2022年10月

2022年10月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



最近では体調を崩してファンを心配させている小澤であるが、小澤はマーラーの交響曲を得意のレパートリーとしている。

今では入手難となっているが、かつての手兵であるボストン交響楽団とは全集を完成させているほどであるが、マーラーの数ある交響曲の中でも小澤が最も多くの録音を行っているのが交響曲第1番だ。

本盤に収められたボストン交響楽団とともに行ったスタジオ録音(1977年)、その10年後に前述の全集の一環として録音された演奏(1987年)、そして、サイトウ・キネン・オーケストラとともに行ったライヴ録音(2008年)の3種存在している。

いずれも名演と言えるが、3種の演奏のうちどれか一つをとれと言われれば、筆者としては躊躇なく本盤に収められた1977年のスタジオ録音を採りたい。

近年発売されたサイトウ・キネン・オーケストラとの演奏や、全集の一環として録音された演奏があまりにも目立つ存在であることから、本演奏は長らく輸入盤すら手に入らない状況におかれており、知る人ぞ知る存在に甘んじていたが、数年前にオリジナルジャケットによる待望のCD盤が発売され、長年の渇きが癒されたのであった。

そして、そのような隠れた名演が、今般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤として発売されたというのは、本演奏の価値をあらためて世に知らしめるという意味において極めて意義が大きいと言わざるを得ない。

全集の一環として録音された演奏、さらにはサイトウ・キネン・オーケストラとの演奏は、功成り名を遂げた大指揮者による円熟の名演と言った趣きがあるが、それに対して、本演奏は若き小澤による畳み掛けていくような気迫や生命力が漲った演奏と言うことができるだろう。

マーラーの交響曲第1番は、マーラーの青雲の志を描いた作品とも言えるところであるが、本演奏の当時、いまだ40代であった小澤にとっては、同曲との相性が抜群のものであったと言えるのではないだろうか。

小澤のアプローチが、そのまま同曲の魅力を際立たせているとも言えるところであり、もちろん、ワルター&コロンビア交響楽団によるスタジオ録音(1961年)やバーンスタイン&コンセルトヘボウ・アムステルダムによるライヴ録音(1987年)といった歴史的な超名演と比較して云々することは容易であるが、純音楽に徹した演奏という意味においては最右翼に掲げられる圧倒的な名演と評価しても過言ではないと考える。

ボストン交響楽団も、小澤の火の玉のような渾身の指揮にしっかりと付いていっており、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

それにしても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CDの音質は圧倒的だ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりである。

いずれにしても、若き日の小澤&ボストン交響楽団による圧倒的な名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:48コメント(0)マーラー小澤 征爾 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



エジプトのアレキサンドリアでの演奏会で絶賛されたモーツァルトのニ長調、その洗練さと優雅さ。

学究肌のイメージが付きまとうシゲティであるが、実際の演奏はみずみずしく、品格にあふれるものであった。

そしてもう一方のベートーヴェンはワルターが録音した初めてのコンチェルトである。

戦前のSPでベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」といえば、クライスラー&ブレッヒかシゲティ&ワルターのいずれかであった。

どちらに与するかは、聴き手次第だったらしいが、特にシゲティ盤に与する人はワルターの指揮も大きな力となっていたと思う。

確かにワルターの表現は今改めて聴き返してみると円熟味に不足するとはいえ、ティンパニを強打して始まる印象的な冒頭や、緩急自在のテンポ感、特に第2主題の大きくテンポを落とす情感と、レガートやポルタメントを多用する歌い方など、まことにチャーミングである。

ダイナミズムも柔らかいかと思えば、再現部冒頭のように厳しい一面も見せる。

しかし当時のワルターの欠点は、テンポの速いところでアンサンブルが雑になったり、リズムがのめりがちになったりすることであろう。

その良い例が終楽章で、ここではスケールがいかにも小さく、音楽が軽くなりすぎてしまった。

シゲティのヴァイオリンは彼の3種のレコードの中では、この第1回目が当然のことながら技術はいちばん充実している。

もちろんシゲティの音はあたかも鋼のごとく固く、強く、きつい。

ムードとか甘さはどこに探しても見当たらないが、しかしヴィブラートが粗すぎたり、音がかすれたりすることがなく、最高の音楽性をもって真摯に弾いてゆく。

ことに第2楽章の出来が良く、透徹しており、深い精神美に満たされている。

速いテンポでリズミックな舞曲調を生かしたフィナーレも個性的で若々しく、これこそ近代ヴァイオリニストが録音に残した演奏の最高峰である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 09:17コメント(2)ビーチャムワルター 

2022年10月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



トスカニーニとBBC交響楽団の数少ない共演は、ベートーヴェン作品の中では珍しく、各楽章に標題が付された「田園」。

トスカニーニの明快で輝かしい表現は、同時にこれ以上ないカンティレーナのみずみずしさにも充ち溢れている他、各場面の意味と魅力を明確にクローズ・アップさせた演奏設計の旨味にも比類なきものを示している。

曲の持つ、描写的音楽としてのドラマトゥルギー的要素と、交響曲としての古典的構成要素のバランスが秀逸なトスカニーニは、ベートーヴェン自身の述べた「絵画というよりも感情の表現に重きを置いた」という意図を体現することに成功している。

とりわけ第3楽章からフィナーレにいたる一連の流れは、過剰な感情表出を抑えつつも、絶妙なクライマックスを構築。

いわゆるドイツ的な演奏とはその本質を異にするが、結果的に作品のイデアに最も肉迫し得た内容と考えてよいだろう。

トスカニーニのもっとも脂の乗り切っていた時期の音源として、歴史的に意義深い録音としても重要な位置を占めるであろう。

「悲劇的序曲」は、緊張感みなぎる、引き締まった厳しい造形だ。

BBC響の音色は明晰で、ドイツ的な重い暗い響きではないが、その強靭な響きから聴こえてくるのはまぎれもないブラームスである。

精神主義に寄りかからず、スコアに書いてある音そのものにドラマを語らせるところがあり、当時からするとそのショックは如何ばかりであったろうと思う。

速いテンポのなかにも無駄のない、完成された表現である。

「魔笛」序曲は、テンポがかなり速く、この演奏にメルヘン的イメージを期待すると肩透かしを食らってしまう。

しかし、先入観を持たずに聴けば、これは近代的な感覚を持ったフレッシュな演奏であると感じられる。

何よりリズムの斬れが良く、音楽がはじけるように生き生きとしている。

コンサート・ピースとして完成された表現を目指したものであろうが、トスカニーニのスタイルとして徹底しており、そこに微塵の迷いも感じられない。

BBC交響楽団というオケは実に素晴らしく、後年のNBC響との演奏に優るとも劣らない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:30コメント(0)トスカニーニベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本CDのメインは、1957年2月3日、カーネギー・ホールで行われたトスカニーニ追悼コンサートのライヴ録音。

トスカニーニの手兵NBC交響楽団はトスカニーニ引退後にシンフォニー・オブ・ジ・エアと改組し、指揮者を置かずに独自の活動を暫くは続けた。

ワルターの「エロイカ」のみ知られていたトスカニーニ追悼演奏会だが、何とミュンシュ、モントゥーもシンフォニー・オブ・ジ・エアの指揮台に立っていたのである。

いずれもトスカニーニが得意とした曲であり、この3巨匠はNBC響ともお馴染みだっただけにいずれも見事な演奏である。

ブルーノ・ワルターの指揮によるベートーヴェンの交響曲第3番「エロイカ」、シャルル・ミュンシュよるドビュッシーの「海」、ピエール・モントゥーによるエルガーの「エニグマ変奏曲」、オーケストラは「トスカニーニのオーケストラ」NBC交響楽団のメンバーが中心となった、シンフォニー・オブ・ジ・エア。

最初のブルーノ・ワルターの「エロイカ」は、既に過去のレビューでも紹介したとおり良く知られた名演。

緊迫感のある、激しい演奏で、最後まで一気に惹き付けるが、素晴らしいカンタービレを聴かせる第2楽章がとりわけ見事。

オーケストラがやはり素晴らしく、圧倒的な技巧の冴えと、サウンドの美しさは、溜息が出るほどだ。

ミュンシュの「海」とモントゥーの「エニグマ変奏曲」も、両者の十八番であって、当然素晴らしい演奏。

録音は時代相応であるが、演奏のすばらしさを堪能する程度には修復が入っており、十分楽しめる。

因みに、本CDは2枚組、ボーナストラックにはトスカニーニ引退後解散されたNBC交響楽団のメンバーが、解雇に抗議して自主団体としてシンフォニー・オブ・ジ・エアを立ち上げた際、リリースしたレコード録音の抜粋。

こちらはステレオ録音で、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」組曲、ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」、ワーグナーの「マイスタージンガー前奏曲」。

トスカニーニに敬意を払って、指揮者なしで演奏されたもの(コンサート・マスターのダニエル・ギレーが合図を送ったとの由)。

こちらは、やはり演奏としては取り立てて言うべき程のものがないが、見事なサウンドでオーケストラの優秀さは十分堪能できる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:08コメント(0)ワルタートスカニーニ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ショルティは、とある影響力の大きい音楽評論家の罵詈雑言も多分にあると思うが、実力の割に過小評価されている指揮者である。

同じく罵詈雑言を浴びせながらも、フルトヴェングラーと並ぶ大指揮者として評価の高いカラヤンに匹敵するほどの膨大なレコーディングを遺しながら、一部の熱心なクラシック音楽ファンを除いて現在では殆ど忘れられつつある存在と言えるだろう。

ショルティは、もちろん交響曲や管弦楽曲などの分野において名演を遺しているのであるが、カラヤンと同様に、そのレパートリーの中心にはオペラが存在したと言える。

特に、ショルティの名声を決定的にしたのは、ウィーン・フィルとのワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の初のスタジオ録音(1958〜1965年)であったと言うのは論を待たないところだ。

そして、本盤に収められたR・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」は、前述の歴史的なスタジオ録音を終了させた後に行われたものである。

ショルティとウィーン・フィルの相性は必ずしも芳しいものではなく、ウィーン・フィルの主要な楽団員をして、ショルティとは契約に定められた演奏(録音)以外は好んでともに演奏することはないなどと言わしめたほどである。

しかしながら、実際に録音がなされた演奏の出来が悪いかと言うと、必ずしもそうではない。

前述の楽劇「ニーベルングの指環」にしても、現在でも同曲最高峰の名演としての地位を譲っていないところであり、お互いに反発し合うところはあっても、真のプロフェッショナルとして名演奏を成し遂げようという不断の努力を行なってきたということであろう。

本盤の楽劇「ばらの騎士」も、そうしたショルティとウィーン・フィルによる真のプロフェッショナルとしての偉大な名演奏が刻み込まれていると言えるのではないだろうか。

同曲の名演としては、カラヤンの新旧両盤(フィルハーモニア管弦楽団との1956年盤、ウィーン・フィルとの1982〜1984年盤)が2大名演とされており、それにカルロス・クライバー&バイエルン国立歌劇場管弦楽団ほかによるライヴ録音(1973年)が追う展開となっている。

ウィーン・フィルを起用した名演としてはエーリヒ・クライバーによる録音も存在しているが、本盤のショルティ盤もタイプは異なるが、前述の各名演に次ぐ存在と言えるのではないかと考えられるところだ。

本演奏におけるショルティの指揮には、カラヤンの旧盤やカルロス・クライバーによる演奏が有していた躍動感や、カラヤンの新盤のような老獪な味わい深さは存在していないが、ショルティの特徴とも言える強靭とも言えるリズム感とメリハリのはっきりとした明朗さが、R・シュトラウスが施した華麗なオーケストレーションを細部に至るまで明晰に紐解くのに成功し、スコアに記された音符の数々を忠実に音化したという意味での完成度の高さは天下一品。

まさに、同曲の音楽の素晴らしさをダイレクトに聴き手に伝えることに成功している点を評価したい。

そして、ショルティのややシャープに過ぎるアプローチに適度の潤いと温もりを付加させているのが、ウィーン・フィルの極上の美演であると言えるところであり、その意味ではショルティとウィーン・フィルが表面上の対立を乗り越えて、お互いの相乗効果を発揮させたことが、本名演に繋がったと言えなくもないところだ。

そして、本演奏の場合は歌手陣も素晴らしい。

何と言っても、元帥夫人をレジーヌ・クレスパンが歌っているのが最大のポイント。

元帥夫人役としては、カラヤンの旧盤においておなじみのエリザベート・シュヴァルツコップのイメージが強い役柄ではあるが、巧さはともかくとして味わい深さにおいては、クレスパンはいささかも引けを取っていない。

オックス男爵役のマンフレート・ユングヴィルトやオクタヴィアン役のイヴォンヌ・ミントン、ゾフィー役のヘレン・ドナートなども素晴らしい歌唱を披露していると高く評価したい。

英デッカによる今は無きゾフィエンザールによる名録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:45コメント(0)R・シュトラウスショルティ 

