2008年01月07日
「女性」幻想交響曲
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ベルリオーズには、女性をめぐるエピソードは無数にあるとはいえ、それはむしろその時代の「芸術家」には当たり前の事だったと言っておこう。彼はとりわけ好色であったわけではなく、女性を過大評価していたにすぎない。つまり、ベルリオーズは「ロマン派」の作曲家だったからだ。
ロマン派の音楽は男性の音楽だ。なぜなら、その向こうにはいつも女性がいるからだ。ロマン派の音楽は「超人」を求めるのではなく、「人間」を、とりわけ「女性」を求めているのだ。
ドイツ・ロマン派の音楽は慎み深く、臆病で遠回しだ。「女性」に語りかけるにも、わざわざ、宗教や哲学や詩をもち出し、それを長々と、あるいは抽象的に語り続け、知らぬ間に、本当に言いたかったことがわからなくなり、逆にどこにもない真実の探求に出かけることにもなったりするが、ロマン派特有の偏執症も、ここでは、むしろ、分裂症の気配を帯びてくる。
ロマン派の作曲家には、多少なりともこうした神経症が特権化する独自性が認められるが、その結果、責任などもともと取るはずもない音楽にすっかり弄ばされ、狂気を死の境を越えていった人々も少なくない。
しかし、ロマン派の音楽の沈没からベルリオーズを救っているのは、救命ボートのようなその鮮やかさだ。それまでになかった大規模な管弦楽といい、古典派が完成した形式など構わない派手な語り口といい、ロマン派のメランコリーと縁を切り、躁状態をしたたかに保ちつつ、どこにもいるはずのない「女性」の気をひこうと必死になっている。
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コメント一覧
1. Posted by gkrsnama 2010年02月01日 23:31
クラシック音楽が取り上げるものは3つあると思います。
一つ目が構造化、これは西欧クラシック音楽に特有な性格で、いいにせよ悪いにせよ強烈に特徴づけています。
2つ目が愛、これはどの音楽にも共通している点です。歌の始まりは異性への呼びかけであったのでしょう。
最後が死です。クラシック音楽は宗教音楽より発展してきましたら当然。幻想交響曲にも入っていますがチェラノのトマソ作「怒りの日」が嚆矢でしょうか。
19世紀においても愛も死も重要なテーマでした。幻想交響曲でも同じです。ただしベルリオーズよりも後の世代ではもっと死の翳りが濃くなります。ワグナーやマーラーがそうでしょう。その後の世代になると、愛は消え死ばかりがあふれることになります。「月に憑かれたピエロ」「ヴォツェック」「火刑台以上のジャンヌダルク」「青髭」「中国の役人」「死者の復活を待ち望む」、20世紀前半は危機の時代だったんでしょうね。ジャンヌダルクの時代と同じく
(いえ最近映画見たんですよ、ついでにいうとジャンヌのネタ上にも2つもありますよね=青髭はジルドレ元帥がモデルになっています)。
一つ目が構造化、これは西欧クラシック音楽に特有な性格で、いいにせよ悪いにせよ強烈に特徴づけています。
2つ目が愛、これはどの音楽にも共通している点です。歌の始まりは異性への呼びかけであったのでしょう。
最後が死です。クラシック音楽は宗教音楽より発展してきましたら当然。幻想交響曲にも入っていますがチェラノのトマソ作「怒りの日」が嚆矢でしょうか。
19世紀においても愛も死も重要なテーマでした。幻想交響曲でも同じです。ただしベルリオーズよりも後の世代ではもっと死の翳りが濃くなります。ワグナーやマーラーがそうでしょう。その後の世代になると、愛は消え死ばかりがあふれることになります。「月に憑かれたピエロ」「ヴォツェック」「火刑台以上のジャンヌダルク」「青髭」「中国の役人」「死者の復活を待ち望む」、20世紀前半は危機の時代だったんでしょうね。ジャンヌダルクの時代と同じく
(いえ最近映画見たんですよ、ついでにいうとジャンヌのネタ上にも2つもありますよね=青髭はジルドレ元帥がモデルになっています)。