2011年02月27日

ブリテンのモーツァルト:交響曲第25, 29, 38 & 40番


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第25番は、ブリテンの高雅な趣味を感じさせる「小ト短調」である。

ブリテンは疾風怒涛のこの作を、6分から7分の力で振りながら、そこに無限のニュアンスを散りばめていく。

両端楽章は、一切力の入る場面はないのだけれど、要所要所に然るべきアクセントが置かれたり、さりげなく陰影が施されているので、充足感が満点である。

第2楽章は、夢の中に沈み込むような趣が堪らず、メヌエットはそのまま宮廷の舞踏会で奏でられるほどの優雅さだ。

第29番は、短調の「25番」で行ったことを、長調で実践すればこうなるのかという、惚れ惚れする美演である。

なんという多彩で豊富なニュアンスが通り過ぎていくことだろう。

モーツァルトの演奏に、まず求められるものは気品である。

どんな熱演であろうと、どれほど精密なアンサンブルでも、そこに気品の二文字がなければモーツァルトは沈黙してしまう。

そして、もうひとつは涙である。大声を上げて泣く涙ではない。抜けるような青空を見上げながら、あまりの美しさに頬にこぼれてしまう涙。悪い冗談に馬鹿笑いしながらも、胸の奥を濡らしている涙である。

ブリテンは、そのふたつの大事なものを生まれながらに持っている。

モーツァルトとブリテン。もし、このふたりが同時代に生きていたなら、きっと大親友になっていただろう。

この演奏は、そんなことを思わせてくれる。

「プラハ」でも、やはり大声でものを言わない演奏で、ただの1音符もメゾ・フォルテ以上強くならないのでは、と思わせるくらい奥ゆかしいアプローチながら、聴く者の心に大きな痕跡を残すという不思議な魅力を持っている。

第1楽章のコーダなど、シューリヒトやワルターがここぞとたたみ掛けていく場面ですら、ジワジワと静かな昂まり方に終始する。

しかし、ひとつひとつの音が愛おしげに奏される様は哀しいほどに美しく、全篇に涙に濡れたようなニュアンスが散りばめているのだ。

第40番も、人を驚かせるような表現は一切ないのだが、すべてのニュアンスが心に親しげに語りかけてくる。

その声に心の窓が一つひとつ開かれていく歓び!その語りかける声が、血気盛んな頃には聴こえなかった。否、聴こうともしなかったのだ。

この演奏を聴くたびに、新たな窓がひとつふたつと増えていく。

年齢を重ねることも悪いことばかりではないと思わせてくれる、素敵な演奏だ。

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