2007年12月21日
シューリヒトのブル7
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全篇儚さと無常感とに彩られたブルックナーである。
シューリヒトの演奏は、ブルックナーの本質を衝いた表現で、冒頭からこの指揮者特有の高雅な音楽性に引き込まれる。
まず第1にここに聴こえる音は、通常のオーケストラの音ではない。まるで現実感のない、別世界に鳴っている音楽なのである。
その音には油絵のような立体感と生々しさがある。その生々しさが心の奥深くに響くところが、他の演奏と違うところだ。
その孤高の美と枯淡に通じる味わいの深さは、他の指揮者には求められないもので、ブルックナーの音楽美と内面性をこれほど端正に示した演奏も少ないだろう。
ハーグ・フィルも親密なアンサンブルで応えている。
弦のトレモロに開始される第1楽章冒頭から、なんと「感じやすい」音なのだろう。奏者たちは楽器だけでなく、心の琴線をも弓で鳴らしているのだ。それが、聴く者の共感となってくる。
音楽は淀みなく進行していくが、そこに鳴る一瞬一瞬の音の閃きは、あまりにも眩しく愛おしい。「この瞬間のまま時間を止めて欲しい」。何度もそう願いたくなる。
その美しい音の過ぎゆく様、消えゆく様に人の生にも通ずる無常がある。
展開部でも劇性を煽るどころか素っ気ないくらいだが、内部に燃えたぎるパッションは火を噴く溶岩のように熱い。
コーダもオーケストラの全能力を引き出しての凄まじい大音量にもかかわらず、決してうるさく聴こえることはない。まさに至芸である。
第2楽章も深刻ぶらず、淡々と、しかも目一杯の共感をもって熱く歌われる。
まるで黄泉の国への川面に揺られるような第2主題は、魂を遠い記憶への郷愁へと誘う。
流れに身を委ねる心地よさは無類であるが、シンバルを伴った神々しいクライマックスへの駆け上がり方は、天馬のように迅速である。
第3楽章はシューリヒトの卓越したリズム感が冴える。音楽がどんなに荒れ狂っても、そこに匂う儚さは消え去らない。トリオはまるでもう一つの緩徐楽章のように歌が天を焦がす。
第4楽章では、楽章の規模の小ささを些かも感じさせぬ多彩な表現で聴く者を魅了する。
まさに傑作である。
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