2009年01月29日

カール・リヒターの功績


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リヒターのディスクを聴くだけでは、その圧倒的な演奏に感嘆するだけで気が付かなかったことだが、広く参加者を募っての合唱団を自ら組織して、それをつねに一定の極めて高い芸術性と歌の技巧をもった団体として保つことには、大変な労力と精神力が必要だっただろう。

またいくつものプロフェッショナルなオーケストラから選抜した腕の立つ音楽家たちを一つにまとめて、「リヒターの個性」をはっきりと刻印した演奏とすることも同じである。

今にして思えば、リヒターはそれをほとんど何のバックもなしに、たった一人で実現していたのである。

音楽的にも彼は「ライプツィヒのバッハの伝統」に育まれはしたが、それに安住することなく、彼の時代の最も先鋭的で根源的なバッハ演奏、解釈を選び取っていた。

リヒターの衣鉢をつぐバッハ解釈者が存在しないのも、彼が自らの身を削ってまでバッハにこだわりつづけたからだろう。

今日バッハ演奏は、オリジナル楽器の歴史的な演奏慣習の知識なしには問題にもならなくなった。

リヒターはこの時代には属していない。

だが、リヒター以上に現代楽器の多様な表現力をバッハ音楽の本質と結んだ音楽家は、彼の死後にも出てきていない。

折に触れてリヒターの演奏を聴いて、そのバッハの音楽への敬愛の心の洗礼を受けたいものである。

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classicalmusic at 07:19コメント(10)トラックバック(0)リヒター | バッハ 

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コメント一覧

1. Posted by kanonhajime   2009年01月31日 17:33
ふたたびトラックバックありがとうございましたm(__)m。
そうでしたか、カール・リヒターを聞いて20年ですが、
「それをほとんど何のバックもなしに、たった一人で実現していた」とは知りませんでした。

かなり長寿の音楽家が多い中で、カール・リヒターは
めずらしく短命ですが、そんな命の削り方が
関係しているのかもしれないと思いました。

2. Posted by 和田   2009年01月31日 21:21
初期のリヒターはバッハの音楽や、それを現実の響きとするオルガンから離れる時間が惜しくて、何日も教会に留まってオルガンの椅子で睡眠をとっては、また練習に励むという日々を送ったそうです。

彼のバッハ演奏にはいつも、そうした自身にも厳しく、またバッハから離れては生きられなかったリヒターならではの作曲家への献身がバックボーンとなっているのを感じます。

3. Posted by あっき   2009年05月05日 15:09
5 はじめまして。
私にとって「バッハ演奏」はリヒターとグールドの二人に彩られたものです。

リヒターって、CDや演奏中の厳しい表情が印象的ですが、オルガン演奏は「心やさしく信仰篤い、ちょっと口べたな神父さんが布教にきました」って雰囲気がありますよね。
バッハが紡いだ音から表現される、人の喜びや悲しみ、神へ救いを求める叫びが、降り注ぐような雰囲気があります。
悩むことがあるときは、1979年の来日公演で演奏されたPiece d'Organ G-Dur BWV572 をよく聴きます。

あ、ランキングもぽちっとしておきました。
またこれからちょくちょくお邪魔させていただきますが、よろしくお願いします。
4. Posted by 和田   2009年05月05日 17:28
あっきさん、コメントありがとうございます。

リヒターの音楽活動は、バッハがヴァイマル、ケーテン、ライプツィヒの宮廷でつとめた楽師長、宮廷楽長、カントルといった役柄と同じ総合的なものと考えれば判りやすいですね。

