2008年03月29日
音楽の保護者(音楽家のパトロン)
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音楽という芸術は、必要なときにはいつでも金を出してくれる人間たちの寛容さに支えられていた。
教会はカトリック、プロテスタントを問わず歴史上、最も有力な保護者だった。といって音楽が芸術として奨励されていたのかというと、そうではない。音楽は礼拝に必要な装飾のひとつであったのだ。したがって音楽家の育成と保護が教会によってなされたのである。作曲家や歌手は典礼に参加する必要性から、聖職者を兼ねることも稀ではなかった。
音楽と教会の結びつきと同様に、音楽家と国家、ならびに貴族のような有力者との関係も見落とすことはできない。知られるとおり、フランスの絶対王政は17世紀以降、音楽を宮廷の庇護のもとに置き、フランス音楽は宮廷生活という新たな礼拝のメディアとして独占された。ルイ14世はジャン・バティスト・リュリを登用し、王立音楽アカデミーを設立した。
フランスの絶対主義時代の最大のパトロンがルイ14世であったとすると、そのような意味でドイツを代表する絶対君主は、時代もコンテクストも異なることになるが、フリードリヒ2世(大王)であるといえよう。絶対王政の時代の末期に位置する彼は「啓蒙専制君主」と呼ばれ、文化の振興に力を注いだ。教養が高く、平和を重んじた大王はフランスからヴォルテールを招いて教えを受けたりもしていた。
大王がすでに宮廷伴奏者となっていたエマヌエル・バッハと通して、その父ヨハン・セバスティアン・バッハをプロイセンに呼び寄せたことは広く知られた事実である。
1747年、バッハは大王に初めて謁見した。最初の謁見の時から大王はバッハにフーガのためのテーマを与えたという。ライプツィヒに戻ったバッハは王に与えられたテーマを基にした楽曲を譜面にし、これを銅版に刻みこんで王に捧げた。有名な「音楽の捧げもの」である。
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