2007年12月13日
ケーゲル&ドレスデン・フィルのマーラー:交響曲第1番「巨人」
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マーラー第1番の演奏には、たとえば、ワルター盤、バーンスタイン盤など名盤が目白押しで、初めて聴いたのはアンチェル盤であったが、実は筆者が最もよく聴くのが、このケーゲルのCDである。
ケーゲルは、一部クラシックマニアの間でカルト的な人気を誇っていて、彼らに絶対外せないのが、ビゼーの「アルルの女」組曲とヴィヴァルディの「協奏曲集」、そしてかつて駅で売っていた安売りCDに1曲だけ収録されている「アルビノーニのアダージョ」である。
聴いた人はすべて「なぜ自分は生きているんだろう?」と問いかけ、死を考えるという暗い演奏ばかりで、落ち込んでいるときに聴いたら危険な音楽なのだ。
それ以外にも、マーラーの第4番、ベルリオーズの「幻想交響曲」、ムソルグスキーの「展覧会の絵」、ベルクの救いのないオペラ「ヴォツェック」、ドイツ語版で不思議なビゼーのオペラ「カルメン」などもお薦めだ。
さて、ケーゲルのマーラー第1番だが、彼の演奏はマーラーのスコアをきわめて緻密に再現し、かなり分析的な傾向が強い。
しかし、この演奏には独自の重苦しさや暗さがあり、楷書的といえるもので、このようなマーラーはほかではあまり聴けない。
その意味では興味深いものがあるが、やはり独特の演奏と感じられる。
なによりも第4楽章では、驚異のアインザッツで奏でられる14分前後の演奏は、ブルックナーのアダージョのように、魂が浄化されていく過程を体験できる。
ケーゲルは、東ドイツのライプツィヒ放送響やドレスデン・フィルの首席指揮者に君臨し、膨大なレコーディングを残したが、1990年、ベルリンの壁の崩壊の後、ピストル自殺をした。
70歳であった。
自由化後の仕事に不安を持ち、鬱状態だったともいう。
オーケストラをひとつの楽器のように完全にコントロールする能力はカラヤンに匹敵すると思うし、そこで表現される音楽は、カラヤンよりもずっと深淵で、ときに危ないものだった。
現在の海外ビジネスマンのようなスマートで薄っぺらな指揮者が多い中で、生きていてくれれば貴重な存在になったはずである。
慰めにはならない、死と向き合う音楽だ。
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