2022年10月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



演奏は音質はともかく、この「マイスタージンガー」を聴いてこれがトスカニーニと想像できる人は少ないであろう。

まずテンポがゆったりしていて、トスカニーニのテンポは速いという定説をくつがえすものである。

もっともワーグナーに関してはトスカニーニは全般に遅めのテンポであったらしい。

バイロイト音楽祭における「パルジファル」で最も長い時間の演奏はトスカニーニであると読んだ記憶がある。

この「マイスタージンガー」がトスカニーニらしくないのは彼特有の整然とした時の刻みが聴かれないのが大きな原因である。

特にホルンなどが昔風の野太い音を張り上げ、リズムも間延びしている。

この時代のホルンの技術がこの程度でそれ以上の要求は無理であったのか、トスカニーニが伝統的様式を敢えて尊重しているのかはわからない。

歌手も今日的なレベルから言えば、音程が不正確でやはりリズムが間延びすることが少なくない。

一方、現代のワーグナー歌手の歌い方はオーケストラの整然とした流れの中に組み込まれ、ひとつの言葉やモチーフに感情を込めた方式は希薄になっている。

この「マイスタージンガー」の歌手の歌い方はまさに後者に属するものであるし、この時代の様式に合致するものである。

ちなみに現代ワーグナー演奏様式を打ち立てたひとりはカラヤンであろう。

この事情は1967年、ザルツブルク復活祭音楽祭における「ワルキューレ」の公演に関する記録で知ることができる。

話は戻るが、トスカニーニは1937年の公演では伝統的様式に従っていると言える。

トスカニーニはヨーロッパの伝統的様式の改革者として登場し、華々しい成功を収め、20世紀の音楽史に大きな影響を与えた人のはずである。

この事情はオットー・シュトラッサーの著書にもかなり詳しく書かれており、非常に興味深いものがある。

この「マイスタージンガー」はトスカニーニの信条に反するものかも知れない。

これはあくまで想像であるが、トスカニーニは常に自分の主張を通すのではなく、時と場合により柔軟な対応ができる人であったのではないかと思う。

特にワーグナーに関しては遅いテンポを採用したことからも、トスカニーニ自身がワーグナーを聖域と考え、むしろ伝統的様式を楽しんでいたのかも知れない。

そんな勝手な想像をしてしまうくらいこの「マイスタージンガー」の演奏は意外であり、また興味深いものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:02コメント(0)ワーグナートスカニーニ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アバドによるマーラーの交響曲第3番には、1999年のベルリン・フィルとの至高の超名演(ライヴ録音)が存在している。

当該演奏は、アバドが大病にかかる直前のベルリン・フィルとの演奏であるが、アバドも、そしてベルリン・フィルもともに渾身の力を発揮した圧倒的な超名演に仕上がっていた。

ライヴ録音ということもあって、アバドの、そしてベルリン・フィルのコンディションもかなり良かったのではないかとも思われるが、いずれにしても、このベルリン・フィル盤と比較すると本演奏は若干不利な立場に置かれていると言わざるを得ない。

しかしながら、筆者としては、ベルリン・フィル盤とは違った若き日のアバドならではの魅力のある素晴らしい名演と高く評価したい。

第2番もそうであったが、第3番においても、若きアバドのエネルギッシュな指揮ぶりは実に凄まじい。

とりわけ、第1楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っている。

また、第2楽章以降におけるアバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

もっとも、全体にバランスを重視するあまりピアニッシモがいささか弱過ぎるきらいがあることや、終楽章においては今一歩強靭な迫力が欲しい気がしないわけでもない(とりわけ終結部のティンパニが弱いのが問題で、本終楽章がベルリン・フィル盤と比較していささか劣っている)が、その壮麗な美しさは十分に魅力的であり、演奏全体に瑕疵を与えるほどのものではない。

そして何よりも特筆すべきはウィーン・フィルによる極上の美しい音色であり、とりわけ第1楽章におけるウィンナ・ホルンやトロンボーンソロの朗々たる響きや、第1楽章及び第4楽章におけるゲルハルト・ヘッツェルのヴァイオリンソロ、そして第3楽章のアドルフ・ホラーによるポストホルンソロは圧巻の美しさを誇っており、本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。

若き日のジェシー・ノーマンによる歌唱も、本名演に華を添えていると評価したい。

ウィーン国立歌劇場合唱団やウィーン少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮している。

録音については従来盤でも比較的満足できる音質であったが、前述のベルリン・フィル盤が存在することもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていた。

もっとも、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の再評価に繋がるものと言えるところであり、大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:51コメント(0)マーラーアバド 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



グリーグとシューマンのピアノ協奏曲をカップリングしたCDはあまた存在しているが、本盤のルプー、そしてプレヴィン&ロンドン交響楽団による演奏は、おそらくは最も透明感溢れる美しさを誇るものと言えるのではないだろうか。

何と言っても「千人に一人のリリシスト」と称されるだけあって、ルプーのピアノ演奏はただただ美しい。

グリーグのピアノ協奏曲は、どこをとっても北欧の大自然を彷彿とさせるような抒情豊かな美しい旋律に彩られた楽曲であるが、ルプーは、透明感溢れるピアノタッチで曲想を描き出しており、その清澄な美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

いかなるトゥッティに差し掛かっても、かかる美しさを失わないというのは、美音家ルプーの面目躍如たるものがあると言えるだろう。

もちろん、ルプーのピアノ演奏には、特別な個性を発揮するなど奇を衒ったところはなく、あくまでもオーソドックスな演奏に徹していることから、聴き手によってはいささか物足りないと感じる人も少なくないと思われる。

同曲の持つ根源的な美しさを徹底して追求するとともに、その魅力をピアニストの個性に邪魔されることなくダイレクトに聴き手に伝えることに成功した演奏とも言えるところだ。

その意味においては、ルプーは音楽そのものを語らせる演奏に徹しているとも言えるところであり、徹底した美への追求も相俟って、聴き手が安定した気持ちで同曲の魅力を満喫することが可能であることに鑑みれば、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

他方、シューマンのピアノ協奏曲については、その旋律の美しさのみならず、同曲の本質でもあるいわゆる「ファンタジーの飛翔」をいかに的確に表現することができるのかが鍵となる。

ルプーは、例によって、曲想を透明感溢れるピアノタッチで美しく描き出して行くが、そこには巧そうに弾いてやろうという邪心は微塵もなく、ただただ音楽の根源的な美しさを聴き手に伝えることに腐心しているようにさえ思われるところだ。

したがって、ルプーの表現に何か特別な個性のようなものを感じることは困難ではあるが、そうした虚心坦懐な真摯な姿勢が、同曲の本質でもあるいわゆる「ファンタジーの飛翔」が演奏の随所から滲み出してくることに繋がり、結果として同曲の魅力を聴き手に十二分に伝えることに成功したと言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本演奏は、同曲の数ある名演の中でも、徹底してその美しさを追求した素晴らしい名演と評価したい。

両曲のルプーのピアノ演奏のサポートをつとめたのはプレヴィン&ロンドン交響楽団であるが、ルプーの美しさの極みとも言うべきピアノ演奏を際立たせるとともに、聴かせどころのツボを心得た見事な名演奏を展開しているのを高く評価したい。

音質は、英デッカによる優秀録音であるのに加えて、リマスタリングが行われたことで、十分に満足できるものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:11コメント(2)シューマングリーグ 

2022年10月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収録されているトスカニーニのベートーヴェン「第9」は1941年7月24日におけるブエノスアイレスのコロン歌劇場でのライヴであるが、これは「トスカニーニの1941年ブエノスアイレス・ライヴ」として、クラシック・ファンの間ではかなり有名な演奏である。

これまでにもアリオーソなど、一部のヒストリカル・レーベルからリリースされたこともあるが、それらは入手が難しくて、実際に聴くのはこれが初めてである。

もっとも、音質的には良好とはちょっと言い難く、アナログ・テープ再生時独特のノイズ・レベルがかなり高いし、音場もこもり気味で、録音年代を考慮しても音質水準はそれほど高くはないようである。

しかし、その音質から伝わってくるアンサンブルの燃焼力、そして演奏自体の張り詰めた緊迫感がただごとでなく、例えばフルトヴェングラーのバイロイトの「第9」のように、音質を超えて伝わってくる強度のリアリティに、聴いていて圧倒させられる。

一聴すると、まず第1楽章冒頭の強奏部から凄まじいティンパニの強打に驚かされるし、その後の不気味なほどのうねりが圧倒的である。

たとえば展開部(4:46)での爆発的な強奏といい、(5:55)での度を越したティンパニの激打といい、トスカニーニの流儀による推進性みなぎる音楽の流れの中から、恐ろしいほどのダイナミクスが常に充溢しているし、再現部からコーダにかけてのテンションの高さも、常軌を逸したような凄味に満ちていて圧倒させられるものである。

他の楽章も同様だが、第2楽章は第1楽章より音質が一段鮮明で、演奏の迫力感は殆ど常軌を逸している。

逆に終楽章は相対的に音質が落ち、局面によってはやや聴き苦しい。

そのためか否か、トスカニーニの指揮も前半2楽章ほどの凄味には欠けるようにも思える。

それでもアンサンブルのものすごい燃焼力はジリジリ伝わってきて、やはりこれは並の演奏ではないという印象は、最後まで揺るぎなかった。

オケは南米ブエノス・アイレスのテアトル・コロン・オーケストラ(ケルン歌劇場のオーケストラ)で、弱いセクションを(特に木管楽器を中心に)補強しており、NBC交響楽団のメンバーも加わっている。

とは言っても、腕利きのメンバー(特に弦楽セクション)がいることは間違いない(所々、見事なアンサンブルが聴ける)。

時代(第2次大戦中だから)からしても、亡命演奏家が多く参加しているであろうから、当然であろう。

しかしながら、この録音の魅力は、たとえばNBC交響楽団との演奏ではオーケストラの壮麗なサウンドに耳を奪われて見落としがちになる、デモーニッシュな表現が剥き出しになっていること。

全体に独特の白熱感があり、最後の猛烈な拍手の嵐もうなずけるものである。

あくまでも、ドキュメントとしての価値が高いものであるが、演奏としても激しい熱狂の「第9」として、聴いて損はない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:05コメント(2)ベートーヴェントスカニーニ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1951年5月28日 フィレンツェ5月音楽祭でのライヴ録音。

カラスのミラノ・スカラ座デビュー直前の「シチリア島の夕べの祈り」音源で、ここで絶賛を浴び、カラスのサクセス・ストーリーが始まった。

カラスはその後同曲を録音しておらず、彼女の「シチリア島の夕べの祈り」唯一盤である。

13世紀に、フランス王族の支配するシチリア島で起きた、イタリア住民の暴動と虐殺事件「シチリアの晩祷事件」を題材にとったこの作品も、筆者は結構聴かず嫌いだったかもしれない。

ヴェルディ作曲当時の、イタリア統一の機運にはぴったりの題材だと思うが、フランスが悪役とも言えるこの題材を、パリ・オペラ座からの依頼で、グランド・オペラ初挑戦の作品としてヴェルディがよく取り上げたものだと思う(フランス革命後だから、フランスの王族が悪役ならOKなのか)。

指揮はなんとエーリッヒ・クライバーである。

息子は結構イタリア・オペラを振っているが、筆者の知っている限り、エーリッヒ・クライバーのイタリア・オペラはこれのみのはずだ。

他のイタリア・オペラと違う何かがあるから(グランド・オペラ・スタイルだからか)エーリッヒ・クライバーが振ったんだろうか。

肝心の音楽だが、元来このオペラはあまり評判がよろしくないのだが、いつも通りのエーリッヒ・クライバーの厳しい音作りで一気呵成に聴かせるし、カラス(メキシコの「アイーダ」同様、たぶん楽譜に無いであろう最高音を聴かせてくれる)そしてロシアの名バス、クリストフをはじめ歌手陣も申し分ない。

しかし残念なことにカラスとエーリッヒ・クライバーが共演したのは後にも先にもこの時だけとなった。

観客も熱狂的である。

ただし、音はあまりよろしくない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:15コメント(0)クライバーカラス 

2022年10月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



この演奏内容の素晴らしさについては、以前のレビューにも記したところであるが、当盤は何と言ってもオルフェオのセンス抜群の復刻SACD化による高音質によって、従来盤を遥かに凌ぐ奥行きのある素晴らしい音質に蘇ったことが特筆される。

この快挙により、今まで「ばらの騎士」をあまり聴かなかった人も、このSACDで開眼するであろう。

当時43歳のクライバーは、エネルギーたっぷりの鮮やかな音楽で、ただ最高の一言。

それにしてもなんと言う美しい音楽であろうか。

無駄な音など一音もなく、それを完璧に表現したクライバーの指揮もさすがである。

さらには、クライバーの指揮の推進力も相変わらず聴き応え満点だ。

この演奏の素晴らしさは、すでに語り尽くされているので、ここで改めて付け加えることはない。

キャストは、ファスベンダー、ポップ、リッダーブッシュとミュンヘンの「ばらの騎士」の極めつけ3人に加え、クレンペラーとショルティから重用された美声ソプラノ、クレア・ワトソンの元帥夫人と、この上なく強力な布陣。

しかし何にもまして嬉しいのは、リッダーブッシュのオックス男爵が聴けること。

その美しく高貴で、かつ性格的な歌唱の素晴らしさはモルやエーデルマンの名唱にも劣らない。

クライバーの2つの映像記録にも残っていないだけに、値千金の価値をこの演奏に与えている。

最高のキャスティングで曲の持つ力を演奏が凌駕してしまっている。

第3幕の3重唱の出だしなど余りの美しさに泣けてくる。

今後100年、これ以上の記録録音は出ないであろう。

次はクライバーの「オテロ」、「ラ・ボエーム」やまだ眠っている音源があるなら、マスターテープが古くなって損傷する前に、ぜひSACDで復刻して発売してほしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:25コメント(0)R・シュトラウスクライバー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1987年5月1日、ベルリン、フィルハーモニーザールにて行われたコンサートの模様を収録した映像作品。

私事で恐縮であるが、R.シュトラウスのこの演奏は、最初、小学校の教員だった母がたまたま学校に来てたセールスマンから買ったVHSで視聴した。

その時は、筆者もクラシック音楽ばかりが好きではなく、ビートルズなどのロック好きの時代だったわけだが、カラヤン&ベルリン・フィルはたたみかけるような素晴らしい演奏で、完全にこの凄まじい演奏に聴きほれてしまった。

