまくなかったように思う。

しかし、ベートーヴェンの重層和音を扱う音楽に取り組み始めた頃から、和音の演奏方法の研究を行い、タッチ(音色)が変化し出し、そのタッチでもって各種のバッハの再録音をも行った。

今回の録音も情緒感が薄れ、重厚感が増した演奏になっている。

平均律の録音に限って言えば、前回の録音は、ペダルをふんだんに使い、主旋律以外は淡くぼかすような演奏だったが、今回の録音は、ノンペダルを徹底している。

そのため、和音のフレージングの切断が各所に見られる。

また、一部曲中でテンポが一定していないところがある。

全体的な曲の構想についても、前回の録音とは全て異なっている。

音質や指の置き方については、指を横からなでるような演奏ではなく、指を鍵盤の真上からまっすぐに落としたような演奏になっており、音質は、張りと深みのある音質となっている。

過去の録音と今の録音でシフほど完成度が違う演奏家も少ないのではないかと思える。

そしてこのアルバムもECMでリリースしているゴルトベルク変奏曲やパルティータの完成度に優るとも劣らない完成度だ。

そして、聴き直すたびに発見も多く、これは良いアルバムの特徴だろう。

おそらくは多くのクラシック愛好家、そして演奏家の模範となる演奏だと思う。

自信を持ってお薦めできるアルバムである。

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classicalmusic at 08:48コメント(0)バッハシフ 

2022年09月16日


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凄い演奏だ。

本年に発売された交響曲の新譜CDをすべて聴いているわけではないが、おそらくは随一の演奏と言えるのではないだろうか。

ショスタコーヴィチの交響曲第4番は、いわゆるプラウダ批判を受けて、長年に渡って自ら封印されたとの悲劇的な過去を有している。

第13番以降の3曲は別格として、第5番〜第12番の諸作は、人によっては作風が酷似しているとの評価もあるが、第4番については、当時の社会主義体制とは無関係に、才能の赴くままに作曲されたという特質がある。

それだけに、第4番をショスタコーヴィチの最高傑作と評する識者もいるほどであるが、少なくとも、偉大な傑作であると評価することについては異論はないのではないかと考えられるところだ。

とにかく、第4番は、ショスタコーヴィチの他の交響曲と比較しても、最も大胆極まりない書法で作曲されている。

冒頭の強烈な不協和音による主題の後は、多種多様な旋律が貨物列車のように連続して連なっており、終楽章の終結部において冒頭の主題が再現されるまでは殆ど脈略がないとさえ言えるほどの複雑怪奇な曲想である。

耳をつんざくような不協和音やブラスセクションの咆哮、霧のような弱音による旋律の繊細さなど、目まぐるしく曲想が変化する同曲にショスタコーヴィチが込めたメッセージを汲み取ることは困難ではあるが、スターリンによる大粛清が行われ、ショスタコーヴィチの知人にも処刑の魔の手が迫っていた中で作曲されたことに鑑みれば、死と隣り合わせの粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、そして独裁者スターリンへの怒りなどが盛り込まれていることは十分に想像できるところだ。

したがって、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの演奏では、とても同曲の本質を描き出すことができないことは自明の理であると言えるだろう。

インバルは、1992年にもウィーン交響楽団とともに、交響曲全集の一環として同曲をスタジオ録音しているが、そもそも問題にならないと言える。

通常の意味では立派な演奏ではあるが、当時のインバルによる自己抑制的なアプローチが、同曲の本質を描き出すのにやや不十分になっているのとあわせて、必ずしも優秀とは言い難いウィーン交響楽団が、当該演奏をいささか迫力に欠けたものとしていると言えるからだ。

同曲のこれまでの名演としては、筆者としては、ラトル&バーミンガム市交響楽団による演奏(1994年)、チョン・ミュンフン&フィラデルフィア管弦楽団による演奏(1994年)、ゲルギエフ&マリインスキー(キーロフ)劇場管弦楽団による演奏(2001年)が3強を占める超名演と考えているが、これらの演奏に共通するのは、それぞれの指揮者が新進気鋭の指揮者として飛ぶ鳥落とす勢いにあったということである。

三者三様の演奏ではあるが、強靭な生命力や思い切った解釈を施しているという意味においては共通しており、そうした芸風こそが各演奏を超名演たらしめていると言ってもいいのではないか。

これに対して、本演奏のインバルは、今や現代を代表する大指揮者。

前述の3つの名演の指揮者とは比較にならないほどのキャリアと円熟した指揮芸術を有した存在である。

しかしながら、インバルは、前述の3つの名演に優るとも劣らない、いや、人によってはそれらを凌駕すると評価するかもしれない圧倒的な名演奏を成し遂げることに成功したと言えるだろう。

本演奏においては、かつてのインバルの特質でもあった自己抑制的なアプローチは殆ど聴くことはできない。

もちろん、演奏全体の造型に対する配慮、そして厳格なスコアリーディングに根差した緻密さは窺えるが、かつての欠点でもあったスケールの小ささなど微塵も感じることができない。

思い切った強弱の変化やテンポの振幅を駆使して、同曲に込められたショスタコーヴィチの心底を鋭く抉り出していく指揮芸術の凄味は圧巻の一言であり、演奏の彫りの深さ、内容の濃密さという意味においては、前述の3つの名演を頭一つ抜けた存在であると言っても過言ではあるまい。

いささか大仰な表現にはなるが、前述の3つの名演によって同曲の真の魅力が明らかにされていたところ、インバルによる本演奏によって、同曲の真の魅力がさらにグレードアップされたと言ってもいいのではないだろうか。

インバルの壮絶な指揮に、しっかりとついていき、アンサンブルが殆ど乱れることがないなど、持ち得る実力を最大限に発揮した東京都交響楽団の好パフォーマンスにも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本演奏は、諸説はあると思うが、筆者としては、前述の3つの名演を大きく凌駕し、同曲の多種多彩な名演の中でも最高峰に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

音質も素晴らしく、同曲の複雑きわまりないオーケストレーションが鮮明に再現されている。

このような至高の超名演を超高音質で堪能できることを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:36コメント(0)ショスタコーヴィチインバル 

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マーラー録音創世記の名盤!

