2010年04月23日
シューリヒト&フランス国立管弦楽団のモントルー音楽祭ライヴ(1955年)
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待望の正規盤CD化で、放送局音源だけに音質も優秀である。
シューリヒトのハイドンの交響曲第104番「ロンドン」は、星の数ほどあるハイドンのディスク中、間違いなく最上級を狙う演奏である。
少なくとも、私はハイドンと言わず、自分の知る全レコード中でもトップ10に入れたいほど愛好する。
第1楽章から奇跡の連続技である。威厳のある序奏にはすでに儚さも同居し、主部に入ると貴婦人のような優雅さで、聴く者を魅了する。
どんなにロマンティックに歌っても清潔感を失うことがなく、ベートーヴェンの「田園」でも聴かせた「超レガート奏法」は、まったく浮き世を超越している。
第2楽章も、優しく懐かしい歌から迫力ある部分まで、表現に無限の段階があり、テンポ感覚の自在さは誰にも真似できない。
メヌエット主部にも、音楽に根元的な活力、生命力があり、トリオの哀感と好一対をなす。
フィナーレも、速めのテンポの中に様々なニュアンスを湛えた名演中の名演。聴いていて、こんなに幸せを感じるレコードは、それほど多くはない。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、シェリングの熾烈なまでの一途さと禁欲的な真摯さに打たれる。
シューリヒトの指揮は格調の高いもので、ゆとりのある堂々たる進行が素晴らしい。
シューマンの交響曲第2番もあまりに素晴らしい。シューリヒトのロマン性が、自由に羽ばたいているからである。
第1楽章は、睡眠薬による白日夢のような序奏に始まるが、シューリヒトは我々を否応なしにシューマンの錯綜した精神の森へと誘う。
トランペットの調べが遠い叫び声のように響き、音楽は幾重にも重なった心の闇の中を進むのだが、シューリヒトの往く道は常に明るく照らされている。
第2楽章も精神的な闘争だが、まるで妖精たちの森へ迷い込んだような趣があり、第3楽章の歌もシューリヒト一流のロマンの衣裳を纏い、実に陶酔的である。
フィナーレは、心に悩みを抱きながら無理に笑っているような、ベートーヴェン的な勝利とは無縁の音楽であるが、シューリヒトは、シューマンの晦渋さを明快な音楽に翻訳して、我々を愉しませてくれるのである。
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