筆者もこの後色々と同じ曲を聴いたのだが(もちろん同じ演奏家の演奏も含め)、未だにこのライヴ演奏がベストである。

1942年にシュトラウス本人がカラヤンの暗譜の指揮でやってるのを見てあいつはなかなかやるぞ!と言ったそうだ。

その意味がこの晩年の1987年盤で証明されている。

難解で複雑でありながら、旋律を浮き彫りし、なおかつ響きのハーモニーの徹底が凄まじい他の比較にならない決定的名DVD。

それはテンポが速くなればなるほど、正確で0.1秒の誤差もない強烈なライヴである。

感嘆したとか驚嘆したとか一般の形容詞では表現しきれない宇宙的スケールの演奏である。

モーツァルトのディヴェルティメント第17番におけるカラヤンは、ディヴェルティメントを単なる社交音楽という以上に弦楽器群の豊麗な響きと魅力をシンフォニックに発揮させ、彼ならではの演奏を艶やかに聴かせている。

特に第2楽章は各変奏を入念に仕上げていて立派だが、主題の後半の繰り返しだけを省略しているのには疑問が残る。

第4、5楽章も旋律を実に流麗に歌わせている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:25コメント(0)カラヤンR・シュトラウス 

2022年10月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められているのは、1954年のいずれもベルリン・フィルとのベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番になる。

1947年の演奏の方は、フルトヴェングラーの第2次大戦後の復帰コンサートということもあって、歴史的な超名演との評価が定着しており、本盤に収められた1954年の演奏については、やや分が悪いと言わざるを得ない。

フルトヴェングラーの演奏は、演奏内容の深みにおいては共通しているものの、一つ一つの演奏会に対して、初めて楽曲に接する時のような気構えで臨んだとも言われていることから、各演奏の違いには顕著なものがある。

そうした中にあっても、1947年と1954年の演奏の違いは桁外れであると言えるところであり、とても同じ指揮者による演奏とは思えないほどであると言えるだろう。

交響曲第5番において顕著であるが、フルトヴェングラーの美質でもあった実演におけるドラマティックな表現は、本盤の演奏では随分と影を潜めており、その意味ではある種の物足りなさを感じるかもしれない。

もっとも、そうした踏み外しはないものの、演奏の持つ奥行きの深さ、彫りの深さ、独特の深沈とした味わい深さは、交響曲第5番及び第6番ともに、1947年の演奏を大きく凌駕していると言えるところであり、大巨匠フルトヴェングラーも死の年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にある演奏と評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、1947年の演奏などとの対比において諸説はあると思うが、筆者としては、フルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏解釈の究極の到達点とも言うべき至高の超名演と高く評価したい。

それにしても、音質は素晴らしい。

1947年の演奏についても、従来盤との違いは歴然としていたが、1954年の演奏については、より後年の演奏だけに、高音質化の効果については歴然たるものがあると言えるだろう。

1954年のライヴ録音、そして音質が悪いとして定評のあるフルトヴェングラーのCDにしては、各楽器セクションの分離度や鮮明さは圧倒的であると言えるところであり、さすがに最新録音のようにはいかないが、この当時の演奏としては最高水準の音質に仕上がったと評してもいいのではないだろうか。

いずれにしても、フルトヴェングラーによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ザンデルリンクのディスコグラフィは、実演でのレパートリーに較べるとだいぶ少なめなものとなっており、シューベルトの「ザ・グレート」とハイドンの交響曲第39番という2つの作品もレコーディングがおこなわれていないため、ライヴ音源がリリースされたのは非常に歓迎されるところである。

巨匠ザンデルリンクに「ザ・グレート」のディスクがなかったこと自体驚きだったが、ついに名人集団スウェーデン放送響との名演が発見された。

とても初出レパートリーとは思えぬほど、どこまでも自然体で、柔らかな響きを保ち、ホルンを朗々と吹かすところなど、こうでなくては! と感じさせる。

全体の運びはザンデルリンクならではの重厚長大スタイルながら、情感が非常に豊かでニュアンスに富んでいる。

また、エネルギッシュにオーケストラをドライヴする姿が目に浮かぶようであり、これぞスケール極大の大演奏で、「ビッグではなく、グレートなのだ」と主張しているかのようだ。

スウェーデン放送響の「ザ・グレート」としては、1994年収録の当ザンデルリンク盤と、1990年に同じベルワルド・ホールで収録されたスヴェトラーノフによる「ザ・グレート」があり、両者の比較も興味の尽きないところだ。

ハイドンの交響曲第39番は曲も演奏も気に入った。

正直言って初めてこの曲をまともに聴いたのだが、ザンデルリンクがかつてハイドンの交響曲に集中していた時代にLPでその何枚かを聴いて、この指揮者のハイドンへの並々ならぬ腕前に感心していた事もあって、それを懐かしく思い出した。

ザンデルリンクはしばしばハイドンをコンサートの前プロに置くことが多かったのだが、この第39番は特に彼が愛奏した素晴らしい作品である。

オーケストラの合奏能力は超一流というわけではなくライヴ故に余計アンサンブルも怪しい処もあるのだが、通奏低音としてのハープシコードがとても効果的である。

ハイドンの「短調疾風怒濤期」からの交響曲である第39番の第1楽章からの「処理」は中々聴かせるものがあり、第3楽章のメヌエット等も魅力的で、流石「交響曲の父」と呼ばれるだけの名演を繰り広げている。

音質は1990年代のライヴ録音だけに、鮮明で素晴らしいものであると高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 10:47コメント(0)ザンデルリンクシューベルト 

2022年10月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ベンノ・モイセイヴィッチは20世紀最大のピアニストの一人である。

レシェティツキー門下の巨匠ベンノ・モイセイヴィッチの演奏は、ラフマニノフとホフマンの両巨頭に絶賛されたように、楽譜に対して「音楽的に」自由に対処するロマン派的演奏であるが、それはベートーヴェンの演奏に於いても最良の意味で如何なく発揮されている。

技巧に苦労を感じさせない、いわば天衣無縫型のピアニストの最右翼であるモイセイヴィッチ。

軽快さと柔軟さに富んだ指さばきは当代無二で、ラフマニノフやホフマンといったトップクラスのピアニストと比肩されうるものであった。

若き天才性の具現である第3番と、円熟の極みである第5番「皇帝」の名盤。

前者はマルコム・サージェント指揮フィルハーモニア管弦楽団との共演。

後者はジョージ・セル指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団との共演。

第3番のラルゴの歌わせ方の美しさ、「皇帝」の終楽章の舞曲的闊達さもさることながら、このCDにおける白眉は、第3番第1楽章のC・ライネッケによるカデンツァで、まさに一陣の吹き抜ける風のごとく流麗で、その音の粒の揃い方の見事さに匹敵する妙技は、他では聴き得ないものだ。

第5番「皇帝」はセルのストイックで精緻を極めたオーケストラ演奏と、モイセイヴィッチの貴族的で理性的な処理が見事である。

このCDに収録されている1950年録音の「皇帝」でもっともすぐれている部分は、切ないほどに美しいレガート楽節に満ちた、全編美しさが持続する緩徐楽章だ。

どちらも瑞々しさと優雅の融合した非常に高度な意味での技術と風格を兼ね備えたもので、これらの曲の一つの頂点として引き継がれる価値があるものと思う。

NAXOSの復刻もオリジナル(前者はテープ、後者はSP)の音色を生かした素晴らしいもので、ライナーノートによれば本来の演奏を傷付けないようにクリックノイズの除去程度の処理のみを行なっているそうである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:39コメント(0)ベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



リヒテル・アメリカ・デビュー音源のひとつとしてLP時代から評価の高いものであった。

過去にはラインスドルフ、シカゴ響とリヒテルの爆演のように言われたこともあったと記憶している。

しかし今良く鑑賞し直してみるとシカゴ響はラインスドルフによって非常によくコントロールされている。

力強いが野放図な音を出しているわけではなく、リヒテルも決して力任せに対決する姿勢ではない。

そこにはスケールの大きい音楽的な構想を持ったピアニズムが展開されていて、両者の張りつめた緊張感の中に溢れるほどのリリシズムを湛えた演奏が感動的だ。

またリヒテル壮年期の水も漏らさぬテクニックの冴えもさることながら、第3楽章を頂点として随所にあらわれる抒情の美しさも彼らしい。

カップリングされたベートーヴェンのピアノ・ソナタ『熱情』は同年にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されたもので、当初はもう一曲の『葬送』と共にリリースされた。

ここでのリヒテルの凄まじい集中力と緊張感の持続が恐ろしいほど伝わってくる。

彼自身この『熱情』の演奏を嫌って、自分の失敗作のように言っていた。

音楽的な造形からも、まその表現力の幅広さと強烈なダイナミズムからもベートーヴェンに相応しい曲作りなのにである。

本人ならともかく、あら捜しをするような次元の演奏ではないだろう。

当時のリヴィング・ステレオの良質なマスターをCD化したもので、音質は鮮明でシカゴ・オーケストラ・ホールの音響空間も良く感知される。

ピアノも潤いのある艶やかな音色が捉えられていてオーケストラとのバランスも理想的だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:35コメント(0)リヒテルブラームス 

2022年10月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



チェコの名指揮者であったノイマンの得意のレパートリーは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコの作曲家による楽曲や、ボヘミア地方で生まれたマーラー(チェコ出身の指揮者はそれを誇りとしており、クーベリックや近年のマーツァルなど、チェコ出身の指揮者には、マーラーをレパートリーとした者が多い)の交響曲であったが、それ以外の楽曲、とりわけベートーヴェンの楽曲についてはなかなかの名演奏を遺しているところだ。

本盤に収められたベートーヴェンの序曲集は、そうしたノイマンの得意としたレパートリーの一つと言えるだろう。

こうして、エクストンが、最晩年のノイマンとの録音を行ってくれたことは大変に素晴らしいことであったとも言える。

ノイマンによる各序曲集の演奏は、聴き手を驚かすような奇を衒った解釈を施しているわけではない。

楽想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くというオーソドックスなアプローチに徹しているところであり、それはあたかもノイマンの温厚篤実な人柄をあらわしているかのようであるとも言える。

もちろん、ノイマンの演奏が穏健一辺倒のものではないという点についても指摘しておかなければならないところであり、ベートーヴェンの楽曲に特有の強靭にして力強い迫力においてもいささかも不足はない。

それでいて、無機的で力づくの強引な演奏など薬にしたくもなく、常に奥行きのある音が鳴っており、ベートーヴェンの楽曲を単なる威圧の対象として演奏するという愚には陥っていない。

豊かな抒情に満ち溢れた情感豊かな表現も随所に聴かれるところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているとも言えるところだ。

聴き手によっては、ベートーヴェンの序曲集だけに、よりドラマティックな表現を期待する人も多いとは思うが、聴けば聴くほどに味わい深さが滲み出てくる、いわばいぶし銀の魅力を有する本演奏は、ノイマンとしても最晩年になって漸く成し得た大人の指揮芸術の粋であり、筆者としては、ノイマンによる遺言とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

当時、トランペットのケイマルやホルンのティルシャルなど、一流のブラスセクションを擁していたチェコ・フィルの演奏も秀逸であり、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

そして何と言っても音質も素晴らしい。

このエクストンのゴールドラインシリーズは、音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりである。

いずれにしても、ノイマンの最晩年の至高の名演を高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:57コメント(0)ベートーヴェンノイマン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



現在では押しも押されぬ巨匠ヴァイオリニストとして世界的な活躍をしているクレーメルによる若き日の名演だ。

クレーメルは、現在でもそうした評価がなされているが、超絶的な技巧をベースにしつつ、現代的なセンスに持ち溢れた鋭さを感じさせる演奏を行うことで世に馳せている。

本盤に収められたシベリウスのヴァイオリン協奏曲、そしてシュニトケの合奏協奏曲ともに、そうしたクレーメルの個性が溢れた演奏に仕上がっている。

クレーメルのヴァイオリン演奏の引き立て役は、これまた現在ではロシアを代表する大指揮者に成長したロジェストヴェンスキーであるが、ロジェストヴェンスキーはロシア音楽を得意とはしていたが、シベリウスについても得意としていた。

現在では入手難となっているが、かつての手兵であるモスクワ放送交響楽団とともにシベリウスの交響曲全集をスタジオ録音している。

当該演奏は、オーケストラがいかにもロシア色濃厚な演奏を行っていることもあって、必ずしもシベリウスに相応しい演奏とは言い難いものがあったが、それでも総体としては考え抜かれた立派な演奏であり、交響曲第3番や第7番の録音を遺したムラヴィンスキーや、近年のマリス・ヤンソンスなどと並んで、ロシア系の指揮者としては希少なシベリウス指揮者と言えるところだ。

本盤の演奏は、オーケストラがシベリウスの名演を様々な指揮者と行うなど、定評のあるロンドン交響楽団であり、ロジェストヴェンスキーとしても、オーケストラのロシア的な色合いに邪魔されることなく、まさに水を得た魚の如き演奏を行っている。

その演奏は、若干ロマンティシズムに傾斜しつつあるきらいもあるところであるが、クレーメルの一切の甘さを排した鋭角的で霧味鋭いアプローチが、演奏全体を引き締まったものとするのに大きく貢献しており、こうした指揮者とヴァイオリニストがお互いに足りないものを補い合った結果が、本演奏を名演たらしめるのに繋がったとも言えるところだ。

