2022年11月

2022年11月13日


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1967、68年 ニューヨーク、コロムビア30番街スタジオ及び1971年4月18日 トロント、イートンズ・オーディトリアムで録音(グールド41枚目のアルバム)。

我が国では1972年にリリースされたバードとギボンズのヴァージナル名曲選に加え、1964年、カナダCBC放送のTV番組用に収録されたスウェーリンクの「ファンタジア」が聴ける。

まるで『バッハ以前の作曲家たち・バードとギボンズのコンサート』と名付けたくなるようなコンサートの一夜をアルバムで再現しているかのような作品である。

グールドといえばバッハの印象があまりにも強いが、バッハの曲以外にも数多くの名演が存在する。

まず、バッハに代表されるバロック音楽以前の、ルネッサンス期の曲をピアノで見事に弾ききった傑作として、本作は真っ先に推薦に値する。

スティングの「ラヴィリンス」やセルシェルの「ルネサンス・リュート曲集」でダウランド等のルネッサンス期作曲家の曲の静謐な響きに心惹かれた人は必ずや本作を気に入るだろう。

輝かしい調子の曲もあるが、総じて落ち着いたしっとりとした味わいの曲が多く、静かな夜を落ち着いて過ごすのに最適の作品集の1つである。

このバッハ以前の音楽を聴いて思うのはグールドが求めたのは、曲に対するアレンジの自由度ではなかったかと思える。

今ではバッハはジャズのミュージシャンに多く取り上げられ、自由なアレンジで演奏される。

それが後期ロマン派の曲ではその自由度がなかったので、グールドは評価しなかったと筆者は考えている。

この時期グールドは、カナダ東部のノバスコシア地方を旅行したときに、列車のクラブカーのなかでウィリアム・フォーリーと知り合い、彼から『草枕』を知り以後漱石に傾倒していった頃だ。

筆者はいつも『草枕』の冒頭と重ねながらこの作品を聴いてしまう。

グールド以外の誰がこのような録音を残すことができたであろうか。

これを退屈と感じる人もいるかもしれないが、その抑制された演奏は終始宗教的な美しさに満ちており、引き込まれる。

特にスウェーリンクのファンタジアの音源は、前述のようにTV放送で、ビデオのコレクションにも収録されているが、演奏中の雰囲気も静謐で、祈りのようである。

このディスクは、グールドならではの創造性という点で、バッハの「インヴェンションとシンフォニア」に並ぶ素晴らしさだと評価したい。

対位法作品に表れたグールドの創造力の新しさが、改めて認識されるのである。

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classicalmusic at 06:10コメント(0)グールド 

2022年11月12日


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「24の前奏曲」は実に素晴らしい名演で、ボレット特有の煌びやかな音色がショパンのプレリュードと完全に融合している。

洗練されたピアノ技法と多彩な曲想で評価の高いこの作品を、ボレットは、ヴェテランらしいゆとりに満ちた表情と美しいタッチで、詩情豊かに曲の本質を再現している。

「24の前奏曲」をボレットは、いわば八分の力で弾き進める。

それはこの小曲集をいかに弾くかを心底心得た演奏であり、格段大きな身ぶりはないが、1曲1曲の演奏からは詩情がにじみ出る。

その響きはあくまでもクリアーだが、それぞれの音が呼吸しているのが感じられる、そんな演奏である。

それぞれの曲は心憎いほどの間で次々と受け渡されていき、聴き手は1巻の絵巻物を見てるような境地へ誘われる。

悲しみを秘めた曲では、その悲しみをより深く心に響かせる。

もちろん、明るい曲では、その明るさをより強く輝かしく聴かせてくれる。

そして全体をひとつの大きな流れとして捉え、その中で各曲のキャラクターを鮮明に描き出した、語り巧者なものと言えよう。

ボレットはピアノという楽器を信頼して、その機能を最大限に発揮させようとする、ピアノ音楽好きを満足させるスタイルである。

1974年のライヴよりも数段円熟した味わいになっていて、ボレットが残した最良のディスクの1つと言えるものである。

前進するだけでなく、一歩一歩踏みしめながら、かつ流麗でロマンティックな表現に事欠かない演奏を聴かせるボレットの晩年に到達した境地が味わえる。

フランソワとは全然別の意味で粋な演奏と言えるのではないだろうか。

大家らしいスケール大きな表現で、名人気質を存分に発揮した華麗な演奏と言うべきである。

このディスクには、「24の前奏曲」のほかにノクターンが4曲収録されているが、このノクターンも上品で、限りなく美しい。

ひとつひとつの音が心に響いてきて、深い感動を与えてくれる。

特に、高度なテクニックを備えてなければ弾きこなすことが出来ないと言われている第8番が素晴らしい。

美しい音色を追求し続けたボレットにしか表現できない世界が堪能できる1枚だ。

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classicalmusic at 23:11コメント(0)ショパンボレット 

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本CDはシューリヒトがフランスで指揮した最後の演奏会の貴重な記録で、幸いにもステレオで残されていた。

1965年6月15日、パリ・シャンゼリゼ劇場でのライヴ録音であるが、スタジオ録音かと聴き間違うばかりの高音質で、しかもステレオ収録、と音質面では全くマイナス要素を感じさせないものとなっている。

当演奏の「第9」正規盤は初めてで、長年待ち望んでいたものである。

フルトヴェングラーのバイロイトの「第9」をはじめとして、この曲は名演揃いであるが、その中にこのシューリヒトのライヴ盤が加わったのは喜ばしい限りである。

この演奏は、とても端正なものとも言えるが、それでも情熱にあふれ、とても85歳の老指揮者によるものとは思えない素晴らしいものである。

比較的速いテンポ設定で一気呵成に駆け抜けて行く、という側面もあるが、一つ一つの音に生命が吹き込まれ、凡庸に流れて行くところは皆無である。

シューリヒトは時折、大胆なアゴーギクを用いて聴くものの度肝を抜くようなところがあったが、この演奏ではそういったところは皆無。

折り目正しくも、僅かにテンポを揺らしながら、聴く者の脳裏に音符を刻み込んで行く。

ライヴならではの瑕疵も若干見受けられるが、これは名演の代償の類と言えるものであり、この演奏のマイナス要素とは一切なっていない。

シューリヒトは、この演奏以後体調を崩したというが、消えゆくローソクが最後に明るく燃え上がったような感銘を受けた。

この演奏の素晴らしさを理解できない批評家は、木を見て森を見ていないと言わざるを得ない。

個人的にはシューリヒトの「第9」のベスト・パフォーマンスにしたい。

カップリングは同じくベートーヴェンの交響曲第1番で、この曲は当日の公演の前プロで演奏されたもの。

「第1」はかつて、ディスクモンテーニュ盤で聴くことができたが、こちらも素晴らしい演奏で、名演名盤が沢山あるが、この演奏もそれら名盤の列に加えても全く遜色の無い演奏内容となっている。

是非、一聴をお薦めしたい。

オリジナル・マスターから復刻されたのは今回が初めてであり、この2曲ともに正規のスタジオ録音並みの鮮明なステレオというのが何よりも嬉しい。

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classicalmusic at 15:07コメント(0)ベートーヴェンシューリヒト 

2022年11月11日


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いささかも奇を衒うことがないドイツ正統派の堂々たる名演だ。

今では解散してしまったアマデウス弦楽四重奏団であるが、約40年間にわたってメンバーが一度も入れ替わることなく、伝統の音、音楽を守り続けてきたのは、弦楽四重奏団としても極めて稀な存在であったとも言えるだろう。

それだけに、ヴィオラ奏者であったシドロフの死去によって解散となったのは当然の帰結と言えるのかもしれない。

また、そうしたアマデウス弦楽四重奏団の主要なレパートリーは、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどの独墺系の作曲家の楽曲であったのは当然のことであり、前述のように、まさにドイツ正統派とも言うべき名演の数々を成し遂げていたところだ。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、弦楽四重奏団にとっては名刺代わりの楽曲であり、その後に活躍したアルバン・ベルク弦楽四重奏団やタカーチュ弦楽四重奏団など、個性的かつ現代的な解釈による名演が続々と登場してきている。

そうした演奏と比較すると、強烈な個性にはいささか乏しい演奏と言わざるを得ないところだ。

しかしながら、楽想を精緻かつ丁寧に描き出し、誠実に音楽を紡ぎだしていくというアプローチは、ベートーヴェンが作曲した両曲の魅力をダイレクトに表現するのに大きく貢献しているとも言えるところである。

あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちにさせてくれる演奏とも言えるところであり、このような、古き良き伝統に根差したとも言える正統派の演奏を奏でてくれる弦楽四重奏団がなくなってしまったことを残念に、そしてある種の郷愁を覚える聴き手もおられるのではないだろうか。

若干、時代は下るが、チェコのスメタナ弦楽四重奏団のアプローチにも通底するものがあると言えるが、そうしたスメタナ弦楽四重奏団の演奏に、ドイツ風の風格を付加させた演奏と言えるのかもしれない。