つまり作曲家が同時に演奏家だった時代の音楽家の姿を具現したのが、リヒターの音楽活動でした。

今後ともよろしくお願いします。
5. Posted by K-T   2009年06月03日 15:17
5 1969年4月〜5月に、リヒターは手兵のミュンヘンバッハと来日しました。
「マタイ」と「ロ短調ミサ」をナマで聴いた感動は、40年以上経った今も鮮やかに蘇ってきます。
まるでバッハの霊が乗り移ったような、言葉では到底表すことが出来ない深い深い感動でした。
両曲とも暗譜での指揮でしたが、「マタイ」ではチェンバロを弾きながらの指揮で、合唱団の起立着席までも合図していました。
あの感動は、他のコンサートとは全く次元の異なるものです。
6. Posted by 和田   2009年06月03日 18:06
K-Tさん、コメントありがとうございます。
リヒターの生演奏を経験とのこと、誠に羨ましい限りです。
1969年といえば、私はまだ生まれてませんし、当然リヒターのライヴに接することができませんでした。
リヒター亡き後には、アバド、メータ、小澤、ムーティという指揮者がクラシック音楽界の看板ともいうべきスターとなりましたが、彼らの力量不足はどうにもなりませんでした。
彼らには、人々が芸術家に期待する「やっぱり普通とは違う」という狂気が感じられません。孤高のイメージが不足しているのです。
7. Posted by しろうと   2009年06月07日 21:08
古楽演奏の理由として”当時の”とよくいわれ、また響きがどうとかいわれてると思います。しかし例えば初期の蒸気機関車とか自動車が当時の人々に現代の人々が抱く懐古的な印象を与えていたでしょうか。とてつもない驚きと新奇さを与えていたのではないでしょうか。当時の生活とか価値観などまた生活のテンポなど所詮理解不能ではないでしょうか。当時の楽器、服装、美術品に囲まれたとしても。バッハー学識ある音楽家を読めば、バッハその人でさえとてつもない。古楽の方々はどう考えてるんですかね?
8. Posted by ボルボライフ   2009年06月10日 01:22
5 はじめまして

私もあっきさんと同じで、バッハ演奏はリヒターとグールド以外受け入れることができない者です。

昨年5月に娘の結婚式では、披露宴の音楽を私が決めさせてもらい、リヒターの管弦楽組曲と、ブランデンブルク協奏曲、音楽の捧げもので構成しました。最初の入場は組曲第2番第1曲、お色直し入場の時は第3番第1曲を使いました。

つい先日の5/25から6/3まで、高校生の頃から憧れだったドイツに家内と旅行し、ポツダム、ワイマール、ライプツィヒ、アイゼナッハとゆかりの地を訪問することができ、今だに興奮覚めやらず、といった状態です。
ライプツィヒの聖トーマス教会に行った時は我を忘れんばかりでした。

そんなわけで、最近個人ホームページ内に「バッハ傾聴」のページを作りましたが、近いうちに今回の旅行で行ったバッハゆかりの地の写真も掲載しようかと思っています。
9. Posted by 和田   2009年06月10日 11:50
カール・リヒターはバッハの音楽のためにこの世に生を受けたような人といってよいでしょう。自身がオルガン奏者であり、教会付属の音楽学校で音楽理論を学んだリヒターは、ミュンヒンガーのようにバロック音楽からロマン派作品までレパートリーを広げるようなことはせず、終生バッハや古典派作品を演奏し続けました。
使用楽器も古楽器ではなくモダン楽器、原典版以外のスコアを使用することも多かったのは事実ですが、そんなモダン楽器か古楽器かといった次元を超越するバッハへの想いがリヒターの音楽の中にはあります。
特に合唱団を巧みにコントロールし、そこから崇高なる精神に溢れし"天使の声"を引き出す手腕にはほとほと感服させられます。
10. Posted by ボルボライフ   2009年06月10日 12:22
和田様
コメントありがとうございました。
私も1969年にリヒターの演奏会を聴きに(ではなく“見に”と言った方が正しいかも)行きました。
その時は、初めて聴くゴールドベルク変奏曲でした。
今、リヒターの最後の録音盤と、グールドのデビュー盤を改めて聴きなおしています。

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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