2008年03月09日

ブルーノ・ワルターの音楽観


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ワルターはロマンティシズムの体験者であった。それは第1次大戦後の新しい音楽の流れに対してとった態度からも明らかである。

彼はシェーンベルクの「グレの歌」や「浄夜」には愛着を示しながら、十二音技法には疑問を投げかけている。

彼の次の世代の指揮者たち、クレンペラー、クライバー、フルトヴェングラーがかなり積極的に新しい傾向の作品を取りあげたのに対し、ワルターは消極的であった。

ただ彼のロマンティシズムは世紀末的なデカダンスとは無縁なもので、人間が本来もっている性格の一つとしてのロマンティシズム、言葉をかえれば人間性そのものであった。そのことはミュンヘン時代を回想する彼の言葉によく表わされている。

「戦争や革命や政治的な改造があったにもかかわらず、当時の世界は相変わらず、文学と音楽、学問と人間性がみずからのかちえた地位を主張し、十戒と人間的な良心が千年にわたるその支配権を行使できるような(中略)ものであった。それはわれわれの音楽が生まれた世界であり、人間精神の偉大な業績が作り出された世界だった。」(『主題と変奏』)

ワルターの芸術の本質が楽天的で、メランコリーであるにしてもペシミスティックな陰がないのは、それがこのような世界観、音楽観に根差しているからである。

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classicalmusic at 15:22コメント(2)トラックバック(0)ワルター  

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コメント一覧

1. Posted by Az猫ロメ   2009年05月15日 09:15
「彼はシェーンベルクの「グレの歌」や「浄夜」には愛着を示しながら、十二音技法には疑問を投げかけている。彼の次の世代の指揮者たち、クレンペラー、クライバー、フルトヴェングラーがかなり積極的に新しい傾向の作品を取りあげたのに対し、ワルターは消極的であった。」 の文中の十二音技法に対するフルトベングラーの評価に疑問を感じます。
 たまたま古本屋で見つけたフルトベングラーの『音と言葉』には、「ベートーヴェンと私たち」の章で、次のように書いています。
『近代において---芸術の生命の中に・・・ゲーテ的な意味においての「琢磨された形姿」など割り込む隙間はどこにもない・・・近来、現代の作曲家の中に上昇的にいよいよ多数の拝跪者を獲得しているアーノルド・シェーンベルクが発見するところの十二音音楽のシステムの理論と実践においては、例えば、このような「琢磨された形姿」を原理的に認めようとしません。・・・これまでの音楽とは---ベートーヴェンの音楽もそこに所属するわけですが---絶対的に、その根底から隔絶したものなのです。』

 この文章は一例ですが、フルトヴェングラーの十二音音楽に対する「疑問」を示す文章は結構あります。

 「作品を取り上げた」と云っているだけで、別に、「共感・評価」していると云っているわけではない、と云うこともできますが、いささか、誤解を生みやすいものがあるのではないでしょうか。
2. Posted by 和田   2009年05月15日 10:14
Az猫ロメさん、コメントありがとうございます。
誤解を生む表現があったら申し訳ありません。そのテーマに関して述べています。
http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/50858863.html
ご参考にしていただいたら幸いです。

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Profile

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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