シュニトケの合奏協奏曲は、ロシアの現代作曲家による作品だけに、ロジェストヴェンスキー、クレーメルともに、お互いの才気が迸るような見事な名演に仕上がっていると高く評価したい。

第2ヴァイオリンを担当したタチアナ・グリンデンコによるヴァイオリン演奏も見事である。

いずれにしても、本盤の演奏は、ロジェストヴェンスキーとクレーメル、そしてグリンデンコというロシア系の音楽家がお互いの才能をぶつけ合うとともに、足りないものを補うなど相乗効果を発揮させた素晴らしい名演と評価したい。

音質については、従来CD盤でも1977年のスタジオ録音ではあるものの、比較的満足できる音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:47コメント(0)シベリウスクレーメル 

2022年10月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1998年12月17日(ハイドン)、1997年10月4日(ブラームス)、ウィーン・コンツェルトハウス・大ホールに於けるデジタル・ライヴ録音。

巨匠ザンデルリンクは、2002年に演奏活動から引退する直前までヨーロッパ各地の名門オケに客演を繰り返し、どのオーケストラからも驚異的高水準の演奏を引き出すことで尊敬を集めた。

ほぼ毎年客演したウィーン交響楽団との相性も抜群で、機能的でストレートな反応にザンデルリンクの豪快なドライヴが見事に決まっている。

いずれもザンデルリンクからリリース快諾を得たとのことで、ファンにはうれしいアルバムの登場である。

巨匠お得意のブラームスの交響曲第3番では、どっしり落ち着いた風格にウィーン響の華やかさが加味されて絶妙の味わいがある。

どの楽章も隅々まで心配りが行き届き、渋みのあるロマンはたっぷり濃厚。

最近の小編成オケによる演奏とは土台も次元も違う演奏で、改めてブラームスの魅力を思い知らされる。

ブラームスの交響曲第3番の新たな名演の登場と言えるだろう。

また、カップリングの「驚愕」は、ありそうでなかったディスク初登場レパートリー。

ハイドンを面白く聴かせる第一人者の巨匠ゆえに、堅苦しさや優等生的な融通の利かなさはまるでなく、愉悦と大胆な遊び心に満ちた快演。

お馴染みのメロディーがこれほど格調高く、しかも伸び伸びと歌われた演奏はそうあるものではない。

どこか古風な落ち着いた響きをもったスケール豊かな演奏は、ピリオド楽器による演奏から得られない魅力に満ちている。

ザンデルリンクは既に引退して、逝去してしまったのだなぁ…、という感慨の深い1枚とも言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:48コメント(0)ハイドンブラームス 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2001年4月28日(第4番)、1985年12月5日(第5番)/NHKホールに於けるライヴ録音。

ブロムシュテットのマーラーは世紀末的な情感よりも、古典的なスタイルと構成感に特徴がある。

それが清明な第4番にはうってつけで、精緻な演奏を聴かせてくれている。

第4番は、2001年とごく最近の録音だけに、音の状態も良く、N響の響きも艶やかで、技術的にも高水準だ。

清澄ななかにリリコの魅力を込めた中嶋彰子の歌唱も絶品。

ブロムシュテットのマーラーは、サンフランシスコ響との第2番があって評価が高いが、これも良いと思う。

ヴァイオリンは対向配置にしているようだ。

第5番はさらに15年をさかのぼる1985年の録音で、良くも悪くも当時のN響である。

金管、とりわけトランペットが相当に情けなく、最初の2楽章を聴いている途中で、これでプロを名乗れるのかと心配になってきたが、ブロムシュテットは燃えており、厚みと力感を伴った弦の彫りの深い表現が聴けるし、トランペットも途中から持ち直してくる。

第3楽章のスケルツォはかなり速いテンポ設定で、音楽が良く流れている。

一転、アダージェットは意外にも遅いテンポでじっくり歌う(13分もかけている)。

その流麗な美しさは素晴らしく、ブロムシュテットならではの演奏である。

ロンド・フィナーレも、かなり細部にまで神経が行き届き、N響も良く応えている。

ホルンが好調、木管もまずまず健闘、音楽がよく弾んでいる。

大円団のコーダにいまひとつの高揚感とスケール感が欲しいところだが、贅沢を言えばキリがないところだ。

ブロムシュテットはN響と素晴らしいマーラーの第9番を演奏した記録があるのだが、発売にこぎつけてはくれまいか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:10コメント(0)マーラーブロムシュテット 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたシューベルトの交響曲第9番「グレート」は、セル&クリーヴランド管弦楽団による2度にわたる同曲のスタジオ録音のうちの最初のものである。

全盛期のセル&クリーヴランド管弦楽団の演奏はそれは凄いものであった。

セルは、同じくハンガリー出身の先輩であるライナーや、ほぼ同世代のオーマンディなどとともに、自らのオーケストラを徹底して鍛え抜いた。

その結果、オーケストラ史上でも稀にみるような、あらゆる楽器セクションの音色が一つの楽器が奏でるように聴こえるという「セルの楽器」とも称される鉄壁のアンサンブルの構築に成功したところであり、セルは、まさに自らの楽器を用いて数々の演奏を行っていたのである。

そのアンサンブルの精緻さは、聴き手の度肝を抜くのに十分ではあったが、あまりの演奏の緻密さ故に、メカニックとも言うべきある種の冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、名演の名には値するものの、感動という点からするといささかコメントに窮する演奏も多々存在したとも言えるところだ。

本盤の演奏も、全体の造型の堅固さ、そして一糸乱れぬアンサンブルを駆使した演奏の緻密さにおいては、同曲の他のいかなる演奏にも引けを取らないハイレベルに達しており、その意味では名演の名に十分に値するが、最晩年の1970年の演奏と比較すると、ゆとりというか、味わい深さにいささか欠けているのではないかとも思われるところである。

したがって、セルによる同曲の代表盤ということになれば、最晩年の1970年盤を掲げることにならざるを得ないが、いわゆるセルの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、本演奏を掲げるのにいささかも躊躇するものではない。

いずれにしても、本演奏は、今一つゆとりというか、鷹揚なところがあってもいいのではないかと思われるところもあるが、セル&クリーヴランド管弦楽団の全盛時代を代表する名演として高く評価したい。

他方、併録の劇音楽「ロザムンデ」からの抜粋については、1967年というセルの死の3年前の演奏ということもあり、交響曲第9番「グレート」よりも懐の深い演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

セルも1960年代後半になると、クリーヴランド管弦楽団の各団員に自由を与え、より柔軟性に富んだ味わい深い演奏を行うようになってきたところであり、本演奏においてもそうしたセルの円熟の至芸を存分に味わうことが可能である。

各旋律の端々からは豊かな情感に満ち溢れた独特の味わい深さが滲み出していると言えるところであり、おそらくは同曲の演奏史上でも、ベーム&ベルリン・フィルによる名演とともにトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、録音年代が古いこともあって、従来盤は今一つ冴えないものであったが、Blu-spec-CD盤が発売され、これまでの従来盤のいささか劣悪な音質を一新するような十分に良好な音質に生まれ変わったところである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:49コメント(0)シューベルトセル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1955年11月5日 ウィーン国立歌劇場こけら落としの上演のライヴ(モノラル)録音であるが、最初に音質の驚異的改善から報告しなくてはならない。

この時代のライヴ録音としては最上級の出来栄えではなかろうか。

丁寧な作業から鮮明に浮かび上がったのは、まず歴史的公演の恐るべきテンションの高さ。

この演奏にはライヴならではのおよそ比較を絶した熱気と高揚があり、そのことが指揮者、歌手、オケ、合唱の気迫が音からひしひしと伝わってくる。

『フィデリオ』に思い入れのあるベームは、残された『フィデリオ』の録音すべてが名演であるが、中でもこの1955年の再建記念公演は気合の入り方が違っている。

ベーム特有の芯のある音を要所要所に立て、それを柱としてがっちりと音楽を組み立てている。

ベームが低音を抉りつつ、弦に高音を輝かしく強奏させ、立体的、かつ美しくも強靭な響きで音楽を構築していく様子は、今回のCD化で初めて明らかになった。

解釈の基本はベルリンやドレスデンでの録音と同じ路線にあるが、しなやかさ、美しさを増した当盤の魅力は大きいものがある。

長いベームの音楽歴においても、特筆すべき名演である。

歌手がまた大物揃い。

フルトヴェングラーのお気に入りのドラマティック・ソプラノで、彼がEMI録音でもレオノーレ役に起用したマルタ・メードルがここでもレオノーレ。

ウィーンのモーツァルト・テノールとして名高いアントン・デルモータがフロレスタン。

偉大なバリトン、パウル・シェフラーが凄みのあるピツァロ。

ワーグナー・バスとして一世を風靡したルートヴィヒ・ヴェーバーが味のあるロッコ。

そして名花イルムガルト・ゼーフリートがマルツェリーネ。

ウィーンの人々に愛されたテノール、ヴァルデマール・クメントがヤキーノと、まさに1950年代のウィーンを代表する歌手ばかりで、まさにオールスター・キャストと言えよう。

当時のベスト・メンバーを集めた歌手陣が、1人1人熱演しているのはもちろんだが、アンサンブル・オペラとしての行き方を堅持していた時代のウィーンらしい、密度の高いチーム・ワークを聴かせる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:35コメント(0)ベートーヴェンベーム 

2022年10月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1946年3月、カーネギー・ホールにおける白熱のライヴ。

1946年頃のアメリカではブルックナーも度々演奏されていたらしく、日本では終戦直後そんな余裕すらなく、1970年代後半に入ってから本格的に聴かれ始めた作曲家である。

ワルター/ニューヨーク・フィルの演奏を聴いていると、とても戦争直後とは思えないような実に深い、そして既にブルックナーを自分たちの物にしていて、演奏終了後の拍手からも聴衆の感動が伝わってくる。

情感豊かなワルターの解釈が演奏者に深く浸透し、馥郁たる浪漫の薫り立ちこめるブルックナーで、凝縮されたエネルギーの密度も濃い。

ワルターと言えば、モーツァルトとマーラーの権威として知られていたが、ブルックナーもなかなか聴かせる。

どうしても、先入観で聴いてしまいがちだが、このブルックナーは他の指揮者には真似の出来ないワルターならではの仕上がりである。

一度は聴いてみても損は無いと思わせるそういう演奏。

古い放送録音のため音は硬いが弦の響きなど生々しく迫ってくる。

この音源の元になったのはどうやらラジオ放送で使用する盤らしく、収録時間もきっちり60分という放送を意識した仕様である。

そのため、曲の前にはアナウンサーによる曲目や演奏家紹介などが入り、第9交響曲終了後はワルター指揮のブラームスの第4交響曲から第3楽章の抜粋など明らかに時間調整のため行った構成であったそうだ。

盤起こしのためどうしても針音や特有のノイズ、レベル変動などが所々あるが視聴するうえでは全く問題にならない範囲である。

ちなみにオーレル校訂版(1932年)という版は、アルフレート・オーレルが、ブルックナーが本当に書いた部分を再現しようとした最初の校訂版(第一次全集版)。

「ハース版」と扱われることもある。

この版による初演は1932年、ジークムント・フォン・ハウゼッガー指揮によりミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では2度の第9番が演奏された。

レーヴェ版についでオーレル版が比較演奏されたのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:09コメント(0)ブルックナーワルター 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



世界中でベストセラーになったカラヤン最大のヒット作である。

カラヤン最大のヒット作ということは、おそらくはクラシック音楽史上でも最高のヒット作ということになるのであろう。

アンチカラヤン派の方々からは、そもそもこのようなディスクの企画自体が、生前に音楽家ではなくセールスマンだと揶揄されたカラヤンならではの所業であるとの強烈な批判が寄せられることは十分に想定されるところだ。

しかしながら、本盤は、芸術性をどこかに置き忘れた単なる低俗な人気取り商品であるかと言うと、必ずしもそうとは言い切れないのではないだろうか。

というのも、本盤に収められた楽曲がいずれも名旋律で彩られたポピュラーな名作であるのみならず、演奏自体もいずれも素晴らしい名演であるからだ。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏はとにかく凄かった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本盤に収められた演奏の中には、一部にカラヤンの統率力に陰りが見られた1980年代の演奏(特に、ブラームスの交響曲第3番第2楽章とシベリウスの「悲しきワルツ」)も含まれてはいるが、大半の演奏はまさにカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の圧倒的な音のドラマが健在である。

もちろん、本演奏には、フルトヴェングラーが指揮した演奏に顕著な音楽の内容の精神的な深みの徹底した追求は薬にしたくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を付けることは困難である。

また、カラヤンの演奏は、音のドラマの構築に特化しているため、何色にも染まっていない演奏とも言えるところであり、初心者には安心しておすすめできる演奏である反面、クラシック音楽の熟達した聴き手には、楽曲への理解力が試されるむしろ玄人向きの演奏であるという側面も有しているのではないかと考えている。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は、いずれもカラヤン、そしてベルリン・フィルが構築した圧倒的な音のドラマを味わうことが可能な至高の超名演であると高く評価したい。

特に、「タイスの瞑想曲」におけるミシェル・シュヴァルべによるヴァイオリン・ソロの蕩けるような美しさには抗し難い魅力が満ち溢れており、あまりの美しさに涙なしでは聴けないほどだ。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:44コメント(2)カラヤン 

2022年10月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



独ヘンスラー・プロフィール・レーベルからリリースされたザンデルリング・エディションで、独自の丁寧なリマスタリングで古い音源もかなり良好な音質で再生されるのが特徴だ。

