2022年11月

2022年11月30日


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これは素晴らしい名演だ。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェンが作曲した最も美しい作品との評価がなされており、いわゆる4大ヴァイオリン協奏曲の中でもその格調の高い優美さが際立った作品である。

本演奏は、かかる同曲の作風と見事に符号したものと言えるだろう。

オイストラフのヴァイオリンは、本演奏でもその持ち前の卓越した技量を聴き取ることは可能であるが、技量一辺倒にはいささかも陥っておらず、どこをとっても情感豊かで気品に満ち溢れているのが素晴らしい。

とりわけ、第2楽章における豊麗で歌謡性豊かな歌い方は、抗し難い美しさに満たされている。

この気高い美しさを誇るオイストラフのヴァイオリンを見事に引き立てているのが、クリュイタンス&フランス国立放送局管弦楽団による美演ということになる。

クリュイタンスは、もちろんフランス音楽が主要なレパートリーと言えるが、ベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲全集を録音するなど、ベートーヴェンを得意のレパートリーとしていた。

本演奏でも、クリュイタンスのベートーヴェンに対する深い理解と愛着に根差した円熟の指揮ぶりが見事であり、重厚なドイツ風の演奏の中にも、独特の洒落た味わいが感じられるのが魅力的である。

クリュイタンスの統率の下、フランス風の瀟洒な味わいの音色が魅力のフランス国立放送局管弦楽団も、要所においてはドイツ風の重厚な演奏を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、同曲演奏史上でも最も気高い優美さに満ち溢れた名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 16:08コメント(2)オイストラフクリュイタンス 

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オットー・シェンク演出でメトロポリタン歌劇場で大成功した、オペラティックな面白さにあふれ、ある意味では大変分かりやすいワーグナー演奏。

つまりフルトヴェングラーの深遠な抒情やベームの凝集的表現の対極にある。

それはワーグナーの音楽の生命をもう一度自由な空間に解放しようとする試みだろう。

《ラインの黄金》の演奏は作品の持つドラマとしての内容と面白さを存分に描き、語り出すことをまず第一に指向している。

純音楽的角度から音の練磨や整理を目指すのでなく、実際に舞台で展開されるドラマをオペラティックに、雄弁に物語ろうとする姿勢だ。

テンポが遅いことも、様々なドラマの芽が次々に掲示されてゆくこの曲を、大変面白く聴かせる結果となっている。

歌手ではイェルザレムのよく考えられた性格表現に感心させられる。

《ワルキューレ》の録音では、特にレヴァインという指揮者の特性がはっきりと示されている。

しなやかで、しかも彼独特の粘りのある音の運びが、ワーグナーのオーケストレーションのテクスチュアを抒情的に、また壮大、勇壮に音を響かせながら、現代的なワーグナーの音像を展開してくれる。

ジェイムズ・モリスはこの役に必要な諸条件を具えた、1、2を争うヴォータン歌いだ。

レヴァインの明快でわかりやすい、しかもオペラティックな興趣にとんだ表現のおかげで、この《ジークフリート》の録音は彼の「リング」全曲の中でも特に成功した演奏になった。

歌手ではゴルトベルクのジークフリートが、旧態依然たるヘルデンテノールの域を出ていないのが残念だが、ツェドニクの名人芸、ヴォータンの人間性と神性の葛藤を歌に滲ませてゆくモリス、そしてベーレンスがとりわけすぐれた歌唱を聴かせる。

《神々のたそがれ》では、レヴァインのオペラティックで感興豊かな語り上手の部分が、壮大な叙事詩の内容と一致した傑出した出来栄えだ。

音の響きそのものが尋常ならぬ美しさに満ち、自ずからドラマを語り出し、滔々と流れていくさまは壮観であり、説得力がある。

配役ではドラマの進展と諸相をあますところなく表現して素晴らしいベーレンスを筆頭に、ステューダー、サルミネン、ヴァイクルが成功している。

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classicalmusic at 08:09コメント(0)ワーグナーレヴァイン 

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アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでの間は、持ち味である豊かな歌謡性と気迫溢れる圧倒的な生命力によって素晴らしい名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後は、なぜかそれまでとは別人のような借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになってしまった。

前任者であるカラヤンを意識し過ぎたせいか、はたまたプライドが高いベルリン・フィルを統御するには荷が重すぎたのかはよくわからないが、そうした心労が重なったせいか、大病を患うことになってしまった。

ところが、皮肉なことに、大病を克服し芸術監督退任間近になってからは、凄味のある素晴らしい名演の数々を聴かせてくれるようになった。

アバドの晩年に発売されたCDは、いずれも円熟の名演であり、紛れもなく現代最高の指揮者と言える偉大な存在であった。

それはさておきアバドは、ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を2度完成させている。

正確に言うと、「第9」だけは重複しているのだが、第1〜8番の8曲については別の演奏であり、1度目は前述の大病を患う直前のスタジオ録音、そして2度目は大病を克服した直後のローマでのライヴ録音(DVD作品)となっている。

要は、第9番だけは最初の全集に収められたライヴ録音をそのまま採用しているということであり、アバドはベルリン・フィルとの最初の全集の中でも、第9番だけには自信を持っていたということを窺い知ることが出来るところだ。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲全集は、アバド&ベルリン・フィルによる2度目の全集である。

最初の全集については、前述のような低調なアバドによるものであり、2度目の録音を大病克服直後に行ったことからしても、アバド自身もあまり満足していなかったのではないかと考えられる。

最新の研究成果を盛り込んだペーレンライター版を使用したところは、いかにもアバドならではと言えるが、記者の質問に対して版の問題は他に聞いてくれと答えたという芳しからざる噂もあり、実際のところ、アバドが自らの演奏に版の問題をどのように反映させたのかはよくわからないところだ。

いずれにしても、本全集はアバド色の濃いベートーヴェンと言えるだろう。

フルトヴェングラーやカラヤン時代の特徴であった重量感溢れる重厚な音色がベルリン・フィルから完全に消え失せ、いかにも軽やかな音色が全体を支配していると言ったところだ。

かつて、とある影響力の大きい某音楽評論家が自著において、旧全集のエロイカの演奏を「朝シャンをして香水までつけたエロイカ」と酷評しておられたが、かかる評価が正しいかどうかは別として、少なくとも古くからのクラシック音楽ファンには許しがたい演奏であり、それこそ「珍品」に聴こえるのかもしれない。

筆者としても、さすがに許しがたい演奏とまでは考えていないが、好き嫌いで言えば決して好きになれない軽佻浮薄な演奏と言わざるを得ない。

もっとも、前述のように、近年のピリオド楽器や古楽器奏法による演奏を先取りするものと言えるが、天下のベルリン・フィルを指揮してのこのような軽妙な演奏には、いささか失望せざるを得ないというのが正直なところである。

前々任者フルトヴェングラーや前任者カラヤンなどによる重厚な名演と比較すると、長いトンネルを抜けたような爽快でスポーティな演奏と言えるが、好みの問題は別として、新時代のベートーヴェンの演奏様式の先駆けとなったことは否定し得ないと言える。

もっとも、本全集では、アバドならではの豊かな歌謡性が演奏全体に独特の艶やかさを付加しており、アバド&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、佳演と評価するのが至当なところではないかと考える。

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classicalmusic at 00:03コメント(0)ベートーヴェンアバド 

2022年11月29日


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カラヤンとツィマーマンが組んで行った唯一の協奏曲録音である。

そもそもカラヤンが、協奏曲の指揮者として果たして模範的であったかどうかは議論の余地があるところだ。

カラヤンは、才能ある気鋭の若手奏者にいち早く着目して、何某かの協奏曲を録音するという試みを何度も行っているが、ピアニストで言えばワイセンベルク、ヴァイオリニストで言えばフェラスやムター以外には、その関係が長続きしたことは殆どなかったと言えるのではないだろうか。

ソリストを引き立てるというよりは、ソリストを自分流に教育しようという姿勢があったとも考えられるところであり、遺された協奏曲録音の殆どは、ソリストが目立つのではなく、全体にカラヤン色の濃い演奏になっているとさえ感じられる。

そのような帝王に敢えて逆らおうとしたポゴレリチが練習の際に衝突し、コンサートを前にキャンセルされたのは有名な話である。

本盤に収められた演奏も、どちらかと言えばカラヤン主導による演奏と言える。

カラヤンにとっては、シューマン、グリーグのいずれのピアノ協奏曲も既に録音したことがある楽曲でもあり、当時期待の若手ピアニストであったツィマーマンをあたたかく包み込むような姿勢で演奏に望んだのかもしれない。

特に、オーケストラのみの箇所においては、例によってカラヤンサウンドが満載。

鉄壁のアンサンブルを駆使しつつ、朗々と響きわたる金管楽器の咆哮や分厚い弦楽合奏、そしてティンパニの重量感溢れる轟きなど、これら両曲にはいささか重厚に過ぎるきらいもないわけではないが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功している。

カラヤンの代名詞でもある流麗なレガートも好調であり、音楽が自然体で滔々と流れていくのも素晴らしい。

ツィマーマンのピアノも明朗で透明感溢れる美しい音色を出しており、詩情の豊かさにおいてもいささかの不足はなく、とりわけ両曲のカデンツァは秀逸な出来映えであるが、オーケストラが鳴る箇所においては、どうしてもカラヤンペースになっているのは、若さ故に致し方がないと言えるところである。

もっとも、これら両曲の様々な演奏の中でも、重厚さやスケールの雄渾さにおいては本演奏は際立った存在と言えるところであり、本演奏を両曲のあらゆる演奏の中でも最も壮麗な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

本盤は1981〜1982年のデジタル録音であり、十分に満足し得る音質である。

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classicalmusic at 16:01コメント(2)シューマングリーグ 

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本盤には、チャイコフスキーとドヴォルザークによる弦楽セレナードが収められているが、いずれも素晴らしい至高の名演と高く評価したい。

録音は1980年であるが、これはカラヤン&ベルリン・フィルという黄金コンビが最後の輝きを見せた時期でもある。

健康問題が徐々に顕在化しつつあったカラヤンと、長年にわたる独裁政権に辟易とし始めたベルリン・フィルとの関係は、1970年代後半頃から徐々に悪化しつつあった。

それでも1980年には、いまだ対立関係が表面化することはなく、少なくとも演奏の水準においては究極の到達点にあったとさえ言える。

翌々年には、ザビーネ・マイヤー事件の勃発によって両者の関係が修復不可能にまで悪化することから、本演奏の録音のタイミングとしては、ベストの時期であったと言っても過言ではあるまい。

演奏は絶品というべきもので、ベルリン・フィルの磨き抜かれた艶やかな音色と、カラヤンの精緻で洗練を極めた棒さばきから、味わい深く、香りを湛えた音楽が漂ってくる。

そして本演奏においては、全盛期のベルリン・フィルの弦楽合奏がいかに桁外れに凄いものであったのかを思い知らされることになるのは必定だ。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、重量感溢れる肉厚の合奏、情感溢れる美しさの極みとも言える高弦の艶やかな響きなど、とても人間業とは思えないような超絶的な機能美を誇っている。

カラヤンの指揮も洗練の度を極め尽くした弦楽合奏の機能美を徹底的に追求し、流麗なレガートを駆使して、これ以上は求め得ないような濃厚で耽美的な指揮を披露している。

このように最高の指揮者と最強の弦楽合奏が生み出した音楽は、極上の美しさを湛えていると言えるだろう。

両曲の演奏には、本演奏においてはいささか欠如している、ロシア風の強靭な民族色やボヘミア風のノスタルジックで素朴な抒情を求める聴き手も存在し、その線に沿った名演(チャイコフスキーについてはスヴェトラーノフ&ロシア国立交響楽団(1992年)、ドヴォルザークについてはクーベリック&バイエルン放送交響楽団(1977年ライヴ)など)も少なからず成し遂げられているが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築したカラヤン&ベルリン・フィルの名演との優劣は、容易には付け難いのではないかと考える。

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classicalmusic at 07:49コメント(2)カラヤン 

2022年11月28日


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本盤に収められたプッチーニの歌劇「蝶々夫人」は、カラヤンによる2度目のスタジオ録音ということになる。

前回の録音は1955年のモノラル録音ではあったが、蝶々夫人にマリア・カラス、ピンカートンにニコライ・ゲッダを据えるという豪華布陣で、ミラノ・スカラ座管弦楽団や合唱団の好演もあって、今なお色褪せることがない名演である。

したがって、前回の録音の方を好む聴き手もいることはよく理解できるが、筆者としては、本盤に収められた2度目の録音の方をより上位に置きたい。

そして、本演奏こそは、カラヤンによるプッチーニの歌劇「蝶々夫人」の随一の名演にとどまらず、古今東西の様々な指揮者による同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

先ずは配役が素晴らしい。

もちろん前述のように、前回の録音における配役も豪華であったが、本演奏における配役もいささかも引けを取っていない。

フレー二による瑞々しい美声はまさに純情な蝶々夫人の当たり役と言えるし、パヴァロッティ(同時期に作成されたDVD作品ではドミンゴが演じているが、パヴァロッティの方が適役と言えるのではないだろうか)も、女たらしではあるが優柔不断で憎み切れないピンカートン役に相応しい見事な歌唱を披露している。

加えて蝶々夫人の召使役のスズキをクリスタ・ルートヴィヒが演じるという超豪華布陣であり、あらためてカラヤンによるキャスティングの抜群のセンスの良さを感じさせられるところだ。

そして、カラヤン指揮のウィーン・フィルの演奏は重厚にしてシンフォニック、加えて実に緻密であり、同作品の持つ抒情性を最大限に引き出すとともに、これ以上は求め得ないようなセンス満点の美演を繰り広げているのが素晴らしい。

有名なアリア「ある晴れた日に」は当然のことであるが、お江戸日本橋をはじめとする日本的な旋律の数々を、カラヤン&ウィーン・フィルは美しさの極みとも言うべきムード満点の美演を展開している。

終幕の悲劇における重厚さは圧倒的な迫力を誇っており、あらためてカラヤンのオペラ指揮者としての偉大さを感じることが可能である。

ウィーン国立歌劇場合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、英デッカによる鮮明な高音質録音も本盤の大きな魅力の一つであることを忘れてはならない。