今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化に際しては、アマデウス弦楽四重奏団にとって唯一の全集から、後期の傑作である第14番と中期の傑作である第7番が抜粋してカップリングされたが、残る諸曲についても同様に高音質化を期待する聴き手は筆者だけではあるまい。

それにしても、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって素晴らしい高音質になったのは大変喜ばしいところだ。

1950年代末〜1960年代初めの頃のスタジオ録音であり、さすがに最新録音のようにはいかないが、音質の鮮明さ、音圧、音場の拡がりのどれをとっても一級品の仕上がりであり、各奏者の弦楽合奏が艶やかに、なおかつ明瞭に分離して再現されるなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、アマデウス弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:47コメント(0)ベートーヴェン 

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このモーツァルト:ピアノ協奏曲第9番「ジュノーム」の演奏を最後に全てのコンサート活動から引退したピアニスト、アルフレッド・ブレンデルの演奏活動60年の集大成とも言えるライヴ盤である。

ブックレットにはブレンデル自身によるファンへのメッセージとリサイタルの楽曲解説、協奏曲で指揮者を務めたマッケラスのメッセージ、ウィーン・フィル楽団長ヘルスベルクのメッセージを掲載している。

最初に触れておきたいのはある『伝説』である。

それは名ピアニストは同じ誕生日を持ち11年ごとに現れる、というものだ。

アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(Arturo Benedetti Michelangeli, 1920年1月5日 - 1995年6月12日)
アルフレッド・ブレンデル(Alfred Brendel, 1931年1月5日 - )
マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini, 1942年1月5日 - )

この3人は誕生日が同じで11年違いなのだ。

いずれも劣らぬ最高レベルのピアニストである。

そしてこの引退公演の曲目を見て、最後にブレンデルの弾きたかった曲というのがよく分かる気がする。

なんという、優しい「ジュノーム」なんだろう。

モーツァルトの初期作品であるこのコンチェルトは、確かに愛すべき、チャーミングな作品ではあるが、ウィーン時代の後期名作コンチェルトと比べると、よく言えば屈託のない、悪く捉えれば、他愛のない作品といえる。

いままで聴いた演奏の中で、これほど愛情に満ち、優しく弾かれたことはかつてなかったように感じる。

それは、指揮者のマッケラス以下、ウィーン・フィルの団員が去り行く名手を惜しみ、限りない愛情と共感を覚えて演奏しているからに他ならない。

以下、ハイドンから始まりシューベルト、バッハにいたる独奏曲においても、なにか大切な宝物を置いて、去ってゆかなければならない、そんな惜別の念がひしひしと伝わり、一音一音慈しむように弾いているブレンデルの姿が浮かぶようで、アンコールのシューベルトを聴いていて思わずほろりとさせられた。

特に、シューベルトでもピアノ・ソナタ第21番を弾きたい、聴かせたいというのが強く出ている気がした。

この偉大なピアニストのラスト・アルバムにジーンとした。

「いままでありがとう、ブレンデル。今後は後進の指導に期待しています」と、素直に感謝できる、極上の演奏の記録だと思う。

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classicalmusic at 15:31コメント(0)ブレンデルマッケラス 

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鍵盤の師子王と呼ばれたバックハウスと若き日に強烈無比な演奏をしていたショルティというとんでもなく衝撃的な顔合わせのケルンでのライヴ録音の登場だ。

バックハウスが残した『皇帝』協奏曲には3種のセッション録音の他にもシューリヒトやクナッパーツブッシュとのライヴ録音があったが、これにまだ少壮であったショルティとの爽快な共演が加わった。

バックハウスが72歳(1884年3月生まれ)、1956年の『皇帝』は、まだ43歳で血気盛んなショルティ(同年ザルツブルク音楽祭にデビュー)との願ってもない顔合わせで、衰え知らずその一歩もゆずらぬやりとりからライヴの醍醐味ここに尽きるといった感で屈指の聴きもの。

ピアノ協奏曲はピアノのためにあるのだとつくづく感じさせる演奏でもあり、バックハウスの巨大な度量は計り知れない。

録音当時バックハウスは年齢的には老年期であったが、最晩年の枯淡の境地に至る前の最円熟期の演奏と言えるものであり、そのピアノの鳴りっぷりの良さは燦然たる素晴らしさだ。

ベートーヴェンを知悉し尽した境涯から生まれる即興性は、なるほどと唸らざるを得ない。

当時頭角をめきめきとあらわしつつあった生気のあるショルティの演奏もさわやかな白熱ぶりで楽しく、その指揮ぶりは、筆者の好む、アシュケナージ、シカゴ響との録音を思い出させる新鮮でエネルギッシュなもの。

バックハウスはこれから3年後に、S=イッセルシュテット&ウィーン・フィルとかの有名なデッカ録音を残すことになるのだが、この時期にかくも立派な演奏が繰り広げられていたとは!

魔性の魅惑を備えた演奏ではないが、王道を行く名演のひとつと言えるものであり、久しぶりに『皇帝』らしい『皇帝』を聴いた満足感に満たされた。

また、2度目のスタジオ盤全集中の録音と同じ年にあたる『ワルトシュタイン』ソナタのライヴでは揺るぎない打鍵が圧倒的に素晴らしく、堅牢な構築美と風格ある技巧で強い感銘を与える名演だ。

バックハウスによる不滅のベートーヴェン演奏が味わえる。

ショパンのエチュードはSP時代に決定的名盤を残したバックハウスの切り札なのだが、実演ではこれが唯一の記録だろう。

演奏は取り立てて評するところはないが、曲間で指慣らしの和音を挿入して、次の曲の調性へ誘うバックハウスならではの余興があるのが乙だ。

ショパンを除くすべて、WDRのオリジナル・マスターからの復刻でやはりこの年代としては驚異的な音質で蘇ったことも大きな収穫である。

これは筆者にとって貴重な1枚となった。

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classicalmusic at 08:09コメント(0)バックハウスショルティ 

2022年11月10日


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バックハウスが1950〜54年に録音したベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集のモノラル録音は、録音史上における最大の芸術的遺産の一つと断言する事に筆者は躊躇しないが、その録音を補完して、彼のライヴにおける姿を知る為にもうひとつ重要な録音が、この1954年に録音された、「カーネギー・ホール・リサイタル」である。

ステレオ録音でしかバックハウスを知らない人は、この録音を聴くと大いに驚く事であろう。

ここに聴くバックハウスの姿は、まさに即興性の塊で、インテンポの中に絶妙な揺らぎや加速などが交錯する事によって、生々しい一期一会の芸術的神秘、音楽の迫真性を獲得している。

これこそがバックハウスの芸術の真髄だったのだ。

このディスクの中でも特に第32番の演奏は、20世紀最大のベートーヴェン解釈者としてのバックハウスの最高の記録であると筆者は断言したい。

第32番はベートーヴェンの晩年屈指の名曲として知られており、通なクラシックファンの間で同曲を溺愛する人が決して少なく事を筆者は承知しているが、おそらくそういう人たちもこのバックハウスの解釈を聴くと間違いなく仰天することだろう。

 第1楽章は8:10、第2楽章は13:25であるが、問題は第2楽章であり、これ程、演奏時間が短い同曲の演奏は殆ど皆無だ。

なぜこれ程短いのかと言うと、前半のアダージョが次第に加速を帯びて途中から完全にアンダンテになっているからである。

これは同録音のみならず、他日の録音にも聴かれるバックハウスの同曲に対する一貫した解釈なのであるが、これについては「弾き飛ばし」であると批難する声が一般にあるのを筆者ならずとも耳にすることであろう。

しかし、ここにこそ、バックハウスの本質があると言って良い。

バックハウスはこの曲について、多くのピアニストが第2楽章前半のアダージョ部で表現しようとする「人間的な感情への沈潜」を徹底的に拒否しようとしているのではないだろうか。

人間的感傷を吹き飛ばして、一気に天の高みに飛翔する事こそがバックハウスが同曲に見出したベートーヴェンの姿であったと、この演奏を聴くと理解される。

ベートーヴェンの第32番に興味のある人、またバックハウスのベートーヴェン解釈に興味ある人には必聴の録音であるとお薦めしたい。

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classicalmusic at 23:14コメント(0)バックハウスベートーヴェン 

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ドホナーニは、かつてのニキシュにはじまり、その後、多くの大指揮者を生み出したハンガリー人指揮者の系譜に連なる指揮者である。

マゼールの後任として、かつてセルが世界一流のオーケストラに育て上げたクリーヴランド管弦楽団の首席指揮者に就任し、数々の名演を生み出したことは、今なお記憶に新しいところだ。

