2009年06月13日

ロリン・マゼールについて


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マゼールは、いつの時代においても先端に位置するような「売れっ子」なので、当然のことながらレコードの数も多い。

1950年代に始まった彼の録音歴は、60年代、70年代、80年代、90年代、そして2000年代へと、旺盛に持続されてきている。

その量的な意味でのムラのようなものは、ほとんどといっていいほど、ない。

しかしながら、マゼールの夥しい数のディスコグラフィを、その内容面からみると、ずいぶんムラのようなものがあることに気がつく。

すぐれた演奏、注目すべきものが、ほとんど初期の録音に偏ってしまっているのだ。

同曲異演盤をいくつか比較しても、それらは例外なく初期のもののほうがすぐれている。しかもかなりの差をつけて…。

こうしたことは、マゼールという指揮者を考えるうえでの興味深い点であり、同時に、彼の悲劇的な点でもあるのだけれど、そのような状況にあって、最近の録音のなかにも、初期のものに匹敵するようなすぐれた演奏内容をもっているものが、まったくないわけではない。すぐれたものがちらほらある。

たとえば、このベルリン・フィルとのブルックナー第8交響曲など、その代表的な1枚といえよう。

この演奏内容は、以前のマゼールのように大胆に曲の核心に踏み込んだという性格ではないけれど、全体を的確に見通し、随所に強靭な手応えをもつ表情をほどこしていった、隙のない出来映えである。

この録音は1989年に録音された。ときあたかも、ベルリン・フィルにおける「ポスト・カラヤン」が真剣に問題になっていた時期である。

そして、マゼールは自他ともに認める「ポスト・カラヤン」の最有力候補のひとりであった(それはアバドが選ばれていくようになるのは、既に周知の通り)。

こうしたマゼールによる暫くぶりの充実した演奏を聴くと、もしベルリン・フィルを彼が手に入れていたら、と改めて思わざるをえなくなってしまう。

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classicalmusic at 19:02コメント(5)マゼール  

コメント一覧

1. Posted by gkrsnama   2012年02月28日 00:23
こんところマゼールをたくさん集めたけど、シベリウスを除いてどうもよくわからない。たとえばこれ。堂々としていてどこにも隙がなくて恐ろしく立派。リズムも音色もバランスも完璧。なのになんだかツマラン。ブルックナーってこんな胴でもいい音楽だっけ、感受性が鈍ったかと思っちゃった。実はハイティンクを聞いているつもりになっていたんだけど、なんだか違う。2枚目になって気づいたわけ。ただ長かった。

あとでハイティンクのアダージョだけ聞いたけれど、ぜんぜん違って感涙!

マゼールは確かにカミソリ程度の切れ味はあるけど、トスカニーニやムラヴィンスキーやマルケヴィッチみたいに抜き身の日本刀をぶら下げてよらば切るぞというほどの鬼気迫る凄みはぜんぜんない。音楽職人としては超一流なんだろうけど・・・
2. Posted by 和田   2012年02月28日 11:25
私自身はマゼールの実演に接してから、彼は音楽の才人だと思いました。
全身これ音楽というか、簡単なものから複雑なものにいたるまで、ありとあらゆる音符が彼の体内に入り、完全に消化されている状態というか、とにかく音楽のことなら可ならざるはありません。
この種の才人は日本には存在しません。クラシック音楽の伝統が長い西欧だけに生まれるタイプで、単なる小器用な職人とはまるで違うのです。
マゼールがリハーサルをしたり、楽譜を読んだりしている現場を見たら、おそらく人間業とは思えません。
イタリアの教会の門外不出の秘曲を、たった1度聴いただけで暗譜してしまったモーツァルトに近い才能が、彼らにはあるような気がします。
マゼールはあまりに才能がありすぎるため、他の音楽家がまったく信用できないらしく、名門ウィーン・フィルハーモニーでさえ、マゼールにとっては子供同然で、4拍子のやさしい曲でさえ、きちんと4つ振ってから音を出させるらしいです。
それではマゼールの音楽が感動的かというと、必ずしもそうではないと思われます。
ありあまる才能を持ちながら、私はマゼールがそれを一生懸命無駄使いしているように思えてならないのです。
世の中に、これほど惜しむべき音楽家はいないのではないでしょうか。
3. Posted by gkrsnama   2012年03月03日 13:46
最近きいているマルケヴィッチも結構すごい才能で、同様に知的だって言われるけど、マゼールと違ってひどく好ましいんですよね。どこが違うか勝手に考えてみました。

マルケヴィッチはまずストラビンスキーを継ぐべき作曲家として有名になります。やがて対独パルチザンで活躍、名門貴族に婿入りします。本人がメイソンの指導者をやっていたとか、婿入り先の公爵家はバチカンや政・経済界に影響力があったという話もあります。住んでいたのはローマの宮殿、亡くなったのも行楽地にある自分の城でしょ。つまりマルケヴィッチは業界外の人で、既に名声と金と社会的地位と政治権力をもっていたわけ。指揮者のレースに参加する必要はなかったということですね。そのため、正統的なやり方などにとらわれず彼独自の譜の読み方で演奏することができたんでしょう。その能力は、例えば同じインテンポといっても、拍一個単位で微妙に適切に動かせるなんてことにも表れています。時にはパート毎に小節の中の時間の流れを違えることまでしています……これがバッチリ決まってるんですよね(映像では左右の手で振り分けているのがわかります)。
4. Posted by gkrsnama   2012年03月03日 13:46
逆にマゼールは子供のころから天才指揮者として王道を歩んできたんですね。結果、ほとんどのの演奏では「己の欲することをして則を超えず」なんですね。確かに圧倒的に優れてはいるけれど、ご当地高関さんの札響比べ隔絶するとは思えない。相当頑張ればですけれど、札響にだって出来るんじゃないかとさえ思ってしまうんですね。

マルケヴィッチとマゼールの差は則を超える指揮者と超えない指揮者の差じゃないかと思います。いいかえれば異端児なのか優等生なのかということです。確かにマゼールにも意表を突く表情は時々ありますがが、マルケヴィッチのように「きちんと様式を守りながら余人と全く違う」と感じることはありません。あくまで正統の枠内のちょっとした驚きなんです。

もちろん則をこえなくても、ジュリーニやハイティンクのようにたくさんの「歌」があれば十分に感動的なんですが、マゼールの場合はあくまで知的・構造重視であろうとするので、聴く分にはあまり面白い結果となっていないように思います。
5. Posted by 和田   2012年03月03日 14:12
それはその通り。鋭い指摘だと思います。
マルケヴィチの指揮者としての魅力は、彼のキャリアからもある程度わかるように、作曲家としての作品に対する深い洞察力の上に成り立っていると言えるでしょう。
マルケヴィチの指揮で聴く演奏は、常に冴えた感性で全体が見通されており、構成的にもしっかりとしていて、曖昧さがありません。
それに、彼固有の鋭利なリズムの良さ、濃厚な色彩感などが加わるものだから、出来上がった演奏自体はきわめて強靭な存在感をもつようになりました。
ライヴ録音においても、スタジオ録音においても、マルケヴィチが導き出す1音1音は、抜き差し難いほど強く彼自身の影のようなものを宿していると感じられます。

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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