2008年01月14日
カジュアルなぜいたく
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わたしたちは、ぜいたくになってきた。たんに物質的なぜいたくということだけではなくて、ぜいたくな時間、ぜいたくな空間を体験したいと思っている。
そのひとつの現われとして、音響も雰囲気もいいホールで、いい音楽をゆったりと楽しみたいという欲求も出てきているのだろう。
すると、これは下品な音楽ではいけない。やっぱりここは、クラシック音楽に登場してもらわなければなるまいということになるのである。
たしかに、クラシックは軽く聴かれるようになった。近寄り難い権威というのはなくなっただろう。
しかし、品のいい高級な音楽というイメージ、ハイ・アートとしての権威は、依然として保持されているのではないだろうか。
だからこそテレビCFが《高級感を出すために》クラシックを使ったりするのではないか。
言い換えれば、クラシックは近寄り難い権威から近寄り易い権威になったのである。誰もがカジュアルに楽しめる高級品になったのである。
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コメント一覧
1. Posted by gkrsnama 2010年02月24日 02:12
ぼくがクラシック音楽を聴くのは、他のジャンルに比べより高く跳べ、より遠くまでより深くまで達することができるからです。それが権威だからではないのはもとより、ハイソな趣味だからなどではありません。(そもそも作曲家は血を吐くような思いをして自らの叫びを書きとめたのです。ハイソなカルチャーって?)それゆえ、クラシックにはない音をもったジャンルの音楽には、敬意をはらいます。(へヴィメタルやJAZZ)
蝦夷では器楽やオケはそうでもないのですが、室内楽のコンサートにはハイソのお上品な社交の感覚が漂います。反感を感じたので、次回のリクエストに激辛音楽(バルトークとショスタコビッチのヴァイオリンソナタ)を書いておきました。
バルトークはともあれショスタコビッチには恐怖を感じたかも、ひひひひひ。(つまり体力と技巧の限界を問われる音楽で、朝日新聞評によれば、かなりのコンサートで終わりまで弾けないそうです。)
蝦夷では器楽やオケはそうでもないのですが、室内楽のコンサートにはハイソのお上品な社交の感覚が漂います。反感を感じたので、次回のリクエストに激辛音楽(バルトークとショスタコビッチのヴァイオリンソナタ)を書いておきました。
バルトークはともあれショスタコビッチには恐怖を感じたかも、ひひひひひ。(つまり体力と技巧の限界を問われる音楽で、朝日新聞評によれば、かなりのコンサートで終わりまで弾けないそうです。)