もちろん、ドホナーニほどの指揮者だけに、ドホナーニはクリーヴランド管弦楽団以外のオーケストラとともに名演を遺している。

本盤に収められたウィーン・フィルとのスタジオ録音も、そうしたドホナーニによる貴重な名演である。

巷間、ドホナーニとウィーン・フィルの相性は必ずしも良くなかったと言われている。

その理由は定かではないが、特に、ドイツ系の音楽を指揮する際には、ウィーン・フィルの楽員の反応が芳しくなかったようだ。

さすがにショルティほどではないものの、ドホナーニの知的とも言うべきアプローチが、ウィーン・フィルの演奏志向と必ずしも一致しなかったということは容易に推測できるところである。

しかしながら、本盤に収められたストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」のような、オーケストレーションの華麗さを売りにした楽曲や、いわゆるお国ものとも言うべきバルトークのパントマイム「中国の不思議な役人」のような楽曲においては、ドホナーニの知的なアプローチが、演奏全体を引き締まったものとしている。

さらにウィーン・フィルの美質でもある美しい響きが演奏を冷徹なものに陥ることを避け、いい意味での潤いや温もりを付加するのに貢献している。

まさに、指揮者とオーケストラがそれぞれ足りないものを補い合った見事な名演を成し遂げるのに成功していると言えるのではないだろうか。

もちろん、これらの楽曲には、他にも優れた名演はあまた存在しているが、少なくとも、相性が今一つであったドホナーニとウィーン・フィルの息が統合した数少ない演奏の一つとして、本盤の両演奏は稀少な存在とも言えるところだ。

さすがのプライドの高いウィーン・フィルの楽員も、ストラヴィンスキーやバルトークの楽曲の演奏に際しては、ドホナーニに余計な注文も付けなかったであろうし、逆に、ドホナーニも自信を持って演奏に臨んだことが窺い知れるところだ。

いずれにしても、筆者としては、本盤の両曲の演奏は、ドホナーニがウィーン・フィルと行った演奏の中でも最も優れた名演として、高く評価したい。

本盤の演奏は、デジタルに切り替わる直前のアナログの末期の録音ではあるが、さすがは英デッカとも言うべき極めて鮮明で極上の高音質を誇っている。

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classicalmusic at 14:13コメント(0)ストラヴィンスキーバルトーク 

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本盤には、ショルティが完成させた唯一のマーラーの交響曲全集を構成する交響曲第6番が収められている。

中期の交響曲として同様に分類される第5番をショルティは3度にわたって録音しているのに対して、第6番は本盤が唯一の録音であるが、これは、ショルティが本演奏に満足していたのか、それとも第5番ほどに愛着を持っていなかったのか、その理由は定かではない。

それはさておき、演奏は凄まじい。

これは、同じく1970年に録音された第5番や第7番と共通していると言えるが、まさに強烈無比と言っても過言ではないほどの壮絶な演奏と言えるのではないだろうか。

ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。

こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなかったが、かかるショルティの芸風が最も如実にあらわれた演奏こそは、本盤に収められた第6番を含む1970年に録音された第5番〜第7番のマーラーの中期の交響曲の演奏であると考えられる。

それにしても、第5番のレビューにおいても記したところであるが、筆者はこれほど強烈無比な演奏を聴いたことがない。

耳を劈くような強烈な音響が終始炸裂しており、血も涙もない音楽が連続している。

まさに、音の暴力と言ってもいい無慈悲な演奏であるが、聴き終えた後の不思議な充足感は、同曲の超名演であるバーンスタイン&ウィーン・フィル盤(1988年)やテンシュテット&ロンドン・フィル盤(1991年ライヴ盤)にいささかも引けを取っていない。

あまりにも強烈無比な演奏であるため、本演奏は、ショルティを好きになるか嫌いになるかの試金石になる演奏とも言えるのかもしれない。

加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質も英デッカによる1970年の録音当時としては極めて優秀なものである。

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classicalmusic at 06:02コメント(2)マーラーショルティ 

2022年11月09日


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ユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の発売を開始したが、それから日本コロムビアも同様にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤に踏み切った。

この価格が適正かどうかはともかくとして、ワーナーなども含め、大手レコード会社によるSACD化への積極的な取組については大いに歓迎したい。

本盤に収められたシューベルトとシューマンのピアノ五重奏曲は、今をときめく弦楽四重奏団であるカルミナ弦楽四重奏団が田部京子を迎えてスイスにてスタジオ録音を行ったものであるが、両曲ともに素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも田部京子の気品溢れるピアノ演奏が素晴らしい。

ロマン派を代表するピアノ五重奏曲だけに、ロマンティシズム溢れる名旋律の宝庫でもある両曲であるが、田部京子は一音一音を蔑ろにせずに精緻に、そして情感豊かに曲想を描き出しているところだ。

ある意味ではオードドックスとも言えるアプローチであるが、田部京子の場合は、どこをとっても気品と優美さを失っていないのが見事である。

情感を込めるあまり全体の造型が弛緩したり、はたまた陳腐なロマンティシズムに拘泥するようなことは薬にしたくもなく、どこをとっても格調の高さを失っていないのが田部京子のピアノ演奏の最大の美質である。

カルミナ弦楽四重奏団は、現代を代表する弦楽四重奏団として、現代的でシャープな演奏を特徴としている。

本盤の演奏においては、そうした片鱗を感じさせはするものの、共演に田部京子も得て、この団体としてはオーソドックスなアプローチに徹しており、奥行きのある豊かな情感に満ち溢れた名演奏を展開しているとも言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の演奏は、田部京子とカルミナ弦楽四重奏団の抜群の相性の良さが功を奏した素晴らしい名演として高く評価したい。

音質は、数年前にマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD盤が発売され、それは極上の高音質であった。

それに対して、本盤はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤であり、その比較は困難を極めるとも言える。

これほどのハイレベルの高音質になると、後は好みの問題とも言えるが、筆者としては、音質が若干シャープかつより鮮明になったという意味において、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の方をより上位に掲げたい。

いずれにしても、田部京子&カルミナ弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 11:16コメント(0)シューベルトシューマン 

2022年11月08日


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クラウディオ・アバドはかつての手兵であったベルリン・フィルとドイツ・グラモフォンにベートーヴェンの交響曲全集を1999年から2000年にかけて録音しているが、本作はそれに先立つ1996年のザルツブルク音楽祭での実況録音である。

話題の「ベーレンライター新版」とは銘打ってはいないものの、アバドが各所で新鮮な解釈を聴かせる(例:フィナーレのピッコロなど)ことも発売当時大いに話題になった。

要は、アバドはベートーヴェンの交響曲の中でも、第9番には特別に自信を持っていたということを窺い知ることが出来るところだ。

このように、アバドが自信を持っていたこともあり、筆者としても、アバドによるベートーヴェンの中で最も出来がいいのは第9番であると考えている。

全体を第9番としては相当に速いテンポで演奏しているが、せかせかした印象をいささかも与えることがなく、トゥッティに向けて畳み掛けていくような力感溢れる気迫とともに、どこをとっても情感の豊かさと歌謡性を失うことがないのが素晴らしい。

特にベルリン・フィルも、この第9番においては、さすがにフルトヴェングラーやカラヤンなどの往年の指揮者による重厚な演奏にはかなわないものの、倍管にしたことも多分にあるとは思うが、重心の低い奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。

特に、終楽章の合唱の壮麗さは抗し難いほどの美しさを誇っており、これは世界最高峰とも称されるスウェーデン放送合唱団の起用が見事に功を奏していると言える。

ソリスト陣も非常に豪華で素晴らしい歌唱を披露しており、スウェーデン放送合唱団とともにエリック・エリクソン室内合唱団にもアバドの意思が反映され、かつてないほど精緻な響きを聴かせてくれ、最高のパフォーマンスを示していると言えるだろう。

いずれにしても、新しい研究成果に基づくベーレンライター版使用による本演奏は、近年の古楽器奏法やピリオド楽器の使用による演奏の先駆けとなったものであり、アバドによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては最高峰にある名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 15:31コメント(0)ベートーヴェンアバド 

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アバド&ベルリン・フィルによる1度目のベートーヴェンの交響曲全集のうち、第1番から第6番については、少なくとも往年の名指揮者による重厚な名演に聴きなれた耳からすると、天下のベルリン・フィルを指揮したにしてはあまりにも軽佻浮薄な演奏であると言えるところであり、筆者としてもあまり高い評価をして来なかった。

ところが、本盤に収められた第7番については、第6番までとは異なり、アバドによるベートーヴェンとしては少なくとも軽佻浮薄とまでは言い切れないのではないだろうか。

もっとも、同曲の過去の名演、例えばフルトヴェングラー&ウィーン・フィル(1950年)、クレンペラー&ニューフィルハーモニア管(1968年)、さらにはカラヤン&ベルリン・フィル(1978年ライブ(パレクサ))などと比較すると、さすがに音の重心は低いとは言い難い。