あたかもライヴのような、流れを重視した現代ではあり得ないテイク。

シェルへンのこの録音のマーラーは、ウィーンの国立歌劇場のオケを採用しており、言うまでも無くかつてマーラーと関係の深かったオケの後継者達によるものなのだ。

前述したクレンペラー盤とともに、「第7」の最高を分け合うもうひとつの峰である。

全曲を貫く集中力とエネルギー、それでいて、ただの熱血漢の演奏ではなく、きわめて理知的なスコアの読みと合理的な音楽運びが光る。

シェルヘンは、この斬新な作品を1911年にオスカー・フリート指揮(ベルリン初演)で聴いた初々しい感動を忘れていないのだ。

まるで少年のようなひたむきさと、大人の知恵の両刀で、この巨大な作品に立ち向かっている。

第1楽章と第5楽章は、明確で力強い演奏を行っており、ウィーン国立オペラハウスのオーケストラの音色は金管楽器や木管ではオーボエを中心に総じて魅力的だ。

第5楽章、マーラーと同じ時代を生きたクレンペラーは、第5楽章を相当遅く演奏する。

なんと約24分!このシェルへン盤は28分、クレンペラーの3/4の時間で演奏する。

クレンペラーは、テンポを遅くした分、巧みに細かい木管楽器/弦楽器の動きを明瞭に浮かび上がらせている。

しかし、これが「アレグロ、普通の弾き方で」なのかは甚だ疑問で、その点ではシェルへンのテンポの方が妥当といえるかもしれない。

第2楽章と第4楽章の二つの「夜曲」は、オーケストラの特徴がここでもプラスに働き、純朴であり、そしてリリックだ。

第3楽章のスケルツォは、今日のシカゴ交響楽団やベルリンフィルのような正確無比とはいかないが、ドイツ/オーストリア系の伝統的なオーケストラは、こうした3拍子の音楽で妙技を披露するのだ。

長年行方不明だったこの演奏のマスターテープが発見され、優秀な国内盤CDで復刻されたとき、『レコード芸術』の批評に、「音が古くて、細部が判別できない」旨が書かれていた(残念ながら評者名は不明)が、いったいどんな装置で聴いたのだろう。

「モノーラル=古い=音が悪い」という固定観念をお持ちの気の毒な評者と思われる。

1950年代には、モノーラル録音技術がかなり完成されていたことも知らないのであろう。

また、この大曲をこれだけのクオリティで録音した偉大な先人たちへの敬意のかけらも見られないとは、想像力の欠如も甚だしい。

いずれにしても、聴き慣れたはずの名盤がヴィヴィッドに蘇ったことを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 12:46コメント(0)マーラーシェルヘン 

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《リング》のような巨大な作品を、CDなりLPなりで聴き通すのは、初心者にはむしろ苦痛といってもいいかもしれない。

実演から入るのがいちばんだと思うが、それにしても舞台での字幕は読みにくいものだ。

筆者がお薦めしたいのは、まずは映像で、この長い作品の構造を把握しておくことだ。

最近はレヴァインやサヴァリッシュなど、いろいろな《リング》がDVDその他で市販されている。

しかしいちばんすぐれているのは、パトリス・シェローが演出し、ピエール・ブーレーズが指揮した、フランス・チームによるバイロイトの実況盤であろう。

ライン河がダムになっていたり、ヴォータンがフロックコートを着ていたりと、最初は物議をかもした上演だったが、結局その後の《リング》演出は、すべてここから始まるという原点となった。

そしていまだにこの映像を超えるものはないと、筆者は確信している。

それは何よりも、演出が音楽そのものの徹底した読み込みから生まれた、きわめて必然的なものだったからだ。

「ワルキューレ」第3幕の、画家ベックリンの「死の島」を模したと思われる岩山など、視覚的な装置としても実に美しく、説得力がある。

管弦楽も、むしろ室内楽的な透明さを目指しながら、しかも迫力に欠けないブーレーズの指揮は、ワーグナーのもくろんだ指導動機の積み重ねによる壮大な音響という構造を、非常によく表していると思う。

歌手も素晴らしい。

ちょっと情けない感じのマッキンタイヤーのヴォータンが、だからこそいまの神々にふさわしく、ジョーンズのひたむきなブリュンヒルデには、心を打たれる。

格好いいホフマンのジークムント、小人役などのツェドニクの快演=怪演ほか、歌も演技も、総じてかなりのレベルの高さである。

べつに「入門」というわけではなく、この映像は《リング》のなかでも傑出したものと言える。

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classicalmusic at 08:24コメント(0)ワーグナーブーレーズ 

2022年09月15日


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クナッパーツブッシュ指揮による『エロイカ』の録音は、現在のところ4種存在する。

その中で、最も異彩の光を放つのが、このブレーメン盤であり、それにしても常識では語れないベートーヴェンである。

第1楽章冒頭の2つの和音、その間の息苦しいまでの沈黙に耐えるのは容易ではない。

巨人の踏み鳴らす足音のような凄絶さは、他の3種の録音を凌駕するものだ。

続く主部も今にも音楽が止まるのではないかと思わせるほどの超スローテンポに始まるが、さすがのクナッパーツブッシュも、このテンポを最後まで維持することはできなかったのだろう。