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classicalmusic at 23:53コメント(0)プッチーニカラヤン 

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1961年にロンドンで録音されたフランツ・リストのピアノ協奏曲2曲は、当時46歳だったリヒテルの圧倒的な音楽性が示された演奏である。

ロンドン交響楽団を率いるキリル・コンドラシンの堂々たるサポートも相まってリストの本来の中世騎士道的ロマンティシズムが骨太に表現されている。

いわゆるリスト弾きのピアニスト達は、テクニックの披露に走りがちなために大きなスケール感にはやや欠けることが往々にして起こる。

勿論ここでのリヒテルも壮年期の覇気を感じさせる超絶技巧を駆使しているが、緩徐楽章では思い切ってテンポを落とし、高らかに歌うことに腐心している。

リストはこの2曲ではオーケストレーションにもさまざまな工夫を試みている。

そして2曲とも華麗なマーチによってクライマックスが築かれているが、コンドラシンの生き生きとして、しかも色彩豊かなオーケストラが効果的でドラマティックなサウンドを築き上げている。

特に第2番は単一楽章という性格上、ラプソディー風に流れてしまいがちだが、コンドラシンはがっしりとした絢爛豪華な額縁にはめ込んだ絵画のように仕上げている。

確かにリストの作品には駄作と思われるようなものもないとは言えないが、こうした演奏を聴くとその天才性に納得せざるを得ない。

なおこのディスクにはリヒテルが1966年11月21日にイタリアのリヴォルノで行ったライヴからの『ソナタロ短調』がカップリングされている。

この作品はその哲学性から難曲であるにも拘わらず、技巧を誇示する曲でないことは明らかだ。

ここでのリヒテルも大きなスケールの中にしっかりした統一感を感じさせる演奏を披露している。

ライヴだけに客席からの雑音が混入している。

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classicalmusic at 16:01コメント(0)リヒテルリスト 

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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲全集と言えば、後年にベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行った名演が誉れ高い。

当該全集の各交響曲はいずれ劣らぬ名演であったが、それは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポをベースとしたまさに巨匠風の風格ある演奏であり、2013年、惜しくも逝去されたザンデルリンクの代表盤にも掲げられる永遠の名全集とも言える存在であると言えるところだ。

ザンデルリンクは、当該全集の約20年前にもブラームスの交響曲全集をスタジオ録音している。

それこそが、本盤に収められた交響曲第1番を含む、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集である。

前述のベルリン交響楽団との全集が、押しも押されぬ巨匠指揮者になったザンデルリンクの指揮芸術を堪能させてくれるのに対して、本全集は、何と言っても当時のシュターツカペレ・ドレスデンの有していた独特のいぶし銀とも言うべき音色と、それを十二分に体現しえた力量に最大の魅力があるのではないだろうか。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、本盤のスタジオ録音がなされた1970年代のシュターツカペレ・ドレスデンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特のいぶし銀の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

こうしたオーケストラの音色や演奏において抗し難い魅力が存在しているのに加えて、ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチを示している。

前述の後年の全集と比較すると、テンポなども極めてノーマルなものに落ち着いているが、どこをとっても薄味な個所はなく、全体の堅牢な造型を保ちつつ、重厚かつ力強い演奏で一貫していると評しても過言ではあるまい。

むしろ、このような正統派のアプローチを行っているからこそ、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な音色、技量が演奏の全面に描出されている。

本演奏こそはまさに、ザンデルリンク、そしてシュターツカペレ・ドレスデンによる共同歩調によった見事な名演と高く評価したいと考える。

UHQCD化によって、音質にさらに鮮明さが加わったことも大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 08:03コメント(0)ブラームスザンデルリンク 

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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲の演奏といえば、本盤(1972年)の後にスタジオ録音したベルリン交響楽団との全集(カプリッチョレーベル)(1990年)が名演の誉れ高く、その中でも交響曲第4番がダントツの名演であった。

本盤も、それに優るとも劣らない名演と高く評価したい。

何よりも、オーケストラの力量から言えば、本盤の方が断然上であり、その意味では、新盤とは違った意味での魅力ある名演と言うことができよう。

シュターツカペレ・ドレスデンのくすんだ音色と、ザンデルリンクの愛情あふれるアプローチがすばらしい。

それにしても、東ドイツという国が存在していた時代のシュターツカペレ・ドレスデンの音色には独特のものがあった。

重心の低い、それでいていぶし銀の輝きのある美しいジャーマン・サウンドは、特に、ドイツ音楽を演奏する際に、他では味わうことができない深遠さを醸し出すことになる。

本盤の演奏で言えば、特に、第2楽章の深沈たる抒情は感動的だ。

ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチで、全体の造型をしっかりと構築した上で、オーソドックスに曲想を描き出していく。

こうした自然体とも言うべきアプローチが、シュターツカペレ・ドレスデンの素晴らしい合奏とその音色の魅力、そしてブラームスの交響曲第4番という楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに成功したと言える。

ザンデルリンクによるドイツ風の重厚で、なおかつ堅固な造形美を誇る名演奏に、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色が付加された極上の名演と言えよう。

本演奏については、前述のようなザンデルリンク&シュターツカペレ・ドレスデンを代表する名演の一つだけに、各種のリマスタリング盤やBlu-spec-CD盤が発売されるなど、数々の高音質化の努力が試みられてきたところだ。

いずれにしても、ザンデルリンク&シュターツカペレ・ドレスデンによる素晴らしい名演を、極上の高音質UHQCD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:12コメント(2)ブラームスザンデルリンク 

2022年11月27日


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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲全集と言えば、後年にベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行った名演が誉れ高い。

当該全集の各交響曲はいずれ劣らぬ名演であったが、それは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポをベースとしたまさに巨匠風の風格ある演奏であり、2013年、惜しくも逝去されたザンデルリンクの代表盤にも掲げられる永遠の名全集とも言える存在であると言えるところだ。

ザンデルリンクは、当該全集の約20年前にもブラームスの交響曲全集をスタジオ録音している。それこそが、本盤に収められた交響曲第3番を含む、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集である。

前述のベルリン交響楽団との全集が、押しも押されぬ巨匠指揮者になったザンデルリンクの指揮芸術を堪能させてくれるのに対して、本全集は、何と言っても当時のシュターツカペレ・ドレスデンの有していた独特のいぶし銀とも言うべき音色と、それを十二分に体現しえた力量に最大の魅力があると言えるのではないだろうか。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったと言えるが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、本盤のスタジオ録音がなされた1970年代のシュターツカペレ・ドレスデンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特のいぶし銀の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

こうしたオーケストラの音色や演奏において抗し難い魅力が存在しているのに加えて、ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチを示している。

前述の後年の全集と比較すると、テンポなども極めてノーマルなものに落ち着いているが、どこをとっても薄味な個所はなく、全体の堅牢な造型を保ちつつ、重厚かつ力強い演奏で一貫していると評しても過言ではあるまい。

むしろ、このような正統派のアプローチを行っているからこそ、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な音色、技量が演奏の全面に描出されている。

本演奏こそはまさに、ザンデルリンク、そしてシュターツカペレ・ドレスデンによる共同歩調によった見事な名演と高く評価したい。

併録のハイドンの主題による変奏曲も、この黄金コンビならではの素晴らしい名演だ。

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classicalmusic at 16:01コメント(2)ブラームスザンデルリンク 

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本盤は、バルトークの最も有名な管弦楽作品を2曲カップリングしたものであるが、いずれも素晴らしい名演だ。

名演となった要因は、何よりもシカゴ交響楽団の卓越した技量にあると考える。

本演奏の録音は1989年のスタジオ録音であるが、この当時のシカゴ交響楽団はショルティの圧倒的な統率の下に全盛期を誇っていた時代である。

各ブラスセクションには、ハーセスやクレヴェンジャーなどのスタープレイヤーを数多く揃え、その圧倒的な大音量とブリリアントな響きには抗し難い魅力があった。

木管楽器のテクニックも桁外れであったし、オーケストラのアンサンブルも鉄壁のものがあった。

オーケストラの力量だけに限ってみれば、かのカラヤン指揮下のベルリン・フィルにも匹敵する実力を誇っていたと言える。

本演奏でも、シカゴ交響楽団は圧巻の技量を披露しており、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽における厚みのある弦楽合奏や、管弦楽のための協奏曲における各管楽器の卓越した技量は唖然とするほどだ。

そのようなスーパー軍団たるシカゴ交響楽団に対峙して、レヴァインも見事な統率を示していると言える。

両曲ともに指揮によっては深刻な演奏になりがちであるが、レヴァインは、そのような深刻に陥ることを極力避け、各旋律を情感豊かに歌い上げることによって、極めて明瞭でわかりやすい作品に昇華させているのが素晴らしい。

両曲には、同じくシカゴ交響楽団を指揮したライナーやショルティの名演やカラヤンやムラヴィンスキー(弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽のみ)による名演などが目白押しである。

とかく複雑で難解とされるバルトークの楽曲(特に、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽)を親しみやすく聴かせたという意味においては、本レヴァインによる演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

録音は、従来盤でも定評のある素晴らしい音質であり、このような名演を高音質の録音で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 08:06コメント(0)バルトークレヴァイン 

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ボロディンの作品の色彩豊かなオーケストレーションと絵画的印象をザンデルリングとシュターツカペレ・ドレスデンの演奏で楽しむことができるアルバム。

最後に収録されているオペラ『イーゴリ公』第2幕の『だったん人の踊り』に関してはヘルベルト・ケーゲル指揮、ドレスデン・フィルハーモニー及びライプツィヒ放送合唱団に替わる。

ひとりの作曲家の作品集にまとめたカップリングだが、ザンデルリング・ファンであれば、3曲目をチャイコフスキーの幻想的序曲『ロメオとジュリエット』にしたバージョンもある。

ボロディンは2曲とも1961年の録音で、オン・マイクでとったオーケストラの楽器ごとの分離状態の良い初期ステレオ録音で、リマスタリングによる解像度の向上も聴き取れる。

『韃靼人の踊り』は1970年のセッションで、音質は更に良くなっている。

長い年月を旧ソヴィエトで研鑽を積んだザンデルリングはスラヴ物のレパートリーを数多く持っていたが、レコーディングに関しては網羅的なものは殆どない。

しかしこのディスクのボロディンに聴かれるように、民族色豊かな歌心に溢れ、また力強くスケールの大きな再現は理屈抜きで楽しませてくれる。

交響曲第2番は、やはりスラヴ音楽を熟知した指揮者として良い意味での土の薫りのする演奏が聴きどころだ。

交響詩『中央アジアの草原』でも同様だが、こうした曲は洗練され過ぎるとかえってその素朴さを失って軽くなってしまう。

『だったん人の踊り』は華やかなオーケストレーションの再現は流石にケーゲルだとしても、コーラスが弱くオペラの舞台の臨場感にはやや乏しい。

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classicalmusic at 00:03コメント(0)ザンデルリンクケーゲル 

2022年11月26日


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ドミトリー・キタエンコとケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のコラボによる一連のスラヴ系作曲家のシリーズのひとつ。

この全集の収録は2005年から2007年なので、ショスタコーヴィチの交響曲全集が完結した直後から始まった両者の精力的な音楽活動の一環だったことが理解できる。

キタエンコは当時60代で最も脂の乗り切った指揮でプロコフィエフの精緻でユニークなオーケストレーションや機知に富んだ楽想を、目の醒めるような生き生きとした表現と迫力で再現している。

彼に高度なアンサンブルで見事に呼応しているのが、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団だ。

ある時は華麗に、そしてまたある時は果敢でグロテスクな闘争と束の間の安らぎ、そしてクライマックスでは壮大な音響のモニュメントをイメージさせてくれる。

この全集は何故かSACD化されなかったが、音質的にも鮮烈なサウンドを楽しむことができる。

ちなみにキタエンコはギュルツェニヒの首席指揮者になったことはないが、ギュンター・ヴァントと共に同交響楽団から名誉指揮者の栄誉を贈られている。

ライナーノーツを見ると第3番と第6番は、それぞれ2006年11月及び2007年12月に行われたライヴからの録音で、その他はセッションになるが、ライヴでも音質は殆ど変わらない。

なおCD3は第4番の1930年のオリジナル・バージョンと1947年の改訂版がカップリングされている。

聴き比べると作曲家が改定時にそれぞれの楽章を書き足して規模を拡大し、オーケストレーションも拡張していることが分かる。

それゆえこの2曲はほぼ別の交響曲と見做してキタエンコも併録しているのだろう。

いずれにしてもこれまでリリースされたプロコフィエフの交響曲全集の中でも最も音質の良い、そして先鋭的な解釈で演奏されたサンプルとしてお薦めしたいセットだ。

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classicalmusic at 15:37コメント(0)プロコフィエフ 

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シノーポリが心臓発作で急逝してから約20年の歳月が経った。

まだ50歳代という働き盛りでの急な逝去であったことから、現在においてもそのあまりにも早すぎる死を惜しむファンも多いと聞く。

そのようなシノーポリの遺した最大の遺産は、様々な意見もあろうかとは思うが、やはり本盤に収められたマーラーの交響曲全集と言えるのではないだろうか。

本盤には、1990年に録音された嘆きの歌やその他の主要歌曲集、そしてシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した番外編でもあった交響曲「大地の歌」も収録しており、シノーポリがDGに録音したマーラーの交響曲や主要な歌曲のすべてが網羅されている。

シノーポリのマーラーについては賛否両論があるようであるが、筆者としては評価しており、本全集も素晴らしい名全集と高く評価したいと考える。

シノーポリのマーラーへのアプローチは、他の指揮者とは全く異なる実に個性的なものであった。

シノーポリは、精神医学者であり作曲家でもあるという異色の経歴を持つ指揮者であったが、おそらくはそれに起因するスコアリーディングには余人には及ばない凄みがあったのではないかと考えられる。

シノーポリは、マーラーの作曲した複雑極まりないスコアに記されたすべての音符を一音たりとも蔑ろにすることなく光を当て、完璧に音化することに腐心しているようにさえ思われる。