もっとも、本演奏では、ベルリン・フィルの音色にもかつての伝統的な重厚な音色の残滓を聴くことが可能であるとともに、アバドならではの豊かな歌謡性が演奏全体に独特の艶やかさを付加している。

アバド&ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、後述の第8番や第9番に次いで、佳演と評価するのにいささかの躊躇もするものではない。

また、新しい研究成果を踏まえたベーレンライター版使用による本演奏は、近年主流となっている古楽器奏法やピリオド楽器の使用による演奏の先駆けとも言えるところであり、その意味においても相当の評価をせざるを得ないとも考えられるところだ。

次いで、第8番については、楽曲の性格も多分にあるとは思うが、アバドの演奏にも第7番以上に違和感を感じるところがない。

フルトヴェングラーなどかつての大指揮者たちが名演を遺していないことも功を奏しているのかもしれない。

それ以上にアバドによる歌謡性豊かな指揮が、往年のワインガルトナーによる名演の如き極上のワインのような味わいを演奏全体に付加するのに成功している。

少なくとも、アバドによるベートーヴェンの交響曲演奏の中では、前述の第7番を凌駕するとともに、第9番と並んで名演と評価してもいいのではないだろうか。

録音については従来盤でも十分に高音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質はより鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

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classicalmusic at 08:08コメント(0)ベートーヴェンアバド 

2022年11月07日


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本盤に収められたベートーヴェンの「第5」や「田園」を聴いていると、ベルリン・フィルの音色の前任のカラヤン時代からのあまりの変わりように大変驚かされる。

アバドがベルリン・フィルの芸術監督に就任してから10年近く経った頃の録音でもあり、その間にカラヤン時代の名うての奏者の大半が代替わりしたのも大きいと言えるのかもしれない。

それにしても本演奏は、フルトヴェングラーはもとより、カラヤンによる重厚な演奏とは一味もふた味も違う軽妙な演奏である。

その音色はカラフルという表現が当てはまるほどで、南国イタリアの燦々と降り注ぐ陽光を思わせるような明るい響きが支配している。

アバドが1980年代にウィーン・フィルと録音したベートーヴェンの交響曲全集には若干なりとも存在したドイツ風の重厚な響きは、もはや本演奏では完全に一掃されており、良くも悪しくもアバドの個性が完全に発揮された演奏ということになるのであろう。

このような軽佻浮薄な演奏を、天下のベルリン・フィルを指揮して成し遂げたということについては、古くからのクラシック音楽ファンからすれば許し難いことのように思われるのかもしれない。

筆者としてはさすがに許し難い演奏とまでは思わないが、好き嫌いで言えば到底好きになれない演奏と言わざるを得ない。

しかしながら、最新の研究成果を採り入れたベーレンライター版使用による本演奏が、近年におけるピリオド楽器の使用や古楽器奏法による演奏の先駆けとなったということについては否定できないところであり、その意味においては一定の評価をせざるを得ないのではないかと考えている。

録音については従来盤でも十分に高音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質はより鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

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classicalmusic at 23:13コメント(0)ベートーヴェンアバド 

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アバドがベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集の録音を開始したのは、芸術監督に就任後10年近く経ってからである。

その理由としては、芸術監督就任の少し前にウィーン・フィルと全集を録音していたのが何よりも大きいとは思うが、ベルリン・フィルを完全に掌握するのを待っていたという側面もあったのではないだろうか。

前任のカラヤンも、ベートーヴェンの交響曲全集の録音を開始したのは芸術監督就任から10年近く経ってからであったことを考慮に入れれば、これは天下のベルリン・フィルの芸術監督の宿命と言えるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、良くも悪しくもアバド色の濃いベートーヴェンと言えるだろう。

フルトヴェングラーやカラヤン時代の特徴であった重量感溢れる重厚な音色がベルリン・フィルから完全に消え失せ、いかにも軽やかな音色が全体を支配していると言ったところだ。

かつて、とある影響力の大きい某音楽評論家が自著において、本演奏を「朝シャンをして香水までつけたエロイカ」と酷評しておられたが、かかる評価が正しいかどうかは別として、少なくとも古くからのクラシック音楽ファンには許しがたい演奏であり、それこそ「珍品」に聴こえるのかもしれない。

筆者としても、さすがに許しがたい演奏とまでは考えていないが、好き嫌いで言えば決して好きになれない軽佻浮薄な演奏と言わざるを得ない。

しかしながら、最新の研究成果を反映させたベーレンライター版の使用による本演奏は、近年主流の古楽器奏法やピリオド楽器の使用による演奏の先駆けとも言えるところであり、その意味においては、好き嫌いは別として一定の評価をせざるを得ないのではないかと考えている。

録音は従来盤でも十分に鮮明な高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質がさらに鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

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classicalmusic at 15:07コメント(0)ベートーヴェンアバド 

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アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでの間は、持ち味である豊かな歌謡性と気迫溢れる圧倒的な生命力によって素晴らしい名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後は、なぜかそれまでとは別人のような借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになってしまった。

前任者であるカラヤンを意識し過ぎたせいか、はたまたプライドが高いベルリン・フィルを統御するには荷が重すぎたのかはよくわからないが、そうした心労が重なったせいか、大病を患うことになってしまった。

ところが、皮肉なことに、大病を克服し芸術監督退任間近になってからは、凄味のある素晴らしい名演の数々を聴かせてくれるようになった。

アバド晩年のCDは、いずれも円熟の名演であり、紛れもなく現代最高の指揮者と言える偉大な存在であった。

それはさておきアバドは、ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を2度完成させている。

正確に言うと、「第9」だけは重複しているのだが、第1〜8番の8曲については別の演奏であり、1度目は前述の大病を患う直前のスタジオ録音、そして2度目は大病を克服した直後のライヴ録音となっている。

本盤に収められた第1番及び第2番は、1度目の全集に含まれるもの。

演奏自体は前述のような低調なアバドによるものであり、2度目の録音を大病克服直後に行ったことからしても、アバド自身もあまり満足していなかったのではないかと考えられる。

最新の研究成果を盛り込んだペーレンライター版を使用したところは、いかにもアバドならではと言えるが、記者の質問に対して版の問題は他に聞いてくれと答えたという芳しからざる噂もあり、実際のところ、アバドが自らの演奏に版の問題をどのように反映させたのかはよくわからないところだ。

本演奏を聴くと、アバドならではの歌謡性は豊かであるが、非常に軽やかな演奏という印象だ。

これは、近年のピリオド楽器や古楽器奏法による演奏を先取りするものと言えるが、天下のベルリン・フィルを指揮してのこのような軽妙な演奏には、いささか失望せざるを得ないというのが正直なところである。

前々任者フルトヴェングラーや前任者カラヤンなどによる重厚な名演と比較すると、長いトンネルを抜けたような爽快でスポーティな演奏と言えるが、好みの問題は別として、新時代のベートーヴェンの演奏様式の先駆けとなったことは否定し得ない。

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classicalmusic at 08:21コメント(0)ベートーヴェンアバド 

2022年11月06日


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夜想曲集の名演を成し遂げたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏である。

稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではない。

あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められた夜想曲集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏である。

自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

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classicalmusic at 23:01コメント(0)ショパンフランソワ 

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東独出身のザンデルリンクは、旧ソヴィエト連邦においてムラヴィンスキーにも師事し、ショスタコーヴィチと親交があったこともあって、ショスタコーヴィチの交響曲を得意としていた。

すべての交響曲を演奏・録音したわけではないが、第1番、第5番、第6番、第8番、第10番、第15番の6曲についてはスタジオ録音を行っており、いずれ劣らぬ名演に仕上がっている。

ショスタコーヴィチの交響曲は、最近では数多くの指揮者が演奏を行うようになってきているが、その本質を的確に描き出している演奏はあまりにも少ないと言えるのではないだろうか。

ショスタコーヴィチは、旧ソヴィエト連邦という独裁者が支配する政治体制の中で、絶えず死と隣り合わせの粛清の恐怖などにさらされながらしたたかに生き抜いてきたところだ。

かつて一世を風靡した「ショスタコーヴィチの証言」は現在では偽書とされているが、それでも、ショスタコーヴィチの交響曲(とりわけ第4番以降の交響曲)には、死への恐怖や独裁者への怒り、そして、粛清された者への鎮魂の気持ちが込められていると言っても過言ではあるまい。

したがって、ショスタコーヴィチと親交があるとともに、同時代を生き抜いてきたムラヴィンスキーの演奏が感動的な名演であるのは当然のことである。

かかる恐怖などと無縁に平和裏に生きてきた指揮者には、ショスタコーヴィチの交響曲の本質を的確に捉えて演奏することなど到底不可能とも言えるだろう。

かつてマーラー・ブームが訪れた際に、次はショスタコーヴィチの時代などと言われたところであるが、ショスタコーヴィチ・ブームなどは現在でもなお一向に訪れていない。

マーラーの交響曲は、それなりの統率力のある指揮者と、スコアを完璧に音化し得る優秀なオーケストラが揃っていれば、それだけでも十分に名演を成し遂げることが可能とも言える。