ザンデルリングは複数の異なったレーベルに録音活動を行ったために、彼の長いキャリアの演奏をひとつのボックス・セットでコレクションすることはできない。

少なくともドイツ帰国後の交響曲の全集としては2回のブラームスとフィルハーモニア管弦楽団とのベートーヴェンがあるが、後者はEMI音源になる。

このセットでは1990年のベルリン交響楽団を振ったブラームスの2回目の録音全4曲が収録されている。

この年は奇しくも東西ドイツ統一が正式に認められた年でもあり、心なしか彼らの演奏も重厚な中にも開放的な雰囲気が息づいている。

音質はややオフ・マイク気味で、ちょうどコンサートホールで聴くようなバランスの取れたものになっている。

フィール・レーベルからリリースされたザンデルリング・エディションで、独自の丁寧なリマスタリングで古い音源もかなり良好な音質で再生されるのが特徴だ。

ここでのもう一つの交響曲全曲集はラフマニノフだが、これらの3曲は第1番及び第2番がレニングラート・フィルとの共演でモノラル音源になり、第3番は北ドイツ放送交響楽団との1994年のステレオ録音。

ブルックナーの第4番はバイエルン放送交響楽団を指揮したもので、ベートーヴェンの第6番『田園』はWDRケルン交響楽団で、どちらもこれ見よがしのない堂々たる押し出しの貫録を持った演奏だ。

なおボーナストラックとしてベートーヴェンの『コラール・ファンタジー』が入っている。

リマスタリングされたリヒテルの鮮やかなピアノ・ソロが魅力だが、モノラルで歌詞はロシア語というのがいくらか興醒めになっている。

その他ブラームスではトマス・ツェトマイヤーのヴァイオリンとアントニオ・メネセスのチェロによる二重協奏曲、アンネッテ・マーケルトのコントラルトで『アルト・ラプソディー』及び『ハイドンの主題による変奏曲』も収録されている。

ザンデルリングのブラームスを鑑賞できる理想的なセットだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:22コメント(0)ザンデルリンクブラームス 

2022年10月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンが最も得意とし、その演奏・録音に最もこだわりを持っていたとされる、チャイコフスキーの後期3大交響曲の、それぞれ最後の映像・録音(「悲愴」は実に7回目)である。

カラヤンの美学が徹底している作品であり、金管楽器が咆哮するときに立ち上る熱気やカラヤンの表情と手の動き、演奏者を写す時のカメラアングルなど素晴らしい演出だ。

しかしアンチ・カラヤンの人にとっては、それがあざとく見える可能性もあるかもしれない。

筆者はカラヤンのチャイコフスキーの演奏にかなり以前から傾倒しており、1971年の華麗かつ豪華絢爛なEMI盤と、1975〜76年のパワフルで重厚なDG盤(どちらもオケはベルリン・フィル)とを聴き比べながら、いつも感動している(どちらも最高に凄い演奏!)。

しかし、このカラヤン最後のウィーン・フィルを指揮した演奏は、その凄さの桁が違っていて、指揮者もオーケストラも実に気迫のこもった迫力満点の演奏である。

この演奏には、行き着く所まで行き着いた「深さ」があり、個人的には疲れ果てたような表情を見せる第5番が好きだが、特に第6番「悲愴」はこれ以上のものは考えられない程の出来映えと言える。

カラヤンは「悲愴」を大変に得意としていた(1988年のベルリン・フィルとの最期の来日公演でも当曲を演奏した)が、これは最晩年の、しかもウィーン・フィルとの演奏ということで、音楽の自然さ、音色の美しさで、群を抜いている。

あまりの感動に(表現する言葉が見当たらない)筆者にとっては涙なしでは聴けないDVDとなった。

また、第4番から第6番「悲愴」までの3曲が1枚に収まっており、コストパフォーマンスの面でも大満足のDVDである(このシリーズの中でも図抜けてお得)。

チャイコフスキーとカラヤン好きの人には是非とも聴いて(見て)いただきたい作品である。

このDVDは筆者にとって一生の宝物である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:02コメント(0)チャイコフスキーカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブラームスのピアノ協奏曲第2番の演奏史上、スコアを完璧に音化した演奏ということができる。

ライナー&シカゴ交響楽団の技量は圧巻であり、アンサンブルなどいささかも弛緩することはない。

金管楽器も木管楽器も完璧な技量を披露している。

ギレリスも凄い。

鋼鉄のピアニストと称されたギレリスであるが、本盤は、その面目躍如たる硬質のタッチを示している。

ギレリスは、後年に、ヨッフムと同曲を録音しているが、そちらの方は、やや角の取れた柔らかさがあり、ギレリスらしさと言えば、本盤に軍配があがると考える。

こうした鉄壁のライナー&シカゴ交響楽団と、鋼鉄のギレリスのピアノが組み合わさると、まさに完璧な演奏が生み出されることになるのは必定だ。

第1楽章や第2楽章など、抒情的な美しさなど薬にしたくもなく、圧巻の音塊が炸裂する。

第3楽章になると、シュタルケルのチェロなど、美しい箇所も散見されるが、終楽章になると、再び凄まじい進軍が開始される。

この演奏を評価する聴き手も多いと思われる。

それは、演奏技術として非のうちどころがないからである。

しかしながら、筆者としては、これがチャイコフスキーだったら、どんなに感動的な演奏になったのだろうかと思ってしまうのだ。

要は、ブラームスの場合、何かが足りないのではないか。

ブラームスには、卓越した技量や圧倒的な迫力だけではなく、人生の苦みを感じさせるような深みのある表現も不可欠ではないか。

そう思う時、この完璧な演奏を無条件で推薦するわけにはいかないのである。

録音は、XRCDによる鮮明な高音質であるが、特に、オーケストラの音色がデッドに響く箇所があり、それがいささか気になった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:05コメント(0)ギレリスライナー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



その卓越した音楽性とカリスマ性で20世紀クラシック界に君臨した大指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン。

カラヤンが晩年の1980年代に精力的に取り組んだ「カラヤンの遺産」シリーズから、死の前年(1988年)11月に収録されたブルックナーの8番。

カラヤンにとって3度目となるセッション録音と並行して行われ、映像としても2度目となるもので、ブルックナーへの深い愛情と共感が伝わる。

ウィーン・フィルを得たカラヤンは、緻密な計算に基づく構築美というよりも、よりオーケストラに身を任せるかのような自由にして自然体の美しい演奏を繰り広げている。

まさに巨匠カラヤンによる最後の遺言(レガシー)となった。

カラヤンの楽譜の読みは細かく、深く、ディテールまで徹底した表情に、味わいと意味深さが感じられる。

特に第3楽章は見事な表現であり、ウィーン・フィルの管弦の美しさには形容の言葉もない。

第4楽章は実に克明に3つの主題の性格が表出されている。

コーダの壮麗さは比肩するものがない。

カラヤンが最後に到達した晴朗な境地が、ここに示されている。

いずれにしてもカラヤン最晩年の研ぎ澄まされた無心の境地と言うべき演奏で、ウィーン・フィルのサウンドをひたすら磨き上げ、完璧なアンサンブルを実現させている。

人間の力でここまで美しい音楽を奏でられるというのは、何と凄いことなのかと改めて驚嘆させられる。

輝かしい音の美に満ちた演奏で、最後のカーテンも幕引きしたのは、如何にもカラヤンらしい終わり方だった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:20コメント(0)カラヤンシューマン 

2022年10月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラフマニノフの交響曲第2番は、近年ではきわめて人気のある作品である。

そして、プレヴィンやアシュケナージ、マゼール、エド・デ・ワールト、デュトワ、ヤンソンスなど、様々な指揮者によって同曲のCDがいくつも誕生するに至っている。

これらはいずれも素晴らしい名演であり、客観的な視点で評価すると、プレヴィンの新盤が随一の名演との評価に値すると思われるが、好き嫌いで言うと、筆者が最も好きな同曲の演奏は、本盤に収められたスヴェトラーノフによる録音である。

本盤に収められた演奏は、おそらくは同曲の演奏史上でも最もロシア的な民族色の濃い個性的な演奏と言えるのではないだろうか。

トゥッティにおける咆哮する金管楽器群の強靭な響き、あたりの空気が震撼するかのような低弦の重々しい響き、雷鳴のように轟くティンパニ、木管楽器やホルンの情感のこもった美しい響きなどが一体となり、これ以上は求め得ないようなロシア風の民族色に満ち溢れた濃厚な音楽の構築に成功している。

その迫力は圧倒的な重量感を誇っており、あたかも悠久のロシアの広大な大地を思わせるような桁外れのスケールの雄大さを誇っている。

このように凄まじいまでの強靭な迫力と熱き情感に満ち溢れているのであるが、一例を掲げると有名な第3楽章。

スヴェトラーノフは、本楽章を17分という途轍もなく遅いテンポで、ラフマニノフによる最美の名旋律を渾身の力を込めて徹底的に歌い抜いている。

その濃厚の極みとも言うべき熱き情感のこもった歌い方は、いささかの冗長さも感じさせることなく、いつまでもその音楽に浸っていたいと思わせるほどの極上の美しさを湛えている。

スヴェトラーノフは、1960年代にも、ロシア国立交響楽団の前身であるソヴィエト国立交響楽団を指揮して同曲をスタジオ録音しており、それも名演の名には値すると思うが、演奏全体の完成度や彫りの深さと言った点において、本盤に収められた演奏には到底敵し得ないと考える。

いずれにしても、スヴェトラーノフによる当該名演は、一般的には評価の遡上にすら掲げられることがないものであると言える。

しかしながら、スヴェトラーノフによる本盤の演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧倒的な迫力と濃密な内容を誇っていると言えるところであり、筆者としては、かのプレヴィンの新盤にも比肩する名演と高く評価したいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:38コメント(0)ラフマニノフスヴェトラーノフ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1979年8月1日のザルツブルク音楽祭に招かれた時のライヴ録音で、シェリング61歳円熟期の演奏が堪能できるアルバムだ。

プログラムではシェリング定番のブラームスとベートーヴェンにモーツァルトの後期のソナタを加えた押しも押されもしない、堂々たる演奏が繰り広げられている。

彼のレパートリーの主軸となるのはドイツの三大B、つまりバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの作品でそれらは生涯の課題でもあったに違いない。

またここでも聴かれるように、彼は時としてセッション録音よりライヴでの演奏の方が生き生きとして、自由闊達な表現を可能にしている。

伴奏ピアニスト、ジェイムズ・トッコは個性的というよりはシェリングのソロを生かすことに努めているが、バランスが良く勘所を抑えた上手い人だ。

ライヴなので聴衆の拍手は入っているが、演奏中の雑音は最小限に抑えられている。

会場となった祝祭大劇場の残響も程よい程度に入っている。

3曲のソナタはいずれも作曲家がテクニック的にも意欲的にも充実していた時期の作品だけに、音楽的な深みと共に対位法などを駆使した構成感への造形が要求される難易度の高い曲だが、円熟期のシェリングの端正さと多彩な表現力が充分に示されている。

音楽的なセンスと恰幅の良さは、傾向は違うにしても彼が尊敬していたオイストラフに一脈通じるものがある。

シェリングはベートーヴェンについてはルービンシュタインと選集を、そして全曲をヘブラーとセッション録音しているし、ブラームスは全曲をやはりルービンシュタインと完成させている。

モーツァルトはヘブラーとCD4枚分の選集を残しているが、それらに優るとも劣らないのがこのライヴ録音であることは言うまでもない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:16コメント(0)シェリング 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヤクブ・フルシャ、バンベルク交響楽団による都合8枚のハイブリッドSACDになる。

ブラームスとドヴォルザークの交響曲を対比させ、後輩ドヴォルザークの受けた多大な影響と彼が選択したブラームスとは異なった手法を明らかにした企画が今回で完結した。

この最終巻は2019年の5月に録音された音源で、バンベルクのコンツェルトハレ、ヨゼフ・カイルベルトザールの音響が理想的に採音されている。

この企画によって彼らのコラボによるブラームスの交響曲全4曲が完成したが、一方ドヴォルザークに関しては第6番から9番までで、初期の第5番まではいずれ何らかの形で実現して欲しい。

ただしこのシリーズで選曲された両者の交響曲は初演のデータも比較的近くそれらの共通点と相違点を感知することが鑑賞の醍醐味のひとつだろう。

ブラームスの第2番は、満を持して発表した第1番の高揚した緊張感に比較すると自信をつけた作曲家が、更に闊達な手法で余裕をみせた安らぎが感じられる。

ドヴォルザークの第7番は、ブラームスの楽想やオーケストレーションを学びながらも独自の道を開拓していく意気揚々とした作品で、こうした特徴をフルシャはごく正攻法の解釈で提示している。

それゆえ彼のお国物でもある第7番での民族的な熱狂にはそれほど固執せず、むしろオーケストラのダイナミズムで音楽を進めている。

これはドヴォルザーク自身が求めていた解釈と思われる。

またフルシャは和声の進行を聴かせる部分ではビヴラートを避け、非常に精緻で力強いハーモニーを引き出すことに成功している。

そうした方法がかえって音楽を冷めたものにせず、充実感をもたらしてくれる。

若手の指揮者の中でも彼は個性的な表現で注目させるタイプではなく、音楽自体に語らせる理知的なテクニックをマスターした指揮者であることは間違いない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:05コメント(0)ブラームスドヴォルザーク 

