2008年01月07日

マーラー・ブームが一段落して考えること


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マーラーの雑多な音楽の混在という在り方は、どうみても西洋の伝統的な音楽に対する反逆である。ベートーヴェンの「運命」が高く評価されるのは、作品が揺るぎない統一性をもって作られているからである。音楽とは、いや芸術作品とはそういうものでなければならぬ、それが西洋の伝統だったのである。そういう形での統一への意志がマーラーの音楽には完璧に欠けている。しかし、そのことによって彼の音楽はかえって新しい可能性を開くことができたといえるかもしれない。

伝統的な西洋の音楽が作曲家の明確な表現意識に支えられた合理的な音楽であったとするなら、マーラーの音楽は無意識のうちに展開する夢の世界のような音楽であるといってもよい。しかし、それは決してバラバラな出来事の集積ではない。夢の中に出てくるそれぞれの人物や出来事はほとんどが見知ったものであり、それらが緊密な統一性によってではないが、多様な連想関係によってゆるくつながれている。だから、統一性がなくてもわれわれは奇妙にリアルで鮮烈な印象を抱き、そこで昼間の意識のもとでは体験できないようなわくわくするような体験を味わうのである。

マーラーの音楽のもたらす体験にはそのようなところがある。どこかで聴いたような見知ったような音楽が懐かしくも出現する。しかしその既知のイメージがとんでもないコンテクストでとんでもない音楽と結び付くことによって、われわれは様々に連想をふくらませて、結び付きがあるようでないような奇妙なリアリティを体験するのである。

こういう音楽の味わい方は、伝統的な音楽の味わい方とは相容れないところがある。緊密に統一されたベートーヴェンの世界を数学の論証を読むように息を詰めてたどっていくのとは違って、マーラーの音楽の体験はグラフィック雑誌をパラパラめくっているようなところがある。聴き手は適当に息を抜きながら好きなように音楽に耳を傾け、自由に連想を働かせてイメージをふくらませてゆくことができるのである。

そしておそらく、そういう聴き方をしなければ、あの長大な音楽を聴き通すなどということは不可能であろう。そういう聴き方が現代的であるというのなら、かつてマーラーの音楽が理解されなかったというのも、当然すぎるほど当然のことだったのかもしれない。

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classicalmusic at 11:30コメント(0)トラックバック(0)マーラー  

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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