2011年12月20日
カラヤンのショスタコーヴィチ:交響曲第10番(旧盤)
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カラヤンのショスタコーヴィチのレパートリーは交響曲第10番に限られていた。
奇妙といえば奇妙だ。
ショスタコーヴィチの作品は、直接あるいは裏に何かの意味が込められているとみなされている。
そしてカラヤンは、たとえオペラでさえも、意味など眼中にない演奏をする指揮者だった。
そのカラヤンが、この曲にはご執心だった。
なるほど、ここには意味などない。
"証言"がどうしたといった騒ぎが収まり、ソ連がなくなり、ショスタコーヴィチもとっくに過去の人ということになると、カラヤンこそ王道を行っていたのか、という気になる。
カラヤンの巧さ、ベルリン・フィルの巧さは際立ち、演奏効果満点。
この演奏効果をこそ、言葉を持たない交響曲第10番は求めている。
この1966年盤は、手慣れた感じのまったくしない初々しいアプローチに好感が持てる。
楽想の豊かな表情、雄大な構築、驚異的な演奏技術は感嘆すべきものだが、後の1981年の録音はさらに成熟し、彫りが深い。
もし1981年の録音がなければ、これがこの曲の最高の演奏といえるだろう。
彫琢された輝かしい音色と洗練の極致ともいうべき響きによる演奏が魅力の1枚といえよう。
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