2022年10月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンは、ブルックナーの交響曲の第8番を、DVD作品などを除けば、3度スタジオ録音している。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任後、間もなくスタジオ録音されたベルリン・フィルとの演奏(1957年)、その後全集に発展する第1弾としてスタジオ録音されたベルリン・フィルとの演奏(1975年)、そして最晩年のウィーン・フィルとの録音(1988年)の3種であるが、本盤に収められた演奏は、その最初のスタジオ録音である(これに加えて、戦前のベルリン国立歌劇場管弦楽団との演奏が存在しているが、第1楽章が欠落しており、本稿ではカウントしないこととしたい)。

この3種の録音は、いずれも優れた名演であるが、それぞれの演奏の録音年代が均等に離れているだけに、録音当時のカラヤンの芸風が窺い知ることができるという意味においても、極めて意義深い演奏であるとも言えるところだ。

本盤の演奏は、後年の演奏、例えば1975年のカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の演奏のようなある種の凄味があるわけではない。

その後は世界を席巻することになるカラヤン&ベルリン・フィルという稀代の名コンビであるが、当時のベルリン・フィルにはフルトヴェングラー時代の主要メンバーが多数在籍していたところであり、カラヤンとしても未だ必ずしもベルリン・フィルを掌握していたとは言い難いと言えるのではないか。

それだけに、カラヤンも自我を極力抑え、むしろベルリン・フィルに演奏の主導権を委ねたような趣きも感じられるところであり、音楽そのものを語らせると言うアプローチは、1988年の最晩年の演奏にも通底するものがある。

もっとも、音楽の精神的な深みという意味においては、最晩年の名演には到底太刀打ちできないものの、その一方で、演奏全体には、壮年期のカラヤンならではの強靭な気迫と生命力が漲っており、それこそが、本演奏の最大の魅力であると言えるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルが歴史に残る稀代の黄金コンビに発展していくことを十分に予見させるとともに、ブルックナーの音楽の魅力、そして壮年期のカラヤンの力感溢れる芸風などがあらわれた素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、後年の演奏とは異なり、1957年のステレオ初期の録音というハンディがあるが、ARTによるリマスタリングが施されており、壮年期のカラヤンによる素晴らしい名演を高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:11コメント(0)ブルックナーカラヤン 

2022年10月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ショルティは稀代のオーケストラトレーナーとして、もともと有数の実力を持っていたシカゴ交響楽団を更に超一流の存在に引き上げたが、そうしたショルティだけに、管弦楽の大家と称されたベルリオーズ、中でもその最高傑作とされる幻想交響曲を得意としていたことは十分に理解できるところだ。

ショルティによる同曲の代表盤と言えば、シカゴ交響楽団の音楽監督に就任して間もない頃にスタジオ録音を行った演奏(1972年)が念頭に浮かぶ。

強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したショルティの基本的なアプローチが、同曲の性格に見事に符号しており、シカゴ交響楽団の桁外れの技量も相俟って、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされた圧倒的な名演に仕上がっている。

そして、ショルティの鋼のような芯の強さに柔軟なタッチが加わり、ロマンティックな香りが立ち昇る。

第1楽章は遅めのテンポとデリケートな表情で始まるが、起伏が激しく、一旦盛り上がるとデモーニッシュなまでの凄みがある。

音響効果の高い第4、5楽章は一層ダイナミックでスケールが大きく圧倒される。

まずは文句のつけようがない名演だし、ショルティとしても会心の出来と考えたのではないかと思われる。

したがって、ショルティはシカゴ交響楽団の音楽監督在任中は、同曲を再録音することはなかった。

その後ショルティは、シカゴ交響楽団の音楽監督退任の翌年(1992年)、ザルツブルク聖霊降臨祭コンサートにおいて、満を持して20年ぶりに再録音を行った。

その新盤を聴くと明らかであるが、ショルティの特色であった強靭なリズム感とメリハリの明瞭さ、そして鉄壁のアンサンブルの凄みといった点において、旧盤に一歩譲っているというのは否めないところだ。

その点、旧盤は、超絶的な技量をベースとして一糸乱れぬアンサンブルを披露しているのが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

序曲「宗教裁判官」は未完に終わった初期オペラの序曲で、独立して出版されたものだが、演奏も素晴らしい。

音質も英デッカによる極めて優秀なものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:29コメント(0)ベルリオーズショルティ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2016年からバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任したチェコの若手ヤクブ・フルシャは翌2017年から早速彼らのコラボでの新企画、ブラームスとドヴォルザークの交響曲を組み合わせ2枚組ハイブリッドSACDのリリースを開始した。

第2集までは順調だったがコロナ禍のために今年になってからようやっと後半の二組、第3集及び第4集が出て完結した。

このディスクにはブラームスの交響曲第1番とドヴォルザークの第6番が収録されていて、余白を7曲のブラームスのハンガリー舞曲(no.1,3,10,17-21)で埋めている。

録音データを見ると2020年から2021年にかけて、いずれもバンベルク交響楽団の活動本拠地ヨゼフ・カイルベルト・ザールで行われている。

コンサート・ホールとして非常に良い響きが特徴で、SACDバージョンで聴くと澄んだサウンドと適宜な残響が印象的で、総奏の時でも音質に混濁がなくホールで鑑賞するような自然な臨場感が得られている。

この企画はブラームスと親交のあったドヴォルザークが彼から受けた強い影響を両者の交響曲を対比させてみる面白いものだ。

確かにそれぞれの作品を聴いていると、似たような楽想やブラームスと見紛うばかりのオーケストレーションが現れている。

またここには収録されていないが、ドヴォルザークのスラヴ舞曲集はハンガリー舞曲集で成功を収めたブラームスが彼に民族的な作品の作曲を勧めたことで成就したもののようだ。

フルシャはお国物のドヴォルザークでも決して民族的な熱い情熱を前面に出すことはなく、むしろ洗練された普遍的な音楽に仕上げている。

ドヴォルザーク特有の弦とウィインド・セクションの瑞々しい歌心と、ブラスの力強いサウンドが几帳面に、しかしドラマティックに表現されているのは流石だ。

ブラームスでのヴァイオリン・ソロは第1コンサートマスターのバート・ヴァンデンボールテと思われるが、抒情的な繊細さとロマンティシズムが白眉。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:22コメント(0)ブラームスドヴォルザーク 

2022年10月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



友人であったヴィクトル・ハルトマン(ガルトマン)の遺作展での10枚の絵画の印象を、その半年後の1874年に音楽に仕立てたというムソルグスキーの「展覧会の絵」。

もちろんオリジナルはピアノ曲、クーセヴィツキーの編曲依頼によるオーケストラ版はラヴェルの手によるもの。

当盤は原曲のピアノ版とラヴェル編曲のオーケストラ版とをカップリング。

起伏に富んだスケールの大きなベルマンのピアノと、華麗なオーケストレーションをたっぷり堪能できるカラヤンの演奏との贅沢な競演だ。

ブラスセクションの活躍のシーンが多いオーケストラ版は、絶頂期のカラヤン指揮のベルリンフィルによるもの。

ここではそのベルリン・フィル自慢のブラスセクションが切れ味鋭い演奏を聴かせてくれている。

カラヤン指揮の下、あらゆるシーンにフレキシブルに対応してゆく各パートの鮮やかな演奏力は流石である。

特に最後の“キエフの大きな門”の冒頭に至る部分から、ラストまでは、鳥肌もの。

さすが全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの盛り上げ方は、素晴らしい。

この録音は“キエフの大きな門”での、鐘の音の強弱の変化が激しいが、オーケストラの中で、打楽器を、これだけ強弱をつけて打ち鳴らすというのは、奏者はもちろん、指揮者にも相当、自信がなければ出来ないことだと思う。

その点でも画期的な演奏だ。

そして後半のピアノ版。

ピアノの弦が切れてしまうのでは!?というほどの豪快な打鍵が特徴でもあったベルマンのピアニズムはこの曲においては抑えられ、丁寧さを優先した演奏に徹しているが強打鍵ぶりは健在だ。

オーケストラ版の後に聴いても、あまり音数のさみしさを感じさせない。

“リモージュの市場”における均整のとれた鮮やかな表現、そして“バーバ・ヤーガの小屋”から“キエフの大きな門”にかけての堂々たる演奏は、もはやベルマンの真骨頂である。

古くはホロヴィッツやリヒテルの歴史的録音に肩を並べ得る演奏ではないだろうか。

ベルマンの「展覧会の絵」は、現在このセットリストでしか入手できないので、貴重である。

“カラヤン”“ベルリンフィル”“ベルマン”という3つのブランド力を差し引いても十分にすばらしいディスクだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:43コメント(0)ムソルグスキーカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、カラヤンの死の1年前のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音である。

そもそもカラヤンによるライヴ録音というのが極めて珍しい存在であるのだが、それだけカラヤンも本演奏の出来に自信を持っていたことの証左ではないかとも考えられるところだ。

それにしても、1960年代から1970年代にかけてのカラヤン全盛時代の演奏に慣れた耳からすると、カラヤンの芸風のあまりの変わりようにはおよそ信じ難い気がするほどである。

本演奏には、手兵ベルリン・フィルを統率して、重厚で華麗ないわゆるカラヤンサウンドを駆使して圧倒的な音のドラマを構築していたかつてのカラヤンの姿はどこにも見られない。

ここには、自我を極力抑制し、ただただ楽曲の魅力を素直に引き出して、音楽のみを語らせていこうという真摯な姿勢だけが存在している。

これは、カラヤンの肉体的な衰えによるものなのか、それとも、カラヤン自身の芸風が大きく変化したのかはよくわからないが、ゆったりとしたテンポの中に、カラヤンがこれまでの波乱に満ちた生涯を顧みるような趣きさえ感じられるところであり、ここにはカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地、そして枯淡とも言うべき境地が存在している。

このような崇高なカラヤンを指揮台に頂いて、ウィーン・フィルも持ち得る実力を最大限に発揮した、圧倒的な名演奏を展開しているのが素晴らしい。

ベルリン・フィルとほぼ決裂状態にあった傷心のカラヤンを、ウィーン・フィルがあたたかく包み込むような名演奏と言っても過言ではあるまい。

そして、ムターのヴァイオリンは実に個性的だ。

ハイティーンの頃に、カラヤン&ベルリン・フィルとともに、ベートーヴェンやメンデルスゾーン、ブラームスなどのヴァイオリン協奏曲を演奏した時とは別人のようであり、例によっていささかも線の細さを感じさせない骨太の演奏をベースとしつつ、随所にロシア風の土俗的とも言うべき思い切った表情づけを行うなど、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした超個性的な演奏を展開している。

かつてのカラヤンであれば、このような自由奔放な演奏を許容したかどうかはわからないが、本演奏においては、むしろ、ムターの順調な成長をあたたかく、滋味豊かに見守るような指揮を行っているとも感じられるところだ。

いずれにしても、カラヤンとその秘蔵っ子ムターの共演はこれが最後になったところであり、その意味でも本演奏は、このコンビによる掉尾を飾るに相応しい至高の超名演と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:11コメント(0)ムターカラヤン 

2022年10月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1950年6月19日、ウィーン・ムジークフェラインザール大ホールでのライヴ(モノラル)録音。

一度廃盤になったが、今般再登場したディスク。

超個性的な解釈で注目を集める往年の巨匠ヘルマン・シェルヘン。

その個性が最大限に発揮されているのがこのマーラー「第9」。

これはまことに熱烈なマーラー讃歌だ。

弦楽器はウィーン情緒満点のポルタメントを多用してぶんぶん歌うし、テンポの揺れもすごい。

第2楽章のレントラーも性格がはっきりしていて楽しい。

そしてこれがだんだんと狂気を帯びてくるところがすごい。

第3楽章もマーラーの精神の危機を感じさせてくれるし、終楽章アダージョの心の歌は、劣悪な音質を補って余りある。

驚くことに全曲で70分以下という史上最短の超ハイスピードな演奏になっているが、終楽章はこれだけ速いと、死が一刻と近づいてくる絶望的な恐怖心を感じてくる。

楽譜の変更やカット、意表をつく解釈の連続が、かえってマーラーの狂気をきわ立たせる。

所々オケがついていけてないものの、それがシェルヘンのライヴらしさになっているし、カットしまくり唸りまくりのマーラー「第5」の仰天ライヴ録音と比べたら、珍盤というほどでもない。

それどころか、一聴に値する記念碑的なマーラー演奏である。

シェルヘンの同曲録音はこれがスタジオ、ライヴ含め唯一の音源なので、貴重である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:19コメント(0)マーラーシェルヘン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたブルックナーの「第7」は、クラシック音楽史上最大のレコーディング・アーティストであったカラヤンの最後の録音である。

カラヤンは、様々な名演を数多く遺しているが、本演奏はそうした数多くの名演の中でも、そして、様々な指揮者によるブルックナーの「第7」の名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

カラヤンは、膨大な録音を行っていることからも窺い知ることができるように、常にレコーディングを意識して活動していた。

カラヤンの演奏は、鉄壁のアンサンブルを駆使して、楽曲を徹底的に美しく磨き抜くとともに、流麗なレガートの下、金管楽器のブリリアントな響き、雷鳴のようなティンパニ、肉厚の弦楽合奏などが混然一体となった重量感溢れる演奏(一般的に、カラヤンサウンドと言われる)を特徴としていた。

特に、そうした特徴は、長らく芸術監督をつとめたベルリン・フィルとの演奏において顕著であり、数々のスタープレイヤーが揃っていた当時のベルリン・フィルの卓越した技量も相俟って、1960〜1970年代のカラヤン全盛期には、オーケストラ演奏の極致とも言うべき数々の名演奏を成し遂げていた。

