2008年01月31日
神童とは
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まだろくすっぽ育ちきっていない年端もいかぬ子供が、驚くほど巧みにコンチェルトの一つもきらめかせたりすると、所詮はガキ、とスガ目で見つつも、その実、もしや神童、とうろたえる。
半分は聴き手の横着な予断のせいだが、残りの半分は、オトナではよほど突出した《売り》がないとなかなか世の関心を引くことはできないけれども子供ならもしかすると聴き手の耳に下駄をはかすことができる、ともくろむ売り側の事情に由来する。
さすがに3〜4歳の幼児の演奏に耳を貸す暇人はいなかろうが、それでも10代前半の天才少年・天才少女のその手の「鮮烈デビュー」は後を絶たない。
というわけでこの言葉、毀誉褒貶半ばする《夢》の言葉だが、考えてみれば音楽は響きの芸術である。
成熟やら深みやらを裏打ちする《情感》は響きの上に作り上げた聴き手の妄想であり、響きの感性はそれとは別物、おそらく年齢にはよらない。
ならば《うまさ・味わい》で耳を縛りつけることをやめ、響きの感じ方に素直に耳を傾ければ、もっとトキメキに近い言葉になるかもしれない。
かつて高度成長が始まる日本にあって、幼くして周囲の大きな期待を集め、《世》に向けて飛び立とうとしたものの、その重圧に耐えきれなかったのか悲惨にも蹉跌してしまった渡辺茂夫というヴァイオリニストの物語は、「神童」とのつきあい方を改めて示唆してくれているようだ。
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