2009年06月12日
F=ディースカウ&バーンスタインのマーラー:歌曲集
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フィッシャー=ディースカウの厖大なリート録音のハレーションのなかにかき消され、意外に見落とされているすぐれた演奏が、このバーンスタインとの〈若き日の歌〉と〈リュッケルト歌曲集〉抜粋だ。
これほどマーラーの音楽の神髄に迫った演奏も珍しい。
当時のフィッシャー=ディースカウは心技一体化し、体のすみずみにまで歌うよろこびが行き渡り、声に出すひびきはすべての霊感をおびていた。
特にこの〈リュッケルト〉と〈若き日の歌〉では、バーンスタインのピアノと驚くほどよく合い、空前絶後といえるほどのひびきの空間を作り上げている。
バーンスタインはピアノのパラフレーズの仕方が独特で、マーラーの内面の生と死との間に揺れる焦燥と不安、その分裂の風景を目に見える形で映し出している。
ディースカウの声はそれに的確に反応し、マーラーの内面の分裂の隙間へとどこまでも深く分け入ってゆく。
そして、その奥にマーラーの原点を支える絶対的な精神の基盤、つまり神なき世の芸術家の任務に目覚め、救済を模索する生き方を突き当てている。
声とピアノだけで、ベートーヴェンの〈第9〉に匹敵する深遠広大な精神的空間を表現しえたリート演奏は、このディスクをおいて他にはない。
これはドイツ・リート録音史上、金字塔的演奏と呼ぶに値する。
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コメント一覧
1. Posted by レニー狂 2009年06月16日 21:22
バーンスタインのピアノは響きが柔らかく、時に呼吸をしているかのような歌わせ方をしている。これはおそらく、バーンスタインが根っからのピアニストではなく、「音楽家」である事に起因すると思う。すなわちバーンスタインには、伝えたい音楽や、その内面の隠れた感情を表現したいという欲求がまずあり、指揮や作曲やピアノはそれを伝える手段でしかないため、ピアノらしく整然と演奏することよりも、より多くの情報を伝えようとした結果、物語を語り聞かせるようなピアノになっているのではないかと思う。
考え抜かれたディースカウの名唱は素晴らしいの一言に尽きる。
たまに取り出して聴いてみたい大切な一枚です。
考え抜かれたディースカウの名唱は素晴らしいの一言に尽きる。
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2. Posted by 和田 2009年06月16日 21:40
レニー狂さん、久々のコメントありがとうございます。
フィッシャー=ディースカウが歌いあげるデリケートで、密度の濃い世界に、バーンスタインのピアノが、ときにはよき伴侶として、ときには強力なライヴァルとして、またときにはいたずらな挑発者として、乱反射するようにキラキラとする様が非常に興味深いです。
こうした含蓄のあるピアノ伴奏こそ、真に音楽の心がわかった演奏者の手になるものといえるでしょう。
バーンスタインより上手に弾ける人なら、いく人でも指折ることはできるかもしれません。
しかし、このような音楽の心に通じているような演奏家となると、数はグッと少なくなってしまいます。
バーンスタインのバーンスタインたる所以でしょう。
フィッシャー=ディースカウが歌いあげるデリケートで、密度の濃い世界に、バーンスタインのピアノが、ときにはよき伴侶として、ときには強力なライヴァルとして、またときにはいたずらな挑発者として、乱反射するようにキラキラとする様が非常に興味深いです。
こうした含蓄のあるピアノ伴奏こそ、真に音楽の心がわかった演奏者の手になるものといえるでしょう。
バーンスタインより上手に弾ける人なら、いく人でも指折ることはできるかもしれません。
しかし、このような音楽の心に通じているような演奏家となると、数はグッと少なくなってしまいます。
バーンスタインのバーンスタインたる所以でしょう。