すぐに軌道修正していく様が面白い(その後のテンポは案外速めだ)。

全体に最晩年のクナッパーツブッシュとは違った若く強靭な生命感があるのが大きな魅力である。

第2楽章「葬送行進曲」は、硝煙くすぶる荒れ果てた戦の跡が目に浮かぶように始まる。

オケの色彩感が乏しい分、暗めのモノトーンの音色が一層凄味を醸し出しており、葬儀への参列者に襲いかかる突発的な嗚咽のようで痛々しい。

第3楽章では、オーボエに歌われたテーマが、弦や他の管楽器と共にフォルティッシモで歌われるところは、肉を斬って骨を断つような音の抉りの深さに恐れ入る。

トリオのホルンの最強奏は、聴くたびに魂を震撼させられる。

クナッパーツブッシュの胆力の為せる技であり、単なる大音響でないことは明らかである。

フィナーレも冒頭の遅いテンポが素晴らしい。

すべての16分音符が見えるようであり、剣の達人の技をスローモーションで解析するような趣がある。

ポコ・アダージョの深々とした響きも良いし、コーダのプレストも慌てず騒がず『エロイカ』のラストに相応しい堂々たる終結である。

当盤は正規の国内盤としてターラから出ているが、音の歪みもなく、情報量も圧倒的に多い。

マイクの捉えた演奏の凄絶さも克明に伝えてくれている。

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classicalmusic at 21:21コメント(0)ベートーヴェンクナッパーツブッシュ 

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ベートーヴェンの交響曲全集やブルックナーの交響曲集など、それぞれの楽曲の演奏史上でも上位に掲げられる名演奏を残しているスウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンの黄金コンビであるが、本盤に収められたシューマンの交響曲第2番&第4番についても、このコンビならではの素晴らしい名演であると評価したい。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、スウィトナーが指揮をしていた当時のシュターツカペレ・ベルリンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

スウィトナー自身は、必ずしも楽曲を演奏するに際して個性的な解釈を施す指揮者ではなかっただけに、その演奏の魅力は、シュターツカペレ・ベルリンの重厚なジャーマン・サウンドとそれを体現する力量によるところも大きかったのではないかとも考えられるところである。

シューマンの交響曲は、後輩にあたるブラームスの交響曲と比較すると、特にオーケストレーションの華麗さには大きく譲るところがあり、どちらかと言えば、幾分くすんだような渋味のあるサウンドに支配されているとも言える。

したがって、このような楽曲には、シュターツカペレ・ベルリンの当時の音色は最適のものであると言えるところであり、筆舌には尽くし難いような味わい深さを有していると言っても過言ではあるまい。

この黄金コンビにかかると、シューマンの質実剛健ともいうべきオーケストレーションの魅力が、聴き手にダイレクトに伝わってくるとさえ言える。

もちろん、第2番には、シノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第4番には、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)といった歴史的な超弩級の名演が存在しており、それらの超名演と比較して云々することは容易ではあるが、そのような超名演との比較を度外視すれば、十分に魅力的な優れた名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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classicalmusic at 14:45コメント(0)シューマンスウィトナー 

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NHK交響楽団の名誉指揮者として、かつてたびたび来日して名演奏の数々を聴かせてくれたスウィトナーであるが、スウィトナーの遺した名演の数々の大半は、何と言っても手兵であるシュターツカペレ・ベルリンとの演奏であるというのが衆目の一致するところではないだろうか。

スウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンは、現在ではすっかりと失われてしまったジャーマンサウンドを奏でている。

国際的にも奏者の技量が最重要視され、各オーケストラの音色が均質化されている今日からすれば、まさに隔世の感がある。

スウィトナーは、それほど個性的なアプローチをする指揮者ではなかったので、これは、シュターツカペレ・ベルリンの力量によるところも大きいのではないかと考える。

このような重厚なジャーマンサウンドをベースとしたシューマンの交響曲は何と言う味わい深いものであることか。

特に、第1番は、1841年の自筆譜をベースとしているだけに、シューマンの素朴とも言うべきオーケストレーションの魅力が、聴き手にダイレクトに伝わってくる。

自筆譜独自の暗鬱さや内向的性格を的確に捉え、しかも音楽的な統一感と説得力の強さはスウィトナーの巨匠性を示している。

冒頭のホルンとトランペットが現行譜より3度下で始まるほか、驚くような違いがいくつも見られるが、スウィトナーは現行譜との異同を明確に示しつつ、シューマンの音楽的本質をかつてないほど明らかにした演奏を聴かせている。

全体に静けささえ漂っているようで、シューマンはオーケストレーションが下手だったとの定説を覆すのに十分な魅力を湛えていると言える。

第3番も、外面的な華々しさとは皆無。

華麗な効果に傾斜しない陰影の濃い表現だが、旋律は幻想的に歌い、シューマンの独創性を端的に示している。

シューマンの幾分くすんだいぶし銀のオーケストレーションを、奇を衒うことなく自然体で表現することによって、楽曲本来の根源的な魅力を見事に引き出している点を高く評価したい。

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classicalmusic at 10:53コメント(2)シューマンスウィトナー 

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エーリヒ・クライバーの存在を、カルロスの父親というかたちで認識している若い人々は気の毒と言えなくもない。

彼をいわゆるスターの座に置かず、人気の的としなかったとしても、彼が20世紀の偉大な指揮者のひとりであったことは間違いない。

1955年録音のこの《フィガロの結婚》は、モーツァルト生誕200年を前にして、初の完全全曲盤として制作されたものであり、シエピやギューデンをはじめとする歌手たちのバランスもよく、端役に至るまで非常によく揃い、しかもバランスもとれて、アンサンブルも充分に楽しむことができる。

