2009年07月05日
ヴァントのベートーヴェン:交響曲全集
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ここに採り上げる全集は、1986年から90年にかけて、ヴァント生涯最後の伴侶、北ドイツ放送響と行ったスタジオ録音であるが、これは、ブルックナーやブラームス演奏とともに、ヴァントの名を後世に残す重要な全集であることは間違いない。
全演奏に一貫する特徴の第一は、「綿密なアナりーぜ」の跡が伺えることであろう。アナリーゼとは、主題をどのように発展させ、変容させ、展開させて楽曲を構成するかというベートーヴェンの創作の原初に遡るべく、スコアをとことん研究し、解剖して、緻密に演奏を繰り広げていく態度のことである。
もちろん、楽曲のアナリーゼはどんな指揮者にとっても当たり前の作業なのだが、ヴァントのスコアの読みの深さ、詳細さは群を抜いており、その結果、音楽のどの瞬間も新しい意味を帯び、真の感動に息づくことになる。
第二には、すべてのパートの充実である。同じくブルックナーを得意とした朝比奈もまた、スコアにあるすべての音に命を与えようとしたが、ヴァントの扱いはもうひとつ上の次元を行く。
朝比奈の場合、「フォルテはフォルテ」という豪放磊落な姿勢に由来するのだが、ヴァントの場合は、同じフォルテであっても、そこには無数の序列が生まれているのである。すべての音符が全曲の中における自分の位置を知っているかのように。
また、内声や対旋律の充実度、金管やティンパニの強奏はドイツ演奏の伝統を逸脱したものであり、演奏の力強さと響きの意味深さは類を見ない。
第三は、北ドイツ放送響の合奏能力の高さであろう。ドイツ伝統の重心の低いサウンドと堅牢なアンサンブルを保ちながらも、放送局オケの使命として難解な現代音楽もこなす柔軟性と国際的に開かれた表現力を併せ持つオーケストラだからこそ、重箱の隅をつつくように詳細なヴァントの要求に応えることができるのである。
また、そうしたヴァントとオーケストラの共同作業を余すところなく捉えた録音の優秀さも称賛に値する。
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コメント一覧
1. Posted by わるた 2009年07月07日 00:57
アナリーゼに関してとても分かりやすく勉強になりました。
お気に入りにしますね。
私はタダ好きなだけで、論評する言葉がないんです。
お気に入りにしますね。
私はタダ好きなだけで、論評する言葉がないんです。
2. Posted by 和田 2009年07月07日 12:35
わるたさん、コメントありがとうございます。お気に入りにして下さるそうでうれしく思います。これからもよろしくお願いします。
3. Posted by nagai@yezo 2011年05月07日 18:48
ヴァントは実はよくわかりませんでした。精密で誠実で、でもそれ以上のものではないのではないかと。
例えば、セルも精密で誠実ですが、加えて手練手管を繰り出してくる。熱も歌もある。「表面上はあたかも楽譜通りで自然」というところを取り去れば、フルトヴェングラーかと思うほどです。(実際に、セルは外側はトスカニーニ、精神はフルトヴェングラーが理想と言っていたような。)セルの特にエロイカと比べると、いかにも「普通」なんですね。見事なメトロノームテンポだし。
まあセルを機械的とか血が通っていないとかいう意見もあり、この辺は感受性の向き不向きかもしれません。
私としましては、同時代のなら熱気あふれるテンシュテットのライブやアバドDVDのほうが好みです。
例えば、セルも精密で誠実ですが、加えて手練手管を繰り出してくる。熱も歌もある。「表面上はあたかも楽譜通りで自然」というところを取り去れば、フルトヴェングラーかと思うほどです。(実際に、セルは外側はトスカニーニ、精神はフルトヴェングラーが理想と言っていたような。)セルの特にエロイカと比べると、いかにも「普通」なんですね。見事なメトロノームテンポだし。
まあセルを機械的とか血が通っていないとかいう意見もあり、この辺は感受性の向き不向きかもしれません。
私としましては、同時代のなら熱気あふれるテンシュテットのライブやアバドDVDのほうが好みです。
4. Posted by 和田 2011年05月07日 19:05
ヴァントについては、1980年くらいまでは、その合理的な演奏が、見事ではあっても、露骨すぎるところがありました。「どうだ、完璧な読解だろう? 演奏だろう?」という匂いがありました。
1990年代になって、不思議なことに、解釈が変わったわけではないのに、深い味わいが出てきました。
それまでは確かにオケの奏者は言われた通りのことをしますが、そこには快楽も陶酔も誘惑もありませんでした。面白い演奏、感動的な演奏とは言い難いものでした。
とうとうその段階を突っ切って、まろやかな美しさが出てきたのが最晩年およそ10年間のヴァントでした。
セルについては、1970年に来日公演した時の物凄い演奏が録音されてますので、「機械的とか血が通っていない」とかいう意見は完全に否定されるべきだと思います。
1990年代になって、不思議なことに、解釈が変わったわけではないのに、深い味わいが出てきました。
それまでは確かにオケの奏者は言われた通りのことをしますが、そこには快楽も陶酔も誘惑もありませんでした。面白い演奏、感動的な演奏とは言い難いものでした。
とうとうその段階を突っ切って、まろやかな美しさが出てきたのが最晩年およそ10年間のヴァントでした。
セルについては、1970年に来日公演した時の物凄い演奏が録音されてますので、「機械的とか血が通っていない」とかいう意見は完全に否定されるべきだと思います。