2009年07月05日
ギュンター・ヴァントについて
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「謹厳」「厳格」「気むずかし屋」「頑固者」……、ヴァントのイメージといえばそういう固いものばかりで、素晴らしいことは分かっていても、気安く近づけない感がある。
確かに、ヴァントの演奏に「立派だけど華がない」「遊びがなくて息が詰まる」という側面はある。ヴァント芸術は見るからに人を拒む峻厳な山のようだ。
しかし、ひとたび心に汗をかきながら登り詰めるなら、その頂きは思いのほか見晴らしが良く、自由な空気に満ち、美しい花々に彩られていることが分かる。何より、地上よりも「天」に近づいた気がするのである。
しかしヴァントがこのような真の自由を獲得したのは、80歳を越えた頃からだ。若い頃のヴァントの録音を聴くと、真面目さが仇になっているケースが多い。
ことに、最近CD化されたケルン・ギュルツェニヒ管時代のベートーヴェン(1950年代)など、まったく融通のきかない生硬な演奏だ。正攻法でありながら、オーケストラの合奏力が低い、とこられては、退屈な説教を聞かされているような気になる。
ヴァント自身、これらを「不十分」な演奏と語っていたそうだから、生きていれば発売を許可したかどうか。
しかし、ヴァントの偉大なところは、そうした演奏への真面目な取り組みを重ねることで、晩年の神々しさ、真の自由を獲得していったことである。
これは尊敬に値するとともに、多くの芸術家、音楽家への希望となり励みとなろう。若い頃に天才的な表現力で人々を魅了しながら、自らの才に溺れて研鑽を怠り大成できないで終わる演奏家の何と多いことか。
その点、「天才」ではなかったヴァントが到達した晩年の「高み」というのは、弛まぬ努力の尊さと、日々の研鑽の大切さを我々に教えてくれるのである。
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コメント一覧
1. Posted by 水口 2009年08月02日 22:23
私も貴兄より数年ほど前に同じ大学にいた人間です。そんなご縁もあるのでとてもうれしく思います。
さて、私の記事ではヴァントを否定的に扱っていたのでと楽バックを承認すること失礼かとも思いましたが結局載せさせていただきました。
貴兄のご指摘のようにヴァントのアナリーゼの凄さは勉強になります。真摯に作品に取り組むこの大先生の演奏を聞くと多くの発見があります。問題のブラームスでも第1楽章でのTPとtimpの扱い方、全体の構成感など、当時の僕に多くの発見をもたらしてくださったことは間違いないです。単純に「フォルテはフォルテ」ではない緻密な楽譜の読み方は本当に勉強になりました。
貴兄のこの評論にはまったくの賛同の思いです。この先生の生き方のようにたゆまぬ努力を積み重ねたいものです。
2. Posted by 和田 2009年08月03日 00:03
水口様は大学の先輩でしたか。うれしく思います。
さらに付け加えるなら、ヴァントの演奏を聴くのは、単に美しさに酔うためではなく、大音量に興奮したり、楽器の名技を楽しむためでもありません。
ひとことで言えば、合理主義の音楽で、音楽を知的なパズルとして味わうことでもあるのだと感じます。
さらに付け加えるなら、ヴァントの演奏を聴くのは、単に美しさに酔うためではなく、大音量に興奮したり、楽器の名技を楽しむためでもありません。
ひとことで言えば、合理主義の音楽で、音楽を知的なパズルとして味わうことでもあるのだと感じます。