おそらくは、これほどまでに楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏というのは比類がないと言えるのではないか。

もっとも、ここまで細部に拘ると音楽の自然な流れを損ってしまうということが懸念されるが、シノーポリは音楽がごく自然に流れていくように各旋律を徹底して歌い抜くのである。

要は、細部に至るまでの彫琢と歌謡性の豊かさという2つの要素を兼ね備えた稀有の演奏を成し遂げているということであり、ここにシノーポリのマーラーのユニークな魅力がある。

もちろん、かかるアプローチがうまく適合しない楽曲もある。

例えば、第6番は細部への彫琢の末に成し遂げられた明晰さが、ある種の楽天的な雰囲気の醸成に繋がってしまったきらいがあり、同曲の演奏としてはいささか物足りない出来となってしまっている。

もっとも、かかるシノーポリの芸風に符号した楽曲ではとてつもない名演に仕上がることになり、特に、第2番、第5番、第7番及び第10番は文句のつけようのない名演である。

第2番の終楽章の中間部はいささか冗長さを感じさせる箇所ではあるが、シノーポリの演奏にかかると、同じく軽薄さが指摘されている第7番の終楽章も含め、密度の濃い充実した音楽に聴こえるのが素晴らしい。

また、第5番の楽曲の心眼に切り込んでいくような鋭さも見事である。

そして、第10番は、誰よりもゆったりしたテンポで奥行きのある深沈とした音楽が連続するが、とりわけ後半の強烈な不協和音とその後の天国的な美しさの対比は、聴いていて戦慄を覚えるほどの凄みのある表現であると言えるだろう。

この第10番については、テンシュテット&ウィーン・フィルによる一期一会の名演(1982年)、そして同じくシノーポリによるシュターツカペレ・ドレスデンとのライヴ録音(1981年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

いずれにしても、シノーポリのマーラーは他の指揮者による演奏とは全く異なる個性的な演奏ではあるが、マーラーの交響曲を愛する者であれば一度は聴いていただくことを是非ともお薦めしたい。

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classicalmusic at 07:52コメント(2)マーラーシノーポリ 

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本盤には、ショルティが完成させた唯一のマーラーの交響曲全集が収められている。

膨大なレコーディングとレパートリーを誇ったショルティであるが、マーラーの交響曲についても比較的早くから取り組んでおり、1960年代というマーラーが知る人ぞ知る存在であった時代にも、ロンドン交響楽団と第1番、第2番、第3番、第9番、そしてコンセルトへボウ・アムステルダムとともに第4番のスタジオ録音を行っている。

また、第1番についてはウィーン・フィルとのライヴ録音(1964年)が遺されており、既に1960年代にはマーラーの交響曲はショルティのレパートリーの一角を占めていたのではないかと考えられる。

本盤に収められた全集は、ショルティが1970年以降に行ったシカゴ交響楽団とのスタジオ録音のみで構成されているが、このうち1970年及び1971年に録音された第5番〜第8番は、前述の1960年代の各スタジオ録音やライヴ録音と共通する演奏様式であり、他方、1980年〜1983年にかけてスタジオ録音された第1番〜第4番と第9番は、1980年代に入って演奏に若干の奥行きが出てきた円熟の演奏様式であり、演奏傾向に若干の違いがあることに留意しておく必要がある。

もっとも、ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは何ら変わりがない。

強靭なリズム感とメリハリの明瞭さは、ショルティの鋭角的な指揮ぶりからも明らかであり、これは、最晩年になっても変わりがないものであった。

したがって、ショルティのマーラーには、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされている。

ただ、第5番〜第8番については、全体に引き締まったシャープな響きが支配しているのに対して、第1番〜第4番と第9番には、若干ではあるが、響きに柔和さと奥行きが出てきているように思われる。

いずれにしても、どの曲もショルティの個性が発揮された名演であるが、筆者としては特に第3番、第5番、そして第8番を高く評価したい。

第5番は、本全集の第1弾となったものであるが、筆者はこれほど強烈無比な演奏を聴いたことがない。

耳を劈くような強烈な音響が終始炸裂しており、血も涙もない音楽が連続している。

まさに、音の暴力と言ってもいい無慈悲な演奏であるが、聴き終えた後の不思議な充足感は、同曲の超名演であるバーンスタイン&ウィーン・フィル盤(1987年)やテンシュテット&ロンドン・フィル盤(1988年)にいささかも引けを取っていない。

第8番は、ショルティがシカゴ交響楽団を引き連れてヨーロッパを訪問中にウィーンで録音されたものであるが、精密機械のような豪演を繰り広げるシカゴ交響楽団と圧倒的な名唱を繰り広げる合唱団等が融合した稀有の名演であり、同曲をこれほど壮麗かつスケール雄大に響かせた演奏は他にも類例を見ないのではないかと考えられる。

第3番は、故柴田南雄氏が「燦然たる音の饗宴」と評した演奏であるが(氏は、それ故に内容空虚であることを指摘して、本演奏を酷評している)、これほど本演奏を評した的確な表現はあるまい。

まさに、本演奏は有名レストランでシカゴ交響楽団が出す豪華料理と高級ワインを味わうような趣きがあり、我々聴き手は、ただただレストランにおいて極上の豪華な料理と高級ワインを堪能するのみである。

もっとも、あまりの料理やワインの豪華さに、聴き手もほろ酔い加減で幻惑されてしまいそうになるが、本演奏は、それほどまでに空前絶後の「燦然たる音の饗宴」に仕上がっている。

確かに、故柴田南雄氏が指摘されているように、楽曲の心眼に鋭く切り込んで行くような奥深さには欠けている演奏であるが、聴き終えた後の充足感が、例えばバーンスタイン&ニューヨーク・フィル盤(1988年)などの名演に必ずしも引けを取っているわけでもなく、筆者としてはマーラーの演奏様式の一翼を担った名演として高く評価したいと考える。

そして、これまでにも若干触れてはきたが、本全集の最大のメリットはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

いずれの演奏も、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮しており、各演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

それにしても、我が国におけるショルティの評価は不当に低いと言わざるを得ない。

現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。

これには、我が国の音楽評論家、とりわけとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、例えば本全集のような名演を一度も聴かないのはあまりにも勿体ない。

筆者としては、本全集を楽劇「ニーベルングの指環」に次ぐショルティの偉大な遺産であると考えており、英デッカによる極上の優秀録音であることに鑑みても、いまだ未聴のクラシック音楽ファンには是非とも一聴をお薦めしたい名全集と高く評価したい。

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classicalmusic at 00:05コメント(0)マーラーショルティ 

2022年11月25日


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快活・健康的・素朴などなど、こういった類の言葉でハイドンの音楽は語られるが、まさにこれにぴったりの演奏が当盤である。

あまりにオーソドックスなため、どの演奏がどうである、という解説は困難を極める。

そこで、このセットに共通する特徴をいくつか挙げるに留めたい。

まず第一には、演奏する歓びに溢れていることであるが、とは言っても、少し説明不足かも知れない。

アンサンブルをする歓び、職人的に書かれたハイドンのスコアを、音にする歓びに溢れている、とでも言えば本質に大分近づいてくる。

つまり、精神的にどうのこうの言う前に、単純に縦の線を合わせるとか、三度の響きを正確にとか、アクセントをどう置くだとか、合いの手を入れるニュアンスなど、「合奏」することの純粋な面白さをヨッフムと団員たちが追求しており、その愉しさが聴き手の心をウキウキさせるのだ。

そして、もうひとつ挙げるなら、ヨッフムが熟練した統率能力と背中合わせに併せ持つヨッフムの「子供のような純粋さ」である。

ハイドンのもうひとつの面白さに気づかせてくれる演奏と言えるところであり、ヨッフムの素晴らしいブルックナーを彷彿とさせる。

こういうハイドンを聴くと、本当に心が和み、小編成では味わうことのできない大らかさにホッとするのだ。

クナッパーツブッシュのように無限の宇宙を感じるとか、シューリヒトのように魂が天を駆けるという特別な演奏ではない。

それでいて、大衆に媚びた低級な演奏でもなく、現在ではなかなか聴けないスタイルの演奏だ。

特別な仕掛けや細かな計算が表に出るような指揮ではなく、大らかで素朴ながら、ハイドンの音楽の面白さがストレートに伝わってくる。

真面目さとユーモア、高尚と親しみやすさ、そんなものが同居した、バランスの取れた名演集である。

こうしたがっちりとした造型と、大柄な表現は、今やほとんど誰もできなくなってしまった。

名門シュターツカペレ・ドレスデンも、そうした巨匠の指揮に最良の演奏で応えており、まさにアンサンブルの極致ともいえる演奏を展開し、そのいぶし銀のような響きがいっそう美しい味わいを加えている。

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classicalmusic at 16:11コメント(2)ハイドンヨッフム 

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近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る「第8」の録音の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)のに対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

いずれにしても、本盤に収められた演奏はいずれも圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラはいずれも必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

マーラーの交響曲全集はあまた存在しており、その中ではバーンスタインによる3つのオーケストラを振り分けた最後の全集(1966〜1990年)が随一の名全集と言えるが、聴き手に深い感動を与えるという意味において当該バーンスタインの全集に肉薄し得るのは、本盤のテンシュテットによる全集であると考える。

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classicalmusic at 08:32コメント(0)マーラーテンシュテット 

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カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代及び1970年代というのが大方の見方だ。

1982年になって、いわゆるザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係は修復不可能にまで悪化し、カラヤン自身の健康悪化も多分にはあると思うが、この両者による演奏に全盛時代の輝きが失われるようになったというのは否めない事実である(中には優れた味わい深い演奏も存在している)。

本盤に収められたハイドンのパリ交響曲集とロンドン交響曲集は、1980年代に入ってからの演奏ではあるが、ザビーネ・マイヤー事件勃発前のものであり、いまだ両者の関係に亀裂が走っていない時期の録音である。

したがって、全盛期に比肩し得るような両者による素晴らしい演奏を堪能することが可能である。

一時期のカラヤンは作為的な表現も多々あったが、このハイドンでは、彼のアクの強さは影をひそめ、そのかわりにベルリン・フィルの自発性が目立っている。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、木管楽器やホルンなどの卓越した桁外れの技量を駆使しつつ、カラヤン一流の優雅なレガートが施された演奏は、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべきものであり、ハイドンの交響曲演奏としてもこれ以上の絢爛豪華な演奏は空前にして絶後であるとも言えるだろう。

ハイドンは、カラヤンが昔から得意としていたレパートリーのひとつであり、カラヤンがとりわけ深く愛した交響曲第104番「ロンドン」については、ウィーン・フィルとのスタジオ録音(1959年)の方が、第103番も含めて、より颯爽とした爽快な演奏に仕上がっており、ハイドンの交響曲に相応しい名演とも言える。

また、第104番に、第83番、第101番をカップリングしたベルリン・フィルとのスタジオ録音(1975年)も優れた名演であった。

しかしながら、本盤に収められた演奏は、ベルリン・フィルの合奏力が、遺憾なく発揮された演奏であり、いわゆる音のドラマとしては最高峰の水準に達していると言えるところであり、聴き終えた後の充足感においては、前述の過去の名演にもいささかも引けを取っていないと考える。

細部にまで磨き上げられたアンサンブルが特徴で、旋律を心から歌わせ、音楽をここまで彫琢して聴かせる指揮者というのも、カラヤンをおいては他になかろう。

晩年のカラヤンは、ぎりぎりまでテンポを落として、風格のある演奏を行っていたが、ここでもそれが見事に功を奏し、巨匠的な仕上がりとなっている。

近年多くなった、端正な演奏とはかけ離れているが、スケールの大きさといい、完成度の高さといい、カラヤンならではの世界だ。

このような重厚でシンフォニックな本演奏に接すると、近年主流となっている古楽器奏法や、ピリオド楽器を使用した演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。

録音は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤は、音質の鮮明さといい、音場の広がりといい、素晴らしい水準の音質である。

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classicalmusic at 00:45コメント(0)ハイドンカラヤン 

2022年11月24日


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セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」とも称されるように、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。

したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであった。

その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。

もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになった。

そして前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていた。

ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。

本シューマンの交響曲全集における各交響曲や「マンフレッド」序曲の演奏においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開している。

それでいていささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものである。

もっとも、第1番はクレンペラー&フィルハーモニア管による演奏(1966年)、第2番はシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第3番はシューリヒト&パリ音楽院管による演奏(1953年)又はジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる演奏(1980年)、第4番はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)、「マンフレッド」序曲はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1949年)がそれぞれベストの名演である。

本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難い。

とはいえ、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&シュターツカペレ・ドレスデン(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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classicalmusic at 16:44コメント(0)シューマンセル 

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至高の名演として名高い「セル、ルガノ・ライヴ」の歴史的な録音がここに復活した。

このCDに収められた演奏は、アメリカでメジャーになったセル&クリーヴランド管弦楽団のコンビ初の欧州公演ということもあって、力の入りようがよく分かる内容になっている。

特にシューマンの第2番がライヴならではの強烈な名演奏で、セル&クリーヴランド管は、まったく一糸乱れぬ演奏を繰り広げるのだが、スタジオ収録と違い、演奏の熱気が次第にあがっていくのがよく分かる。

響きが分厚すぎるとかオーケストレーションに問題があると指摘を受けがちなシューマンの交響曲も、セルに手にかかれば響きはスッキリ整えられ、古典的な構成感も揺るぎがない。

このライヴではよほど興がのったのか、クールと言われがちなセルの指揮も非常に瑞々しく、即興的で驚異的なテンポと物凄い精度の高さの両立が成し遂げられている。

この翌年のステレオによる正規録音があるが、白熱した緊張感を孕むこの演奏は聴き逃せない。

古典的に引き締まったフォルムで磨き上げられた筋肉美を見るような演奏はステレオ盤と変わらないが、ここでは冷たい熱を帯びている。

第1楽章は絶妙なバランスとアンサンブルでスタイリッシュに仕上げている。

第2楽章のスケルツォは躍動感が素晴らしく、終結に至る弦の刻みの正確な動きはサーカスのようだ。

カーブでも一切減速なしに突っ走るから遠心力で吹き飛ばされそうな緊張が走る。

第3楽章は一転落ち着いた抒情が歌われ、ここでもロマン的に拡大するのでなく音は凝縮している。

終楽章もアクセル全開で燃えまくっているが、それでもセルの鍛えあげたクリーヴランド管はアンサンブルが乱れず、バランスの良い端正な演奏ぶりは大したものであり、均整のとれた後半ではトランペットが輝かしく咆哮する。

