2009年08月07日

アラウのモーツァルト


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ちょっと類例のない、いわば王者の風格を持ったモーツァルトだ。

アラウの演奏は実に研ぎ澄まされた、透明感の強い古典的な名演に数えられる。すでに老境に入った年齢での録音で、技術的にも決して衰えをみせていないばかりか、音楽的に老け込んでいないのが、何よりも素晴らしいと思う。

テクニックもかくしゃくとしており、くっきりと彫琢された表現には何とも言えぬ男性的な意思の重みを実感する。

整然とした構成感のうちに、モーツァルトの音楽のヒューマンな側面をくっきりと描き出した演奏だ。

極めて人間味のある音楽が聴かれるが、もちろん感情的という意味ではない。より深い、表現者としての哲学を聴かせる大きな演奏である。

この演奏でのアラウは、極論すれば、一切の感傷を排してモーツァルトの音楽の真髄に迫っている、という感がある。あるいは、いかなる恣意をも追放した演奏といえる。

実に強靭で、意志の強さがはっきりと読み取れる演奏で、聴き手はずっしりとした存在感を意識させられる。

アラウのモーツァルトはピアノの音の強弱の幅が極めて狭く、それだけにどのような細部も、細かい技巧に頼ることがない。

アラウは例によっておっとり構え、自らの内なる鏡に映ずるままに伸び伸びと、悠然たるテンポで弾き進んでゆく。

なにものにも拘束されることなく、モーツァルトの世界に淡々と遊ぶアラウの柔軟そのものの精神は、ソナタを窮屈な"古典的な"規範から解放し、敢えて言うなら"ソナタ風幻想曲"として再現して見せたような、そんな趣がある。

これこそ安心して聴ける本物の音楽であり、音楽の重さを実感させてくれる、どっしりとした演奏である。

アラウは実に着実なテンポと明晰なアーティキュレーションによって、一見重厚な、だが充分に軽やかなモーツァルトを聴かせる。

その演奏は確かに風格に満ちたものだが、それだけにとどまるものではない。彼はモーツァルトに対する感傷も、おもねりも、また聴き手へのサーヴィスもすべて排除して、ひたすら音楽の実体に迫るのだ。

K.330の第2楽章に耳を傾けると、そこには明るさ、愛らしさ、悲しさ、あきらめの情など、モーツァルトに必要なすべてが揃っていて、しかも一切の誇張を排除している。

こんな演奏ができるのは、真に円熟した大家の特権といっても過言ではない。あらゆる飾りをかなぐり捨てたモーツァルト、それがアラウのモーツァルトであり、その存在感は大きい。

この虚飾を排除した演奏は、最初聴いたときは素朴すぎて拍子抜けするかもしれない。しかしその素朴のなかに円熟が秘められていることに気づくだろう。その瞬間から忘れ難いものとなるのだ。

ここには熟した演奏のみに許される充実感、琴線に触れる「音楽そのもの」が厳として存在し、80歳を越えたアラウが会得した、比類のないモーツァルトの音楽がある。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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