2007年10月16日
ヘルベルト・ケーゲルについて
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ヘルベルト・ケーゲルは1990年の自殺を機に発見された指揮者である。
作家の自殺はよくあるが、意外と音楽家の自殺者は少ない。
よって注目せざるをえなかった。
特に日本では、許光俊氏が熱心に紹介していたこともあり、次第に興味を関心を持って良さそうなのを次々と購入していった。
筆者は許氏が絶賛するほどのめりこめないでいるのだが、確かに数枚のCDは瞠目させられるユニークな演奏だった。
この指揮者は躁と鬱のコントラストの激しい音楽作りをするのに、アンサンブルは完璧なのである。
こういう芸風はちょっと珍しい。
第一の推薦盤はショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。
しかし正直な話、もの凄い曲であり、演奏であるには違いないのだが、こんな酷薄極まりない演奏を人に薦めていいものかどうかというためらいが消せない。
知らないですめば知らない方がその人にとっては幸せかもしれないからだ。
しかし、指揮者は自分の真剣を押し通すのが芸術である。
ここまでやらなければいけないというところまで突き進むのが芸術である。
そういった意味であえて紹介させてもらった。
ちなみに、筆者がF研の友人の結婚式の祝辞を述べる時に、その新郎がある音楽をかけるから、と言って本番まで内緒にされた。
そして本番当日祝辞を述べ始めて流れてきたのが、ケーゲルの「G線上のアリア」だった。
この曲はそれこそ「カラヤン・アダージョ」に入っているように安らぎに満ちた曲のはずだ。
ところが、ケーゲルの演奏は普通では考えられないような憂愁と寂寥の味わいが一貫していた。
酒が入ってたからあまり気にしなかったのだが、家で聴くと悲痛と凄惨を尽くした演奏なのである。
何故友人がよりによってケーゲルの演奏を選んだのか未だ謎である。
かつて筆者はその理由を問い詰めたのだが、笑ってごまかされた。
何か深い意味でもあったのか? 次回会う時はしつこく訊ねてみようと考えている。
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