ドビュッシーの「海」も見通しの良いクリアーな響きが見事で、セルにしては緩急自在にテンポを動かしており、やはりスタジオ録音のクールな印象とは異なる血の通った熱い演奏だ。

ライヴならではの勢いで押し切ったような演奏とも言えるところであり、細部には全く拘らない、厳しく躍動的なセルの芸術を心行くまで堪能できる。

なお、このCDには同日のアンコールのベルリオーズの「ラコッツィ行進曲」が収められている。

これも速めのテンポで折り目正しく演奏されているようだなと聴いていたら、最後の1分ではものすごい加速が始まりオケが歯を食いしばり必死に棒についていく壮絶な展開になり、当然聴衆は興奮状態になってしまう。

音質は海賊盤と聴き比べてみると、当盤では付加されたエコーを取り除いており、クリアそのもので、真性モノラルながらステレオではないかと思うほど、音場の拡がりなどの録音状態が良好である。

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classicalmusic at 08:36コメント(0)セルシューマン 

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本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第7番とブリテンの4つの海の間奏曲は、バーンスタインによる生涯最後のコンサートの記録である。

死の2か月前の演奏でもあるということもあって、本演奏にはただならぬ雰囲気が漂っていると言えるだろう。

ニューヨーク・フィルの音楽監督時代のバーンスタインは、いかにも陽気なヤンキー気質の爽快な演奏を繰り広げていた。

ところが、ヨーロッパに拠点を移し、ウィーン・フィルを恒常的に指揮するようになってからは、テンポは異常に遅くなりとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

とりわけ、1980年代に入ってからは、かかる特徴が顕著であり、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。

このような芸風の著しい変化は、バーンスタインによる体力の衰えが原因なのか、それともバーンスタインの音楽の捉え方がより深化したのかは正直なところよくわからない。

バーンスタインには熱烈なファンも多いことから、かかる芸風の変化を持ってバーンスタインは真の巨匠になったと評価する人もいることも十分に考えられる。

しかしながら、他方では、かかる常識はずれのテンポにとても付いていけないと感じる聴き手が多いのも事実である。

その意味では、本盤の演奏は両曲ともに、かかる晩年の芸風が顕著にあらわれており、途轍もない遅いテンポと重苦しい雰囲気に演奏全体が包まれていると言えるだろう。

ましてや、バーンスタインの体調の悪さも多分にあると思うが、ボストン交響楽団にも戸惑いが見られ、アンサンブルなども大幅に乱れるなど、バーンスタイン、そしてボストン交響楽団によるベストフォームにある演奏とはとても言い難いと言えるところだ。

したがって、本演奏を凡演として切り捨ててしまうのは容易ではあるが、筆者はむしろ、死の2か月前、体調も最悪であったにもかかわらず、渾身の力を振り絞って本演奏会に臨んだバーンスタインの直向きさに強く心を打たれるのである。

そう思って本演奏を聴くと、いかに本演奏が渾身の大熱演であったのかが理解できるところだ。

本演奏はまさに、死を間近に控えたバーンスタインが最後の力を振り絞って成し遂げた魂の音楽であると言えるところであり、その渾身の直向きさが我々聴き手の肺腑を打つのである。

このような魂の音楽に対しては、大仰で重苦しい演奏であるとか些末なアンサンブルのミスなどとは無関係であり、ただただ虚心になって最晩年のバーンスタインによる渾身の大熱演を鑑賞するのみである。

いずれにしても、本演奏は、特にマーラーの交響曲や歌曲において偉大な名演を成し遂げてきた大指揮者バーンスタインの最後の演奏としては痛々しさを感じずにはいられないが、バーンスタインが人生の最後に成し遂げた魂の音楽として、未来永劫に語り伝えたい演奏と高く評価したいと考える。

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classicalmusic at 01:37コメント(0)バーンスタインベートーヴェン 

2022年11月23日


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ルービンシュタインは、3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集をスタジオ録音している。

ルービンシュタインはポーランド出身ということもあって、稀代のショパン弾きとしても知られてはいるが、前述のように3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音したことや、生涯最後の録音がブラームスのピアノ協奏曲第1番であったことなどに鑑みれば、ルービンシュタインの広範なレパートリーの中核を占めていたのは、ベートーヴェンやブラームスなどの独墺系のピアノ曲であったと言えるのかもしれない。

本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番&第5番「皇帝」は、ルービンシュタインによる3度目のピアノ協奏曲全集(1975年)からの抜粋である。

最初の全集であるクリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアとの演奏(1956年)や、2度目の全集であるラインスドルフ&ボストン交響楽団との演奏(1963年)と比較すると、本演奏は88歳の時の演奏だけに、技量においてはこれまでの2度にわたる全集の方がより優れている。

しかしながら、本演奏のゆったりとしたテンポによる桁外れのスケールの大きさ、そして各フレーズの端々から滲み出してくる枯淡の境地とも言うべき奥行きの深い情感の豊かさにおいては、これまでの2度にわたる全集を大きく凌駕していると言えるだろう。

このような音楽の構えの大きさや奥行きの深さ、そして格調の高さや風格は、まさしく大人(たいじん)の至芸と言っても過言ではあるまい。

特に、両曲の緩徐楽章の深沈とした美しさには抗し難い魅力があるが、その清澄とも言うべき美しさは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、自らの生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような趣きさえ感じられる。

これほどの高みに達した崇高な音楽は、ルービンシュタインとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのかもしれない。

ルービンシュタインの堂々たるピアニズムに対して、バレンボイム&ロンドン・フィルも一歩も引けを取っていない。

バレンボイムは、ピアニストとしても(クレンペラーの指揮)、そして弾き振りでも(ベルリン・フィルとの演奏)ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音しているが、ここではルービンシュタインの構えの大きいピアニズムに触発されたこともあり、持ち得る実力を存分に発揮した雄渾なスケールによる重厚にして渾身の名演奏を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番及び第5番「皇帝」の演奏は、いずれも両曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 18:22コメント(2)ルービンシュタインバレンボイム 

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マーラーの交響曲第5番が凄い演奏だ。

これほどまでに心を揺さぶられる演奏についてレビューを書くのはなかなかに困難を伴うが、とりあえず思うところを書き連ねることとしたい。

いずれにしても、テンシュテット&ロンドン・フィルの1984年来日時におけるマーラーの交響曲第5番のライヴ録音が、ついに発売されることになったのは、クラシック音楽ファンにとって大朗報とも言えるところだ。

テンシュテットと言えば、何と言ってもマーラーの交響曲の様々な名演が念頭に浮かぶが、交響曲第5番についても複数の録音を遺している。

最初の録音は、交響曲全集の一環としてスタジオ録音された演奏(1978年)、次いで本盤の来日時にライヴ録音された演奏(1984年)、そしてその4年後にライヴ録音された演奏(1988年)の3種が存在しており、オーケストラはいずれも手兵ロンドン・フィルである。

いずれ劣らぬ名演ではあるが、随一の名演は1988年の演奏であることは論を待たないところだ。

というのも、テンシュテットは1985年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

したがって、1988年の演奏には、一つ一つのコンサートに命がけで臨んでいた渾身の大熱演とも言うべき壮絶な迫力に満ち溢れていると言えるからだ。

次いで、本盤に収められた1984年の演奏が続くのではないだろうか。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという人もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

本盤の演奏は、さすがに前述のように、1988年の演奏ほどの壮絶さは存在していないが、それでもテンポの思い切った振幅を駆使したドラマティックにして濃厚な表現は大いに健在であり、まさにテンシュテットのマーラー演奏の在り様が見事に具現化された至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

カップリングのモーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」は名演の範疇には入ると思われるが、テンシュテットとしては普通の出来と言える。

音質については、FM東京の音源だけに従来CD盤でも比較的良好な音質である。

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classicalmusic at 10:34コメント(0)テンシュテットマーラー 

2022年11月22日


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1981年11月21日 パリ、シャンゼリゼ劇場におけるライヴ録音。

厳格さのなかに官能的かつ宗教的な響きが内在し、静かな思索と哲学的な沈潜をも感じさせるフランク唯一の交響曲の、バーンスタインとフランス国立管弦楽団による演奏会のライヴ盤。

バーンスタインが活動の拠点をヨーロッパに移し、ドイツ・グラモフォンと契約を締結して数多くの名盤を次々と生み出していった頃の録音で、作品への感情移入の濃厚な演奏と言えるだろう。

演奏はバーンスタインらしくダイナミックで、フランス国立管弦楽団の管楽器群の冴えた音が聴きものである。

バーンスタインはフランス国立管弦楽団の輝かしい響きと管楽器群の明るい響きとを適度に生かして、とかく暗い感じに仕上げられがちなフランクの交響曲を、色彩豊かなものにしている。

このような渋い作品には演奏のコントラストが少々派手気味の方が聴き手に与えるインパクトが強烈になる。

第1楽章は遅く、粘って粘って、ようやくクライマックスに到達したかと思わせてすぐに萎えることの繰り返し。

第2楽章は夢見るように美しい。

第3楽章は一気呵成に進め、全体の流れをうまく構成することで音楽の重みをストレートに味わわせ、圧倒的な盛り上がりを実現しつつ、くどいと思わせるところがない。

つまり作品の重厚さよりも、フランス風の色調の輝きと響きの軽やかさを表出している。

しかしながら、この曲としては多少デモーニッシュに過ぎるかとも思うが、楽譜の指定よりもはるかに自由なテンポ設定には説得力もあり、この曲の魅力を引き出し、新鮮に聴かせているという点では見事。

オケもふんわりとした抑制と音の美しさがあり、怒号しないフォルテが心地よい。

バーンスタインがマーラーに取り組んだときと同じ姿勢で描き出したフランクというところであろうか。

この曲を愛する人であればぜひ聴いておいてほしい演奏。

併録のサン=サンースの「ギリシャ神話」を題材にして作曲された交響詩「オンファールの糸車」は、バーンスタイン風というか、なかなか線の太い表現を聴かせており、この作品が持つファンタジーな楽想を巧みに表現した演奏になっている。

調べたところ、おそらく同曲はバーンスタインが遺した唯一の録音である。

ライヴ録音だが聴衆ノイズはほとんどなく、たっぷりとした残響のあるものではないが、オケの響きはしっかりと捉えられていて、繊細さにも不足はない。

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classicalmusic at 15:02コメント(0)バーンスタインフランク 

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これは素晴らしい名演だ。

若き日のバーンスタインによる傑作の一つと言っても過言ではあるまい。

バーンスタインは、1980年代に入ると、演奏のテンポが大幅に遅くなるとともに、濃厚でいささか大仰な演奏を行うようになった。

マーラーの交響曲・歌曲集など、極めて優れた円熟の名演もある一方で、かかる晩年の芸風が大きくマイナスに働き、ウドの大木の誹りを免れないような凡演も多かったというのも否めない事実であった。

しかしながら、ニューヨーク・フィルの音楽監督(1958〜1970年)を務めていた時代の若き日のバーンスタインの演奏は、こうした晩年の芸風とは正反対であり、若武者ならではの爽快で溌剌とした快演を数多く行っていたところだ。

ある意味ではヤンキー気質丸出しの演奏と言えるところであり、オーケストラにも強引とも言うべき最強奏させることも多々あったが、それ故に音楽内容の精神的な深みの追求など薬にしたくもない薄味の演奏も多かったと言えるところだ。

もっとも、自ら作曲も手がけていたという類稀なる音楽性の豊かさは顕著にあらわれており、自らの芸風と符号した楽曲においては、熱のこもった途轍もない名演を成し遂げることも多かったと言える。

例えば、この時代に完成されたバーンスタインによる最初のマーラーの交響曲全集(1960〜1975年)は、後年の3つのオーケストラを振り分けた全集(1966〜1990年)とは違った魅力を有している。

そして、本盤に収められたガーシュウィンやグローフェについても、当時のバーンスタインの芸風と符号しており、爽快で圧倒的な生命力に満ち溢れたノリノリの指揮ぶりが見事である。

とりわけ、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」においては、バーンスタインが指揮のみならずピアノまで受け持っているが、その才気が迸った情感のこもったピアノ演奏は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

円熟という意味では後年の演奏(1982年)を採るべきであるが、圧倒的な熱演という意味においては本演奏もいささかも引けを取っていないと考える。

また、「パリのアメリカ人」は、あたかもこれからヨーロッパに進出していくバーンスタインの自画像を描いているような趣きがあり、自らに重ね合わせたかのような大熱演は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

グローフェの組曲「グランド・キャニオン」の各場面の描き分けの巧みさは心憎いばかりであるし、どの曲も圧倒的な名演奏を仕上がっているのが素晴らしい。

若きバーンスタインによる名演をDSDリマスタリングの鮮明な音質で味わうことのできることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 06:39コメント(0)バーンスタインガーシュウィン 

2022年11月21日


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ドヴォルザークのスラヴ舞曲集の全曲録音は、これまで様々な指揮者によってなされてきた。

同じチェコ人指揮者ならばノイマンが3度にわたり録音しているし、ハンガリー人ならば、セルやドラティ、フィッシャーの名演が忘れ難い。

プレヴィンの聴かせどころのツボを心得た演奏や、マゼールの個性的な演奏も頭に浮かぶ。

このように、綺羅星のように輝く様々な名演の数々の中でも、クーベリックの録音は、ダントツの名演と言ってもいいのではないかと思う。

チェコ人指揮者ならではの民族色豊かな情感にもいささかの不足はないが、決して民俗的なローカル色を強調するのではなく、むしろ、バイエルン放送交響楽団を統率して、より普遍的でシンフォニックな演奏を心掛けている。

