2022年05月19日

未完のトルソー、不世出の巨匠ギレリス、未だ他の追随を許さない、ベートーヴェンこそ真に対決すべき作曲家、強い精神集中の向こうにより開かれた世界を開示


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1985年に69歳の誕生日を目前にして没したギレリスは、晩年ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音に取り組んでいたが、残念なことに未完のままに終わった。

ギレリス後期のレコーディング活動は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集がメインとなった。

残念なことに、彼の突然の死によって、全集の完成はあと5曲を残して未完になってしまったものの、録音された27曲の演奏内容はどれも充実したものばかり。

かつての「鋼鉄の腕をもつピアニスト」も、すっかり角がとれて、福徳円満な巨匠に円熟している。

ゆったりとした歌が魅力で、これらの名曲を手中にした自信のようなものがあり、未完ではあっても、今日のベートーヴェン演奏の最高の指針といえよう。

彼の残した演奏はいずれも特筆すべきもので、その強靭なタッチと正確無比なピアニズムはベートーヴェンに最も相応しい。

そうしたギレリスにぴったりの最後のソナタ第32番が録音されなかったのは断腸の思いだが、録音された作品に聴くギレリスの精神の集中力には驚くべきものがある。

つまりギレリスの演奏は、ベートーヴェンこそ彼が真に対決すべき作曲家であったことを如実に物語っているのだ。

その豊かな表現の底には常に鋼の精神があり、ベートーヴェン作品の大きさと奥行きの深さをよく知らしめる演奏である。

ギレリスのベートーヴェンのディスクはいずれも高い評価を得ているが、全体のスケールが大きいだけでなく、細部のすみずみまで磨き抜かれた演奏で、1音1音があざやかに浮かび上がってくる。

力強い一方で、内に秘められたデリケートな抒情性が何とも心憎い。

各部のバランスも良く、非常に安定している。

それぞれの曲の冒頭から聴き手をひきつけ、最後まで緊張感がとぎれないのはさすがである。

ギレリスの強靭なタッチとダイナミック・レンジの広さも魅力的で、彼はつねにコントロールを失うことなく、オーソドックスに、ひとつひとつの音を積み重ねて、音の大建築を作り上げていく。

甘さはないが、格調高い演奏で、シーリアス過ぎてついていけない人が続出しそうだ。

聴きものはやはり後期のピアノ・ソナタ。

《ハンマー・クラヴィーア》は驚くほど高い透明度を持った演奏。

あたかも作品の構造そのものが自らの意志で音楽として鳴り響くという趣だが、これは知と情が作品の特質に従ったバランスを見せるということで、完璧に音楽的な演奏といえる。

余分な感情の動きや情緒のひだがまとわりつくということもない。

そしてギレリスのいわば構造的演奏は第4楽章のフーガでその真価を十全に発揮している。

演奏者本人が「エヴェレストに登るよう」と語った、ひとつの規範となる現代的解釈の名演。

第30番と第31番は1985年10月に急逝したギレリスが残した文字通り最後の録音。

いずれも流麗な演奏で、年齢からは考えられないほどみずみずしい響きだ。

特に第31番は出色の出来で、フィナーレのフーガの前に置かれているアダージョ・マ・ノン・トロッポは、もの悲しい淋しさをしずしずと歌いあげ、弛緩した趣が全くなくてさすが。

ここにはギレリスが到達した最後の境地が示されている。

しかもこの2曲からは、強い精神集中の向こうに、より開かれた世界をうかがい知ることができる。

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classicalmusic at 21:15コメント(6)ベートーヴェン | ギレリス 

コメント一覧

1. Posted by 小島晶二   2022年05月20日 02:24
5 何も申し上げる事は有りません。最高最上のベートーヴェンの演奏集と言っても過言ではないでしょう。厳粛で格調の高い演奏を支えているのは静寂の中から湧きだす様なグラモフォンの優秀な録音だと思います。13, 14, 17, 18,23番辺りの初期中期の作品も素晴らしいですが,仰る通りやはり後期の作品の演奏が秀逸だと感じます。特に私が惹かれるのは29,31番の2曲でしょうか。ここは和田さんと意見が一致しましたね。でももしギレリスが32番を演奏してくれていたら,どんな演奏に成ったのか想像すると息苦しくなります。
2. Posted by 和田   2022年05月20日 08:07
ギレリスのベートーヴェンのピアノ・ソナタ集は、彼の死によって全曲録音が完成しなかったのは残念ですが、第1、9、22、24、25番の5曲を除いた27曲とベートーヴェン13歳の若書きの作品、選帝公ソナタ2曲が収録されています。ギレリスの演奏についてはしばしば鋼鉄のタッチだとか武骨とかの形容詞が使われますが、いずれも舌足らずの表現で私自身は彼のピアノに野放図な打鍵やある種の不器用さを感じたことは一度もありません。言い換えればギレリスに対するそうした批評は彼の奏法のごく一部を捉えたもので、決して彼の典型的な音楽性や解釈を言い表し得ていないと思います。確かに彼が時として獅子のように突進することも事実ですが、グラモフォンに遺されたCDを鑑賞するなら、『ワルトシュタイン』や『ハンマークラヴィーア』に聴くことができる堅牢な音楽構成と究極的ダイナミズムの美しさとを、またショパンやリストでは非常にきめ細かで変化に富んだタッチを使い分けていることが理解できるでしょう。
3. Posted by 小島晶二   2022年05月20日 08:32
ギレリスの<ワルトシュタイン>も秀演ですが,今ひとつ出だしのリズム感が私にはしっくり来ない。この曲に関してはバックハウス最後の演奏には及ばないと思います。ギレリスのショパンについて言及していただいたのは極めて欣快。彼のポロネーズ等は素晴らしいが,興味深いのはソナタ3番。ポリー二やアルゲリッチの深刻な演奏に慣れた耳には晴れ渡った青空の様に新鮮な高揚感に満ちています。リストはどうですか。
4. Posted by 和田   2022年05月20日 08:39
「まさに君そのもののように、信じられぬ程美しく、偉大でかつ愛らしく、深遠で高貴である」とピアノ・ソナタについてワーグナーは、リストに宛てた手紙の中で述べました。リストはこの曲をシューマンが「幻想曲」を自分に捧げてくれた返礼として、シューマンに献呈しました。単一楽章で書かれている幻想曲ふうのこのソナタは、5つのテーマが変容し、拡大し、複雑な構造を基盤とした巨大な建造物と言ったほうがふさわしい作品です。ポリーニは、そのような構成を完璧な技巧によってあらわにしていますが、例えば、楽譜に「グランディオーソ」と記されたところで、リストがロマン主義的情感を最大限に込めた主題(愛の主題と呼んでもよいでしょう)の所になると、全体を形づくっている一つの素材といった印象しか与えず、情感に欠けているのです。ギレリスの演奏は、逆巻く奔流、嵐のようでありながら、愛の主題では、美しい音色に支えられ、音楽が一瞬止まってしまうのではないかと思われるような弾き方で、息づまるような心の動きを伝えています。リストの高邁な思考、ロマン主義的激情を、ギレリス盤ほど見事に表現した演奏もありますまい。
5. Posted by le chat noir   2022年06月18日 20:06
5 素晴らしい〜〜。
6. Posted by 和田   2022年06月18日 20:48
私も偉大な学者に出会えて幸せです😂

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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