クライバーは、徹底してウィーン・スタイルの表現を一貫し、歌やオーケストラをはじめ、全てをそこに統一して、モーツァルトの最もスタンダードでオーソドックスな演奏を明示している。

しかも、ウィーン・フィルがそこに展開しているモーツァルト演奏における真のウィーン様式が、実に新鮮で衰えのない生命感を思わせている。

クライバーのモーツァルトはよく歌い、よく弾む。

音楽の流れには一分の淀みもない。

若さに満ち溢れたストレートな音作りに徹している。

オーケストラもまた、ウィーン風のしなやかな弦と柔らかな管の音色が、表情豊かな歌を歌い続ける。

指揮者もオーケストラも歌手たちも全員が同じモーツァルトの歌心をもっているからだろう。

実に見事なアンサンブルで、これがウィーンのモーツァルトあり、歌うところは十分に歌い、劇的に盛り上がるところは適度のアクセントをつけ、軽く弾むリズムで快適なテンポ感を保つ。

確かに、今となっては、録音にはいささか古さを感じなくもない。

しかし、ここで聴ける、ウィーンの国立歌劇場でまだアンサンブルの理念が機能していた時代の演奏ならではの生き生きとした表情と小粋な表情はなにものにもかえがたい。

若さを感じさせる、素晴らしい名盤であり、クライバーの光輝あるある偉業として記念すべき録音だ。

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classicalmusic at 04:11コメント(0)シエピクライバー 

2022年09月14日


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マーラーの交響曲第5番はワルターのこの曲の唯一の録音であり、その意味でも大変貴重である。

ワルターの意外にも古典的な手堅さを見ることができる演奏であるが、どこをとっても、ワルターのこの曲に対する愛情が満ち溢れた名演奏だ。

全楽章に感興があふれ、その自然な呼吸の歌の起伏が、聴き手を魅惑せずにはおかない。

第1楽章の劇的な迫力も凄いが、有名な第4楽章〈アダージェット〉の旋律の歌わせ方は最高で、豊かなニュアンスで絶妙な表現を作っている。

第4楽章の〈アダージェット〉だけは前にウィーン・フィルとの録音(1938年)があるので、これが第2回目ということになるが、ニューヨーク・フィルから、よくもこれだけの人間味を表出し得たと感心させられる出来ばえを示している。

ウィーン・フィル盤ほど自然ではないが、粘りつくようなメロディーとリズム、そして人間味を肌いっぱいに感じさせるような弦の音、やはりワルターだけがよく成し得る名演と言えよう。

また、第2、3楽章あたりも充実した名演で、前者は各楽器がすべて意味深く生きた傑作だし、後者のウィンナ・ワルツの幻想はワルターの最も得意とするところで、洒落たリズムと歌に満ち溢れ、流れの緊迫感を常に失っていない。

細部まで音楽を自己のものとして消化し、権威をもってオーケストラをリードしている。

両楽章とも曲自体が非常に魅力的ですぐれており、ワルターの音楽性と相俟ってマーラー・ファンには何よりの贈り物であろう。

オーケストラも精気に満ちて素晴らしく、これは歴史的な記録として永く保存しておきたい名演だ。

歌曲集「若き日の歌」(から8曲)では、ハルバンがきめ細かく詩と音楽の情緒を表現して、ロマンティシズムの真髄に迫っている。

根っからのロマン主義者であったワルターであったが、指揮と同様、このピアノ伴奏でも過剰なルバートやデュナーミクを多用することなく、ハルバンの歌をより格調高く歌わせるような、巧みな指さばきを見せている。

こういう伴奏は歌手にとって歌いやすいのではないだろうか。

ハルバンの母性的な感情と可憐さを共有した、親しみやすい雰囲気はマーラーに最適である。

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classicalmusic at 21:45コメント(0)マーラーワルター 

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ショパンのピアノ名曲集やベートーヴェンのピアノ・ソナタ集、ラヴェルのピアノ曲全集、そして何よりも忘れ難いバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の名演で名高いピアニスト、エル=バシャによる待望の新譜の登場だ。

曲目はシューベルトの即興曲集であるが、コンサートではたびたび採り上げてきた得意のレパートリーであるだけに、満を持してのスタジオ録音ということが言えるだろう。

同曲には、様々なピアニストによる多種多彩な名演が目白押しであるが、本盤のエル=バシャによる演奏は、その中でも最も美しい名演と言えるのではないだろうか。

「ベヒシュタインD−280」という使用しているピアノによるところも大きいとは思うが、それ以上に、エル=バシャによるアプローチが素晴らしい。

スコアに記された音符を一音たりとも蔑ろにしない精緻な演奏を基軸としているが、いわゆる人工的な技巧臭とはおよそ無縁の演奏であり、どこをとっても楽曲の美しさだけが描出されているのが見事である。

もちろん、エル=バシャによる演奏が、表面上の美しさだけを追求したものでないことは言うまでもない。

シューベルトのピアノ曲は、親しみやすい旋律には満たされているものの、どこをとっても独特の寂寥感が満ち満ちている。

したがって、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの演奏では、楽曲の美しさを表現することができても、シューベルトが同曲に込めた意味合いや楽曲の真の魅力を描出することは不可能であると思われるところだ。

スコアに記された音符の行間に込められた楽曲の心眼にまで徹底して目を行き届かせた演奏をすることが必要不可欠となってくるが、エル=バシャによる本演奏は、かかる点においても何ら問題はなく、各旋律における表現の彫りの深さにおいてもいささかも不足はないと言えるだろう。

その意味においては、エル=バシャによる本演奏は、美しい中にも内実をともなったものと言えるところであり、まさにシューベルトのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも評価し得るものと言える。

