2008年07月06日
カラヤンのモツレク
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カラヤンとウィーン・フィルによるこの録音は、19世紀から受け継がれ20世紀が求めたモーツァルト像の一つの理想的な具現である。
「レクイエム」でありながら、そこに内在するエネルギーの噴出力はまぶしいほどで、カラヤン独特のデモーニッシュな吸引力が全編を覆う。
ワルター同様、情緒の濃い、ロマンティックな表現で、聴いていると恐ろしさが身に迫ってくるような感じすら受ける。
各楽章の性格を深く対照的に抉り、速い部分と遅めの部分の落差をつけており、オケの重厚な響きが圧倒的だ。
「キリエ」のフガートの構築性、「怒りの日」のエネルギッシュな緊迫感、「みいつの大王」の激しさ、そして、モーツァルトの筆の止まった「涙の日」の光さす永遠の表現と、どれを取っても晩年のカラヤンが200年余り前の同郷の天才の魂と呼応したとしか思えないような素晴らしい表現が聴ける。
さらにそれを具現するウィーン・フィルの柔軟な表現力とウィーン楽友協会合唱団のスケールの大きい表現も忘れられない。ウィーン・フィルのソフトであたたかな音色は、ベルリン・フィルには求められなかったものだ。
独唱4人は充実したアンサンブルを聴かせているが、特にトモワ=シントウとミュラー=モリナーリがすぐれている。
それにしても、この「レクイエム」の中から聴こえてくる"魔性"の誘いには抗し難いものがある。
オリジナル楽器によるスリムなモーツァルトの対極にある「レクイエム」である。
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