2009年10月26日
インバルのマーラー:交響曲第9番&第10番~アダージョ
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マーラー最後の交響曲は、それまでの自我の強烈な主張から一転し、憑きものが落ちたような表情を見せている。
心理的には激しい闘争心が減退して、諦めに似た境地が読み取れる。
一方古いしがらみを払拭し、外的にはすっきりした現代性を印象づけるが、マーラーはそれを意識して作曲したのかどうか、ここには寒風に身をさらしても、自分の古い体質を変えようとする積極性も見てとれる。
インバルの演奏は、これまでぬるま湯にひたっていた自我を、いわばみそぎをする意味で、無理やり寒中に引き出すが、その冷たさが意外に新鮮に感じられるといった趣だ。
その感覚があってはじめて第3楽章の意味が生きてくる。
この曲の核心にふれた演奏だ。
第9番は既に競合する名演が多いが、インバルは強豪のなかに混じって堂々と自己を主張している。
なかでも終楽章は、ひたすら純粋さを求めてとうとうと流れ、大きな起伏のうちに虚無に通じるはかない感情を表現する。
最後のロンド主題の再現と展開は、感興あふれる高揚が手の込んだ織物の感触を表し、やさしく、ふるえる感動をもって終わる。
第10番(アダージョ)は、悲劇と喜劇の交錯が極めて鮮明に表現されている。
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