前述のように、同曲には海千山千のピアニストによって多種多彩な名演が成し遂げられているが、エル=バシャによる本演奏は、それらの名演と比較しても十分に存在価値のある偉大な名演と言えるのではないかと考えられるところだ。

いずれにしても、本演奏は、エル=バシャが、その実力を余すことなく発揮した素晴らしい名演と高く評価したい。

音質も素晴らしいの一言。

エル=バシャによる美しさの極みとも言うべきピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDならではのものであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

このようなエル=バシャによる素晴らしい名演をSACDによる超高音質で堪能できることを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 14:05コメント(0)シューベルト 

2022年09月13日


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カラヤンは独墺系の指揮者としては広範なレパートリーを誇ったところであるが、その中でもチャイコフスキーの楽曲を自家薬篭中とも言うべき得意のレパートリーとしていた。

特に、3大交響曲集と称される交響曲第4番〜第6番については、それこそ何度も繰り返し演奏・録音を行っているところだ。

クレンペラーやフルトヴェングラー、ベーム、ザンデルリンク、ヴァントなど、チャイコフスキーの交響曲の録音を遺した独墺系の指揮者は多いが、その録音の量においてカラヤンの右に出る指揮者は皆無であったと言っても過言ではあるまい。

そうしたカラヤンによる数多くのチャイコフスキーの交響曲の録音の中で、随一の名演は何かと言われれば、私は躊躇なく本盤に収められた1971年にEMIにスタジオ録音を行った第4番〜第6番の演奏を掲げたい。

確かに、最晩年にウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音した第4番〜第6番の演奏も、波乱に満ちた生涯を送ったカラヤンが自省の気持ちを込めてその生涯を顧みるという人生の諦観とも言うべき味わい深さが感じられるところであり、演奏の持つ深みにおいては至高の高みに聳え立つ名演と言えるところだ。

しかしながら、カラヤンの演奏の美質の一つでもあった鉄壁のアンサンブルを駆使した音のドラマの構築と言った点においては、いささか物足りない面もあると言えるところであり、カラヤンらしさという意味においては異色の演奏と言えなくもない。

1970年代後半に完成させたカラヤンによる唯一の交響曲全集は、まさにカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが最後の輝きを放った時期のものであり、演奏の完成度においては出色のものがあると言えるだろう。

これに対して、本盤の演奏は、実演的な迫力に満ち満ちた凄みのある名演と言えるのではないだろうか。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは当然のことであるが、全盛期のベルリン・フィルとともに構築した音のドラマは圧巻の一言。

ブリリアントなブラスセクションの響きや唸るような厚みのある低弦の重厚さ、そして雷鳴のようなティンパニの轟きは凄まじいほどのド迫力であり、演奏全体に漲る気迫はあたかもライヴ録音を思わせるほどの凄さと言える。

どこをとっても凄まじさの限りと言えるが、とりわけ、第4番の第1楽章終結部における猛烈なアッチェレランドや、第6番の第1楽章の展開部における低弦の圧倒的な迫力は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルだけに成し得た圧巻の至芸と言っても過言ではあるまい。

チャイコフスキーの交響曲第4番〜第6番の名演としては、同時代に活躍した旧ソヴィエト連邦出身の巨匠ムラヴィンスキーの超名演(1960年)があまりにも名高いが、本盤の演奏は、それに唯一比肩し得る至高の超名演と高く評価したい。

音質については、1970年代のEMIによる録音ということで、従来CD盤の音質が必ずしも芳しいものではなく、それはHQCD化されてもあまり改善は見られなかったところだ。

特に、第4番については、マスターテープが損傷しているということで、これ以上の高音質化については絶望的であると考えていたところであるが、今般のSACD化で大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とはそもそも次元が異なる見違えるような、そして1970年代前半のEMIによる録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わっており、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤンによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 18:50コメント(0)チャイコフスキーカラヤン 

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チョン・キョンファが鬼才コンドラシンと1979年に共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の録音。

ベートーヴェンは初出時、コンドラシン&ウィーン・フィルの初顔合わせ、さらにチョン・キョンファとの初コンビでも話題となった。

輝くばかりの音色と情熱的なアプローチで音楽の核心に肉薄するチョン・キョンファ。

このベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でも入魂の演奏を聴かせてくれる。

遅いテンポで丁寧に情を通わせたベートーヴェンで、その中にチョンならではの深い表現が見られる。

やや線の細さはあるものの、緻密で磨き抜かれた音は美しい艶を帯び、フレージングにも硬さがなく、伸び伸びと、しかも強い集中力を反映させている。

聴き手に極度の緊張を要求し、享楽的な要素のほとんど感じられない、一途不可逆なひたむきさは、あるいは最も日本人の感性に適した演奏と言えるかもしれない。

刀の上を渡る曲芸や綱渡りを思わせるスリルが、チョンの演奏には確かにある。

コンドラシンの指揮も魅力があり、ウィーン・フィルの緊張感漲るドラマティックなサポートも万全。

彼の堂々たる解釈は骨太の音楽を形づくっており、力強く、優美で威厳がある。

デッカの優秀録音が音楽的で、サウンドそのものに音楽性を感じさせる。

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classicalmusic at 15:30コメント(0)チョン・キョンファコンドラシン 

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ムラヴィンスキーからレニングラード・フィル(現・サンクトペテルブルク・フィル)を受け継いだテミルカーノフが、チャイコフスキーの交響曲で存在感を示している。

テミルカーノフは、かつてのムラヴィンスキーとは対照的に、自由な解釈で新しい表現主義とも言うべき音楽を、サンクトペテルブルクでつくってきた。

特に第4番はその典型で、冒頭の超スローなファンファーレが象徴するように、テミルカーノフはところどころで極端にテンポを落として聴き手の意表を突いてくるが、それが不自然でないばかりか、説得力すら感じさせてしまうのだからさすがだ。

