2008年01月07日

オーディオは代用品ではない


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つまり、前項でも述べたようにオーディオは生演奏の代用品ではなく、それ自体が独立した音楽の聴取形態なのである。そして、オーディオがあって初めて普及するようになった音楽ジャンルも存在する。

例えばチェンバロやクラヴィコードあるいはリュートなどは音量が小さく、とてもコンサート・ホールで演奏できる代物ではなかったから、19世紀には全く忘れられてしまった。しかしオーディオのおかげでこれらの楽器の個性が再認識されるようになってきている。

オーディオのもうひとつの特徴は、CDやDVDでは繰り返し聴くことができる、という点にある。特に大規模な管弦楽曲などは、1回聴いただけでとらえられるものではない。2回、3回と聴くうちに、細部の微妙な表現から全体の構築性に至るまで、作品がより明確になってくるものである。

これはオーディオだから可能なのであって、もし一生のうち一回しか聴けない状況であれば、作品の理解ははるかに浅いものとなるだろう。

「何回も聴けると思うと真面目には聴かないものだ。一回だからこそ、全身全霊をあげて、一音も聴きもらすまい、と真剣に聴くのだ。」という反論もあろうが、これは負け惜しみだ。

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classicalmusic at 16:48コメント(2)トラックバック(0)筆者のこと  

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コメント一覧

1. Posted by gkrsnama   2010年02月28日 13:51
クラシックの奏者は缶詰音楽に違和感を持っているようです。代表的な意見が、音楽とはその場で鳴って消え去るべきもの。今では「残念な」ことに音盤があるが(レオンハルト)、というものです。「なんども繰り返し聞かれる」に対処するため、多くの奏者はライブのように自由に出来ず表情を押さえ勝ちになるようです(フルトヴェングラー、ラインスドルフは自分でそう言っている、マルケヴィッチだけは缶詰の方が過激)。今、缶詰があふれているんですから、そんな心配は無用なんでしょうけど。

もうひとつが、再生機の能力です。チェリはこの点の不信から缶詰は作りませんでした。遺憾なことに、再生機によって聞こえる音楽が変わります。例として音質だけですがウチの再生機ではステレオ初期盤やEMIやフィリップスの音は最高、DGGは最低に聞こえますが(当然例外はある)、世評は逆です。なに、世の再生機の方が低品質だと思ってるんですがね。
2. Posted by gkrsnama   2010年02月28日 14:01
フルトヴェングラーは缶詰収録の際に「なんども繰り返し聞かれる」に対処するために、いつもの自分を抑えたように聞こえます。でもその心配は杞憂だったのではないでしょうか。

復帰演奏会の第五、ベルリンの第九、最後の演奏会のブラームスやフランク、こういう一期一会の録音はもう毎日聞いても飽きません。さすがに何度も聞いていれば駄耳にもミスはわかりますが、そんなものを指摘して何の意味があるのでしょう。

(JAZZにもありますよ。パーカーのカーネギーコンサート。パーカーは重度のジャンキーで、当日も現れないのでホテルのドアを破って入ってみると、舞台衣装のまま風呂で伸びていたそうです。よたついているパーカーを無理に立たせた録音がこれ。解釈の斬新さと完成度、バイロイト第9のコーダ並みの猛烈なテンポで、奇跡のうちに数えられます)

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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