2008年06月13日

バーンスタインのマーラー「悲劇的」


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1991年9月にニューヨーク・フィルと再録予定の第8番を残してバーンスタインは世を去ったため、マーラーに関しては、この第6番が遺作となってしまった。

バーンスタインにとっての21年ぶりの第6番は、冒頭から凄いほどの推進力で突き進む嵐のような表現だ。

バーンスタインは、この作品のもつ構成的な強さを明確に打ち出した演奏を行っており、ことにオーケストラの対位法的処理が見事である。

暗い情感をよくあらわれた表情も迫力があり、その気迫には打たれる。

音楽が自然で響きに重量感があり、ディティールまで表情が鮮明な上に、マーラー独自の音構造やモチーフを的確に表現しながら、一瞬の渋滞もない劇的迫力で聴き手を圧倒する。

特に第1楽章のメイン・テンポが非常に快調なので、晩年のバーンスタインを敬遠していた向きにも薦められよう。

アルマの主題を、指定通り粘らないで歌い出す等、随所で楽譜の読みの深さが示されているが、それでいて、細部に足枷を嵌められたような窮屈さはない。

第1楽章などは、バーンスタインの再録のチクルス中、最も前進エネルギーの強い、剛毅な表現といえよう。リズミックに進む第2楽章も同様だ。

アンダンテは、たっぷりと旋律を歌わせているものの、一人よがりな微速前進というほどには粘らないので、第1楽章の中間部や、第2楽章のトリオ同様、バーンスタインのナイーヴな感性と、祈りの感情が程よくミックスされ、アット・ホームな音楽に仕上がっている。

しかし、この演奏の聴き所は、何といっても第4楽章にある。曲が盛り上がってきて、様々な要素が輻輳してくるほど、スケールが広がり、表現の重みが増してくるのがレニーの真骨頂。

展開部あたりからの、白兵戦さながらの凄絶なモティーフのぶつかりあい、394小節の大見栄等、山場の連続となる。

「亡き児」のハンプソンは表現的・文学的な歌を聴かせ、オケとの対照と融合が絶妙だ。

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classicalmusic at 04:28コメント(2)トラックバック(0)マーラー | バーンスタイン 

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コメント一覧

1. Posted by レニー狂   2008年06月16日 22:31
5 仰る通り、類い稀なる名演だと思います。
非常に好きな演奏なので、どういう言葉で表現すれば適切か迷いますが、私がこの演奏で素晴らしいと思うのは、どの表現にも一点の迷いや曇り、淀みがなく、「悲劇的」であることを十二分に楽しんでいる点です。逆説的ではありますが、「悲劇的」であるからこそ、音楽の喜びに満ちていると言っても良いかも知れません。考えてみれば、マーラーが最もその人生において幸せな時期に作曲されたこの曲に、創作の喜び、音楽の喜びが内在していない訳がありません。アルマに「不吉だからやめて」と言われながらも作曲した「亡き児」等も、そうした(空想上の)破滅への憧れと創作の喜びが見て取れると思います。
こうした悲劇への憧れと、音楽の喜びが混在している指揮者と言えばバーンスタインをおいて他にないでしょう。そうした意味で、この演奏は輝かしい響きと精神的充実で他を圧倒する名演だと思います。
2. Posted by 和田   2008年06月16日 23:05
仰せの意味はよくわかります。完全に「悲劇」になりきっているテンシュテットと比べると、バーンスタインがマーラーと一心同体の人であることを痛感します。

どの部分をとっても最高ですが、なかでも第1楽章のコーダの焦燥感はレニー狂さんご指摘の悲劇への憧れと、音楽する喜びが結晶されていて他の追随を許しません。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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