2010年06月15日
ブーレーズのマーラー:交響曲「大地の歌」
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ブーレーズならではの精緻な演奏である。
知的なコントロールが徹底した演奏は、従来のような表現主義的であったり、陶酔を誘うようなマーラーではないが、作品の細部と全体を透徹した眼で俯瞰して、「大地の歌」からこれまでになく精妙で陰翳の深い表現を引き出している。
ウィーン・フィルの美しい響きと色彩が、そうした明晰かつ新鮮な演奏をいっそうニュアンス美しく味わい深いものにしているし、ふたりの歌手も好演である。
ブーレーズはどこか非常に冷めたところがあって、同じマーラーの第9番のときにもそう感じたのだが、終楽章に7割をかけない。
終楽章は35パーセントでいいんだというバランスのとり方が、すごく面白いと思う。
第9番も、終楽章を聴いてくれればおれの言いたいことが全部わかる、という演奏ではなくて、むしろ1、2、3楽章を聴いたときにブーレーズの考えがわかる。
それと同じようなことをここでもやっていて、最後の楽章はもう結論が出てしまっているから、あまり深追いしない。
その前にやろうとしていることに面白さがある、というところが私の好きなところだ。
ブーレーズのように細かく俯瞰できる演奏はなく、どうしても歌のほうへいってしまう傾向が強いけれども、ブーレーズの場合はオケが素晴らしいから、オケの表現の細かさ、いろんな重層的なところがよくわかる点が魅力である。
ただ、「大地の歌」というタイトルどおり、"歌"を求めるとなると、ちょっとどうかな?というところはあるけれども、ブーレーズにとっての歌手は、人間というよりも、楽器であってもいいのかもしれない。
そういう点では、この2人の歌手もよくやっている。
ブーレーズの演奏が、これからのひとつの指針になるかもしれない。これ以降の若い指揮者たちは、この影響を相当受けるのではないだろうか。
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