言うなれば、チェコ的な情感と普遍的な重厚さを併せ持つというバランスの良さが、本盤を最高の名演たらしめているのだと考える。

どの曲も、緩急自在のテンポを駆使した重厚な名演であるが、特に、第16番のスケールの雄大さは特筆すべきだと思う。

チェコの民族色溢れる情感の豊かさと、一般的な音楽としてのシンフォニックな重厚さを兼ね備えた、いい意味での剛柔バランスのとれた名演との本演奏の評価については、現在でもいささかも変わりがないところである。

したがって、ドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の名演としては、本盤のクーベリック&バイエルン放送交響楽団による演奏(1973〜1974年)とともに、本演奏と同格の名演として、セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏(1962〜1965年)、ノイマン&チェコ・フィルによる演奏(1985年)が掲げられると考えており、これら3つの演奏が同曲の様々な指揮者による演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と評価したい。

本盤の音質については、リマスタリング(ルビジウムカッティング)されただけあって、かなり満足できる音質であった。

いずれにしても、クーベリックによる歴史的な超名演、そしてドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の演奏史上トップの座を争う至高の超名演を良好な音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 15:36コメント(2)ドヴォルザーククーベリック 

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ベートーヴェンの三重協奏曲はベートーヴェンが作曲した労作であり、一部の評論家が指摘しているような駄作とは思わないが、それでも5曲のピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲などと比較するといささか魅力に乏しいと言わざるを得ないのではないだろうか。

もちろん、親しみやすい旋律などにも事欠かないと言えなくもないが、よほどの指揮者やソリストが揃わないと同曲の真価を聴き手に知らしめるのは困難と言えるだろう。

したがって、本演奏の関心は、もっぱら演奏者とその演奏内容の方に注がれることになる。

カラヤンとロシアの偉大な3人のソリストという超豪華な布陣は、ネット配信の隆盛などによりクラシック音楽界が不況下にある現代においては望むべくもない、夢のような共演と言えるだろう。

ましてやオーケストラが世界最高のベルリン・フィルであり、三重協奏曲のような楽曲ではもったいないような究極の布陣とも言える。

そして、本演奏が凄いのは(裏方では微妙な意見の食い違いがあったようであるが、我々は遺された録音を聴くのみである)、4巨匠とベルリン・フィルがその能力を最大限に発揮しているところであろう。

カラヤン&ベルリン・フィルは、この黄金コンビの全盛時代ならではのオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っているし、ロストロポーヴィチの渾身のチェロ演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

オイストラフのヴァイオリンも、ロストロポーヴィチのチェロに引けを取らないような凄みのある演奏を展開しているし、リヒテルのピアノも、本名演の縁の下の力持ちとして、重心の低い堂々たるピアニズムを展開している。

いずれにしても、凄い演奏であるし超名演に値すると言える。

そして、このような凄い超名演を持ってして漸くこの三重協奏曲の魅力が聴き手に伝えられたというのが正直なところであり、その意味では、本演奏こそが同曲の唯一無二の名演と言えるのかもしれない。

もっとも、本演奏は狭い土俵の上で、天下の大横綱が5人いてお互いに相撲をとっているようなイメージとも言えるところであり、このような5人の大横綱には、もう少し広い土俵で相撲をとって欲しかったというのが正直なところだ(と言っても、広い土俵たり得る三重協奏曲に変わる作品は存在しないが)。

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2022年11月20日


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近年では、その活動も低調なチョン・キョンファであるが、本盤に収められたチャイコフスキー&シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏は、22歳という若き日のもの。

次代を担う気鋭の女流ヴァイオリニストとして、これから世界に羽ばたいて行こうとしていた時期のものだ。

チョン・キョンファは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲については本演奏の後は1度も録音を行っていない。

他方、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲については、ジュリーニ&ベルリン・フィルとの演奏(1973年ライヴ録音)、デュトワ&モントリオール交響楽団との演奏(1981年スタジオ録音)の2種の録音が存在している。

両曲のうち、ダントツの名演は何と言ってもシベリウスのヴァイオリン協奏曲であろう。

とある影響力のある某音楽評論家が激賞している演奏でもあるが、氏の偏向的な見解に疑問を感じることが多い筆者としても、本演奏に関しては氏の見解に異論なく賛同したい。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏は、なかなかに難しいと言える。

というのも、濃厚な表情づけを行うと、楽曲の持つ北欧風の清涼な雰囲気を大きく損なってしまうことになり兼ねないからだ。

さりとて、あまりにも繊細な表情づけに固執すると、音が痩せると言うか、薄味の演奏に陥ってしまう危険性もあり、この両要素をいかにバランスを保って演奏するのかが鍵になると言えるだろう。

チョン・キョンファによる本ヴァイオリン演奏は、この難しいバランスを見事に保った稀代の名演奏を成し遂げるのに成功していると言っても過言ではあるまい。

北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情の表現など、まさに申し分のない名演奏を展開しているが、それでいていかなる繊細な箇所においても、その演奏には独特のニュアンスが込められているなど内容の濃さをいささかも失っておらず、薄味な箇所は1つとして存在していない。

チョン・キョンファとしても、22歳というこの時だけに可能な演奏であったとも言えるところであり、その後は2度と同曲を録音しようとしていないことに鑑みても、本演奏は会心の出来と考えていたのではないだろうか。

こうしたチョン・キョンファによる至高のヴァイオリン演奏を下支えするとともに、北欧の抒情に満ち溢れた見事な名演奏を展開したプレヴィン&ロンドン交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本演奏は、チョン・キョンファが時宜を得て行った稀代の名演奏であるとも言えるところであり、プレヴィン&ロンドン交響楽団の好パフォーマンスも相俟って、シベリウスのヴァイオリン協奏曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

他方、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲については、ヴィルトゥオーゾ性の発揮と表現力の幅の広さを問われる楽曲であることから、人生経験を積んでより表現力の幅が増した1981年盤や、ライヴ録音ならではの演奏全体に漲る気迫や熱き生命力において1973年盤の方を上位に掲げたい。

むろん、本演奏もチョン・キョンファの卓越した技量と音楽性の高さを窺い知ることが可能な名演と評価するのにいささかの躊躇もするものではない。

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classicalmusic at 23:35コメント(4)チャイコフスキーシベリウス 

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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲全集と言えば、後年にベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行った名演が誉れ高い。

当該全集の各交響曲はいずれ劣らぬ名演であったが、それは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポをベースとした正に巨匠風の風格ある演奏であり、2013年、惜しくも逝去されたザンデルリンクの代表盤にも掲げられる永遠の名全集とも言える存在であると言えるところだ。

ザンデルリンクは、当該全集の約20年前にもブラームスの交響曲全集をスタジオ録音している。

それこそが、本盤に収められた交響曲第2番を含む、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集である。

前述のベルリン交響楽団との全集が、押しも押されぬ巨匠指揮者になったザンデルリンクの指揮芸術を堪能させてくれるのに対して、本全集は、何と言っても当時のシュターツカペレ・ドレスデンの有していた独特のいぶし銀とも言うべき音色と、それを十二分に体現しえた力量に最大の魅力があると言えるのではないだろうか。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったと言える。

それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、本盤のスタジオ録音がなされた1970年代のシュターツカペレ・ドレスデンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特のいぶし銀の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

こうしたオーケストラの音色や演奏において抗し難い魅力が存在しているのに加えて、ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチを示している。

前述の後年の全集と比較すると、テンポなども極めてノーマルなものに落ち着いているが、どこをとっても薄味な個所はなく、全体の堅牢な造型を保ちつつ、重厚かつ力強い演奏で一貫していると評しても過言ではあるまい。

むしろ、このような正統派のアプローチを行っているからこそ、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な音色、技量が演奏の全面に描出されている。

本演奏こそはまさに、ザンデルリンク、そしてシュターツカペレ・ドレスデンによる共同歩調によった見事な名演と高く評価したい。

併録の悲劇的序曲もこの黄金コンビならではの素晴らしい名演だ。

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classicalmusic at 15:03コメント(2)ブラームスザンデルリンク 

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本盤には、カラヤンがスタジオ録音を行った唯一のシューマンの交響曲全集が収められている。

カラヤンは、第4番については、ベルリン・フィルの芸術監督に就任して間もない頃(1957年)と最晩年(1987年)にスタジオ録音を行っていることから、本盤に収められた演奏は、3度にわたる同曲の録音中2度目のものに相当する。

また、第2番については、ローマ・イタリア放送管弦楽団とのライヴ録音(1954年)が存在することから、本盤に収められた演奏は、2度目の録音ということになる。

第1番と第3番については、現在のところ他の録音は遺されていないことから、本盤に収められた演奏がカラヤンによる唯一の録音ということになる。

このようなカラヤンによる他の録音の有無はさておき、本盤の演奏も全盛期のカラヤンならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤の演奏は1971年であり、これはカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが最も輝いていた時期である。

カラヤンが芸術監督に就任して以降に入団した名うてのスタープレイヤーがその実力を如何なく発揮し始めた頃でもあり、鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックによって極上の美音を振り撒く木管楽器群、そして本演奏の前年に入団したフォーグラーによる雷鳴のように轟きわたるティンパニの強靭な迫力。

これらが一体となった当時のベルリン・フィルは驚異的な合奏能力を有していたと言えるところであり、カラヤンはこれに流麗なレガートを施して、オーケストラ演奏の極致とも言うべき極上の名演奏(いわゆるカラヤン・サウンド)を行っていた。

このような演奏に対しては、とある影響力の大きい某音楽評論家などが精神的な深みの欠如を云々しているが、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏は、そうした酷評を一喝するだけの圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

本盤の演奏においても、このような音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆる美しさの極みとも言うべきカラヤン・サウンドに満たされている。

もっとも、第1番であればクレンペラー&ニューフィルハーモニア管(1965年)、第2番であればシノーポリ&ウィーン・フィル(1983年)、第3番であればシューリヒト&パリ音楽院管(1953年)またはジュリーニ&ロサンゼルス・フィル(1980年)、そして第4番であればフルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1953年)などといった、音楽内容の精神的な深みを徹底して追求した名演がある。

我々聴き手の心を揺さぶるのもこれらの名演であると考えるが、本盤の演奏のように極上の美しさを誇る圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を比較することは、演奏のベクトル自体が異なるものであり、そもそもナンセンスであると考えられる。

第4番については、最晩年の枯淡の境地が表れた味わい深い1987年盤の方がより素晴らしい名演であると言えるところであり、第4番に限っては1987年盤の方を採りたい。

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classicalmusic at 06:55コメント(0)シューマンカラヤン 

2022年11月19日


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歌劇「オテロ」は、ヴァルディの数あるオペラの中でも最もショルティの芸風に合ったものと言えるのではないだろうか。

というのも、ショルティの芸風は切れ味鋭いリズム感とメリハリの明朗さであり、緊迫感にはらんだ劇的な要素を持った歌劇「オテロ」の性格との相性抜群のものがあるのではないかと考えられるからだ。

また、本盤の演奏は1991年のライヴ録音。

ショルティも最晩年の1990年代に入ってからは、自らの指揮活動の集大成とも評すべき円熟味溢れる懐の深い演奏を行うようになってきたところであり、本演奏においても、前述のような持ち味の鋭角的かつ明晰な芸風に加えて、かような円熟味溢れる彫の深い表現を聴くことができるのが素晴らしい。

ショルティと同様に米国を拠点に活躍をした先輩格のハンガリー人指揮者、ライナーやセル、オーマンディなどとは異なり、オペラをレパートリーの中核としていたショルティではある。

本演奏は、まさにオペラの演奏に自らの半生を捧げ、多大なる情熱を持って取り組んできたショルティの集大成とも言うべき至高の名演に仕上がっているとも言えるところだ。

それにしても、同オペラの演奏において、これほどまでにドラマティックで、重厚かつ強靭な迫力を有した演奏は、かのカラヤン&ウィーン・フィルほかによる超名演(1961年)に比肩し得るほどであると評し得るところである。

このような演奏を聴いていると、ショルティこそは、20世紀後半における最高のオペラ指揮者であったカラヤンに対抗し得る唯一の存在であったことがよく理解できるところだ。

そして、強靭な迫力と言っても、1970年代頃までに時として散見されたショルティの欠点でもあった、力づくの強引さは薬にしたくもなく、どこをとってもその音楽に奥行きのある懐の深さが感じられるのが素晴らしい。

各登場人物の細やかな心理の移ろいの描き方も万全であり、これぞまさしくオペラを知り尽くしたショルティならではの老獪ささえ感じさせる卓越した至芸と言えるだろう。

本オペラの演奏に際して、手兵のシカゴ交響楽団を起用したというのも功を奏しており、前述のような重厚にして強靭な迫力は、本演奏の当時スーパー軍団とも称されたシカゴ交響楽団の面目躍如たるものがある。

歌手陣も、ショルティが指揮するオペラならではの豪華な布陣であり、特に、ルチアーノ・パヴァロッティがオテロ役をつとめているというのが本演奏の最大の魅力であるとも言える。

また、デズデモーナ役のキリ・テ・カナワやイアーゴ役のレオ・ヌッチ、そしてカッシオ役のアントニー・ロルフ・ジョンソンなどの歌手陣、そして、シカゴ・シンフォニー・コーラスやメトロポリタン歌劇場少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

音質も、英デッカによる見事な高音質録音であるのも素晴らしい。

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classicalmusic at 23:32コメント(0)ヴェルディショルティ 

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近・現代の作品に強い共感を持ち、それらの作品を紹介する事に情熱を注いできた諏訪内の熱い思いが凝縮したアルバム。

諏訪内は、最近では、結婚や不名誉な醜聞などもあって、低迷期にあると言えるが、本盤の録音当時は、ベストフォームにあったと言える。

女流ヴァイオリニストならではの詩情溢れる繊細な優美さが、持ち前の抜群のテクニックとも相俟って、各演奏において最高に結晶化していたからである。

特に、シベリウスにおいては、こうした若き日の諏訪内の素晴らしさが最高に発揮されており、おそらくは、チョン・キョンファに匹敵する同曲のトップの座を争う名演と高く評価したい。

