2008年08月16日
カラヤンのマーラー:交響曲第5番
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美しいマーラーである。バーンスタインに代表される感情移入の激しい表現とはまさに対極にある。あるいは"異端"といえるかもしれない。
マーラー特有の野趣味たっぷりのアクや毒が、ここでは美味なるものに変質してしまう。
徹頭徹尾、カラヤンの美学が行き届いた優美と洗練が感じられるマーラー演奏である。
カラヤンの耽美的といえるほど磨かれた響きはマーラーにふさわしい。これほど美しい、ひたすら美しいマーラー演奏も少ないだろう。
しかしきわめて大がかりな劇性の表明は、音響的には効果的であるが内面の充実が伴わない感がないではなく、マーラーの本質である悲劇性が音そのものに覆いかくされたような印象を受ける。
マーラー風というよりカラヤン風といわねばなるまい。
スラヴ風のふんぷんとした第2楽章や、ウィーン風味たっぷりの第3楽章のノドごしの良さ、両端楽章のソツのないスッキリとしたまとめ方など、アカを落として磨き上げるとこうなる、といわんばかりのスタイリッシュな表現。
白眉は第4楽章のアダージェット。大ヒットした『アダージョ・カラヤン』の筆頭曲として銘記されるべき演奏でもある。
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コメント一覧
1. Posted by 小林 正樹 2014年10月09日 13:10
カラヤンはその育った時代環境と密接に生きた人だと思う。貴族的美意識(腐っても鯛的な)、心に巣食う人種差別意識と、欧州独特の白人美学そんな世界にどっぷり浸かりながら、汚らわしいものやどん底の貧困社会への怖いもの見たさ的同情心など、背反意識150パーセントの20年代欧州に育った彼の美観の終点は、単純に、「美しいもの!」だけに「愛されたい」芸術美的マゾヒズム(歪む←冗談!)の極致ですな。実は斯く言う私めもほぼ同じ湯に浸かっていたいタイプなんです。山のように種々のカラヤンを聴いて来たのに、心から感じ入ったのは(感動ではない)この第5でした!もし私が指揮したらこう表現してえのじゃぁ、という欲望を見事見据えられた様に感じました。米国ユダヤ人のLB氏の演奏家的完璧さにはいつもほぼ同意してます(要するに好きやねん)。
2. Posted by 和田 2014年10月09日 19:14
おっしゃりたいことは私にもよく分かる気がします。
バーンスタインの解釈の方がマーラー的なのは当たり前ですが、カラヤンの独特の美意識のもとに演奏されたマーラーも捨て難い。
その意味でも「アダージョ・カラヤン」で、この曲のアダージェットを冒頭に選曲した人は慧眼ですね。
私は一時期ヨーロッパにいたことがあるのですが、白人による人種差別意識は根深いものがあったので、嫌になって帰国しました。
これは外国に行かないとわからないことだと思います。
だからといって、白人たちの文化を否定しようとはこれっぽっちも考えていませんが。
バーンスタインの解釈の方がマーラー的なのは当たり前ですが、カラヤンの独特の美意識のもとに演奏されたマーラーも捨て難い。
その意味でも「アダージョ・カラヤン」で、この曲のアダージェットを冒頭に選曲した人は慧眼ですね。
私は一時期ヨーロッパにいたことがあるのですが、白人による人種差別意識は根深いものがあったので、嫌になって帰国しました。
これは外国に行かないとわからないことだと思います。
だからといって、白人たちの文化を否定しようとはこれっぽっちも考えていませんが。