ショスタコーヴィチの交響曲の場合は、それだけでは到底不十分であり、楽曲の本質への深い理解や内容への徹底した追求が必要不可欠である。

こうした点が、ショスタコーヴィチ・ブームが一向に訪れない要因と言えるのかもしれない。

それはさておき、本盤のザンデルリンクの演奏は素晴らしい。

さすがに、師匠であるムラヴィンスキーの演奏ほどの深みや凄みには達していないが、旧ソヴィエト連邦と同様の警察国家であった東独出身のザンデルリンクだけに、ショスタコーヴィチの交響曲の本質への深い理解については、人後に落ちないものがあった。

加えて、ドイツ人指揮者ならではの堅固な造型美や重厚な音色が演奏全体を支配しており、その意味では、ムラヴィンスキーによる名演の持つ峻厳さを若干緩和するとともに、ドイツ風の重厚さを付加させた演奏と言えるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、ムラヴィンスキーなどのロシア系の指揮者以外の指揮者による演奏の中では、最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 15:04コメント(0)ショスタコーヴィチザンデルリンク 

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LP発売当時「これ以上何をお望みですか」と、かの吉田秀和氏に言わしめた1枚。

完璧!! その一言に尽きる演奏で、こんな凄いエチュードがあるのかと思った。

とある影響力の大きい某音楽評論家とその周辺の者たちによってポリーニの演奏を冷たいとか無内容などと評されているが、その批判は見当違いである。

全くケチの付け所のない最高の演奏であり、単にミスもない、完璧な表現に対し嫌悪しているだけだと勘繰りたくなる。

ポリーニ(1972年収録当時30歳で彼の収録活動初期にあたる)は実に確かなテクニックで客観的にさりとて機械的でなく各曲のタッチにメリハリをつけて弾き進めている。

ポーランドの資質とはニュアンスは当然異なるが、ショパンの情熱を些か鋭く冷たくたぎらせた最高の名演だと評したい。

確かなテクニックをベースに、センチメンタリズムを排し和声の構造を明快に解きほぐす知的なスタイルは、ショパン演奏史にも一石を投じたものだ。

内声部を浮き彫りにした情報量の多いきらびやかな響きとなって聴こえてくるが、圧倒的な輝きだ。

1960年にショパンコンクールに優勝したときのライヴやEMI録音の協奏曲第1番を聴くと、すでにスタイルは完成しているが、ここまで透徹した理性は貫かれていない。

だが、1970年代初めDGに移籍してからは、こうしたクールなスタイルを武器にこのエチュードをはじめ、「ペトルーシュカの3楽章」やシューマンの幻想曲やソナタ、シューベルトの「さすらい人幻想曲」と数々のヒットを飛ばし、独自の世界を築いている。

ポリフォニックな面白さはポリーニには全くないが、この測ったようにキッチリと並べられた音符の洪水の前には、ただただ唖然とするしかない。

客観的・クールなショパンエチュードの金字塔的作品。

ロルティやジュジアーノによる名盤が登場して本CDが若干過去のものになりつつあるかもしれないが、所持しておいてまず損はしないCDだ。

1960年から68年のブランクには、ポリーニは演奏活動を縮小し、ミラノ大学に進学し物理学を学んでいた。

一度音楽から離れ数理の世界を探求したことがプラスに作用したのだろう。

だが、今の若い演奏家はそうした充電が許されなくなっているのだろうか、テクニックはポリーニを超えても、30代〜40代で独自の透徹した境地を貫くところまで育っていけるのか心配なところである。

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classicalmusic at 07:28コメント(2)ショパンポリーニ 

2022年11月05日


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本盤には、ブーレーズが指揮したストラヴィンスキーの3大バレエ音楽のうち、「春の祭典」と「ペトルーシュカ」が収められている。

このうち、「春の祭典」については、様々な指揮者による同曲の演奏史上でも今なおトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

ブーレーズは、同曲を本演奏も含め3度に渡って録音を行っている。

最初の録音はフランス国立放送交響楽団との演奏(1964年)であり、クリーヴランド管弦楽団との本演奏(1969年)が続き、そしてDGへの録音となった同じくクリーヴランド管弦楽団との演奏(1991年)が存在している。

このうち、最初の1964年盤については、圧倒的な名演との評価がなされてはいるものの一般配布されていなかったこともあって現在でも入手難。

3度目の1991年盤は、一般論としては立派な名演と言えるのではないかと考えられる。

もっとも、ブーレーズの芸風は、1990年代に入ってDGに自らのレパートリーを再録音するようになってからは、かつての前衛的なアプローチが影を潜め、すっかりと好々爺となり、比較的オーソドックスな演奏をするようになってきたように思われる。

もちろん、スコアリーディングについてはより鋭さを増しているものと思われるが、当該指揮によって生み出される音楽は比較的親しみやすいものに変容しており、これはまさしくブーレーズの円熟のなせる業ということになるのではないだろうか。

したがって、立派な円熟の名演ということには間違いないが、いわゆる普通の演奏になってしまっているとも言えるところであり、ブーレーズならではの強烈な個性が随分と失われてきていると言えるのではないかと思われる。

これに対して、本演奏は徹頭徹尾、ブーレーズならではの個性が全開の快演である。

思い切った強弱の変化や切れ味鋭い強烈なリズムを駆使するなど、これ以上は求め得ないような斬新な解釈を施すことによって、ストラヴィンスキーによる難解な曲想を徹底的に鋭く抉り出しており、その演奏のあまりの凄まじさには戦慄を覚えるほどである。

これほどの先鋭的な解釈が施されたのは、おそらくは同曲演奏史上でも空前にして絶後であり、ブーレーズによる本演奏によって初めて、同曲が完全に音化されたと言っても過言ではあるまい。

ブーレーズの凄みのある指揮の下、一糸乱れぬアンサンブルで最高の演奏を繰り広げたクリーヴランド管弦楽団にも大いに拍手を送りたい。

このような豪演を聴いていると、セル時代の全盛期のクリーヴランド管弦楽団の鉄壁のアンサンブルと超絶的な技量の凄さをあらためて認識させられるところだ。

「ペトルーシュカ」については、ブーレーズによる同曲の2度の録音のうち、本演奏は最初のものとなる。

2度目のクリーヴランド管弦楽団との演奏(DG)(1991年)が、「春の祭典」の場合と同様に、いわゆるノーマルな名演になっているのに対して、本演奏はまさに若き日の脂が乗り切ったブーレーズならではの先鋭的な超名演。

これほど楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な表現が施された演奏は比類がないと言えるところであり、「春の祭典」と同様に、ブーレーズによる本演奏によって初めて、同曲が完全に音化されたと言っても過言ではあるまい。

ブーレーズは、当時ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任して間もない頃であったが、ニューヨーク・フィルもブーレーズの指揮にしっかりと応え、持ち得る実力を十二分に発揮した最高の演奏を披露しているのが素晴らしい。

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classicalmusic at 23:36コメント(0)ストラヴィンスキーブーレーズ 

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カラヤン&ベルリン・フィルは、ヨハン・シュトラウス祇さ擇哭鏡ぁ▲茱璽奸Ε轡絅肇薀Ε垢作曲した主要なウィンナ・ワルツ集を晩年にデジタル録音(1980年)した。

カラヤンは、ウィンナ・ワルツを得意としており、若い頃から何度も録音を行ってきた。

筆者の手元にあるものを調べてみても、古くは1946〜1949年(EMI)や1959年(英デッカ)のウィーン・フィルとのスタジオ録音、そして、1966年及び1969年(DG)、1975年(EMI)と本盤(1980年)のベルリン・フィルとのスタジオ録音、さらにはウィーン・フィルとのニューイヤーコンサート(1987年ライヴ)と相当点数にのぼっているところだ。

その他にもまだまだありそうな気がするが、これらの演奏は、いずれも素晴らしい名演に仕上がっている。

1940年代や1959年のウィーン・フィルとの演奏は、若き日のカラヤンならではの颯爽とした装いの名演であると言えるし、最晩年の1987年盤は、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠ならではの味わい深さが際立った超名演であると言えるところだ。

そして、その間に挟まれたベルリン・フィルとの演奏は、本盤の演奏も含め、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが成し遂げた圧倒的な音のドラマが構築されていると言えるだろう。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代〜1970年代であるというのが一般的な見方である。

この時期の演奏は、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンならではの流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

1982年にザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係には修復不可能なまでの亀裂が生じ、この黄金コンビによる演奏にもかつてのような輝きが一部を除いて殆ど見られなくなる。

1966年盤や1969年盤、1975年盤、そして本盤にしても、いずれもこの黄金コンビの全盛時代における超絶的な名演奏を堪能することが可能である。

もっとも、ウィンナ・ワルツらしさという意味においては、その前後の演奏、すなわち1959年のウィーン・フィルとの演奏、または1987年のニュー・イヤー・コンサートにおける演奏の方を上位に掲げたい。

