2008年12月17日

バーンスタインのモーツァルト:レクイエム(バイヤー版)


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レクイエムの名曲中の名曲とあって、極論すればどんな演奏でも聴き手を感動させてしまう見事な作りになっている。

あるいは作品の深い音楽性が演奏者の敬虔な心を著しく揺さぶるので異常な名演が生まれるのかもしれない。

ベームにはベームの方法論があり、ジュリーニにはジュリーニの方法論があるはずだが、不思議なことにこの曲に関しては、判断基準はいつも指揮者の"精神性"になってしまうのだ。

バーンスタインの場合も例外ではない。

ゆっくりとしたテンポで始められる冒頭から、深く曲の中に没入したバーンスタインの姿を見る思いがする。

オーケストラと合唱団も指揮者の表現をよく受けとめ、とうとうとした流れの中に深々とした思いを漲らせている。

「キリエ」のフーガでは力強い堂々とした構築が聴かれるし、それに続く「ディエス・イレ」も気迫に満ちた激しい表現で、演奏者のすべてが一体化している。

慟哭を思わせるような生々しい感情を演奏に重ね、「ラクリモーザ」などは形を逸脱しそうにもなっているが、指揮者はモーツァルトの力を借りて精神の均衡をとりもどす。

こういう壮絶な音楽はそうしばしば聴けるものではない。

楽譜や形式などになんの価値があるものか。媒体は消え失せ、精神だけが偉大なるものの慰めを求めてさまよっているような演奏に、音楽というものの不思議な力を否応なく実感させられる。

なお、当録音はバーンスタインの妻で女優フェリシア・モンテアレグレに捧げられている。

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classicalmusic at 02:47コメント(2)トラックバック(0)モーツァルト | バーンスタイン 

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コメント一覧

1. Posted by レニー狂   2008年12月19日 08:35
バーンスタインは意外と形式を重んじる所があって、彼独特のデフォルメはロマン派後期以降の作品では特に顕著ですが、ベートーヴェン、ハイドン、モーツァルトでは大きく形式を逸脱する演奏はしていません。その中で唯一、このレクイエムだけが形式に拘らす、唯一自らの精神の感じるところだけを頼りに表現しているように感じます。その意味では、ご指摘の通りこの曲の持つ音楽性、精神性が特別なのかもしれません。
演奏については、ご指摘の部分以外では、終曲の最後の和音のフェルマータ、教会の空気に溶けていくような響きが感動的です。
2. Posted by 和田   2008年12月19日 12:02
晩年のバーンスタインはウィーン・フィルを振るときは大人しく、バイエルン放送響とのこの「モツレク」やイスラエル・フィルとの「新世界より」、さらにはニューヨーク・フィルとの「悲愴」では、バーンスタインの感興が形式を逸脱して濃厚な演奏が繰り広げられますね。

マーラーの全集もそうでしたが、バーンスタインの曲とオケとの相性を選ぶ眼には感服させられます。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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