生々しく語り掛けるキョンファとは表面のスタイルは違うが、抜け切ったヴァイオリンという点ではまったく同じで、甲乙つけ難い。

惚れ惚れするくらい完璧で、粘着力と静けさと目のつんだ表情に満ち、全篇、胸が震えて仕方がない。

これこそ神秘な音楽の神秘な名演といえよう。

ウォルトンの作品はハイフェッツの委嘱により作曲されたもので、ハイフェッツの愛用した銘器“ドルフィン”を貸与されている諏訪内の強い要望により、録音が実現されたもの。

諏訪内の“ドルフィン”を操ったヴァイオリン演奏の音色と指揮者サカリ・オラモ&バーミンガム市交響楽団の演奏がとてもよく合っていて、あらゆる両協奏曲の演奏・録音の中でも最高の出来映えの1つと言えよう。

諏訪内は天性のヴァイオリニストというよりは天性の音楽家

特別な表情はいっさいつけていないのに『最高級の音楽』が鳴っている。

その最高級に心底打たれ、感動する。

そして、この若き日の諏訪内の見事なヴァイオリンを、その弓使いまで捉えた鮮明な高音質は、もはや筆舌には尽くしがたいハイレベルの音質に達しており、まさに完全無欠のCDと言えるだろう。

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classicalmusic at 15:07コメント(0)シベリウス 

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歌劇「ドン・ジョヴァンニ」は、モーツァルトのオペラという限定付きではあるが、その主要4大オペラの中でも最も劇的な要素を有した作品。

ショルティの芸風は切れ味鋭いリズム感とメリハリの明晰さを特徴としているが、主要オペラの中では最もショルティの芸風に適合した作品と言えるのではないだろうか。

同曲には、フルトヴェングラーなどによる名演なども存在しており、それと比較して、音楽の内容に深みがないなどと言った批判を行うことは容易ではあるが、本演奏のように、楽想を明晰に描き出していくというアプローチによって、他の指揮者による同オペラのいかなる演奏よりも、メリハリのある明瞭な演奏に仕上がっているという点については、公平な目で評価しなければならないのではないかと思われるところだ。

要は、モーツァルトのオペラの場合、音符の数が比較的少なくて様々な解釈を施したくなるものであるが、ショルティのように、特別な解釈を施すことなく、モーツァルトがスコアに記した音符の数々を、一点の曇りもなく明瞭に描き出すことのみに全力を傾注した演奏は、同オペラの演奏としては大変に珍しいとも言えるところだ。

それは、特に歌手陣への配慮によるところも大きいと言えるところであり、オペラを熟知したショルティの深謀遠慮と言った側面もあるのではないかと考えられるところである。

ショルティは、後年にも同じロンドン・フィルほかとともに同曲を再録音(1996年)するところであり、円熟味や奥行きの深さにおいては後年の演奏の方がはるかに上と言えるが、演奏の持つ明晰さという点においては、本演奏の方に軍配があがると言えるのではないだろうか。

もちろん、前述のような音楽の内容の深みへの追求度は著しく低い演奏であると言えることから、同オペラの演奏において、例えばフルトヴェングラーの演奏などのように、各登場人物の心理を徹底して抉り出すなどの彫りの深さを希求するクラシック音楽ファンには物足りなさを感じさせることは想定し得るところである。

しかしながら、モーツァルトの音楽そのものの美しさを味わうという点においては、十二分にその魅力を堪能することが可能な名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

そして、本盤で素晴らしいのは、何と言っても歌手陣である。

さすがはオペラを熟知したショルティならではの考え抜かれた的確なキャスティングと言えるところでであり、ドン・ジョヴァンニ役のベルント・ヴァイクル、ドンナ・アンナ役のマーガレット・プライス、ツェルリーナ役のルチア・ポップ、騎士長役のクルト・モルなど、当代一流の豪華歌手陣が最高の歌唱を披露しているのが素晴らしい。

また、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルも、ショルティの確かな統率の下、持ち得る実力を十二分に発揮した名演奏を展開している点も高く評価したい。

音質も、英デッカによる見事な高音質録音であり、1978年のスタジオ録音とは思えないような鮮度を誇っているのも素晴らしい。

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classicalmusic at 06:54コメント(0)モーツァルトショルティ 

2022年11月18日


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数ある同曲の録音の中でもひときわ輝く1枚で、両手の声部が生き生きと対話し、変奏ごとの雰囲気の変化も楽しいゴルトベルク。

それでいて、1955年盤のグールドのような快活さと違い、落ち着いた深い精神性を感じさせる演奏だ。

また、こんなに優しく愛らしく、かつ自然で穏やかなバッハの演奏は、初めて聴いた。

この1枚にケンプという名ピアニストがどういう演奏を目指していたのかが凝縮されている。

現代では前提として完璧なテクニックが要求されるが、それが「一番大切な事ではない」ということを解らせてくれる良い例である。

現代のピアノでバッハを弾くとき、その機能を全く使おうとしないか、使い方を間違えている演奏が存在するが、ケンプのバッハ演奏は「なぜ現代のピアノでバッハを弾くのか? それにはどんな利点があるのか?」が良く解る。

有名なグールドの演奏も実はその辺りが良く考慮されているのだが、ケンプの方が解りやすいであろう。

この演奏を聴いた人がまず驚くのは、アリアでの装飾音の少なさのようだ。

装飾音がほとんど無いのでパサパサした演奏との評価も見たことがあるが、実際部屋に流してみると極上の空間が生まれる。

それに現代ピアノの特性を考えた場合、装飾音の問題はないし、アリアの骨格が浮き彫りになることでその後の変奏が分かりやすくなっていて、変奏曲として非常に高度な演奏である。

完成度という点では後の超絶技巧演奏に譲るが、グールド以後の、大多数の表層をいじっただけの演奏よりも遥かに独自性を出していて、素晴らしい演奏の1つである。

過去にCD化された他のゴルトベルク変奏曲とは聴き終えた後の重量感が違う。

時代、演奏家を超えた何かが記録されている気がする。

グールド・ショックも古楽運動も一段落した今だからこそ、この演奏の価値はますます高くなっているようだ。

現代が忘れてしまった数多くのことが詰まっており、本当に大切なことを語りかけてくれる。

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classicalmusic at 23:14コメント(0)バッハケンプ 

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1997年9月5日に亡くなったショルティ2度目の『ドン・ジョヴァンニ』。

死の前年のライヴ録音であるが、そんなことを感じさせない、速くて溌剌とした演奏である。

いくぶん、静かな伴奏部分に、繊細さが聴きとれるような気がする。

歌手陣の中では、題名役のブリン・ターフェルがとても素晴らしい。

アバドの『ファルスタッフ』でも主役を歌っていたが、なかなか難しい役をよくこなしている。

ほとんどのモーツァルトのバス役も歌っていたような気がするけれど、残念ながら、まだ筆者の印象は弱い。

エルヴィーラ役のアン・マーレイも、あまり馴染みはないが、先般のムーティ指揮の『フィガロの結婚』ではケルビーノを歌っていた。

歴代のエルヴィーラはかなりの名歌手が歌っているが、アン・マーレイもなかなか聴きやすい歌唱で、それなりにいいのだが、やはり他の名盤の演唱よりは少し弱い。

驚いたのは、意外にもドン・オッターヴィオで、ヘルベルト・リッペルトというテノール歌手は聞いた覚えがないが、こんなオッターヴィオは初めてである。

いつもはオッターヴィオを、ほとんど意識することはなく聴いているのだが、特にあの2つのアリアでこの歌に感動したことはほとんどなく、フルトヴェングラー、カラヤン、ベームの盤でもそう思う。

これまで特に素晴らしいと思ったのはクレンペラーの指揮のもので、これはクレンペラーの演奏が凄いのであって、おそらく歌手の問題ではない。

ショルティの指揮もかすかに繊細になっているような気もするが、今度は明らかに歌手を配慮したためだ。

『ドン・ジョヴァンニ』というオペラは、2幕構成で、CD3枚に収められる。

したがって2枚目には、1幕の終わりと2幕の始まりが入るという、居心地の悪い状態になっている。

『フィガロの結婚』『コジ・ファン・トゥッテ』も同じようなものだが、この盤では、CDの2枚目がツェルリーナのアリアで終わる。

その後の6重唱が3枚目の頭に入っているが、特に時間が押しているわけではない。

この第2幕始めの6重唱は、もともとモーツァルトは3幕構成で考えていたのではという説があるのかないのか、完全にフィナーレの音楽になっている。

通常CDは(あるいはLPでも)ここで2枚目が終わる。

終わるのにちょうど良い音楽で、ここで区切らなくてどこで区切るというのか、なぜなのか、少し気になるところだ。

さてショルティの指揮と全体の印象であるが、半分くらいはいつものショルティで、特にエルヴィーラとドンナ・アンナの情念あふれる場面での、感情の高まりが若干乏しい。

深刻な場面での、大見得を切るようなところがさっぱり盛り上がらない。

ところがドン・ジョヴァンニがツェルリーナを誘惑する2重唱の場面は、実にチャーミングに仕上がっている。

全体的に、サッパリとした速めの演奏なのだが、各幕の始めと終わりの切れが良く、トスカニーニの強靱な指揮を思わせる。

筆者が理想とするのは『ファルスタッフ』のトスカニーニなのだが、特に第1幕のフィナーレのたたみかけが速くて興奮させられる。

こんな印象は、他のどの指揮者からも受けたことはない。

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classicalmusic at 15:29コメント(0)モーツァルトショルティ 

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本盤に収められたヴェルディの歌劇「椿姫」は、ショルティの最晩年のコヴェント・ガーデン王立歌劇場での公演の歴史的な映像記録及びライヴ録音(1994年)である。

同オペラには、トスカニーニなどのイタリア系の指揮者以外の名演が殆ど遺されていない。

クライバー&バイエルン国立歌劇場管弦楽団ほかによる名演(1976〜1977年)が掲げられる程度であり、ヴェルディやプッチーニなどのイタリア・オペラを得意としていたカラヤンも、歌劇「椿姫」を苦手にしていた。

それだけに、カラヤンと並ぶ20世紀後半の偉大なオペラ指揮者であったショルティの双肩にかかる重責は極めて大きいものがあったと言えるところであり、本盤の演奏によって、ショルティはその重責を見事に果たした言えるだろう。

半世紀近くにもわたって様々なオペラを演奏・録音してきたショルティの事績の総決算とも言うべき至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。

ショルティの指揮は、切れ味鋭いリズム感とメリハリの明朗さが信条と言えるが、1990年代に入って最晩年にもなると、その指揮芸術にも円熟味が加わり、懐の深さが演奏にもあらわれてくるようになった。

マーラーの交響曲の演奏においては、そうした円熟は、かつてのショルティの演奏にあった強烈無比な凄味を失わせることになり、一般的な意味においては名演ではあるものの、今一つの喰い足りなさを感じさせることになったが、その他の楽曲、とりわけオペラの演奏においては、円熟が見事にプラスに作用することになっていると言えるだろう。

ヴェルディのあらゆるオペラの中でも、最も美しい抒情的な旋律に満たされた同曲を、ショルティは明朗に描き出している。

かつてのショルティのように、力づくの強引さは皆無であり、音楽そのものの美しさをそのまま語らせるような演奏に徹している。

まさに、人生の辛酸を舐め尽くしてきた巨匠ならではの大人(たいじん)の至芸と言った趣きがあると言えるところであり、これぞ数々のオペラ演奏を成し遂げてきたショルティの老獪とも言える熟達の至芸が刻印されているとも言えるだろう。

歌手陣も、オペラを知り尽くしたショルティならではの絶妙なキャスティングであり、主役のヴィオレッタ・ヴァレリー役にルーマニアの新鋭アンジェラ・ゲオルギューを抜擢したのが何よりも大きい。

そして、アンジェラ・ゲオルギューも、ショルティの期待に応え、迫真の名唱を披露しているのが本名演の大きなアドバンテージの一つである。

また、アルフレード役のフランク・ロパード、ジェルモン役のレオ・ヌッチ、フローラ役のリー=マリアン・ジョーンズなどの豪華な歌手陣、そしてコヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団がショルティの熟達した統率の下、圧倒的な名唱を披露しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

映像も鮮明であるし、音質も、英デッカによる見事な高音質録音であるのも素晴らしい。

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classicalmusic at 07:04コメント(0)ヴェルディショルティ 

2022年11月17日


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クラシック音楽史上最高の黄金コンビとも謳われたカラヤン&ベルリン・フィルも、1982年のザビーネ・マイヤー事件を契機として、修復不可能にまでその関係が悪化した。

加えて、カラヤンの健康状態も悪化の一途を辿ったことから、1980年代半ばには、公然とポストカラヤンについて論じられるようになった。

カラヤンは、ベルリン・フィルを事実上見限り、活動の軸足をウィーン・フィルに徐々に移していったことから、ベルリン・フィルとしてもカラヤンに対する敵対意識、そしてカラヤンなしでもこれだけの演奏が出来るのだということをカラヤン、そして多くの聴衆に見せつけてやろうという意識が芽生えていたとも言えるところである。

したがって、1980年代半ば頃からカラヤンの没後までのベルリン・フィルの演奏は、とりわけポストカラヤンの候補とも目された指揮者の下での演奏は、途轍もない名演を成し遂げることが多かった。

そのような演奏の一つが、本盤に収められたモーツァルトのレクイエムであると言える。

ムーティは、先輩格のジュリーニやライバルのアバド、マゼール、ハイティンク、小澤などと同様にポストカラヤンの候補と目された指揮者の一人であり、そうしたムーティとベルリン・フィルが1987年に録音した演奏がそもそも悪かろうはずがない。

それどころか、もちろんムーティは実力のある指揮者ではあるが、当時の実力をはるかに超えるとてつもない名演に仕上がっていると高く評価したい。

いずれにしても、このコンビによるブルックナーの交響曲第4番のスタジオ録音(1986年)、マゼールとのブルックナーの交響曲第7番のスタジオ録音(1987年)、アバドとのヤナーチェクのシンフォニエッタのスタジオ録音(1987年)、小澤とのチャイコフスキーの交響曲第4番(1988年)など、当時のベルリン・フィルの演奏は殆ど神業的であったとさえ言えるところだ。