メンゲルベルクの現代化と言うことが可能で、各部を抉り出したような演奏が、作品の本質に端的に迫っている。

第5番も、いかにもこの指揮者らしく、現代的で知的な表現で、創意にみちた解釈である。

それが自ずと表現主義的な様式を形成しているのが興味深い。

冒頭から陰影が深く、克明で、しかもゆとりがあり、まさに硬軟自在の感が強い。

内声部の強調が、音構造を分解・再構築した面白さを感じさせる。

かなりの自由さのある音楽だが、首尾一貫しているのが見事で、聴き手を飽きさせることがない。

「悲愴」の演奏は各部を適度に強調することで、部分的な特質を鮮明に描いているのが大きな特色である。

むしろ楽想のすべてが明晰に示され、リズムやテンポの変動とその緊張力も効果的である。

古いロシアを新しい感覚で再現して、作曲者の苦悩を突き付けてくる。

殊にこの「悲愴」は個性的な表現ながらも音楽的に自然で、ユニークな味わいに満ちたチャイコフスキーと言えよう。

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classicalmusic at 07:47コメント(0)チャイコフスキー 

2022年09月12日


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1999年、プラハの春音楽祭、オープニング・コンサートでのライヴ録音。

スメタナの交響詩「わが祖国」はチェコ音楽の一丁目一番地とも言える国民的作品。

それだけに、チェコ・フィルにとっても名刺代わりの作品であり、累代の常任指揮者や錚々たる客演指揮者などがこぞって同曲を録音してきた。

かつてのターリッヒをはじめ、アンチェル、クーベリック、ノイマンなどの大指揮者の名演は燦然と輝いているし、小林研一郎などによる個性的な名演も記憶に新しいところだ。

こうした個性的な名演の中で、いぶし銀とも言うべき渋い存在感を有している名演こそが、本盤に収められたマッケラスとの録音である。

マッケラスは実力の割には必ずしも華々しい経歴を有しているとは言えないが、1996年から1997年のシーズンにはチェコ・フィルの首席客演指揮者を務めた。

今では、ヤナーチェクのエクスパートという印象ばかりが強いとさえ言えるが、本演奏は、そうした地味な存在であったマッケラスの実力を窺い知ることが可能な稀代の名演奏であると言っても過言ではあるまい。

本演奏も、マッケラスの華麗とは言い難い経歴を表しているかのように、華麗さとは無縁の一聴すると地味な装いの演奏である。

テンポもどちらかと言うとやや速めであり、重々しさとも無縁だ。

しかしながら、各フレーズに盛り込まれたニュアンスの豊かさ、内容の濃さ、そして彫りの深さには尋常ならざるものがあり、表面上の美しさだけを描出した演奏にはいささかも陥っていない。

そして、マッケラスも、同曲の込められた愛国的な情熱に共感し、内燃する情熱を傾けようとはしているが、それを直截的に表現するのではなく、演奏全体の厳しい造型の中に封じ込めるように努めているところであり、そうした一連の葛藤が、本演奏が、一聴すると地味な装いの中にも、細部に至るまで血の通った内容の豊かな演奏になり得ているのかもしれない。

加えて、本演奏で優れているのは、演奏全体に漂っている格調の高さ、堂々たる風格である。

同曲は、チェコの民族色溢れる名旋律の宝庫であるが、マッケラスは、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な美しさを保ちつつ、まさに大人の風格を持ってニュアンス豊かに描き出していく。

これぞ、まさしく巨匠の至芸と言うべきであり、累代の常任指揮者による同曲の名演と比較しても、いささかも遜色のない名演に仕上がっていると評しても過言ではあるまい。

録音も、盤によってはかさついて聴こえるチェコ・フィルであるが、ここでは柔らかな音色が非常に美しく捉えられている。

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classicalmusic at 19:12コメント(0)スメタナマッケラス 

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ヤンソンス&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によるマーラーの交響曲チクルスの第5弾であった。

前作の「第2」も名演であったが、今般の「第3」も素晴らしい名演と高く評価したい。

「第2」もそうであったが、先ずは、録音の素晴らしさについて言及しておきたい。

本盤も、これまでと同様のマルチチャンネル付きのSACDであるが、世界でも屈指の音響を誇るコンサートホールとされるコンセルトヘボウの豊かな残響を生かした鮮明な音質は、これ以上は求め得ないような圧倒的な臨場感を誇っている。

特に、マーラーの合唱付きの大編成の交響曲の録音において、オーケストラの各セクション、独唱、合唱が明瞭に分離して聴こえるというのは殆ど驚異的な高音質であり、それぞれの楽器や合唱等の位置関係までがわかるほどの鮮明さを誇っている。

かつて、マーラーの「第3」では、マーツァル&チェコ・フィルによる超優秀録音(本盤と同様にマルチチャンネル付きのSACD録音)にして素晴らしい名演(2005年)があったが、本盤も当該盤に比肩し得る極上の高音質であり、なおかつ素晴らしい名演であると言えるだろう。

「第3」は、重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの手による交響曲の中でも最大規模を誇る壮大な交響曲である。

したがって、全体をうまく纏めるのが難しい交響曲であるが、ヤンソンスは、全体の造型をいささかも弛緩させることなく的確に纏め上げるとともに、スケールの大きさを損なっていない点を高く評価したい。