本盤の演奏で言えば、ラデッキー行進曲の生真面目さや常動曲の愉悦性の無さなど、もう少し何とかならないのかとも思われるところだが、これだけの圧倒的な音のドラマを構築した本盤や1966年盤、及び1969年盤、そして1975年盤との優劣は容易にはつけられないと考える。

そして、本盤、1975年盤、そして1966年盤及び1969年盤の比較については、録音会場(ベルリン・イエス・キリスト教会VSベルリン・フィルハーモニーザール)、ティンパニ奏者(テーリヒェンVSフォーグラー)、DGとEMIの音質の違いなど様々な相違点が存在しているが、いずれも高いレベルでの比較の問題であり、あとは好みで選ぶしかあるまい。

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classicalmusic at 15:38コメント(0)シュトラウスカラヤン 

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キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの第2弾。

第1弾のマンフレッド交響曲も名演であったが、本盤の「悲愴」も素晴らしい名演と高く評価したい。

旧ソヴィエト連邦の時代から現在に至るまで、数多くの世界的なロシア人指揮者が活躍してきたが、いずれの指揮者も、祖国の大作曲家チャイコフスキーを深く崇敬し、チャイコフスキーの交響曲を数多く演奏・録音してきた。

ムラヴィンスキーを筆頭として、コンドラシン、スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ等々、そして現代のヤンソンスやゲルギエフ、プレトニョフなどに至るまで、いずれもチャイコフスキーの交響曲を数多く演奏・録音してきている。

そして、ここからは私見であるが、かつての旧ソヴィエト連邦時代に活躍した指揮者による演奏は、ムラヴィンスキーは別格として、どちらかと言うと、ロシア風の民族色を強調したあくの強い演奏が多かったように考えている。

当時の旧ソヴィエト連邦時代のオーケストラにおける金管楽器などのヴィブラートを利かせた奏法などに独特の特色があったことも、そうした演奏の性格に一役を買っていたのかもしれない。

ところが、近年では、ゲルギエフにはややあくの強さの残滓が見られなくもないが、ヤンソンスやプレトニョフなどは、かなり洗練された演奏を行ってきているように思われる。

キタエンコも、かつてのモスクワ・フィルの音楽監督時代はかなりあくの強い演奏を行っていたが、ドイツに拠点を移し、フランクフルト放送交響楽団やケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団などを指揮するようになってから、その演奏も随分と洗練されてきたように思われる。

前回のマンフレッド交響曲もそうであったが、本盤の「悲愴」でも、キタエンコは楽曲を精緻に描き出していくという純音楽的なアプローチを施しており、全体的には従来よりは比較的洗練された装いが支配している。

もっとも、テンポはややゆったりとしたものとなっており、スケールは雄渾の極み。

そして、ここぞという時のトゥッティにおけるパワフルな演奏(特に、第1楽章展開部、第3楽章)は、いかにもロシアの悠久の大地を感じさせるような壮大な迫力を誇っており、ドイツに拠点を移してもキタエンコに今なお息づくロシア人としての熱き魂を感じることが可能だ。

第1楽章の第2主題や第2楽章などにおける心を込め抜いたロシア風のメランコリックな抒情の表現にもいささかの不足もなく、終楽章の遅めのテンポによる彫りの深い慟哭の表現は濃厚の極みであり実に感動的だ。

また、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の重心の低いドイツ風の重厚なサウンドも、本演奏に奥行きと深みを与えている点を忘れてはならない。

さらに素晴らしいのは、極上の鮮明な高音質録音であり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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classicalmusic at 07:37コメント(0)チャイコフスキー 

2022年11月04日


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本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、そして、ピアノ・ソナタの第12、22、23番は、東西冷戦の真っ只中であった時代、当時の鉄のカーテンの向こう側からやってきた壮年期のリヒテルによる記念碑的な名演だ。

リヒテルは、偉大なピアニストであったが、同時代に活躍していた世界的な大ピアニストとは異なり、全集を好んで録音したピアニストではなかった。

こうした事実は、これだけの実績のあるピアニストにしては大変珍しいとも言えるし、我々クラシック音楽ファンとしてはいささか残念であるとも言えるところである。

したがって、リヒテルがベートーヴェンのピアノ協奏曲全集やピアノ・ソナタ全集を録音したという記録はない。

ピアノ協奏曲について言えば、スタジオ録音としては、単発的に、本盤の第1番や第3番などを録音したのみであり、他の諸曲についてはライヴ録音が何点か遺されているのみである。

ピアノ・ソナタについても同様であり、こうしたことは、リヒテルがいかに楽曲に対する理解と確信を得ない限り、録音をしようとしないという芸術家としての真摯な姿勢の証左とも言えるのではないだろうか。

それだけに、本盤に収められた各演奏は、貴重な記録であると同時に、リヒテルが自信を持って世に送り出した会心の名演奏とも言えるところだ。

ピアノ協奏曲にしても、ピアノ・ソナタにしても、リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

人間業とは思えないような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅広さは桁外れであり、十分に個性的な表現を駆使しているが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、ベートーヴェンへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

とりわけ、ピアノ・ソナタ「熱情」におけるピアノが壊れてしまうと思われるような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでのダイナミックレンジの幅広さには出色のものがあり、終楽章終結部の猛烈なアッチェレランドはもはや人間業とは思えないほどの凄みのある演奏に仕上がっていると高く評価したい。

また、ピアノ・ソナタ第22番は、「ワルトシュタイン」と「熱情」に挟まれるなど地味な存在であるが、リヒテルによる本演奏によって、必ずしも有名とは言い難い同曲の真価を聴き手に知らしめることに成功したとも言えるところであり、その意味では稀有の超名演と評しても過言ではあるまい。

ピアノ協奏曲第1番のバックをつとめているのはミュンシュ&ボストン交響楽団であるが、さすがはストラスブール出身で、ブラームスなどの交響曲において名演を聴かせてくれたミュンシュだけに、本演奏においてもドイツ風の重厚な演奏を行っており、リヒテルによる凄みのあるピアノ演奏のバックとして、最高のパフォーマンスを示していると高く評価したい。

いずれにしても、本盤に収められた各演奏は、リヒテルのピアニストとしての偉大さを十二分に窺い知ることが可能な圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質については、本盤におさめられた楽曲のうち、ピアノ協奏曲第1番とピアノ・ソナタ第22番が、数年前にXRCD&SHM−CD化され、それは圧倒的に素晴らしい音質であった。

しかしながら、今般、それらにピアノ・ソナタ第12番、第23番を加えてSACD化されたというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

とりわけ、3曲のピアノ・ソナタの音質改善効果には目覚ましいものがあり、音質の圧倒的な鮮明さ、そして何よりもリヒテルの透徹したピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1960年の録音ということを考慮に入れると、殆ど驚異的とさえ言えるだろう。

いずれにしても、リヒテルによる圧倒的な超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるようになったことを心より大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:26コメント(0)ベートーヴェンリヒテル 

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これは素晴らしい名演だ。

ウィンナ・ワルツを収めたCDは数多く存在しているが、本盤は、その中でも最も魅力的な名演の一つと言ってもいいのではないだろうか。

ケンぺは、ベートーヴェンやブラームス、そしてブルックナーの交響曲などにおいて、ドイツ風の重厚な名演の数々を成し遂げていた指揮者だけに、どちらかと言えば謹厳実直で質実剛健な演奏を行うというイメージが付きまとっていると言っても過言ではないところだ。

しかしながら、本盤のような愉悦に富んだ名演を聴いていると、ケンペは必ずしも質実剛健一辺倒の演奏を行っていたわけではない。

むしろ、ケンペという指揮者の表現力の幅広さ、多彩さ、そしてその豊かな音楽性を窺い知ることが可能だ。

それにしても、演奏全体に漲っているリズミカルな躍動感は、ウィンナ・ワルツの演奏としては申し分がない理想的なものと言える。

とりわけ喜歌劇「こうもり」序曲の畳み掛けていくような気迫や強靭さは圧倒的な迫力を誇っており、聴いて思わず度肝を抜かれるほどだ。

それでいて、ケンペならではのドイツ風の重厚さも随所に聴かれるところであり、レハールのワルツ「金と銀」やヨゼフ・シュトラウスのワルツ「天体の音楽」の重心の低い深沈たる味わいの深さには抗し難い魅力がある。

かかる演奏は、もはやウィンナ・ワルツという領域を超えた、ベートーヴェンやブラームスの交響曲などにも比肩し得る至高の芸術作品のレベルに達していると言っても過言ではあるまい。

そして、このようなドイツ風の重厚な演奏を行っているにもかかわらず、いわゆる野暮ったさなどはいささかも感じさせず、愉悦性を失わないというのは、大芸術家ケンペだけに可能な圧巻の至芸とも言うべきであろう。

