2010年03月14日
ヤッシャ・ハイフェッツの至芸
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"髪の毛が逆立つような"という言い方で驚きを表現することがあるが、20世紀最大の名ヴァイオリニストの一人、ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)が聴かせる名人芸はまさにそれであろう。
巧いとか、美しいとか、抒情的であるとか、華麗であるといったことは、ハイフェッツの演奏全体からみれば尾ひれのようなものであり、付随した魅力の断片にしか思えなくなってくるほどである。
では何が凄いのか?
ハイフェッツは一人でオペラをやっているように素晴らしいとしか言いようがない。
ハイフェッツの演奏を耳にしていると、協奏曲であってもオーケストラは聞こえず、室内楽であってもアンサンブルは耳に入ってこない。
極端にいえばそれほどハイフェッツの演奏は完結しており、完全無欠の姿で聳え立っている。
しかもハイフェッツのヴァイオリンは歌う。それも徹底して歌う。
だがハイフェッツは歌っても自身の感情をむき出しにして聴き手を泣かせたり、興奮させたり、物思いに耽らせたりはしない。冷静なのである。
しかし聴き手はそんな冷たいハイフェッツが大好きになる。
なぜならハイフェッツは確かに自ら涙を流すことはしないが、作品にそう書いてあれば、ハイフェッツは全力を駆使して、しかもこれ以上の的確さはないといった完璧さで作品に込められたメッセージを音楽に変えてくれるからである。
こうした演奏家としての在り方はまさに職人芸の鏡というべきものであろう。
拍手と賞賛の言葉は自らが受けるのではなく、その奥に控える作曲者にどうぞというわけである。
この凛々しい生き方には心底惚れ込んでしまうが、誰もが真似できるものではない。
ハイフェッツの音楽は一人聳え立ち、後の演奏家の目標となっている。
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