2009年05月13日
ケルテス&ウィーン・フィルのブラームス:交響曲全集
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交響曲第1、3、4番はイシュトヴァン・ケルテスの亡くなる直前の録音。ハイドンの主題による変奏曲はフィナーレ部分のみが未収録のまま残されたが、ウィーン・フィルの団員がケルテスの死を悼んで、特に指揮者なしで録音されたものである。
図抜けた才能と人望から、将来の大成を期待されながら、テルアヴィヴの海岸で遊泳中、波に呑まれて事故死。
ハイドンの「ネルソン・ミサ」の本番を控えていたイスラエル・フィルの楽員、ソリスト、合唱団員たちの多くは号泣し、偉大な才能の損失に嘆いたという。
遺作はどっしりとした安定感があり、聴いた後に確かな手応えが残る演奏で、ひたすら堅実で落ち着きがあり、懐の深さを感じさせる演奏である。
第1番は終始しっかりとした足取りで進められ、第1楽章の主部では、ウィーン・フィルの反応にやや腰の重さを感じさせるものの、要所要所はしっかりと引き締められて、力のこもったクライマックスが築かれている。
ハイドンの主題による変奏曲も楚々としたたたずまいを見せる冒頭の主題提示から、力強い終結の主題再現まで、ストレートに盛り上がってゆく演奏である。
第3番はやや速めのテンポで押し進められる第1楽章や、じわじわと貫録の大きさをみせる終楽章もさることながら、第2楽章のさり気ない表情の中に歌心が満ちた演奏ぶりが感銘深い。
第4番ではさらに歌心があふれ、第1楽章では各フレーズに音楽が脈打っており、終楽章では終盤に入って力強い勢いを示す。
まさに正統派という言葉がふさわしい秀演だ。
1964年録音の第2番は、まるで果汁が染み出るようにジューシーなウィーン・フィルの音色に魅了される(来るべき悲劇の影は微塵もなく、それがいっそうの悲しみを呼ぶ)。
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コメント一覧
1. Posted by Kasshini 2016年11月02日 09:41
今、Youtube品質ながらケルテスのブラ1を聴いています。自分の中では、クリップスが一つの模範です。彼は、ブラームスが最も気に入っていたヴァインガルトナーの1番弟子であるからです。もちろんヴィーン訛りの体現者もあります。WPhで最も人気の高いジュリーニ、歌い方は好きです。ただ、このテンポは、少し苦手です。ブラ1のフィナーレでは晩年のベートーヴェンの弦楽四重奏曲で聴かれるような低弦の動きが幾分薄れる印象です。あとピークで木管が隠れがちかつトランペットの強さも。ケルテスの録音は、幾分クリップスよりもゆっくりと思いながらも、木管もよく録られ、WPhの美質をしっかりとらえた録音に思えてきます。もう少し脚光を浴びるにふさわしい演奏ではないでしょうか。
2. Posted by 和田 2016年11月02日 19:50
充分に長く生きることができないまま世を去らねばならなかった者の人生は、なんと考えるべき多くの事柄があることでしょうか。音楽の世界を見渡してみても、モーツァルト、シューベルト、ペルゴレージをはじめとして、夭逝した作曲家は少なくなく、彼らの短い時間のなかに凝縮された生き方は、我々の心を強くうちますが、そのようなひとたちのなかに、指揮者で名を連ねるとなると、やはりケルテスをあげることになるでしょう。1973年、彼が44歳の年、成長、円熟といった要素がなにより大切とされる指揮者にあっては、まだこれからという年齢のとき、輝かしい未来への展望がひらかれつつあった時期に、ケルテスはテルアヴィヴの海での遊泳中の事故で、突然世を去ってしまいました。我らが音楽界がケルテスを若くして亡くしてしまったのを残念に思うのは、こうしたブラームスの演奏を耳にするときです。諸先輩巨匠指揮者らの名演盤と比較すると、必ずしも満点の出来ではないかもしれませんが、ここでケルテスが指し示している方向の本質的な正統性、名門ウィーン・フィルから導き出している新鮮な響きなどは、もし彼が充分に成熟するまで生きていれば、と様々な想像をしたくなるような内容です。ハンガリー出身の指揮者に共通した堂々とした造型性のなかを、冴え渡った、ときにふっくらと肉づきがよく、色彩感豊かな抒情性が、少しの無理もなく貫き通っている様子が何とも見事です。こうした名演を耳にすれば、あらためてケルテスの早すぎた死を思い、もしも彼が生きていたならば、指揮界の分布図といったものはどう変わっていたのか、と思いを馳せる方も、恐らく、少なくないことでしょう。