とある影響力の大きい某評論家などは、かかる演奏に対して精神的な深みの欠如を云々しているが、そうした批判を一喝するだけの圧巻の音のドラマを構築していたと言える。

ところが、1980年代に入ると、ザビーネ・マイヤー事件の勃発によりベルリン・フィルとの関係が修復不可能にまで悪化するとともに、カラヤン自身の健康悪化も加わり、カラヤンの演奏には、1970年代までの演奏のような凄みが欠如するようになった。

そうした失意のカラヤンにあたたかく手を差し伸べたのがウィーン・フィルであった。

1980年代以降、カラヤンがウィーン・フィルを指揮した演奏には、圧倒的な統率力でオーケストラを統御して音のドラマを構築した全盛期の面影はなくなり、むしろ、自我を抑制し、音楽そのものを語らせる自然体の演奏を心掛けるようになったと言える。

これは、ウィーン・フィルというオーケストラの特色を重んじたものか、あるいはカラヤンの肉体的な衰えによるものかは定かではないが、いずれにしても、こうしたカラヤンの芸風も、最晩年になって漸く到達し得た悟りにも似た清澄な境地であったのかもしれない。

したがって、この時期にウィーン・フィルと録音した演奏には、いわゆるカラヤン的な演奏とは随分と異なる装いの名演が多く、チャイコフスキーの「第6」、ドヴォルザークの「第8」及び「第9」、シューマンの「第4」、ブルックナーの「第8」など、枚挙にいとまがない。

そうした一連の名演の中での頂点に君臨するのが、本盤に収められたブルックナーの「第7」である。

ここには、オーケストラを統率して、圧倒的な音のドラマを構築したかつてのカラヤンはどこにも存在しない。

ただただ、ブルックナーの素晴らしい音楽が、これ以上は求め得ないような美しさを持って滔々と流れていくのみだ。

しかも、表面上の美しさにとどまることなく、どこをとっても奥深い情感がこもっており、あたかもカラヤンがこれまでの波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きさえ感じられる。

このような崇高な高みに達した名演は、カラヤンとしても生涯の最後になって漸く到達し得た至高・至純の境地にあると言えるのではないか。

まさに本名演こそは、クラシック音楽史上最大のレコーディング・アーティストであったカラヤンによるラスト・レコーディングに相応しい至高の高峰に聳え立つ超名演であると高く評価したい。

なお、本盤はSHM−CD盤であるが、本名演の歴史的な価値に鑑み可能であれば、現在話題のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売して欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 17:46コメント(0)ブルックナーカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



明るい響きに満ちた心優しいブラームスで、吹き抜ける春風のような爽やかさを残す名演だ。

さりげなく流れゆく音楽の中に優しさの滲み出た演奏で、ブラームスはこんなに優しい人だったのか、と認識を新たにさせられる。

それはスーク自身が求めたであろう自然の発露のように感じられ、外側に向かって開かれた開放的で官能的なブラームスだ。

それでいて耽美的なくどさがないのは彼の端正で洗練されたスマートな解釈に負っていると思われる。

当然ながらこうした表現にはスークの明るくしなやかな弦の響きがことのほか適している。

哲学的な深刻さはないにしても詩情溢れた演奏で、この点では曲想を深く掘り下げ、内面に向かって緊張感を収斂させていくシェリングの解釈とは対極をなしているのではないだろうか。

一方伴奏者のジュリアス・カッチェンはスークやシュタルケルなどとしばしば共演してアンサンブルのジャンルでも幅広い活動を行ったピアニストだ。

このブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集はカッチェンの死の2年前、40歳絶頂期の時のサポートで、スークのヴァイオリンを抑制された繊細なアプローチで巧妙に支えている。

情熱をむき出しにすることなく、かといって優しいだけでもない、その一音一音には確かな芯がある。

第1番の第1楽章は構成的にかなり難物で、若手奏者の録音のなかにはうまくいっていないものが多い。

スークは全体の見通しが確かな上に、アダージョ楽章中間部の重音のヴィオラ的な響きも美しい。

豊かなヴィブラートの効いた、芳醇な音色、朗々とした歌、ブラームス特有の渋さ、味わい深さが最も表れている演奏なのではないだろうか。

筆者としても、様々なブラームスのヴァイオリン・ソナタを聴いてきたが、この演奏は聴けば聴くほどに心に染み入ってくるので、一番の愛聴盤になっている。

このソナタ集と同時期、つまり1967年に行われたセッションで両者が採り上げた『F.A.E.ソナタ』からの「スケルツォ」に関しては、同じデッカからリリースされているブラームスのピアノ三重奏曲集2枚組の方に収録されている。

尚この音源はオーストラリア・エロクエンスからのリイシュー盤CDのもので、当時のデッカの録音チームの優れた録音技術を鮮明に蘇らせている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 12:09コメント(0)スークカッチェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1952年7月23日、バイロイト祝祭劇場でのライヴ(モノラル)録音。

わずかだったカラヤンのバイロイト出演だが、1952年の「トリスタン」は大変素晴らしい演奏である。

ORFEOの正規CDが出たのは2003年になってからだが、以前から海賊盤で愛聴してきた。

演奏は実に素晴らしいもので、カラヤンはクナッパーツブッシュとは全くタイプが異なる非常に引き締まった演奏をバイロイト祝祭管で聴かせてくれる。

カラヤンの指揮は後年の豪華だがやや重たい指揮に比べてしなやかで、戦前のウイーンやベルリンでの成功、あるいは後のクライバーの名演をも彷彿させる。

1950年代バイロイトの歌手陣は凄まじく、まずメードルのイゾルデは一つの理想形であろう。

メードルは前年のクンドリー(パルシファル)でも歴史的な名演を成し遂げている。

ブリュンヒルデのヴァルナイと共に戦後バイロイトの復興はこの2人の歌姫にかかっていたと言って良いだろう。

メードルとヴァルナイは後のニルソンほど多くの録音を残さなかったが、ニルソンの発声はフラグスタートに近いやや古いスタイルのもので、メードルやヴァルナイの方がスタイルとしては新しい。

そしてこのライヴ録音は音もまずまずだ。

メードルのイゾルデはこれまでテルデックのハイライト盤があっただけなので、全曲がこうして後世に残されたのは大変喜ばしい。

ヴィナイのトリスタンも悪くないと思うが、しかしヴィナイはこの時が初役でドイツ語が自由でなかったためカラヤンはヴィナイを気に入らなかったらしい。

カラヤンの新盤のヴィッカースよりは筆者には数段望ましいが、カラヤンの評価は逆だったそうだ。

カラヤンの声の趣味は時々変わっているように思う。

ちなみにカラヤンは、最晩年に今一度「トリスタン」全曲を上演、録音したかったようだが、ついに果たせなかった。

1970年盤が当時のEMIの録音の特色でもあったのだが、クリアーさに欠ける部分があるのが、どうしても欠点として残る。

したがって、当バイロイト盤をカラヤンの「トリスタン」の代表盤に掲げる人もいるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:06コメント(0)ワーグナーカラヤン 

2022年10月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヘンリク・シェリングはブラームスのヴァイオリン協奏曲をレパートリーの中心に据えていた。

これまでに遺された音源は1955年のカール・シューリヒト指揮、フランス国立放送管弦楽団との共演から始まって、1973年のハイティンク、コンセルトヘボウ管弦楽団までセッション、ライヴを合わせて8種類がリリースされている。

それぞれの時期によってシェリング自身の演奏スタイルも変化しているし、また指揮者によっても多彩な表現が聴かれるが、ブラームスに関しては一般的に言ってライヴの方が白熱的な臨場感を感じさせてくれる。

そのライヴを代表するのが1958年のモントゥー指揮、ロンドン交響楽団と、このディスクの1967年のクーベリック指揮、バイエルン放送管弦楽団の演奏だ。

どちらも恐るべき集中力と緊張感、そして音楽的な充実感がお奨めで、前者はモントゥーの堂々たる采配と覇気に貫かれたシェリングののソロが惚れ惚れさせるが、録音状態がやや劣っている。

かろうじてステレオ録音ながらオーケストラの細部の再現で当時の録音技術的な限界を感じてしまう。

後者は同じライヴながら広い音場と音像の分離状態やサウンドの無理のない伸びの良さで優っている。

1967年6月11日にウィーンのコンツェルトハウスで行われたコンサートで、クーベリックは先ずお国物のドヴォルザークの『フス教徒』序曲を採り上げている。

この選曲は聴衆の熱気を弥が上にも高める結果になっていて、後半のクライマックスの白熱的な盛り上がりは、メインのブラームスへの絶妙な受け渡しに成功している。

シェリングのハイティンクとのセッション録音では、優等生的な演奏が面白くないという批判の対象になっているのも事実だろう。

しかしここでの彼は飛翔するような音楽性を見事にコントロールして、その音楽的な構成力と共に溢れんばかりの歌心を披露している。

その後のマイナス面をできる限り出さないという演奏とも違い、クーベリックの壮絶なオケと時には対峙し、また時には美しく協調してブラームス本来の美学とロマンティシズムを体験させてくれる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:59コメント(0)シェリングクーベリック 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クナッパーツブッシュのウィーン・フィルとの『エロイカ』(1962年ライヴ)は、ミュンヘン・フィル盤とともにクナッパーツブッシュの巨大さを味わえるのが嬉しい。

第1楽章の凄絶さはブレーメン盤に譲るものの、音の響きを愉しむ高尚な遊びの精神が演奏に桁外れの大きさを与えている。

その点、月並みな論評ながらブルックナー的な演奏と言えるだろう。

クナッパーツブッシュお得意の不意打ちのアクセントもウィーン風に柔らかに翻訳されており、演奏のところどころに可憐な花を咲かせている。

大らかな分、ミュンヘン・フィル盤ほど堅牢な造型ではない。

現実の世界からより自由になった孤高の芸術家の「魂の逍遥」を味わいたい。

第2楽章は、晩年のクナッパーツブッシュとウィーン・フィルだけが創造できた異空間である。

ヴァイオリンの調べに伴う何と言う色香…、喪服を纏った若き未亡人のような妖艶さとでも言おうか。

涙に濡れるオーボエの嘆きも、聴く者の心を濡らさずにはおかない。

中間部の対位法も、晩年のクナッパーツブッシュならではの巨大な音の建築物となっている。

スケルツォもクナ節全開だ。

主部のリズムの何と言う刻みの深さ。トリオでは、クナッパーツブッシュとプレイヤーの微笑ましい心の交流が見て取れる。

ホルンのプレイヤーに向かって「そこは遠慮なく吹いて下さいよ」と合図を送ると「よしきた。任せとけ」とばかりに、とんでもない最強奏で応える。

オケのメンバーは、このようにクナッパーツブッシュに褒められたい一心で張り切る。

クナッパーツブッシュも彼らの頑張りに満足げな表情で応える、というわけだ。

さて、フィナーレの変奏曲こそは、クナッパーツブッシュの真骨頂で、まるでひとりの「英雄」の生涯を回顧するような音のドラマが展開する。

ここには、英雄の台頭、獅子奮迅の活躍から、その失脚と死までが、「叙事詩」のような壮大さで描かれているのである。

ことにテンポを落とすポコ・アダージョ以後の深い感動の歌は、クナッパーツブッシュにしか描けない。

まるでワーグナーの楽劇を聴くようであり、「なるほど、これでこそ『エロイカ』なのだ」という不思議な感動に襲われるのである。

「レオノーレ」序曲第3番も迫真の演奏である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 08:09コメント(0)クナッパーツブッシュベートーヴェン 

2022年10月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1952年5月17日のライヴ録音で、有名な英デッカの名録音直後のライヴ演奏の強力新譜の登場である。

ワルターは1952年5月15日と16日、英デッカのために《大地の歌》をスタジオ録音、17日と18日にはウィーン音楽祭に出演、同曲と前プログラムのモーツァルト第40番を指揮した。

《大地の歌》の方はスタジオ録音と17日のライヴ録音がディスク化されており、両方とも持っていたい。

今回採り上げた17日の演奏の音質は、もちろん英デッカの優秀録音には若干及ばないが、ライヴ特有の熱気に満ち満ちており(ワルターのうなり声も聞こえる)迫力満点だ。

ワルターの英デッカによるスタジオ録音盤における物足りなさは、フェリアーの発音と偶数番号曲のスケールの小ささにあった。

ところが先般、このスタジオ録音の翌日に行なわれたライヴ録音が、優れたリマスタリング技術によって復刻されて日の目を見て、そのマイナス面が補われた。

ソロの録音が生々しく、オケにはライヴならではの生命力があり、第4曲と第6曲の2曲に関しては、ややスケールの小ささを感じさせたスタジオ録音の問題が払拭され、このライヴ録音の方が上だ。

他のナンバーもフレッシュな感動を与えられる。

演奏はスタジオ録音と同じく、完璧なまでに古典化され、練れ切っており、熟成した年代物のワインのような香りを湛えている。

作曲家自身、演奏可能かどうかを危惧したほどの難曲だが、ワルターの手にかかると緻密なアンサンブルに一分の隙さえなく、形には無駄がなく、しかも当時のウィーン・フィルの驚くべき魅惑と土くさいまでの音色の個性がその形に花を添えている。

モノラル録音だがマーラーの複雑微妙なオーケストレーションを楽しむのに全く不足はない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:54コメント(0)ワルターフェリアー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



晩年のヨッフムはドイツ・ロマン派の交響曲に多くの名盤を残した。

ブルックナーはその代表であろうが、このブラームスもそれに劣らぬ名盤と言えよう。

悠々たる豊かな流れの中にロマン的情緒をたっぷりと注ぎ込み、きわめて味わい深い出来映えとなっている。

基本的にはドイツ正統派としての構築性ある骨組みの確かな演奏であるが、晩年のヨッフムにはそれは当然身に染みついたものとして、さらにそこからブラームス特有の陰りと潤いある表情を滲ませている。

