2008年01月07日
セルジュ・チェリビダッケについて
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チェリビダッケの転機は、フルトヴェングラー亡き後のベルリン・フィルの指揮台をカラヤンに奪われたことだろう。カラヤンはさまざまな政治力を使って終身指揮者の座を手に入れ、レコード、映像などのメディアを駆使して自らがスターになるだけでなく、クラシック音楽のブームを世界中に広げた。
一方のチェリは、スウェーデン放送交響楽団、デンマーク王立歌劇場管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団などヨーロッパのオーケストラを渡り歩き、ドイツに戻るとシュトゥットガルト放送交響楽団、ミュンヘン・フィルなどの指揮台に立った(ようやくベルリン・フィルの指揮台に立ったのは、実に数十年後、カラヤンが亡くなりアバドの時代になってから)。
チェリビダッケは完璧主義者ゆえオーケストラに対して長時間のリハーサルを要求し、一方で「レコードは音楽を破壊する」といってレコードへの録音を拒否した(放送許可も一度だけ)。テンポは晩年になるにつれてますます遅くなり、解釈も恣意的になっていった。
私にはチェリの姿勢は何から何までカラヤンと正反対のことをしなければ気がすまない、とでもいいたげに映る。
そうした立ち振舞いが彼を神格化し、正規レコードがない分海賊盤に群がるファンが増え、いっそうカリスマ指揮者としてのベールは厚くなった。かくして存命中はライヴでしか彼の音楽に触れることができなかったが、没後、息子(映画監督)が彼の録音のCD化を承諾。DGとEMIから、それぞれシュトゥットガルト放送交響楽団とミュンヘン・フィルでの演奏がCD化された。
さて、恣意的な解釈といっても緻密なプロファイリングののちに再構築してみせる力量は並みの指揮者にはない。そのあたりは、上にあげたDVDとCDで計り知ることができる。
彼がレコード録音を否定し続けた理由は「音楽は演奏されるその空間にいてこそ触れることができる《再現芸術》なのだ。」という主張にある。図らずも世界中の家庭で聴かれることになったチェリの録音は、磨き抜かれた美しい弦の響き、厚みのあるアンサンブルもさることながら、ホールの隅々にまで気を配った彼の緻密な音創りを明らかにした。
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