2008年01月07日

平均律がすべてではない


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バッハ以来の西洋音楽の流れのすべてのもとが平均律であったのはもう言うまでもない。

しかし、その平均律が18世紀から20世紀にかけてのヨーロッパ土着音楽の一音組織に過ぎない事を忘れてしまってはいけない。世界中には平均律等と無縁な様々な素晴らしい音楽がある。

しかし私たちの耳は知らず知らずのうちに平均律に支配されていることが多い。

例えばガムランを調子外れと思ったり、日本民謡の正調何々節を音痴だとかフィーリングが違うとか少しでも思うなら、それは私たちの耳が慣習と教育によって平均律に毒されている証拠である。

平均律は、音楽を発展させたと同時に私たちの耳をそこにしばりつけるという、両義的な働きをしたわけである。

平均律の先入観にとらわれずに心を開き耳を澄ます方が音楽体験としてはよほど豊かであることだろう。

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コメント一覧

1. Posted by gkrsnama   2010年02月28日 13:15
西欧音楽では固定した調律を確立しようとしてきた歴史を持っています。

音律とは、ギリシア自然学においてその単純な比例関係から宇宙の秩序の探求として始められたものです。しかし厳密に計算すればどうやっても余りが出るわけで、その処理としていろいろな音律が提唱されてきました。今でも、中全音律やヴェルクマイスターは盛んに使われています。みんなシンセサイザーに入っているそうです。

東アジアでは状況は変わり、固定した音律はありません。調律は演奏の一部なのであり、奏者の判断で変えていい。結果、日本の古典音楽では和音はありません。

この音律の自由さという点で、故小泉文夫氏は東アジア音楽の西洋音楽に対する優位性を主張しておられました。
2. Posted by gkrsnama   2010年03月03日 00:12
西洋でも弦楽器や声は自由に調律できるため、楽譜が平均率でも実は純正律で鳴らしているとか。鍵盤や管は自由に調律できないから、平均率になる。西洋音楽には「理念としての」純粋な音、「常に調和する」音と、いう発想があるのかもしれませんね。

さて、中国や日本では笙という楽器を使います。必ず2つの管がなるのですが、実はこれバグパイプやハーモニカと違って不協和音がなるのです。調和だけが音楽じゃない、不調和の中の調和を味わうみたいな世界もあるってことでしょうね。

世界の音楽ではクラシック音楽とそこから派生した大衆音楽が支配的ですが、当然に音楽はそればかりではありません。ぼくはいろいろ聞くようにしています。

民族音楽を大胆にクラシックに取り入れたチャベスの交響曲なんかおもろいですよ。

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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