これは一朝一夕でできる表現ではない。

その意味で筆者は特に交響曲第4番を推したい。

作曲者晩年の寂寥感が暗く表現されるのではなく、温かな歌として全篇に美しく広がっていく。

全体がヒューマンな抒情と感情の起伏に埋め尽くされている。

その他の曲も巨匠ならではの風格があり、立派のひとことに尽きる。

シュターツカペレ・ドレスデンが渋く重厚な、ヨッフムが求めたであろう響きを、そのまま表出しているのが素晴らしい。

曲の真髄と深く触れ合った演奏や、壮麗で爽やか、どことなく甘美さを秘めた表現も、もはや当節の指揮者では及びもつかない。

若きフランスのピアニストであるベロフと穏健長老派指揮者のヨッフムという、一見すると水と油のように思える組み合わせも、本盤を聴くとそれが杞憂であることがよくわかる。

ヨッフムの温かくも、決して隙間風の吹かない重厚な指揮ぶりがブラームスの渋い曲想に見事にマッチしており、加えて、ベロフがブラームスの協奏曲の難曲とも言われるピアノパートを力強い打鍵で弾き抜いている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 15:04コメント(2)ヨッフムベロフ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マウリツィオ・ポリーニは、リサイタルではこの平均律クラヴィーア曲集を取り上げてきたが、いつものように研鑽に研鑽を重ねてついに自身納得の行くものと成り得たのがこのアルバムということになる。

まさに満を持してのバッハ初録音である。

ポリーニという芸術家には完璧とも言えるピアノ演奏の技巧を身につけた上で、これまた確かな教養を裏づけとして、レパートリーを決めうち気味に制覇する完全主義的な雰囲気があった。

なので、近年の録音活動の活発化は、彼のファンには歓迎の至りだろう。

しかも彼が無敵のテクニックを誇っていた時代ではなく、彼のキャリアの殆んど終盤に近い時期に『平均律』を録音したことに、彼が長年に亘って温めていた遠大な構想を垣間見る思いがする。

おそらく無限とも言える表現の可能性を持っているために、演奏上の限りない試行錯誤が要求されるこの曲集は、ピアニストとして、そして何よりも音楽家として豊富な経験を積んだ今の彼でなければできないことを彼自身が自覚していたに違いない。

それだけに決して野心的な演奏ではなく、むしろ自然体の境地にあるかのような誇張のない、心を込めた表現が息づいている。

24の調で書かれたプレリュードでは音楽の内部から迸り出る個性以外の個性付けは避けているが、曲ごとの特徴を心憎いほど的確に捉えているのも事実だ。

それに続くフーガの各声部は独立しているという以上に自由に解き放たれ、老獪とも言えるペダリングによってまろやかに潤っているが、それでいて全く混濁のない響きと、隙のない緊張感の持続が特徴的だ。

またそれぞれの曲に対する造形美と曲集全体に与える統一感は彼本来の手法でもあるだろう。

リヒテルの『平均律』が彼の非凡な創造性とピアノという楽器の機能を駆使したデュオニュソス的表現とするなら、ポリーニのそれは総てを秩序の下に明瞭に奏でた、アポロン的な『平均律』と言えるのではないだろうか。

2008年9月、2009年2月、ミュンヘンにて収録されたもので、音質の素晴らしさも特筆される。

尚、同曲集第2巻の完成も大いに期待されるが、彼のマイペースぶりからして待つ側も長期戦の構えが必要だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:23コメント(0)バッハポリーニ 

2022年10月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ミトロプーロスは、大変な実力者で今でも熱烈的なファンのいる孤高の名指揮者であった。

その芸術は、「明確な鋭さと慎重な速さを持ち、端正でヒューマンな演奏」であった。

「悲愴」は鋭角的で過激な演奏で、厳しく禁欲的でロマンティックさを排除した演奏だ。

尖っているというか、ハードボイルドというか情緒を排した非情なほど辛口の演奏なのだが、その気品の高さと渋い美しさは無類のもの。

テンポは速めで、特に第1楽章の第1主題のアレグロ・ノン・トロッポは、相当な速さで、後の展開部のアレグロ・ヴィヴォとほとんど同じ。

第2主題が再現するアンダンテでも減速せずにそのまま通りすぎていく。

第2楽章はアクセントを強調した甘さとは無縁の演奏。

第3楽章も明晰で厳しい解釈だが、チャイコフスキーとしては、無味乾燥な印象を与えかねないきわどい演奏かと思う。

第4楽章も思い入れの一切ない解釈ぶりで、いくぶん速めのテンポだ。

あまりドロドロした感じでないのが特徴だ。

ポケットスコアにないことなのだが、第4楽章クライマックスの直前部分で、フルート&オーボエの木管にトランペットらしい音が重なり演奏効果をあげている。

これは初めて聴いたが凄い効果である。

「悲愴」の音源はSPからLP、CD、DVDまで約300種類を超えるらしいが、この演奏は間違いなくベスト10というか横綱級の聴きごたえのあるCDである。

他の曲にしても、表面上は素っ気ないようだが、聴いた後は何か爽快な感じが残る。

この時期の評判は良くないのだが、この演奏で聴くニューヨーク・フィルは実に上手い。

ミトロプーロスの私情を排したストレートな指揮のもと、ニューヨーク・フィルの厳しくも迫力あるソノリティが、高揚するスラヴ・ロシアの音楽魂を再現している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:04コメント(0)チャイコフスキーミトロプーロス 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブリリアント・レーベルから既にブロムシュテット、シュターツカペレ・ドレスデンによるシューベルトの交響曲全集4枚組がリリースされていた。

このリニューアル盤は5枚目にボスコフスキー指揮する同楽団の『ロザムンデ』を加えている。

録音は1978年から81年にかけて、後者は1977年の収録で、ボスコフスキーはかつてのウィーン・フィルのコンサートマスターを務めたが、この時期はフリーの演奏活動を行っていた。

ここではウィーン流のリリカルな側面を生かした抒情的な表現がいかにも彼らしい。

シュターツカペレ・ドレスデンも良く呼応して垢抜けた演奏スタイルと柔軟で洒落っ気のあるところも見せているのが印象的だ。

交響曲の方は今更言うまでもないが、ベートーヴェンが短いモティーフを極限まで展開させて音楽を構築していくのに対して、シューベルトはリート作曲家だけに、しばしば歌謡的な長いメロディーをテーマに持ち込んで流麗で屈託のない音楽に仕上げている。

そのために技巧を凝らしたフーガやそれぞれの楽章間の緊密な統一感などは望むべくもないが、平明な美しさとおおらかさには替えがたい安らぎと溌溂とした高揚が感じられる。

彼の交響曲の歴史的な評価は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに引き継がれる圧倒的な系譜からするとやや影が薄い印象があるが、ベートーヴェンとは全く異なったアプローチによって生み出された作品は、奇しくも二人のピアノ・ソナタの性格の違いにも一脈通じている。

ブロムシュテットがこれまでに完成させた交響曲全集はこのシューベルトとベートーヴェンがシュターツカペレ・ドレスデンのコラボで残されている。

ゲヴァントハウスとはベートーヴェン、ブルックナー、そしてブラームスが既に完成している。

決して派手な表現ではないが、緻密な構成を聴かせるはったりのなサウンドと隙の無いアンサンブルが聴きどころだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 14:50コメント(0)シューベルトブロムシュテット 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヴァントと言えば、最晩年のブルックナーの交響曲の神がかり的な超名演の数々がいの一番に念頭に浮かぶ。

その他にも、シューベルトやブラームス、ベートーヴェンの交響曲の名演などの印象も強く、本盤に収められたムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」やドビュッシーの交響的断章「聖セバスティアンの殉教」を演奏しているヴァントのイメージが今一つ浮かんで来ないと言わざるを得ない。

むしろ、ヴァントの芸風からすれば、極めて珍しい録音と言っても過言ではないとさえ思われるところであるが、意外にもヴァントはこれら両曲に深い愛着を抱き、たびたび演奏してきたとのことである。

それだけに、例えば、組曲「展覧会の絵」についても、たどたどしいところがいささかもなく、各場面の描き分けを巧みに行った見事な演奏を展開していると言えるだろう。

独墺系の指揮者で同曲を得意としていた指揮者としてはカラヤンが掲げられるが、カラヤンの演奏のように豪華絢爛にして豪奢な演奏ではなく、カラヤンの演奏と比較すると随分と地味な印象も受けるところだ。

テンポはやや速めで一貫しているが、前述のような場面毎の巧みな描き分け、そして随所に聴かれる独特のニュアンスの豊かさは、まさに老巨匠ならではの名人芸とも言えるところであり、内容の豊かさという意味においては、他のどの指揮者の演奏にも引けを取らない高水準の演奏に仕上がっている。

ロシア風の民族色とは殆ど無縁であり、必ずしもスケールの雄大さを感じることもできない演奏ではあるが、筆者としては、ヴァントの指揮芸術の奥の深さを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

ドビュッシーの交響的断章「聖セバスティアンの殉教」も、およそヴァントの芸風とは結びつかない楽曲であるが、厳格なスコアリーディングに基づく緻密な演奏を旨とするヴァントの芸風との相性は意外にも良く、純音楽的な意味においては、これ以上は求め得ないような演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

フランス風のエスプリであるとか、同曲の官能的な描写性とは殆ど無縁の演奏ではあるが、いわゆる純音楽的という意味においては、他のどの指揮者による演奏よりも優れた名演であると高く評価したい。

音質は、従来CD盤が発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる素晴らしい名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:36コメント(0)ヴァントムソルグスキー 

2022年10月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワルターは最晩年にコロンビア交響楽団を指揮して、自らのレパートリーの数々のステレオ録音を行ったが、その中にはブラームスの交響曲全集も含まれている。

当該全集の中でもダントツの名演は、本盤に収められた第4番ということになるのではないだろうか。

それどころか、ワルターが我々に残してくれた数々の名演の中にあって、これは5本の指に入る素晴らしい演奏だ。

ワルターによるブラームスの交響曲の名演としては、ニューヨーク・フィルを指揮した第2番の豪演(1953年)がいの一番に念頭に浮かぶが、今般の全集中の第2番にはとてもそのような魅力は備わっておらず、本演奏の優位性は揺るぎがないと言える。

第4番はブラームスの晩年の作品であることもあって、孤独な独身男の人生への諦観や枯淡の境地をも感じさせる交響曲である。

本演奏におけるワルターのアプローチは、何か特別な解釈を施したりするものではなく、むしろ至極オーソドックスなものと言えるだろう。

しかしながら、一聴すると何の仕掛けも施されていない演奏の端々から滲み出してくる憂愁に満ち溢れた情感や寂寥感は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

晩秋に落葉が一葉一葉ひらひらと舞い落ちて来る様な冒頭からして、これほど切なさが胸に募る演奏は今日まで他で聴いた事がない。

これは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、その波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きがあり、かかる演奏は、巨匠ワルターが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にあるとも言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、ブラームスの「第4」の深遠な世界を心身ともに完璧に音化し得た至高の超名演と高く評価したい。

小編成で重厚さに難があるコロンビア交響楽団ではあるが、ここではワルターの統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した最高の演奏を披露しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:58コメント(2)ブラームスワルター 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワルターによるブラームスの「第2」と言えば、ニューヨーク・フィルとの1953年盤(モノラル)が超名演として知られている。

特に、終楽章の阿修羅の如き猛烈なアッチェレランドなど、圧倒的な迫力のある爆演と言ってもいい演奏であったが、本盤の演奏は、1953年盤に比べると、随分と角が取れた演奏に仕上がっている。

しかしながら、楽曲がブラームスの「田園」とも称される「第2」だけに、ワルターの歌心に満ち溢れたヒューマンな抒情を旨とする晩年の芸風にぴたりと符合している。

第1楽章から第3楽章にかけての、情感溢れる感動的な歌い方は、ワルターと言えども最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないかと思われる。

終楽章は、1953年盤に比べると、幾分角のとれた柔和な表現にはなっているものの、それまでの楽章とは一転して、力感溢れる重量級の演奏を行っている。

コロンビア交響楽団は、金管楽器などにやや力不足の点も散見されるが、ワルターの統率の下、なかなかの好演を行っている。

ブラームスの「第3」は、巷間第1楽章や第4楽章の力強さから、ブラームスの「英雄」と称されることもあるが、筆者としては、むしろ、第2楽章や第3楽章の詩情溢れる抒情豊かな美しい旋律のイメージがあまりにも強く、ここをいかに巧く演奏できるかによって、演奏の成否が決定づけられると言っても過言ではないと考えている。

その点において、ワルターほどの理想的な指揮者は他にいるであろうか。

ワルターは、ヨーロッパ時代、亡命後のニューヨーク・フィルを指揮していた時代、そして最晩年のコロンビア交響楽団を指揮していた時代などと、年代毎に芸風を大きく変化させていった指揮者であるが、この最晩年の芸風は、歌心溢れるヒューマンな抒情豊かな演奏を旨としており、そうした最晩年の芸風が「第3」の曲想(特に第2楽章と第3楽章)にぴたりと符合。

どこをとっても過不足のない情感溢れる音楽が紡ぎだされている。

もちろん、両端楽章の力強さにもいささかの不足もなく、総体として「第3」のあまたの名演でも上位にランキングされる名演と高く評価したい。

初期ステレオのため、多少高音がずり上がったような感じがしなくもないが、ワルターの音楽の前ではそれは大きな問題ではない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:09コメント(0)ブラームスワルター 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

よろしくお願いします(__)
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