それはさておき、本演奏は素晴らしい。

最近では円熟の指揮芸術を聴かせてくれているムーティであるが、本演奏の当時は壮年期にあたり、生命力に満ち溢れた迫力満点の熱演を展開していたところである。

ところが、本演奏は、むしろ近年のムーティの演奏を思わせるような懐の深さや落ち着きが感じられるところであり、あたかも円熟の巨匠指揮者が指揮を行っているような大人(たいじん)の至芸を感じさせると言えるだろう。

ベルリン・フィルの重量感溢れる渾身の演奏もそれを助長しており、演奏全体としては、同曲最高の超名演とも呼び声の高いベーム&ウィーン・フィルほかによる演奏(1971年)にも比肩し得るほどのハイレベルの演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

前述のブルックナーの交響曲第4番と同様に、当時のムーティとしては突然変異的な至高の超名演と言えるところであり、その後、ムーティが現在に至るまで、モーツァルトのレクイエムともども2度と再録音をしようとしていない理由が分かろうというものである。

いずれにしても、本盤の演奏は、カップリングのアヴェ・ヴェルム・コルプスともども、ムーティ&ベルリン・フィルがこの時だけに成し得た至高の超名演と高く評価したい。

独唱陣も見事であるし、世界最高の合唱団とも称されるスウェーデン放送合唱団やストックホルム室内合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

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classicalmusic at 23:22コメント(0)モーツァルトムーティ 

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若き日のピリスによる素晴らしい名演だ。

ピリスは、ショパンのピアノ協奏曲第1番をクリヴィヌ&ヨーロッパ室内管弦楽団とともにスタジオ録音(1997年)、ピアノ協奏曲第2番をプレヴィン&ロイヤル・フィルとともにスタジオ録音(1992年)している。

それらはいずれも見事な名演として高く評価されるべきものであるが、本盤に収められた演奏も、それら後年の演奏にはない初々しさや清新さに満ち溢れた独特の魅力があると言えるのではないだろうか。

ピリスの本演奏におけるアプローチは、後年の演奏のように必ずしも楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫りの深い表現を行っているわけではない。

むしろ、若さの成せる業とも言える側面も多分にあると思われるが、両曲の随所に聴かれる詩情に満ち溢れた美しい旋律の数々を、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで美しく描き出していくというものである。

その演奏は純真無垢とさえ言えるものであり穢れなどはいささかもなく、あたかも純白のキャンバスに水彩画を描いていくような趣きさえ感じさせると言えるだろう。

もっとも、ピリスのピアノ演奏は、若き日の演奏と言えども、各旋律の表層をなぞっただけの美しさにとどまっているわけではない。

表面上は清澄なまでの繊細な美しさに満ち溢れてはいるが、その各旋律の端々からは、ショパンのピアノ曲において顕著な望郷の思い、人生における寂寥感のようなものが滲み出してきている。

加えて、どのような哀愁に満ちた旋律に差し掛かっても、いわゆるお涙頂戴の哀嘆調には陥ることなく、常に気品と格調の高さをいささかも失わないのが素晴らしい。

指揮者のジョルダンも、こうしたピリスのセンス溢れる見事なピアノ演奏を巧みに引き立てつつ、二流のオーケストラとも言うべきモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団をしっかりと統率して、好パフォーマンスを発揮しているものと評価したい。

なお、当盤は、先般SACD化されて好評のようであるが、この従来盤でも十分鑑賞に耐え得る音質と言えるところである。

いずれにしても、本演奏は、若き日のピリスが、その前途洋々たる将来性を世に知らしめるのに貢献した素晴らしい名演として高く評価したい。

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classicalmusic at 15:23コメント(0)ショパンピリス 

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ルービンシュタインというピアニストはレパートリーが比較的広く、必ずしもショパンのスペシャリストを志していたのではなかった。

ただ筆者個人にとっては、ルービンシュタインを聴くということは、まずもって彼のショパンを聴くということであった。

非常に長い演奏活動をやってのけたルービンシュタインは、録音でもさまざまなショパンを残したが、そのうち筆者が最も惹かれるのは、1930年代のそれである。

現在から離れて仰ぎ見るから一層偉大に見え、憧れがより強くなるのかも知れないが、それはそれとして筆者が1930年代のルービンシュタインのショパンにこだわるのは、この時代の緊張した雰囲気(1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻により第2次世界大戦が勃発。ルービンシュタインの祖国、そしてショパンの祖国でもあるポーランドは、ドイツとソ連に分割され、再び地図上から消えてしまった)を、ルービンシュタインが大なり小なり受け止め、それを演奏に反映させていたと考えるからに他ならない。

このように1930年代のショパンの録音は、ポーランド出身のユダヤ人の当時の心境をよく表しているのではないか。

祖国を離れて外国で演奏するというのは、ショパンが置かれていたシチュエーションに非常によく似ている。

つまりルービンシュタインがその一員であったユダヤ系ポーランド人、及びポーランド共和国を取り巻いていた険悪な政治状況が、1930年代に壮年期であったルービンシュタインの演奏・録音に、心理的に投影されていると考えるのである。

この時期の演奏・録音からうかがえるように、ルービンシュタインはショパンを晩年のそれよりも、はるかに躍動的に表現していた。

洗練された都会的な手法でショパンが自作の中に封じ込めておいた激情や憂愁が、いかにも即興的に、といっても巧妙なる計算がなされているに違いないのだが、そうした計算を聴き手に少しも気付かせることなく再現される。

テンポ・ルバートを活用して、ロマンティックというのか、それともポーランド風というのか、そんなショパンの世界が微に入り細に分け入って表出される。

それは、まことにニュアンスに富んだショパンであり、かつ動的なショパンであった。

ショパンの感情の揺れが手に取るように再現されており、ショパン弾きとしてのルービンシュタインの才能に脱帽せざるを得ない。

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classicalmusic at 06:56コメント(0)ショパンルービンシュタイン 

2022年11月16日


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若き日の自信にあふれたコチシュが、自国の作曲家の作品に見せる鋭い感性が眩しく、余裕すら感じさせる名盤。

コチシュは、バルトークを得意とし、指揮者として、そしてピアニストとしても数々の演奏を行っており、CDも数多く発売されているが、本盤は、来日時に収録を行った若き日の名演である。

バルトークは、盟友のコダーイとともに、ハンガリー(及びその周辺諸国)の民謡採集を行い、それを自分のものとして昇華したうえで、様々な自作に活かしていった。

特に、バルトークの場合、ピアノ作品に、そうした作風が顕著にあらわれていると言える。

コチシュの演奏は、決して個性をひけらかすようなものではなく、むしろ、正統派のアプローチと言える。

もちろん、卓越した技量は持ち合わせているのだが、それをベースとして、バルトーク特有のハンガリーの民謡の語法が散見される各曲を、情感豊かに描き出していく。

実にリズミカルな運動性の中に、バルトークの歌がさりげなく、しかも十分に歌われており、音の響きは鋭く研ぎ澄まされ、透明であるのが効果的だ。

アプローチが正統的であるが故に、聴き手はゆったりとした気持ちで、バルトークの音楽の美しさ、素晴らしさをダイレクトに満喫することができる。

特に、「3つのハンガリー民謡」や「古い踊りの歌」は、そうしたコチシュのアプローチが楽曲と見事に符合し、感動的で清澄な名演に仕上がっている。

他方、「組曲」や「ピアノ・ソナタ」は、若きコチシュならではの勢いのある生命力と卓越した技量が全面に出た豪演と言える。

このCDは、コチシュの代表盤となる1枚だろう。

Blu-spec-CD化によって、音質が実に鮮明になったのも素晴らしい。

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classicalmusic at 23:07コメント(0)バルトーク 

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素晴らしい演奏だ。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、いずれ劣らぬ名演揃いであるが、本盤に収められた「インヴェンションとシンフォニア」も実に素晴らしい。

収録順も、他の大方のピアニストのように第1番からの順番ではなく、グールドなりに考え抜かれた順番に並び替えられており、こうした点においても、グールドの同曲への並々ならない拘りが感じられるところだ。

同曲は、もともとはバッハによる教育用の音楽と考えられていたところであるが、グールドによる個性的な演奏によって、他の鍵盤楽曲と同様の一流の芸術作品として見られるようになったとも言えるだろう。

それにしても、演奏は超個性的。

グールドの演奏の場合は、次の楽曲においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、聴き手を片時も退屈させないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、「ゴルトベルク変奏曲」をはじめとしたグールドによるバッハの鍵盤楽曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないだろうか。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハの鍵盤楽曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハの鍵盤楽曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハの鍵盤楽曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の「インヴェンションとシンフォニア」の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、数年前にBlu-spec-CD化がなされ、これによってピアノの音に比較的柔らかさが宿ったとも言えたが、先般、ついにSACD化が行われることにより、さらに見違えるような良好な音質に生まれ変わった。

残念ながらシングルレイヤーではないが、音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1964年という録音年代を考えると殆ど驚異的であるとさえ言える。

いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 15:20コメント(0)バッハグールド 

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時代を超えた先鋭的な響きが存分に表出された、スラットキン渾身の名演だ。

アメリカの名指揮者、レナード・スラットキンが手塩にかけて育て上げたセントルイス交響楽団はRCAに数多くの録音を残しており、それらの中でもロシア音楽との相性の良さは周知の通り。

スラットキンはセントルイス響時代に、ショスタコーヴィチの交響曲を4曲、RCAに録音している。

1986年に第5番、87年に第10番、88年に第8番、そして89年に第4番という順序で録音された。

1986年から1989年にかけてスラットキンが毎年1曲ずつ録音したショスタコーヴィチの交響曲4曲の中で、なぜか唯一国内でリリースされなかったのがこの第4番。

ショスタコーヴィチの交響曲の中で最大の編成で書かれ、マーラーなどの影響を強く受けた先鋭的な作風の故に、作曲から初演まで25年を要したこの大作を、スラットキンが渾身の力を込めて先鋭的な大作を、明晰な指揮で描出している。

スラットキンとセントルイス響のショスタコーヴィチ作品の解釈・演奏は、華麗というかきらびやかというか、オーケストラの高度な技術も相俟った流麗な響きは特色である。

作曲者の置かれた政治的・社会的状況を背景に捉えると「これはショスタコーヴィチではない」という向きもいるかもしれないが、この作品の複雑な内容を整理し、堅実な解釈を施した演奏は、オーケストレーションというものの魅力を余すことなく堪能させてくれる。

確かに演奏レベルはピカイチで、あまり深刻になりすぎず、洗練された演奏が繰り広げられている。

過去のレビューにも記したように、同曲には、ラトル、ゲルギエフ、チョン・ミュンフンの録音が3強と言えるが、当盤は、この難解な傑作の入門の役割を果たすディスクとして、高く評価しても良いのではないかと考える。

第1楽章のフーガ〜プレストの難所(見せ場)は特に見事で、この時代のセントルイス響の弦楽器パートのアンサンブルの優秀さを実感する。

デジタル録音の技術も練れてきた頃のレコーディングであり、録音の素晴らしさも、この作品のテクスチュアを捉えるのに大きく寄与している。

再販終了となる前に、早めに入手されることをお薦めしたい。

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classicalmusic at 06:52コメント(0)ショスタコーヴィチ 

2022年11月15日


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20世紀最後のロマン派ピアニストと呼ばれていた、ホルヘ・ボレットの演奏によるリスト名演集を収録した、1972〜73年録音盤。

伝説的なピアニスト、ボレットの思わず聴きたくなる名盤の一つで、後年の英デッカへの一連の演奏・録音より音色がより明るく、ロマンティックな情感が瑞々しく漲っている作品集であり、英デッカ盤を持っているファンにも是非聴き比べてもらいたい名盤と言えよう。

まず、音色がとても綺麗で、基本に忠実、中身が濃い演奏内容ありながらも滑らかな流れの演奏だ。

曲の解析は原曲に忠実であるため、オーソドックスでありながら嫌味がない。

なかでも、「スペイン狂詩曲」が、冴えたリズム感と技巧を堪能できる名演。

「愛の夢」や「ラ・カンパネラ」といったポピュラーな曲でも、そのグランドマナーに彩られたピアニズムが心にしみわたってくる。

リストはピアノの魔術師と言われているが、演奏会は常に超満員だったそうだ。

作曲よりも、ピアノ編曲に熱心だった時期が長く、有名な曲を作り変えてしまうのであるが、果たしてそんなことをしてもいいのか、という議論が起きたそうだ。

シューマンがその著書でリストを擁護しており、良いか悪いかは、聴衆が決める、と論じていた。

リストの名曲というと、作曲家自身もややするとそうであったように、とかく技巧一辺倒に陥りがちである。

しかし、ボレットの演奏はどうであろう。

リストが、まごうことなきロマン派の大巨匠であることが、ひしひしと伝わってくるではないか。

「溜め息」のアルペジオの鮮やかさや「森の囁き」の幻想味はもとより、「愛の夢」や「ラ・カンパネラ」といった超名曲でさえ、紡ぎ出される音楽は上質そのもので、有名な英デッカ盤を遥かに凌ぐ華麗かつ繊細な表現である。

リストはロマン派時代の音楽家なので、19世紀の流れを汲むロマンティックなヴィルトゥオーゾ・ピアニストと称されていたボレットには、リストに対しては特別な思いがあったようだ。

おそらく聴く人は、そのことを1曲目の「愛の夢」で、納得がいくであろう。

凡人には決して辿り着くことのできない深遠な境地を極めたピアニストだけに可能な演奏だと思う。

なお、このアルバムは構成がかなり凝らされており、センスの良い企画で、工夫してリストの曲集を組んだような気がする。

オリジナルの音源が良かったのもあろうが、ルビジウム・クロックジェネレーター使用最新カッティングを施したリマスターも成功のようで、微妙なタッチの差を明瞭に捉え切る録音は優秀そのものと言えよう。

