2008年02月21日
ドビュッシーの贅沢
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音楽はしばしば不在を存在におきかえることができる。
だからノスタルジーはしばしば音楽のものである。
そして、ワーグナーの音楽は、神学や哲学がそうであったように、生の虚無を壮大さの幻想によって置き換えた。
ドビュッシーは「ベートーヴェンが展開部に執着するのは、もう何も話すことがないからだ」と言ったが、「何も話すことがない」ことは話題の貧しさではなく生の貧しさであることは言うまでもない。
彼にとって、当時の音楽の「存在」そのものであった神や超人を探しに出かけて「不在」の音楽は、生の貧しさの言い訳以外の何ものでもなかったのだ。
ドビュッシーの音楽は遠くから聴こえる。
しかし、それは不在ではない。
書斎や教会の外に、「牧神の午後」のまどろみのなかに、鳴り渡っている。
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