2010年05月11日
ゼルキン&アバドのモーツァルト:ピアノ協奏曲第20&24番
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両曲ともやや遅めのテンポで演奏され、ゼルキンのソロも落ち着いた情感を基調にしている。
タッチは明確で表情に富み、特にピアニッシモからは香しさが漂ってくるようにさえ感じられる。
何よりもアーティキュレーションが美しく、感情の細かな動きが音色と表情に反映されて、豊かなニュアンスをもたらしている。
モーツァルトはこういう演奏で聴きたいもの、と思わせる名演だ。
特に第20番は最もオーソドックスな演奏の一つとして挙げられる。
第1楽章冒頭の低弦から始まる不気味な楽想とそれが次第に盛り上がっていく場面のアバドの表現法は当を得たもので、聴く者を自然に音楽の中に誘い込む。
続いて現れるゼルキンのピアノも、音楽の一つの大きな流れに乗って自然と弾き出されていき、そこに何らの感情の途切れもない。
このことは全楽章を通していえることで、それだけにゼルキンとオーケストラとが音楽的に見事に一体化しているといえる。
たとえば第2楽章でも主部と中間部の対比的表現が見事に計られているが、しかし聴いていると、それが一つの流れにまとめられているし、第3楽章のロンドも同様である。
だからこの曲の特色を聴くのに良い演奏の一つといえる。
なお、第1楽章の最後の部分に独奏ピアノだけで演奏されるカデンツァが入るが、現在でもベートーヴェンのものが多く使われており、ゼルキンもそうである。
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