そして、そのアプローチは、曲想を精緻に描き出して行くというきわめてオーソドックスで純音楽的なものであり、マーラーの光彩陸離たる音楽の魅力をゆったりとした気持ちで満喫することができるという意味においては、前述のマーツァルによる名演にも匹敵する名演と言える。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、前任のシャイー時代にその独特のくすんだようないぶし銀の音色が失われたと言われているが、本演奏においては、そうした北ヨーロッパならではの深みのある音色を随所に聴くことが可能であり、演奏に奥行きと潤いを与えている点を忘れてはならない。

ベルナルダ・フィンクも素晴らしい歌唱を披露しており、オランダ放送合唱団やブレダ・サクラメント合唱団、ラインモンド少年合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

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classicalmusic at 10:37コメント(0)マーラーヤンソンス 

2022年09月11日


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当盤は1937年の有名な「悲愴」ではなく、メンゲルベルクが1937年録音のハウリングを嫌い、1941年に再度「悲愴」をスタジオ録音したものである。

指揮者メンゲルベルクの比較的後期に当たる録音であるが、その演奏はロマンに満ち溢れ、現代の数ある指揮者でも決して辿り着けない究極のロマンがここにある。

この「悲愴」を初めて聴いた人は絶句するに違いない。

作曲家グリーグも、若き日のメンゲルベルクの「悲愴」を聴いて打ちのめされたそうだ。

これほどまで雄大で濃密な「悲愴」は空前絶後で、メンゲルベルクはあらんかぎりの個性を投入し激しくデフォルメしながら、チャイコフスキーの狂おしい情熱を極限まで高めることに成功している。

地滑りのようなテンポの緩急、すすり泣くようなポルタメント、むせかえるほどの音色の熱気、全てが呪術的なオーラを放っている。

古臭いという声も聞かれるが、これこそ19世紀感覚の演奏かもしれない。

まさに、メンゲルベルクの個性が最も良く出た演奏の一つであろう。

特に第1楽章ではテンポを大きく揺さぶり、更に第2主題で大きく弦を震わせてはポルタメントで聴く者をうっとりさせながら、後半ではSPというレンジの狭さを感じさせないほどのダイナミックな表現をしている。

その凄まじいまでの手法はまさに絶品で、この楽章の終盤での静寂部では、その余韻までもが聴く者を離さない。

第2楽章でも、ロマンティシズムに溢れる歌わせ方は第1楽章同様で、まさに情緒溢れる表現で歌わせている。

第3楽章は打って変わって豪快な棒さばきで進んでいく。

とどめは終盤、ここで大見得を切ったメンゲルベルクはテンポをガクッと落とした後、SPの狭いレンジをフルに使ってパワーを全開させ、アッチェランドをかけて突っ走っていく。

そしてラストはお得意のリタルダンド!

もっともこの手法は当時では珍しくないようで、フルトヴェングラーやアーベントロートも同様にテンポダウンしている。

そして最終楽章はまさに慟哭するような表現に終始している。

時折テンポを大きく変えながら、弦を震わせてはポルタメントを有効に活用し、聴く者にふと幻想を抱かせるような演奏である。

1937年録音と1941年録音、どちらが好むかは人それぞれであろうが、いずれにせよメンゲルベルクのロマンが集約された「悲愴」と言えよう。

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classicalmusic at 13:29コメント(0)チャイコフスキーメンゲルベルク 

2022年09月10日


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1982年 プラハ、芸術家の家での録音。

ヤナーチェクの2大管弦楽曲を収めたCDは、近年発売された村上春樹氏の小説の影響もあって、かなりの点数が発売されている。

両曲ともに、ヤナーチェクならではのモラヴィアの民俗音楽を高次元で昇華させた独特の美しい旋律に満ち溢れた傑作であるが、特に、「シンフォニエッタ」の第1楽章の金管楽器によるファンファーレなど、技術的にも相当なものが求められることもあって、現代の名うてのオーケストラにとっても、演奏しがいのある楽曲と言える。

それ故に、オーケストラの輝かしい音色や技量などが売りの演奏(それも重要な要素であるが)が多いが、このノイマン盤は、そうした音色や技量面を売りにした演奏ではない。

故国の大作曲家への畏敬の念を踏まえた全体を貫く情感の豊かさは、過去のどの演奏にも優る。

したがって、本盤にオーケストラの技量や輝かしい音色などを期待する聴き手には、いささか物足りないという印象を与えることもあるとは思うが、同曲のモラヴィアの民俗音楽を土台とした本質的な魅力を味わいたいという聴き手には、底知れぬ感動を与える名演である。

ノイマンとチェコ・フィルは2曲ともヤナーチェクの音楽の本質をよく摑んだ演奏で、リズムや音色の面でのヤナーチェクの特色を余すところなく伝えている。

モラヴィアの生んだ異色の大作曲家ヤナーチェクの作品は、同じチェコ出身のスメタナやドヴォルザークとは一味違った色合いを持っているが、ノイマンとチェコ・フィルはそうしたヤナーチェクならではの音楽的魅力を余すところなく描き出している。

「シンフォニエッタ」の金管と弦の扱いもすばらしいし、「タラス・ブーリバ」の各曲の表す物語の描き方もうまく、綿密な計算のもとに巧緻に組み立てられている。

全体を通じてチェコ・フィルの弦の美しさと金管のうまさに圧倒される。

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classicalmusic at 21:50コメント(0)ヤナーチェクノイマン 

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本盤には、グリーグ、ビゼー、ムソルグスキーによる有名な管弦楽曲が収められているが、セルはこのようないわゆるポピュラー名曲の指揮でも抜群の巧さを発揮している。

本盤の演奏は1958〜1966年のセル&クリーヴランド管弦楽団の全盛時代のものである。

それだけに、このコンビならではの「セルの楽器」とも称された一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した演奏の精緻さは健在であり、加えて、曖昧模糊とした箇所がいささかもない明晰な演奏に仕上がっていると言えるだろう。

