2010年04月13日

ブーレーズ&クリーヴランド管のマーラー:交響曲第7番「夜の歌」


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新ウィーン楽派に近づいたマーラー演奏である。

激情に押し流されず、作品の多層的・多義的な形式構造を克明に描き出すことによって、書かれた楽譜からマーラーそのものに肉薄しようとする演奏の最右翼。

遊び性やロマン性もそこから浮き出して聞こえてくるが、クリーヴランド管弦楽団の力量あってこその表現でもある。

マーラー特有の世紀末的哀感に、感傷という香料を加えて強調する―これがかのワルター以来のマーラー演奏の主流になっていたような気がする。

だがここにきて、感傷性や抒情性を過度に強調せず、より客観的な再現を目指す演奏が多くなってきた。

ブーレーズのマーラーはその最たるものだ。

もの悲しい表情をたたえている「夜の歌」。しかしブーレーズは、厭世的な悲しみや感傷を強く押し出すことは避け、また低回趣味にも組していない。

基調となっているのは、"ほのかな明るさ"。

人生のたたかいとか慟哭、内面の恐怖というものを決して強調せず、整理整頓のかぎりをつくした透明感がいかにもブーレーズらしい。

加えてブーレーズは、古巣であるクリーヴランド管に、いささか現実感に乏しい室内楽的ともいうべき精妙さを求めている。

重々しすぎないモダンなマーラーで、練れた音作りはベストと言えよう。

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classicalmusic at 18:31コメント(2)トラックバック(0)マーラー | ブーレーズ 

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コメント一覧

1. Posted by arrau   2010年04月15日 12:39
私は矛盾を抱えた人間の不可解さ・弱さを素直に表現できるところにマーラーの強さがあり、そこが人々の共感を産むと考えているので、ブーレーズの表現は好みでありません。時に甘さを求めたり、時に暴力的になったり、混乱して方向性が定まらなくなったりしますが、それを突き抜けて作品に統一感をもたらしているのは愛情であったり、伝達意欲であったりという感情のマグマだからです。
先にケーゲルの7番を拝聴しましたが、クレンペラーとまでは行かないものの、作品の本質を良く表現できた名演奏と感じました。都響はミスが多いものの十分奮闘してますので、是非こちらもお聞き下さい。
2. Posted by 和田   2010年04月15日 13:13
arrau君の主張にほとんど異論はないよ。
でも今後のマーラー演奏にはかなり影響を与えるんじゃないかなー。ブーレーズの演奏は。
精密な音楽作りは、なぜ精密でなければならないかをきちんと主張しており、決して堕落した習慣とはなっていない。
演奏の技術もどんどん高度になり、現在においては精密に演奏できるということが、一流オーケストラや指揮者のほとんど最低条件になった。
だから、ブーレーズが主張した種類の精密さが今日では大衆化し、当然のものとなり、衝撃力を失ったという面も否定できないけど、しかし精密であっても美しくない音楽はいくらでも存在するのであって、精密と美の分かちがたい親密を作り出すという点で、ブーレーズは驚異の技術者でありまた妥協のない耽美主義者であると思う。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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