2022年05月20日
単なる記録という意味を越えた、音楽とは何かを考えさせられる🤔バックハウス『最後のリサイタル』実況録音
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1969年6月26日と28日の両日、バックハウスは南オーストリアのケルンテン音楽祭に招かれ、リサイタルを開いた。
ニ日目の演奏途中、急に具合が悪くなり、最後の曲目であるベートーヴェンのピアノ・ソナタ第18番のフィナーレを弾けなくなってしまった。
しばらく楽屋で休んだ彼は、ベートーヴェンの代わりにシューマンの「夕べに」と「なぜに」、シューベルトの即興曲変イ長調D.935-2を弾き終え、そのまま病院に運ばれた。
その7日後の7月5日、心不全のため、ケルンテンのフィアラで85歳の生涯を閉じたのである。
「余暇には何をなさいますか」「ピアノを弾きます」。
バックハウスとはまさにこの言葉どおりの「生涯」「ピアノ弾き」であった。
そんなバックハウスの死の7日前に行なった『最後のリサイタル』は、幸い録音されている。
ここに聴く巨匠の音楽は、何と強靭で確固としたものであることだろう。
モーツァルトの《K.331》冒頭に置かれたカデンツの分散和音からして気高い音楽である。
最晩年の枯れた芸の極致とでもいえるような内容の深さをもった演奏で、モーツァルトとしては、やや重厚にすぎるが、聴きこむほどに味が出てくる名演だ。
前半のメインのベートーヴェン《ワルトシュタイン》が稀有の名演だと思う。
第2楽章の深い瞑想性、そして、クナッパーツブッシュのワーグナーを想わせるフィナーレの深遠な呼吸と表現の巨大さ。
まさに渾身の演奏であり、ここに命の灯を燃やし尽くした巨匠は後半の《第18番》を最後まで弾くことができなかったのである。
シューベルトの3曲の率直な味わい深い表現など、まさしく晩年のバックハウスのものである。
前述のようにベートーヴェンのソナタ第18番は精彩がなく、演奏は中断される。
シューマンの小曲2曲の枯れた、だがみずみずしい抒情の美しさなど、辞世の歌というにふさわしい絶品である。
その深い瞑想と寂寥感において他に比肩しうるピアニストは一人もいない。
単なる記録という意味を越えた、音楽とは何かを考えさせられる演奏である。
日本語解説書だけでも充実を極めているので、是非読んでいただきたい。
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コメント一覧
1. Posted by 小島晶二 2022年05月22日 00:36

2. Posted by 和田 2022年05月22日 00:50
いずれの楽曲の演奏も神々しささえ感じさせるような至高の超名演です。既に録音からほぼ50年が経過しており、単純に技量面だけに着目すれば更に優れた演奏も数多く生み出されてはいますが、その音楽内容の精神的な深みにおいては、今なお本演奏を凌駕するものがあらわれていないというのは殆ど驚異的ですらあります。まさに本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるでしょう。バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものです。飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではありません。しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れています。全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどです。したがいまして、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要します。バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能ですが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、まさに孤高の至芸と言っても過言ではないのではないでしょうか。
3. Posted by Josh 2022年07月03日 12:28

4. Posted by le chat noir 2022年07月03日 18:46


5. Posted by 和田 2022年07月03日 19:18
私もシューベルトのピアノ曲好きです。若くして梅毒に冒されてさぞかし悔やんだことでしょう。
6. Posted by 和田 2022年07月27日 19:52
過労とストレスでぶっ倒れており、返信が遅れて申し訳ありません(__)バックハウスの演奏というのは、ベートーヴェンを弾いた場合もそうですが、実に淡々と弾きあげていながら、そのなかに、枯れた味わいといったものがありますね。最後のリサイタルでも堅実そのものの表現を行いながらも、そこに、即興的な適度な"遊び"の気分を表出していて聴かせます。最後とは言っても、感傷的な抒情はいっさい排除されていますが、いいたいことはいい切っているといった、音楽にとって真にエッセンシャルなものだけが提示されています。何の気負いもなく、誠実にシューベルトに対しているバックハウス。親しみを覚える演奏です。アンコールのシューマンでも、決してこの作曲家のロマンティシズムには溺れません。二次的な雰囲気は全く漂っていないのに、その演奏はまぎれもなくシューマンの想念を伝えています。永遠不朽の名盤でしょう。またのコメントお待ちしております。