そして、いぶし銀の音色を有するシュターツカペレ・ドレスデンによる名演奏が、ケンペによる重厚な演奏に独特の潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、あまた存在するウィンナ・ワルツ集の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、1970年代のスタジオ録音ではあるが、リマスタリング、UHQCD化等が行われたことや、聖ルカ教会の残響を活かした名録音であったこともあり、十分に満足できるものである。

いずれにしても、ケンペ&シュターツカペレ・ドレスデンによる至高の超名演を、高音質UHQCD盤で味わうことができるのを喜びたい。

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classicalmusic at 15:33コメント(2)シュトラウスケンペ 

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これはこの曲の決定盤と言ってもいい、素晴らしい名演の登場だ。

何よりも、この曲の特徴をがっしりととらえ、その上でこの曲の魅力をあますところなく再現して見せた、キタエンコの偉大な手腕に尽きる。

マンフレッド交響曲は、チャイコフスキーの後期の作品であるにもかかわらず、後期3大交響曲(第4番〜第6番)と比較するとあまりにも評価が低いし、それに比例して、録音の点数も著しく少ない。

チャイコフスキー自身がこの作品に満足していなかったということもあるが、作品の質を考えると残念な気がしないでもない。

私見ではあるが、このような評価の低さは、演奏のせいではないかと考えている。

チャイコフスキーの交響曲全集を完成させた過去の指揮者の中でも、マンフレッド交響曲を併せて録音した指揮者は限定的であるが、後期3大交響曲で示した水準の名演を成し遂げた例は殆どないのではないかと考えている。

そのような中で、キタエンコによる名演が登場したのは何という幸せであろうか。

この曲に不可欠の重心の低い演奏であり、そのド迫力(特に、第1楽章の終結部)は、ロシアの悠久の広大な大地を思わせるような強靭さだ。

それでいて、第2楽章や第3楽章のメランコリックなロシア的抒情も美しさの極みであり、不当に評価が低いこの交響曲の偉大さを再認識させるに十分に足りる素晴らしい名演と高く評価したい。

こうして聴いてみると、マンフレッド交響曲が、番号付き交響曲と何ら遜色ない傑作であることが納得できよう。

そして何よりも素晴らしいのはSACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音で、この名演の価値を更に高めることに大きく貢献している。

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classicalmusic at 06:59コメント(0)チャイコフスキー 

2022年11月03日


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両曲ともに名演だ。

ザンデルリンクは、シベリウスの交響曲全集を完成させた唯一の独墺系の指揮者である。

いずれの交響曲も、造型美を重視したドイツ風の重厚なものであり、イギリスや北欧の指揮者の手による演奏とは性格が大きく異なる。

シベリウスの交響曲の知られざる魅力を知らしめた異色の名演として高く評価したい。

本盤の両曲も、そうしたザンデルリンクならではの重厚なアプローチを見せてくれている。

特に、ゆったりとしたテンポで、シベリウスがスコアに記した数々の美しい旋律を精緻に演奏している点が素晴らしい。

弦楽器のトレモロや、金管・木管の響かせ方にもユニークなものがあり、初めて耳にするような場面が散見されるなど、演奏に新鮮なみずみずしささえも感じさせるのには大変驚かされた。

こうした点に、ザンデルリンクのシベリウスに対する深い理解と愛着を感じさせられる。

特に「第7」はシベリウスの個性にあまりしっくり来ないはずのスタイルなのに、聴きこむと納得してしまう。

文句のつけようのない名演だと思う。

録音は、ハイパー・リマスタリングによって、見違えるような高音質に蘇った。

重量感にはいささか欠ける面はあるが、鮮明さが飛躍的に増しており、シベリウスの交響曲には理想的な音質になった。

かつて本演奏にはSACD盤が発売されていたが、本盤は、SACD盤に優るとも劣らない音質であると言えるだろう。

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classicalmusic at 23:34コメント(0)シベリウスザンデルリンク 

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ザンデルリンクはムラヴィンスキーに師事するとともに、ショスタコーヴィチと親交があったこともあって、ショスタコーヴィチを得意としており、交響曲第15番については2度にわたってスタジオ録音している。

最初の録音が、本盤に収められたベルリン交響楽団との演奏(1978年)であり、2度目の録音が、クリーヴランド管弦楽団との演奏(1991年)である。

いずれ劣らぬ名演と言えるところであり、特に1991年の演奏については円熟の名演とも言えるが、筆者としては、より引き締まった演奏全体の造型美を味わうことが可能な本演奏の方をより上位に掲げたい。

ショスタコーヴィチの交響曲は、最近では数多くの指揮者が演奏を行うようになってきているが、その本質を的確に描き出している演奏はあまりにも少ないと言えるのではないだろうか。

ショスタコーヴィチは、旧ソヴィエト連邦という、今で言えば北朝鮮のような独裁者が支配する政治体制の中で、絶えず死と隣り合わせの粛清の恐怖などにさらされながらしたたかに生き抜いてきたところだ。

かつて一世を風靡した「ショスタコーヴィチの証言」は現在では偽書とされているが、それでも、ショスタコーヴィチの交響曲(とりわけ第4番以降の交響曲)には、死への恐怖や独裁者への怒り、そして、粛清された者への鎮魂の気持ちが込められていると言っても過言ではあるまい。

したがって、ショスタコーヴィチと親交があるとともに、同時代を生き抜いてきたムラヴィンスキーの演奏が感動的な名演であるのは当然のことである。

かかる恐怖などと無縁に平和裏に生きてきた指揮者には、ショスタコーヴィチの交響曲の本質を的確に捉えて演奏することなど到底不可能とも言えるだろう。

ザンデルリンクの場合は、東独という、旧ソヴィエト連邦と同様の警察国家の出身であること、そしてムラヴィンスキーに師事していたこともあって、ショスタコーヴィチの交響曲の本質への深い理解については、人後に落ちないものがあった。

本演奏も、さすがに、師匠であるムラヴィンスキーの演奏(1976年)ほどの深みや凄みには達していない。

それでもザンデルリンクによる彫りの深い表現が全体を支配するなど、外面だけを取り繕った薄味な演奏にはいささかも陥っていないと言えるところだ。

加えて、ドイツ人指揮者ならではの堅固な造型美や重厚な音色が演奏全体を支配しており、その意味では、ムラヴィンスキーによる名演の持つ峻厳さを若干緩和するとともに、ドイツ風の重厚さを付加させた演奏と言えるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、ムラヴィンスキーなどのロシア系の指揮者以外の指揮者による演奏の中では、最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 14:48コメント(0)ショスタコーヴィチザンデルリンク 

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名指揮者(サー・ジョン・バルビローリ)と名オーケストラ(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)が出会うとこれほどまでの凄い演奏が展開されるということを実証しているのがこのディスク。

ライヴでの共演がきっかけで生まれた、僥倖ともいえる名盤。

ベルリン・フィルは、今日に至るまで、マーラーの「第9」の名演を数多く成し遂げてきた。

本盤のバルビローリを皮切りとして、カラヤンの新旧2種、アバド、そして、最近のラトルに至るまで、カラヤン以降の歴代の首席指揮者が素晴らしい名演を遺してきている。

バーンスタインによる客演もあり、それは名演と評価するにはいささか躊躇するが、それでも大熱演を成し遂げたことは否定し得ない事実である。

こうした名演、熱演が目白押しの中で、バルビローリの名演こそ、その後のベルリン・フィルによる名演、熱演の礎になったのではないかと考える。

本盤の録音当時は、ベルリン・フィルは、必ずしもマーラーが好きではなく、演奏頻度も高くなかったと聞く。

そうした中で、このような名演を成し遂げたという厳然たる事実に対して、バルビローリの同曲への愛着と執念、そして、ベルリン・フィルとの抜群の相性の良さを感じずにはいられない。

この交響曲に内在する死への恐怖と闘い、それに対する生への妄執を、バルビローリは、思い入れたっぷりのコクのある指揮で、見事に表現し尽くしている。

特に、終楽章の美しさは出色のものがあり、ベルリン・フィルの厚みのある重厚な音色と相俟って、これ以上は求め得ないような絶美の表現に仕上がっている。

いずれにしても、バルビローリ&ベルリン・フィルによる歴史的な超名演を高音質で味わうことができるのが喜ばしい。

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classicalmusic at 06:51コメント(2)マーラーバルビローリ 

2022年11月02日


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チェンバリストでピリオド・アンサンブル、コンチェルト・イタリアーノの指揮と通奏低音を担当するリナルド・アレッサンドリーニによるヴィヴァルディの弦楽合奏協奏曲集。

ソロ・ヴァイオリンが大活躍する協奏曲ではないので、このディスクに収録された12曲は、売れ筋の『四季』や『4挺のヴァイオリンのための協奏曲』などに比較してそれほど知られてはいない。