もっとも、クリーヴランド管弦楽団の抜群の機能性が発揮される反面で、ある種の冷たさというか技巧臭のようなものが感じられなくもないが、楽曲がいわゆるポピュラー名曲だけに演奏全体に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。

各楽曲の聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも特筆すべきであり、これらの有名曲を指揮者の個性によって歪められることなく、音楽の素晴らしさそのものを味わうことができるという意味においては、オーケストラ演奏の抜群の巧さも相俟って、最も安心しておすすめできる名演と評価することが可能であると考えられる。

但し、前述のように、各楽曲のオーケストラ曲としても魅力を全面に打ち出した演奏とも言えるところであり、各楽曲の民族色の描出という点においてはいささか弱いという点を指摘しておきたい。

グリーグの「ペール・ギュント」組曲やビゼーの「アルルの女」組曲については、いずれも第2組曲を全曲ではなく終曲のみの録音とするとともに、特に「ぺール・ギュント」組曲については第1組曲の中に第2組曲の「ソルヴェイグの歌」を組み込むような構成にしているが、これはセルの独自の解釈によるものとして大変興味深い。

クリーヴランド管弦楽団の卓越した技量も特筆すべきものであり、とりわけムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」におけるブラスセクションのブリリアントな響きの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

音質は、今から約60年前のスタジオ録音だけに、従来盤ではいささか不満の残るものであったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は圧倒的な高音質であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の精緻さを味わうには望み得る最高のものである。

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classicalmusic at 11:34コメント(0)セルムソルグスキー 

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カラス、ディ・ステファノ、バスティアニーニの3強が揃った1957年のスカラ座ライヴがこのオペラの筆頭ディスクだろう。

彼ら三つ巴のアンサンブルが素晴らしい上、カラスのアメリアもこの役どころの精髄を捉えた見事な歌いぶり。

それにもましてバスティアニーニによるレナートは、彼最大の当たり役として記憶にとどめるべき名唱といえる。

カラスの《仮面舞踏会》にはヴォットーの盤もあり、こちらも看過すべきではない。

このオペラが歌本位のものであること、およびヴェルディの他のオペラと同様ハイ・バリトンのレナートに音楽的支柱をおくものであることを考えると、やはりゴッビでは物足らず、バスティアニーニの高みまで達している必要があろう。

ここでのカラスの歌唱は彼女の最盛期のものだけに、劇的な表現力と声の迫力が素晴らしく、カラスの残したヴェルディ・オペラの中でも最高のもののひとつとなっている。

カラスはこのアメリアでも、天才の直感をもって役柄の真髄を歌い出したとしか言いようがなく、歌のもつ痛切な悲劇的緊迫感と一分の乱れもない風格の高さに感歎しないではいられない。

その悲劇的な緊張と持続の素晴らしさ、感情とドラマの彫りの深さ、そしてそれを歌と声に的確に反映させる表現は見事。

彼女の声にもまだ衰えの影は少しもなく、第2幕のアリアなど実に素晴らしい名唱だ。

他の歌手も各自の個性を十二分に発揮しながら、歌の充実したぶつかり合いが一種独特の緊張と白熱を生み出している。

1957年のモノーラル・ライヴ録音で、音の状態こそあまり良くないが、このオペラの神髄をついた名演奏である。

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classicalmusic at 05:26コメント(0)ヴェルディカラス 

2022年09月09日


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1955年度フランス・ディスク大賞受賞盤である。

その名誉にそむかず、驚くべき名演で、1954年という年代的な古さだけで敬遠してはならない名演。

モノーラル末期の録音だが、セッションで聴く《ばらの騎士》のなかでの最高の名盤であろう。

カルロス・クライバーの父エーリヒの指揮は、ウィーン情緒豊かだが、決して伝統の上にあぐらをかいたものではなかった。

チャーミングなソロ楽器の競演、劇中の各ワルツの悩ましいばかりの艶やかさはまさに最高と言えよう。

特にワルツのリズム扱いひとつを取り上げてみても、余人の追従を許さない個性的な生気と閃きがあり、しかも一方では、思い入れの度が過ぎたり、センチメンタルにもなり過ぎない冷静さがあった。

主な役どころを生粋のウィーンの歌手で固め、伝説的なライニングの元帥夫人といかにも育ちのいいオクタヴィアンを演じた当時新進気鋭のユリナッチの取り合わせといった女声が目立っている。

大体、この楽劇は男声が難しいが、ウェーバーのうまさは唖然たるもので、人間味豊かなオックス男爵など、配役もすこぶる強力である。

また、重唱の美しさと管弦楽のニュアンスが細かく、響きの美しいことが、このディスクの成功の原因である。

E.クライバーの指揮、ウィーン・フィルの演奏、歌手たちの歌いぶり、その全てが最高の境地で一体化しながら、この作品の素晴らしさを万全に伝えている。

筆者は根っからのオペラ好きではないかもしれないが、個人的にはオペラの場合でもオーケストラの比重は大きく考えている。

つまり、歌手がいかに豪華であっても、オーケストラが添え物的では満足できない(むろん、逆にオケが良くて歌手がB級でも困るが)。

その点、この録音はオーケストラがびっくりするほどきれいで、ウィーン・フィルの美点を最も顕著に捉えた名録音の一つだろう。

このオペラではカルロスよりも父エーリヒの方がずっと上だ。

また第3幕の最後、若い恋人同士が去った後、黒人の少年がゾフィーの落としたハンカチを拾い、舞台から姿を消して幕となるが、この洒落切った幕切れの音楽もエーリヒの瀟洒さが抜群だ。

ここにはR.シュトラウスとウィーンの輝きがある。

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classicalmusic at 21:33コメント(0)R・シュトラウスクライバー 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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