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classicalmusic at 23:11コメント(0)リストボレット 

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ドミトリー・キタエンコのショスタコーヴィチは、一部では爆演のように言われているが全曲鑑賞してみると決して力に任せた熱演という印象は受けない。

むしろ非常に理知的で、作曲家によって細部まで計算された音楽的な効果を冷徹なまでに表現し得た演奏である。

手兵ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の練り上げられた精妙なアンサンブルと総奏の迫力は言うまでもない。

ショスタコーヴィチのオーケストレーションには色彩感が溢れていて聴きどころのひとつだが、このSACD盤の音響効果は特筆される。

第5番『革命』の終楽章の緊張感と最後のティンパニとグラン・カッサの打ち込みは目の醒めるような低音を実現している。

第15番終楽章の中間部のブラス・セクションの咆哮では冷静にバランスを取ったサウンドを聞かせる。

コーダのパーカッションとチェレスタの手に取るような粒だった音質と潤いはSACDならではの真に迫る音響だ。

また第13番『バビ・ヤール』ではアルトニエン・コットチニアンの柔軟なバスの声を得て、かえって悲壮で感性に富んだ表現を可能にしている。

このセットの唯一の欠点は第7番がCD4のトラック4、5とCD5のトラック1及び2に分かれてしまったことだ。

これはカップリングの工夫によって編集できる筈だが、CD12の最後にこの企画についての関係者へのインタビューが17分程度収録されていて、そのために泣き別れ編集になったようだ。

12枚のハイブリッドSACDで、2チャンネル及びサラウンドにも対応している。

このボックスも残念ながら製造中止の憂き目に遭っていて、是非復活を期待したいセットのひとつだ。

ショスタコーヴィチの交響曲全集では唯一のSACDバージョンで、当初の企画から高音質による録音が計画されていた。

このうち第1、4、7、8、11、15番の6曲はライヴ録音だが客席からの雑音や拍手などが混入しないように巧妙に採音されているのも特徴だ。

演奏会場はライヴの方はケルンのフィルハーモニック、セッションはスタジオ・シュトルベルガー・シュトラーセで2002年から2004年にかけて集中的に行われた。

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classicalmusic at 15:05コメント(0)ショスタコーヴィチ 

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カラヤンは、特にお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」についてもその例外ではない。

DVD作品を除けば、ベルリン・フィルとともに本演奏を含め4度にわたって録音(1940、1957、1964、1977年)を行うとともに、ウィーン・フィルとともに最晩年に録音(1985年)を行っている。

いずれ劣らぬ名演であるが、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、カラヤン&ベルリン・フィルが全盛期にあった頃の本演奏と言えるのではないだろうか。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったと言えるが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏は凄かった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもいわゆる豪壮華麗なカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは健在。

冒頭のダイナミックレンジを幅広くとった凄みのある表現など、ドヴォルザークの作品に顕著なボヘミア風の民族色豊かな味わい深さは希薄であり、いわゆるカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏とも言えなくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマの構築によって絢爛豪華に同曲を満喫させてくれれば文句は言えまい。

筆者としては、カラヤンの晩年の清澄な境地を味わうことが可能なウィーン・フィルとの1985年盤の方をより上位の名演に掲げたいが、カラヤンの個性の発揮という意味においては、本演奏を随一の名演とするのにいささかの躊躇をするものではない。

併録のスメタナの交響詩「モルダウ」も、カラヤンが何度も録音を繰り返した十八番とも言うべき楽曲であるが、本演奏も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを伺い知ることが可能な素晴らしい名演だ。

音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言えるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤンによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 06:53コメント(0)カラヤンドヴォルザーク 

2022年11月14日


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昔から定評のあったハイドン作品の演奏で、このセットでは、サー・トーマス・ビーチャムがEMIにセッション録音した『ロンドン交響曲』全曲と、オラトリオ『四季』が収められている。

ハイドンはビーチャムが好んで演奏した作曲家のひとりで、数種の録音がある。

この晩年にディスク大賞を受賞した『ロンドン・セット』も、溌剌とした生気と洗練された表情、ハイドン特有のユーモアなどが非常に魅力的な演奏である。

ビーチャムのハイドンは昔ながらの「パパ・ハイドン」を彷彿とさせるもので、近年はやりのオリジナル楽器による演奏などとは、似て非なるのんびりとして鷹揚なものだ。

しかし独特のユーモアのセンスが光り、そしてどこまでも表現がエレガントである。

古い録音なので使用している楽譜も古く、ランドン版など最新の考証を基にした今日の録音と比べると細部で違いもあるが、時代を超えて愛聴されるべき名盤である。

ビーチャムが指揮するロイヤル・フィルが醸しだすノーブルな香気は、ハイドン演奏の極意を突いている。

現代楽器を使用し、大きな構えで悠然と演奏されるが、奇を衒うような作為は何もしていない。

このような演奏のスタイルは、パーセル、ヘンデル、バッハの演奏においても効果を発揮し、現代楽器によるオーケストラの演奏の魅力がたっぷり味わえる。

しかもハイドンの音楽がテンポと音量において極めて理性的にバランスをとっているので、何度聴いても飽きがこない。

一聴、背筋が伸びるような気品が空間を満たし、どれを聴いても心が幸福感で満たされる春風駘蕩とした優雅なハイドンの名演集である。

こういう音と響きは21世紀には絶対に聴けなくなったし、半世紀以上前の演奏なのに、ナツメロ調には聴こえない。

悪くいえば一面的な演奏だが、ベートーヴェン風に鳴らしたり、モーツァルト風に色付けしたりせずに、また歴史考証が云々といったことも抜きにして、ハイドンをハイドンとして立派に演奏したところが美点だ。

たとえていえば、夏目漱石の書いた「倫敦的」演奏といったところか。

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classicalmusic at 22:56コメント(4)ハイドンビーチャム 

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今後とも長く語り継がれていくべき素晴らしい超名演だ。

世にショパン弾きと称されたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではない。

あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められたショパンのピアノ協奏曲の演奏においても、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭ない。

前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

ルイ・フレモーも、二流の存在とも言うべきモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団を巧みに統率するとともに、フランソワの個性的なピアニズムを見事に引き立てるのに成功している点を評価したい。

併録の2台のピアノのためのロンドは、個性的なフランソワのピアノ演奏にピエール・バルビゼが見事な合わせ方をしており、2人のピアニストの息が合った見事な名演奏と高く評価したい。

いずれにしても、フランソワ、ピエール・バルビゼ、そしてルイ・フレモー&モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団による素晴らしい超名演を高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 14:45コメント(0)ショパンフランソワ 

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国際ブルックナー協会会長も務めたことのあるオイゲン・ヨッフムが1984年3月にベルリン放送交響楽団と共に行ったライヴが収録されている。

ヨッフム得意のブルックナーで、その演奏の魅力は、いまだ色褪せず健在である。

ブルックナーの魅力を、最も直截的に伝えていたのは、カラヤン、チェリビダッケよりもヨッフムだった。

オーソドックスな曲調ながらも、その中にブルックナーの権威であるヨッフムの作品への想いが表れた名演奏である。

ヨッフムはいぶし銀の巨匠となり、ブルックナーの最高権威としてその普及に絶大な貢献をなした。

この演奏も実に味わい深いものがあり、ブルックナーの巨大な音楽構造の中に、人間的な温もりを感じさせる演奏となっている。

そしてその中で、かなりのテンポの変化を設けて情熱的なうねりも聴かせ、ブルックナーがロマン派の作曲家であったことを強く意識させている。

このようにロマン的な配慮も多いにも関わらず全体の造形が崩れないのは、ヨッフムの職人的な技が細部に行き届き、その結果アンサンブルが高度に維持されているからである。

ベルリン放送交響楽団の演奏水準は非常に高く、その鄙びた味わいは東ドイツのオーケストラならではで、この曲にさらなる潤いを与えていることは言うまでもない。

音色にうるさいブルックナー・マニアも唸らせる名演と言えよう。

とあるサイトで「ブルックナーにおいては後期ロマン時代の官能的音楽が要求するような余りに大きいアッチェレランドやリタルダンドを私は戒めたいと思う。テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『ゆりうごく輪』をえがきつつ、ブルックナーの上昇は展開するのである。」と言うヨッフムの言葉が紹介されていた。

彼が1970年代にシュターツカペレ・ドレスデンを率いて完成させた2度目の全集では、テンポを大きく動かし、アッチェレランドやリタルダンドも駆使して、神々しいまでのクライマックスを築き上げる人に変わっていた。

20世紀を代表するブルックナー指揮者の終着点を確認するという意味でも貴重な映像記録である。

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classicalmusic at 06:27コメント(0)ブルックナーヨッフム 

2022年11月13日


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聴衆が不在でしかもカメラはひたすらムラヴィンスキーの指揮ぶりに迫っている。

聴衆不在の映像は、これまでにもいくつか紹介されているが、ここまで執拗に指揮者の動きに迫ったものは一般的にあまり例がない。

これは主に音楽家、特に指揮者を目指す若い人たちのための、いわば教育用として制作されたとの説もある。

ムラヴィンスキーは弟子をとらなかったが、ある時期までは「リハーサルこそ最大の授業である」と語り、学生たちに公開していたこともあったからだ。

そのため、このような〈最終リハーサル〉と思われる映像の制作に対してムラヴィンスキーもその意義を認めていたことは推測できる。

ここでもレニングラード・フィルの一糸乱れぬアンサンブルと尋常ならざる集中力がひしひしと伝わって来る厳格な演奏だ。

オーケストラのパートごとの音色を良く聴いていると、洗練し尽くされたという感じではなく、例えば管楽器の響きには何処か垢抜けないところがある。

中でもトランペットはいくらか余韻に欠けるような気がするが、彼らが一体になると個人の持っている力量が桁違いに増強されて壮絶なサウンドが醸し出されるところが恐ろしい。

それはまさにムラヴィンスキーの半生に亘るレニングラード・フィルへの修錬の賜物なのであろう。

また彼の常套手段でもあるヴァイオリンを指揮者の左右に分けた、いわゆる両翼型の配置から繰り出されるアンサンブルの妙も聴きどころのひとつだ。

チャイコフスキーは甘美で装飾的なエレメントを強調したり管楽器の咆哮を突出させてしまうと、音楽が安っぽくなってしまう。

その点ムラヴィンスキーのモチーフの有機的な繋げ方は見事で、終楽章に向けての着実な準備が第1楽章から感知され、その集中力の持続に全く弛緩がない。

最後に訪れるムラヴィンスキー独特のカタルシスまで鑑賞者を引き離すことがないのは彼のオーケストラへの統率力だけではなく、そこまで着実に聴かせていく徹底した準備と頭脳的で巧みな誘導があることは言うまでもない。

揺るぎない確固たる視点、それを支える絶え間ない努力、情熱、厳しさに頭の下がる思いがする。

言い換えれば、今後、この作品をこれだけ突き詰め、高い次元に持っていく演奏はそう簡単に現れることはないと考えられるのである。

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classicalmusic at 23:04コメント(0) 

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カラヤン(1908-89)はオーストリア生まれで、ベルリン・フィルの終身指揮者として活躍してきたドイツ系の巨匠である。

一方のパリ管弦楽団はフランスの誇りとでも言うべき名門で、旧パリ音楽院管弦楽団が改組されたフランスの知性の誇りのようなオーケストラである。

初代音楽監督ミュンシュのもとで幸先の良いスタートを切ったが、ミュンシュは1968年に急逝してしまう。

二代目の音楽監督がカラヤンに要請されたのだが、夫人もフランス人であるカラヤンはこれを快諾、記者会見では「これで国籍が二つになった」と得意げであった。

ベルリン・フィルの音楽監督として一世を風靡していたカラヤンがパリ管弦楽団の音楽監督にも就任したニュースはファンを驚かせた。

関係は2年で終わるが、このフランクの交響曲は両者が最初に録音に踏み切った記念碑的演奏である。

ドイツ=オーストリア音楽はドイツ系指揮者に、フランスものはラテン系指揮者にといったそれまでの常識を覆した訳だが、演奏内容の素晴らしさはさらに聴き手を圧倒、魅了した。

重厚なる表現を得意とするドイツ系巨匠カラヤンと華麗にして繊細、香り立つような美しさを秘め持つパリ管弦楽団は奇跡にも似た共演を実現、音の宝石のような世界を作り出している。

カラヤンはパワフルな表現力にエレガントな音楽性を加えて名作を艶やかに歌い上げているし、パリ管弦楽団も破格の素晴らしさでそんな期待に最大限の情熱的サウンドで応えている。

洗練された音色と心ときめかす感覚美、漂う香りとほのかな情緒といったものをカラヤンはそれまでなかった次元で引き出すとともに、フランス音楽に重心の大切さといったものを加味した重量級の熱演を披露した。

結果的にフランス音楽をより豊かに、また輝かしく再現していく道を切り開いたのである。

当時のパリ管弦楽団の巧さも特筆すべきで、このほとんど音の媚薬のような演奏には、誰もがうっとりと聴き入ることであろう。

カラヤンとパリ管弦楽団はフランクの交響曲、ラヴェル作品集、ワイセンベルクを迎えてのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音するが、それ以上発展することはなかった。

このベルリオーズの幻想交響曲の名演は、フランス音楽も得意にしたカラヤンならではの貴重な置き土産である。

率直な若々しい表現が、精力的な活動を続けていた当時の演奏様式をよく表している。

すばらしくなめらかな肌ざわりと美しい光沢で仕上げられた、オーケストラのタペストリーと言える。

スコアのすみずみまで音に表し、ベルリオーズの管弦楽法の効果が鮮やかに表現された、スケールの大きい演奏で、充分に練り込まれた色彩と響きの充実で聴く者を魅了する。

交響曲というよりは、交響詩風に展開していくのは、作品の上で当然の帰結だろう。

映像・録音も《幻想》をかなり意識したとり方であるが、空間的な広がりや色彩の微妙な変化が絶妙で、カラヤンならではの演出である。

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classicalmusic at 13:50コメント(0)カラヤンベルリオーズ 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

よろしくお願いします(__)
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