それでも彼らの溌溂とした意欲的なアンサンブルはフレッシュな感覚に溢れている。

ピリオド奏法特有のビブラートをかけないきびきびとしたサウンドの中に合奏協奏曲のテクニックと閃きが一体となった急速楽章、短い緩徐楽章で聴かせるイタリア式のカンタービレの抒情性はヴィヴァルディの感性。

つまり余計なものは一切付けないシンプルであり続ける曲想の展開を改めて見直す演奏でもある。

その中でも2曲目のRV153ト短調のようにドラマティックで効果的な間奏曲のような作品もある。

おそらく実際の彼のオペラ上演ではそうした目的でも使われたのだろう。

ヴィヴァルディの作品は1970年代にローマのイ・ムジチ合奏団の演奏旅行によってインターナショナルなレパートリーになり、バロック音楽ブームを引き起こした。

その一時代あとからはピリオド楽器、奏法による演奏が主流になった。

その一翼を担っているのがアレッサンドリーニ率いるコンチェルト・イタリアーノで1984年に結成された。

当初はモンテヴェルディのマドリガルを研究課題にしていて、それらのCDも多くリリースしている。

その後ヴィヴァルディ、バッハの作品も手掛け、アレッサンドリーニ自身もチェンバロ曲集もレコーディングしている。

今年62歳の円熟期に入った彼のこれからの演奏活動にも期待したい。

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classicalmusic at 23:10コメント(0)ヴィヴァルディ 

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バルビローリが死去する三カ月前、おそらくこの指揮者の最後のステレオ・ライヴ録音。

1970年4月4日、シュトゥットガルトでマーラー《復活》の壮麗極まる名演を果たすとミュンヘンに回り、十日にこの録音の演奏会に臨んだ。

当時クーベリックの支配下にあったこの優れたバイエルン放送交響楽団の客演を楽しんでいる様子がはっきりうかがえる。

得意作品2曲を引っさげての客演を収録したもので、ふだんのハレ管弦楽団に比べると響きの濃密さ、味の濃さが実に魅力的だ。

ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第6番はダイナミックなアプローチで、冒頭から激しい気迫が注入され、極めてドラマティックだ。

そしてエピローグと題された最後のモデラート楽章の悲しみの音楽は痛切で深く、夜の神秘に沈み込んでいく。

ここではバイエルン放送響の立派な響きが作品の持ち味をうまく引き出しているのが印象的。

ブラームスの交響曲第2番はいささか重いが、バルビローリならではのたっぷり歌い尽くした演奏で、練達の堅固な構成で芳醇な音楽を聴かせる。

表情が大きく、あたたかく、しかも鮮明で、この演奏はライヴの特色を遺憾なく発揮している。

ウィーン・フィルとのスタジオ盤もあるが、こちらは実演ならではの覇気に満ちた演奏内容であり、第4楽章第2主題などでみせる人声を思わせるカンタービレの美しさも素晴らしい聴きものだ。

2曲ともに、一流のオーケストラを得たバルビローリの魅力が横溢する名演だ。

気魂傾けた演奏が続いたためか、二日後に持病の心臓発作で倒れ、病院に運ばれた。

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classicalmusic at 15:06コメント(4)バルビローリヴォーン・ウィリアムズ 

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本盤に収められた交響曲第4番の演奏は、バルビローリ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも白眉とも言うべき素晴らしい名演だ。

バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第4番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。

バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、本盤の交響曲第4番の演奏は、そうした相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

何よりも、第4番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きい。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、そうした指揮芸術の在り様が第4番と見事に合致。

同曲の随所に聴くことが可能な人生の諦観を感じさせる枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求めえないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

もっとも、第3楽章における畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

終楽章の各変奏の描き分けの巧みさは、名匠バルビローリの老獪な至芸を十分に満喫することが可能だ。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリならではの情感溢れる指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の大学祝典序曲も、バルビローリならではの素晴らしい名演だ。

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classicalmusic at 06:03コメント(0)ブラームスバルビローリ 

2022年11月01日


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バルビローリという指揮者がいかに懐の深い指揮芸術を有していたのかを再認識させる素晴らしい名演だ。

バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第3番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。

バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、こうした点にもそれが表れていると言えるのかもしれない。

しかしながら、ウィーン・フィルとの唯一のスタジオ録音となるブラームスの交響曲全集は素晴らしい名演だ。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、確かに、ブラームスの各交響曲の緩徐楽章における情感豊かな演奏には、そうしたバルビローリの芸術の真骨頂が見事にあらわれている。

それ故に第2番や第4番がとりわけ名演との誉れ高いのは当然のことであるが、マーラーの交響曲を得意としていただけあって、ドラマティックな表現や強靭さを基調とする演奏も頻繁に行っていたことを忘れてはならない。

本盤に収められた第3番も、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っている。

交響曲第3番の冒頭からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部からの堂々たる進軍は微動だにしない威容を誇っている。

終楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

もちろん、第2楽章及び第3楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さをあらためて再認識させる素晴らしい名演と高く評価したい。

ハイドンの主題による変奏曲は、各変奏曲の描き分けが実に巧みであり、名匠バルビローリならではの老獪な至芸を堪能することが可能な素晴らしい名演に仕上がっている。

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本盤に収められた交響曲第2番の演奏は、バルビローリ&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、第4番と並んで最も優れた名演だ。

バルビローリは、北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、そのレパートリーには広範なものがあり、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第2番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られているが、他方、そのライバルであったウィーン・フィルとは必ずしも相性が良くなかったと言われている。

バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであるが、本盤の交響曲第2番の演奏は、そうした相性の良くなかったとの評価が果たして正しかったのかどうか再検証が必要なほどの名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

何よりも、第2番という楽曲の性格とバルビローリの芸風が見事に符号している点が大きい。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、そうした指揮芸術の在り様が第2番と見事に合致。

同曲の随所に聴くことが可能な枯淡の境地とも評すべき名旋律の数々を、バルビローリは、これ以上は求めえないほど情感豊かに歌い抜いているところであり、そのヒューマニティ溢れる表現の美しさには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

もっとも、終楽章の終結部における頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力においてもいささかも不足はなく、これはバルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリならではの情感溢れる指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の悲劇的序曲も、バルビローリならではの素晴らしい名演だ。

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classicalmusic at 14:49コメント(2)ブラームスバルビローリ 

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バルビローリは、どちらかと言えば北欧音楽や英国音楽を得意のレパートリーとした指揮者として広く知られているが、独墺系の作曲家の演奏も比較的多く手掛けていたと言えるところだ。

そのような中でも、ブラームスは特別な存在であったようであり、本盤に収められた交響曲第1番を含めたウィーン・フィルとの全集を含め、いくつかのライヴ録音を遺している。

また、バルビローリは、手兵のハレ管弦楽団を始め、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団など、英国のオーケストラとの間で素晴らしい名演の数々を遺しているが、次いで独墺系のオーケストラではベルリン・フィルとの相性が抜群であったことがよく知られている。

何よりも、ベルリン・フィルの楽団員や芸術監督のカラヤンがバルビローリに対して敬意を有していたことが何よりも大きいとも言える。

これに対して、ウィーン・フィルとの相性は、巷間あまり良くなかったとも言われている。

確かに、バルビローリがウィーン・フィルとともに遺した録音は、筆者の知る限りでは、ブラームスの交響曲全集のみであるところであり、こうした点にもそれが表れていると言えるのかもしれない。

しかしながら、ウィーン・フィルとの唯一のスタジオ録音となるブラームスの交響曲全集は素晴らしい名演だ。

バルビローリは、一般的にはシベリウスやエルガー、ディーリアスなどの名演が印象的だけに、抒情的でヒューマニティ溢れる指揮をするとのイメージが先行しているが、確かに、ブラームスの各交響曲の緩徐楽章における情感豊かな演奏には、そうしたバルビローリの芸術の真骨頂が見事にあらわれている。

それ故に第2番や第4番がとりわけ名演との誉れ高いのは当然のことであるが、マーラーの交響曲を得意としていただけあって、ドラマティックな表現や強靭さを基調とする演奏も頻繁に行っていたことを忘れてはならない。

本盤に収められた第1番も、バルビローリ=抒情的でヒューマニティ溢れる演奏をする指揮者というある種の固定観念を覆すに足る力強い演奏を行っている。

冒頭の序奏からして凄まじいまでの迫力を誇っており、主部に入ってからの堂々たる進軍は、ゆったりとしたテンポによる微動だにしない威容を誇っている。

終楽章も決して急がない音楽ではあるが、頂点に向けて畳み掛けていくような気迫と生命力は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さを如実にあらわしていると言えるだろう。

もちろん、第2楽章の枯淡の境地とも評すべき情感豊かな表現は、バルビローリならではのヒューマニティ溢れるもので、抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、ウィーン・フィルによる美しい演奏が、演奏全体に更なる潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリの指揮芸術の懐の深さをあらためて再認識させる素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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